[掲示板: 〈過去ログ〉SSS雑談の掲示板 -- 最新メッセージID: 3556 // 時刻: 2024/11/24(18:34)]
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お名前: ako
投稿日: 2008/10/28(23:46)
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たかぽん、おはよう!(芸能人事務所モード)
〉〉〉日清(日露?)戦争では、敵にやられた兵士よりも、脚気で亡くなった兵士のほうが多いぐらい。
〉〉戦死者数
〉〉 日清戦争→997人
〉〉 日露戦争→55,655人
〉〉(出典:国立公文書館アジア歴史資料センター)
〉〉脚気死者数
〉〉 日清戦争期→約4,000人
〉〉 日露戦争期→27,800人(患者数は20万人を超えたとの由)
〉〉(出典:『鴎外最大の悲劇』(坂内 正))
〉データをありがとうございます。
〉が、日清戦争の戦死者が少ないような・・・
そうよね。。。。。そう思って、もう少し調べてました。
といっても、目下、私生活上、ちーーーっと事情もあり、
ネットでザザーと歴史愛好家のサイトを見る程度の範囲、だけど。
日清戦争関係だけ拾ってみた感じでは、
たかぽん引用の高橋氏の本と同様、戦死は約13,000人台でだいたい同じ。(100の位以下が、皆さん、微妙に違う)
ちょっと詳しいところで、その約13,000人台の内訳(戦死、戦病死、病死、変死)まで出しているところもあって、
その内訳でも病死が約12,000人。
たかぽん引用の本の数字と一致した脚気死者と思われる。
ウィキペディアも同様の数字。
で、ウィキの記載では、全戦死者から病死を引いた戦死者数が1,417人。
それでもまだ公文書館の数字が少ないので、わたしには「???」
なのでここが愛好家の限界か〜、くっそ〜ってことで、
もう少し時間をかけてさらに調査続行します。
というのは、日露戦争の死者に関しても、
118,000人の記載が多いが、88,000人もある。
55,655人はやはり少なすぎる。
病死は24,000人台と27,800人との数字が見つかり、
複数箇所でおよそ一致しているんだけど。
なんでこんなに違うのー。アタイが言ってはいけないのか…。
ちょと思ったのは、国家の認定する戦死者というのは、
遺族への年金支給の問題があるから厳密に算定するのかも、と思ったり、
戦死者の定義というのも知る必要があるみたいです。
…というところで、中間報告でした。
で、こういうの調べてて思ったのは、数字調べ以外にいろいろ読む過程で、
ほんとに戦争っていうものの足元というか、
実際の戦場の環境というのがリアルに感じられてねえ…、
203高地の場面とか思いだしたりしましたけど、
それに加えて思い出したのは、なんと!多読で読んだ子供向けの世界史の本!
別に、無理やり多読に結び付けてるわけでもなくて、
世界史クラブってことで読んできた英語本You Wouldn't want to シリーズというのがあって、
その中に、イギリスとスペインの海戦や、
ヨーロッパ同士の戦争で捕虜がつかまる牢獄の話ってのがあって、
その中でやはり壊血病のような、栄養障害で起きる病気のことが出てくる場面などがあるわけですねー。
そういうのをカラーイラストの洋書で読んでいるので、映像で思い浮かんだりするのがまたリアル。
なんというか、多読の英語とは関係ないと思っていた日頃の自分の関心事と、
多読で出会った英語で読んだものがしっかりリンクしているというか。
それがなんか楽しくてねー。充実の調査活動でしたのね。
なので、雑談ってのは、すごくいいねーと思って。
公文書館の数字のこと、わかったらまたお知らせします。
果たして私に調べきれるかどうかわからないけど挑戦するー!
〉私の元ネタの本を引っぱり出してまいりました。
〉高橋秀実『素晴らしきラジオ体操』p.92〜
これ! 紹介ありがと〜、面白かったー!
権威になってしまうと硬直化するんですね。。。
必要な修正もできなくなって最悪の事態を招くというか。
戦死数のことを調べてる中に、脚気死者の軍別の内訳も見ましたが、
陸軍で海軍で全然ちがうのでびっくり。
なにしろ一万人以上と、何百人の違いだから。。。
いまや脚気で亡くなる人などいない時代になったけれど、
それほど遠くないはずの父祖の時代を思いまする。。。
〉「男爵は『病気を診ずして病人を診よ』の正しさを世に知らしめ、宿敵陸軍医にも勝利した。」
〉(ここから男爵の人生は興味深い展開を見せるのだが、それについては本を参照してください。)
あーい。
〉〉〉そうそう。勉強教えてあげるからデートして、ってね。いやいや…
〉〉そうだったのかーーーーーー。
〉ありませんよ。そんないいこと。
ふふん(笑)
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お名前: 杏樹
投稿日: 2008/10/29(00:21)
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たかぽん、akoさん
全然調べてないので間違ってるかもしれませんけど、日清戦争は日露戦争よりも戦闘がそれほどひどくなくてけっこうあっさり勝負がついたから戦死者が少ないのかも知れません。
日露戦争は、日本とロシアが戦争するのに中国の大地を戦場にして、兵隊を送り込んで相当ひどい戦闘が繰り広げられました。そして勝負も簡単につかないで、判定勝ちのような「辛勝」でした。
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/29(22:42)
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杏樹さん、こんばんは。
〉全然調べてないので間違ってるかもしれませんけど、日清戦争は日露戦争よりも戦闘がそれほどひどくなくてけっこうあっさり勝負がついたから戦死者が少ないのかも知れません。
なるほど。
日露の激戦はよく聞きますけど、日清はあまり聞きませんもんね。
日本は清国にあざ笑われるほどの海軍力しか無かったけれど、
わずかの期間で、生糸の生産を急激に伸ばし、そのおかげの軍事力で
清国に勝ったとか、確か「ああ野麦峠」の本で読みました。
〉日露戦争は、日本とロシアが戦争するのに中国の大地を戦場にして、兵隊を送り込んで相当ひどい戦闘が繰り広げられました。そして勝負も簡単につかないで、判定勝ちのような「辛勝」でした。
「203高地」は、詳しい話は知らないんですが、壮絶なものだったと聞きますね。
司馬遼太郎氏の影響で、乃木将軍が無能だったように評価されている、とか聞いたんですが、
いやいやそんなことは無いのだという再評価の声が近年上がっているようですね。
バルチック艦隊を撃破できたのも、陸軍が十分に働いてくれたからである、とか。
(よく知りませんが。)
あの戦争で負けていたら、今ごろ私はマトリョーシカを作ってたでしょうね。
(というか、存在していなかったかも。歴史に「たられば」は無しですが。)
だいたい日本は、長期戦になれば負けるとわかっていたので、
何かの戦いで勝ったところで講和する、という方針を初めから立てていたようですね。
早くからアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領にあっせんを依頼していたようです。
いわば「勝ち逃げ」。杏樹さんがおっしゃるように「辛勝」に過ぎなかったので、
賠償金なんかは取れなかった。「辛勝」との事情を知らない日本国民は、
こんなに犠牲を出して勝ったのになんで賠償金が取れないんだ!と怒り、
「日比谷焼き打ち事件」が起こったんですね。
あ、ところでタイトルの件ですが、与謝野晶子の有名な詩
「君死にたまふこと勿れ」によまれた弟ですが、日露戦争から無事に帰還しました。
その後、3子をもうけ、昭和19年まで長生きされたとのこと。
(河合敦著『早わかり日本史』p.298)
歴史は興味深い。もっと知りたいなぁと思います。
それではそれでは。
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たかぽんぽん、こんにちは。
〉「203高地」は、詳しい話は知らないんですが、壮絶なものだったと聞きますね。
〉司馬遼太郎氏の影響で、乃木将軍が無能だったように評価されている、とか聞いたんですが、
〉いやいやそんなことは無いのだという再評価の声が近年上がっているようですね。
〉バルチック艦隊を撃破できたのも、陸軍が十分に働いてくれたからである、とか。
〉(よく知りませんが。)
乃木大将というと偉い人、というイメージがあるんですが、そうでもありませんか。司馬遼太郎の影響は大きいですね。
〉あの戦争で負けていたら、今ごろ私はマトリョーシカを作ってたでしょうね。
〉(というか、存在していなかったかも。歴史に「たられば」は無しですが。)
そんなこはないと思いますよ。日本だってロシアの領地を手に入れたわけではありませんし。あれは中国の植民地争奪戦ですから、負けてたら中国から手を引くことになったんじゃないかと思います。
〉あ、ところでタイトルの件ですが、与謝野晶子の有名な詩
〉「君死にたまふこと勿れ」によまれた弟ですが、日露戦争から無事に帰還しました。
〉その後、3子をもうけ、昭和19年まで長生きされたとのこと。
〉(河合敦著『早わかり日本史』p.298)
へぇー。ちゃんと帰ってきたんですね。知らなかった…。
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/29(22:05)
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akoさん、こんばんは。
〉たかぽん、おはよう!(芸能人事務所モード)
芸能界では、なぜいつも「おはよう」と言うのか?
桃井かおりさんはこれになじめず、「なんで朝でもないのに『おはよう』って言うわけ? わっけわかんない」
などと若手のころからおっしゃってたそうだ。
ところで、日本の和歌というのは、夜の歌が多い。
そして夜から朝にかけての時間をあらわす言葉が多い。
あんまり昼の歌というのは少ない。
白洲正子さんの百人一首の本に書いてたんで、あ、そういえば、と思った。
〉〉〉〉日清(日露?)戦争では、敵にやられた兵士よりも、脚気で亡くなった兵士のほうが多いぐらい。
〉〉〉戦死者数
〉〉〉 日清戦争→997人
〉〉〉 日露戦争→55,655人
〉〉〉(出典:国立公文書館アジア歴史資料センター)
〉〉〉脚気死者数
〉〉〉 日清戦争期→約4,000人
〉〉〉 日露戦争期→27,800人(患者数は20万人を超えたとの由)
〉〉〉(出典:『鴎外最大の悲劇』(坂内 正))
〉〉データをありがとうございます。
〉〉が、日清戦争の戦死者が少ないような・・・
〉そうよね。。。。。そう思って、もう少し調べてました。
〉といっても、目下、私生活上、ちーーーっと事情もあり、
〉ネットでザザーと歴史愛好家のサイトを見る程度の範囲、だけど。
お調べになりましたなぁ。
〉日清戦争関係だけ拾ってみた感じでは、
〉たかぽん引用の高橋氏の本と同様、戦死は約13,000人台でだいたい同じ。(100の位以下が、皆さん、微妙に違う)
〉ちょっと詳しいところで、その約13,000人台の内訳(戦死、戦病死、病死、変死)まで出しているところもあって、
〉その内訳でも病死が約12,000人。
〉たかぽん引用の本の数字と一致した脚気死者と思われる。
〉ウィキペディアも同様の数字。
〉で、ウィキの記載では、全戦死者から病死を引いた戦死者数が1,417人。
〉それでもまだ公文書館の数字が少ないので、わたしには「???」
〉なのでここが愛好家の限界か〜、くっそ〜ってことで、
〉もう少し時間をかけてさらに調査続行します。
はあ。まあ、これだけわかれば、私はどっちでもいいんですけど…
akoさんの興味の範囲で、どうぞ。
〉というのは、日露戦争の死者に関しても、
〉118,000人の記載が多いが、88,000人もある。
〉55,655人はやはり少なすぎる。
〉病死は24,000人台と27,800人との数字が見つかり、
〉複数箇所でおよそ一致しているんだけど。
〉なんでこんなに違うのー。アタイが言ってはいけないのか…。
えらい違いますねぇ。
〉ちょと思ったのは、国家の認定する戦死者というのは、
〉遺族への年金支給の問題があるから厳密に算定するのかも、と思ったり、
〉戦死者の定義というのも知る必要があるみたいです。
たぶん定義の問題でしょうね。国家は狭いめに定義するんじゃないでしょうか。
原爆症の認定とかも、いろいろあるみたいですが。選挙の前に変わったり。
〉…というところで、中間報告でした。
はい。ごくろうさまでした。
〉で、こういうの調べてて思ったのは、数字調べ以外にいろいろ読む過程で、
〉ほんとに戦争っていうものの足元というか、
〉実際の戦場の環境というのがリアルに感じられてねえ…、
〉203高地の場面とか思いだしたりしましたけど、
〉それに加えて思い出したのは、なんと!多読で読んだ子供向けの世界史の本!
〉別に、無理やり多読に結び付けてるわけでもなくて、
〉世界史クラブってことで読んできた英語本You Wouldn't want to シリーズというのがあって、
〉その中に、イギリスとスペインの海戦や、
〉ヨーロッパ同士の戦争で捕虜がつかまる牢獄の話ってのがあって、
〉その中でやはり壊血病のような、栄養障害で起きる病気のことが出てくる場面などがあるわけですねー。
〉そういうのをカラーイラストの洋書で読んでいるので、映像で思い浮かんだりするのがまたリアル。
〉なんというか、多読の英語とは関係ないと思っていた日頃の自分の関心事と、
〉多読で出会った英語で読んだものがしっかりリンクしているというか。
〉それがなんか楽しくてねー。充実の調査活動でしたのね。
あー。よかったね、それは。
〉なので、雑談ってのは、すごくいいねーと思って。
〉公文書館の数字のこと、わかったらまたお知らせします。
〉果たして私に調べきれるかどうかわからないけど挑戦するー!
はい。まぁ、てきとうに。
〉〉私の元ネタの本を引っぱり出してまいりました。
〉〉高橋秀実『素晴らしきラジオ体操』p.92〜
〉これ! 紹介ありがと〜、面白かったー!
〉権威になってしまうと硬直化するんですね。。。
〉必要な修正もできなくなって最悪の事態を招くというか。
〉戦死数のことを調べてる中に、脚気死者の軍別の内訳も見ましたが、
〉陸軍で海軍で全然ちがうのでびっくり。
〉なにしろ一万人以上と、何百人の違いだから。。。
〉いまや脚気で亡くなる人などいない時代になったけれど、
〉それほど遠くないはずの父祖の時代を思いまする。。。
戦後の話ですけど、私の親父はよくランニングをしてたからか、脚気になりかけたそうです。
それで、薬とかもらってたそうですけど、まだよくわかってなかったのかな?
田舎で、玄米や米ぬか(B1豊富)はいっぱいあったのに、特にそれを食べたわけでもなく。
〉〉「男爵は『病気を診ずして病人を診よ』の正しさを世に知らしめ、宿敵陸軍医にも勝利した。」
〉〉(ここから男爵の人生は興味深い展開を見せるのだが、それについては本を参照してください。)
〉あーい。
特に興味わいたらで、いいです。
〉〉〉〉そうそう。勉強教えてあげるからデートして、ってね。いやいや…
〉〉〉そうだったのかーーーーーー。
〉〉ありませんよ。そんないいこと。
〉ふふん(笑)
ほんとにない。
テストがあるから勉強教えてくれ、と女の子に頼まれることはよくあったが、
テストに通ってもらわねばならんので、デートなどという気分は無い。真剣に教える。
そして、いつも、テストどうだったかという事後報告が無い。。。
テストがダメだったのか?恩に着るのがイヤなのか?何かを要求されると思ったのか?
いまだに考え続けている。(いや、忘れてましたが)
ではでは。
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お名前: こるも
投稿日: 2008/10/29(23:16)
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akoさん、たかさん、すみません。
すっごいよこです。
〉〉たかぽん、おはよう!(芸能人事務所モード)
〉芸能界では、なぜいつも「おはよう」と言うのか?
〉桃井かおりさんはこれになじめず、「なんで朝でもないのに『おはよう』って言うわけ? わっけわかんない」
〉などと若手のころからおっしゃってたそうだ。
一説には「おはよう」は朝の挨拶に限っているわけではないとか。
〉テストがあるから勉強教えてくれ、と女の子に頼まれることはよくあったが、
〉テストに通ってもらわねばならんので、デートなどという気分は無い。真剣に教える。
〉そして、いつも、テストどうだったかという事後報告が無い。。。
〉テストがダメだったのか?恩に着るのがイヤなのか?何かを要求されると思ったのか?
〉いまだに考え続けている。(いや、忘れてましたが)
ちょっと思い出したんだけど、わたし数学がものすごく苦手なのね。
大学の頃、みんなに教えてもらっていた。
で、テスト前に、ある男の子に教えてもらったの。
わたしは通ったんだけど、なぜか彼が落ちていた。
(そんで次の年にもう一度取り直していた)
南無。
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こるさん、こんばんは。
〉akoさん、たかさん、すみません。
〉すっごいよこです。
Be my guest.
〉〉〉たかぽん、おはよう!(芸能人事務所モード)
〉〉芸能界では、なぜいつも「おはよう」と言うのか?
〉〉桃井かおりさんはこれになじめず、「なんで朝でもないのに『おはよう』って言うわけ? わっけわかんない」
〉〉などと若手のころからおっしゃってたそうだ。
〉一説には「おはよう」は朝の挨拶に限っているわけではないとか。
ほほう。
たしかに、何をもって「早い」と言うのか。基準によりますもんね。
朝の「早い」か、始業の「早い」か。
朝から始まる仕事の場合は、朝の「おはよう」と仕事始まりの「おはよう」が一致する。
が、芸能界など、仕事始まりが朝とは限らない場合は、それが一致しない。
仕事場だから、仕事始まりの「おはよう」、ということになる。
それは一つの、私たちは遊んでるんじゃない、仕事なんだ、生活なんだ、という
プライドのあらわれかもしれない。
桃井さんの場合は、そういう、勤め人のような「仕事」って意識が無くて、
もっと自由な感覚なので、なんで「仕事」みたいに「おはようございます」って言うの?
という疑問があったのかもしれない。そんな「挨拶」でプライド持つ必要はなくて、
要は中身なんじゃないの?みたいな。(まったくの憶測で言ってます。)
実際、桃井かおりほど仕事に厳しい、こだわる女優さんはいないそうだ。
ちょっと違うんですが、プロ野球選手が移動のときなどに、スーツ着てること多いですよね。
スーツ着る必要は無いのに。
あれは一つの、これは「仕事」なんだという、プライドのあらわれなんじゃないかと思ってます。
ちなみにイチローは、移動のときはなるべくリラックスできるように、楽な格好をしてる、
と言ってはりました。「形」にこだわらない、彼の合理性を感じたなぁ。
(今はどうしてはるか知りませんけど。)
〉〉テストがあるから勉強教えてくれ、と女の子に頼まれることはよくあったが、
〉〉テストに通ってもらわねばならんので、デートなどという気分は無い。真剣に教える。
〉〉そして、いつも、テストどうだったかという事後報告が無い。。。
〉〉テストがダメだったのか?恩に着るのがイヤなのか?何かを要求されると思ったのか?
〉〉いまだに考え続けている。(いや、忘れてましたが)
〉ちょっと思い出したんだけど、わたし数学がものすごく苦手なのね。
〉大学の頃、みんなに教えてもらっていた。
〉で、テスト前に、ある男の子に教えてもらったの。
〉わたしは通ったんだけど、なぜか彼が落ちていた。
〉(そんで次の年にもう一度取り直していた)
〉南無。
テスト前に、ひとに教えてもらって要領よくポイントつかんだほうが良い場合が多い。
自分ひとりでガリガリやるより、複数の人から情報集めて、あーここが大事なんだなと
つかんでしまうほうがいいってことが、学生のころはよくあった。
ノート主が落ちた、ということも、けっこうあった。
南無。