Learning と Acquisition の違い

[掲示板: 〈過去ログ〉英語のことなんでも -- 最新メッセージID: 2495 // 時刻: 2024/7/17(09:46)]

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2247. Learning と Acquisition の違い

お名前: Ryotasan
投稿日: 2008/4/4(09:41)

------------------------------

子どもが言葉を覚える過程を研究する学問のことを米国では language acquisition と呼びます。

メキシコで生まれ、
スペイン語を覚えてから米国に移住した子どもが英語を覚える過程のことは、
second language acquisition と呼びます。

いつのころからか、
米国の大学などでこの分野を教えたり研究している人たちは、
この acquisition という概念を learning と区別するようになりました。

一方、
日本で英語の教授法を専門にしている先生がたには、
「第二言語習得理論」という名称を使うかたも、
「第二言語獲得理論」という名称を使うかたもいます。

「獲得」であれば "acquisition" と同じで、
"learning" と区別していることが分かります。

「習得」という用語を使われているばあい "acquisition" と同じなのか違うのか不明確になります。
有名な先生で、
むかしは「習得」を使っていたけれど、
ある時期から「獲得」に替えた先生もいらっしゃいます。

米国でやっていることを無批判に真似るべきではありませんが、
言葉の定義が違うと話が通じなくなることも多いので、
書いてみました。

みなさんの参考になれば幸いです。


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2248. Re: Learning と Acquisition の違い

お名前: たむ
投稿日: 2008/4/4(12:33)

------------------------------

  Ryotasanさん、こんにちは。たむです。

〉子どもが言葉を覚える過程を研究する学問のことを米国では language acquisition と呼びます。

〉メキシコで生まれ、
〉スペイン語を覚えてから米国に移住した子どもが英語を覚える過程のことは、
〉second language acquisition と呼びます。

〉いつのころからか、
〉米国の大学などでこの分野を教えたり研究している人たちは、
〉この acquisition という概念を learning と区別するようになりました。

〉一方、
〉日本で英語の教授法を専門にしている先生がたには、
〉「第二言語習得理論」という名称を使うかたも、
〉「第二言語獲得理論」という名称を使うかたもいます。

〉「獲得」であれば "acquisition" と同じで、
〉"learning" と区別していることが分かります。

〉「習得」という用語を使われているばあい "acquisition" と同じなのか違うのか不明確になります。
〉有名な先生で、
〉むかしは「習得」を使っていたけれど、
〉ある時期から「獲得」に替えた先生もいらっしゃいます。

  なるほど、なんとなくもやもやしていたことがはっきりしました。

〉米国でやっていることを無批判に真似るべきではありませんが、
〉言葉の定義が違うと話が通じなくなることも多いので、
〉書いてみました。

  ある方から、米国ではこの"acquisition"の概念は今では不要である
  として、反論を受けるのがふつうだということを聞きました。
  つまり、learningを続ければ acquire できるということなのかな
  と思いますが。

  日本人の先生が書いたその趣旨の論文を読んだこともあります。
  (論文なんて読んだのは、これが唯一ですが。)

  この先の話題もありましたら、お暇なときにぜひ。。。

〉みなさんの参考になれば幸いです。


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2249. Re: Learning と Acquisition の違い

お名前: Ryotasan
投稿日: 2008/4/4(15:01)

------------------------------

たむさん、興味深いお返事をありがとうございます。
僕自身の書き込みは飛ばしますね。

〉  ある方から、米国ではこの"acquisition"の概念は今では不要である
〉  として、反論を受けるのがふつうだということを聞きました。
〉  つまり、learningを続ければ acquire できるということなのかな
〉  と思いますが。

ここのところ、
もう少し詳しく教えて下さい。
自然な言語獲得と意識的な学習を区別しない方が良いという意味でしょうか?
ちなみに僕個人はどちらでも構わないんです。

〉  日本人の先生が書いたその趣旨の論文を読んだこともあります。
〉  (論文なんて読んだのは、これが唯一ですが。)

〉  この先の話題もありましたら、お暇なときにぜひ。。。

上記の区別を提唱した学者の推奨する仮説や方法に対して沢山の反論が出されたことは知っているんですが、
もう少し説明をいただけると、
助かります。

お時間のあるときで結構です。


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2250. Re: Learning と Acquisition の違い

お名前: たむ
投稿日: 2008/4/4(22:22)

------------------------------

  Ryotasanさん、こんばんは。

〉たむさん、興味深いお返事をありがとうございます。
〉僕自身の書き込みは飛ばしますね。

〉〉  ある方から、米国ではこの"acquisition"の概念は今では不要である
〉〉  として、反論を受けるのがふつうだということを聞きました。
〉〉  つまり、learningを続ければ acquire できるということなのかな
〉〉  と思いますが。

〉ここのところ、
〉もう少し詳しく教えて下さい。
〉自然な言語獲得と意識的な学習を区別しない方が良いという意味でしょうか?
〉ちなみに僕個人はどちらでも構わないんです。

  下で Ryotasan の書いている「沢山の反論」のことでは
  ないかと思いますが。

  何人かの英語学習者である大学の先生を囲んで話したとき
  私が聞いたことに、クラッシェンの弟子たちがその種の
  論文を出すと、総攻撃を受けるような状況になっていると
  いうようにおっしゃってました。こちらに何も背景がないので
  それ以上の質問はできませんでした。

  Ryotasan はどちらでもいいと思われているんですね。
  私はどうもこの獲得期にあたるものをうまく経過というか
  消化というか、できないために英語がうまくいかないような
  気がしてきたんですが。量が解決すると思いますか?

〉〉  日本人の先生が書いたその趣旨の論文を読んだこともあります。
〉〉  (論文なんて読んだのは、これが唯一ですが。)

  この論文は、米国で誰がどういうように獲得概念を批判して
  いるかを網羅して説明していました。

〉〉  この先の話題もありましたら、お暇なときにぜひ。。。

〉上記の区別を提唱した学者の推奨する仮説や方法に対して沢山の反論が出されたことは知っているんですが、
〉もう少し説明をいただけると、
〉助かります。

〉お時間のあるときで結構です。


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2251. Re: Learning と Acquisition の違い

お名前: Ryotasan
投稿日: 2008/4/5(09:07)

------------------------------

〉  Ryotasanさん、こんばんは。

たむさん、おはようとざいます。

〉〉たむさん、興味深いお返事をありがとうございます。
〉〉僕自身の書き込みは飛ばしますね。

〉〉〉  ある方から、米国ではこの"acquisition"の概念は今では不要である
〉〉〉  として、反論を受けるのがふつうだということを聞きました。
〉〉〉  つまり、learningを続ければ acquire できるということなのかな
〉〉〉  と思いますが。

〉〉ここのところ、
〉〉もう少し詳しく教えて下さい。
〉〉自然な言語獲得と意識的な学習を区別しない方が良いという意味でしょうか?
〉〉ちなみに僕個人はどちらでも構わないんです。

〉  下で Ryotasan の書いている「沢山の反論」のことでは
〉  ないかと思いますが。

〉  何人かの英語学習者である大学の先生を囲んで話したとき
〉  私が聞いたことに、クラッシェンの弟子たちがその種の
〉  論文を出すと、総攻撃を受けるような状況になっていると
〉  いうようにおっしゃってました。こちらに何も背景がないので
〉  それ以上の質問はできませんでした。

学校の教室で言葉 (特に外国語や第二言語) をどう教えるかを切実な問題として考えている学者と、
そういうしがらみから距離を置いて子どもが言葉を身につける過程を研究している学者とで、
温度差や意見の違いはあると感じています。
どちらの立場をとるにせよ、
learning と acquisition が同じではないという考え方が存在することを意識していないと、
この種の英文をうまく理解できないと思います。
特に、
幼児が母語(第1言語)を身につける過程について書いてある文章のばあいは、
その傾向が強いと感じています。

ただし、
learning と acquisition を区別せよと主張している学者の代表格が Stephen Krashen 教授で、
無意識的な言語獲得に比べると意識的な学習は大して効果がないと彼が主張していることに対して総攻撃とも言える反論が出されたことは知っています。

〉  Ryotasan はどちらでもいいと思われているんですね。
〉  私はどうもこの獲得期にあたるものをうまく経過というか
〉  消化というか、できないために英語がうまくいかないような
〉  気がしてきたんですが。量が解決すると思いますか?

現時点では「習うより慣れろ」式の方が効果的で苦痛も少ないと思っていますが、
将来、
意識的な学習法がもっともっと洗練されて、
「習うより慣れろ」式と同じぐらい効果的で苦痛の少ない方法に発展することがもしあるなら、
それでも構わないというぐらいの意味で申し上げました。

〉〉〉  日本人の先生が書いたその趣旨の論文を読んだこともあります。
〉〉〉  (論文なんて読んだのは、これが唯一ですが。)

〉  この論文は、米国で誰がどういうように獲得概念を批判して
〉  いるかを網羅して説明していました。

〉〉〉  この先の話題もありましたら、お暇なときにぜひ。。。

〉〉上記の区別を提唱した学者の推奨する仮説や方法に対して沢山の反論が出されたことは知っているんですが、
〉〉もう少し説明をいただけると、
〉〉助かります。

〉〉お時間のあるときで結構です。

一旦ここで切りますね。(^-^)


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2252. 続きです

お名前: Ryotasan
投稿日: 2008/4/6(23:48)

------------------------------

たむさんからのご質問について考えてみました。

〉  Ryotasan はどちらでもいいと思われているんですね。
〉  私はどうもこの獲得期にあたるものをうまく経過というか
〉  消化というか、できないために英語がうまくいかないような
〉  気がしてきたんですが。量が解決すると思いますか?

多読を始める前に身につけた癖が足かせになって、
量を摂取してもなかなか上達しないことがあると思っています。
何でも消去法で判断する習慣や、
英単語を反射的に和訳する習慣、
耳から入って来た英語をカタカナ式の英語に置き換える習慣などがあると、
大量に読んだり聞いたりしてもなかなか上達しないばあい、
つまり量が解決してくれないばあいがあると思うのです。

耳からのインプットが少ない時点で文型について学ぶと、
前置詞の前で文を切る癖がつき、
英語のリズムがなかなか身に付かず、
読む速度も上がらず、
多読によるインプットがなかなか増えないこともあります。

量は必要条件だけれど、
十分条件ではないような気がします。


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2253. Re: 続きです

お名前: たむ
投稿日: 2008/4/7(11:54)

------------------------------

〉たむさんからのご質問について考えてみました。

  お忙しい時期でしょうに、申し訳ありません。

〉〉  Ryotasan はどちらでもいいと思われているんですね。
〉〉  私はどうもこの獲得期にあたるものをうまく経過というか
〉〉  消化というか、できないために英語がうまくいかないような
〉〉  気がしてきたんですが。量が解決すると思いますか?

〉多読を始める前に身につけた癖が足かせになって、
〉量を摂取してもなかなか上達しないことがあると思っています。

  これは。。。酒井先生の「樽の穴」の考えですね!

〉何でも消去法で判断する習慣や、
〉英単語を反射的に和訳する習慣、
〉耳から入って来た英語をカタカナ式の英語に置き換える習慣などがあると、
〉大量に読んだり聞いたりしてもなかなか上達しないばあい、
〉つまり量が解決してくれないばあいがあると思うのです。

  「何でも消去法」ですか?反射的に和訳、カタカナ英語に置き換え、
  。。。大学受験までの英語を思い出します。

  今日の産経新聞に金原瑞人(法政大学)先生が、入試の英文和訳
  の採点をしていて、「ぼくは恐怖小説のようだ(恐怖小説が好きだ)」
  「ぼくは1日に2度、10歳だ(1日に2度、歯を磨く)」「ぼくは
  なにげに17歳がゆるせる(コーンフレークを17粒しか食べられ
  ない)」という解答があったと書いていました。

  おもしろいと同時に、今でも英文和訳の問題がでるのかと驚きも
  しました。

〉耳からのインプットが少ない時点で文型について学ぶと、
〉前置詞の前で文を切る癖がつき、
〉英語のリズムがなかなか身に付かず、
〉読む速度も上がらず、
〉多読によるインプットがなかなか増えないこともあります。

  「前置詞の前で文を切る癖」。。汗が出ます!
  「リズムが身につかない」。。これは、本当に英語を聞きはじめて
  痛感しました。かたいもので机をたたきながらリズムを取るように
  していた時期もあります。最近は、このリズムについて、英米で
  違うようだと感じています。

〉量は必要条件だけれど、
〉十分条件ではないような気がします。

  お話しを読んで、ともかく不自然にやるのがよくないのだなと
  感じました。ただ、何が言語習得にとって不自然なのか、みな
  考えたこともないのだろうと思います。

  読書倶楽部をやっていますが、はじめて来られる方の半数くらいは、
  辞書をひかない、文法は考えない、と言うと、帰ってしまいます!
  あと、読めるのは読めるんだが。。という方もいますね。

  ありがとうございました。またよろしくお願いします。


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2254. Re: 続きです

お名前: Ryotasan
投稿日: 2008/4/12(07:18)

------------------------------

たむさんが中身の濃いコメントを下さったんですが、
中々お返事できませんでした。

〉  お忙しい時期でしょうに、申し訳ありません。

たしかにこの一週間、
本業は忙しかったんですが、
じっくり考えたい気持ちもありました。

〉〉〉  Ryotasan はどちらでもいいと思われているんですね。
〉〉〉  私はどうもこの獲得期にあたるものをうまく経過というか
〉〉〉  消化というか、できないために英語がうまくいかないような
〉〉〉  気がしてきたんですが。量が解決すると思いますか?

〉〉多読を始める前に身につけた癖が足かせになって、
〉〉量を摂取してもなかなか上達しないことがあると思っています。

〉  これは。。。酒井先生の「樽の穴」の考えですね!

重なっている部分は大きいと思います。
インプットがなかなかアウトプットに繋がらない原因を樽の穴にたとえたのでしょう。

僕が足かせという比喩を用いたのは、
足かせがあってもゆっくりと移動はできるし、
足かせを外す方法を発見できる可能性も少しはあると考えてのことです。

〉〉何でも消去法で判断する習慣や、
〉〉英単語を反射的に和訳する習慣、
〉〉耳から入って来た英語をカタカナ式の英語に置き換える習慣などがあると、
〉〉大量に読んだり聞いたりしてもなかなか上達しないばあい、
〉〉つまり量が解決してくれないばあいがあると思うのです。

〉  「何でも消去法」ですか?反射的に和訳、カタカナ英語に置き換え、
〉  。。。大学受験までの英語を思い出します。

消去法って、
急いでいるときには便利な思考法なんです。
でもそれで袋小路に入ってしまうこともありますね。
長期的な方策を考えるには向かない方法だと思います。

〉  今日の産経新聞に金原瑞人(法政大学)先生が、入試の英文和訳
〉  の採点をしていて、「ぼくは恐怖小説のようだ(恐怖小説が好きだ)」
〉  「ぼくは1日に2度、10歳だ(1日に2度、歯を磨く)」「ぼくは
〉  なにげに17歳がゆるせる(コーンフレークを17粒しか食べられ
〉  ない)」という解答があったと書いていました。

〉  おもしろいと同時に、今でも英文和訳の問題がでるのかと驚きも
〉  しました。

私立大学の入試で小論文や記述式の国語を行なっていないばあい、
英文和訳で、
常識的な日本語の作文能力や、
論理的な思考能力を試すこともあるでしょう。

〉〉耳からのインプットが少ない時点で文型について学ぶと、
〉〉前置詞の前で文を切る癖がつき、
〉〉英語のリズムがなかなか身に付かず、
〉〉読む速度も上がらず、
〉〉多読によるインプットがなかなか増えないこともあります。

〉  「前置詞の前で文を切る癖」。。汗が出ます!

驚かすつもりは無かったんですが、
これが正しい読み方だと思っている人が日本には多いですね。

〉  「リズムが身につかない」。。これは、本当に英語を聞きはじめて
〉  痛感しました。かたいもので机をたたきながらリズムを取るように
〉  していた時期もあります。最近は、このリズムについて、英米で
〉  違うようだと感じています。

そうですね。
少し違う様ですね。
英国のリズムは米国のリズムより細かいような印象を僕は持っています。

19世紀の話ですが、
Charles Dickens が米国を訪問したとき、
米国の白人たちまでが黒人のように英語を話していると感じたそうです(The Story of English)。
赤ちゃんの世話を黒人の奴隷や召使にさせていた結果として、
白人の子どもたちも黒人英語を聞く機会が多かったのかもしれません。
そうい違いがリズムに出ているのかもしれませんね。

〉〉量は必要条件だけれど、
〉〉十分条件ではないような気がします。

〉  お話しを読んで、ともかく不自然にやるのがよくないのだなと
〉  感じました。ただ、何が言語習得にとって不自然なのか、みな
〉  考えたこともないのだろうと思います。

すいません。
理念として自然さを第1に考えているわけではないのです。
何よりも自然さを重視する専門家は、
語数や構文を制限した多読教材に否定的なことが多いです。
英語文化圏の大人同士が行なう会話なら、
俗語や方言や難しい単語が適度に散りばめられており、
多読教材の会話のように平板ではないというわけです。
そこまで自然さに拘ると、
僕たちは方言を学ぶことになってしまいます。

自然さについては次の様な点もあります。

大抵の幼児は文字より先に音声を通して言葉を覚えます。
これを手本にすると、
入門期は文字を排除して音声のみという考え方もあります。
(小学校での英語に関して文部科学省も読書は考えていないようです。)
そこまで自然さに拘らなくとも良いと僕は思います。(^-^;)

〉  読書倶楽部をやっていますが、はじめて来られる方の半数くらいは、
〉  辞書をひかない、文法は考えない、と言うと、帰ってしまいます!

残念ながら、
そういう状況が何十年も続いてきました。
「そういえば松本亨は文法について何も言ってなかったな」
とは考えなかったのでしょうね。

帰ってしまった人の中に、
何ヶ月かしてまた来る人もいると思いますが、
しばらくは残ってくれる人を大事にして、
楽しい雰囲気を醸成する方が良いかもしれませんね。

〉  あと、読めるのは読めるんだが。。という方もいますね。

こういうかたは実際のところ、
どのくらい読めるんでしょう?
日常的にペーパーバックも読んでいるのでしょうか?
読解力の試験で点数が穫れるだけの人と、
実際に何百頁もある本を楽しく読める人の違いを認識していれば良いのですが。

〉  ありがとうございました。またよろしくお願いします。

こちらこそ勉強になりました。


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2257. Re: 自然さ

お名前: たむ
投稿日: 2008/4/18(13:13)

------------------------------

  Ryotasan こんにちは。
  すぐお返事をと思いながら遅くなりました。

  長くなってきましたので、短くします。

〉19世紀の話ですが、
〉Charles Dickens が米国を訪問したとき、
〉米国の白人たちまでが黒人のように英語を話していると感じたそうです(The Story of English)。
〉赤ちゃんの世話を黒人の奴隷や召使にさせていた結果として、
〉白人の子どもたちも黒人英語を聞く機会が多かったのかもしれません。
〉そうい違いがリズムに出ているのかもしれませんね。

  なるほど、こんな視点はまったくありませんでしたが、
  英国人は米国人のリズムや発音を苦々しく思っていたので
  しょうか。

〉〉〉量は必要条件だけれど、
〉〉〉十分条件ではないような気がします。

〉〉  お話しを読んで、ともかく不自然にやるのがよくないのだなと
〉〉  感じました。ただ、何が言語習得にとって不自然なのか、みな
〉〉  考えたこともないのだろうと思います。

〉すいません。
〉理念として自然さを第1に考えているわけではないのです。
〉何よりも自然さを重視する専門家は、
〉語数や構文を制限した多読教材に否定的なことが多いです。
〉英語文化圏の大人同士が行なう会話なら、
〉俗語や方言や難しい単語が適度に散りばめられており、
〉多読教材の会話のように平板ではないというわけです。
〉そこまで自然さに拘ると、
〉僕たちは方言を学ぶことになってしまいます。

〉自然さについては次の様な点もあります。

〉大抵の幼児は文字より先に音声を通して言葉を覚えます。
〉これを手本にすると、
〉入門期は文字を排除して音声のみという考え方もあります。
〉(小学校での英語に関して文部科学省も読書は考えていないようです。)
〉そこまで自然さに拘らなくとも良いと僕は思います。(^-^;)

  ここのところ、私は結論を急ぎすぎたか、と思います。

  私はこんなふうに感じています。
  もちろん、自然にといっても、英語を第二言語としてまなぶもの
  が、いまさら赤ん坊から幼児期を体験するわけにもいきませんし、
  日本に住んでいたらなおさらのことと思います。

  しかし、どうなんでしょう、日本人がかなりの時間を英語にさいて、
  その割に成果があがっていないように見える。(これはそう見える
  だけなんでしょうか。「かなりの時間を」というのも、じつは違う
  のかもしれません。)しかし、中には日本人でもかなり成果を
  あげて、英語をかなりの自由さであやつる人も少数ながらいるよう
  です。

  これを「才能」といえばそれまで!なんですが、もう少し母語修得
  の過程(これを自然なものと考えます)の観察分析を行えば、第二
  言語の修得についてもなにか有益なことがあるのではないかと思う
  のです。スローガン風に言いますと、自然にまなべ!でしょうか。
  それは実際何かということが、まだまだ生煮えなのですが。。。

〉〉  読書倶楽部をやっていますが、はじめて来られる方の半数くらいは、
〉〉  辞書をひかない、文法は考えない、と言うと、帰ってしまいます!

〉残念ながら、
〉そういう状況が何十年も続いてきました。
〉「そういえば松本亨は文法について何も言ってなかったな」
〉とは考えなかったのでしょうね。

  そういえば松本亨さんは文法については、私の読んだかぎり、
  何も言ってないですね。

〉帰ってしまった人の中に、
〉何ヶ月かしてまた来る人もいると思いますが、
〉しばらくは残ってくれる人を大事にして、
〉楽しい雰囲気を醸成する方が良いかもしれませんね。

〉〉  あと、読めるのは読めるんだが。。という方もいますね。

〉こういうかたは実際のところ、
〉どのくらい読めるんでしょう?
〉日常的にペーパーバックも読んでいるのでしょうか?
〉読解力の試験で点数が穫れるだけの人と、
〉実際に何百頁もある本を楽しく読める人の違いを認識していれば良いのですが。

  これはRyotasanの推測どおりです。ペーパーバックをなんとか
  読んでいるという方は皆無でした。何人かの英語教育関係者でも
  いませんでした。

〉〉  ありがとうございました。またよろしくお願いします。

〉こちらこそ勉強になりました。

  ありがとうございます。Ryotasan とお話ししていると、
  頭に風穴があいたような感じになります。自分がどういうところに
  引っかかっているのかが見えるような気もします。

  またよろしくお願いします。
  では〜 Happy reading !!


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2258. Re: 自然さ

お名前: Ryotasan
投稿日: 2008/4/22(07:52)

------------------------------

〉  Ryotasan こんにちは。
〉  すぐお返事をと思いながら遅くなりました。

僕も本業の方が忙しかったので、
掲示板を頻繁に見ることはできませんでした。

〉  長くなってきましたので、短くします。

〉〉19世紀の話ですが、
〉〉Charles Dickens が米国を訪問したとき、
〉〉米国の白人たちまでが黒人のように英語を話していると感じたそうです(The Story of English)。
〉〉赤ちゃんの世話を黒人の奴隷や召使にさせていた結果として、
〉〉白人の子どもたちも黒人英語を聞く機会が多かったのかもしれません。
〉〉そうい違いがリズムに出ているのかもしれませんね。

〉  なるほど、こんな視点はまったくありませんでしたが、
〉  英国人は米国人のリズムや発音を苦々しく思っていたので
〉  しょうか。

Dickens の文章が The Story of English という英語史の本に引用されているのを読んだだけなので、
観察した現象を英国人 Dickens がどう受け止めていたのかは明確に覚えていません。
苦々しく思っていたのか、
面白いと思っていたのか、
いずれ Dickens の著作を読んで確かめてみたいです。

〉〉〉〉量は必要条件だけれど、
〉〉〉〉十分条件ではないような気がします。

〉〉〉  お話しを読んで、ともかく不自然にやるのがよくないのだなと
〉〉〉  感じました。ただ、何が言語習得にとって不自然なのか、みな
〉〉〉  考えたこともないのだろうと思います。

〉〉すいません。
〉〉理念として自然さを第1に考えているわけではないのです。
〉〉何よりも自然さを重視する専門家は、
〉〉語数や構文を制限した多読教材に否定的なことが多いです。
〉〉英語文化圏の大人同士が行なう会話なら、
〉〉俗語や方言や難しい単語が適度に散りばめられており、
〉〉多読教材の会話のように平板ではないというわけです。
〉〉そこまで自然さに拘ると、
〉〉僕たちは方言を学ぶことになってしまいます。

〉〉自然さについては次の様な点もあります。

〉〉大抵の幼児は文字より先に音声を通して言葉を覚えます。
〉〉これを手本にすると、
〉〉入門期は文字を排除して音声のみという考え方もあります。
〉〉(小学校での英語に関して文部科学省も読書は考えていないようです。)
〉〉そこまで自然さに拘らなくとも良いと僕は思います。(^-^;)

〉  ここのところ、私は結論を急ぎすぎたか、と思います。

〉  私はこんなふうに感じています。
〉  もちろん、自然にといっても、英語を第二言語としてまなぶもの
〉  が、いまさら赤ん坊から幼児期を体験するわけにもいきませんし、
〉  日本に住んでいたらなおさらのことと思います。

〉  しかし、どうなんでしょう、日本人がかなりの時間を英語にさいて、
〉  その割に成果があがっていないように見える。(これはそう見える
〉  だけなんでしょうか。「かなりの時間を」というのも、じつは違う
〉  のかもしれません。)しかし、中には日本人でもかなり成果を
〉  あげて、英語をかなりの自由さであやつる人も少数ながらいるよう
〉  です。

はい。おっしゃるとおりです。
ほとんどの日本人は、
その人に適した方法が見つからず、
あまり効果的じゃない方法に時間と労力を費やしているように思えます。
学校の授業時間だけでは少ないですが、
何十年も続けているわりに成果はそれほどあがっていないと思います。

〉  これを「才能」といえばそれまで!なんですが、もう少し母語修得
〉  の過程(これを自然なものと考えます)の観察分析を行えば、第二
〉  言語の修得についてもなにか有益なことがあるのではないかと思う
〉  のです。スローガン風に言いますと、自然にまなべ!でしょうか。
〉  それは実際何かということが、まだまだ生煮えなのですが。。。

子供たちが言葉を覚えて行く過程を観察することで沢山のことが分かるのは確かです。
日本の大人が外国語を覚えるために役立つ知恵がそこにあるとも思います。
子どもにまなべ! とおっしゃるなら僕にも理解できます。
自然に学べという表現がお好きな理由はまだ理解できません。(^-^;)

〉〉〉  読書倶楽部をやっていますが、はじめて来られる方の半数くらいは、
〉〉〉  辞書をひかない、文法は考えない、と言うと、帰ってしまいます!

〉〉残念ながら、
〉〉そういう状況が何十年も続いてきました。
〉〉「そういえば松本亨は文法について何も言ってなかったな」
〉〉とは考えなかったのでしょうね。

〉  そういえば松本亨さんは文法については、私の読んだかぎり、
〉  何も言ってないですね。

絶版になった本も多いし、
英語の著作も多いので、
僕も一部しか読んでいませんが、
あの人が薦める方法を体系的に述べた本でも、
文法については全くと言っていいほど触れていないです。

〉〉帰ってしまった人の中に、
〉〉何ヶ月かしてまた来る人もいると思いますが、
〉〉しばらくは残ってくれる人を大事にして、
〉〉楽しい雰囲気を醸成する方が良いかもしれませんね。

〉〉〉  あと、読めるのは読めるんだが。。という方もいますね。

〉〉こういうかたは実際のところ、
〉〉どのくらい読めるんでしょう?
〉〉日常的にペーパーバックも読んでいるのでしょうか?
〉〉読解力の試験で点数が穫れるだけの人と、
〉〉実際に何百頁もある本を楽しく読める人の違いを認識していれば良いのですが。

〉  これはRyotasanの推測どおりです。ペーパーバックをなんとか
〉  読んでいるという方は皆無でした。何人かの英語教育関係者でも
〉  いませんでした。

断片的な文章はゆっくり読めるので、
その水準の本なら読めるだろうと思っている人が多い様ですが、
実際に本の形で読んでいる人は少ないですよね。
本当は読めるけど時間がないから読まないだけだと思っているのかもしれませんね。
実際に読まなければ読めないのと同じなんですが。

〉〉〉  ありがとうございました。またよろしくお願いします。

〉〉こちらこそ勉強になりました。

〉  ありがとうございます。Ryotasan とお話ししていると、
〉  頭に風穴があいたような感じになります。自分がどういうところに
〉  引っかかっているのかが見えるような気もします。

頭に風穴というのは面白い表現ですね。

〉  またよろしくお願いします。
〉  では〜 Happy reading !!

たむさんも Happy reading!!!


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2263. Re: Learning と Acquisition の違い

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/7/12(16:23)

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 Ryotasanさん,こんにちは。
 新茶です。
 こちらでも、質問させてください。

 私は、約30年、英語から遠ざかっていました。
 また、掲示板は、多くを読むだけの余裕はありません。
 クラッシェンKrashenのことは、この投稿で、始めて知ったくらいです。
 クラッシェンKrashenの仮説は、しかし、事の本質に関わり、重要な問題だと思います。

 Ryotasanさんは、「たむさん」とのやりとりから、基本的に、acquisition及び learningの2つの概念を峻別し、 learningは、acquisitionに移行(転化)しないという見解を採用していると思われます。
 なぜならば、第1に、そうでなければ、わざわざ、両概念をもち出されないでしょうし、第2に、上記見解をほぼ述べておられると思われる記述もありましたし、第3に、私は、最近、酒井邦秀准教授が執筆されたちくま書房の2著を読みましたが、その中で、クラッシェンKrashenのacquisition及び learningの2つの概念の峻別が語られていますし、私が投稿を見た限り、Ryotasanさんの各種の見解は、酒井さんの見解と酷似しているように思われたからです。

 私は、クラッシェンの見解は、大方に認容された通説的見解だとさえ、思っていました。

 しかし、反対説もあるようです。
これは、最近見つけました。

たとえば、

[url:http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/5047/1/92695_333.pdf]

この反論は、一読してわかるほど簡単ではないが、私は、時を替え、何度か読むことにより、内容は、理解しました。

 現在の学会の状況は、どうなのでしょうか。
 この論文の用語をふんだんに使っていただいてかまいませんから、クラッシェンの5つの主張と、その問題点、その反論等を、我々にもわかるように、ご説明願えないものでしょうか。

 当初の投稿に、修正事項あり。
 参照論文の用語にかんがみ、移行の次に、(転化)を挿入するなど、昨日の当初の投稿に、少し変更を加えた。

                                                以  上


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2264. 仮説1について Re: Learning と Acquisition の違い

お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/7/16(09:10)

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主観の新茶さん、
なかなか時間を確保できないので、
何度かに分けて投稿しますね。

まず "acquisition" と "learning" の違いですが、
一旦は訳語を離れて、
子どもがどういう風に言葉を身につけるかを振り返ってみる必要があります。

日本で生活した子どもの大部分は、
学校に行って国語の勉強をしなくても、
流暢な日本語を話せるようになります。
遊びや日常的なやりとりを通して、
気がついたら日本語で考え、
日本語を話すようになっていたというわけです。
おなじような現象は、
世界各地で観察されているようです。
これが無意識的な acquisition だと思います。

一方、
日本人の多くは、
英語の勉強に大変は時間と労力を注ぎ、
難しい文法用語や沢山の単語を暗記しますが、
子どものときに日本語を使いこなせるようになったような感じで英語を使いこなせるようになりません。
これが意識的な learning だと思います。

Krashen 教授は、
母語だけでなく、
2番目に必要とされる言語を身につける際にも、
無意識的な acquisition の方がずっと効果的だと言って、
物議をかもしました。

The Handbook of Second Language Acquisition という本の目次と、
まとめの箇所を参照した限りでは、
少年期や青年期の人が新しい言語を身につけるばあい、
意識的な学習を通して行なうしかないというのが、
Krashen 教授に対する反論のようです。

反論は多かったけれど、
具体的な反証は不十分で、
論争の決着はついていないという意味のことも書いてありました。

(つづく)

_____________________________________________________

〉 Ryotasanさん,こんにちは。
〉 新茶です。
〉 こちらでも、質問させてください。

〉 私は、約30年、英語から遠ざかっていました。
〉 また、掲示板は、多くを読むだけの余裕はありません。
〉 クラッシェンKrashenのことは、この投稿で、始めて知ったくらいです。
〉 クラッシェンKrashenの仮説は、しかし、事の本質に関わり、重要な問題だと思います。

〉 Ryotasanさんは、「たむさん」とのやりとりから、基本的に、acquisition及び learningの2つの概念を峻別し、 learningは、acquisitionに移行(転化)しないという見解を採用していると思われます。
〉 なぜならば、第1に、そうでなければ、わざわざ、両概念をもち出されないでしょうし、第2に、上記見解をほぼ述べておられると思われる記述もありましたし、第3に、私は、最近、酒井邦秀准教授が執筆されたちくま書房の2著を読みましたが、その中で、クラッシェンKrashenのacquisition及び learningの2つの概念の峻別が語られていますし、私が投稿を見た限り、Ryotasanさんの各種の見解は、酒井さんの見解と酷似しているように思われたからです。

〉 私は、クラッシェンの見解は、大方に認容された通説的見解だとさえ、思っていました。

〉 しかし、反対説もあるようです。
〉 これは、最近見つけました。

〉 たとえば、

[url:http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/5047/1/92695_333.pdf]

〉 この反論は、一読してわかるほど簡単ではないが、私は、時を替え、何度か読むことにより、内容は、理解しました。

〉 現在の学会の状況は、どうなのでしょうか。
〉 この論文の用語をふんだんに使っていただいてかまいませんから、クラッシェンの5つの主張と、その問題点、その反論等を、我々にもわかるように、ご説明願えないものでしょうか。

〉 当初の投稿に、修正事項あり。
〉 参照論文の用語にかんがみ、移行の次に、(転化)を挿入するなど、昨日の当初の投稿に、少し変更を加えた。

〉                                                以  上


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2265. 前提

お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/7/17(10:16)

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もっとはやくおことわりしておくべきだったんですが、
僕の専門は文学です。
教授法とか、
子どもの言語の発達を、
専門的に研究しているわけではありません。
Krashen 教授の著書で通読したのは、
The Power of Reading の旧版と新版だけです。
教授のウェブ頁にある記事は、
断片的にしか読んでいません。

あくまで、
英語の多読を30年間つづけてきた体験と、
最近15年間ぐらいに出会ったタドキストの様子、
個人的に知っている子どもたちの言葉の発達など、
あくまで個人的な体験に照らして理解したことを申し上げています。

それでも、
この議論について英語で書いてある文章を読めば、
Krashen 教授の仮説に否定的な人でも
learning と acquisition を区別したうえで、
それぞれの論を展開しているように見えます。

つづく


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2266. 仮説2について [じゃなくて1の続き]

お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/7/19(17:08)

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意識的な方法で学習した知識は無意識に吸収した語学力に転化しないと Krashen 教授は主張しているようです。

単語や文法を勉強し、
その知識を適用しながら英語を理解しようとしても、
分速300語の機関銃英語には到達しないという意味だと僕は理解しています。

一方、
多読や多聴などで無意識に獲得した勘から、
意識的な知識が得られることはあると思います。
ある日突然、
「そうか、文にも首と胴体があるんだ」と分かったり、
"love" という英単語が、
日本語の「愛」と違い、
子どもでも気軽に使う単語なんだと気づくことです。

でも、
そうやって気づいた法則を適用しながら英文を読もうとすると、
速度が下がってしまいます。
結局は、
無意識に身についた勘で読まないと、
機関銃英語にはついていけないのです。

この仮説に対する反証として、
日本語の語形変化を練習して無意識に使えるようになったという例を挙げる人はいますが、
実際に論文を読んでみたところ、
いくつかの文法事項を使いこなせるようになったものの、
日本語自体を流暢に話せるようになったわけではないと書いてありました。


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2267. モニター仮説

お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/7/21(09:23)

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お待たせしました。
先週は土曜日まで仕事が入っており、
日曜日は家族で遠出をしていたので、
なかなか投稿できませんでした。

でも Krashen 教授の著書は何冊か手にすることができたので、
参照しながらお答えします。

意識的な学習を通して覚えた言葉の知識は、
正しい言葉づかいや文章を推敲・編集するときのモニターとしてしか機能しないという意味のことを、
Krashen 教授は何度か言っています。

これに対する反論は、
誰でも単語の知識を文法規則にあてはめて話したり書いたりしているはずというものです。
たしかに、
日本の人が英語を話したり書いたりするばあい、
そういう風にやっている人が大部分かもしれません。
これだと分速300語に達することはないでしょう。

ただし、
子どもが直感的に喋るばあい、
文法規則や辞書的な知識を組み合わせて喋ったりはしていないと思います。

されに、
モニター機能を使いすぎると、
却って output が難しくなるとも、
Krashen 教授は言っています。
これも個人的に思い当たる例を知っています。
英文法や英文学について専門的な知識があるけれど、
決して英語では喋らないという先生は、
90年代まで日本には沢山いらっしゃいました。
無意識に身につけた英語の勘に対して、
意識的に学んだ知識が多すぎたのかもしれません。

一方、
意識的に学んだ知識を使わずに喋ったり書いたりすれば、
ときどき言い間違いや書き間違いをすることもあります。
これは僕たちが日本語を使うときにもあることです。

流暢さをもたらす勘と、
意識的に制御する知識とを、
上手に組み合わせる使い手もいますが、
そういう理想的な使い方のことを Krashen 教授がごく簡単にしか触れていないことに不満を感じる人もいるようです。
この点は今後の課題とすべきでしょう。

この仮説に対して個人的に考えているのは、
無意識に獲得した勘にもとづくモニター機能もありうることです。
文法的に説明はできないけれど、
その表現には何となく不自然さを感じるとか、
まじめな文章の中でそういう表現に出会ったことがないと感じることがあります。


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2268. インプット仮説

お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/7/29(11:28)

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幼児が母語を身につけるのと同じように別の言語を身につけたかったら、その人にとって理解可能なインプットを大量に行なえば良いというのが Krashen 教授が提唱するインプット仮説の大意です。

具体的には、その人が流暢に使いこなせる水準の少し上、背景知識や前後関係から何とか理解できる範囲の内容をインプットするのが良いとされています。

この仮説が独特なのは、話す・書く練習を意識的に行なってもモニター機能にしかならないと主張していることです。子どもが流暢に母語を使いこなすような言語能力を身につけるためにアウトプットは不要というわけです。(勿論、学校で優秀な成績をおさめるためには、意識的にアウトプットの練習をしてモニター機能を伸ばすことも有効でしょう。)

この過激な仮説に対して、カナダでフランス語漬けの授業を受けた子どもたちの力が、もともとフランス語を母語とする子どもたちの水準には達しなかったという反論が出されているようです。ただし、生徒の言語環境や授業の質、試験の方法などで結果は違ってくるので、本当に望ましいインプットだったかどうかわ分かりません。

インプットの効果を客観的に測定する方法を Krashen 教授が示していないのはまずいという主張もあるようです。

こういう反論に対する回答として出されたのが、多読の効果を示した The Power of Reading だと僕は思うのですが、この仮説をめぐる議論の中で多読が言及されることは非常に少ないようです。探してみると、耳からのインプットを通して文法事項が身に付いたかに注目した例ばかりが出てきます。(時間があったらもう少し探してみます。)


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