Re: わかりやすく、おもしろい本。古田裕清 著 『翻訳語としての日本の法律用語』

[掲示板: 〈過去ログ〉多読と英語学習・試験に関する掲示板 -- 最新メッセージID: 1756 // 時刻: 2024/11/24(06:04)]

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316. Re: わかりやすく、おもしろい本。古田裕清 著 『翻訳語としての日本の法律用語』

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(10:08)

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たかぼんさんへ。主観の新茶です。

 上記した西欧の理念に依拠する限り、一定の国の政策が妥当でないと判断した場合には、SSS上においても、各々が提案し、話し合い、一定の方向性を決定し、共同して、適法な方法で、実際に言動に移すことが必要となる。

 それは、恥ずかしいことではなく、したくなければしなくてよいことでもなく、逆に、たとえば、はじめから無力とあきらめ、愚痴等をもって批判に対置していることが、または、無関心であるか、関心があっても適切な言動に移していないことが、恥ずべきことである。


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323. Re: わかりやすく、おもしろい本。古田裕清 著 『翻訳語としての日本の法律用語』

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/25(12:25)

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主観の新茶さん、こんにちは。たかぽんです。(「takapon」です。(笑))

〉たかぼんさんへ。主観の新茶です。

〉 上記した西欧の理念に依拠する限り、一定の国の政策が妥当でないと判断した場合には、SSS上においても、各々が提案し、話し合い、一定の方向性を決定し、共同して、適法な方法で、実際に言動に移すことが必要となる。

〉 それは、恥ずかしいことではなく、したくなければしなくてよいことでもなく、逆に、たとえば、はじめから無力とあきらめ、愚痴等をもって批判に対置していることが、または、無関心であるか、関心があっても適切な言動に移していないことが、恥ずべきことである。

それは新茶さんのお考えであり、古田氏の本では「恥ずべきこと」とは書いていなかったと思います。
(しかし、私が読み落としているだけかもしれませんので、該当箇所があればご指摘ください。)
古田氏がおっしゃっているのは、実際の法を「正義」に近づけようとする理想主義が西欧にはある、までだったと思います。
個人の、愚痴ることや無関心が、「恥ずべきこと」と西洋全体で見なされている、とまでは言えないのではないかと思います。
法改正のために本来とるべき適切な言動、というのが何なのかがよくわかりませんが(デモや陳情?)、
現に、どうしてこんな法律があるんだーなどと西洋人が(デモや陳情もせず)愚痴ってるシーンは当然に多数あるでしょうし、
今や膨大な量になってしまっている現代の法律に無関心であるからといって、それが「恥ずべきこと」であるという感覚が
一般であるとは言えないと思います。法律を知っていないと不利益をこうむることがある、というだけで。

そもそも、よくわからないのですが、西洋における「恥」の観念は、道徳的・宗教的なものであって、
良心にもとるとか、神の教えに反する(神との契約に反する?)、ということだと思います。
現在の法律に不満を持っているが、デモや陳情などの行動をせず愚痴るにとどまったり、
現在の法律に無関心でいることが、良心にもとるとか、神の教えに反する、とまでは、
必ずしも言えないのではないかと思います。

西洋では、伝統的に、「正義」とは何かという議論が非常に膨大に細かくなされていて、
法律をその「正義」に近づけようとする社会的な傾向がある、ということではないでしょうか。
(その「正義」の多様性を認めない場合には、極端に走って怖いことにもなるが。)
個人の行動が「恥」であるかどうかは、その個人の道徳律や信仰に照らした問題であって、
どういう行動をとる(とらない)が一律に「恥」である、と言えることはないと思います。
ですから、たとえば、道徳や信仰を国家が強制するような時代においては、一律の「恥」はあったでしょうね。
たとえばナチスのような全体主義国家時代においては、一定の行動(or行動しないこと)が「恥」であると、
厳しく糾弾されることがあったのではないかと思います。

いろいろ考えさせられる問題ですね。


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328. Re: わかりやすく、おもしろい本。古田裕清 著 『翻訳語としての日本の法律用語』

お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(13:55)

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たかぽんさんへ。新茶です。
.
[url:kb:323]で書きました:
〉主観の新茶さん、こんにちは。たかぽんです。(「takapon」です。(笑))

〉〉たかぼんさんへ。主観の新茶です。

〉〉 上記した西欧の理念に依拠する限り、一定の国の政策が妥当でないと判断した場合には、SSS上においても、各々が提案し、話し合い、一定の方向性を決定し、共同して、適法な方法で、実際に言動に移すことが必要となる。

これは、古田さんの見解です。

〉〉 それは、恥ずかしいことではなく、したくなければしなくてよいことでもなく、逆に、たとえば、はじめから無力とあきらめ、愚痴等をもって批判に対置していることが、または、無関心であるか、関心があっても適切な言動に移していないことが、恥ずべきことである。

古田さんの見解では、最後の「は、恥ずべきことである」は、「は、妥当とはいえない」という程度のものであって、「は、恥ずべきことである」とは述べていない。

これは、私の見解であり、かつ、上記理念を理解する人の一部の考え方である。

「恥」という言葉は、神への、または、人類へのと考えるだけで、非難とは、結びつていない。

しかし、日本でいう「恥」は、人によって、非難と結びつく、相当性を欠く言葉である。
よって、私も、別の言い方をしたほうがよいと考える。

しかし、その言い方にとらわれず、意のあるところを汲まれたい。

〉それは新茶さんのお考えであり、古田氏の本では「恥ずべきこと」とは書いていなかったと思います。
〉(しかし、私が読み落としているだけかもしれませんので、該当箇所があればご指摘ください。)
〉古田氏がおっしゃっているのは、実際の法を「正義」に近づけようとする理想主義が西欧にはある、までだったと思います。
〉個人の、愚痴ることや無関心が、「恥ずべきこと」と西洋全体で見なされている、とまでは言えないのではないかと思います。
〉法改正のために本来とるべき適切な言動、というのが何なのかがよくわかりませんが(デモや陳情?)、
〉現に、どうしてこんな法律があるんだーなどと西洋人が(デモや陳情もせず)愚痴ってるシーンは当然に多数あるでしょうし、
〉今や膨大な量になってしまっている現代の法律に無関心であるからといって、それが「恥ずべきこと」であるという感覚が
〉一般であるとは言えないと思います。法律を知っていないと不利益をこうむることがある、というだけで。

〉そもそも、よくわからないのですが、西洋における「恥」の観念は、道徳的・宗教的なものであって、
〉良心にもとるとか、神の教えに反する(神との契約に反する?)、ということだと思います。
〉現在の法律に不満を持っているが、デモや陳情などの行動をせず愚痴るにとどまったり、
〉現在の法律に無関心でいることが、良心にもとるとか、神の教えに反する、とまでは、
〉必ずしも言えないのではないかと思います。

〉西洋では、伝統的に、「正義」とは何かという議論が非常に膨大に細かくなされていて、
〉法律をその「正義」に近づけようとする社会的な傾向がある、ということではないでしょうか。
〉(その「正義」の多様性を認めない場合には、極端に走って怖いことにもなるが。)
〉個人の行動が「恥」であるかどうかは、その個人の道徳律や信仰に照らした問題であって、
〉どういう行動をとる(とらない)が一律に「恥」である、と言えることはないと思います。
〉ですから、たとえば、道徳や信仰を国家が強制するような時代においては、一律の「恥」はあったでしょうね。
〉たとえばナチスのような全体主義国家時代においては、一定の行動(or行動しないこと)が「恥」であると、
〉厳しく糾弾されることがあったのではないかと思います。

〉いろいろ考えさせられる問題ですね。


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331. Re: わかりやすく、おもしろい本。古田裕清 著 『翻訳語としての日本の法律用語』

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/25(15:24)

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主観の新茶さん、こんにちは。

〉〉〉 上記した西欧の理念に依拠する限り、一定の国の政策が妥当でないと判断した場合には、SSS上においても、各々が提案し、話し合い、一定の方向性を決定し、共同して、適法な方法で、実際に言動に移すことが必要となる。

〉これは、古田さんの見解です。

そうですか?
どこに書いてありますか? ページ数だけでもお願いします。

〉〉〉 それは、恥ずかしいことではなく、したくなければしなくてよいことでもなく、逆に、たとえば、はじめから無力とあきらめ、愚痴等をもって批判に対置していることが、または、無関心であるか、関心があっても適切な言動に移していないことが、恥ずべきことである。

〉古田さんの見解では、最後の「は、恥ずべきことである」は、「は、妥当とはいえない」という程度のものであって、「は、恥ずべきことである」とは述べていない。

「は、妥当とはいえない」というようなことも、古田氏は書いていますか?
西洋には実際の法を「正義」に近づけようとする理想主義の傾向がある、
という事実を述べられているだけで、日本と西洋とどちらがいいかという問題には、
言及しておられないように思うのですが?
もし言及しておられるような箇所があれば、ページ数をお示しください。

〉これは、私の見解であり、かつ、上記理念を理解する人の一部の考え方である。

いえ、新茶さんは「西欧の理念」を誤解されていると思います。
上に書かれている理念は、つまり民主主義のことだと言えると思いますが、
国家など権力が民主主義的に運営されなければならないということ、これは今の西欧の理念の一つだと思いますが、
だからといって、個人が無関心であったり愚痴だけ言ってることが妥当ではない、とは必ずしも言えないと思います。
つまり、それは「西欧の理念」だとは言えない。
すなわち、個人が法律に関心を持たなければならないとか、法律に不満があれば行動(デモとか陳情?)を起こさなければならない、
といった行動律が「西欧の理念」だとは言えないと思います。
何かしないと実際上の不利益を受けることがあるから行動する、というだけのことで。

〉「恥」という言葉は、神への、または、人類へのと考えるだけで、非難とは、結びつていない。

えっ? いや、「恥」という言葉は、もろに、非難と結びついた言葉でしょう。

〉しかし、日本でいう「恥」は、人によって、非難と結びつく、相当性を欠く言葉である。
〉よって、私も、別の言い方をしたほうがよいと考える。

「恥」という言葉は、西洋であっても日本であっても、非難に結びつく言葉だと思います。
ただ、何に対する「恥」かで、大きく異なるのではないかと思います。
大ざっぱに言えば、西洋の場合は宗教的な道徳が元にあって、それに反する場合が「恥」、
日本の場合は、その地域・その時代etc.の「空気」みたいなものに反するのが「恥」、
ということではないかと思います。

〉しかし、その言い方にとらわれず、意のあるところを汲まれたい。

どのへんに新茶さんの意があるのかはよくわかりませんが。。。


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