[掲示板: 〈過去ログ〉SSS めざせ100万語 交流の広場 -- 最新メッセージID: 9999 // 時刻: 2024/11/25(14:10)]
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お名前: 駿台生
投稿日: 2002/2/13(11:48)
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〉中には京大の英語のように、極めて難解な英文解釈を課す大学もあるようですが、
〉そうした大学にどうしても入りたいというのでなければ、もっとまともな入試問題
>を出す大学を志望すれば良いのではないでしょうか。
京大の出題する英語がまともでないというのはまずいでしょう。英文の構造は複雑ですが、あの程度の英語はむこうの知識人の多くが書いているものです。わたしも多読は必要だと思いますが、複雑な英文を読み解く方法論なくして単に多くの英文をたくさん読むという幼稚なやり方では京大英語にはまったく対応不能、すなわち知識人教養人の書く英語はまったく読めないということなりませんか?
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お名前: sakigoro
投稿日: 2002/2/13(13:03)
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言葉足らずでした。
京大英語はまともでないというつもりはありませせんし、
その英語は多読だけで対処不可能いうつもりもありません。
私自身は、ほぼ多読オンリーで、受験の時には、あの程度の英語で
構文などで意味がとれないことはほぼないくらいにはなっていました。
ただし、犠牲になったものも大きかったですよ。 英語ばかりで
他の勉強は放棄してましたから。 読書をするのは楽しいので
つらい受験勉強を行ったという気持ちがほとんどありません。
あくまでも個人的な経験に基づく発言であり、私が行った勉強方法の有効性を
無邪気に他の人に無条件に一般化するわけにはいきません。
他の人だと、もっと少ない時間で実力をつけることができるかもしれないし、
逆に、もっと時間がかかるかもしれない。
ただ、大学入試までの時間が限られている受験生が多読ばかりで
あの難解な構文に対処できるようにするには時間が足りないこともありえる。
そうなった場合、状況が許すのなら、志望校の中でも、やさしめの英文を大量に
課す大学を目指した方が良いのではないかという気持ちからの発言です。
上智の外国語学部のように、大量の英文を課す大学でしたら、多読で対処する
方が有効でしょうし。
また、個人的経験からの勘ですが、私が多読を始めたのが高校3年になってからですから、
もっと早い時期からやっておけば、他の勉強も犠牲にすることなく
すばらしい実力をつけることは可能なのではないかと思います。
いずれにせよ、多読によって身につける英語感覚を優先したほうが、後々、実りの多い
ものになると思ってます。
ずっと英語を読みつづけてきて思うのですが、英文の意味がとれないのは
文法的なことよりも、単語にあることが多いのですよ。
それも、わりと簡単な基本単語に近いことも結構あります。
英語の歌詞なんかを読んでみると、難しい構文は使ってません。
でも、それぞれの言葉のもつイメージをきちんととらえてないと
わからないことが多いです。 こうした感覚を養うのは、大量に英語に触れていくしか
ないし、その一番の近道は多読だと思ってます。
あっ、でも駿台生さんは、多読の効果を否定しているわけじゃなくて、
肯定していらっしゃるのでしたね。 後半部分は余計でした。
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〉ずっと英語を読みつづけてきて思うのですが、英文の意味がとれないのは
〉文法的なことよりも、単語にあることが多いのですよ。
文章の質によると思います。小説や詩の場合は英文の構造も単語の辞書的な意味もしっているのになにをいっているのかよくわからないということがよくあります。こういうものを読めるようになる感覚は多読で養うべきなのでしょう。しかし、通常の書物の英語は、内容語より機能語の働きをきちんととらえているかどうかのほうが大事だと思います。
〉英語の歌詞なんかを読んでみると、難しい構文は使ってません。
〉でも、それぞれの言葉のもつイメージをきちんととらえてないと
〉わからないことが多いです。 こうした感覚を養うのは、大量に英語に触れていくしか
〉ないし、その一番の近道は多読だと思ってます。
その通りだと思います。
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>京大の出題する英語がまともでないというのはまずいでしょう。英文の構造は複雑
>ですが、あの程度の英語はむこうの知識人の多くが書いているものです。わたしも
>多読は必要だと思いますが、複雑な英文を読み解く方法論なくして単に多くの英文を>たくさん読むという幼稚なやり方では京大英語にはまったく対応不能、すなわち知識>人教養人の書く英語はまったく読めないということなりませんか?
言葉は教養の道具である以前にコミュニケーションツールです。
また物事を学ぶときには合理的な順序があると考えられており、
高次方程式の前に一次方程式を学びます。
英語を学ぶときにも、教養としての英語以前に、コミュニケーション
ツールとしての英語の土台をしっかりさせることが、近年特に必要に
なってきたと考えます。明治大正時代には、欧米の科学技術や知識を
導入するために、英語文献を読むための英語知識が一番大切でした。
そのために知識を読むことのみが重視され、インタラクティブなやり
とりや、ニュアンスを表現する・解釈することが看過されてきました。
今では多くの人が海外旅行に出かけ、インターネットの発達により
世界各国に友人を持つことも可能になりましたし、日本で手に入ら
ないものもオークションで競り落とせます。面白いゲームもあるよう
です。まず初めはこうした日常でのニーズに対応できる英語を学び、
その後さらに意欲のある人が、知識人の教養ある英語を目指せば良い
のだと思います。
万葉集も源氏物語も平家物語も知らなければ、教養ある日本人
とは言い難いからといって、外国人に電化製品の取説を読むための
日本語より先に古文を教える日本語学校があったとしたら、その
学校が親切だとお考えになりますか?
いきなり小林秀雄氏や江藤淳氏の日本語を読めるようになろう
として途中で挫折して日本語がちっとも読めなくなるより、まず
赤川次郎を読めることを目指せば、多くの人が目標にたどり着け、
日常生活も便利で楽しくなるだろうと思われませんか?