[掲示板: 〈過去ログ〉過去ログ2(英語教育についての論争) -- 最新メッセージID: 983 // 時刻: 2024/11/22(14:08)]
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お名前: 一OB
投稿日: 2002/3/17(02:11)
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突然の書き込みで失礼しますが、 僕はSEG出身の大学生で、 現在ひーふーひーふー英語を勉強してるものです。 で最近この掲示板の存在を知りました。 それでなにやら議論(と呼ぶに値しないものも多々見受けられますが)が 行われているようなので最初の方から読んでみました。 なんだか恥ずかしい言い様ですが、 OBの一人としてSEGにはすごく愛着があります。 だからあえて言わせていただきますが、 この掲示板はあまりにもお粗末です。 読んでで悲しくなってきます。 すこし本題とはなれますが、 SEGの数学では(高校生にも分かり得る範囲で) その本質を伝えることに腐心なさっています。 その結果として志望大学の合格が自ずと 視野の入ってくるというスタンスのはずです。 その一方で受験の世界では チャート式や鉄則やらの典型問題を (実名を挙げたのは他意はありません) 機械的に処理するだけで合格最低点を目指す方法も 確かに存在しています。 SEGの立場からすれば 「後者は邪道で、大学に行ってから支障を来たす」 と主張なさるでしょう。 後者の立場からすれば 「大学にいくことが先決。本質などは数学の専門家にだけ必要なもの。 受験生は効率的に合格点を取ればよい」 ということなのでしょう。 僕個人はSEGのスタンスが好きですが、 後者の立場を否定するつもりはありません。 たとえば理系の人がセンター試験の社会で そんな本質的なことにこだわって勉強するでしょうか? 余力があれば話は異なりますが、 世間一般の受験生は 教科書やら薄手の問題集やらで効率よく目標点を目指すでしょう。 そしてそのことを非難する人はきっと居ないと思います。 それと同じように数学の暗記重視の方法は 苦手な人あるいは嫌いな人にとって 一つの解決策に成り得ているのではないでしょうか? 方法というのは万人に共通するものではないことは 当たり前のことです。 (もちろんより多くの人が共感する方法は存在しますが) にも関わらず、ここの掲示板の方々は(賛否どちらも) 伊藤和夫先生の方法論に対して すごくけつの穴の小さい態度を示しています。 (下品な表現で失礼) 僕なりの解釈で言わせてもらえば SSSすなわち多読方式は ノンネイティブの人間が、よりネイティブに近い方法で 英語の習得を目指そうという試みの一つです。 逆に伊藤和夫先生の方式は ノンネイティブという条件下で (しかもある程度の年齢に達してから)英語を習得するには 頭の働きを無理矢理意識下において習得し、 その後無意識下に沈めていく2ステップが必要だ。 (よく出てくる例えで自動車の運転がありますが) というものです。 乱暴な言い方ですが 僕に言わせりゃどちらも似たようなものです。 というのは SSS方式において、もし英語に関して まったくの0からスタートするならば話は別ですが、 (おそらくこれは実現不可能でしょうが) そうでないならば、つまり何らかの文法的知識がインプットされた後ならば、 結局意識化する作業が入ってしまいます。 つまり伊藤方式と比較して意識化された論理が多いか少ないかの 違いだけになってしまいます。 どうも気になるのはここでの議論は伊藤先生のいう 2ステップのうち、一方の人々はえらく前者にこだわり、 他方の方々はえらく後者にこだわっているように 見える点です。 以下個人的な意見で ここに居る先達者からすれば笑止という内容かもしれませんが 結局、 意識化された(されてしまった)論理をどれだけ無意識か出来るか? ここに外国語として英語を学ぶときの本質があるとおもいます。 (この意味で伊藤氏は正しい) そして無意識化に最も適した方法は間違いなく 多くの英語を読み聞くことです。 (この意味においてSSS方式は正しい) ですから伊藤先生を推奨される方も SSS方式を評価される方も 僕の視点で見れば、 同じ山頂を目指すときにただそのスタートが何合目か? という違いだけなんです。 ただ、どんなに易しく書かれていると言っても 外国語の本を読むにはそれなりの経験値が必要でしょう。 文法・語彙のレベル的にはたとえ可能であっても いきなり中学生レベルからSSS方式に行くのは 結構大変だと思います。 やはり大学生などになってから 時間的余裕が確保されてからの方が SSS方式にスタートは切りやすいかな?と 以上なにやら里無き森の蝙蝠になりそうな意見ですが、 この駄文で皆さんがすこしでも冷静になって 山頂を目指して気持ちよく山登りに専念できれば幸いです。
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お名前: on verra bien
投稿日: 2002/3/18(01:36)
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>里無き森の蝙蝠になりそうな
「鳥なき里の蝙蝠」のこと?
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今日始めて、このページを訪れたものです。
言語を身につけるためには、多読(私の場合、速読と思っている。時間をかければ、多読になり、量をカバーするには時間をかけなければいけない)が不可欠だと思っていて、同じ考えのページに出会ったと喜んでいたのですが、この掲示板での議論(?)を読んで、一OBの嘆きと同じような思いを抱きました。
私は東大じゃないけど日本で一番素晴らしい(と自分で思っている)K大学に行きました。周りに伊藤さんの本を繰り返し読んで、受かった人は大勢いた。SSS方式だと同じ時間かけてK大学に通るのは無理だと思うけど、どっちが本物の力、実力かというとSSS方式で身につけたものだと思います。日本で一番の大学の学生でも英語は使い物にならない。また最近気付いたのですが、英検1級合格者でも簡単な単語の使い方がおかしいし、奇妙奇天烈な文章を拵える。そういうのをなくすためには易しい本からどんどん読んでいくしかないとも思います。英語⇒イメージ(必要なら⇒日本語)をを身に付けるためにも興味の持てる本を速読していくべきだと思います。
大人になると、ある程度の力がないと、楽しく早く読める本はなかなかない。語彙の制限があると面白いと感じる本は極端に減る。
ある程度、語彙力、文法力があれば楽しく早く読める本も増える。
まさにスタートを何合目にするかの違いですよね。
文法力とは、私は第二外国語としてロシア語をとり、高校英語に相当する文法は英語と比べ10倍は難しいと思うが、それを1ヶ月、実質数時間で習ったが、その程度で充分だと思う。本当の構造把握力、自然な文章を書ける力は多読するしかないので。あと、漢文読みはすべきじゃないが、1回すらすら読んで理解できかつ面白い本はほとんどないので、最初の内は、繰り返し早く読んで、単語や、その使い方などもろもろを定着させるべきとも思います。訳すのも反対です。本来は使われる頻度や語と語の組み合わせも重要な情報なので、多くの本を読むべきでしょうが、個人でやる場合、金も掛かりすぎるし、他の言語だと、語学力がゼロに近い大人向けの本はほとんどない。
興味の持てる本を遅くても分速数百単語(私はこれは遅読だと思うが、小説はこれぐらいゆっくり読まないと鑑賞できない)で読むというのは、どのレベルの人にも薦められると思います。
ただ外国語の勉強は大学生になってからやるべきだと思います。早くても高校生から。じゃないと、充分な分析力、理解力が育っていないからです。
入試から英語を外すべき。
K大入試の英語の試験は他校と比べても素晴らしいと思うが、それが求めているのは、「英語⇒イメージ」の意図に反して、「英語⇒英訳用の(変な)日本語」が出来るかになるから。本当に理解していても日本語に置き換えるのは難しい作業。K大の場合、英語の試験と称して日本語力を測っていたのかも知れないが。
大学生になってから始めても遅くないし、私はロシア語を1年で、準1級レベルになったと思う、やりたくない人が英語の勉強で苦しむこともなくなる。