[掲示板: 〈過去ログ〉SSS雑談の掲示板 -- 最新メッセージID: 3556 // 時刻: 2024/11/24(00:58)]
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お名前: ako
投稿日: 2007/3/9(01:31)
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Ryotasanさん、こんにちは、akoです。
一点だけ質問したいことが発生してしまい、横から失礼致します。
〉その範囲で感じているのは、19世紀の著作の方が18世紀の著作より、文章も論旨も複雑で難しいことです。(部分的に例外はあるかもしれませんが、全般的にそういう傾向があると感じています。)
この傾向がどういうわけで生じたのか、とてもひかれました。
日本で置き換えが可能かどうか不明ですが、明治の文豪の小説日本語より、江戸時代に書かれた本のほうがラクに読める、と置き換えると、ううむ…、どういうことなんだろう、、、というように、素朴なナゾが生じた、というわけです。
たしかに夏目漱石や森鴎外の名を、いかにも権威ある名作である〜〜、皆のもの、ひかえおろ〜〜〜ぅ、どど〜〜んと言われるより、
里見八犬伝とか東海道中膝栗毛のほうが、印象としては親しみやすいように感じます。
ただ、ストーリーや構成がどう、という以前の問題として、
やはり江戸時代の日本語の原文という難しさはあると思うので、
(原文を見たこともないまま言ってますが)
18世紀より19世紀のほうが難しい、となると、これは、イギリス史に興味があるものとしては相当気になるところ、となりました。
19世紀ってどんな頃だったか? と思うにつけ、このスレッド当初のたかぽんの投稿の中にもあるとおり、フランス革命が、革命後、周囲の西欧各国に影響を与えたことも(もちろん文学作品にも)関係があるように思ったんです。
もし何かお考えのことがあればお聞きしたいです。
(掲示板上差し支えない程度でよいです)
そもそも、どういうご専門のかたに聞くべきかあまり考えずに書いておりますので、こちらでも別の可能性で調べてみたいと思います。(そんな方法はあるのだろうか…? 一抹の不安はありつつ(笑))
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お名前: Ryotasan
投稿日: 2007/3/9(21:41)
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今晩は、akoさん。
里見八犬伝や東海道中膝栗毛、それに『舞姫』など鴎外の初期作品は文語体なので難しいです。これは平安時代の文章や漢文訓読体を手本にしており、江戸時代の町人が使っていた話し言葉とは違います。
漱石の小説や鴎外の後期作品は口語体なので、読みやすいです。現代の日本語と切れ目無く繋がっていますが、江戸時代の町人の話し言葉とも大きな違いは無かったようです。
書かれた時代がいつであれ、現代の読者にとっても、おそらく江戸の町人にとっても、文語体の方が難しいはずです。
ややこしい話をすれば、1887年に発表された二葉亭四迷の『浮雲』より、1910年に発表された泉鏡花の『歌行燈』の方が読みにくいです。『浮雲』は口語体で、『歌行燈』は基本的に文語体だからです。
『竹取物語』と『源氏物語』はどちらも古文 (文語体) ですが、時代が新しい『源氏物語』の方が読みにくいと僕は感じました。これは19世紀に西洋の町人文化が成熟していたのと同じように、平安時代の貴族文化が成熟していたせいだと思います。
フランス革命が英語の文章に直接的な影響を及ぼしたとまで言えるかどうかは分かりませんが、金持ちの町人 (市民) 階級が台頭し、彼らを読者として商業的な出版が増えたのだと思います。モーツァルトの音楽よりベートーヴェン以降の音楽がややこしいのも同じだと僕が考えています。
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Ryotasanさん、こんにちは!
〉里見八犬伝や東海道中膝栗毛、それに『舞姫』など鴎外の初期作品は文語体なので難しいです。これは平安時代の文章や漢文訓読体を手本にしており、江戸時代の町人が使っていた話し言葉とは違います。
〉漱石の小説や鴎外の後期作品は口語体なので、読みやすいです。現代の日本語と切れ目無く繋がっていますが、江戸時代の町人の話し言葉とも大きな違いは無かったようです。
なーる!なーる! 日本語も色々ですね。
江戸時代の話し言葉。江戸時代の書き言葉。
明治時代の話し言葉、明治時代の書き言葉。
話し言葉も、階級によっても複数あったでしょうから、
こうして書き出してみると、言葉って、
一つの言語でも、時代、地域、階層によって違っててほんとにいろいろで面白いです。
英語については、ふだんは、日頃よめるような通常の現代の(易しい)英語だけしか想定してないですが、こうして日本語に置き換えて考えますと、
書き言葉、話し言葉、
さらにそれらが時代によっても、階級によってもいろいろあって、
じつに幅が広いものなんだなー、とても豊かなものなんだなー、
言葉って海みたいだなー、と、感じました。
わたしが知っている英語は、とても狭い範囲でしかないですが、
言葉の海の中で浮き輪に乗って泳いでるんだなーとイメージできて、
なんだか楽しくなってきました。
〉書かれた時代がいつであれ、現代の読者にとっても、おそらく江戸の町人にとっても、文語体の方が難しいはずです。
そうでしょうねー。
江戸時代にワープして、わざと色んな日本語でしゃべってみたいなぁ〜なんて夢想してしまいます。
江戸時代の大坂で、現代東京の寅さん言葉で「するってぇ〜となにかい?」とかって言ったらどのくらい通じるか?とか、
武士の家で「21世紀よりきたる、またうれしからずや」と言って会話してみるとか。そのほうが通じたりして(笑)。(←あの…、ここ、冗談ですので…)
〉ややこしい話をすれば、1887年に発表された二葉亭四迷の『浮雲』より、1910年に発表された泉鏡花の『歌行燈』の方が読みにくいです。『浮雲』は口語体で、『歌行燈』は基本的に文語体だからです。
わぁ〜(嬉)、ややこしいどころか、わかりやすく作品名での具体例、
ありがとうございます。
二葉亭四迷と泉鏡花の文体の違いなどといったことは私にはわかりませんが、
作家の中には、一人で、文語、口語の両方を書き分けることができた人も多かったことでしょうねぇ。面白そうー。読んでみたくなります。
〉『竹取物語』と『源氏物語』はどちらも古文 (文語体) ですが、時代が新しい『源氏物語』の方が読みにくいと僕は感じました。これは19世紀に西洋の町人文化が成熟していたのと同じように、平安時代の貴族文化が成熟していたせいだと思います。
うわー(古文、苦手種目…)、どちらも高校時代の古文で一部だけは読んだことがあるはずですが、もはや前世の記憶(笑) ああ、いづれの御時やら…
ただ読みやすさ(読みにくさ)が生じる要因のほうは興味津々です。
洗練度が増すにつれ、門外漢にとって読みにくいものになる、
という理解でよろしいですか?
〉フランス革命が英語の文章に直接的な影響を及ぼしたとまで言えるかどうかは分かりませんが、金持ちの町人 (市民) 階級が台頭し、彼らを読者として商業的な出版が増えたのだと思います。モーツァルトの音楽よりベートーヴェン以降の音楽がややこしいのも同じだと僕が考えています。
ご指摘の通り、革命の影響は、文章そのものへの影響というよりも、
どういう人々が書物の読者だったのか、という部分で、
革命前と後で、(というか、もう18世紀も終わりごろなので近代化の過程で、ということになりますが)大きな変化が起きたということを考えてました。
読者の階層にもよると思いますが、どういう内容の本が好まれたかという部分にも革命思想の影響があっただろうな、と思いました。
音楽も同様という話も実に面白いです!
何でもつながってますね。ありがとうございました。
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お名前: 杏樹
投稿日: 2007/3/10(01:14)
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akoさん、こんにちは。
〉たしかに夏目漱石や森鴎外の名を、いかにも権威ある名作である〜〜、皆のもの、ひかえおろ〜〜〜ぅ、どど〜〜んと言われるより、
〉里見八犬伝とか東海道中膝栗毛のほうが、印象としては親しみやすいように感じます。
〉ただ、ストーリーや構成がどう、という以前の問題として、
〉やはり江戸時代の日本語の原文という難しさはあると思うので、
〉(原文を見たこともないまま言ってますが)
〉18世紀より19世紀のほうが難しい、となると、これは、イギリス史に興味があるものとしては相当気になるところ、となりました。
これはですね、日本語が「文語体」を使っていた、というのがポイントでしょう。明治になって言文一致運動が進められ、文章表記がひっくり返るほどの変革が行われました。言文一致以前の日本語は、文語体の読み方を知らないと、とても難しいです。文学作品もですが、手紙も「候文」といって、独特の決まりがあり、江戸時代の手紙なんてフツーの現代人にはまるで読めません。
そうそう、大阪には大正時代に建てられた赤レンガの西洋建築「中之島中央公会堂」があります。ここの大ホールの入り口付近に会堂の由来を書いた大きなプレートがあります。その文章が…漢文なんですよ!ひらがな、カタカナ、一切ナシ。内容は誰がいつどのようにしてこの会堂を建てたか、ということなので、全然難しいことは書いてないのですが、きちんと漢文の法則にのっとって書かれているのでつい中国語読みで読んでしまいました。
大正時代でさえこうですから、昔の日本語には現代人には読みづらい表記方法が行われていたということです。
しかし英語は日本語の文語体ほど書き言葉と話し言葉が乖離していません。シェイクスピアでも原文を読むのは、やさしくはありませんが、とりあえず現代の英語の読み方で読むことが出来ます。
ですから日本語は内容以前に表記方法に問題があるのに対し、英語の場合は、文章よりも内容のそのものが難しいか、やさしいか、だけの問題になるのではないかと思います。
で、akoさん、こんなところで遊んでる間に世界史クラブに重大事件が起こりかけてますよ。役員総入れ替えかも…。ほら、あの方の発言にレスをしてあげなくては。
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杏樹殿、akoでござそうろう(笑)
〉日本語が「文語体」を使っていた、というのがポイントでしょう。明治になって言文一致運動が進められ、文章表記がひっくり返るほどの変革が行われました。言文一致以前の日本語は、文語体の読み方を知らないと、とても難しいです。文学作品もですが、手紙も「候文」といって、独特の決まりがあり、江戸時代の手紙なんてフツーの現代人にはまるで読めません。
左様にて候。(雰囲気、雰囲気。ほら、英語だって、間違えてもいいから書いてみようって言うじゃありませんか。古い日本語も、時代劇の聞きかじりをテキトーにくっつけて…)
〉そうそう、大阪には大正時代に建てられた赤レンガの西洋建築「中之島中央公会堂」があります。ここの大ホールの入り口付近に会堂の由来を書いた大きなプレートがあります。その文章が…漢文なんですよ!ひらがな、カタカナ、一切ナシ。
へぇ〜、へぇ〜、へぇ〜、へぇ〜、ですねー!
>内容は誰がいつどのようにしてこの会堂を建てたか、ということなので、全然難しいことは書いてないのですが、きちんと漢文の法則にのっとって書かれているのでつい中国語読みで読んでしまいました。
大笑い。 目に見えるよう(声が聞こえるよう)です。
杏樹さんならごく自然な行為だ。
あなたは〜、漢字を見るとぉ〜、音読みしたくな〜る、カンカカン(笑)
〉大正時代でさえこうですから、昔の日本語には現代人には読みづらい表記方法が行われていたということです。
けふてふてふがまひました(笑)
〉しかし英語は日本語の文語体ほど書き言葉と話し言葉が乖離していません。シェイクスピアでも原文を読むのは、やさしくはありませんが、とりあえず現代の英語の読み方で読むことが出来ます。
〉ですから日本語は内容以前に表記方法に問題があるのに対し、英語の場合は、文章よりも内容のそのものが難しいか、やさしいか、だけの問題になるのではないかと思います。
まずは、今の時代の児童向け英語を脳髄に浸透するように読んでみたいと思っています。
〉で、akoさん、こんなところで遊んでる間に世界史クラブに重大事件が起こりかけてますよ。役員総入れ替えかも…。ほら、あの方の発言にレスをしてあげなくては。
ううむ、、、このところ、アチコチの場所に出没するので、
拙者、目が追いつかないでござる。左様ならばこれにて御免(笑)