[掲示板: 〈過去ログ〉100万語通過報告 -- 最新メッセージID: 8032 // 時刻: 2024/9/29(08:35)]
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お名前: ako
投稿日: 2004/7/26(22:21)
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KYOさん、しばらくです。akoです。
「初めまして、akoと申します」と言い直した方がいいのかどうか・・・覚えておられるかしら。
KYOさんに、英語リズムのことで、掲示板でたくさんたくさん誉めていただいたこと、
ずっと忘れずにおります。
ご投稿いただいて、どんなに自信がついたか、しれません。
機会があったら、そのことをちゃんとお礼をお伝えしたいと思ってました。
しばらくお名前拝見する機会がなかったので、
もう掲示板に登場されないのでは、と気にしていました。
(ご著書の出ている出版社に問い合わせて連絡先を聞こうか、とさえ思ってました)
実はKYOさんには、どうしても先にお話したいことがあります。それはお詫びです。
以前、私はKYOさんからいただいた投稿に、軽い気持ちで「先生にほめられたー」と書いたのち、
KYOさんから「先生扱いされたくない」というご返答をいただいたのに、
さらに「すみませーん廊下に立ってますー」と、さらにKYOさんを不快にするような文言を返答してしまいました。
冗談とはいえ、質の悪いものであったと思います。
(しかも、お褒めの言葉を頂いた投稿に対して! 恩を仇で返すとはこのことですね!)
少々言い訳をお許しいただければ、(恥ずかしいので小さい字にて失礼します)
教師と見なされるのが嫌なら、教師であることを名乗らなければいいのに、
という、ちょっとした反発もあったこと、告白します。まるで反抗期の中学生みたいですね。お許し下さい。
今、この時の自分を振り返ると、
それほど私は、「英語を読む」ということに自信を持てなかったんだと思います。
自分は、どうせ読めない。
だから、リズムがいいと言われても、意味がさっぱりわからないのだから「いい」とか言われても・・・
というとまどいが、不安の一番の念頭にあったんですね。
だから、英語の先生をしている人から(しかも、すごい学習歴を読ませていただいていたばかりだし)
何を褒められたからと言って、
それは、親の言い付け通りにおつかいに行った園児が、母親から「いい子ねー」と褒められるのと同じに感じてしまったんだと思います。
その証拠に、他の多読仲間の方からの同様の肯定的な言葉には、素直に喜んでいたので、
まさにこれは、「英語ができる人」への劣等感にほかならない、と後で気づいた次第です。
そのことを申し上げる機会がないまま今日まで来てしまいました。
お祝いの場で申し訳ありませんが、改めて、失礼な発言をしました件、お詫びさせて下さい。
すみませんでした。
〉ちょっと報告が遅くなりましたが、7月3日で私もようやく100万語を達成しました。
〉1昨年の2月26日から始めたので、達成までに1年5ヶ月!もかかりました。
冒頭から自分のことばかり申し上げてすみません。申し遅れました。
100万語通過、おめでとうございます。
英語との関わりを、教師や通訳(でしたよね?)として、「できて当たり前」と見なされる位置で関わってこられたKYOさんにとっては、
私のように、英語との関係が無責任でいい立場の者から見たら、
多読との関係は、簡単なことではなかったと思います。
長いシリーズの児童書を、とりあえず1巻・2巻だけ読んでおくという読み方も、
職業上の責任でしている部分があるわけですものね。
ご自分の好みに従って好きなものを読んでいきたいご自分と、
多読授業をする教師の、仕事上の必須知識として洋書世界の全体を把握しておきたいという責任感で読むご自分。
KYOさんの場合は、常にその両方が、境界線をキッチリ引くことなく、
その日のご自分の状況によって、アチラが優位であったり、コチラが優先であったりしながら、
読んでこられたのではないだろうか、と、ご報告を読みながら想像いたしました。(違ってたらごめんなさい)
これまでのご投稿も、ずっと関心をもって読んでまいりました。(ご著書も拝見しました)
私は、文字だけのやりとりでの議論はあまり好みませんので、
何の投稿もせず、ただ拝見するばかりでしたが、
KYOさんは、ご自身の中に複数の視点をお持ちなんだなぁと感じていました。
まずは、旧来の英語教育の視点、その中からご自分の経験で実践されてきた様々な方法論、
そして昨年(からでしたね?)SSSと出会われて、SSSから得た視点。
KYOさんは、それらの複数の立場、視点を、
ご自分の中で統合する過程にあられるように思って読ませていただいておりました。
何の職業でも同様ですが、一つのジャンルで専門を持つ、というのは大変なことですね。
発言は「プロの発言」と見なされ、正当な根拠を求められますが、
誠意を尽くした回答が、必ずしも自分の望むようには受け取ってもらえるとは限らない。
発言の頻度や、発言内容の順番、言葉遣いやレトリック、雰囲気、といった、
発言本来の主旨とは違う部分で、自分が評価されてしまうこともありますし。
ご著書がおありの方だから、きっとご経験済みですね。
掲示板というメディアも、実にむずかしいものです。
〉100万語読んであらためて感じることは、本を読むのは英語でも日本語でもやっぱり楽しいなということです。
〉英語のほうが解像度が落ちるんですが、お話の中に引き込まれて、
〉頭の中を絵が動いてる状態は日本語でも英語でも、私にとっては至福の時間です。
現職の英語教師であられる方が、このように掲示板に参加され、
ご自分が、生徒と同じ本を読んで感動された、ということに感動します。
文字から映像が浮かぶように本を読めるということが、(日本語でも)これからの時代には貴重なことになるのかもしれません。
テレビやDVDの普及で、ますます文字だけから映像を感じるような読書をする機会が減りつつあり、(自分のことです・・・汗)
文字情報と映像情報との、バランスのとり方をどうしていくのがいいのか、手探り状態です。
(私の洋書読書は、文字だけのページはまだまだ非常に苦手で、絵本ばかり読んでます。
あっ! これは英語力の問題ですね!!はははっ!)
〉そして英語教師としてはこれほど多くのものを与えていただいた方法はありませんでした。
英語教師という職業から見て、多読が魅力ある方法だというお話も素敵ですが、
多読は、指導者自身も一人の学習者となる点が、いいですね。
本の感想を語り合う時、年齢も職業も立場も超え、指導者自身も、一人の人間として自分の弱点と向き合い、
水平な関係で、相手と向き合えるように思えます。
そういった意味では、多読指導は英語力だけでなく、人格が問われる仕事のように思えますがいかがでしょうか。
(それだけやり甲斐がある、という意味です)
思春期の若者にしろ、若い成人にしろ、悩みの渦中にある人にとって、
体験「後」の世界にいる人間が何を言っても、説得性を持つのは難しいことだと痛感しています。
相手の反応によって、自分の発言が、「外」の世界からモノを言ってしまっただけだったな、ということに気づかせられたり。
(愛情をもって相談にのったつもりが、裏目に出るといったようなこと)
10代に教えられることは非常に多いですから。若い人ほど厳しいから・・・(^^;;;
悩みの渦中というのは、一種の沼ですね。
(実は、昨日読んだ洋書絵本「Life's Little Fable (Patricia Cornwell)」が念頭に、というか目の前にあります。)
同書で登場する英語は、pond ですが、絵や話の内容から、日本語では「池」よりも「沼」という方が近いと感じました)
もし指導者の立場で、沼にはまっている若い人と接する場合は、
岸辺からモノを言うのではなく、一緒に沼の中に入る期間が、一時的にせよ、必要だと思ったものです。
(もちろん、岸辺の大木と自分を命綱でつなげておいて・・・)
〉来週は、ボランティアで多読の集中講座を毎日3時間×5日間やる予定です
〉4月から始めた授業の方は、わりとうまくいっていて、「多読は楽しい」「読むのが苦にならなくなった」
〉「できるだけ自分でも続けていきたい」といった感想を寄せられています。
こちらのご経験、是非今後、英語教育の広場などでご報告をなさっていただけたらなぁ、と思います。
私などは、受験勉強などもしてしまった成人(中年かも?)のやり直し英語ですが、
10代の人たちの多読の経過を知ることは、大変にプラスです。
英語を何も知らない段階から多読をしたら、どういう経過をたどれるのだろう。。。。
もはや自分では試せないだけに、そういう方の経験を知ることは、一種のあ・こ・が・れ(ぽわ〜ん はぁとマーク)
〉書いているうちに何だか胸がいっぱいになってきました。
〉やっぱり100万語通過うれしいです。
KYOさんのこういう正直なところ、とても好感をもっています。
またの出会いを楽しみにしております。
PS1 杏樹さんに書かれたご返答、楽しませていただきました。全く杏樹さんには触発されます。
PS2 私も高村薫は尊敬する作家です。
高村氏が、自分の家族の死や介護の実体験のことを書いているものを読んだことがありますが、
広く社会に向けて説得性のあるものを書けるというのは、才能だけではないものだと、感じ入っています。
(あ。体験を肥やしにできるのも才能かも。とすればやはり才能か・・・。すぐ自分の書いたものはペンキが剥がれる・・・)
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akoさん、お祝いありがとうございます! すごく読み応えのあるレスをつけてもらって感激しました。 それにしてもakoさんの日本語をかかれる力の幅のひろさというか、 硬軟なんでも書けちゃうんですね、すごいや! 〉しばらくお名前拝見する機会がなかったので、 〉もう掲示板に登場されないのでは、と気にしていました。 4月から7月半ばまで授業でヒーヒーで、掲示板がほとんど読めない状態でした。 〉実はKYOさんには、どうしても先にお話したいことがあります。それはお詫びです。 この後の部分、カットさせてもらいますが、そういうふうに思ってらしたんですか! 私の方こそ軽い気持ちで「先生扱いされたくない」と書いたので申し訳なかったです。 akoさんは、感受性が豊かなんですね〜。私なんか、思ったことを斟酌せずに パッパ言ったり書いたりするから、気づかないでいてすみませんでした。 〉100万語通過、おめでとうございます。 ありがとうございます! うれしいです。 〉ご自分の好みに従って好きなものを読んでいきたいご自分と、 〉多読授業をする教師の、仕事上の必須知識として洋書世界の全体を把握しておきたいという責任感で読むご自分。 〉KYOさんの場合は、常にその両方が、境界線をキッチリ引くことなく、 〉その日のご自分の状況によって、アチラが優位であったり、コチラが優先であったりしながら、 〉読んでこられたのではないだろうか、と、ご報告を読みながら想像いたしました。 ここらへん、akoさん、大当たり!です。あまり線引きせずに、あれこれ読みました。 最初っからパンダ読みもいいところで、レベル0を読んだと思ったら、レベル6にちょっと手をだしたり。 そういう形がたぶん自分にとって一番続けやすかったんだと思います。 〉KYOさんは、ご自身の中に複数の視点をお持ちなんだなぁと感じていました。 〉まずは、旧来の英語教育の視点、その中からご自分の経験で実践されてきた様々な方法論、 〉そして昨年(からでしたね?)SSSと出会われて、SSSから得た視点。 〉KYOさんは、それらの複数の立場、視点を、 〉ご自分の中で統合する過程にあられるように思って読ませていただいておりました。 SSS多読に出会って初めて英語教師としての自分というものに 本当の意義を見出すことができたように思っています。 学習者の人たちが英語ができるようになるのを援助するのが教師の役割だと思っているのに SSSと出会うまでは、どの人もうまくなっていく可能性がなかなか見出せなかったのです。 シャカリキにがんばれば確かにできるようになる道はあるけれど、 だれもがそんながんばれる時間やエネルギーにめぐまれているわけではない。 でもSSS多読なら、どの人も英語ができるようになる可能性がある!と思っています。 〉何の職業でも同様ですが、一つのジャンルで専門を持つ、というのは大変なことですね。 〉発言は「プロの発言」と見なされ、正当な根拠を求められますが、 〉誠意を尽くした回答が、必ずしも自分の望むようには受け取ってもらえるとは限らない。 〉発言の頻度や、発言内容の順番、言葉遣いやレトリック、雰囲気、といった、 〉発言本来の主旨とは違う部分で、自分が評価されてしまうこともありますし。 〉ご著書がおありの方だから、きっとご経験済みですね。 〉掲示板というメディアも、実にむずかしいものです。 読む方々のことをあまり考えずにどんどん書いてしまう(ほとんど独白にちかい) のは私の悪い癖です。その点は気をつけねばといつも思っているのですが。 〉英語教師という職業から見て、多読が魅力ある方法だというお話も素敵ですが、 〉多読は、指導者自身も一人の学習者となる点が、いいですね。 〉本の感想を語り合う時、年齢も職業も立場も超え、指導者自身も、一人の人間として自分の弱点と向き合い、 〉水平な関係で、相手と向き合えるように思えます。 〉そういった意味では、多読指導は英語力だけでなく、人格が問われる仕事のように思えますがいかがでしょうか。 〉(それだけやり甲斐がある、という意味です) 教師と生徒ってそんなに違うものかなっていうのはよく感じます。 教師は成績をつけたり、いろんな意味での管理者であるという点は確かに違います。 でも知識とかの面については、教師—知ってる人、生徒—知らない人ではなくて、 おおきなおおきな「知の世界」があって、そこでは教師の知ってることもごぐごくわずか。 教師も生徒も知ってることの限界性は同じぐらいで、 教師はほんの少しばかり先達だというだけだと私は思っています。 先達だということで少しはアドバイスできたりするけれど、 「世の中、こんなにわからなことがたくさんある、すごいねえ、まだまだいろんなことが学べるぞ」 という感慨を学生たちと共有できたらと思います。 〉思春期の若者にしろ、若い成人にしろ、悩みの渦中にある人にとって、 〉体験「後」の世界にいる人間が何を言っても、説得性を持つのは難しいことだと痛感しています。 〉相手の反応によって、自分の発言が、「外」の世界からモノを言ってしまっただけだったな、ということに気づかせられたり。 akoさんが書いていらっしゃるのとちょっと主旨はずれるかもしれないんですが、 専門学校等で教えていると昨今の経済不況の波が非常に学生たちを脅かしているのがわかります。 就職活動をしていて「もう6社も落とされた」という学生。 就職して半年足らずであまりの長時間労働低賃金にすっかりやつれて辞めますといって来た卒業生。 こういう子供たちを見ていると、これからの不安定な時代を生き抜く 知恵のようなものを彼らが身につける助けをしたいと強く思います。 英語力は私が援助してやれるわずかなことの一つなので、なんとか英語力をつけられるように 専門学校ですから資格等もとれるように働きかけていくつもりです。 でも、これから子供たちは私たちが生きてきたのとはまったく違う社会に生きていくのですから、 (自分の子供について特にそう感じますが)私が助けられることの限界性も強く感じますが。 〉こちらのご経験、是非今後、英語教育の広場などでご報告をなさっていただけたらなぁ、と思います。 〉私などは、受験勉強などもしてしまった成人(中年かも?)のやり直し英語ですが、 〉10代の人たちの多読の経過を知ることは、大変にプラスです。 短期集中の多読講座の報告を英語教育の広場に書きました。 学生たちの底力というか、こんなにやれるんだ!と感心しっぱなしの5日間でした。 〉PS1 杏樹さんに書かれたご返答、楽しませていただきました。全く杏樹さんには触発されます。 〉PS2 私も高村薫は尊敬する作家です。 〉高村氏が、自分の家族の死や介護の実体験のことを書いているものを読んだことがありますが、 〉広く社会に向けて説得性のあるものを書けるというのは、才能だけではないものだと、感じ入っています。 〉(あ。体験を肥やしにできるのも才能かも。とすればやはり才能か・・・。すぐ自分の書いたものはペンキが剥がれる・・・) akoさんも高村薫ファンだというのはうれしい!です。 お読みになったのは『半眼訥訥』でしょうか。 あれを読むと高村さんって真っ当な常識人なんだなと思います、 でも小説の中の情念っていうか、そこらへんすごいから そのギャップが読んでいておもしろかったです。 akoさん、会ってお話してみたいです。 ではでは、ますますHappy Reading!