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お名前: Ryotasan
投稿日: 2007/1/25(07:50)
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杏樹さんの投稿は情報量が多く、考えさせる内容が多いですね。
〉シェイクスピアの場合、イタリアものと言っても実際のイタリアを描いたと言うより、単に地名として出てくるだけ程度の内容なので、イタリアらしさを強調してもしなくても成り立ちます。
すみませんが、これは理解できません。シェイクスピアの戯曲、原文ではイタリア以外の場所に設定された作品でも台詞はみんなイタリア風だし、明らかにイタリア人と分かる名前の人物は脳天気だったり血気盛んだったりして、芝居として成り立ちやすいと僕は感じています。(本当のイタリア風というより、英国の人から見てのイタリア風かもしれませんが。)
〉確かにそうですね。佐渡とプロスペローの流された孤島が重なります。世阿弥までは思いつきませんでしたが…。
能とシェイクスピアでは、ほかにも類似点がいくつかあります。能にも地名が織り込んであることが多いです。いくつかの作品に幽霊が登場することも似ています。
〉地名は「出てくるだけ」で、その土地を特定するような、物語の場所を限定するような描写には乏しいです。シェイクスピアの時代はイタリアの地名が出てくるだけでエキゾチックなイメージがかきたてられたのかもしれません。
すいませんがこれも理解できませんでした。A Midsummer Night's Dream であればアテネと近くの森で話が展開し、ギリシャ神話的な世界が期待されます。結果的にギリシャ神話というより妖精たちの世界になってしまったのは誤算かも知れませんが、異教的な世界を見せたかったのだと思います。
〉やはり最近の演出ではシェイクスピアが遠い世界のお話ではなく、普遍的な人間の感情や行動を描いていることを感じさせることが多いです。私はシェイクスピアにはこうした舞台で触れてきたためか、「古典」というイメージがあまりありません。シェイクスピアが古典とか、難しいとかいうのを聞くと「?」状態になります。
最近の日本で行なわれている演出で、日本の観客に理解しやすい側面を前面に出そうとするのは賛成です。いろいろな解釈があって、普遍性に注目する方法は必須だと思います。ほかに色々あっても良いと思いますが。
古典ときいて中世やルネサンスの音楽や、バッハをモーツァルトの音楽を連想する人もいます。モーツァルトの音楽を聴いて、分かりやすく楽しいと感じる人もいるし、実際に演奏してみると近代の作品より難しいと感じる人もいます。そういう古典の中にシェイクスピアを入れてもそんなにおかしくないと思います。
モーツァルトの例が典型的だと思いますが、古典にはある種の分かりやすさもあります。僕はシェイクスピアより前の時代の作品や、19世紀の英文学も読みましたが、複雑さという点では19世紀後半から20世紀初頭が最も難解で、時代が溯るほど理解しやすいと感じています。
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お名前: 杏樹
投稿日: 2007/1/27(00:30)
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Ryotasanさん、こんにちは。
〉〉シェイクスピアの場合、イタリアものと言っても実際のイタリアを描いたと言うより、単に地名として出てくるだけ程度の内容なので、イタリアらしさを強調してもしなくても成り立ちます。
〉すみませんが、これは理解できません。シェイクスピアの戯曲、原文ではイタリア以外の場所に設定された作品でも台詞はみんなイタリア風だし、明らかにイタリア人と分かる名前の人物は脳天気だったり血気盛んだったりして、芝居として成り立ちやすいと僕は感じています。(本当のイタリア風というより、英国の人から見てのイタリア風かもしれませんが。)
私は日本語の舞台と戯曲しか知りませんので、原文のセリフがイタリア風になっているというところまではわかりません。
私が感じた範囲では、イタリアの情景を詳しく描写したり、当時のイタリアでないと成り立たない展開だったり、ということはあまりないように思いました。シェイクスピア自身もリアルなイタリアを書こうとしたわけではなく、イメージの世界のイタリアを書いたように思います。ですから、イタリアらしさを強調するように演じることも、場所を特定しないような演じ方をすることもできるわけです。
〉〉地名は「出てくるだけ」で、その土地を特定するような、物語の場所を限定するような描写には乏しいです。シェイクスピアの時代はイタリアの地名が出てくるだけでエキゾチックなイメージがかきたてられたのかもしれません。
〉すいませんがこれも理解できませんでした。A Midsummer Night's Dream であればアテネと近くの森で話が展開し、ギリシャ神話的な世界が期待されます。結果的にギリシャ神話というより妖精たちの世界になってしまったのは誤算かも知れませんが、異教的な世界を見せたかったのだと思います。
「アテネ」は日本語では英語読みの「アセンズ」と訳されるので、まずそこでギリシアのイメージが弱まってしまうんです。それに当時ギリシア風の服装ではなくシェイクスピアの時代の服装で演じられていたことも考えられます。アテネやギリシアと言いつつ、違う時代や場所の衣装やセットで演じても問題はありません。
ギリシア古典劇だと神託や神々は神聖で重要なものであり、それらが重要な意味を持ったり登場人物の行動や思想に大きく影響を与えますが、「夏の夜の夢」ではギリシアの神々や神託はそこまで大きな役割はしていません。
Ryotasanのおっしゃるとおり、妖精の世界になってしまったことに問題があるでしょう。しかもそれはケルト的な妖精なので、異教的世界と言ってもギリシア的世界とは離れてしまいました。
ボトムたちなどは、シェイクスピアの時代にイギリスの村でイベント的にお芝居をやっていた村人たちがいたことを髣髴させます。
〉〉やはり最近の演出ではシェイクスピアが遠い世界のお話ではなく、普遍的な人間の感情や行動を描いていることを感じさせることが多いです。私はシェイクスピアにはこうした舞台で触れてきたためか、「古典」というイメージがあまりありません。シェイクスピアが古典とか、難しいとかいうのを聞くと「?」状態になります。
〉古典ときいて中世やルネサンスの音楽や、バッハをモーツァルトの音楽を連想する人もいます。モーツァルトの音楽を聴いて、分かりやすく楽しいと感じる人もいるし、実際に演奏してみると近代の作品より難しいと感じる人もいます。そういう古典の中にシェイクスピアを入れてもそんなにおかしくないと思います。
そういう「古典」ならシェイクスピアもはいりますね。
〉モーツァルトの例が典型的だと思いますが、古典にはある種の分かりやすさもあります。僕はシェイクスピアより前の時代の作品や、19世紀の英文学も読みましたが、複雑さという点では19世紀後半から20世紀初頭が最も難解で、時代が溯るほど理解しやすいと感じています。
確かに…。時代が下るほど難解になったり理屈っぽくなったりということはありますね。不条理劇などは現代の産物ですし。
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お名前: Ryotasan
投稿日: 2007/1/27(08:56)
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杏樹さん、おはようございます。
長くなりましたが、多読をする人にとって何らかの参考になりそうな感じもあるので、もう少し続けます。
シェイクスピアの作品を日本語で上演するばあい、出演者も日本人ですから、無理にイタリア風の演出をするより、日本人から見て普遍的に思える要素を強調した方が、演劇としてうまくいくということのようですね。台本も、Athensを「アテネ」とせずに、あえて英語風にすることで、地方色を隠したりすることもあるのですね。
ただ、シェイクスピアのイタリア的、あるいはラテン的な側面は、わざわざ原文を読まなくも感じることはできます。
たとえば Romeo and Juliet です。この作品の graded reader で表紙の写真にも使われている有名な映画の監督はイタリア人で、音楽を担当した作曲家もイタリア人です。主題曲もどことなくイタリア風でした。
90年代になってこの戯曲はまた映画化され、今度はメキシコで撮影されたので、全体にラテン風の雰囲気がみなぎっていました。冗談ですが、ロミオを演じている俳優さんの名前も、まるでイタリア人の様な名前でした。
ほかにも、映画化にあたって、イタリアで撮影された作品はいくつかあるようです。
イタリアから遠い北欧を舞台にした Hamlet でさえ、最初に登場する人たちはイタリア人のようです。その中の一人は最後まで登場して、事件の目撃者となります。イングランドの観客たちは、イタリア人に案内されてデンマークへ旅するのです。
又、僕が注目しているイタリア風とかギリシャ風の要素は、本当のイタリア風やギリシャ風と言うより、当時の英国人から見た範囲のギリシャ風やイタリア風であることも事実です。アテネの市民社会を描くつもりで、イングランドの村人たちの素人演劇になってしまったり、神々を描くつもりで妖精たちの話になっています。マクベスほどケルト的ではないと思いますが、ウェールズやアイルランドの話のように演出してもおかしくはないでしょうね。(ただ、ロンドンの近くという設定では難しいかもしれません。)
僕たちは東京や大阪のような大都市から遠いところに住んでいるので、生の舞台を観る機会は少ないです。演劇鑑賞会も、個人では入会できません。東京まで芝居を見に行くとすれば1日がかり、あるいは泊まりがけということになり、劇場は観光コースのようなものです。
シェイクスピア時代にも、僕たちのようなお上りさんたちがロンドンの劇場で芝居を観たのかも知れません。せっかく国際都市まで来たんだから、芝居も長いのを観たいとか思ったかも知れません。
これは、新幹線や高速道路を利用して「東京」ディズニーランドへ行った人が、ヨーロッパ風の城や、ミシシッピ川の蒸気船を真似た観光船や、ニューオーリンズ風のジャズを演奏する楽士さんたちを目の当たりにする体験と似たようなものかもしれません。
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Ryotasanさん、こんにちは。
〉長くなりましたが、多読をする人にとって何らかの参考になりそうな感じもあるので、もう少し続けます。
すでに開き直ってたりして…。時々あるんです、某aさんと歴史の話を始めたときとか、いつまでもレスをつけて、タイトルが縦になっていって…。
〉シェイクスピアの作品を日本語で上演するばあい、出演者も日本人ですから、無理にイタリア風の演出をするより、日本人から見て普遍的に思える要素を強調した方が、演劇としてうまくいくということのようですね。台本も、Athensを「アテネ」とせずに、あえて英語風にすることで、地方色を隠したりすることもあるのですね。
そういうことですね。
特に日本では蜷川幸雄が有名で、シェイクスピアをたくさん上演しており、いずれも原設定の舞台をほとんど無視して独自の世界を作っているので、日本の演劇界に与えた影響は大きいと思います。
また20世紀末ごろには東京のグローブ座で「グローブ座カンパニー」の公演がよく行われていまして、「カンパニー」と言っても劇団方式ではなくプロデュース方式ですが、おもしろい演出のシェイクスピアを上演していました。なにしろ名前の通りシェイクスピアの上演のために作られた劇場ですから、シェイクスピアの演じ方としてはこれも影響が大きかったと思います。
私は関西に来た公演しか見ていませんが、上杉祥三が全身緑に塗って妖精パックを演じて、舞台を引っ掻き回して死ぬほど笑わせてくれたことなどが印象に残っています。
〉ただ、シェイクスピアのイタリア的、あるいはラテン的な側面は、わざわざ原文を読まなくも感じることはできます。
…やっぱり戯曲を読むより舞台優先なので、演出に左右されてしまってるかもしれません。上でも書いたとおり、戯曲だけ読むと言うことはなくて、舞台を見て面白かった、よかった時に気が向いたら舞台を思い出しながら読んでるだけですので…。
〉たとえば Romeo and Juliet です。この作品の graded reader で表紙の写真にも使われている有名な映画の監督はイタリア人で、音楽を担当した作曲家もイタリア人です。主題曲もどことなくイタリア風でした。
ゼフィレッリ監督で、オリビア・ハッセーが出てた映画ですか?(GRは見てないので…)
私はこれが「ロミオとジュリエット」初体験でした。昔、ビデオも普及していない時代、2本立ての名画座がありまして、そこで見たんです。(封切じゃありませんよ)。パンフレットも持ってます。時代考証がちゃんとしていて、でも若くてみずみずしいロミオとジュリエットが公開当時は新鮮だったそうですが。
〉90年代になってこの戯曲はまた映画化され、今度はメキシコで撮影されたので、全体にラテン風の雰囲気がみなぎっていました。冗談ですが、ロミオを演じている俳優さんの名前も、まるでイタリア人の様な名前でした。
これは見てません。
〉ほかにも、映画化にあたって、イタリアで撮影された作品はいくつかあるようです。
〉イタリアから遠い北欧を舞台にした Hamlet でさえ、最初に登場する人たちはイタリア人のようです。その中の一人は最後まで登場して、事件の目撃者となります。イングランドの観客たちは、イタリア人に案内されてデンマークへ旅するのです。
当時はイタリアが流行最先端だったのかもしれません。それでイタリアを意識した芝居作りになったんだったりして…。
〉又、僕が注目しているイタリア風とかギリシャ風の要素は、本当のイタリア風やギリシャ風と言うより、当時の英国人から見た範囲のギリシャ風やイタリア風であることも事実です。アテネの市民社会を描くつもりで、イングランドの村人たちの素人演劇になってしまったり、神々を描くつもりで妖精たちの話になっています。マクベスほどケルト的ではないと思いますが、ウェールズやアイルランドの話のように演出してもおかしくはないでしょうね。(ただ、ロンドンの近くという設定では難しいかもしれません。)
〉僕たちは東京や大阪のような大都市から遠いところに住んでいるので、生の舞台を観る機会は少ないです。演劇鑑賞会も、個人では入会できません。東京まで芝居を見に行くとすれば1日がかり、あるいは泊まりがけということになり、劇場は観光コースのようなものです。
それは残念です。でも地方都市でも市民会館があって、移動公演が来たりすることがありませんか?
私はおっかけでいくつか地方都市の市民会館や公民館をまわったことがあります。ハコもの行政で槍玉に挙げられそうなピカピカ豪華なものから、年数がたってガタがきていて、スポットライトの数も足りないような貧相な会館までいろいろ見ました。(なんで雑談を広げてしまうんだろう…)
〉シェイクスピア時代にも、僕たちのようなお上りさんたちがロンドンの劇場で芝居を観たのかも知れません。せっかく国際都市まで来たんだから、芝居も長いのを観たいとか思ったかも知れません。
そうかもしれません。想像すると面白いですね。
〉これは、新幹線や高速道路を利用して「東京」ディズニーランドへ行った人が、ヨーロッパ風の城や、ミシシッピ川の蒸気船を真似た観光船や、ニューオーリンズ風のジャズを演奏する楽士さんたちを目の当たりにする体験と似たようなものかもしれません。
なるほど。
といったところで、このへんで…。