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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/29(22:42)
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杏樹さん、こんばんは。
〉全然調べてないので間違ってるかもしれませんけど、日清戦争は日露戦争よりも戦闘がそれほどひどくなくてけっこうあっさり勝負がついたから戦死者が少ないのかも知れません。
なるほど。
日露の激戦はよく聞きますけど、日清はあまり聞きませんもんね。
日本は清国にあざ笑われるほどの海軍力しか無かったけれど、
わずかの期間で、生糸の生産を急激に伸ばし、そのおかげの軍事力で
清国に勝ったとか、確か「ああ野麦峠」の本で読みました。
〉日露戦争は、日本とロシアが戦争するのに中国の大地を戦場にして、兵隊を送り込んで相当ひどい戦闘が繰り広げられました。そして勝負も簡単につかないで、判定勝ちのような「辛勝」でした。
「203高地」は、詳しい話は知らないんですが、壮絶なものだったと聞きますね。
司馬遼太郎氏の影響で、乃木将軍が無能だったように評価されている、とか聞いたんですが、
いやいやそんなことは無いのだという再評価の声が近年上がっているようですね。
バルチック艦隊を撃破できたのも、陸軍が十分に働いてくれたからである、とか。
(よく知りませんが。)
あの戦争で負けていたら、今ごろ私はマトリョーシカを作ってたでしょうね。
(というか、存在していなかったかも。歴史に「たられば」は無しですが。)
だいたい日本は、長期戦になれば負けるとわかっていたので、
何かの戦いで勝ったところで講和する、という方針を初めから立てていたようですね。
早くからアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領にあっせんを依頼していたようです。
いわば「勝ち逃げ」。杏樹さんがおっしゃるように「辛勝」に過ぎなかったので、
賠償金なんかは取れなかった。「辛勝」との事情を知らない日本国民は、
こんなに犠牲を出して勝ったのになんで賠償金が取れないんだ!と怒り、
「日比谷焼き打ち事件」が起こったんですね。
あ、ところでタイトルの件ですが、与謝野晶子の有名な詩
「君死にたまふこと勿れ」によまれた弟ですが、日露戦争から無事に帰還しました。
その後、3子をもうけ、昭和19年まで長生きされたとのこと。
(河合敦著『早わかり日本史』p.298)
歴史は興味深い。もっと知りたいなぁと思います。
それではそれでは。
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たかぽんぽん、こんにちは。
〉「203高地」は、詳しい話は知らないんですが、壮絶なものだったと聞きますね。
〉司馬遼太郎氏の影響で、乃木将軍が無能だったように評価されている、とか聞いたんですが、
〉いやいやそんなことは無いのだという再評価の声が近年上がっているようですね。
〉バルチック艦隊を撃破できたのも、陸軍が十分に働いてくれたからである、とか。
〉(よく知りませんが。)
乃木大将というと偉い人、というイメージがあるんですが、そうでもありませんか。司馬遼太郎の影響は大きいですね。
〉あの戦争で負けていたら、今ごろ私はマトリョーシカを作ってたでしょうね。
〉(というか、存在していなかったかも。歴史に「たられば」は無しですが。)
そんなこはないと思いますよ。日本だってロシアの領地を手に入れたわけではありませんし。あれは中国の植民地争奪戦ですから、負けてたら中国から手を引くことになったんじゃないかと思います。
〉あ、ところでタイトルの件ですが、与謝野晶子の有名な詩
〉「君死にたまふこと勿れ」によまれた弟ですが、日露戦争から無事に帰還しました。
〉その後、3子をもうけ、昭和19年まで長生きされたとのこと。
〉(河合敦著『早わかり日本史』p.298)
へぇー。ちゃんと帰ってきたんですね。知らなかった…。