[掲示板: 〈過去ログ〉多読と英語学習・試験に関する掲示板 -- 最新メッセージID: 1756 // 時刻: 2024/11/24(06:02)]
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247. 要は、自分の直感(happy)にしたがうということ
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/16(19:24)
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fionaさん、こんにちは。
〉たかぽんさん、杏樹さん、極楽トンボさん、再び今晩は。
〉多読三原則について、いろいろ議論があるようですが、
〉私は、いつまでも(多読の量に関わらず)重要な原則だとは思います。(少なくとも私にとっては)
〉単に多読初心者向け、だけとは思えません。
確かに、多読初心者向け、っていうのは違うかもしれません。
多読が進んでる人でも、なんとなくまだ自分のhappy readingがつかみきれてない人には、
とりあえず「多読三原則」を守って読んだほうがいい、と言えるかもですね。
〉その理由は、母語(日本語)で本を読むとき、
〉特殊な例外を除いて、この多読三原則に従って読んでいるからです。
〉別に、誰かに言われた訳ではないのですが、
〉「辞書を引かない」「分からないところは飛ばすか雰囲気で流す」「つまらない本は、途中でやめる」と言うのは、私にとっては、母語(日本語)の読書の自然なスタイルです。
私が思ってるのは、結果的に読書が「多読三原則」のようになる、というのと、
「多読三原則」を守る、というのとは、違うということです。
心が精読・辞書引きをしたいと言ってるのに、「多読三原則」からはずれるから…
と考えて、やらないのは、もったいないなと思うんです。
〉本を読むようになってから、既に(日本語は)数千冊は読んでいますが、(本を読んでいる途中で、またはその後で)辞書を引いたのは多分両手で数えるほどではないかと思います。分からないことを調べたのは、それよりは多いかも知れませんが。
私も、読書中とかに辞書を引いたことは、すごく少ないと思います。
〉(多分3、4才から)ずっと、辞書なんかほとんど引いていませんが、いつの間にか読めるようになっていたという感じです。
〉まあ、英語も同じじゃないの…と思っています。
〉あまり無理に語彙を増やそうとしても、弊害が多すぎるみたいだし…私は、そんなに急ぐ理由も、今のところありません。
はい。それぞれの人の好きなようにしていったらいいと思います。
(そもそも、日本語は、本を読まずにしゃべれるようになったよなぁ、というのが、
長年持っている関心なのですが、それは話題がずれるので、ここまでとします。)
〉ある程度まで英語多読をやってきたら、辞書を引くのも、分からないところを調べてみるのも良いかもしれません。
〉ただ、これを続けるのは、(少なくとも私にとっては)自然な本の読み方ではありません。
〉多読三原則に外れた読み方を続けている場合、どこか無理をした読み方をしています。
〉そう言う読み方が必要な場合は、まあ仕方ないけど、必要もないのにやるのはどうでしょうか?
〉時々やってみるのも良いかも知れないのですが、長期にやると、どこかに変な歪みを作ってしまいそうな気がします(と言うより、私の場合は、途中でイヤになって続かないと思う)。
はい。ですから、本人がどうしてもやってみたい場合には、そうすればいい、と思ってます。
無理する必要なんか全然ない。
「多読三原則は絶対ではない」と言ってるだけです。
〉もし、母語の自然な読書のスタイルが、多読三原則を外れているなら、英語多読でも同じように、多読三原則を外れても良いようには思います。
〉でも、母語の自然な読書スタイルが、多読三原則に従ったものなら、多読三原則を外した読み方は、(その人の)自然な本の読み方ではない可能性が大きいのではないでしょうか。
母語の読書スタイルと、外国語の読書スタイルは、必ずしも一致しないのではないでしょうか?
一致する場合もあるでしょうが、一致しない場合もあると思います。だって母語ではないから。
いずれにせよ、自分の好きなように読めばいいのではないでしょうか。
外国語を読む足がかりとして「多読三原則」があると思っています。
もちろん、その後もずーっと守り続けていいし、「三原則」にはずれた読書をしたくなったら、
そういう読書をしてもかまわないと思います。
〉どのように読むのも、個人の自由ですが、必要もないのに多読三原則を外すのは、本を、どこか無理をして読むことになりそうで、私としては、簡単にお薦めしたくありません。
〉何か、必要があるとか、無理のある(かもしれない)ことを知っていて試みるのなら良いとは思うのですが…。
はい。同感です。
自分の直感がhappyなことをするのが、いいと思います。
〉多読三原則、とらわれ過ぎるのも問題があるのかもしれませんが、あまり軽く考えすぎるのも問題があるように思います。
確かに、自分の直感に従うということに、(私も含めて)現代人は慣れていないのかもしれませんね。
ついつい焦ったり、イヤなこともしなきゃと思ったり、頑張ったりしてしまいます。
なので、そんなことする必要ないよ、徹底的に楽しむだけでいいんだよ、ということを
具体的に教えてくれた「多読三原則」は素晴らしいものだと思います。
でもそれは、やはりあくまでも、「自分の直感にしたがう」に至るための道具であって、
「直感」と「三原則」が矛盾抵触する場合には、「三原則」が「直感」に道を譲るべきなんじゃないか、
と思います。
〉ではでは。
〉P.S.
〉上記の、辞書を引くとか、分からないところを調べると言うのは、あくまでも、本を読みながら…でです。
〉本を読むことに直接関係なく、辞書や百科事典を気の向くまま読んだりすることはあります。
〉でも、語彙を増やすため辞書を読むと言うのは、効率良いのかな?
〉今まで読んできた語彙を、整理するには良いと思いますが、新たな語彙を増やすために読むのは、効率が悪すぎる気がします。
〉知らない語について読んで、「へぇー」と思うのは良いけど、無理やり覚えるのは……。
ですから、それも、最終的には各人の直感にまかせればいいことだと思うんですね。
気分のいいことが、その人にとっての正解なんだと思います。
一日のうち、節目節目に、これはホントに自分がやりたいことなのかな?
惰性とか焦りでやろうとしてないか? 本当に一番やりたいと思ってることは何か?
と自分の感情をチェックしてみることがよいそうです。
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264. Re: 要は、自分の直感(happy)にしたがうということ
お名前: fiona
投稿日: 2008/10/18(21:36)
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たかぽんさん、今晩は。
自分の直感(happy)にしたがうということ、
確かにそうなのですが、
実際は、直感(Happy)のつもりが、そうでなく、
たんなる思い込みで、直感の示すところと外れていることがあります。
そのため、「直感」と言う言葉だけが先行してしまうと言うのも、気になります
ですから、たかぽんさんが最後の方で書かれている、
本当のところはどうか、と確かめることが非常に大事だと思います。
これがないと、「直感」と言っても、
結局、変な方向に行ってしまいそうで…。
私の場合は、「直感」の示す方向と言っても、Happyな方向…とは少し違います。
変な方向だと、どこかに違和感を感じます。
どこかしら、合ってないなあと言う感じ。また、ざらつき感みたいなものを感じます。
音楽で言えば、ある楽器の音が合ってなくて、どこか調和のくずれているような感じでしょうか。
そして、違和感のない方向が、多分「直感」の示す方向。
たかぽんさんの言われている「直感」と、同じかどうかは分かりません。
「多読三原則」については、
前回うまくかけなかったかもしれませんが、
いつまでも、「多読三原則」沿っているのが基本的な(ベースになる)読み方、ではないかと思っています。
ですから、これから外れてはいけないわけではない(でも、多読を始めてしばらくは、守っておいて欲しい)。
でも、外れるなら、ベースとなる読み方とは違った読み方をしている、と意識しておいた方が良いと思っています(要するに、「多読三原則」から外れた読み方の方が本当の読み方だ、と安易に考えるのはどうかと…熟考し、いろいろ試してみての結論なら分かりますが)。
(今は、下の3つ目の問題を無視して書いています)
たかぽんさんの意見とぶつかるものではないと思いますが…。
(ただ、私の方が心配性……?)
「母語の読書スタイルと、外国語の読書スタイルは、必ずしも一致しないのではないでしょうか?
一致する場合もあるでしょうが、一致しない場合もあると思います。」
のところ、
よく考えてみると、これまでの多読を変えなくてはいけないかも知れない問題が潜んでいるように思いました。
「もし、母語の自然な読書のスタイルが、多読三原則を外れているなら、英語多読でも同じように、多読三原則を外れても良いようには思います。
でも、母語の自然な読書スタイルが、多読三原則に従ったものなら、多読三原則を外した読み方は、(その人の)自然な本の読み方ではない可能性が大きいのではないでしょうか。」
と私が書いた部分から説明する必要があります。
この部分の根拠は、それほど確かなものではありません。
1つは、私の場合、日本語と英語とでは読み方のスタイルが、基本的に同じであること。
2つ目は、「日本語では、わからない言葉はすべて辞書で調べて読んでいく」と言う方がおられて、その方は、英語を多読三原則に従って(辞書を引かず)読んだため、とても英語が読みにくかったらしい(辞書を引くと読みやすいらしい)。よって、日本語で辞書を引いて読むのが自然な場合、英語でも辞書を引いて読むのが自然らしいと思われること。
3つ目は、掲示板の投稿を読んでいて、英語も日本語と同じように(同じようなスタイルで)読んで多読されている方が多いような感じがすること。
この3つあたりから、そうではないかと思っていました。
日本語を読む場合、普通は多読三原則に従っている(外れた読み方をする人は少ない)。
そして、英語でも同じ読み方をするのが自然である。
自然な読み方をした方が、多読は楽しく長く続けられる。
と言うのが、英語多読とその三原則のベースになっていると思います。
ところが、考えてみると、そのベースの部分が確かでない。
まず、日本語の自然な読み方が英語でも自然であると仮定します。
その場合、(私は今まで、きちんと考えていなかったのですが)日本語の読み方が多読三原則から外れている人に、英語多読で三原則を強制するのはおかしいですね。
外れた読み方が自然なのだから、まずは同じように外した読み方で英語多読を始める方が良いのではないでしょうか。
いままでの多読は、その配慮が欠けているように思います。
できれば、日本語の読書のスタイルをきちんと確認して、英語多読の始め方を考える必要があるのではないでしょうか。
これまでに、多読三原則があわなくて(本人にとって自然でなくて)英語多読に挫折した方があったかも知れません。
次に、たかぽんさんの言われるように、日本語と英語とでは読み方が違うことが、かなりの可能性である場合(細かな違いではなく、多読三原則の部分で違う場合)。
この場合が、大問題です。
英語多読を始める人に、多読三原則にしたがってやってみましょうと言って良いのかどうか。
これまで英語多読をやめたり、途中で挫折した人は、多読三原則が合わなくて(自然で楽な読み方でなくて)、多読をやめてしまったのかもしれません。
しかし、どんな読み方が良かったのか、日本語の読書スタイルを聞いてみるだけでは分かりません(英語では違っているかも知れませんから)。
まずは、日本語と同じスタイルで始めてみるとしても、途中で何度もチェックするか、いくつかのスタイルを試すなりする必要があると思われます。
実は、これまでこのことを見過ごしていたため、多くの人が多読をやめてしまっていたかも知れない。
実際のところはどうなのか、多くの人の多読を支援したりしたことがないので分かりません。
しかしながら、このあたりのことは、調査・研究して、ハッキリさせた方が良いことではないでしょうか。
場合によっては、今までの英語多読の方法を変える必要があるかも知れません。
でも、誰がどうやって調べるんだろう……???
(と、他人まかせの事しかいえない)
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265. Re: 要は、自分の直感(happy)にしたがうということ
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/18(22:38)
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fionaさん、今晩は。
〉たかぽんさん、今晩は。
〉自分の直感(happy)にしたがうということ、
〉確かにそうなのですが、
〉実際は、直感(Happy)のつもりが、そうでなく、
〉たんなる思い込みで、直感の示すところと外れていることがあります。
〉そのため、「直感」と言う言葉だけが先行してしまうと言うのも、気になります
そうですねぇ。
自分の直感を知る(これが自分の魂が指し示すところだ、と知る?)のには、
ちょっとしたコツというか、技術が必要なのかもしれません。
私も会得してるとは言えなくて、あくまでも「なんちゃって」なのですが…
でも、まぁ、とりあえずhappyな方向がいいんだなって感じでやって行って、
あれ、違った、じゃあ、こっちか?なんていう風に、探検ていうか冒険して行けば
いいんじゃないでしょうかね。
私も、人様のことを見ていて、あー、そっちのほうはマズいんじゃないかな…
なんてこともあるのですが、まぁ、それはご自分で感じないとわからないことなので、
(それに私にはその人にとって何がベストなのかはわからないので、)
黙って見守ることにしよう、と最近は思っています。
〉ですから、たかぽんさんが最後の方で書かれている、
〉本当のところはどうか、と確かめることが非常に大事だと思います。
そうですね。
私も、なんだか「猛然と」ヤル気を出して、やろう!と思うことがときどきあるのですが、
それはあんまり正しい答えではないようです。(私にとっては)
それは人との競争心であったり、自分を良く見せようと思うことだったり、実は焦りからだったりで、
心の声を無視するように盛り上げて盛り上げて感覚を麻痺させて突っ走ろう、としているときです。
あぶないんですね。興奮しているから「楽しい」感じに思えてしまう。
でもその楽しさはニセモノなんです。(私にとっては)
やっぱり、呼吸をととのえて、落ち着いたときに、ほのぼのと楽しく感じるようなことが、
ほんとうの正解のようです。(私にとっては)
〉これがないと、「直感」と言っても、
〉結局、変な方向に行ってしまいそうで…。
そうですね。「興奮」とか「衝動」と取られますとね…。
〉私の場合は、「直感」の示す方向と言っても、Happyな方向…とは少し違います。
〉変な方向だと、どこかに違和感を感じます。
〉どこかしら、合ってないなあと言う感じ。また、ざらつき感みたいなものを感じます。
〉音楽で言えば、ある楽器の音が合ってなくて、どこか調和のくずれているような感じでしょうか。
〉そして、違和感のない方向が、多分「直感」の示す方向。
〉たかぽんさんの言われている「直感」と、同じかどうかは分かりません。
いや、その、「違和感のない方向」が、私の言ってる「直感」と同じであるような気がします。
「違和感のない、落ち着いた感じ」を私はhappyだと思ってるので、ふつうのhappyとは
違うかもしれませんね。。
〉「多読三原則」については、
〉前回うまくかけなかったかもしれませんが、
〉いつまでも、「多読三原則」沿っているのが基本的な(ベースになる)読み方、ではないかと思っています。
そうですね。大方の人にはそれが自然な日本語読書の仕方でしょうし。
日本語読書のように英語読書もしたらいいんだよというのが「多読三原則」ですね。
それについては画期的な提示だったと思います。
〉ですから、これから外れてはいけないわけではない(でも、多読を始めてしばらくは、守っておいて欲しい)。
〉でも、外れるなら、ベースとなる読み方とは違った読み方をしている、と意識しておいた方が良いと思っています(要するに、「多読三原則」から外れた読み方の方が本当の読み方だ、と安易に考えるのはどうかと…熟考し、いろいろ試してみての結論なら分かりますが)。
〉(今は、下の3つ目の問題を無視して書いています)
そうですね。やっぱり、日本語読書と同じように英語読書をするということに
慣れていない人が多い(私もそうだった)と思いますので、ちょっとしばらくは、
多読三原則を守って読んだほうがいいですよ、とアドバイスしたくなりますね。
〉たかぽんさんの意見とぶつかるものではないと思いますが…。
〉(ただ、私の方が心配性……?)
ぶつかってないと思います。
私がただ単に、多読三原則が足かせになってしまうんじゃない?と取り越し苦労をしてるだけで。
私のほうが心配性かも…
〉「母語の読書スタイルと、外国語の読書スタイルは、必ずしも一致しないのではないでしょうか?
〉一致する場合もあるでしょうが、一致しない場合もあると思います。」
〉のところ、
〉よく考えてみると、これまでの多読を変えなくてはいけないかも知れない問題が潜んでいるように思いました。
〉「もし、母語の自然な読書のスタイルが、多読三原則を外れているなら、英語多読でも同じように、多読三原則を外れても良いようには思います。
〉でも、母語の自然な読書スタイルが、多読三原則に従ったものなら、多読三原則を外した読み方は、(その人の)自然な本の読み方ではない可能性が大きいのではないでしょうか。」
〉と私が書いた部分から説明する必要があります。
〉この部分の根拠は、それほど確かなものではありません。
〉1つは、私の場合、日本語と英語とでは読み方のスタイルが、基本的に同じであること。
〉2つ目は、「日本語では、わからない言葉はすべて辞書で調べて読んでいく」と言う方がおられて、その方は、英語を多読三原則に従って(辞書を引かず)読んだため、とても英語が読みにくかったらしい(辞書を引くと読みやすいらしい)。よって、日本語で辞書を引いて読むのが自然な場合、英語でも辞書を引いて読むのが自然らしいと思われること。
〉3つ目は、掲示板の投稿を読んでいて、英語も日本語と同じように(同じようなスタイルで)読んで多読されている方が多いような感じがすること。
〉この3つあたりから、そうではないかと思っていました。
母語(日本語)でも辞書を引き引き読む人がいるんですね。
確かに、日本語と英語、同じ読み方で読むのが自然な感じである、という人が多いと思います。
ただ、やはり、母語でない分、実はよく見てみると、母語の読書とは違うような読み方を
している場合が多いのではないかと思います。
〉日本語を読む場合、普通は多読三原則に従っている(外れた読み方をする人は少ない)。
〉そして、英語でも同じ読み方をするのが自然である。
〉自然な読み方をした方が、多読は楽しく長く続けられる。
〉と言うのが、英語多読とその三原則のベースになっていると思います。
〉ところが、考えてみると、そのベースの部分が確かでない。
〉まず、日本語の自然な読み方が英語でも自然であると仮定します。
〉その場合、(私は今まで、きちんと考えていなかったのですが)日本語の読み方が多読三原則から外れている人に、英語多読で三原則を強制するのはおかしいですね。
〉外れた読み方が自然なのだから、まずは同じように外した読み方で英語多読を始める方が良いのではないでしょうか。
〉いままでの多読は、その配慮が欠けているように思います。
〉できれば、日本語の読書のスタイルをきちんと確認して、英語多読の始め方を考える必要があるのではないでしょうか。
〉これまでに、多読三原則があわなくて(本人にとって自然でなくて)英語多読に挫折した方があったかも知れません。
うーむ。。
ここまで配慮する必要があるのかどうか。
日本語読書のスタイルが英語読書のスタイルになる、とは、やはり、限らないと思います。
日本語は読書なんか始めるずうっと前に話せるようになっている、という事情がありますから、
やはり母語と外国語の読書は同列には語れない。
多読三原則による多読に興味を持って来るような人には、多読三原則を守ったらいいですよ、
と言っていいんじゃないかと思います。
本人が、どうも合わないな、と思われれば、やめたらいいだけなんじゃないでしょうか。
〉次に、たかぽんさんの言われるように、日本語と英語とでは読み方が違うことが、かなりの可能性である場合(細かな違いではなく、多読三原則の部分で違う場合)。
〉この場合が、大問題です。
〉英語多読を始める人に、多読三原則にしたがってやってみましょうと言って良いのかどうか。
〉これまで英語多読をやめたり、途中で挫折した人は、多読三原則が合わなくて(自然で楽な読み方でなくて)、多読をやめてしまったのかもしれません。
〉しかし、どんな読み方が良かったのか、日本語の読書スタイルを聞いてみるだけでは分かりません(英語では違っているかも知れませんから)。
〉まずは、日本語と同じスタイルで始めてみるとしても、途中で何度もチェックするか、いくつかのスタイルを試すなりする必要があると思われます。
〉実は、これまでこのことを見過ごしていたため、多くの人が多読をやめてしまっていたかも知れない。
その可能性はありますね。
でも・・・ そこまで配慮する必要があるのかどうか。
もう、多読する人、それぞれの人の判断に任せればいいのではないでしょうかね。
合う合わない、いろいろあるでしょうし。
〉実際のところはどうなのか、多くの人の多読を支援したりしたことがないので分かりません。
〉しかしながら、このあたりのことは、調査・研究して、ハッキリさせた方が良いことではないでしょうか。
〉場合によっては、今までの英語多読の方法を変える必要があるかも知れません。
うーん・・・
各人の、好きにしたらいいのじゃないのかなぁ・・・
〉でも、誰がどうやって調べるんだろう……???
〉(と、他人まかせの事しかいえない)
ねー。誰がやるんだって感じですよね。
ゆるーく「多読」というくくりで集まって、私はこんなことしてますとかで、
応援したりほめたり刺激し合ったりという場で、いいんじゃないでしょうかね。
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269. Re: 要は、自分の直感(happy)にしたがうということ
お名前: 古川@SSS
投稿日: 2008/10/18(23:57)
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"fiona"さん、たかぽんさん、今晩は。
古川です。 あくまで、部分的な反応です。
〉英語多読を始める人に、多読三原則にしたがってやってみましょうと言って良いのかどうか。
〉これまで英語多読をやめたり、途中で挫折した人は、多読三原則が合わなくて(自然で楽な読み方でなくて)、多読をやめてしまったのかもしれません。
私が見聞きしている範囲では、
多読を途中でやめてしまった人のほとんどは、
1)急激にレベルをあげていって途中で上げきれなくなり挫折
2)内容が幼稚なものはよめないといって挫折
だと思います。