Re:英語多読と多読三原則

[掲示板: 〈過去ログ〉多読と英語学習・試験に関する掲示板 -- 最新メッセージID: 1756 // 時刻: 2024/11/24(06:05)]

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244. Re:英語多読と多読三原則

お名前: fiona
投稿日: 2008/10/16(18:27)

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たかぽんさん、杏樹さん、極楽トンボさん、再び今晩は。

多読三原則について、いろいろ議論があるようですが、
私は、いつまでも(多読の量に関わらず)重要な原則だとは思います。(少なくとも私にとっては)
単に多読初心者向け、だけとは思えません。

その理由は、母語(日本語)で本を読むとき、
特殊な例外を除いて、この多読三原則に従って読んでいるからです。
別に、誰かに言われた訳ではないのですが、
「辞書を引かない」「分からないところは飛ばすか雰囲気で流す」「つまらない本は、途中でやめる」と言うのは、私にとっては、母語(日本語)の読書の自然なスタイルです。

本を読むようになってから、既に(日本語は)数千冊は読んでいますが、(本を読んでいる途中で、またはその後で)辞書を引いたのは多分両手で数えるほどではないかと思います。分からないことを調べたのは、それよりは多いかも知れませんが。

(多分3、4才から)ずっと、辞書なんかほとんど引いていませんが、いつの間にか読めるようになっていたという感じです。
まあ、英語も同じじゃないの…と思っています。
あまり無理に語彙を増やそうとしても、弊害が多すぎるみたいだし…私は、そんなに急ぐ理由も、今のところありません。
 
 
ある程度まで英語多読をやってきたら、辞書を引くのも、分からないところを調べてみるのも良いかもしれません。
ただ、これを続けるのは、(少なくとも私にとっては)自然な本の読み方ではありません。
多読三原則に外れた読み方を続けている場合、どこか無理をした読み方をしています。
そう言う読み方が必要な場合は、まあ仕方ないけど、必要もないのにやるのはどうでしょうか?
時々やってみるのも良いかも知れないのですが、長期にやると、どこかに変な歪みを作ってしまいそうな気がします(と言うより、私の場合は、途中でイヤになって続かないと思う)。
 
 
もし、母語の自然な読書のスタイルが、多読三原則を外れているなら、英語多読でも同じように、多読三原則を外れても良いようには思います。
でも、母語の自然な読書スタイルが、多読三原則に従ったものなら、多読三原則を外した読み方は、(その人の)自然な本の読み方ではない可能性が大きいのではないでしょうか。

どのように読むのも、個人の自由ですが、必要もないのに多読三原則を外すのは、本を、どこか無理をして読むことになりそうで、私としては、簡単にお薦めしたくありません。
何か、必要があるとか、無理のある(かもしれない)ことを知っていて試みるのなら良いとは思うのですが…。

多読三原則、とらわれ過ぎるのも問題があるのかもしれませんが、あまり軽く考えすぎるのも問題があるように思います。

ではでは。

P.S.
上記の、辞書を引くとか、分からないところを調べると言うのは、あくまでも、本を読みながら…でです。
本を読むことに直接関係なく、辞書や百科事典を気の向くまま読んだりすることはあります。
でも、語彙を増やすため辞書を読むと言うのは、効率良いのかな?
今まで読んできた語彙を、整理するには良いと思いますが、新たな語彙を増やすために読むのは、効率が悪すぎる気がします。
知らない語について読んで、「へぇー」と思うのは良いけど、無理やり覚えるのは……。


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245. 語彙増強法の違いによって獲得される語彙力に違いが出るのでは

お名前: 極楽トンボ
投稿日: 2008/10/16(19:13)

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fionaさん、こんばんは。
極楽トンボでーす。

〉もし、母語の自然な読書のスタイルが、多読三原則を外れているなら、英語多読でも同じように、多読三原則を外れても良いようには思います。
〉でも、母語の自然な読書スタイルが、多読三原則に従ったものなら、多読三原則を外した読み方は、(その人の)自然な本の読み方ではない可能性が大きいのではないでしょうか。

多読三原則向きの本とそうでない本って確実にあると思います。また、本を読む目的が異なれば、同じ本を読むにしても多読三原則など守ってられるか!というケースもあるかと思います。つまり、多読三原則に則った読書も、そうでない読書も、とくに不自然とまでは言えないわけです。ましてや、個人の読書生活史によって自然かどうか判断できるようなことではないと思います。ですからわたしは、多読三原則は、ただ単に、読書を通じた外国語の修得の方法的理念にすぎないと考えざるを得ないと思います。

いずれにせよ、多読三原則で語彙を増強できるという前提にたった上で、これをそれ以外の語彙増強法といろいろな面から比較してみる作業がこれから必要になってくるだろうなと思います。なにしろ、わたしにはまだ多読で培う語彙力なんてぜんぜん実感できていないのですから。迷うところです。だから、オレンジさんをはじめ、単語帳で語彙増強を志しているみなさんに、単語帳で培った語彙力と多読で培った語彙力との違いを報告してくださると助かります。

こういう英語に接したり用いる局面ではこういう語彙増強法で増強した語彙が役に立ったけど、別の局面では別の語彙増強法で身につけた語彙の方が役に立ったなんていう報告があったら読みたいです。たとえば、会話の局面と、報道に接する局面なんか違いがあるのでは。


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263. Re: 多読三原則、外国語の習得の方法にすぎない?

お名前: fiona
投稿日: 2008/10/18(19:58)

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極楽トンボさん、今晩は。

多読三原則向きでない本、どんな本かなあと考えてみたのですが、思い当たりませんでした。
一応、日本語の本で…考えてみましたが(英語のものは読んだ量が少ないので)。

ゆっくり精読する本はあるにしても、辞書を引いたり、分からない部分を調べながら読むような本は、特に思い当たりません(特別な場合を除く)。
辞書を引き、分からないことを調べないと読めない本って、今の自分には難しすぎて合っていないものなので、普通は読みません。
そのような場合は、たいてい、同じ内容を、もっと易しく書いたものか、入門書から順に読みます。
これは、人によって違うのかも知れませんが…。

そのような本を無理にでも読まないといけない場合、また、普通に読める本を調べながら読むような場合は、特別な場合ではないかと思います。
例えば、テストがあるとか、レポートを書かないといけないとか、仕事上すぐに必要だとか。
このような場合は、辞書を引いたり、いろいろ調べながら読むでしょうね。

そう言う必要もないのに、辞書を引いたり、調べながら読む。
やって、良い悪いは別として、小説なら、中身を味わえないし、○×新書みたいなのだと、余計に内容がつかめなくなりそうな気もするし(細かいところに意識が行き過ぎて)、
流れをあまりにぶつ切れにして読むのは、普通の読み方でないように思います。
(ただ、中には、きちんとすべて調べながら読むのが普通、と言う方もあるので、すべての人がこうであると言うわけではありません)

英語を多読するとき、何も、無理に特別な読み方をしなくても良いのではないか…と思ったのですが。

場合によっては、辞書を引いたり、何かを調べることもあるかもしれません。
でも、英語多読量が数千万語になっても、基本的には「多読三原則」に沿った読み方をするのが普通なのではないか。
と言うより、自然とそう言う読み方をするのではないかと思っています。
どうなんでしょう?

ではでは。


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299. Re: 多読三原則、外国語の習得の方法にすぎない?

お名前: 極楽トンボ
投稿日: 2008/10/23(15:28)

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fionaさん、すこし遅くなりましたが、極楽トンボのお返事です。

多読三原則向きではない本というのは、何も辞書を引いたり参考書を参照することを要求するような本のことを念頭においているわけではありません。皆さん本を読むときに、本を読みながら考えちゃうことってあるでしょ、考えながら本を読んでいたら、前後読みたいところに飛んで読んだりすることもあるかわりに、読みたいところを考えながらじっくりよんでしまうこともあるのではないでしょうか?わたしは、本を読むときに大事だと思うところや、好きなところを探して、そこを何度もじっくりと意味をよく考えながら読むのが好きです。これって、わからないところは飛ばして読むというSSS多読第二原則に反しているような気がします。

三原則の中でわたしが苦痛なく守れるのは辞書を引かないことだけです。投げ技はできません。でも、200頁くらいだったらわからなくても最後のページまで目を通すくらいはできます。読み飛ばしも苦痛ですが、なんとかやろうと思えばできるようになりました。

いま、レインボウマジックの56巻を読んでいます。YL2.5とされる本ですが、読み飛ばしの術を使って読むと、やっとあらすじがたどれる程度に、ぼやーんとぼやけてしまい、楽しめないので、ものすごくフラストレーションがたまります。これを、こころの和訳マシーンが発動しない程度にゆっくりと読み、その際、読み飛ばしたら意味がつかめなくなるところがどこか確定した上で、返り読みをしない程度にじっくり意味内容を把握するような読み方で読むと飛躍的に解像度が上がります。

このとき、わたしは単語の順番を入れ替えながら和訳するようなことはしていないと思いますが、読み飛ばしたら意味がつかめなくなりそうな箇所に気をつけながら意味を把握する過程で、どうしても文法的分析の真似事をしているのではないかと恐れています。これでは、いかんのではないかなあーと思うのですが、レインボウマジックもたくさん読むと面白くなってきて、あらすじだけわかれば結構、はい次、というわけになかなか参りません。最初はそういうつもりでレインボウマジックを選んだんですけどね。下手をすると、まず一回目は飛ばし読みだけで読み、次に読み飛ばしではよくわからなかった箇所を重点的に読むという、多読だかなんだかわかんない読み方をしたりしてます。

レインボウマジックは、皆さんご承知の通り、妖精界の王様と悪い妖精ジャックフロストとの抗争を、妖精の王様の味方をしてゴブリンたちと戦う女の子二人組の眼から描いた物語です。あんなにおびただしいヴァリエーションが作れるくらいですから、レインボウマジックの物語はかなり骨組みがしっかりできていると思います。

それで、レインボウマジックもだんだん様子がわかってくると、いろいろ疑問が浮かんでくるわけです。ジャックフロストは妖精の王様と戦ったら負けることがわかっているのに、それにもかかわらずなぜ反逆するのだろうか?ジャックフロストおよび、彼のゴブリンたちは愚昧で卑劣で無力なものたちのように描かれているのに、ときどき、えらくかっこよく描かれることもあるのはどうしてだろうか?逆によい子ちゃんのはずの女の子たちや妖精たちもけっこうエグイ手口でゴブリンたちをやっつけたりしているのはなぜなのだろうか?女の子二人組みも妖精たちもみんなすごく似通っていて、千篇一律なのに、うちの幼稚園のむすめはそれらの絵の一つ一つに異常に反応するのはどうしてだろうか?すると、解像度をあげて読みたい箇所が増えてきてしまって飛ばし読みで一丁上がりと言うわけにはいかないのです。

まーこれは単に、わたしがレインボウマジックを読むにはまだ時期尚早であるということなのかもしれませんが、そういう指摘に対しては、レインボウマジックくらい読ましてくれよーと、弱弱しくお答えするほかありません。

そういうわけで、わたしにとって、読み飛ばしてもまったく気にならない本と、読み飛ばしたら楽しめない本との2種類があるわけです。日刊ゲンダイは前者、レインボウマジックは最初の15冊くらいまでは前者だったのですが、だんだん後者になってきてしまって困っています。


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302. Re: 「分からないところは、飛ばす」について

お名前: fiona
投稿日: 2008/10/23(17:14)

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極楽トンボさん、今晩は。

私は、「多読三原則には合わない」、という場合、
「いろんなことを調べたり、文法解析をしたりして」読むのかと思っていました。
失礼しました。

極楽トンボさんの読み方、私個人は、「分からないところは飛ばす」に反しているとは思いません。
単に、じっくり読んでいるだけだと思います。
「多読」の中の「精読」か、それに近い読み方をされているのではないでしょうか。
そのほうが、楽しく読めるようなら別に良いのではないかと(個人的)には思います。

また、「分からないところは飛ばす」は、「読み飛ばす」、ではないと思っています。
この原則に反することとは、「わからない単語にこだわる」「(内容ではなく、語学的に)分からない部分にこだわって、場合によっては文法解析などをする」、
と言うようなことではないでしょうか。
別の言い方をすると、日本語ではしないような、分からない語、部分への「変なこだわり」をすることではないでしょうか。
(人によって、意見が違うかも知れません)

日本語でも、粗めにどんどん読むのが好きな人と、ゆっくり、じっくりと読むのが好きな人とがいます。英語でも同じだと思います。
このあたりは、個人の好みや趣味の問題では…?

ではでは


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306. 「わからないところは飛ばす」について

お名前: 杏樹
投稿日: 2008/10/23(22:16)

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極楽トンボさん、こんにちは。

私も極楽トンボさんの読み方は多読三原則に反している、とは言えないと思います。
去年10月に800万語通過してその時の報告に書いたことですが、そのころ私はロマンス本でPBを何冊も読んでいました。読めるようになったのは、どんどん飛ばしていたからです。1行や2行どころか、数ページでもわからないまま平気で飛ばしていました。
しかし800万語通過本は「ダレン・シャン」でした。ずっと前に読みかけて、難しくて止まっていたのを一気に最後まで読んだのです。それでもけっこう難しくて、すらすらといは行きませんでした。わからないところもたくさんありました。そのとき、ロマンス本のような飛ばし方で読んでいたら内容がつかみにくい、わかりにくいことに気がつきました。それで、もっとゆっくりじっくり読んでみることにしました。わかりにくいところをすっ飛ばさないでゆっくり丁寧に読んでみると、けっこうわかってくるのです。

それで私はこういう読み方が「多読的精読」ではないかという報告をしました。辞書は引いてませんし、和訳してませんし、丁寧に読んでるだけで、無理はしてません。ゆっくり読んでもわからないところはわからないので、そういうところは飛ばします。完璧100パーセントわからなくてもいいんですから。

こういう読み方に気がついたのも、児童書が苦手で、児童書をあまり読まずに無理矢理PBを読み続けて読めるようになったPBの先輩が、PBは1ページや2ページ飛ばしても、1章や2章飛ばしても読める、でも児童書はそんな飛ばし方をしたらわからないから読めないと言っていたのです。
ですから児童書の方がPBよりも丁寧に読んだほうがいい、ということがあるようです。どんな飛ばし方をするかは、自分が納得すればそれでいいんじゃないでしょうか。


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292. Re: 語彙増強法の違いによって獲得される語彙力に違いが出るのでは

お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/10/21(08:42)

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極楽トンボさん、
横から失礼します。

多読を始める前に単語の暗記をしたことのある人は沢山いるはずです。
その体験をつきあわせてみると、
何らかの発見があるかもしれませんね。

僕も昔やったことはあります。
日本語訳とつなげて1000語までやり、
それ以上は続きませんでした。
そのとき暗記した訳語をふりかえって見ると、
あまり正確とは言えません。
多読を通しての矯正が必要だったし、
英文を読んでいるときに訳語がポップアップしてくると読む速度が上がらないので、
その癖が無くなるまで努力が必要でした。
最初から多読を通して英単語を理解する方法の方が正確だし、
矯正にかかる時間を考えれば効率面でもそんなに劣ることはないと感じるようになりました。
そうなるまで10年ぐらいかかったと思います。

それから、
作文に必要な語彙力と、
読書に必要な語彙力は、
分けて考える方が実際的だと僕は思っています。
どちらも多読で思っていますが。


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301. Re: 語彙増強法の違いによって獲得される語彙力に違いが出るのでは

お名前: 極楽トンボ
投稿日: 2008/10/23(16:50)

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"Ry0tasan"さんは[url:kb:292]で書きました:
〉極楽トンボさん、
〉横から失礼します。

Ry0tasan、こんにちわ、極楽トンボです!

わたし、影響を受けやすいほうなので、オレンジさんの投稿を読んだら、DUOに興味がでてしまって、ブッククラブの帰りに本屋でDUOを購入してしまったのです(Oh!Mah!Ah!さんの英語喉は店頭になかったので未購入です)。掲示板のみなさんには内緒でこっそりやってみようかなと思っていたら、Ry0tasanさんにお便りいただきました。わたしがDUOに手を出すなんて、なんでわかったんですか?

〉僕も昔やったことはあります。
〉日本語訳とつなげて1000語までやり、
〉それ以上は続きませんでした。
〉そのとき暗記した訳語をふりかえって見ると、
〉あまり正確とは言えません。
〉多読を通しての矯正が必要だったし、
〉英文を読んでいるときに訳語がポップアップしてくると読む速度が上がらないので、
〉その癖が無くなるまで努力が必要でした。
〉最初から多読を通して英単語を理解する方法の方が正確だし、
〉矯正にかかる時間を考えれば効率面でもそんなに劣ることはないと感じるようになりました。
〉そうなるまで10年ぐらいかかったと思います。

こわーい副作用があるということですね。DUOは、新聞やニュースに出てくる語彙や抽象的な概念語が主です。レインボウマジックにでてくるようなネイティブにとって身近な語彙って、外国人には使いこなせない語彙が多いので、そういう語彙を多読によって身につけるというのは非常に理にかなっていると思います。しかし、新聞報道に出てくる語彙は、抽象的な概念語が多いので、単語集で覚えてもあまり害がないのではなかろうかと愚考した次第。また、大学受験以来、英語の勉強は実質的に多読が初めてのわたしでも、けっこう知っている単語が多かったのは意外でした。これならDUOを覚えるのはそんなに大変じゃないぞ、と意気込んでいたところでした。修正するのにRyotasanでも十年かかるんじゃあ、わたしなんざ生きてる間に修正する見込みがありません。うーん、やっぱやめようかなあ。

〉それから、
〉作文に必要な語彙力と、
〉読書に必要な語彙力は、
〉分けて考える方が実際的だと僕は思っています。
〉どちらも多読で思っていますが。

わたしも中国語学習の経験から、なんとなくそう思っていました。作文時の語彙力は、運用する力が必要であり、読書時の語彙力は運用するほどの力がなくてもいいということでしょうか。でも、酒井先生のブログなど見てると、そういう分け方を否定しているように見えます。一つの単語の背後にどれだけの英語の海を感じることができるかが勝負だとすれば、作文などに運用できるほどの語彙の力がないと、読書も本当の読書にならないような印象を受けます。酒井先生の議論から受けるわたしの印象が酒井先生の議論をどれだけ忠実になぞっているかはよくわかりませんが、作文や読書に必要な語彙がどのようなものであるか、わたしの考えは揺らいでおります。

オレンジ方式でDUOでもやってみようかと思ったのも、単語集で単語の和訳を覚えるのはよくないことと知りつつ、でもある程度語彙がなければ多読はスムースに進まないのではないかと思うからです。VOAスペシャルから、本格的なニュースにうつるにはどうしたらいいか、英字紙などを多読するにはどうしたらいいのか、これはやってみる価値があるかもしれないと思ったわけです。ある程度語彙を身につけておいてから、多読で和臭を拭い去ればよいと考えたのです。


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[喜] 305. Re: 語彙増強法の違いによって獲得される語彙力に違いが出るのでは

お名前: まりあ@SSS http://buhimaman.at.webry.info/
投稿日: 2008/10/23(18:46)

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Ry0tasan、極楽トンボさん、こんにちは。 まりあ@SSSです。

〉〉そのとき暗記した訳語をふりかえって見ると、
〉〉あまり正確とは言えません。

   どんな辞書も単語帳も、宿命的に訳語が正確ということは
   あり得ないと思います。
   2つの言語を「語」単位で対応させることには無理があると
   思うからです。

   緑=green は誤りではありませんが、緑は若葉とかみずみず
   しさをイメージするのに対して、green は鼻くそとか、べとべとの
   モンスターとか、嫉妬に狂った眼差しとか、嫌なものを連想しや
   すい言葉です。訳語としての対応にはさほどの誤差がなくても、
   その単語に結びつくイメージが正反対だったりすることはしじゅう
   あります。

   脊索動物門哺乳綱齧歯目キヌゲネズミ亜科というような、
   学術用語で、各国がまったく同一のものを指し示すように
   言葉の定義をしかるべき機関が定めているとか、衆議院・
   参議院とか各国の行政組織の呼び方など、外務省や報道機関
   が訳語のガイドラインを定めている、あるいは集積回路など
   IT関連の言葉で、これは誰がリードしているのか知りませんが
   英語での定義をそのままもってこないとコンピューターが
   動かないといった特殊事情があって訳語が集約される事情が
   あるもの、など訳語がニュアンスを含んでは言葉として
   成り立たない特殊な事情がある場合は例外となりますね。
   こうした専門用語は、専門用語辞典で学べると思います。

〉〉多読を通しての矯正が必要だったし、
〉〉英文を読んでいるときに訳語がポップアップしてくると読む速度が上がらないので、
〉〉その癖が無くなるまで努力が必要でした。

   そういうものの存在があるかどうかは別として、みなさんの憧れる
   「英語脳」「英語回路」獲得への回り道! 

〉〉最初から多読を通して英単語を理解する方法の方が正確だし、
〉〉矯正にかかる時間を考えれば効率面でもそんなに劣ることはないと感じるようになりました。

   まさに急がば回れ!ですね。

〉こわーい副作用があるということですね。

   副作用で済めばいいですが、一生ペーパーバックを読める
   ようにならなかった人がほとんどでしょう?
   多読でペーパーバックが読めるようになったタドキスト
   仲間は何十人も知っていますが、「DUO単完全暗記でR・パーカー
   が読めた!」とかいう人知りません..      ↑
                           ↑
                  PBとしてはかなりやさしい部類             

〉また、大学受験以来、英語の勉強は実質的に多読が初めてのわたしでも、
〉けっこう知っている単語が多かったのは意外でした。これならDUOを覚え
〉るのはそんなに大変じゃないぞ、と意気込んでいたところでした。

   昔は英語の勉強というと単語の暗記くらいしかなく、イディオム
   とか慣用表現などという用語すらなかったので、若さに任せて
   7,000語くらい叩き込んでいましたけど、Magic Tree House に
   手こずりました。

   DUOを覚えるのは簡単でも、覚えて本が読めないと意味が
   ありません...

〉修正するのにRyotasanでも十年かかるんじゃあ、わたしなんざ生きてる
〉間に修正する見込みがありません。うーん、やっぱやめようかなあ。

   やめておくことをお薦め。時間は大切です。

〉〉それから、
〉〉作文に必要な語彙力と、
〉〉読書に必要な語彙力は、
〉〉分けて考える方が実際的だと僕は思っています。
〉〉どちらも多読で思っていますが。

〉酒井先生のブログなど見てると、そういう分け方を否定しているように
〉見えます。一つの単語の背後にどれだけの英語の海を感じることができる
〉かが勝負だとすれば、作文などに運用できるほどの語彙の力がないと、
〉読書も本当の読書にならないような印象を受けます。

   読書の場合は物語全体から、英語の海が見えてくるので、
   最初から単語の背後まで見えている必要はありません。

   単語を正しく覚えて読書ができるようになるのではなく、読書する
   ことでひとつひとつ単語の背景が見えてくるのです。

   Ry0tasanは、運用語彙(使いこなせるレベルに理解=作文に必要)
   と認識語彙(おぼろげに把握=読書は可能)という差について
   おっしゃりたかったのではないかな? 

   最終的には、かなりの部分が運用語彙レベルの状態で読書しない
   と本当の読書ではないといえるでしょうが、日本語でもある程度は
   認識語彙レベルで読書するのが普通です。たくさん読んで認識語彙が
   運用語彙に昇華します。いきなり運用語彙をふやしてから読書を
   はじめるというわけにはいきません。

 
〉でもある程度語彙がなければ多読はスムースに進まないのではないかと
〉思うからです。VOAスペシャルから、本格的なニュースにうつるにはどう
〉したらいいか、英字紙などを多読するにはどうしたらいいのか、

   今なら金融危機とか、大統領選挙とか大事件が起きたときから
   それ関連のニュースを毎日追っていけば、同じような単語が繰り
   返され、少しずつ変化していきますから語彙も無理なく増えていくと
   思いますが。
   もちろん新聞にも目を通して、「あの話しね」とピンと来るよう
   アンテナをたてておいて、ですが。

Happy Reading!


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314. Re: 語彙増強法の違いによって獲得される語彙力に違いが出るのでは

お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/10/25(09:23)

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しばらく書き込みできなかったんですが、
極楽トンボさん、
おはようございます。

〉"Ry0tasan"さんは[url:kb:292]で書きました:
〉〉極楽トンボさん、
〉〉横から失礼します。

〉Ry0tasan、こんにちわ、極楽トンボです!

〉わたし、影響を受けやすいほうなので、オレンジさんの投稿を読んだら、DUOに興味がでてしまって、ブッククラブの帰りに本屋でDUOを購入してしまったのです(Oh!Mah!Ah!さんの英語喉は店頭になかったので未購入です)。掲示板のみなさんには内緒でこっそりやってみようかなと思っていたら、Ry0tasanさんにお便りいただきました。わたしがDUOに手を出すなんて、なんでわかったんですか?

いえ、
特に誰か特定の人のことを想定して書いたわけではありません。
日本語で英語を身につけようとしている人なら、
この種の疑問が気になる時期は必ずあるので書いただけです。

どういう方法でも、
自分で実際にやってみないと、
本当の効果や副作用は分かりません。
長期的な影響は、
長期的に経験してみないと分かりません。

〉〉僕も昔やったことはあります。
〉〉日本語訳とつなげて1000語までやり、
〉〉それ以上は続きませんでした。
〉〉そのとき暗記した訳語をふりかえって見ると、
〉〉あまり正確とは言えません。
〉〉多読を通しての矯正が必要だったし、
〉〉英文を読んでいるときに訳語がポップアップしてくると読む速度が上がらないので、
〉〉その癖が無くなるまで努力が必要でした。
〉〉最初から多読を通して英単語を理解する方法の方が正確だし、
〉〉矯正にかかる時間を考えれば効率面でもそんなに劣ることはないと感じるようになりました。
〉〉そうなるまで10年ぐらいかかったと思います。

〉こわーい副作用があるということですね。DUOは、新聞やニュースに出てくる語彙や抽象的な概念語が主です。レインボウマジックにでてくるようなネイティブにとって身近な語彙って、外国人には使いこなせない語彙が多いので、そういう語彙を多読によって身につけるというのは非常に理にかなっていると思います。しかし、新聞報道に出てくる語彙は、抽象的な概念語が多いので、単語集で覚えてもあまり害がないのではなかろうかと愚考した次第。また、大学受験以来、英語の勉強は実質的に多読が初めてのわたしでも、けっこう知っている単語が多かったのは意外でした。これならDUOを覚えるのはそんなに大変じゃないぞ、と意気込んでいたところでした。修正するのにRyotasanでも十年かかるんじゃあ、わたしなんざ生きてる間に修正する見込みがありません。うーん、やっぱやめようかなあ。

どのくらい一生懸命にやるかでも後への影響は違います。
訳語の選択肢を示されて何とか正解を選べる程度でとどめれば、
それほど影響は出ないかもしれません。
自動的にポップアップしてくるまでやると、
英文を読む時間が倍ちかくかかるようになるので、
読む速度があがらなくなります。
結果的に、
多読を通して未知語に何度も出会うことが難しくなり、
多読で語彙力をつけることが難しくなるように思えるんです。

時事的な英語に関しては、
Time を10年以上読み続けた経験をふまえて、
背景知識で理解できるのではという気がしていることを、
別のところでも書きました。

日本の小学3年生に読めない新聞記事を、
高校3年生が読めるのは、
日本語で単語の暗記をしたからではなく、
実生活やテレビやさまざまな科目の勉強を通して得た背景知識のためかもしれません。

〉〉それから、
〉〉作文に必要な語彙力と、
〉〉読書に必要な語彙力は、
〉〉分けて考える方が実際的だと僕は思っています。
〉〉どちらも多読で思っていますが。

〉わたしも中国語学習の経験から、なんとなくそう思っていました。作文時の語彙力は、運用する力が必要であり、読書時の語彙力は運用するほどの力がなくてもいいということでしょうか。でも、酒井先生のブログなど見てると、そういう分け方を否定しているように見えます。一つの単語の背後にどれだけの英語の海を感じることができるかが勝負だとすれば、作文などに運用できるほどの語彙の力がないと、読書も本当の読書にならないような印象を受けます。酒井先生の議論から受けるわたしの印象が酒井先生の議論をどれだけ忠実になぞっているかはよくわかりませんが、作文や読書に必要な語彙がどのようなものであるか、わたしの考えは揺らいでおります。

作文に必要な語彙はそんなに多くないと思います。
実用的な文章なら1000語の使いこなしで書けるし、
Graded Reader を読めば分かる通り、
物語だって書けます。
(使いこなせるぐらい熟知していればの話ですが。)

読書に必要な語彙は無限にありそうに思えますが、
背景知識を使って類推しながら読んでも理解できるし、
そうやって読んで行けば、
語彙も増えるように思うんです。

〉オレンジ方式でDUOでもやってみようかと思ったのも、単語集で単語の和訳を覚えるのはよくないことと知りつつ、でもある程度語彙がなければ多読はスムースに進まないのではないかと思うからです。VOAスペシャルから、本格的なニュースにうつるにはどうしたらいいか、英字紙などを多読するにはどうしたらいいのか、これはやってみる価値があるかもしれないと思ったわけです。ある程度語彙を身につけておいてから、多読で和臭を拭い去ればよいと考えたのです。

どんな方法でも自分でやってみなければ自分に対する効果は分かりませんから、
僕も断定的なことは言えません。

この投稿でも、
特定の方法を勧めているわけではないのです。
やってみて感じたことを書いているだけです。

それから、
多読と語彙と辞書の関係について、
まりあさんの新しい本は詳しく分かり易く説明してありますね。

まとまらないですが、
家族が起きて来たので、
ここで切ります。(^-^;)


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339. Re: 語彙増強法の違いによって獲得される語彙力に違いが出るのでは

お名前: オレンジ
投稿日: 2008/10/26(13:13)

------------------------------

〉〉極楽トンボさん、
〉〉横から失礼します。

〉Ry0tasan、こんにちわ、極楽トンボです!

極楽トンボさん、こんにちは。オレンジです。部分レスです。

〉わたし、影響を受けやすいほうなので、オレンジさんの投稿を読んだら、DUOに興味がでてしまって、ブッククラブの帰りに本屋でDUOを購入してしまったのです(Oh!Mah!Ah!さんの英語喉は店頭になかったので未購入です)。掲示板のみなさんには内緒でこっそりやってみようかなと思っていたら、Ry0tasanさんにお便りいただきました。わたしがDUOに手を出すなんて、なんでわかったんですか?

〉〉僕も昔やったことはあります。
〉〉日本語訳とつなげて1000語までやり、
〉〉それ以上は続きませんでした。
〉〉そのとき暗記した訳語をふりかえって見ると、
〉〉あまり正確とは言えません。
〉〉多読を通しての矯正が必要だったし、
〉〉英文を読んでいるときに訳語がポップアップしてくると読む速度が上がらないので、
〉〉その癖が無くなるまで努力が必要でした。
〉〉最初から多読を通して英単語を理解する方法の方が正確だし、
〉〉矯正にかかる時間を考えれば効率面でもそんなに劣ることはないと感じるようになりました。
〉〉そうなるまで10年ぐらいかかったと思います。

〉こわーい副作用があるということですね。DUOは、新聞やニュースに出てくる語彙や抽象的な概念語が主です。レインボウマジックにでてくるようなネイティブにとって身近な語彙って、外国人には使いこなせない語彙が多いので、そういう語彙を多読によって身につけるというのは非常に理にかなっていると思います。しかし、新聞報道に出てくる語彙は、抽象的な概念語が多いので、単語集で覚えてもあまり害がないのではなかろうかと愚考した次第。また、大学受験以来、英語の勉強は実質的に多読が初めてのわたしでも、けっこう知っている単語が多かったのは意外でした。これならDUOを覚えるのはそんなに大変じゃないぞ、と意気込んでいたところでした。修正するのにRyotasanでも十年かかるんじゃあ、わたしなんざ生きてる間に修正する見込みがありません。うーん、やっぱやめようかなあ。

〉〉それから、
〉〉作文に必要な語彙力と、
〉〉読書に必要な語彙力は、
〉〉分けて考える方が実際的だと僕は思っています。
〉〉どちらも多読で思っていますが。

〉わたしも中国語学習の経験から、なんとなくそう思っていました。作文時の語彙力は、運用する力が必要であり、読書時の語彙力は運用するほどの力がなくてもいいということでしょうか。でも、酒井先生のブログなど見てると、そういう分け方を否定しているように見えます。一つの単語の背後にどれだけの英語の海を感じることができるかが勝負だとすれば、作文などに運用できるほどの語彙の力がないと、読書も本当の読書にならないような印象を受けます。酒井先生の議論から受けるわたしの印象が酒井先生の議論をどれだけ忠実になぞっているかはよくわかりませんが、作文や読書に必要な語彙がどのようなものであるか、わたしの考えは揺らいでおります。

〉オレンジ方式でDUOでもやってみようかと思ったのも、単語集で単語の和訳を覚えるのはよくないことと知りつつ、でもある程度語彙がなければ多読はスムースに進まないのではないかと思うからです。VOAスペシャルから、本格的なニュースにうつるにはどうしたらいいか、英字紙などを多読するにはどうしたらいいのか、これはやってみる価値があるかもしれないと思ったわけです。ある程度語彙を身につけておいてから、多読で和臭を拭い去ればよいと考えたのです。

英字新聞が読みたいのであれば、Daily Yomiuriがお勧めです。新聞だから難しいとお思いでしょうが、Daily Yomiuriは全然簡単です。もし、英単語力が足りなくて、Daily Yomiuriが読めないのであれば、読売新聞の同じ記事を読んだ後にDaily Yomiuriを読めばいいと思います(パンダ読みの変形です)。また、英単語力があるけれど、背景知識がなくて読めない場合は、テレビのニュースで背景知識を知っておくと読みやすくなると思います。僕の主観ですが、新聞の読みやすさはDaily Yomiuri<Japan Times(コラム)<Japan Timesだと思います。ご参考までに。

余談ですが、"オレンジ方式"って言われてうれしいです!

Happy Reading!!


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247. 要は、自分の直感(happy)にしたがうということ

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/16(19:24)

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fionaさん、こんにちは。

〉たかぽんさん、杏樹さん、極楽トンボさん、再び今晩は。

〉多読三原則について、いろいろ議論があるようですが、
〉私は、いつまでも(多読の量に関わらず)重要な原則だとは思います。(少なくとも私にとっては)
〉単に多読初心者向け、だけとは思えません。

確かに、多読初心者向け、っていうのは違うかもしれません。
多読が進んでる人でも、なんとなくまだ自分のhappy readingがつかみきれてない人には、
とりあえず「多読三原則」を守って読んだほうがいい、と言えるかもですね。

〉その理由は、母語(日本語)で本を読むとき、
〉特殊な例外を除いて、この多読三原則に従って読んでいるからです。
〉別に、誰かに言われた訳ではないのですが、
〉「辞書を引かない」「分からないところは飛ばすか雰囲気で流す」「つまらない本は、途中でやめる」と言うのは、私にとっては、母語(日本語)の読書の自然なスタイルです。

私が思ってるのは、結果的に読書が「多読三原則」のようになる、というのと、
「多読三原則」を守る、というのとは、違うということです。
心が精読・辞書引きをしたいと言ってるのに、「多読三原則」からはずれるから…
と考えて、やらないのは、もったいないなと思うんです。

〉本を読むようになってから、既に(日本語は)数千冊は読んでいますが、(本を読んでいる途中で、またはその後で)辞書を引いたのは多分両手で数えるほどではないかと思います。分からないことを調べたのは、それよりは多いかも知れませんが。

私も、読書中とかに辞書を引いたことは、すごく少ないと思います。

〉(多分3、4才から)ずっと、辞書なんかほとんど引いていませんが、いつの間にか読めるようになっていたという感じです。
〉まあ、英語も同じじゃないの…と思っています。
〉あまり無理に語彙を増やそうとしても、弊害が多すぎるみたいだし…私は、そんなに急ぐ理由も、今のところありません。

はい。それぞれの人の好きなようにしていったらいいと思います。

(そもそも、日本語は、本を読まずにしゃべれるようになったよなぁ、というのが、
 長年持っている関心なのですが、それは話題がずれるので、ここまでとします。)

〉ある程度まで英語多読をやってきたら、辞書を引くのも、分からないところを調べてみるのも良いかもしれません。
〉ただ、これを続けるのは、(少なくとも私にとっては)自然な本の読み方ではありません。
〉多読三原則に外れた読み方を続けている場合、どこか無理をした読み方をしています。
〉そう言う読み方が必要な場合は、まあ仕方ないけど、必要もないのにやるのはどうでしょうか?
〉時々やってみるのも良いかも知れないのですが、長期にやると、どこかに変な歪みを作ってしまいそうな気がします(と言うより、私の場合は、途中でイヤになって続かないと思う)。

はい。ですから、本人がどうしてもやってみたい場合には、そうすればいい、と思ってます。
無理する必要なんか全然ない。
「多読三原則は絶対ではない」と言ってるだけです。

〉もし、母語の自然な読書のスタイルが、多読三原則を外れているなら、英語多読でも同じように、多読三原則を外れても良いようには思います。
〉でも、母語の自然な読書スタイルが、多読三原則に従ったものなら、多読三原則を外した読み方は、(その人の)自然な本の読み方ではない可能性が大きいのではないでしょうか。

母語の読書スタイルと、外国語の読書スタイルは、必ずしも一致しないのではないでしょうか?
一致する場合もあるでしょうが、一致しない場合もあると思います。だって母語ではないから。
いずれにせよ、自分の好きなように読めばいいのではないでしょうか。
外国語を読む足がかりとして「多読三原則」があると思っています。
もちろん、その後もずーっと守り続けていいし、「三原則」にはずれた読書をしたくなったら、
そういう読書をしてもかまわないと思います。

〉どのように読むのも、個人の自由ですが、必要もないのに多読三原則を外すのは、本を、どこか無理をして読むことになりそうで、私としては、簡単にお薦めしたくありません。
〉何か、必要があるとか、無理のある(かもしれない)ことを知っていて試みるのなら良いとは思うのですが…。

はい。同感です。
自分の直感がhappyなことをするのが、いいと思います。

〉多読三原則、とらわれ過ぎるのも問題があるのかもしれませんが、あまり軽く考えすぎるのも問題があるように思います。

確かに、自分の直感に従うということに、(私も含めて)現代人は慣れていないのかもしれませんね。
ついつい焦ったり、イヤなこともしなきゃと思ったり、頑張ったりしてしまいます。
なので、そんなことする必要ないよ、徹底的に楽しむだけでいいんだよ、ということを
具体的に教えてくれた「多読三原則」は素晴らしいものだと思います。
でもそれは、やはりあくまでも、「自分の直感にしたがう」に至るための道具であって、
「直感」と「三原則」が矛盾抵触する場合には、「三原則」が「直感」に道を譲るべきなんじゃないか、
と思います。

〉ではでは。

〉P.S.
〉上記の、辞書を引くとか、分からないところを調べると言うのは、あくまでも、本を読みながら…でです。
〉本を読むことに直接関係なく、辞書や百科事典を気の向くまま読んだりすることはあります。
〉でも、語彙を増やすため辞書を読むと言うのは、効率良いのかな?
〉今まで読んできた語彙を、整理するには良いと思いますが、新たな語彙を増やすために読むのは、効率が悪すぎる気がします。
〉知らない語について読んで、「へぇー」と思うのは良いけど、無理やり覚えるのは……。

ですから、それも、最終的には各人の直感にまかせればいいことだと思うんですね。
気分のいいことが、その人にとっての正解なんだと思います。
一日のうち、節目節目に、これはホントに自分がやりたいことなのかな?
惰性とか焦りでやろうとしてないか? 本当に一番やりたいと思ってることは何か?
と自分の感情をチェックしてみることがよいそうです。


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264. Re: 要は、自分の直感(happy)にしたがうということ

お名前: fiona
投稿日: 2008/10/18(21:36)

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たかぽんさん、今晩は。

自分の直感(happy)にしたがうということ、
確かにそうなのですが、
実際は、直感(Happy)のつもりが、そうでなく、
たんなる思い込みで、直感の示すところと外れていることがあります。
そのため、「直感」と言う言葉だけが先行してしまうと言うのも、気になります

ですから、たかぽんさんが最後の方で書かれている、
本当のところはどうか、と確かめることが非常に大事だと思います。

これがないと、「直感」と言っても、
結局、変な方向に行ってしまいそうで…。

私の場合は、「直感」の示す方向と言っても、Happyな方向…とは少し違います。
変な方向だと、どこかに違和感を感じます。
どこかしら、合ってないなあと言う感じ。また、ざらつき感みたいなものを感じます。
音楽で言えば、ある楽器の音が合ってなくて、どこか調和のくずれているような感じでしょうか。
そして、違和感のない方向が、多分「直感」の示す方向。
たかぽんさんの言われている「直感」と、同じかどうかは分かりません。
 
 
「多読三原則」については、
前回うまくかけなかったかもしれませんが、
いつまでも、「多読三原則」沿っているのが基本的な(ベースになる)読み方、ではないかと思っています。

ですから、これから外れてはいけないわけではない(でも、多読を始めてしばらくは、守っておいて欲しい)。
でも、外れるなら、ベースとなる読み方とは違った読み方をしている、と意識しておいた方が良いと思っています(要するに、「多読三原則」から外れた読み方の方が本当の読み方だ、と安易に考えるのはどうかと…熟考し、いろいろ試してみての結論なら分かりますが)。
(今は、下の3つ目の問題を無視して書いています)

たかぽんさんの意見とぶつかるものではないと思いますが…。
(ただ、私の方が心配性……?)
 
 

「母語の読書スタイルと、外国語の読書スタイルは、必ずしも一致しないのではないでしょうか?
一致する場合もあるでしょうが、一致しない場合もあると思います。」
のところ、
よく考えてみると、これまでの多読を変えなくてはいけないかも知れない問題が潜んでいるように思いました。

「もし、母語の自然な読書のスタイルが、多読三原則を外れているなら、英語多読でも同じように、多読三原則を外れても良いようには思います。
でも、母語の自然な読書スタイルが、多読三原則に従ったものなら、多読三原則を外した読み方は、(その人の)自然な本の読み方ではない可能性が大きいのではないでしょうか。」
と私が書いた部分から説明する必要があります。

この部分の根拠は、それほど確かなものではありません。
1つは、私の場合、日本語と英語とでは読み方のスタイルが、基本的に同じであること。
2つ目は、「日本語では、わからない言葉はすべて辞書で調べて読んでいく」と言う方がおられて、その方は、英語を多読三原則に従って(辞書を引かず)読んだため、とても英語が読みにくかったらしい(辞書を引くと読みやすいらしい)。よって、日本語で辞書を引いて読むのが自然な場合、英語でも辞書を引いて読むのが自然らしいと思われること。
3つ目は、掲示板の投稿を読んでいて、英語も日本語と同じように(同じようなスタイルで)読んで多読されている方が多いような感じがすること。
この3つあたりから、そうではないかと思っていました。

日本語を読む場合、普通は多読三原則に従っている(外れた読み方をする人は少ない)。
そして、英語でも同じ読み方をするのが自然である。
自然な読み方をした方が、多読は楽しく長く続けられる。

と言うのが、英語多読とその三原則のベースになっていると思います。

ところが、考えてみると、そのベースの部分が確かでない。

まず、日本語の自然な読み方が英語でも自然であると仮定します。
その場合、(私は今まで、きちんと考えていなかったのですが)日本語の読み方が多読三原則から外れている人に、英語多読で三原則を強制するのはおかしいですね。
外れた読み方が自然なのだから、まずは同じように外した読み方で英語多読を始める方が良いのではないでしょうか。
いままでの多読は、その配慮が欠けているように思います。
できれば、日本語の読書のスタイルをきちんと確認して、英語多読の始め方を考える必要があるのではないでしょうか。
これまでに、多読三原則があわなくて(本人にとって自然でなくて)英語多読に挫折した方があったかも知れません。

次に、たかぽんさんの言われるように、日本語と英語とでは読み方が違うことが、かなりの可能性である場合(細かな違いではなく、多読三原則の部分で違う場合)。
この場合が、大問題です。
英語多読を始める人に、多読三原則にしたがってやってみましょうと言って良いのかどうか。
これまで英語多読をやめたり、途中で挫折した人は、多読三原則が合わなくて(自然で楽な読み方でなくて)、多読をやめてしまったのかもしれません。
しかし、どんな読み方が良かったのか、日本語の読書スタイルを聞いてみるだけでは分かりません(英語では違っているかも知れませんから)。
まずは、日本語と同じスタイルで始めてみるとしても、途中で何度もチェックするか、いくつかのスタイルを試すなりする必要があると思われます。
実は、これまでこのことを見過ごしていたため、多くの人が多読をやめてしまっていたかも知れない。

実際のところはどうなのか、多くの人の多読を支援したりしたことがないので分かりません。
しかしながら、このあたりのことは、調査・研究して、ハッキリさせた方が良いことではないでしょうか。
場合によっては、今までの英語多読の方法を変える必要があるかも知れません。

でも、誰がどうやって調べるんだろう……???
(と、他人まかせの事しかいえない)


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265. Re: 要は、自分の直感(happy)にしたがうということ

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/18(22:38)

------------------------------

fionaさん、今晩は。

〉たかぽんさん、今晩は。

〉自分の直感(happy)にしたがうということ、
〉確かにそうなのですが、
〉実際は、直感(Happy)のつもりが、そうでなく、
〉たんなる思い込みで、直感の示すところと外れていることがあります。
〉そのため、「直感」と言う言葉だけが先行してしまうと言うのも、気になります

そうですねぇ。
自分の直感を知る(これが自分の魂が指し示すところだ、と知る?)のには、
ちょっとしたコツというか、技術が必要なのかもしれません。
私も会得してるとは言えなくて、あくまでも「なんちゃって」なのですが…

でも、まぁ、とりあえずhappyな方向がいいんだなって感じでやって行って、
あれ、違った、じゃあ、こっちか?なんていう風に、探検ていうか冒険して行けば
いいんじゃないでしょうかね。

私も、人様のことを見ていて、あー、そっちのほうはマズいんじゃないかな…
なんてこともあるのですが、まぁ、それはご自分で感じないとわからないことなので、
(それに私にはその人にとって何がベストなのかはわからないので、)
黙って見守ることにしよう、と最近は思っています。

〉ですから、たかぽんさんが最後の方で書かれている、
〉本当のところはどうか、と確かめることが非常に大事だと思います。

そうですね。
私も、なんだか「猛然と」ヤル気を出して、やろう!と思うことがときどきあるのですが、
それはあんまり正しい答えではないようです。(私にとっては)
それは人との競争心であったり、自分を良く見せようと思うことだったり、実は焦りからだったりで、
心の声を無視するように盛り上げて盛り上げて感覚を麻痺させて突っ走ろう、としているときです。
あぶないんですね。興奮しているから「楽しい」感じに思えてしまう。
でもその楽しさはニセモノなんです。(私にとっては)
やっぱり、呼吸をととのえて、落ち着いたときに、ほのぼのと楽しく感じるようなことが、
ほんとうの正解のようです。(私にとっては)

〉これがないと、「直感」と言っても、
〉結局、変な方向に行ってしまいそうで…。

そうですね。「興奮」とか「衝動」と取られますとね…。

〉私の場合は、「直感」の示す方向と言っても、Happyな方向…とは少し違います。
〉変な方向だと、どこかに違和感を感じます。
〉どこかしら、合ってないなあと言う感じ。また、ざらつき感みたいなものを感じます。
〉音楽で言えば、ある楽器の音が合ってなくて、どこか調和のくずれているような感じでしょうか。
〉そして、違和感のない方向が、多分「直感」の示す方向。
〉たかぽんさんの言われている「直感」と、同じかどうかは分かりません。

いや、その、「違和感のない方向」が、私の言ってる「直感」と同じであるような気がします。
「違和感のない、落ち着いた感じ」を私はhappyだと思ってるので、ふつうのhappyとは
違うかもしれませんね。。

〉「多読三原則」については、
〉前回うまくかけなかったかもしれませんが、
〉いつまでも、「多読三原則」沿っているのが基本的な(ベースになる)読み方、ではないかと思っています。

そうですね。大方の人にはそれが自然な日本語読書の仕方でしょうし。
日本語読書のように英語読書もしたらいいんだよというのが「多読三原則」ですね。
それについては画期的な提示だったと思います。

〉ですから、これから外れてはいけないわけではない(でも、多読を始めてしばらくは、守っておいて欲しい)。
〉でも、外れるなら、ベースとなる読み方とは違った読み方をしている、と意識しておいた方が良いと思っています(要するに、「多読三原則」から外れた読み方の方が本当の読み方だ、と安易に考えるのはどうかと…熟考し、いろいろ試してみての結論なら分かりますが)。
〉(今は、下の3つ目の問題を無視して書いています)

そうですね。やっぱり、日本語読書と同じように英語読書をするということに
慣れていない人が多い(私もそうだった)と思いますので、ちょっとしばらくは、
多読三原則を守って読んだほうがいいですよ、とアドバイスしたくなりますね。

〉たかぽんさんの意見とぶつかるものではないと思いますが…。
〉(ただ、私の方が心配性……?)

ぶつかってないと思います。
私がただ単に、多読三原則が足かせになってしまうんじゃない?と取り越し苦労をしてるだけで。
私のほうが心配性かも…

〉「母語の読書スタイルと、外国語の読書スタイルは、必ずしも一致しないのではないでしょうか?
〉一致する場合もあるでしょうが、一致しない場合もあると思います。」
〉のところ、
〉よく考えてみると、これまでの多読を変えなくてはいけないかも知れない問題が潜んでいるように思いました。

〉「もし、母語の自然な読書のスタイルが、多読三原則を外れているなら、英語多読でも同じように、多読三原則を外れても良いようには思います。
〉でも、母語の自然な読書スタイルが、多読三原則に従ったものなら、多読三原則を外した読み方は、(その人の)自然な本の読み方ではない可能性が大きいのではないでしょうか。」
〉と私が書いた部分から説明する必要があります。

〉この部分の根拠は、それほど確かなものではありません。
〉1つは、私の場合、日本語と英語とでは読み方のスタイルが、基本的に同じであること。
〉2つ目は、「日本語では、わからない言葉はすべて辞書で調べて読んでいく」と言う方がおられて、その方は、英語を多読三原則に従って(辞書を引かず)読んだため、とても英語が読みにくかったらしい(辞書を引くと読みやすいらしい)。よって、日本語で辞書を引いて読むのが自然な場合、英語でも辞書を引いて読むのが自然らしいと思われること。
〉3つ目は、掲示板の投稿を読んでいて、英語も日本語と同じように(同じようなスタイルで)読んで多読されている方が多いような感じがすること。
〉この3つあたりから、そうではないかと思っていました。

母語(日本語)でも辞書を引き引き読む人がいるんですね。
確かに、日本語と英語、同じ読み方で読むのが自然な感じである、という人が多いと思います。
ただ、やはり、母語でない分、実はよく見てみると、母語の読書とは違うような読み方を
している場合が多いのではないかと思います。

〉日本語を読む場合、普通は多読三原則に従っている(外れた読み方をする人は少ない)。
〉そして、英語でも同じ読み方をするのが自然である。
〉自然な読み方をした方が、多読は楽しく長く続けられる。

〉と言うのが、英語多読とその三原則のベースになっていると思います。

〉ところが、考えてみると、そのベースの部分が確かでない。

〉まず、日本語の自然な読み方が英語でも自然であると仮定します。
〉その場合、(私は今まで、きちんと考えていなかったのですが)日本語の読み方が多読三原則から外れている人に、英語多読で三原則を強制するのはおかしいですね。
〉外れた読み方が自然なのだから、まずは同じように外した読み方で英語多読を始める方が良いのではないでしょうか。
〉いままでの多読は、その配慮が欠けているように思います。
〉できれば、日本語の読書のスタイルをきちんと確認して、英語多読の始め方を考える必要があるのではないでしょうか。
〉これまでに、多読三原則があわなくて(本人にとって自然でなくて)英語多読に挫折した方があったかも知れません。

うーむ。。
ここまで配慮する必要があるのかどうか。
日本語読書のスタイルが英語読書のスタイルになる、とは、やはり、限らないと思います。
日本語は読書なんか始めるずうっと前に話せるようになっている、という事情がありますから、
やはり母語と外国語の読書は同列には語れない。

多読三原則による多読に興味を持って来るような人には、多読三原則を守ったらいいですよ、
と言っていいんじゃないかと思います。
本人が、どうも合わないな、と思われれば、やめたらいいだけなんじゃないでしょうか。

〉次に、たかぽんさんの言われるように、日本語と英語とでは読み方が違うことが、かなりの可能性である場合(細かな違いではなく、多読三原則の部分で違う場合)。
〉この場合が、大問題です。
〉英語多読を始める人に、多読三原則にしたがってやってみましょうと言って良いのかどうか。
〉これまで英語多読をやめたり、途中で挫折した人は、多読三原則が合わなくて(自然で楽な読み方でなくて)、多読をやめてしまったのかもしれません。
〉しかし、どんな読み方が良かったのか、日本語の読書スタイルを聞いてみるだけでは分かりません(英語では違っているかも知れませんから)。
〉まずは、日本語と同じスタイルで始めてみるとしても、途中で何度もチェックするか、いくつかのスタイルを試すなりする必要があると思われます。
〉実は、これまでこのことを見過ごしていたため、多くの人が多読をやめてしまっていたかも知れない。

その可能性はありますね。
でも・・・ そこまで配慮する必要があるのかどうか。
もう、多読する人、それぞれの人の判断に任せればいいのではないでしょうかね。
合う合わない、いろいろあるでしょうし。

〉実際のところはどうなのか、多くの人の多読を支援したりしたことがないので分かりません。
〉しかしながら、このあたりのことは、調査・研究して、ハッキリさせた方が良いことではないでしょうか。
〉場合によっては、今までの英語多読の方法を変える必要があるかも知れません。

うーん・・・
各人の、好きにしたらいいのじゃないのかなぁ・・・

〉でも、誰がどうやって調べるんだろう……???
〉(と、他人まかせの事しかいえない)

ねー。誰がやるんだって感じですよね。
ゆるーく「多読」というくくりで集まって、私はこんなことしてますとかで、
応援したりほめたり刺激し合ったりという場で、いいんじゃないでしょうかね。


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269. Re: 要は、自分の直感(happy)にしたがうということ

お名前: 古川@SSS
投稿日: 2008/10/18(23:57)

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"fiona"さん、たかぽんさん、今晩は。

古川です。 あくまで、部分的な反応です。

〉英語多読を始める人に、多読三原則にしたがってやってみましょうと言って良いのかどうか。
〉これまで英語多読をやめたり、途中で挫折した人は、多読三原則が合わなくて(自然で楽な読み方でなくて)、多読をやめてしまったのかもしれません。

私が見聞きしている範囲では、

多読を途中でやめてしまった人のほとんどは、

1)急激にレベルをあげていって途中で上げきれなくなり挫折
2)内容が幼稚なものはよめないといって挫折

だと思います。 


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