自分の国の言葉で,生きる

[掲示板: 〈過去ログ〉英語以外で多読を楽しむ掲示板 -- 最新メッセージID: 3292 // 時刻: 2024/6/29(04:31)]

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2849. 自分の国の言葉で,生きる

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2014/11/29(20:46)

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 ミッシェルさんへ,新茶から。

 夏の蝉時雨は,いつのまにか,秋蝉に代わり,もはや,秋蜻蛉もいなくなり,「冬蜂の,死にどころなく,生きにけり」(村上鬼城)の有名な俳句の季節になりました。

〉主観の新茶さん、お久しぶりです。ミッシェルです。

〉ラテン語はさっぱりですが(いや、とっくにご存知でしょうが)、散歩中の英語のスピーキング練習で「セミがたくさん鳴いている」と言いたかったのですが、「セミ」が分からなかったので、あとで辞書を引きました。
〉cicadaなんですね。
〉ラテン語っぽいなぁと思いました。

 わからなければ,辞書を見れば,いいでしょ?
 どこが悪いの?
 なにも,わざわざ,辞典を引きましたって,ことわること,ないよ。

 まずもって,それが,言いたかったね。

 tadokuは,辞書を引いちゃあいけない,そんなドグマに,無意識で,捕らわれているみたい。

 もし,仮に,辞典を引くべきか引かざるべきか,それが問題だ,なんて考えること自体,人生という貴重な時間を,無駄に使っているね。

 英和の辞典を,害悪のように言う人がいたね。それは,辞典を作る人,辞典作りに係わる全ての人に,かわいそう。かわいそすぎ。

 なぜなら,辞典害悪論者に言わせれば,辞典製造者や辞典販売者は,害悪を製造販売していることになるのだからね。

 辞典を引くと,英語を読むことが進まないという人は,辞典の引き方が,未熟であるというか,辞典という役に立つものを引いて調べるだけの技量が,まだまだ未熟であるというにすぎないだろうね。

 学生時代から,少しづつ,確実にこなしていれば,辞書を引かなくて良い言葉が,多くなってるはずでしょ。

 英語など外国の本は,全く辞典を引かないで,通読した方が良い場合もあれば,かなめの用語のみ,もし分からなければ引くが,後は引かないで通読した方が良い場合もあれば,一語一語,確実に意味を理解しながら,読む方が良い場合もあれば,それぞれ,いろいろ,場合分けがあるよね。場合分けは,その人の勉強や努力の程度によって異なるし,その人のその時々の実力に応じ,違うわな。

 辞書が,害悪であるわけでは,全くない。

 以上の外国語読書の場合分けは,自国語の本を読むときにも,同じだよ。

 全く国語辞書を引かないで読む場合もあれば,引く場合もあるね。

 僕は,あるとき,小さな国語辞書を通読した。白川静の「字統」も,通読したね。できるだけ真剣に理解して,とにかく通読だ。わかっても,わからなくても,とにかく前に進む。

 僕は,それまでは,ある程度,難しい本を読むと,知らないか,知っていても,あやふやな漢語に,ときどき,出会ったものだ。辞書の通読以来,基本的には,辞書を引くことは,ない。

 でも,ときどき,今でも,知らない言葉に出会うね。そういう場合には,心に書き留めるか,いつも大抵携行している小さなノートに書き留めて,あとで,辞書を引くよ。辞書といっても,専門用語なら,国語辞典や漢和辞典ではなく,百科事典でもなく,専門の辞典の方が,良いと思うよ。
 たとえば,僕は,経済用語なら,経済用語辞典を見た方が良いと思うよ。しかし,僕は,今は,経済辞典を持っていない。どうしてかと言えば,経済書の専門書を持っているからだ。その経済書の索引を引くんだよ。経済だけではないよ。知りたい領域の専門書を持っておくんだよ。用語を知らなければ,その専門書の索引や目次を見るんだよ。僕の専門領域は,以上とは,また別であるから,別個の勉強が必要だから。ここまで述べたところは,僕の専門領域以外の勉強を意味する。

 tinyさんは,このsssに投稿する人であるところ,ホームページを見ると,多読のことを,「飛ばし読み」と命名しているのを,つい数日前に知った。すばらしい。
 tinyさんの命名は,「言い得て,妙」じゃあないか。
 もっと短縮し,「飛ばし」でも良いじゃあないか。そう短縮すると,知らん人には,なんのことか,わからんくなるね。
 「飛ばし多読」では,どうか。
 しかし,辞書なし,幼児ものから,っていったって,途中停滞とか,大人らしい高度な思考が,身につかないとか,自国語で書いた書物を読む暇がないとか,自国語(日本語)で書いたまともな本を読む気力がしないとか,能力がないとか,そういう人になると,「少読」と言った方が良い場合もあるし,そもそも,そんな人の本読みは,「読書」の範疇(はんちゅう)に入(い)れないだろう,などという突っ込みがしたくなるね。

 僕自身は,学生でもないのに,いつまでも,英語に執着している人には,魅力を感じないね。
 または,英語読み以外は,新聞とテレビで過ごしているのは,やはり,魅力がないね。

 英語に捕らわれている人,とても,精神が,不自由だと思うよ。
 僕のまわりに,英語に熱中している人,いないし。
 英語に費やす時間,ほかのことをしたら,もっと,人生,ユタカになると思うよ,
 多言語と称している人も,同じく,不自由だと思うよ。

 でも,英語その他の文化圏の文化を知ることは,常に,毎日,大事だと思うよ,

 それと,英語の勉強じゃあないと称して,連綿と英語学習的なことを継続し続ける不自由さとは,全く別個さ。

 こういう僕の意見が,暴走だと思われるようじゃあね。

 僕は,正論だとして,どこでも,胸を張って,いえるよ。
 仮に国会でも。テレビ討論でも。
 僕は,僕とは反対説の人と,公開討論しても良いと思っているくらいだよ。

 でも,僕でなくて,専門家の人が,僕と同じことを言っているから,そちらの方の意見を拝聴するのが,良いね。
 僕なんかよりも。

 広い世間には,むしろ,僕の見解に納得する人が,多いと思っている。

 学問的にも,社会規範に照らしても,実際的な効力としても。

 ただし,僕は,僕の見解と違う人に,僕の見解を押しつける気持ちは,全くないね。

 風邪は,引かない方が良いね。ミッシェルさん,風邪引かないように気をつけてね。辞書は,引いても良いが。

 以上の議論は,このへんで,やめにして,本題。

 ※ ミッシェルさんは,セミと認識したら,日本語でどんな言い回しがあるか,考えないのですか?

 どうして,英語の変換なんて,考えるの?

 自国語の言い回しを考える方が,楽しくないの?
 先じゃあないの?

 セミと認識したら,自国語では,どんな言葉があるのだろう?

●なつぜみ,秋蝉(しゅうせん),この辺までは,空で,出てくるね。

 閑さや 岩に染み入る蝉の声(松尾芭蕉),これも,記憶に残ってて,いつでも言えるよね。

 次あたりからだな。怪しくなるのは。

●空蝉 源氏物語に出てくるね。知ってる?,どんな女性だったっけ?

●空蝉の術 漫画伊賀の影丸,小説家の書く「忍者の小説」に出てくる。漫画,読んだことある?

●蝉の仲間に,蜩(ひぐらし)がいる。蛄も,セミの字の一つである。
 ヒグラシは,これを使った言葉が多い。そう思わない?

●荘子に出てくるヒグラシなどを使用した有名なフレーズ。

●蜩と鳩は,・・・大鵬が,南に羽ばたくのを無駄と笑う。

 しかし,大鵬にいわせれば,いわく,「朝菌(ちょうきん)は,晦朔(かいさく)を知らず,恵蛄(けいこ)は,春秋(しゅんじゅう)を知らず。小知は,大知に及ばず。」(朝生まれてすぐ死ぬといわれている菌類は,朝と夜を知らない,夏ゼミは,春と秋を知らない,このように少ない情報で満足している者は,より多くの情報を知る楽しみを知らない,訳せば,このようになる)。

 荘子,逍遙遊編第一。

 お相撲さんの「大鵬」は,この荘子から,名付けられたんだよね。知ってた?

●彼(傴瘻者=せむしの男),蝉を捕るに,なお,これを拾うが如し(普通の人が簡単にできないことが,できることのたとえと考えれば良い)。

 彼,いわく,蝉を捕るのは,簡単だ,「・・・・万物を以て,蝉の翼に代えず。なんすれぞ,蝉を得ざらんや」。

 ・・・・の部分は,長くて,めんどくさいので,今回は,紹介しない。

 詳しくは,荘子,達生編第十九,を見てね。

●荘周,一蝉を観るに,まさに美陰(びいん)を得て,その身を忘る。

 蟷螂(とうろう),これを捕らえんとし,得を見て,その形を忘る。※美陰とは,蝉にとって,心地よい木陰のこと。

 荘子,山木編第二十。この話も有名。

 蝉は,(セミを食べてしまおうという)カマキリを忘れているし,カマキリは,(カマキリを食べようという)カササギを忘れているし,カササギは,(カササギを捕まえようとしている)猟師を忘れているし,猟師は,荘子に一部始終を見られているのも,忘れている。
 荘子は,荘子で,荘園の経営者から怪しまれる(知らず知らず他人の敷地に侵入していたから)。

 この僕の注釈は,原文とは,やや違う。しかし,この物語から,何をくみ取るかは,その人次第だね。

 「何をおもしろいとするか,たのしいとするか,そこに,その人の境遇が,にじみ出ている」という言葉もある。境遇とは,いきざま,教養ということだね。

●蝉しぐれ 藤沢周平。読んだことある?

 ついでに,cicadaに触れておこう。

 セミは,暖かい地方が,本場だね。寒い地方もいるらしいが,少ない。

 cicadaは,もともと,ラテン語である。ローマには,蝉がいる。イギリスも,寒いが,少しは,蝉がいるんだと思うよ。知名度は,低い。
 僕は,蝉は,すごく寒いところには,いないと思っている。

 イギリスに渡ったゲルマン人=イギリス人は,寒いドイツ方面から海を渡ってきた。だから,蝉に相当する言葉がなかった。
 それで,ラテン語で代用しちゃったんだね。

 それとも,ゲルマン人がイギリスに来るまでは,ローマ人がイギリスを支配していたから,ラテン語が残っていたのかな?

 cicadaは(蝉=セミ)は,ラテン語読みは,キカーダ,英語読みは,シセイダだね。

 英語のcicadaは,複数形はどうなるかといえば,ラテン語の代用だから,英語も,複数は,cicadaeとした。
 だって,ラテン語では,(単数)cicada,cicadae, cicadae,cidadam,cicada/(複数)cicadae,cicadarum,cicadas,cicados,cicadasという変化をするからね。

 しかし,ええい,そんなこと,めんどーじゃー,ほかといっしょで,どこが,わるいんじゃー,となれば,英語の複数は,cicadasになるね。

                                                 草  々


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2850. Re: 自分の国の言葉で,生きる

お名前: ミッシェル
投稿日: 2014/11/29(20:58)

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新茶さん、ミッシェルです。
「暴走」なんて表現を使って申し訳ありませんでした。
他のタドキストのみなさんと同じように仲良くしたかっただけなのですが、軽薄でお気楽なレスは、ただただ新茶さんをイライラさせただけだったようですね。新茶さんは、コミュニケーションを取りに、掲示板にいらっしゃっているのではないということがよく理解できました。安易な気持ちでレスしてすいませんでした。
現状、削除できる返信は全て削除しました。


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