シュリーマンの方法

[掲示板: 〈過去ログ〉SSS めざせ100万語 交流の広場 -- 最新メッセージID: 9999 // 時刻: 2024/11/26(01:42)]

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78. シュリーマンの方法

お名前: 柴田武史
投稿日: 2001/11/25(02:12)

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古川さん、酒井さん、こんにちは。

 シュリーマンの方法についての情報です。古川さんが覚えておられるのは次の内容でしょうか。

 「この簡単な方法とはまず次のことにある。非常に多く音読すること、決して翻訳しないこと、毎日一時間をあてること、つねに興味ある対象について作文を書くこと、これを教師の指導によって訂正すること、前日直されたものを暗記して、つぎの時間に暗誦することである」

 これは岩波文庫の「古代からの情熱」に書かれています。私は中学・高校一貫校で英語を教えており、シュリーマンの外国語習得法に興味を持って、入手できた、シュリーマンの自伝の四冊の和訳本を読み比べていたところ、不可解なことに気づき、出版社に問い合わせたことがあるのですが、その謎はまだ完全には解けていません。そのことについてお話します。

 四冊はいずれもドイツ語で書かれた同じ本を邦訳したものです。「岩波文庫」「新潮文庫」「角川文庫」「小学館」から出ています。題はみんな「古代への情熱」となっていたと思います。上記の、シュリーマンの言語学習法の最初の三点は
 1大量の音読
 2翻訳をしない
 3毎日1時間をあてる
となっていますが、このうち、2と3の部分が四冊の訳本の記述が一致しないのです。どの会社の本にどう書いてあるかは正確には覚えていませんが、2については
 2決して翻訳をしない
 2ちょっとした翻訳をする
 2短文の訳をする
と、まるで正反対のことが書いてあります。3は
 3毎日1時間をあてる
 31日に1時間は勉強する
 3毎日授業を受ける
と書いてあるものに分かれます。

 これはいったいどういうことなのでしょうか。この部分はシュリーマンの外国語学習法の根幹の部分です。それがなぜこんなに違っているのでしょうか。それを知りたくて、私は四つの出版社に問い合わせたところ、岩波文庫からだけは2回も手紙を出したのに無視されましたが、他の三社からは翻訳者の返事をいただきました。

 そのおかげで面白いことがわかりました。2の点、すなわち「訳すか、訳さないか」というまるで正反対のことになったのは、ドイツ語の原書の中の一つの単語が原因でした。

「keine か kleine か、それが問題だ!」

 私はドイツ語がわかりませんが、keineは「無の」という意味で、kleineは「小さい」という意味らしいのです。返事をくれた3人の翻訳者たちが使った原書には kleine 〜〜(〜〜は「翻訳」という意味のドイツ語単語)と書いてあったので、「小さい翻訳→ちょっとした翻訳/短文を訳す」となったわけです。ところが、小学館の本の訳者は「小さい翻訳をする」ではシュリーマンが他のところで述べている学習法と矛盾するから、英語版(後述)を参考にして、kleineはkeineの誤植であると判断し、「訳をしない」と訳したと回答をくれました。

 本当に誤植なのかどうかは私にはわかりません。しかし、この謎を解くために私も古本でこの本の原書の英語版を入手して調べてみました。岩波文庫の注釈の中で訳者はシュリーマン自身が同じ本をドイツ語でも英語でも書いたと述べ、この英語版を参照したことを明らかにしています。しかし、今回返事をもらった訳者たちの中には、この英語版はシュリーマンが書いたドイツ語版をだれか別の人が英訳した翻訳本だと言っている人もいて、この点の真偽も私にはわかりません。ただ、この英語版はシュリーマンが著者であることしか出ておらず、訳本であるということをうかがわせるような記述(訳者名など)が一切ありません。
 
 ではこの本には何と書いてあったのでしょうか。以下、引用します。

Necessity taught me a method which greatly facilitates the study of a language. This method consists in reading a great deal aloud, without making a translation, taking a lesson every day, constantly writing essays upon subjects of interest, correcting these under the supervision of a teacher, learning them by heart, and repeating in the next lesson what was corrected on the previous day.

いかがでしょう。「翻訳をせずに大量に音読をする」と「毎日(1)授業を受ける」となっていますね。この英語版に従うとシュリーマンの言う理想的外国語学習法は

 1翻訳をしない大量の音読をする。
 2常に興味のあることについて作文を書く。
 3毎日授業を受ける。その際に教師にその作文を添削してもらい、
  それを翌日の授業で暗誦する。

となりませんでしょうか。

 なお、英語版の taking a lesson every day が「1時間をあてる・1時間勉強する・授業を受ける」と分かれた原因は、翻訳者の回答によって、ドイツ語版の

 eine Stunde nimmt

の解釈の相違だったとわかりましたが、ドイツ語がわからない私にはどちらが正しいのか判断のしようがありません。しかし、英語版の taking a lesson には複数の解釈は不可能ですね。

 残る謎は「英語版はだれが書いたか」「kleine は keine の誤植か。誤植であるとすれば、いつ生じた誤植か(ドイツ語版は1961年までに9版を数えています)。もしかしたら初版から kleineとなっていたのかも」「eine Stunde nimmtの意味は何か」です。

 以上、ご参考になれば幸いです。

 


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[う〜む] 79. Re: シュリーマンの方法

お名前: SSS英語学習法研究会 古川 http://www.seg.co.jp/fakio/
投稿日: 2001/11/25(12:17)

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柴田武史さん こんにちは

〉 シュリーマンの方法についての情報です。古川さんが覚えておられるのは次の内容でしょうか。
〉 「この簡単な方法とはまず次のことにある。非常に多く音読すること、決して翻訳しないこと、毎日一時間をあてること、つねに興味ある対象について作文を書くこと、これを教師の指導によって訂正すること、前日直されたものを暗記して、つぎの時間に暗誦することである」

はい。 そうです。

〉 四冊はいずれもドイツ語で書かれた同じ本を邦訳したものです。「岩波文庫」「新潮文庫」「角川文庫」「小学館」から出ています。題はみんな「古代への情熱」となっていたと思います。上記の、シュリーマンの言語学習法の最初の三点は
〉 1大量の音読
〉 2翻訳をしない
〉 3毎日1時間をあてる

私達は、音読にはこだわっていないのですが、
大量の読書、翻訳をしない、できるだけ毎日読む
という点では、一致していますね。

〉となっていますが、このうち、2と3の部分が四冊の訳本の記述が一致しないのです。どの会社の本にどう書いてあるかは正確には覚えていませんが、2については
〉 2決して翻訳をしない
〉 2ちょっとした翻訳をする
〉 2短文の訳をする
〉と、まるで正反対のことが書いてあります。3は
〉 3毎日1時間をあてる
〉 31日に1時間は勉強する
〉 3毎日授業を受ける
〉と書いてあるものに分かれます。

うーん。

〉「keine か kleine か、それが問題だ!」

kine は no
kleine は little ですね

の訳者は「小さい翻訳をする」ではシュリーマンが他のところで述べている学習法と矛盾するから、英語版(後述)を参考にして、kleineはkeineの誤植であると判断
し、「訳をしない」と訳したと回答をくれました。

英語と同じで、 a little 少し little ほとんどなし という区別も
あるかもしれないですね。

〉 本当に誤植なのかどうかは私にはわかりません。しかし、この謎を解くために私も古本でこの本の原書の英語版を入手して調べてみました。岩波文庫の注釈の中で訳者はシュリーマン自身が同じ本をドイツ語でも英語でも書いたと述べ、この英語版を参照したことを明らかにしています。しかし、今回返事をもらった訳者たちの中には、この英語版はシュリーマンが書いたドイツ語版をだれか別の人が英訳した翻訳本だと言っている人もいて、この点の真偽も私にはわかりません。ただ、この英語版はシュリーマンが著者であることしか出ておらず、訳本であるということをうかがわせるような記述(訳者名など)が一切ありません。

うーん。

〉 
〉 ではこの本には何と書いてあったのでしょうか。以下、引用します。

〉 Necessity taught me a method which greatly facilitates the study of a language. This method consists in reading a great deal aloud, without making a translation, taking a lesson every day, constantly writing essays upon subjects of interest, correcting these under the supervision of a teacher, learning them by heart, and repeating in the next lesson what was corrected on the previous day.

〉 いかがでしょう。「翻訳をせずに大量に音読をする」と「毎日(1)授業を受ける」となっていますね。この英語版に従うとシュリーマンの言う理想的外国語学習法は

〉 1翻訳をしない大量の音読をする。
〉 2常に興味のあることについて作文を書く。
〉 3毎日授業を受ける。その際に教師にその作文を添削してもらい、
〉  それを翌日の授業で暗誦する。

〉となりませんでしょうか。

なるほど、シュリーマンさんのは、むしろ、暗唱による
学習法ですね。

〉 残る謎は「英語版はだれが書いたか」「kleine は keine の誤植か。誤植であるとすれば、いつ生じた誤植か(ドイツ語版は1961年までに9版を数えています)。もしかしたら初版から kleineとなっていたのかも」「eine Stunde nimmtの意味は何か」です。
〉 以上、ご参考になれば幸いです。

ドイツのシュリーマンの研究者とかに聞いてみれば
なにかわかるかも知れませんね。

情報提供ありがとうございました。
シュリーマンの考えたは、大筋で私達と同じであるものの
detail では、かなり違う方法であるように感じました。

研究会の名前を改名しないといけないかも知れませんね。

Sikkari Siteyo Sakai sensei
の略称でしょうか(笑)

〉 


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[賛成] 84. Re: シュリーマンの方法

お名前: 河手真理子(SSS英語学習法研究会)
投稿日: 2001/11/26(13:09)

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柴田さん、こんにちは。
マリコです。
すごいですね、4つの訳本をくらべて調べてみるなんて、シュリーマンをずいぶん詳しく研究されているのですね。

〉〉「keine か kleine か、それが問題だ!」

〉kine は no
〉kleine は little ですね

そのとおりだとおもいます。
あきおさんの指摘のとおりだと思います。
kein はno とおなじで、never という強い感じですが、
klein はlittle で、
a little が少しはあるという肯定的な意味を含んでいるのに対して
little  ほとんどないというネガティブな意味をあらわしている英語の使い方と
同じだと思います。

だから、kleine 翻訳 で、ほとんど訳さないで、となるんだと思います。
eine kleine なら、少しは訳しながら読みましょうということになるんでしょうね。
シュリーマンが訳さないで読みましょうといっはいても、表現上、「決して訳な
いで」、というような強い口調をふくんだkeinはつかいたくないんじゃないでしょうか。

だから、訳者が誤植だと思って変えちゃったというのは、ひどいと思います。
それに、「短文の訳をする」という訳もひどいです。

それにしても問い合わせに対して、岩波文庫から返事がこないというのは不親切な出版社ですね。


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86. Re: シュリーマンの方法

お名前: 柴田武史
投稿日: 2001/11/26(18:03)

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こんにちは。シュリーマンの方法についてもう少し書き込みます。

シュリーマンの言う理想的外国語学習法の
 1.翻訳をしない大量の音読をする。
 2.常に興味のあることについて作文を書く。
 3.毎日授業を受ける。その際に教師にその作文を添削してもらい、
   それを翌日の授業で暗誦する。
の三点に出ていないことを、彼の自伝の他の記述から考えて補足すると

 1.翻訳をしない大量の音読をする。+音読したものを完全に暗記する。  
 2.常に興味のあることについて作文を書く。
 3.毎日授業を受ける。+文法の説明など、必要な指導を受ける。
   その際に教師にその作文を添削してもらい、それを翌日の授業で暗誦する。

になるだろうと思います。1.の+内容については彼の自伝からそれは明らかです。3.の+の部分は私の推測ですが、授業を受けるのだから単に作文の添削だけではなかったでしょうし、添削してもらう際になぜ間違いなのかなどの説明は受けたと考えてもよいと思います。ただし、文法規則を規則として暗記するような勉強はしなかったと、ギリシャ語の勉強について述べた個所で断言しています。

 英文の暗記について彼は自伝に次のように書いています。前の書き込みで引用した個所にすぐ引き続いて、
 My memory was bad, since from my childhood it had not been exercised upon any object; but I made use of every moment, and even stole time for study. In order to acquire a good pronunciation quickly, I went twice every Sunday to the English church, and repeated to myself in a low voice, every word of the clergyman's sermon. I never went on my errands, even in the rain, without having my book in my hand and learning something by heart; and I never waited at the post-office without reading. By such methods I gradually strengthened my memory, and in three months' time found no difficulty in reciting from memory to my teacher, Mr. Taylor, in each day's lesson, word by word, twenty printed pages, after having read them over three times attentively. In this way I committed to memory the whole of Goldsmith's Vicar of Wakefield and Sir Walter Scott's Ivanhoe. From over-excitement I slept but little, and employed my sleepless hours at night in going over in my mind what I had read on the preceding evening. The memory being always much more concentrated at night than in the day-time, I found these repetitions at night of paramount use. Thus I succeeded in acquring in half a year a thorough knowledge of the English language.

 夜もろくに寝ないで暗記に励んだと書いてありますね。それにしてもすごいものです。引用した個所の最後の方にある I found these repetitions at night of paramount use.のところはイタリック体になっており、強調されています。夜の方が記憶力が増大するので、寝る時間を削って必死に暗記したらよいと薦めているのですね。

 彼はこのあと、同じ方法でフランス語を勉強して、6ヶ月で仕上げたと述べます。その際にも小説を二冊暗記したということです。1年間英語とフランス語の勉強を絶え間なく行った結果、記憶力が鍛えられ、オランダ語、スペイン語、イタリヤ語、ポルトガル語を流暢に書いたり話したりできるようになるのにそれぞれ6週間しか要さなかったとも述べています。

 後に仕事上の必要からロシア語を勉強することにしたのですが、この際にはロシア語の先生がどうしても見つからず、まったくの独学でした。彼は文法書と辞書とフランス語の勉強のときに暗記した小説のロシア語の訳本しかなかったので、まず数日文法書を勉強して文字と発音を覚え、それから小説を音読して丸暗記し、さらに作文を書いてそれを暗記しました。以下、引用します。

 Then, following my old method, I began to write short stories of my own composition, and to learn them by heart. As I had no one to correct my work, it was, no doubt, extremely bad; but I tried at the same time to correct my mistakes by the practical exercise of learning the Russian Aventures de Telemaque by heart. It occurred to me that I should make more progress if I had some one to whom I could relate the adventures of Telemachus; so I hired a poor Jew for four francs a week, who had to come every evening for two hours to listen to my Russian recitations, of which he did not understand a syllable.

 シュリーマンのロシア語の小説の音読を聞いていたユダヤ人はロシア語が一言もわからなかったのですが、シュリーマンは彼に向かって毎日2時間音読を続けたというわけです。

 As the ceilings of the rooms of the common houses in Holland consist of single boards, people on the ground-floor can hear what is said in the third storey. My recitations therefore, delivered in a loud voice, annoyed the other tennants, who complained to the landlord, and twice while studying the Russian language I was forced to change my lodgings. 
 声高の音読のせいで下宿を二回も変わらねばならなかったほどの熱心さで音読と暗記に努めた様子が述べられています。
 わずか6週間の勉強でロシア語で手紙を書いたり会話をしたりすることができるようになったシュリーマンは、その後ロシアに行き、ロシア語の力を生かして取引に成功します。彼はまた、ロシア語の勉強をしたのちにそれまで学んだ諸外国語の文学作品を真剣に読むようになったと述べています。

 彼は最終的にはラテン語やギリシャ語(古典・現代語の両方)をも習得し、憧れのホメロスを存分に堪能することができるようになります。その際も徹底的な文章暗記によって語法をマスターしたと述べています。そこのところを、長いですが、引用します。今日の日本の中高での英語教育をほうふつとさせる記述も含まれています。

  I again faithfully followed my old method; but in order to acquire quickly the Greek vocabulary, which seemed to me far more difficult even than the Russian, I procured a modern Greek translation of Paul et Virginie, and read it through, comparing every word with its equivalent in the French original. When I had finished this task, I knew at least one-half the Greek words the book contained, and after repeating the operation I knew them all, or nearly so, without having lost a single minute by being obliged to use a dictionary. In this manner it did not take me more than six weeks to master the difficulties of modern Greek, and I next applied myself to the ancient language, of which in three months I learned sufficient to understand some of the ancient authors, and especially Homer, whom I read and re-read with the most lively enthusiasm.
I then occupied myself for two years exclusively with the literature of ancient Greece; and during this time I read almost all the classical authors cursorily, and the Iliad and Odyssey several times. Of the Greek grammar, I learned only the declensions and the verbs, and never lost my precious time in studying its rules; for as I saw that boys, after being troubled and tormented for eight years and more in schools with the tedious rules of grammar, can nevertheless none of them write a letter in ancient Greek without making hundreds of atrocious blunders, I thought the method pursued by the schoolmasters must be altogether wrong, and that a thorough knowledge of the Greek grammar could only be obtained by practice--that is to say, by the attentive reading of the prose classics, and by committing choice pieces of them to memory. Following this very simple method, I learnt ancient Greek as I would have learnt a living language. I can write in it with the greatest fluency on any subject I am acquainted with, and can never forget it. I am perfectly acquainted with all the grammatical rules without even knowing whether or not they are contained in the grammars; and whenever a man finds errors in my Greek, I can immediately prove that I am right, by reciting passages from the classics where the sentences employed by me occur.

 彼は Paul et Virginie のギリシャ語訳を原本と引き比べて単語を覚えたと書いていますが、このフランス語の原本は彼がフランス語を学んだときに丸暗記したものでした。辞書は使わなかったけれど、単語の意味はフランス語と比べながら確認したということですね。
 古典ギリシャ語の学習では文法書は使わず、実例を暗記しただけだと述べています。そういう方法で勉強したので、ギリシャ語で自由にかけるし、もしだれかが、お前のギリシャ語に間違いがあると言えば、暗記している古典ギリシャ語の一節を暗唱して、その用法がどこにあったのかを証明することができるとも言っています。

 彼の学習法は graded readers(なんてものはなかったですね、あの時代に!)を使いながら、自然にルールと語彙を身につけていくというのとはちょっと違うようですね。大量に文章を読んでいるというところはSSSと共通していますが、彼は読んだものをうわばみのごとく丸呑みにして暗記してしまい、それを基に文を書いたり話したりして上達を図るというやり方ですから、これもSSSのシャドウイングで話せるようになるというのと違うようです。

 


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99. Re: シュリーマンの方法

お名前: やまきた
投稿日: 2001/11/29(11:05)

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> eine kleine なら、少しは訳しながら読みましょうということになるんでしょうね。

原文がないのでなんとも言えませんが,後続の「翻訳」という名詞が複数だったら,eineはつけられないんじゃないでしょうか。
それにドイツ語のeine kleineに「少しは」というニュアンスはないと思いますよ。

> だから、訳者が誤植だと思って変えちゃったというのは、ひどいと思います。

このご意見には反対。
「少しは訳す」という訳をする方が,気分的にはごまかしが入っているはずです。全体のバランスを見て,シュリーマンの意見から「klein」ではなく「kein」に訳された方は,勇気と良心があると思います。

> それに、「短文の訳をする」という訳もひどいです。

原文がないのでなんとも言えませんが,日本語としてもヘンですよね,これは。


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