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お名前: 道化師
投稿日: 2004/2/2(01:17)
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みちるさん、こんばんは、道化師です。
〉〉(詳しくは、壁の広場、読んでね)
〉ん?すけさやママさんのスコート姿が見たいとか?(笑)
うわっ、バレたぁ。
って、そんな事じゃなくて、
〉なんだか、道化師さんって、私の保護者のようですね?(笑)
いや、恋人のつもりなんだけどなぁ・・・
って訳はなくて、そんな事じゃなくて、
〉で、いったい何を捨てたのか。それが疑問です。
〉テレビでしょ、自分のサイトでしょ、持ち帰り仕事でしょ、音楽でしょ、
〉日本語の本でしょ・・・って、そんな答えじゃないですよね。
〉(それも、正解なんですけど。)
そんなもん、捨ててもいいものばかり・・・そうそう、そんな答えじゃない!
って、そんな事じゃなくて、
〉そうですね。やっと一年経ったばかりなのですよ。
〉というか実質は5月からなので、まだ0才みたいなの。
また出たぁぶりっ子(死語の世界)。
下の下では、Julieさんが「思春期」とか言ってるし、まったくもう・・・
って、そんな事じゃなくて、
〉皆さんのTOEIC結果とか見て、すごいな〜と思っているような状態で。
〉だから、「英語」では道化師さんの方が全然上のような気がしますよ〜。
んなぁ事はない。決してない。絶対ない。
私の英語は、出来ないとかを通り越して「精神的アレルギー状態」だったんだから。
って、そんな事じゃなくて、
〉ただ、もっと自由に本が読みたいぞ〜というのがあって、少しずつ自由に
〉本が読めるようになっているのかなと思います。本限定の英語。(笑)
オッ、同志。私も、目指すのはこれ。本限定の英語。
って、そんな事じゃなくて、
〉読書力だけで無理矢理読んでいるという気もしなくはないのですけどね。
私なんか、屁理屈力で無理矢理読んでる。
って、そんな事じゃなくて、
〉ああいう本音は、なんだか弱みを見せたようでちょっと後悔したのですけど、
〉まぁ、二人の内緒話ということで、そっとして置いてやって下さいね。
そっとして置きます。
って、そんな事じゃなくて、
〉そうそう、報告の下の方に道化師さんへの書き込みがあったのに見てないでしょ?
これこれ。
えっ?私への書き込み?
そんなのあったかなぁ?
一応全部ざぁっとSSS読みしたんだけれど、
どれどれ
あっ、ホントだ。見つけた。
〉☆William Shakespeare
〉「Much Ado About Nothing」22400語★★★★★
〉ひょうたんからコマという感じの恋物語というのかな。ぽんぽんぽんっとした言葉の
〉やりとりがとても楽しいです。シェイクスピアの作品の中でもお気に入り度が高い
〉作品です。
と、ここまで読んで、私の興味の無いシャケスピアレ(ってスペルを覚えませんでした?)の話かぁ、
と思って飛ばしてしまいました。
〉シェイクスピアってどこがいいの?と、某けんかネタばかり振ってくるおにいさん?に
〉聞かれたのですが、コンピュータのように分析したり割り切ったり出来ない私には、
〉シェイクスピアの描く人々は、昔も今も同じだなーと思います。うれしい気持ちとか
〉悲しい気持ちがまっすぐに書かれているので、とてもきもちがいい。あとは会話の
〉やりとりの楽しさですね。ほとんどの作品にでてくる道化の言葉も聞いています。
〉ぽんぽんと言葉がでてくる才気溢れる女性。男性はやや情けない人が多いかも?
〉HNはシェイクスピア向きなのにね・・・。
ハハハ、確かに。事実、HNを何にしようかなぁ?って考えた時に、
英語→シェイクスピア→道化師な発想は、あったんですがね。
それに、オフ会で話したと思うけれど、日本語でならちょこっと読んでるんですね。
三大悲劇、三大喜劇とあとはラム兄弟の「シェイクスピア物語」(読んだ事にならない?)
それに、シェイクスピア・シアターの連続上演とかにも行ったし。
それだけ「努力」してシャエイクスピアを好きになろうとして、挫折した訳です。
小田島雄司(字あってる?)のせいかなぁ。
それとも、高校一年生の頃だったから、
シェイクスピアを味わうだけのキャパがこちらに無かったというのもあるかも。
言葉のキレとかリズムで味わうべきものだとすると、
翻訳ではなくて、原書で、それもLRで読んで、味わうべきかも知れないですね。
シェイクスピアのあのくどさは、耳から入れる単線的な流れだけで理解できるように
という配慮からきてるらしいし。
(「笑っていいとも」のタモリのウンチクより)
毛嫌いはしないけれど、英文学、演劇でこれほど高名でなかったら、
遠くファーイーストの地で、本当に読んで面白いのかなぁ?って疑問はあります。
歌舞伎だって、能だって、狂言だって、文楽だって、その文化的歴史的な価値は認めるけれど、
(みちるさんが言うような、時代を超えた普遍性とか、逆に時代の枠組みとかから、
見てる人の思索のキッカケにはなると言う意味)
現代の人が見て、涙を流すような直接的に訴えてくる感動を呼び起こせるのかなぁ?
って疑問を感じてるんだけれど、
シェイクスピアにも多分にそんな匂いがするんですよね。
みちるさんの言う普遍性を味わうのなら、現代の作品でも同じ普遍性が書かれているものがある筈で、
ならばより共通項のある同時代の作品を読みたいなって思うんですね。
個人の好みと言ってしまえばそれまでなんだけれど、
歴史的権威に頼って、面白いと思い込んで、読みたくはないなぁって私自身は思ってるんです。
どうかなぁ?ホントに「古典だから」「名作だから」と言うようなゲタを履かせずに読んでも、
面白いですか?j
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道化師さん、こんにちは。
〉ハハハ、確かに。事実、HNを何にしようかなぁ?って考えた時に、
〉英語→シェイクスピア→道化師な発想は、あったんですがね。
〉それに、オフ会で話したと思うけれど、日本語でならちょこっと読んでるんですね。
〉三大悲劇、三大喜劇とあとはラム兄弟の「シェイクスピア物語」(読んだ事にならない?)
〉それに、シェイクスピア・シアターの連続上演とかにも行ったし。
〉それだけ「努力」してシャエイクスピアを好きになろうとして、挫折した訳です。
わかりました、原因が。大きな声では言えませんが、シェクスピア・シアターはあんまりおもしろくないです。グローブ座(つまり東京)でやってたので、私は生では1回しか見てませんが、テレビで2〜3回見たことがあります。そのうち2作は喜劇でしたが、おもしろくありませんでした。同じ作品をグローブ座カンパニーがやった時は笑いころげたんですよ。
グローブ座カンパニーは今は活動してないので見てもらえないのが残念です。(ビデオは少しありますが…)。
また蜷川幸雄だったらおもしろいです。
もし「NINAGAWAマクベス」でも再演することがあったらぜひ見て欲しいです。これは本当にすごい舞台です。
ちなみに「四大悲劇」です。
「ハムレット」
「マクベス」
「オセロー」
「リア王」
〉歌舞伎だって、能だって、狂言だって、文楽だって、その文化的歴史的な価値は認めるけれど、
〉(みちるさんが言うような、時代を超えた普遍性とか、逆に時代の枠組みとかから、
〉見てる人の思索のキッカケにはなると言う意味)
〉現代の人が見て、涙を流すような直接的に訴えてくる感動を呼び起こせるのかなぁ?
〉って疑問を感じてるんだけれど、
〉シェイクスピアにも多分にそんな匂いがするんですよね。
〉みちるさんの言う普遍性を味わうのなら、現代の作品でも同じ普遍性が書かれているものがある筈で、
〉ならばより共通項のある同時代の作品を読みたいなって思うんですね。
〉個人の好みと言ってしまえばそれまでなんだけれど、
〉歴史的権威に頼って、面白いと思い込んで、読みたくはないなぁって私自身は思ってるんです。
〉どうかなぁ?ホントに「古典だから」「名作だから」と言うようなゲタを履かせずに読んでも、
〉面白いですか?j
ここまで言うなら沈んでなんかいられません。(マジ、忙しいんですー)
例えば上にあげた「NINAGAWAマクベス」を見た時、「本当の悲劇とはこういうものだ」と思いました。魔女の甘言に乗って王位への野心を持ってしまい、結局自滅していく。不幸が空から降ってくるのではなく、自分のしたことによって滅んでいく…これこそが本当の悲劇だと。
「リア王」は演劇集団「円」で最初に見ました。
セットも何もないシンプルな舞台で衣装もごくシンプルなものでした。しかしそれだけに人間が織り成していく運命がくっきりと浮かび上がりました。これも娘たちのおべんちゃらにまんまとだまされた情けないお父さんの「悲劇」です。
こういうことって今の時代にもありそうなことですよ。財産を分けてもらうまではうまいことを言って、財産分けが終わったらそれでオシマイ。悠悠自適の生活を夢見ていたリアが娘たちに「財産をもらったからもう用はない」とばかりに締め出されて荒野をさまよってヤケになって「雨よ降れ!風よ吹け!」なんてわめいてる姿を見て、つくづく「あほなおっちゃんやなー」と思いました。
「オセロー」を見た時は、オセローは妻のデズデモーナを信じることができなかったのではなくて、自分自身を信じることができなかったんだろうなあ、と思いました。肌の黒いムーア人として差別されている自分が、本当に美しいデズデモーナに愛されるなんてことがあるのか、それを疑い始めたら止まらなくなったわけです。他人を信じられないのは、結局自分自身を信じられないことの裏返しなんですね。
喜劇では俳優座の「お気に召すまま」は本当におもしろくて大笑いしました。
「女たちの十二夜」を見た時は、笑いころげて、笑いころげて、窒息死するかと思うほど笑いころげました。
シェイクスピアは書かれた当時の風俗を再現しなくても上演できる不思議なお芝居です。イプセンとかチェーホフなどは、当時の社会を反映しているので、あまり時代や国を超えることができません。しかしシェイクスピアはどんな衣装でもどんなセットでも演出家の力量次第でなんでもアレンジして上演できるんです。それは人間の普遍的な気持ちが書かれているから、時代や国の制約を受けないんです。
「NINAGAWAマクベス」は安土桃山風俗で上演したことで有名ですが、固有名詞は変えていません。また蜷川幸雄は「テンペスト」では佐渡の能舞台をイメージしたセットをしつらえ、プロスペローとミランダの衣装は洋風でした。
ついでに、歌舞伎、能、狂言、文楽も化石のように保存されて上演されているのではなくて、今の観客を楽しませるために上演されてるんですよ。
それではこれで沈みます。
ぶくぶくぶく…。