Re: 200万語を超えました

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12666. Re: 200万語を超えました

お名前: 杏樹
投稿日: 2013/3/24(00:19)

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せきけんさん、こんにちは。

〉多読の目的は、ある一つの文学作品を理解するということではなくて、
〉英語を読んで、英語のまま理解できる頭を作るということであって、
〉ある箇所が、分からないと言って、完全に理解できるまで、
〉読み込むことはプラスにならないと言うことですね。
〉つまり、読むということよりも、読む力を養うことに力点があるですね。

そのとおり、「読む力を養う」ためです。
英語の本を読むのには単語だけたくさん知っていても無理です。文章を読み取る力がないと読めません。未知単語を全部辞書で引いたらどんな難しい本も読める…なんてことはありません。難しい本を読むには文章を読み取る力が必要です。一般的な英語学習では、文章を読み取るには文法の勉強を…となるわけですが、それだと結局「暗号解読」のようになってしまいます。読む力をつけるにはたくさん読むことです。さらにその際パンダ読みを取り入れなが読むと、すらすらたくさん読めるので、読んだら読んだだけ読む力は養われていくのです。

〉同じ単語に何度も出会うというのは、違う文脈に置かれた同じ単語を沢山眺めることによって、
〉あるとき、はっと、意味の核心が体得できるというそういうことを、
〉言われているのだろうと思います。
〉それは、まったくその通りだと思います。
〉多角的に状況が与えられることによって、核心となる意味を把握できるということですよね。

その通りです。

〉英英辞典を引くことは、その多角的に理解する状況の一つを与えてくれるものと思えば、与えられた文脈が一つ二つ増えるという効果で、悪いことではないと思うのですが、いかがでしょうか。

「読む力」が養われてPBを読むようなレベルまで来たら、辞書を引いてもいいと思います。私はずっと以前から、「どうして辞書を引いてはいけないんですか」と抵抗する人、特に初心者には「読めるようになったら英英辞典」を推奨することを提案してきました。「読めるようになるまで待ちましょう」と。
ただ、前のレスでも書いていますが、絵本・児童書はあまり辞書を引かないほうがいいと思います。子どもの本に使われている言葉は辞書よりも文脈で語感をつかむとか、わからない所はどんどん飛ばして勢いで読んだ方がいい場合が多いからです。一般向けのPBが読めるようになったら、辞書をお供に読むのも有りだと思います。わからない所を調べながらじっくりと…というのも。

多読で辞書を引くことを容認するなら、ある程度の語数を重ねて「読む力」がついていること、辞書を引かなくても英語の本は読める、知らない単語もわかってくる、という認識を持つようになってから、だと思います。英語ができる人はもちろん、できない人も、洋書は辞書を引いて読むものだ、という思い込みを持っている人は多いです。真面目な人ほど知らない単語をマメに引いたりメモを取ったりしながら読もうとします。その思い込みを崩すのが大切なんです。

〉英英辞典でも、引くことがよくない理由は、1つは、流れが中断されることで、
〉もう一つは、文脈が多角的に与えられるというよりも、むしろ、
〉特定の一つの文脈での使われ方にfocusされる方向になりやすいということと、思います。

その通りです。

〉では、Happy Reading!!で。

それではHappy Readin!で。


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12672. Re: 200万語を超えました

お名前: せきけん
投稿日: 2013/3/25(01:00)

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杏樹さん、こんばんは。

いつも丁寧なレスをありがとうございます。

私としては、理解することや鑑賞することも、モチベーションになるので、
一概にそれを第一に目指して読むことが悪いとは思いません。
しかし、急がば回れで、読めるようになってから理解する、鑑賞するという方が、実は正解だったりするということもあるから、
そう慌てなさんなというアドバイスをしたい、その心得が、
多読の三原則になっていると理解しました。

でも、やっぱり最終的にには、理解することや鑑賞すること、
もっと広く、コミュニケーションすることが目的なんですよね。

読む力を養った上で、よりスムースに理解し、鑑賞し、コミュニケートすることが目標。

しかし、理解することが目的であっても、逐語的に理解することや、
中国語を漢文のように理解することを目標にしては、
英語を英語として理解することにならず、遠回りであるということは、
耳にたこが出来るぐらい言ってもいいことだと。

今、書いていて思いついたんですが、日本人の英語を後ろから翻訳するようなやり方は、
悪い意味で漢文の伝統とも繋がっているんですね。

kindleを使っていてマイナスなのは、辞書が直ぐに引けることですね。
これに頼るのは確かに良くないです。
辞書を引くハードルが低過ぎるのです。
辞書を引かないようにするには、よりwill powerが必要です。
可能であれば、辞書を引くのは、全部読んでから、
それでも気になっていて、綴り何となく覚えているような単語を、
調べてみるというのがいいかと思います。

それから、Kindleで前のページをサーチするときには、
虫眼鏡のマークのところをタッチして、
本の中をサーチすればよいので、サーチするキーワードが分かりさえすれば、
簡単です。

それから、どうしてそういう語順になっているのか、そういう言い回しなのか、
腑に落ちないけれども、意味は何となく分かるということが、
まだまだ、よくあります。
それも、経験を重ねれば、腑に落ちるようになってくるのでしょう。
それが腑に落ちるようになるための、条件って何なんでしょうか。

一つは、意味を理解しようとして読むことではないのでしょうか。
但し、ここでは、頭で理解しようとするのではなく、
身体で、心で、イメージとして理解しようとすることかと思います。

そうだとすると、自分の腑に落ちてくる可能性が多い、
しかし、文脈が頭に入っていなかったら理解もできないし、
腑にも落ちてこないようなもの、そういう臨界にあるものを読むのが、
読む力を付けるのに一番有効ということになりますね。

パンダ読みがお勧めなのは、その境界を跨ぐ行為を知らず知らずできるからで、
幅というか揺らぎを作り出すことによって、限界点(臨界点)が浮かび上がってくる効果があるんでしょうね。

この話で思い出したのは、マイケル・ポランニー(ポラニー)の暗黙知の理論です。
「暗黙知の次元(Tacit Demension)」という本があるのですが、
多読三原則は、この本で言われていることを、
具体的に言語習得(読みだけですが)という場面で、具体的に展開した場合を分かりやすくルール化したものとも言えそうです。

この本の紹介が以下のサイトにあったので引用します。
http://www.tku.ac.jp/kiyou/contents/hans/127/127_oosaki.pdf
> 結局マイケル・ポラニーが主張しているのは,人が新しい技能や理論を身につけるのに際
> し,最も良い方法は,対象の諸細目を部分的に学んだり捉えたりすることではなく,対象の
> 全体に内感的に「潜入する」(dwell in)ことである。全体像に部分項目を加え,その部分を
> 説明したり意味付けたりするのは,全体の意味を消滅させ,知識の全体性を破壊することに
> なる(Polanyi, 1966, p. 18)。

辞書を引くというのは、この文章の後半で言っていること、
「全体像に部分項目を加え、その部分を説明したり意味づけたりすること」に当たっていて、
従って、「全体の意味を消滅させ、知識の全体性を破壊することになる」から駄目なんですね。

この話は、これだけでは分かりにくいと思うので、
また別の機会に、話させて下さい。

頭でっかちの人には、多読三原則に対するこういう説明もいいかもしれません。
多読三原則をこうだと説明するときに、
こういう理論も踏まえて、色々な技能習得の場面も比喩的に使いながら、
説得的に説明できるとよいのではないでしょうか。

では、Happy Reading!!


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