Re: 200万語を超えました

[掲示板: 100万語超 報告・交流 -- 最新メッセージID: 13567 // 時刻: 2024/7/1(08:23)]

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12656. Re: 200万語を超えました

お名前: 杏樹
投稿日: 2013/3/17(23:54)

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せきけんさん、こんにちは。

出遅れましたが、200万語通過、おめでとうございます。

〉Horrid Henryシリーズは、多分、三月中に全部読み終えることができそうです。

おもしろいシリーズに出会えてよかったですね。しかも冊数が多いので語数が稼げますね。

〉この作品は、非常に笑えるし、一話が短くて読み易いので、
〉もっと読まれてもいい作品と思います。
〉単語は難しいものも出てきますし、口語なので、学校で習わない言い回しが出てくるので、私は、YL3.5ぐらいと思いますが、ここのリストでは、レベル2に分類されています。
〉その紹介が、「悪がきの兄と優等生の弟のシリーズ」とだけなのが寂しいです。

そういうことでしたら、是非書評を書いてください。
書評は多読をする人が一つ一つ書いていって積み上げてきたものです。今はたくさん本が紹介されていて切実度は薄れているかもしれませんが、多読はお互い本を紹介したり書評を書くことで広がっていったのです。

それから、やはり児童書はなるべく辞書を引かないで勢いで読んだ方がいいと思います。
私は今フランス語で児童書と絵本の間ぐらいのレベルですが、英語のようにすらすら読める本が少ないのと、基礎が足りないので辞書を使っています。でも何度も出てくる言葉ほど辞書を引かないで「感覚」をつかみたいと思ってなるべく辞書を引かないようにしています。辞書を引かないで、何度も出会って「そうか!」と思った時の感覚の方が辞書よりもずっと「腑に落ちる」からです。
英語なら辞書を使わなくても読める本がたくさんありますから、辞書を引いて「正解」を知ってしまうと「もったいない」って思います。特に絵本・児童書は子どものが使う言葉が使われていますので、辞書の語義よりも「感覚」で使われている言葉が多いです。そういう「感覚」をつかんでいくと、理解度も上がっていきます。

〉MTHの#31,#32は、Merlinもののファンタジー系ストーリで、#29,#30と合わせて4冊でセットのお話です。
〉夏至と冬至という季節で、英国周辺の神話と北欧の神話に取材したもののようです。
〉要するに、この4冊は、神話をMTHのファンタジーに仕立てたというもの。英語の文化に息づく、ルーツ的な神話のエッセンスを取り出しているようです。

MTHは20何巻かで止まってしまいましたが、Merlinものっておもしろそうですね。北欧神話やファンタジーが好きなので…。

〉MTH#33,#34,#35,#36は、現実の歴史に戻って、米国の文化的な基盤になるものを訪れるMerlinシリーズの第二弾と思います。
〉18世紀のベネチア、9世紀のバグダッド、19世紀のパリ、20世紀のニューヨークというその時代の世界的な都市を訪れます。
〉ここで、バグダッドが出てくるところは、アラブ世界の黄金時代が、今日の西欧文化の基礎にあるということで、ギリシア哲学や代数学、アラビアンナイトなどを、イスラムから学んだことをきちんと押さえるという意図でしょう。
〉これを、英語圏(特に米国)の子供達に学んで欲しいと思っているということと思います。

これはいいですね。イスラム文化についての理解につながるテーマが入っているなんて。

〉この中では、20世紀のニューヨークがちょと大恐慌時代を背景にしていて、Blizzardということでもあり、寂しいですが、苦しい時を経て今があるという意味で、この時代を選んでいるのかどうか?

「建国200年」のアメリカ人にとっては大恐慌というのは、自国の歴史の中でもとりわけ大きな出来事なんだと思います。「あの時代は大変だったんだよ」なんて語りつがれているんだと思います。

〉私は、この中では、パリ万博を背景にした科学の時代を象徴する#35と、行ったことがあるというだけですが、#33のベネチアの話が面白かったです。
〉ただ、ベネチアだったら、15〜16世紀が全盛期と思うのですが…。

パリ万博、いいですねー。その時代も好きです。
ベネチアは確かに15〜16世紀が全盛期で面白い時期だと思いますが、18世紀は衰退していく時期、爛熟した時代のおもしろさがあるのかもしれません。

〉最後に、Anastasiaシリーズの二冊は、on her ownの方が面白かったです。
〉13歳という思春期で「問題」を抱える彼女の成長物語ですが、
〉on her ownは、彼女の初デートと、お母さんが10日間不在で、家事の切り盛りで、お父さんは前のガールフレンドが尋ねてきたり、弟のSamがChicken poxになったりで、結構ハチャメチャなことになります。
〉ask your analystは、心の問題が主で、思春期の戸惑いというか、
〉自分はどこかおかしいと感じ始めて、両親に相談するが、取り合ってくれずに、
〉色々試行錯誤するという話に、学校の宿題のScience Projectで飼い始めた小動物が大変なことになる話が絡んで進んで行き、
〉最後は、こんな終わり方でいいのかなというような終わり方で、
〉チャン!チャン!という感じです。

こちらのシリーズも続いているようですね。

これからもHappy Reading!


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12658. Re: 200万語を超えました

お名前: せきけん
投稿日: 2013/3/20(01:23)

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杏樹さん、こんばんは。

お祝いのメッセージをありがとうございます。

書評を書いてもいいと思っていますし、
実際、Horrid Henryの書評が登録されていなかったものは、
語数を適当に見積もって書き込みました。
名義が「けんせき」になっているので、その点はお許し下さい。
本当は、レビューも書いた方がいいのかもしれませんが、
レビューは書いていません。
書評には、本の裏表紙とか帯に書いてあるような、皆さんが読みたくなるようなさわりを書いています。
考えるのが面倒なときは、本の紹介として出版社が考えた文句を適当に翻訳して書いています。
書評がネタばれでは、申し訳ないという気持ちがあるので、
書き過ぎないように、そうしています。

個人的な感想を書くなら、レビューにすべきかと思っています。

言葉を感覚的につかむことは重要と思いますが、英英辞典を引くことは、
そんなに悪いことではないと思います。
問題があるとすると、やはり、読んでいる英語の流れが中断してしまうことで、これは大きなマイナスです。
だからこそ、多読3原則では、辞書を引かないという原則を立てているのだろうと思います。
流れをつかむことは重要だし、流れの中で意味を理解することが重要だということだと思っています。

2度読み、3度読みして、意味が腑に落ちるまで読むというのも、それほど悪くない読み方かと思います。
但し、これは時間がよけいに掛かるので、分からなければ読み飛ばしても言いと思います。
2度読むと意味が分かることもありますし、助走をうまくつけて読むと理解できることもあるので、全く無駄なことではないと思っています。

それから、区切りを認識できると意味が腑に落ちることがよくあります。
区切りを間違えて把握していると、何度読み返しても意味が分かりません。

慣れてくると、意識しないで、理解しないまま読み飛ばしているということがあります。
字面を眺めたり、単語を認識してはいるのですが、意味が分かっていないことがあります。
それでも平気でどんどん読み進められるのですが、
その先で、話が繋がらなくなって、あれって思うことがあります。
そして戻って読み直すと意味がわかって、あれっていうことになります。
話の展開上、重要なところを読み飛ばしてしまうとこうなるのでしょう。

そういうところに、笑いのポイントがあったりすると、
残念ながら笑えなくなってしまいます。

ということで、ポイント(つぼ)は理解しながら、流れで読んでいくことで、
笑えるようになるのでしょう。

意識は、紙の向こう側に持っていった方がいいのでしょうね。
字面よりも。
内容を理解しようとして考えようとすると、頭が日本語モードになるので、
これもよくないでしょう。

MTHは#49が出ているようですが、Paper Backであるものは全部読むつもりです。Fact Trackerは、読むかどうか分かりません。
Anastasiaはあと4冊あり、それは全部読む積もりです。
姉妹編として、弟のSamのシリーズが4冊あるので、
これも全部読もうと思っています。

その先何を読むかを思案中ですが、A to Zか、Famous Fiveか、
Boxcar childrenは、読もうと思っています。
つまり、しばらくYL 3ぐらいを沢山読んで、
300万語を迎えようという心積もりです。

では、Happy Reading!!


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12660. Re: 200万語を超えました

お名前: 杏樹
投稿日: 2013/3/20(20:47)

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せきけんさん、こんにちは。

書評はみんなが読みたくなるような紹介を、というのはその通りだと思います。でもその後に自分の感想を少しぐらいは書いてもいいと思います。感想が多少あった方が、興味を惹かれる人がいるかもしれません。ネタばれはいけませんけれど。

〉2度読み、3度読みして、意味が腑に落ちるまで読むというのも、それほど悪くない読み方かと思います。

2度読み、3度読みは、自分が興味を持っておもしろいならいいと思います。でも意味がわかるまで読むことが目的になってはいけないと思います。

私が「何度も出会う」というのは、違う本で、違うシチュエーションで同じ言葉に出会うと、どういう時にその言葉が使われるかが多角的にわかってくるのです。ですから同じ本で同じシチュエーションで何度も読むのとは効果が違うのです。


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12663. Re: 200万語を超えました

お名前: せきけん
投稿日: 2013/3/23(01:41)

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杏樹さん、こんばんは。

せきけんです。

書評する機会があったときは、個人的な感想も付け足すようにしたいと思います。
確かに、そういう個人の生の声は、あった方がいいですね。
それが、どんなものであっても。
但し、誰が言ったことかということが重要です。
人によって趣味が違うので、趣味が合う人の言葉を信ずればよいし、
バイアスを考えながら解釈すればよいので。

2度読み、3度読みは、分からないときは、ついやってしまうものですが、
2・3度読んで分からないときは、潔く諦めるのがよいと思います。
分かるまで読むというのが目的というよりも、
分かる方が楽しいことが多いから、そうするだけで、
流れが中断してしまうというデメリットもありますから、
流れを重視して読み進むこともよくあることです。

本を読むときに、中身を分かることは、目的の一つではあると思います。
余りにも分からないことが多いと苦痛になってきます。

区切りを間違えてしまったので理解できなかったとか、
似たような話ですが、文の構造を間違えて把握してしまったために、
理解できなかったということが、よくあります。
そういうときは、2度読みは有効だと思います。
弊害としては、日本語で考えて意味を把握しようとしてしまいがちだということです。
文の後ろから理解して行くような形になるのは良くないと思います。

多読の目的は、ある一つの文学作品を理解するということではなくて、
英語を読んで、英語のまま理解できる頭を作るということであって、
ある箇所が、分からないと言って、完全に理解できるまで、
読み込むことはプラスにならないと言うことですね。
つまり、読むということよりも、読む力を養うことに力点があるですね。

同じ単語に何度も出会うというのは、違う文脈に置かれた同じ単語を沢山眺めることによって、
あるとき、はっと、意味の核心が体得できるというそういうことを、
言われているのだろうと思います。
それは、まったくその通りだと思います。
多角的に状況が与えられることによって、核心となる意味を把握できるということですよね。

英英辞典を引くことは、その多角的に理解する状況の一つを与えてくれるものと思えば、与えられた文脈が一つ二つ増えるという効果で、悪いことではないと思うのですが、いかがでしょうか。

英英辞典でも、引くことがよくない理由は、1つは、流れが中断されることで、
もう一つは、文脈が多角的に与えられるというよりも、むしろ、
特定の一つの文脈での使われ方にfocusされる方向になりやすいということと、思います。

では、Happy Reading!!で。


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12666. Re: 200万語を超えました

お名前: 杏樹
投稿日: 2013/3/24(00:19)

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せきけんさん、こんにちは。

〉多読の目的は、ある一つの文学作品を理解するということではなくて、
〉英語を読んで、英語のまま理解できる頭を作るということであって、
〉ある箇所が、分からないと言って、完全に理解できるまで、
〉読み込むことはプラスにならないと言うことですね。
〉つまり、読むということよりも、読む力を養うことに力点があるですね。

そのとおり、「読む力を養う」ためです。
英語の本を読むのには単語だけたくさん知っていても無理です。文章を読み取る力がないと読めません。未知単語を全部辞書で引いたらどんな難しい本も読める…なんてことはありません。難しい本を読むには文章を読み取る力が必要です。一般的な英語学習では、文章を読み取るには文法の勉強を…となるわけですが、それだと結局「暗号解読」のようになってしまいます。読む力をつけるにはたくさん読むことです。さらにその際パンダ読みを取り入れなが読むと、すらすらたくさん読めるので、読んだら読んだだけ読む力は養われていくのです。

〉同じ単語に何度も出会うというのは、違う文脈に置かれた同じ単語を沢山眺めることによって、
〉あるとき、はっと、意味の核心が体得できるというそういうことを、
〉言われているのだろうと思います。
〉それは、まったくその通りだと思います。
〉多角的に状況が与えられることによって、核心となる意味を把握できるということですよね。

その通りです。

〉英英辞典を引くことは、その多角的に理解する状況の一つを与えてくれるものと思えば、与えられた文脈が一つ二つ増えるという効果で、悪いことではないと思うのですが、いかがでしょうか。

「読む力」が養われてPBを読むようなレベルまで来たら、辞書を引いてもいいと思います。私はずっと以前から、「どうして辞書を引いてはいけないんですか」と抵抗する人、特に初心者には「読めるようになったら英英辞典」を推奨することを提案してきました。「読めるようになるまで待ちましょう」と。
ただ、前のレスでも書いていますが、絵本・児童書はあまり辞書を引かないほうがいいと思います。子どもの本に使われている言葉は辞書よりも文脈で語感をつかむとか、わからない所はどんどん飛ばして勢いで読んだ方がいい場合が多いからです。一般向けのPBが読めるようになったら、辞書をお供に読むのも有りだと思います。わからない所を調べながらじっくりと…というのも。

多読で辞書を引くことを容認するなら、ある程度の語数を重ねて「読む力」がついていること、辞書を引かなくても英語の本は読める、知らない単語もわかってくる、という認識を持つようになってから、だと思います。英語ができる人はもちろん、できない人も、洋書は辞書を引いて読むものだ、という思い込みを持っている人は多いです。真面目な人ほど知らない単語をマメに引いたりメモを取ったりしながら読もうとします。その思い込みを崩すのが大切なんです。

〉英英辞典でも、引くことがよくない理由は、1つは、流れが中断されることで、
〉もう一つは、文脈が多角的に与えられるというよりも、むしろ、
〉特定の一つの文脈での使われ方にfocusされる方向になりやすいということと、思います。

その通りです。

〉では、Happy Reading!!で。

それではHappy Readin!で。


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12672. Re: 200万語を超えました

お名前: せきけん
投稿日: 2013/3/25(01:00)

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杏樹さん、こんばんは。

いつも丁寧なレスをありがとうございます。

私としては、理解することや鑑賞することも、モチベーションになるので、
一概にそれを第一に目指して読むことが悪いとは思いません。
しかし、急がば回れで、読めるようになってから理解する、鑑賞するという方が、実は正解だったりするということもあるから、
そう慌てなさんなというアドバイスをしたい、その心得が、
多読の三原則になっていると理解しました。

でも、やっぱり最終的にには、理解することや鑑賞すること、
もっと広く、コミュニケーションすることが目的なんですよね。

読む力を養った上で、よりスムースに理解し、鑑賞し、コミュニケートすることが目標。

しかし、理解することが目的であっても、逐語的に理解することや、
中国語を漢文のように理解することを目標にしては、
英語を英語として理解することにならず、遠回りであるということは、
耳にたこが出来るぐらい言ってもいいことだと。

今、書いていて思いついたんですが、日本人の英語を後ろから翻訳するようなやり方は、
悪い意味で漢文の伝統とも繋がっているんですね。

kindleを使っていてマイナスなのは、辞書が直ぐに引けることですね。
これに頼るのは確かに良くないです。
辞書を引くハードルが低過ぎるのです。
辞書を引かないようにするには、よりwill powerが必要です。
可能であれば、辞書を引くのは、全部読んでから、
それでも気になっていて、綴り何となく覚えているような単語を、
調べてみるというのがいいかと思います。

それから、Kindleで前のページをサーチするときには、
虫眼鏡のマークのところをタッチして、
本の中をサーチすればよいので、サーチするキーワードが分かりさえすれば、
簡単です。

それから、どうしてそういう語順になっているのか、そういう言い回しなのか、
腑に落ちないけれども、意味は何となく分かるということが、
まだまだ、よくあります。
それも、経験を重ねれば、腑に落ちるようになってくるのでしょう。
それが腑に落ちるようになるための、条件って何なんでしょうか。

一つは、意味を理解しようとして読むことではないのでしょうか。
但し、ここでは、頭で理解しようとするのではなく、
身体で、心で、イメージとして理解しようとすることかと思います。

そうだとすると、自分の腑に落ちてくる可能性が多い、
しかし、文脈が頭に入っていなかったら理解もできないし、
腑にも落ちてこないようなもの、そういう臨界にあるものを読むのが、
読む力を付けるのに一番有効ということになりますね。

パンダ読みがお勧めなのは、その境界を跨ぐ行為を知らず知らずできるからで、
幅というか揺らぎを作り出すことによって、限界点(臨界点)が浮かび上がってくる効果があるんでしょうね。

この話で思い出したのは、マイケル・ポランニー(ポラニー)の暗黙知の理論です。
「暗黙知の次元(Tacit Demension)」という本があるのですが、
多読三原則は、この本で言われていることを、
具体的に言語習得(読みだけですが)という場面で、具体的に展開した場合を分かりやすくルール化したものとも言えそうです。

この本の紹介が以下のサイトにあったので引用します。
http://www.tku.ac.jp/kiyou/contents/hans/127/127_oosaki.pdf
> 結局マイケル・ポラニーが主張しているのは,人が新しい技能や理論を身につけるのに際
> し,最も良い方法は,対象の諸細目を部分的に学んだり捉えたりすることではなく,対象の
> 全体に内感的に「潜入する」(dwell in)ことである。全体像に部分項目を加え,その部分を
> 説明したり意味付けたりするのは,全体の意味を消滅させ,知識の全体性を破壊することに
> なる(Polanyi, 1966, p. 18)。

辞書を引くというのは、この文章の後半で言っていること、
「全体像に部分項目を加え、その部分を説明したり意味づけたりすること」に当たっていて、
従って、「全体の意味を消滅させ、知識の全体性を破壊することになる」から駄目なんですね。

この話は、これだけでは分かりにくいと思うので、
また別の機会に、話させて下さい。

頭でっかちの人には、多読三原則に対するこういう説明もいいかもしれません。
多読三原則をこうだと説明するときに、
こういう理論も踏まえて、色々な技能習得の場面も比喩的に使いながら、
説得的に説明できるとよいのではないでしょうか。

では、Happy Reading!!


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