[掲示板: 〈過去ログ〉多読と英語学習・試験に関する掲示板 -- 最新メッセージID: 1756 // 時刻: 2024/11/24(03:56)]
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/16(00:58)
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fionaさん、こんばんは。
いろいろ反応。
〉たかぽんさん、杏樹さん、極楽トンボさん、皆さん、今晩は。
〉いくつか思った事があるので書いておきます。
〉
〉
〉* 精読と多読
〉確か、SSSの掲示板で前に「精読ってなにさ」、みたいなスレッドがあったので蒸し返すみたいで気が引けるのですが、
〉精読と多読とは、対立するものではないと考えています。
〉単に、英語の先生などが、精読と多読を対立するようなことを言っているだけなのではないでしょうか。
あ。そういえば、そう言う先生って、いましたね。
精読と多読、どちらも必要だ、みたいな。
その場合の精読は、構文分析・単語熟語、みっちりやって詳しく読むことだ、と。
今でもそういうことが言われてるんでしょうね。
〉「精読」って、辞書では、「内容を細かく吟味しつつ、丁寧に読むこと」と書いてあります。
〉まあ、そうですよね。
〉辞書を引かないでもできるだろうし、文法解析も必要ないと思います。
〉そういう、上っ面の問題ではなく、どこまできちんと内容を読み取るかが問題なのではないでしょうか。
〉反対語は、「多」読、と言うより、「粗」読では?(こんな言葉あったかな?)
〉(多読の反対は、少読(?)か?)
そうですね。多読の反対は精読でなく少読ですよね。
そして、文法解析して読むという意味での「精読」は、文章の読み方としては
すごく特殊なものですよね。
〉少なくとも、自分の読解力に見合った本を、「内容を細かく吟味しつつ、丁寧に読」んでいるなら、スピードが速かろうが遅かろうが、多く読もうが少なく読もうが「精読」なのではないでしょうか。
そうだと思います。精しく(くわしく)読むのが精読。
〉多読は、読んだ量の多い少ないの問題、精読は、読み方の深さ、丁寧さの問題…でしょうかね?
そう…でしょうかね。
〉* 「分らないところは飛ばす」(多読3原則の一つ)
〉これは、考えれば考えるほど意味が深いように感じます。
〉私が、日本語を読むとき、英語とはレベルは違いますが、やはり「分らないところは飛ばして」読んでいます。
〉聞いたことのない語でも、適当に雰囲気でよんで飛ばしてます。
〉正確に言うと、「分らないところは飛ばす」というより、「雰囲気で読んで流す」ですね(英語もそんな読み方のような気がする)。
大いに同感。
日本語でも英語でも、なんか、自動的に飛ばして読んでますよね。
〉それよりも、問題なのは、「分かったつもりで読んでいる」部分でしょう。
〉本当に分っているかどうかと突っ込むと、多分、分っているところは無いのかも知れません。
そうだと思います。
たとえば「社会」って言葉の意味、ほんとにわかってんのか?と凄まれたら、
あ、わかってません、すみません…と答えるほかないように思います。
〉例えば、「DNA」と言う言葉が出てきて、その語を本当に分っているのかどうか。
〉「DNA」って遺伝子の本体。
〉でも、それだけではなく、
〉塩基の並び方とアミノ酸の関係から始まって、生体内でのDNAの複製の方法や、それに関わる酵素とその働き、複製エラー時の処理…等、分厚い本1冊分くらいのこと、いや、それ以上の事がわかっているはず。
〉本当に分るには、全部知って、理解してないと。
〉(DNAについて分ってないこともたくさんあるはず。それも考えたら、世界に「DNA」と言う言葉について、本当に知っている人はいないことになる)
そうですね。つきつめるとね。
〉「自由」ってなにか。
〉私には、ボヤッとしか分かりませんが、多分、本が何冊もかけるくらいいろんなことがあると思う。
〉分かったつもりで読んでいるだけ…のように思う。(私の場合)
いや、ほんとに、日常ありふれた言葉のほうが、かえって難しいかもしれません。追究すると…
ちょっとずれるかもしれませんが、英単語に単純に一対一対応風に日本語訳を当てて覚えた場合、
この弊害がとても大きいような気がします。
明治になってから、漢語を作って当てたような外来語が多いですが、
その漢語を思い出せば事足れりとなってしまってることが多いと思います。
たとえばrepublicという言葉は「共和制」などと訳されますけれど、何のことか?
日本は共和国なのか?
英英を引きますと、王とか女王のいない政治体制・国、みたいな説明がなされています。
だから、イギリスはrepublicではないし、実は日本も、天皇は君主だという説をとれば、
republicではなく、立憲君主国(constitutional monarchy)だということになります。
明治時代にはイメージできたけれど、今となってはよくわからない漢語に置き換えられている言葉は、
「訳せるけれど意味がわからない」ということがとても多いように思います。
ここらへんが、某S先生のおっしゃる、アダム・スミスの国富論を原書で読んでる人はいても
ほんとに理解してる人はごくわずか、ということにつながるのではないかと思います。
なので、やっぱり、一対一対応的に日本語訳を覚えてしまうんじゃなくて、
ほんとにごくごく易しいところから、「生で」、言葉を身につけていくことが、
すごく大事なことなんじゃないかと思ったりします。
彼らの考え方を本当に理解する、という意味で、国家的に大事なことかもしれません。
(また、一部のエリートだけが欧米人を理解している、ということのないように、
彼らに使われる我々庶民が(笑)、彼らの考え方を理解することが必要だとも思います。
一対一対応日本語訳を覚えさせられることは、バカ養成ギプスをつけられるということで、
「奴隷への道」なのではないかと、かなり被害妄想的な考えに耽ったりもします。)
〉実際、日本語の本を読んでいる時は、どうしているか。
〉上の方のレベル(多分上っ面)が分っただけで、そのまま読んでいる。
〉深いレベルのことは、分らないまま飛ばしてます。
〉これは、英語多読をしているとき(分からないところは、飛ばす(雰囲気で読んで流す))と、本質的には変わらないような気がする。
〉多少、レベルが違うだけで、いわゆる、五十歩百歩。
そうだと思うんですが、ただ、日本人は、日本の新聞に書いてある言葉が、
ほとんどわかっていないのではないかという気もしています。(たぶん、書いてる人も。)
というのは、政治・経済に関する言葉には、外来語を漢語にした概念が多いからです。
たとえば「権利」はrightの訳語ですが、これひとつ取っても外国人の理解とは異なります。
日本語の「権利」には、「自分勝手」みたいなイメージがありますが、rightには、
「法によって正しいと認められる」という意味が含まれているように思います。
(だから福沢諭吉は、「権理」と訳せと言っていたようです。)
こういうことが、新聞に載っているようなことにはいっぱいあって、
書いてるほうも読んでるほうも、本来の意味するところがよくわかっていない、
という状態なんじゃないかと思います。
〉分からないところは、分かるまで調べろ、なんて不可能。
〉そう思いません?
〉(ある程度のレベルで、妥協するしかないと思います。)
それはそうだと思いますね。
〉* 英文和訳
〉これ、私には、難しすぎてできません。
〉単に、いわゆる直訳なら、少しはできるかもしれませんが、
〉英語を、正確に日本語に置き換えることは(私には)できません。
うーん。する必要がなければ、しなくてもいいんじゃないでしょうか?
〉Nate the Greatに、
〉「I, Nate the Great, am a detective.」
〉と言うような文が、最初にあるのですが、これが日本語にならない。
〉「Nate the Great」をどう置き換えたら…と言うのもあるのですが、それ以外の問題がたくさん。
〉「Nate the Great」は、取りあえず、「ネイト」でごまかすにしても、どういう日本語の文にすれば良いのだろう?
〉直訳「私、ネイトは探偵です」…は、ものすごく気持ち悪い。
〉まず、「I」は「私」、じゃないだろ!
〉ハードボイルドだったら、やはり、「俺」でしょうが。
〉でも、よい子のネイト君には「俺」は似合わない。
〉となると…「ぼく」…かぁ?
〉これで、数週間は悩んだね。
〉「ぼく、ネイトは探偵だ」
〉何か可愛すぎる。
〉と数ヶ月悩んだ末、「名探偵コナン」風にしてみた。
〉「ぼくは、ネイト。…探偵さ。」(「…」のところで、すこし間がある)
〉よい子がちょっといきがっている感じ。
〉直訳より、かなりましだと思うが、
〉元の英語のイメージとは、まだ、ずれている感じがする。
〉どんな日本語にすればピッタリか、
〉1年程たった今でも分からない。
新聞記事を訳すなんかよりも、こういうもののほうが、難しいですよね。
(まぁ、訳さなくってもいいと思うけれど…)
〉(そう言えば、MTHで出てきた「Coming」も、考えてみたけど日本語にならんかった。)
いわゆるカンタンなものほど、訳しづらいですよね。
〉なんで、学校って、最初から英語を日本語に訳させるの?
〉直訳だと、イメージがずれまくるし、イメージを正確に保って訳そうとするとすごく難しいし。
〉英文和訳ばっかりさせたら、言語感覚がおかしくなるか、途中で難しすぎて挫折するか…になりそうな気がする。
どうしてなんでしょうね。
まぁ、「理解度」がわかりやすい、成績がつけやすい、という理由が一応考えられますが、
さぁ、どうなんでしょうね。
〉まだあるけど、長いので終わります。
〉ではでは。
秋の夜長、ちぢにいろいろ考えてしまいますよねぇ。。
それでは〜
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お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/18(12:44)
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1 たかぼんさん こんにちは。(主観の)新茶です。
〉たとえば「権利」はrightの訳語ですが、これひとつ取っても外国人の理解とは異なります。
〉日本語の「権利」には、「自分勝手」みたいなイメージがありますが、rightには、
〉「法によって正しいと認められる」という意味が含まれているように思います。
〉(だから福沢諭吉は、「権理」と訳せと言っていたようです。)
2 以下は、西欧の基本思想の通説の記述です。
英語など言語理解の前提となる知見であるので、ここで述べて良いでしょうか。
西欧(アメリカ及びイギリスをもちろん含む)の基本思想のひとつは、正義を具体化した存在が、権利であるということです。
正しさ、つまり、正義が先に存在し、権利は、正義を化体した存在にすぎないという理念に導かれています。
権利は、「法によって始めて認められる」ものではありません。
権利は、普通の人間の本性=正義として、自然のうちにあるという、自然法の思想に、本来由来する。
正義は、また、道徳または倫理と同値であり、権利は、法と同値であります。
「法」と「正義」は、別個であるという考えは、ありません。
したがって、法を実現することは、いつも必ずしも正義ではないという考えでは、ありませんし(西欧の基本理念では、法の実現は必ず正義です)、正義は、法とは、別のところにあるという考えもありませんし、法は、お上が作ったから、守らされるのであって、正義とは必ずしも結びつかないという考えもありませんし、悪いことだと思うのは法を犯したからだが、なぜその法があるのか、理由がわからないというような言いぐさが通るという考えもありません。
なぜなら、自分で作ったものという理念ですから。
この理念を捨てて、統治者、つまりお上が、勝手に、物事を進めていると言動するのでは、言語政策であれ、教育政策であれ、自分を否定した、責任逃れの、恥ずべき言動にすぎません。
全ての政治活動は、法に依拠しなければならないから(法による支配)。
西欧では、法は、道徳を前提としており、道徳の一部が昇華したものが、法です。
道徳及び倫理は、西欧の人たちにとって、自らが自分で決めたから、積極的に守る規範であり、道徳及び倫理は、正しいこと=正義であり、正義を具体化したのが、権利であり法であり、権利ないし法を実際に実現することは、正義であり、道徳そのものである。
以上について、わかりやすい文献があれば、将来、紹介します。
3 正義の実現が権利であり法であるという理念の理解を前提として、ちなみに、補足説明として、言葉の由来(語源など)の上で、考えます。
権利は、right英 das Recht独 le droit仏の翻訳語です。
これら西欧語の原語は、「まっすぐ」を意味する「好感度の高い言葉」であり、そこで、「まっすぐは、正しい=正義」が派生し、中世になって、改めて法を考えるとき、「正しい意味だから、正義をも意味するrightを、法という意味にも転用しよう」ということになって、rightは、法の意味を始めて具有するに至った。
rightが、「右」の意味を具有するのは、さらにその後のことである。
なお、原語reht(何を原語とするか、または原語の品詞によって、単語のスペルは、異なるから、別のスペルもある。ここでは、説明の便宜上、ドイツ語の動詞の過去分詞形を載せています。)に関連したラテン語を原語とし、di-という接頭辞がついた英語directは、「まっすぐな」という意味があります。
翻訳には、新造語と転用語があります。
転用というのは、元の意味は、西洋語の原語と、微妙に又はかなり違うけれども、新造語を考案するまでないとして、改めて違う意味に使うようにしようと意図されたものです。
権利は、中国古典から存在した言葉の転用語です。
権利のうち、権は、力を意味し、利は、利益を意味します。
中国の元来の権利思想は、力により利益を取得することであって、その力が、正義に基づくことは、必ずしも要求されていません。
明治期の翻訳者達は、漢籍に通じ、かつ西洋の思想書を読んで訳すのですから、もとより、その違いを、当然に良く把握していました。
以上の参考文献として、
(1) 翻訳語成立事情 柳父章 岩波新書 1982年
(2) 翻訳語としての日本の法律用語 古田裕清 中央大学出版 2004年
(2)は、簡潔で正確な文章。西洋思想の学者であり、法律の学者ではない。(1)は、入手しやすい。翻訳語の学者だから、社会科学の理解は、やや落ちるが、本質は、つかんでいる。
4 (1)の文献には、「自由」という言葉の説明もある。
自由は、freedom(又はliberty)英 等の翻訳語である。
自由も、新造語ではなく、中国古典の転用語である。
freedomの前半の原語fri-は、「仲間」であるが(参照・英語のfriend友達)、それは、「独立した個人としての集合体である仲間同士。責任観念を自覚した個人の集合体としての仲間達」という意味である。
-domは、「勢力範囲」「〜の世界」である。
独立した人格の集合体の範囲及びその行動可能な世界が、本来のfreedomである。
ところで、個人が自由放縦に権利を主張すると、他人の自由放縦を犯すこともあり、まずいことが起きる。
そこで、各人の自由を、仲間との契約(contract)により、幾分か制限し、その残り(residual)をもって、freedomの概念とした。
つまり、西洋にとって、自由とは、本来、残り、残余物であるといわれる。
この残余概念が、西洋のfreedomの本質である。
もちろん残余物といっても、それは、理念としてのものの言い方であって、その内容は、広い。
自由は、他人の権利を侵さないという責任を併有した概念である。
中国古典の自由は、これと異なり、「放縦」の意味も包含し、しばしば「自由という概念のはき違え」があった。
自由という言葉は、明治以前は、民衆に流行して、使用された言葉ではない。
翻訳者達は、freedomの翻訳語として、「自由」以外もいくつか考案した。
しかし、言葉というものは、いくら為政者が力んでも、国民=民衆が使用しなければ、日常用語には、使われない。
今日でも、政治、経済、法律等の社会科学、化学、物理等の自然科学の用語は、一般国民が、広くは使用しないものもある。
freedomとその訳語は、明治初期から、民間の啓蒙者達も、盛んにこれを奨励した。
そして、「自由」という訳語は、むしろ、翻訳語として適当ではないという危機感も強かった。
「自分勝手も許される」「放縦でよい」、「勝手でしょ」、「何をやろうが自由だろ」、という意味で、民衆が使う危険があったから。
freedomには、自分勝手という意味はないし、何をやろうと許されるという意味もない。
だから、ほかの翻訳語も、いくつも考案した。
しかし、日常会話でも、自由のみ、翻訳語が生き残った。
「自由」のみ訳語が生き残ったのは、民衆が使ったから。
そして、民衆の使用する「自由」という用語は、「他人の権利を侵さない責任を合わせ併有する、残余物を意味する概念」としてではなく、「自分勝手が許される」「本来、人は、何をやろうが許されるはず、それが自由である」などとして理解されることがあり、実際にその意味で言動する輩も、また、多くいたのである。
5 以上のような説明が、学問としての通説です。
以上は、学問としての通説を記載したものであり、私の単なる意見を記載したものではないことに留意されたいが、私というフィルターを通じて説明していますし、わかりやすくするために、説明を省略した部分もあります。
説明を省略した部分には、わかりやすくするために正確性を少し犠牲にした事項もありますし、通説的理解と一見異なるかに見えるような内容を回り道して説明しなければならない事項もあります。
したがって、上記の書籍は、本項の言葉の由来の部分などを、わかりやすく詳細に説明している中で、本質的事項も一部説明しているから、参照されると、内容が深まった論議ができると思われます。
societyを翻訳した新造語「社会」なども、両著書とも、説明しています。
6 たかぼんさんが、私の200万語の報告に投稿されたことには、大変感謝します。
返事をしていないので、気になっています。
ただし、消耗から充電に移行していないので、今更、返事は、遅いといわれるかもしれませんが、充電できたら、遅ればせながら、200万語の返事を書きます。
acha758さんとの「スポーツ及び英文法の規則の異同論争」において、たかぼんさんが、「規則とは、禁止規範及び命令規範に違反することのみを指す。違反には、法律または法律類似の制裁がある。」という非常に狭い定義を採用していることを明示しなかったから(それに気がついて皆が議論していない。禁止規範等の定義は、今は省略する)、たかぼんさんの定義に従う限り、たかぼんさんの言い分は正しいが、その定義のみが規則の定義ではないと正当に喝破すれば、むしろスポーツと英文法に同じ類似点を見いだそうというacha758さんの問題意識の方が、17世紀に始まる国民国家成立後を考えるにしても、国民国家成立以前の国家(古代国家を含む)を考えるにおいても、有益であると思っていますが、そういうことなども気になるが、書く気になるかどうか。
論争の当時は、SSSの投稿をそんなに見ていなかったから、気がつかなかったが、気がついていたら参加し、acha758さんの見解を応援したと思う。
今回の投稿は、たかぼんさんの主張が、間違っていると述べたいがために、投稿したものではありません。
通説的見解を考慮した、実のある議論を望むために書いたものです。
反対説や、一人独自説も、未来の通説になる可能性は、あるのですし。
特に、20代前後の人を中心に、社会科学であれ、自然科学であれ、正確な理論を身につけ、年上の人や外国人と議論できるように、成長してほしい。
それが、今後の社会で、年上の人のなすべき役割分担及び責務の自覚をも促すであろう。
以 上
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261. Re: 言語を理解する上で西欧思想の正確で実のある議論 (acha758さんへのお詫び付き)
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/18(17:58)
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主観の新茶さん、こんにちは。たかぽんです。
(acha758さんへのお詫びは、ずずずいっと下のほうです。太字でお呼びしました。)
〉1 たかぼんさん こんにちは。(主観の)新茶です。
〉〉たとえば「権利」はrightの訳語ですが、これひとつ取っても外国人の理解とは異なります。
〉〉日本語の「権利」には、「自分勝手」みたいなイメージがありますが、rightには、
〉〉「法によって正しいと認められる」という意味が含まれているように思います。
〉〉(だから福沢諭吉は、「権理」と訳せと言っていたようです。)
〉2 以下は、西欧の基本思想の通説の記述です。
〉 英語など言語理解の前提となる知見であるので、ここで述べて良いでしょうか。
あ。どうぞどうぞ。
(って、私が許可することなのかというのもありますが・・・)
〉西欧(アメリカ及びイギリスをもちろん含む)の基本思想のひとつは、正義を具体化した存在が、権利であるということです。
〉 正しさ、つまり、正義が先に存在し、権利は、正義を化体した存在にすぎないという理念に導かれています。
自然法思想的には、そうなんでしょうか。
でも、よく知りませんが、ドイツなどの法実証主義だとどうなんでしょうね。
〉 権利は、「法によって始めて認められる」ものではありません。
全ての権利が、「法によって始めて認められる」ものではないかもしれませんね。
でも、法による確認的な権利もあれば、法による創設的な権利もあるような気もします。
まぁ、創設的に見えて、実はその時点での「自然的」、一般意思の表れに過ぎないのだ、
との理屈づけもできましょうが。
〉 権利は、普通の人間の本性=正義として、自然のうちにあるという、自然法の思想に、本来由来する。
〉 正義は、また、道徳または倫理と同値であり、権利は、法と同値であります。
詳しいことは知らないのですが、やはり自然法思想一本槍ではないような気がします。
おっしゃるとおりならば、法が要らない、ってことになりそうです。
つまり、「法で定める」ってことに意味が無くなってしまいそう。
法と道徳を分けるという考えが必ずあるはずで、法にはそれなりの権威が伴うように思います。
〉 「法」と「正義」は、別個であるという考えは、ありません。
そうかなぁ。
〉 したがって、法を実現することは、いつも必ずしも正義ではないという考えでは、ありませんし(西欧の基本理念では、法の実現は必ず正義です)、正義は、法とは、別のところにあるという考えもありませんし、法は、お上が作ったから、守らされるのであって、正義とは必ずしも結びつかないという考えもありませんし、悪いことだと思うのは法を犯したからだが、なぜその法があるのか、理由がわからないというような言いぐさが通るという考えもありません。
どうなんでしょうか。「悪法も法なり」的なところもあるんじゃないでしょうか。
やはり、法は、倫理的(宗教的?)な意味での正義と必ずしも結びつかなくても、
権威ある機関が定立・執行するので正当化される、ってとこはないですか?
その限りにおいて、法で認められる権利はrightであると。
内容の正しさ、ではなく、決めた機関が正しいから、正しいと。
法実証主義って、そういうのではなかったでしたっけ?
国家権力が宗教的権威から離れ、価値相対主義ということになると、何が正義なのか不明なので、
それで、民主的な基盤から定められる法を、その権威の正しさによって、正しいとする、
みたいなところはなかったでしょうか?
しかしその後、文明国共通の法理としての「新しい正義」が認識されるようになり、
憲法的正義みたいなものに法を照らすことが行なわれるようになった、のではないかと思います。
違憲審査。定立権威が正しければ正しい法と言えるのか?権威にマル投げしてしまっていいのか?
という疑問が生じたからだと思います。民主的っていっても多数決的な決定であるに過ぎないなど、
実際の立法過程にはいろいろな瑕疵が存在すると考えられるからだと思います。
ただ、違憲審査と言っても、照らすのはあくまでも法的正義であって、
道徳的正義とはまた違うのではないかと思います。
〉 なぜなら、自分で作ったものという理念ですから。
ですから、内容の正しさではなく、作った過程による「正しさ」ですよね?
でも、何歳以上かの人が選挙で選んだ人が議論して決めた法が、本当に正しいと言い切れるのか?
という疑問は、西欧でも常につきまとうわけですよね。ナチスの過去もありますし。
ましてや、「自分たち」で作ったから道徳的に正しい、と言えるわけもない。
宗教的権威から離れた近現代国家は、法の正しさを担保するために、いろいろ
四苦八苦しているんじゃないでしょうか。
〉 この理念を捨てて、統治者、つまりお上が、勝手に、物事を進めていると言動するのでは、言語政策であれ、教育政策であれ、自分を否定した、責任逃れの、恥ずべき言動にすぎません。
そうですか?
実際の立法過程は、当然に、一人ひとりの意思が反映しているとは言えませんし、
高度に技術的になっているので、多数の民意を反映しているとさえ言えなくなっていると思います。
自分が個人的に委任した人がやるならば、そりゃ文句は言えません。「自分を否定」することになります。
でも実際は、自分が個人的に委任した人でもない人たちがやってるわけで、それに文句をつけることは
別にかまわないでしょう。
〉 全ての政治活動は、法に依拠しなければならないから(法による支配)。
もちろんそうですね。行政は法に則ってやってもらわなくては。(法治主義?)
だからって、国民がお上に文句言ってはならない、ということにはならないと思うのですが?
〉 西欧では、法は、道徳を前提としており、道徳の一部が昇華したものが、法です。
上に書いてきたように、道徳を前提としていない法というものもあると思います。
やはり、近代国家成立の過程で、宗教的権威からの分離ということがあって、
道徳と法を分けて考える、とされたのではないかと思います。
そのときに、宗教に代わる「正しさ」を担保するものとして、「理性」であったり、
「一般意思」であったり、「民主的基盤」というものが、据えられていったのではないかと思います。
「神の教えだから正しい」から「自然的に正しい」から「みんなで決めたから正しい」
へと変遷したのじゃないか? そんな感じがします。
(今は、「みんなで決めたから原則正しいけど、憲法に照らす」となっているのでしょうか。)
〉 道徳及び倫理は、西欧の人たちにとって、自らが自分で決めたから、積極的に守る規範であり、道徳及び倫理は、正しいこと=正義であり、正義を具体化したのが、権利であり法であり、権利ないし法を実際に実現することは、正義であり、道徳そのものである。
やっぱり、道徳と法がごちゃごちゃっとなっているように思います。
近代国家は、宗教から離れて、道徳と法を分けるようになったが、その法の正しさを担保する根拠を失い、
そこでいろいろ苦労した末に、「みんなで決めたから正しい」というところに落ち着いたが、
「みんなで決めた」というのが大いなる擬制であり、
そもそも「みんなで決めたから正しい」ってどうして言えるのか?という疑問も起こるようになって、
そこで法を「憲法的原則」に照らすようになったが、なおそこにもごたごたがある、
というのが現状なのではないでしょうか。
〉 以上について、わかりやすい文献があれば、将来、紹介します。
はい。またお願いします。
〉3 正義の実現が権利であり法であるという理念の理解を前提として、ちなみに、補足説明として、言葉の由来(語源など)の上で、考えます。
どうも「正義」という言葉の使い方が問題なのかなという気がしてきました。
道徳的正義と法的正義は違うように思います。
権利が法的正義の実現であるというのは、これは当たり前のことだと思います。
同義反復と言ってもいいでしょう。
権利は道徳的正義の実現か。これには大いに疑問があります。
適切な例が思い浮かびませんが、たとえば、違法収集証拠排除法則、というのがあります。
証拠からして有罪なんだけど、その証拠の収集過程に違法があったとき、無罪とされる場合があります。
道徳的に考えれば、被告人を有罪にして、捜査官も処分すればよいように思います。
ところが被告人を無罪にしてしまう。こういうところ、法と道徳とが分かれるとこだなと
私は思っています。
〉 権利は、right英 das Recht独 le droit仏の翻訳語です。
〉 これら西欧語の原語は、「まっすぐ」を意味する「好感度の高い言葉」であり、そこで、「まっすぐは、正しい=正義」が派生し、中世になって、改めて法を考えるとき、「正しい意味だから、正義をも意味するrightを、法という意味にも転用しよう」ということになって、rightは、法の意味を始めて具有するに至った。
なるほど。
そのときは、道徳も法も未分化だったのでしょうね。
〉 rightが、「右」の意味を具有するのは、さらにその後のことである。
あっ。そうなんですね。
と、いうことは、leftは、「その他の」「あまりの」みたいな意味から来てるんでしょうか?
〉 なお、原語reht(何を原語とするか、または原語の品詞によって、単語のスペルは、異なるから、別のスペルもある。ここでは、説明の便宜上、ドイツ語の動詞の過去分詞形を載せています。)に関連したラテン語を原語とし、di-という接頭辞がついた英語directは、「まっすぐな」という意味があります。
おお! おもしろい。
〉 翻訳には、新造語と転用語があります。
〉 転用というのは、元の意味は、西洋語の原語と、微妙に又はかなり違うけれども、新造語を考案するまでないとして、改めて違う意味に使うようにしようと意図されたものです。
〉 権利は、中国古典から存在した言葉の転用語です。
〉 権利のうち、権は、力を意味し、利は、利益を意味します。
〉 中国の元来の権利思想は、力により利益を取得することであって、その力が、正義に基づくことは、必ずしも要求されていません。
なるほど。
福沢諭吉が「権理」にしよう、と言ったのは、新造語に入るのでしょうかね。
(転用かもしれませんが。)
そのパワーが「理」に基づく、といった感じですね。正義の根拠を「理」に求めたんですね。
「理性」に基づく、ルソーなどの近代啓蒙思想の影響なんですかね。
〉 明治期の翻訳者達は、漢籍に通じ、かつ西洋の思想書を読んで訳すのですから、もとより、その違いを、当然に良く把握していました。
〉
〉 以上の参考文献として、
〉 (1) 翻訳語成立事情 柳父章 岩波新書 1982年
〉 (2) 翻訳語としての日本の法律用語 古田裕清 中央大学出版 2004年
〉 (2)は、簡潔で正確な文章。西洋思想の学者であり、法律の学者ではない。(1)は、入手しやすい。翻訳語の学者だから、社会科学の理解は、やや落ちるが、本質は、つかんでいる。
ありがとうございます。
(1)のほうは昔から知っているのに、ついぞ読んだことがありません。。。
この機会に読んでみようかな。
〉4 (1)の文献には、「自由」という言葉の説明もある。
〉 自由は、freedom(又はliberty)英 等の翻訳語である。
〉
〉 自由も、新造語ではなく、中国古典の転用語である。
あっ。そうなんですね。
〉 freedomの前半の原語fri-は、「仲間」であるが(参照・英語のfriend友達)、それは、「独立した個人としての集合体である仲間同士。責任観念を自覚した個人の集合体としての仲間達」という意味である。
〉 -domは、「勢力範囲」「〜の世界」である。
〉 独立した人格の集合体の範囲及びその行動可能な世界が、本来のfreedomである。
おお。そうなんですか。
なんかすごい。
〉 ところで、個人が自由放縦に権利を主張すると、他人の自由放縦を犯すこともあり、まずいことが起きる。
「権利」が「正義」であるのなら、まずいことの起こりようがないのではないですか?
と引っ掛かってみますが。(笑)
このときは各自が「権利」と思っていても、後で総合判断されたときに「権利」と認められないことがある、
ということですよね。
(やっぱりそこでキーになるのは、法を判断し強制する「権威」なのではないかと思います。)
〉 そこで、各人の自由を、仲間との契約(contract)により、幾分か制限し、その残り(residual)をもって、freedomの概念とした。
〉 つまり、西洋にとって、自由とは、本来、残り、残余物であるといわれる。
〉 この残余概念が、西洋のfreedomの本質である。
なあるほど。
〉 もちろん残余物といっても、それは、理念としてのものの言い方であって、その内容は、広い。
〉 自由は、他人の権利を侵さないという責任を併有した概念である。
但し書きがついている感じですね。「〜の限りにおいて」という感じ。
〉 中国古典の自由は、これと異なり、「放縦」の意味も包含し、しばしば「自由という概念のはき違え」があった。
但し書きの無い「自由」なんですね。
〉 自由という言葉は、明治以前は、民衆に流行して、使用された言葉ではない。
〉
〉 翻訳者達は、freedomの翻訳語として、「自由」以外もいくつか考案した。
〉 しかし、言葉というものは、いくら為政者が力んでも、国民=民衆が使用しなければ、日常用語には、使われない。
〉 今日でも、政治、経済、法律等の社会科学、化学、物理等の自然科学の用語は、一般国民が、広くは使用しないものもある。
たくさんあるでしょうね。
〉 freedomとその訳語は、明治初期から、民間の啓蒙者達も、盛んにこれを奨励した。
〉 そして、「自由」という訳語は、むしろ、翻訳語として適当ではないという危機感も強かった。
〉 「自分勝手も許される」「放縦でよい」、「勝手でしょ」、「何をやろうが自由だろ」、という意味で、民衆が使う危険があったから。
〉 freedomには、自分勝手という意味はないし、何をやろうと許されるという意味もない。
〉 だから、ほかの翻訳語も、いくつも考案した。
〉
〉 しかし、日常会話でも、自由のみ、翻訳語が生き残った。
〉 「自由」のみ訳語が生き残ったのは、民衆が使ったから。
〉 そして、民衆の使用する「自由」という用語は、「他人の権利を侵さない責任を合わせ併有する、残余物を意味する概念」としてではなく、「自分勝手が許される」「本来、人は、何をやろうが許されるはず、それが自由である」などとして理解されることがあり、実際にその意味で言動する輩も、また、多くいたのである。
なるほどね。
自由民権運動の流行、新聞など出版物の普及、なんかが大きかったでしょうね。
〉5 以上のような説明が、学問としての通説です。
上のほうの、道徳的正義の一部が法的正義、という議論は、ほんとに通説か?と思います。
「道徳」の意味をかなりモダンに変形しないと、それは成り立たないのではないかと。
〉 以上は、学問としての通説を記載したものであり、私の単なる意見を記載したものではないことに留意されたいが、私というフィルターを通じて説明していますし、わかりやすくするために、説明を省略した部分もあります。
〉 説明を省略した部分には、わかりやすくするために正確性を少し犠牲にした事項もありますし、通説的理解と一見異なるかに見えるような内容を回り道して説明しなければならない事項もあります。
〉 したがって、上記の書籍は、本項の言葉の由来の部分などを、わかりやすく詳細に説明している中で、本質的事項も一部説明しているから、参照されると、内容が深まった論議ができると思われます。
〉 societyを翻訳した新造語「社会」なども、両著書とも、説明しています。
はい。おもしろそうなので、とりあえず岩波新書のは読んでみようと思います。
ありがとうございます。
〉6 たかぼんさんが、私の200万語の報告に投稿されたことには、大変感謝します。
〉 返事をしていないので、気になっています。
〉 ただし、消耗から充電に移行していないので、今更、返事は、遅いといわれるかもしれませんが、充電できたら、遅ればせながら、200万語の返事を書きます。
あ、気にしてくださらなくても結構ですのに。
お返事くださっても、お返事くださらなくても、どちらでもいいですよ。
〉 acha758さんとの「スポーツ及び英文法の規則の異同論争」において、たかぼんさんが、「規則とは、禁止規範及び命令規範に違反することのみを指す。違反には、法律または法律類似の制裁がある。」という非常に狭い定義を採用していることを明示しなかったから(それに気がついて皆が議論していない。禁止規範等の定義は、今は省略する)、たかぼんさんの定義に従う限り、たかぼんさんの言い分は正しいが、その定義のみが規則の定義ではないと正当に喝破すれば、むしろスポーツと英文法に同じ類似点を見いだそうというacha758さんの問題意識の方が、17世紀に始まる国民国家成立後を考えるにしても、国民国家成立以前の国家(古代国家を含む)を考えるにおいても、有益であると思っていますが、そういうことなども気になるが、書く気になるかどうか。
こちらから始まる議論ですね。
[url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-english&c=e&id=1991]
私が言ってたのは、要するに、スポーツゲームはルールが無いと成立しないので、
あらかじめルールを把握しておく必要があるけれど、言語には、そういう意味のルールがあるわけではない、
したがって、スポーツゲームとの比較によって「言語を習得するにも文法の勉強が必要」とは言えない、
ということだったと思います。
文法の勉強をしたい方はすればいいと思いますが、「絶対に必要」ではないと思う、というのが、
言いたかったことでした。
今ふり返ってみると、スポーツのルールも言語の文法も、かなり似たとこがあるなと思います。
(ここを意地になって「違う!」と言い張ったのは、非常に良くなかったと思います。
acha758さん皆さん、あらためて、あのときはすみませんでした・・・)
どちらも、どう習得するのがよいかが問題となりますが、各人が無理の無い範囲で、
楽しく習得できるような方法がいいのではないかと思います。
人それぞれですから、「文法」と取り分けて勉強するのがしっくり来るならばそうすればいいし、
気が進まなかったら、それはそれでよいと思います。
〉 論争の当時は、SSSの投稿をそんなに見ていなかったから、気がつかなかったが、気がついていたら参加し、acha758さんの見解を応援したと思う。
私もacha758さんを応援したく思う。。
〉 今回の投稿は、たかぼんさんの主張が、間違っていると述べたいがために、投稿したものではありません。
〉 通説的見解を考慮した、実のある議論を望むために書いたものです。
〉 反対説や、一人独自説も、未来の通説になる可能性は、あるのですし。
新茶さんのおっしゃる道徳と法うんぬんについてだけは、ほんとに通説的見解?と思ってしまいます。
私が恐ろしい考え違いをしてるかもしれませんが。。。
〉 特に、20代前後の人を中心に、社会科学であれ、自然科学であれ、正確な理論を身につけ、年上の人や外国人と議論できるように、成長してほしい。
そうですね。私もよくわかってないので偉そうなことは言えませんが、
これからの若い人には、「筋のいい」というか、本質をつかむような勉強を
していただきたいですね。
〉 それが、今後の社会で、年上の人のなすべき役割分担及び責務の自覚をも促すであろう。
私もまだまだ勉強だなぁと思います。
いろいろと勉強になりました。
ありがとうございました。
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268. Re: 言語を理解する上で西欧思想の正確で実のある議論 (acha758さんへのお詫び付き)
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/18(23:58)
------------------------------
たかぼんさん、お返事ありがとう。
主観の新茶です。
私は、古代ギリシアから古代ローマ、中世ヨーロッパ、近代ヨーロッパを経て、現代まで連綿と続く「法と道徳、法と正義の関係など」についての西欧の「客観的な歴史的評価」についての通説を書いたのです。
客観的事実としての歴史上の思想の把握=通説と、その好き嫌いを分けて、説明いただくと良いと思います。
歴史的には、法と正義、道徳についてさえ、「通説」と異なる見解を有する思想家は、古代ギリシア、古代ローマの思想家にもいましたが、たかぼんさんの指摘されるように、19世紀の法実証主義の人々も、法に正義(正義を通じて道徳を実現すると考えれば道徳でもよい。)という理念を包含させることを拒否しました。
法実証主義の人々は、「悪法もまた法である」と述べて、自然法思想を否定しました。
法実証主義の人々にとって、西欧の歴史としての理念は、通説のとおりだと認めざるを得ないとしても、上記の点で通説の見解には賛成できないと考え、理念の変更を主張しました。
しかし、西洋の理念の通説には、なれませんでした。
たかぼんさんは、現在の気持ちとしても、西欧の通説に、必ずしも賛同できないという見解でもあり、日本人には、結構、多いとされています。
たかぼんさんの基本理念は、西洋の通説と違います。
また、現代に視点を移すと、現代のように複雑な社会では、法と道徳がストレートに結びつかない分野が増加したという意識は、むしろ通説でしょう。
それは、西欧でも日本でも、言うまでもないことです。
しかし、ここでの問題は、脈々として生きている西洋の基本理念は何かを把握することです。
一般的に、西欧にいうところの道徳、正義及び法などについての「歴史」において、書籍で通説として説明されているのは、(1)西洋人は、法を、理念と見ていること、(2)理念とは、現実の世界で努力して実現すべき理想状態であるということ、(3)古代ギリシア、古代ローマ、中世ヨーロッパ、近代ヨーロッパ、現代ヨーロッパの法の制定とその運用と人々の日常の法意識とを歴史的に調べていくと、西洋では、正義の実現が法そのものであり、道徳の昇華が法であると考えられてきたということです。
文献2をも、参考に読んでみて下さい。
たかぼんさんの疑問も、あらゆる意味で、氷解すると思います。
もし、たかぼんさんが、著書を読んだ上で、また、投稿されるのであれば、歓迎します。
たかぼんさんの基本理念が、通説に変更されるのであれば、・・・・・。
最後に、英語学習に関係ないと思われる方もいるかもしれないので、少し論考の主題を移しますが、たとえば、ホーソンの緋文字は、道徳=法=正義の強烈な精神的束縛を前提とする小説と理解することが可能であり、英語の小説を読む場合には、西洋の思想・理念の正確な把握が必要ともいえるでしょう。
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271. Re: 言語を理解する上で西欧思想の正確で実のある議論
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/19(01:27)
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主観の新茶さん、こんばんは。たかぽんです。
〉たかぼんさん、お返事ありがとう。
〉主観の新茶です。
〉私は、古代ギリシアから古代ローマ、中世ヨーロッパ、近代ヨーロッパを経て、現代まで連綿と続く「法と道徳、法と正義の関係など」についての西欧の「客観的な歴史的評価」についての通説を書いたのです。
そうなんですか。
古代ギリシアから古代ローマ、中世ヨーロッパ、近代ヨーロッパ、現代までって、
一貫しているわけではないと思いますし、それに大陸法、英米法など、地域でもずいぶん違うと思います。
特に中世から近代への転換期、啓蒙主義以後の考え方はガラッと変わっているのではないでしょうか。
私が学校で習ったところでも、近代法のひとつのメルクマールとして、「法と道徳との峻別」
というものがあったと思います。それは、近代主権国家というものの成立とともに、
「法の宗教離れ」が起こった結果ではないかと思います。
〉客観的事実としての歴史上の思想の把握=通説と、その好き嫌いを分けて、説明いただくと良いと思います。
はい、もちろんそうしているつもりです。
近代で法と道徳が分離されたはずなのに、法と道徳とがごっちゃになっているような考え方が、
今の西洋の法の考え方も説明する通説だとは、どうにも信じがたいのですが、
という疑問を呈しているだけです。
〉歴史的には、法と正義、道徳についてさえ、「通説」と異なる見解を有する思想家は、古代ギリシア、古代ローマの思想家にもいましたが、たかぼんさの指摘されるように、19世紀の法実証主義の人々も、法に正義(正義を通じて道徳を実現すると考えれば道徳でもよい。)という理念を包含させることを拒否しました。
〉法実証主義の人々は、「悪法もまた法である」と述べて、自然法思想を否定しました。
〉法実証主義の人々にとって、西欧の歴史としての理念は、通説のとおりだと認めざるを得ないとしても、上記の点で通説の見解には賛成できないと考え、理念の変更を主張しました。
〉しかし、西洋の理念の通説には、なれませんでした。
はい、ですから、前のレスでも申しましたように、近代法が宗教的権威から離れた結果、
何を正しい法とするかの拠り所を失ってしまい、それを「理性」や「一般意思」
などに求めたのだと思います。そして結局、「みんなで決めた」というところに
正当性の根拠を求めることになりますが、みんなで決めた以上は正しいのだからと、
それ以上の正当性の判断を放棄したのが、おそらく法実証主義で、それは
ワイマール憲法下のドイツにおいて採られていた考え方だったと思います。
しかし、第2次大戦後、ナチス支配の反省などから、あまりの価値相対主義、
法律万能主義はいかがなものかということになって、ドイツも実質的法治国家に移行した、
ということだと思います。つまり、みんなで作ったので一応正しいとするが、
憲法に照らして審査する余地を認める。
ですが、その際に、どういう法が正しい法か?の基準について、宗教的な道徳に
戻るという選択は行なわれていないと思います。戻れば中世に逆戻りです。
そうではなく、あくまでも根本的な「法」に照らすという行き方がとられていると思います。
〉たかぼんさんは、現在の気持ちとしても、西欧の通説に、必ずしも賛同できないという見解でもあり、日本人には、結構、多いとされています。
〉たかぼんさんの基本理念は、西洋の通説と違います。
いえ、そもそも、道徳と法を一緒くたにするというのが、西洋の通説であるというのが、
どうにも信じられないというか、ほんとですか?と思うだけです。
〉また、現代に視点を移すと、現代のように複雑な社会では、法と道徳がストレートに結びつかない分野が増加したという意識は、むしろ通説でしょう。
〉それは、西欧でも日本でも、言うまでもないことです。
あれ・・・
いや、現代だけでなく、中世から近代に移行する時点で、法と道徳を分ける、
というふうになったのではなかったでしょうか?
〉しかし、ここでの問題は、脈々として生きている西洋の基本理念は何かを把握することです。
もし、そのような法と道徳を同じとする基本理念があったとしても、
近代・現代には断絶した、ということになりそうですね。
〉一般的に、西欧にいうところの道徳、正義及び法などについての「歴史」において、書籍で通説として説明されているのは、(1)西洋人は、法を、理念と見ていること、(2)理念とは、現実の世界で努力して実現すべき理想状態であるということ、(3)古代ギリシア、古代ローマ、中世ヨーロッパ、近代ヨーロッパ、現代ヨーロッパの法の制定とその運用と人々の日常の法意識とを歴史的に調べていくと、西洋では、正義の実現が法そのものであり、道徳の昇華が法であると考えられてきたということです。
正義の実現が法、とは言えると思いますが、その「正義」について、近代以降は少なくとも、
法的正義と道徳的正義は分けられる、とされてるんじゃないでしょうか。
道徳と法を直結させない、というのは、もう何百年前に克服された課題だと思います。
ちょっとここで、刑法ですが、昔使った教科書を引っ張り出してみます。
(前田雅英『刑法総論講義』第3版)
「西欧近代の刑法は,それ以前の旧体制下の刑法を乗り越える形で形成された.
中世の刑法の特色は,干渉性,恣意性,身分性,苛酷性の4点にまとめることができる。
まず,中世においては,法と宗教・道徳が未分離であったため,法律が個人の
内面生活にまで深く干渉していた.・・・」(p.17)
また、近代革命に非常に大きな影響を与えたとされるベッカリーアの『犯罪と刑罰』について、
「彼は啓蒙主義哲学を基本に,社会契約論により国家の刑罰権を基礎づける.
そして(1)社会・市民の利益の外形的な侵害のみが犯罪たり得るとして干渉性を批判し,・・・」(p.18)
そして、西欧近代の刑法理論の基礎を形成した学者の一人、カントについて、
「法は個人の道徳には干渉し得ないとして,刑罰の干渉性を厳しく排除した.
カントの刑法理論の第一の特色はこの刑罰の干渉性の排除から導かれる
法と倫理の峻別にある。」(同頁)
さらに、近代刑法学の父と称されるフォイエルバッハについて、
「彼はカントの「法と倫理の峻別」の考え方を受け継ぎ,権利侵害のみが犯罪であるとして
干渉性を批判した(権利侵害説).」(p.19)
このように、法と宗教・道徳との分離は、近代でとっくに終わっているのではないかと思います。
ただ、「道徳」を国家秩序維持のための倫理と読み替えるならば、
その倫理から法は生まれている、と見る余地もあると思います。
ヘーゲルについて、
「ヘーゲルの刑法理論の第二の特色は,カント,フォイエルバッハが重視した
個人の利益に代え,国家の利益を強調した点にある.国家を「理性と倫理そのもの」
と規定し,国家は刑罰を加えることにより法と正義を回復するとしたのである.」(p.20)
ただ、この場合の倫理も、近代国家を前提とした国家倫理であって、
宗教を基盤とした道徳とは違います。法から「干渉性」を排除するというのは、
共通認識であろうと思います。
〉文献2をも、参考に読んでみて下さい。
〉たかぼんさんの疑問も、あらゆる意味で、氷解すると思います。
はい、また、読む気が起きたら、読んでみたいと思います。
〉もし、たかぼんさんが、著書を読んだ上で、また、投稿されるのであれば、歓迎します。
〉基本理念が、通説に変更されるのであれば、・・・・・。
あ。いつ読むかわからないので、いま投稿してしまいます・・・
ほんとに通説なのかなぁ・・・(笑)
それとも、近代に法と道徳が分けられたっていうのは、日本の法学者だけが言ってる、
特殊な学説なのかなぁ。
〉最後に、英語学習に関係ないと思われる方もいるかもしれないので、少し論考の主題を移しますが、たとえば、ホーソンの緋文字は、道徳=法=正義の強烈な精神的束縛を前提とする小説と理解することが可能であり、英語の小説を読む場合には、西洋の思想・理念の正確な把握が必要ともいえるでしょう。
そうなんですか。
「罪と罰」なんかはどうなんでしょうね。
それでは。
ありがとうございました。
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お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/10/19(15:06)
------------------------------
新茶さん、
お久しぶりです。
科学における法則も、
議会で決める法律も、
英語では "law" と言います。
一般的な理解としては、
わざわざ別の名称をつける必要はなく、
同じようなことを言っているのだから同じ "law" で支障がないわけです。
通説とはそういう意味でしょう。
Nathaniel Hawthorne の The Scarlet Letter について論文を書くなら、
新茶さんのような解釈は学会で評価されそうですね。
それはそれで結構なことですが、
一般的には、
もっと簡単に考えても構わないと思います。
長期的な単身赴任に行っている夫からの連絡が途絶えた後、
若妻が妊娠してしまった話として理解しても構わないんじゃないでしょうか。
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お名前: こるも
投稿日: 2008/10/19(22:14)
------------------------------
Ryotasanさん、お久しぶりです。
新茶さん、こんにちは。
よこです、すみません。
The Scarlet Letter
〉長期的な単身赴任に行っている夫からの連絡が途絶えた後、
〉若妻が妊娠してしまった話として理解しても構わないんじゃないでしょうか。
わたしは、「女って、強え」って話だと思っていました。
失礼しました。
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お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(10:06)
------------------------------
こるもさん。新茶です。
〉新茶さん、こんにちは。
〉よこです、すみません。
依然私に投稿した際の、haveは1つのこるもさん、いや、横ヤリのこるもさん、ではなくて、横レスのこるもさん。
ご投稿、感謝。
たかぼんさんから、「しのび返しの法的意味」、「But me no butsの文法構造」等について、理由を聞いたのに、理由を示してもらえなかった、こるもさん、でもある。
こるもさん、隗より始めよで、こるもさんが、まず、haveが1つの理由を示しましょう。
皆の知見に役立つことだから。
haveを抜かした以降の単語の並びから考える、か。
それを、haveしている、と考える。
そうすれば、1つ、とか。
〉The Scarlet Letter
〉わたしは、「女って、強え」って話だと思っていました。
〉失礼しました。
こるもさんが、この前まで、のめりこんでいたかのような「田山花袋の蒲団」は、上記のこるもさん流でいうと、「女って、強え」というより、「カノ女って、手強え」って話だということになりますか?
柳父さんの「翻訳語成立事情」の最後の項目である「彼と彼女」の項目に、「田山花袋の蒲団」が引用されていることを見てくれると、いいんだけど。
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お名前: こるも
投稿日: 2008/10/25(10:37)
------------------------------
新茶さんだ。
こんにちはー。
〉 依然私に投稿した際の、haveは1つのこるもさん、いや、横ヤリのこるもさん、ではなくて、横レスのこるもさん。
はあ、すみません。
気分を害したのであれば、以後慎みます。
〉 たかぼんさんから、「しのび返しの法的意味」、「But me no butsの文法構造」等について、理由を聞いたのに、理由を示してもらえなかった、こるもさん、でもある。
よく覚えてはりますねえ。
本人たちも忘れてましたわ。
〉 こるもさん、隗より始めよで、こるもさんが、まず、haveが1つの理由を示しましょう。
〉 皆の知見に役立つことだから。
〉 haveを抜かした以降の単語の並びから考える、か。
〉 それを、haveしている、と考える。
〉 そうすれば、1つ、とか。
イメージです。
頭悪いんで、これ以上は、無理です。ご容赦を。
〉〉The Scarlet Letter
〉〉わたしは、「女って、強え」って話だと思っていました。
〉〉失礼しました。
〉 こるもさんが、この前まで、のめりこんでいたかのような「田山花袋の蒲団」は、上記のこるもさん流でいうと、「女って、強え」というより、「カノ女って、手強え」って話だということになりますか?
いやあ。読んだことないんで。
〉 柳父さんの「翻訳語成立事情」の最後の項目である「彼と彼女」の項目に、「田山花袋の蒲団」が引用されていることを見てくれると、いいんだけど。
はあ。
まず「蒲団」から読まないと。
どうもありがとうございました。
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お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(10:53)
------------------------------
こるもさんへ。新茶です。こんにちは。
〉〉 依然私に投稿した際の、haveは1つのこるもさん、いや、横ヤリのこるもさん、ではなくて、横レスのこるもさん。
〉はあ、すみません。
〉気分を害したのであれば、以後慎みます。
冗談めかして、言ったにすぎません。横レス歓迎。
〉〉 たかぼんさんから、「しのび返しの法的意味」、「But me no butsの文法構造」等について、理由を聞いたのに、理由を示してもらえなかった、こるもさん、でもある。
〉よく覚えてはりますねえ。
〉本人たちも忘れてましたわ。
忘れていないでしょう。
〉〉 こるもさん、隗より始めよで、こるもさんが、まず、haveが1つの理由を示しましょう。
〉〉 皆の知見に役立つことだから。
〉〉 haveを抜かした以降の単語の並びから考える、か。
〉〉 それを、haveしている、と考える。
〉〉 そうすれば、1つ、とか。
〉イメージです。
〉頭悪いんで、これ以上は、無理です。ご容赦を。
残念です。
ちなみに、どんなイメージですか?
〉〉〉The Scarlet Letter
〉〉〉わたしは、「女って、強え」って話だと思っていました。
〉〉〉失礼しました。
〉〉 こるもさんが、この前まで、のめりこんでいたかのような「田山花袋の蒲団」は、上記のこるもさん流でいうと、「女って、強え」というより、「カノ女って、手強え」って話だということになりますか?
〉いやあ。読んだことないんで。
〉〉 柳父さんの「翻訳語成立事情」の最後の項目である「彼と彼女」の項目に、「田山花袋の蒲団」が引用されていることを見てくれると、いいんだけど。
〉はあ。
〉まず「蒲団」から読まないと。
〉どうもありがとうございました。
柳父さん、有益だよ。
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お名前: こるも
投稿日: 2008/10/25(11:21)
------------------------------
こるです。
〉〉〉 依然私に投稿した際の、haveは1つのこるもさん、いや、横ヤリのこるもさん、ではなくて、横レスのこるもさん。
〉〉はあ、すみません。
〉〉気分を害したのであれば、以後慎みます。
〉冗談めかして、言ったにすぎません。横レス歓迎。
そうですか。じゃ、遠慮なく。
わーい。
〉〉〉 たかぼんさんから、「しのび返しの法的意味」、「But me no butsの文法構造」等について、理由を聞いたのに、理由を示してもらえなかった、こるもさん、でもある。
〉〉よく覚えてはりますねえ。
〉〉本人たちも忘れてましたわ。
〉忘れていないでしょう。
まあ、忘れてはいませんけど。
〉〉〉 こるもさん、隗より始めよで、こるもさんが、まず、haveが1つの理由を示しましょう。
〉〉イメージです。
〉〉頭悪いんで、これ以上は、無理です。ご容赦を。
〉残念です。
〉ちなみに、どんなイメージですか?
だから、haveの。
〉〉〉 柳父さんの「翻訳語成立事情」の最後の項目である「彼と彼女」の項目に、「田山花袋の蒲団」が引用されていることを見てくれると、いいんだけど。
〉〉まず「蒲団」から読まないと。
〉柳父さん、有益だよ。
そうですか。
じゃあ、ちょっと、気にしてみます。
ではでは。
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/25(12:33)
------------------------------
横からすみません。
こるもさん。
〉〉〉〉 たかぼんさんから、「しのび返しの法的意味」、「But me no butsの文法構造」等について、理由を聞いたのに、理由を示してもらえなかった、こるもさん、でもある。
〉〉〉よく覚えてはりますねえ。
〉〉〉本人たちも忘れてましたわ。
〉〉忘れていないでしょう。
〉まあ、忘れてはいませんけど。
「しのび返しの法的意味」「But me no butsの文法構造」等につき、
説明をしませんで、大変申し訳ございませんでした。
いまだに説明する気はありません。(笑)
あしからず。
それではでは。
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お名前: こるも
投稿日: 2008/10/25(13:19)
------------------------------
たかさん。
〉横からすみません。
〉こるもさん。
〉〉〉〉〉 たかぼんさんから、「しのび返しの法的意味」、「But me no butsの文法構造」等について、理由を聞いたのに、理由を示してもらえなかった、こるもさん、でもある。
〉〉〉〉よく覚えてはりますねえ。
〉〉〉〉本人たちも忘れてましたわ。
〉〉〉忘れていないでしょう。
〉〉まあ、忘れてはいませんけど。
〉「しのび返しの法的意味」「But me no butsの文法構造」等につき、
〉説明をしませんで、大変申し訳ございませんでした。
〉いまだに説明する気はありません。(笑)
〉あしからず。
そりゃあ、言い過ぎってもんです。
説明しろなんて、少なくともわたしはここでは、言ってない。
新茶さん。
以上のことは、まあここでわざわざ蒸し返す必要のない話題だと思います。
あのときはあのときで、「なんで?」と思って質問しましたが、
たかぽんさんにはべつに答える義務はありません。
少なくともわたしは義務があるとは思っていません。
と、いうわけで、この話題はこれで終わりにしてください。
お願いします。
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/25(13:43)
------------------------------
こるもさん、こんにちは。
〉たかさん。
〉〉横からすみません。
〉〉こるもさん。
〉〉〉〉〉〉 たかぼんさんから、「しのび返しの法的意味」、「But me no butsの文法構造」等について、理由を聞いたのに、理由を示してもらえなかった、こるもさん、でもある。
〉〉〉〉〉よく覚えてはりますねえ。
〉〉〉〉〉本人たちも忘れてましたわ。
〉〉〉〉忘れていないでしょう。
〉〉〉まあ、忘れてはいませんけど。
〉〉「しのび返しの法的意味」「But me no butsの文法構造」等につき、
〉〉説明をしませんで、大変申し訳ございませんでした。
〉〉いまだに説明する気はありません。(笑)
〉〉あしからず。
〉そりゃあ、言い過ぎってもんです。
〉説明しろなんて、少なくともわたしはここでは、言ってない。
そうですよね。
ちゃんと説明する自信もないです。あーよかった。(笑)
それにしても、新茶さんって、私の過去ログもよく読んでくださってるんですね。
たいへんうれしく思いました。ありがとうございます。
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お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(14:13)
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たかぽんさんへ。新茶です。
「But me no butsの文法構造」は、数行書いた、たかぽんさんとは、別の本がある。文法の本ではない。それは、よければ、紹介してよいが、どうですか。不要なことですか。簡単に言えば、文法を考えるまでもなく、字の配列から、そうなるだろうというだけ。また、たかぽんさんは、今も使われているかどうか、疑問を呈しているが、その本は、1999年に改訂された本で、今も使われていると述べている。皆さんの役に立ちますか。
「しのび返しの法的意味」は、前回、たかぽんさんが言及した本に書いてあるのではないか。一寸見ればよいと思った。
〉それにしても、新茶さんって、私の過去ログもよく読んでくださってるんですね。
〉たいへんうれしく思いました。ありがとうございます。
相手の主張をよく理解することが、まず、前提として、相手に敬意を表することだと思われる。
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たかさん、新茶さん。
〉「But me no butsの文法構造」は、数行書いた、たかぽんさんとは、別の本がある。文法の本ではない。それは、よければ、紹介してよいが、どうですか。不要なことですか。簡単に言えば、文法を考えるまでもなく、字の配列から、そうなるだろうというだけ。また、たかぽんさんは、今も使われているかどうか、疑問を呈しているが、その本は、1999年に改訂された本で、今も使われていると述べている。皆さんの役に立ちますか。
〉「しのび返しの法的意味」は、前回、たかぽんさんが言及した本に書いてあるのではないか。一寸見ればよいと思った。
お願いですから、やめてください。
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主観の新茶さん、こんにちは。
(こるもさん、失礼します。)
〉「But me no butsの文法構造」は、数行書いた、たかぽんさんとは、別の本がある。文法の本ではない。それは、よければ、紹介してよいが、どうですか。不要なことですか。簡単に言えば、文法を考えるまでもなく、字の配列から、そうなるだろうというだけ。また、たかぽんさんは、今も使われているかどうか、疑問を呈しているが、その本は、1999年に改訂された本で、今も使われていると述べている。皆さんの役に立ちますか。
どうなんでしょう。
〉「しのび返しの法的意味」は、前回、たかぽんさんが言及した本に書いてあるのではないか。一寸見ればよいと思った。
そうですね。刑法の教科書の正当防衛のところに載ってます。
興味のある方は、本屋さん等で読まれればいいのではないかと思います。
〉〉それにしても、新茶さんって、私の過去ログもよく読んでくださってるんですね。
〉〉たいへんうれしく思いました。ありがとうございます。
〉相手の主張をよく理解することが、まず、前提として、相手に敬意を表することだと思われる。
そうですね。
そしてまた、和やかに掲示板を進める配慮も必要でしょうね。自戒もこめて。
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お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(10:17)
------------------------------
Ry0tasanさんへ。主観の新茶です。
〉新茶さん、
〉お久しぶりです。
おひさしぶりです。
〉科学における法則も、
〉議会で決める法律も、
〉英語では "law" と言います。
〉一般的な理解としては、
〉わざわざ別の名称をつける必要はなく、
〉同じようなことを言っているのだから同じ "law" で支障がないわけです。
〉通説とはそういう意味でしょう。
もう少し詳しく書かれると、意図が分かるのですが、次のような意味でしょうか。
この短い文章を読むと、次のように解釈されますが(下記(1))、それでいいのでしょうか。
また、次のような点(下記(2)以下)は、どう理解しているのでしょうか。
すわなち、
Ry0tasanの理解によると、
(1) 私とたかぼんさんが、西洋思想の基本の一つの思想の通説か否かを述べていた、その通説とは、「英語のlawは、科学における法則と、議会で決める法律の2つであること、そして、科学における法則と、議会で決める法律とは、lawということでは同じである、ということだ」と理解されて、上記文章を書かれたのでしょうか。
(2)ach758さんとたかぼんさんの「スポーツと英文法の規則(ルール)の異同論争」でも、同じようなことを書いており(番号2169)、そこでは、「科学の法則」ではなく、「自然の法則」と書いていますが、上記投稿の「自然の法則」を「法律」と比較しているということは、「自然の法則」とは、「自然科学の法則」を指すという意味で、書かれたのでしょうか
(3)社会科学の法則という概念は、どのように理解されていますか。
(4)法律は、社会科学の法則という理解ですか。
(5)日本語の「法則」の定義は、何であると理解されていますか。
(6)英語でlawのみ、法則と翻訳する言葉ですか。
(7)ach758さんのところで、英文法は、せいぜい「作法」であると主張していますが、ここで日本語の「作法」とは、作法にいろいろある意味のうち、「礼儀作法」という意味ですか。
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お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/10/25(11:19)
------------------------------
以前にも、
新茶さんから尋問というか、
質問ぜめにされた記憶があります。
一つ一つ丁寧にお答えしたつもりですが、
あまり実のあるやりとりに発展した記憶がありません。
新茶さんご自身も、
消耗されているようでした。
今回はどうなのでしょう?
同じような結果になるなら、
辞退するつもりです。
どういう意図で沢山の質問をなさるのか、
明確にしていただければ、
もう少し前向きになれる可能性はあります。
With respect.
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お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(12:36)
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Ry0tasanさんへ。新茶です。
〉以前にも、
〉新茶さんから尋問というか、
〉質問ぜめにされた記憶があります。
尋問とか、質問責めとは、言いすぎでしょう。
〉一つ一つ丁寧にお答えしたつもりですが、
〉あまり実のあるやりとりに発展した記憶がありません。
〉新茶さんご自身も、
〉消耗されているようでした。
きちんとした返答がないので。
たとえば、今回でいえば、用語の意味。
それによって、文章の意味が違ってくるでしょう。
〉今回はどうなのでしょう?
〉同じような結果になるなら、
〉辞退するつもりです。
同じ結果になりません。
〉どういう意図で沢山の質問をなさるのか、
〉明確にしていただければ、
〉もう少し前向きになれる可能性はあります。
基本的な事項だからです。
Ry0tasanの主張が、一般的な意見なのか、独自の説なのか、検証したいからです。
それが、SSSのほかの人にとっても、Ry0tasanの説の適否を判断する助けになると思うから。
〉With respect.
これは、どういう意味ですか?
意味が明確ではないが、推測して答えます。
ここでは、皆が、対等な関係です。
そうではないのですか。
上記7点は、質問の形態を採用しているが、Ry0tasanが、本来、述べたときに、説明しておくことだったと思います。
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お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/10/26(09:28)
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〉Ry0tasanさんへ。新茶です。
おはようございます。
新茶さん。
西洋思想について深い知識をお持ちの新茶さんから学べることも沢山あると思うので、
もうしばらくおつきあいします。
〉〉以前にも、
〉〉新茶さんから尋問というか、
〉〉質問ぜめにされた記憶があります。
〉尋問とか、質問責めとは、言いすぎでしょう。
すみませんがこれは正直な気持ちです。
一人の方から同時に4っつ以上の質問を受けると、
僕は心的な負担を感じるようなのです。
〉〉一つ一つ丁寧にお答えしたつもりですが、
〉〉あまり実のあるやりとりに発展した記憶がありません。
〉〉新茶さんご自身も、
〉〉消耗されているようでした。
〉きちんとした返答がないので。
きちんとした返答は一つも無かったという意味ですか?
それはまた手厳しいですね。
いくつかお答えできなかった質問があることは認めます。
1回の質問が三つ以内で、
僕からの回答に何らかのお返事をいただければ、
次のご質問も受け付けることにします。
〉たとえば、今回でいえば、用語の意味。
〉それによって、文章の意味が違ってくるでしょう。
用語については、
一般向けの国語辞典か、
学習者向け英英辞典でご確認ください。
そこに載っている定義や用法から外れた使い方を僕がしていると判断されたら、
1回に三つまでの範囲でご質問も歓迎します。
〉〉今回はどうなのでしょう?
〉〉同じような結果になるなら、
〉〉辞退するつもりです。
〉同じ結果になりません。
〉〉どういう意図で沢山の質問をなさるのか、
〉〉明確にしていただければ、
〉〉もう少し前向きになれる可能性はあります。
〉基本的な事項だからです。
〉Ry0tasanの主張が、一般的な意見なのか、独自の説なのか、検証したいからです。
〉それが、SSSのほかの人にとっても、Ry0tasanの説の適否を判断する助けになると思うから。
英語の "law" という単語については、
辞書で確認すれば済むと思います。
辞書に全てが載っているわけではありませんが、
少なくとも辞書に載っていることは、
一般的な認識と考えるのが妥当です。
〉〉With respect.
〉これは、どういう意味ですか?
〉意味が明確ではないが、推測して答えます。
〉ここでは、皆が、対等な関係です。
〉そうではないのですか。
英語における "respect" という単語は、
対等な関係と矛盾しません。
お互いに、
自分と違う意見に対して、
一定の respect を払うというのが、
一般的なありかただと認識しています。
(日本では違うという反論はありえますが。)
〉上記7点は、質問の形態を採用しているが、Ry0tasanが、本来、述べたときに、説明しておくことだったと思います。
ここは大学のゼミ室でもないし、
学会のフォーラムでもありません。
多読について興味のある人なら、
誰でも気楽に発言できることの方が重要だと思います。
説明不足でも構わないと僕は思っています。
疑問をお感じであれば、
1回に三つまではお答えします。
最後に、
公私ともに忙しい時期には、
数日間にわたって掲示板に書き込みできないこともあります。
それでもスレッドはどんどん下の方へ流れて行きます。
僕が質問を見落としているばあいは、
再質問してくださっても結構です。
Happy reading!
------------------------------
Ry0tasanさんへ。主観の新茶です。
今回のRy0tasanの以下のレスは、私の理解が正確でなければ、それに答えても、「意味が違っています」と答えられてしまうでしょう。
Ry0tasanは、以前にも、相手の返答に、、「意味が違っています」と答えているのを、一度ならず見ましたが、私も、Ry0tasanの見解を、その相手の人と同じように受け取るのが、文面上相当だと思ったことがありました。
しかし、そんなことを言っていても始まらないので、Ry0tasanの見解を検証し、推測してみます。
その検証・推測が、正確でないと、私のレスの答えが、でないでしょう。
見ている人も、Ry0tasanのレスの意味がわからないか、誤解すると思います。
〉〉科学における法則も、
〉〉議会で決める法律も、
〉〉英語では "law" と言います。
〉〉一般的な理解としては、
〉〉わざわざ別の名称をつける必要はなく、
〉〉同じようなことを言っているのだから同じ "law" で支障がないわけです。
〉〉通説とはそういう意味でしょう。
〉もう少し詳しく書かれると、意図が分かるのですが、次のような意味でしょうか。
〉この短い文章を読むと、次のように解釈されますが(下記(1))、それでいいのでしょうか。
〉また、次のような点(下記(2)以下)は、どう理解しているのでしょうか。
〉すわなち、
〉Ry0tasanの理解によると、
〉(1) 私とたかぼんさんが、西洋思想の基本の一つの思想の通説か否かを述べていた、その通説とは、「英語のlawは、科学における法則と、議会で決める法律の2つであること、そして、科学における法則と、議会で決める法律とは、lawということでは同じである、ということだ」と理解されて、上記文章を書かれたのでしょうか。
Ry0tasanは、上記理解をしたものと判断した。
もし、わたしのその判断が正しければ、わたしとたかぼんさんの意見交換の内容とは、まったく異なった次元のことを、Ry0tasanは、述べている。
もし、その判断が違っているのなら、意見交換の内容と、Ry0tasanの主張は、どういう結びつきがあるのだろう。
〉(2)ach758さんとたかぼんさんの「スポーツと英文法の規則(ルール)の異同論争」でも、同じようなことを書いており(番号2169)、そこでは、「科学の法則」ではなく、「自然の法則」と書いていますが、上記投稿の「自然の法則」を「法律」と比較しているということは、「自然の法則」とは、「自然科学の法則」を指すという意味で、書かれたのでしょうか
Ry0tasanの答えは、YESと判断した。
〉(3)社会科学の法則という概念は、どのように理解されていますか。
Ry0tasanは、社会科学の法則という概念は、認めないと考えておられる可能性が高いと思われる。
〉(4)法律は、社会科学の法則という理解ですか。
上記(3)を前提とすると、Ry0tasanは、法律は、社会科学の法則ではないと考えていると思われる。
〉(5)日本語の「法則」の定義は、何であると理解されていますか。
不明。ここは、重要な点。
〉(6)英語でlawのみ、法則と翻訳する言葉ですか。
おそらく、Yesと考えておられると思われるが、NOの可能性もある。
ここも、かなり重要。
〉(7)ach758さんのところで、英文法は、せいぜい「作法」であると主張していますが、ここで日本語の「作法」とは、作法にいろいろある意味のうち、「礼儀作法」という意味ですか。
Yesと考えておられると判断する。
ただし、礼儀作法の内容は、明確ではない。
ここも、重要。
私は、ちなみに、英文法は、礼儀作法も含むが、大前提として、法則であると思っている。
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お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/10/26(16:28)
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主観の新茶さんがもうご自身で回答をお書きになっており、
僕からの回答をお望みなのか分かりませんが、
とりあえず最初の三つにお答えしておきます。
〉Ry0tasanさんへ。主観の新茶です。
〉〉新茶さん、
〉〉お久しぶりです。
〉おひさしぶりです。
〉〉科学における法則も、
〉〉議会で決める法律も、
〉〉英語では "law" と言います。
〉〉一般的な理解としては、
〉〉わざわざ別の名称をつける必要はなく、
〉〉同じようなことを言っているのだから同じ "law" で支障がないわけです。
〉〉通説とはそういう意味でしょう。
〉もう少し詳しく書かれると、意図が分かるのですが、次のような意味でしょうか。
〉この短い文章を読むと、次のように解釈されますが(下記(1))、それでいいのでしょうか。
〉また、次のような点(下記(2)以下)は、どう理解しているのでしょうか。
〉すわなち、
〉Ry0tasanの理解によると、
〉(1) 私とたかぼんさんが、西洋思想の基本の一つの思想の通説か否かを述べていた、その通説とは、「英語のlawは、科学における法則と、議会で決める法律の2つであること、そして、科学における法則と、議会で決める法律とは、lawということでは同じである、ということだ」と理解されて、上記文章を書かれたのでしょうか。
科学における法則と議会で決める法律の二つだけではないかもしれません。
単に代表的な二つを挙げただけで、
ほかにも存在する可能性は否定しません。
いずれにしても、
この二つは実質的に同じものとして認識されていると思います。
〉(2)ach758さんとたかぼんさんの「スポーツと英文法の規則(ルール)の異同論争」でも、同じようなことを書いており(番号2169)、そこでは、「科学の法則」ではなく、「自然の法則」と書いていますが、上記投稿の「自然の法則」を「法律」と比較しているということは、「自然の法則」とは、「自然科学の法則」を指すという意味で、書かれたのでしょうか
そうです。
自然の法則も自然科学の法則も実質的には同じと考えております。
〉(3)社会科学の法則という概念は、どのように理解されていますか。
最初はこの質問が漠然としていて答えにくかったんですが、
新茶さんご自身の推測をもとに判断すると、
社会科学の法則が存在することを僕が認めるかどうかということらしいですね。
これは存在すると思います。
西欧の一般人がどう認識しているかは分からないし、
自然科学の法則より発見や証明が難しいと思いますが、
きっと存在するだろうと個人的には考えております。
社会現象の根底にある法則とか、
社会を動かしている法則と言った方が、
僕としては理解し易いです。
今回はここまでにします。
返事を強要すべきでないというご指摘も上の方で出ておりますが、
もともと新茶さんからの要請に僕が答えているという経緯に鑑み、
この投稿に対するお返事をいただいてから、
4番以降にお答えするつもりです。
(ソレイユさん、ごめんなさい。)
ちゃんとした返事ではないと判断されたばあいでも、
せめて「読みました」ぐらいのお返事をいただけると嬉しいです。
(義務ではありません。)
こちらとしては急ぎませんが、
日数が経ったばあいは、
新しいトピックにしていただけると、
助かります。
以上。
〉(4)法律は、社会科学の法則という理解ですか。
〉(5)日本語の「法則」の定義は、何であると理解されていますか。
〉(6)英語でlawのみ、法則と翻訳する言葉ですか。
〉(7)ach758さんのところで、英文法は、せいぜい「作法」であると主張していますが、ここで日本語の「作法」とは、作法にいろいろある意味のうち、「礼儀作法」という意味ですか。
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お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/10/28(07:56)
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返事を強要すべきでないというご指摘がソレイユさんと管理人さんから出ているので、
それにそった補足をします。
主観の新茶さんから出された七つの質問に対して、
三つまでお答えしました。
これに対して新茶さんからのお返事がなくても、
僕は一向に気にしません。
悲しんだり、
怒ったりもしません。
三つまでならそんなに多くの質問でもないと思うので。
四つ目以降の質問に対しては、
新茶さんのお返事があれば、
できるだけお答えするようにします。
決してお返事を要求しているわけではありません。
新茶さんの方で拒否なさる権利は保証いたします。
お返事いただければ望外の幸せですが、
お返事いただけなくても全く問題ないです。
もし気分が乗って時間があれば、
お返事がなくても、
僕の方で勝手に、
四つ目以降の質問にお答えする可能性もあります。
答えるかもしれないし、
答えないかもしれないという意味です。
この補足に対しても、
ご気分がのらないとか、
お忙しいとか、
ちゃんとした補足でないと判断されるばあい、
お返事は不要です。
以上
Happy reading!
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お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/1(20:43)
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Ry0tasan さんへ。主観の新茶です。
返事したくなかったわけではありません。
Ry0tasan の方法で、英書を読む方法として、採用できる範囲及び方法、適合できる人の範囲等を検討したいのです。
10年間程度の学習が必要であると近時述べておられるが、これは、たとえば、1日6時間くらいは、いや、もっと、英語に没頭できる環境だっだのではないかなどと考えます。
Ry0tasan の情報を収集しているが、情報が不足しているので、残りの点も、お答え願いたいと思います。
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/11/2(09:19)
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〉Ry0tasan さんへ。主観の新茶です。
〉返事したくなかったわけではありません。
お元気ですか?
お互いに、
書き込みできない日が続くことはあるでしょう。
〉Ry0tasan の方法で、英書を読む方法として、採用できる範囲及び方法、適合できる人の範囲等を検討したいのです。
僕が78年から80年代に実践し、
大人むけの英書を読めるようになった方法について書いているばあい、
単にそういうことをしていたという事実をお知らせしているだけで、
みなさんにお勧めするつもりもありません。
SSSのような団体も無かったし、
具体的にどこから手をつけたら良いのかを日本語で詳しく解説した本も見つかりませんでした。
手探りの試行錯誤でした。
参考になる部分もあるし、
反面教師的に受け止めてくださった方が良いばあいもあるでしょう。
〉10年間程度の学習が必要であると近時述べておられるが、これは、たとえば、1日6時間くらいは、いや、もっと、英語に没頭できる環境だっだのではないかなどと考えます。
英語を訳さず、
習うより慣れろ式で大量に摂取する方法を始めて、
最初の9ヶ月間ぐらいは確かに没頭していました。
そのあとは、
大学生同士で雑談したり、
オーケストラの練習に出席したり、
家庭教師や廃品回収のアルバイトをしたりで、
英語を読む時間は細切れでした。
近所にあるコーヒー店で読むことが多かったです。
テレビは見なかったので、
その時間を読書にあてることはできました。
習うより慣れろ式を始めてから、
Lady Chatterley's Lover を読み通せるようになるまで、
3年はかかっていません。
10年かかったのは、
受験のために訳語と対応させて暗記した1000語で、
この訳語がポップアップしてこなくなるまでに要した unlearning の歳月のことかもしれませんね。
もっと基本的で出現頻度の高い単語は、
子どもむけ英英辞典などでやり直したし、
もっと難しい単語は英英辞典を何冊か読み比べて理解するようにしていました。
ですから、
おおむね本は読めていたと思います。
訳語の出てくる単語でときどき引っかかっていたというところですね。
読む速度をもっと上げて、
英語を聴く行為との隙間を埋めたかったのです。
適用範囲については、
大都市の大きな書店や図書館へ定期的に出かけて行くことができる環境に居ることが、
必要条件だと思っています。
それから、
絵の多い本や子ども向けの本は絶対に読みたくないという人には、
適用が難しいでしょうね。
〉Ry0tasan の情報を収集しているが、情報が不足しているので、残りの点も、お答え願いたいと思います。
僕がどういう人物かを調べるより、
まりあさんの新しい本を読まれた方が、
本格的な英書を読めるようになるまでの道のりとしては速いかと思いますが、
そう簡単に納得していただけないだろうとも思います。
質問の6まではお答えしました。
7番目も近いうちにお答えするつもりです。
Happy reading!
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お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/11/2(07:41)
------------------------------
お待たせしました。
それでは質問の4番目から6番目のところをご覧ください。
〉Ry0tasanさんへ。主観の新茶です。
〉〉新茶さん、
〉〉お久しぶりです。
〉おひさしぶりです。
〉〉科学における法則も、
〉〉議会で決める法律も、
〉〉英語では "law" と言います。
〉〉一般的な理解としては、
〉〉わざわざ別の名称をつける必要はなく、
〉〉同じようなことを言っているのだから同じ "law" で支障がないわけです。
〉〉通説とはそういう意味でしょう。
〉もう少し詳しく書かれると、意図が分かるのですが、次のような意味でしょうか。
〉この短い文章を読むと、次のように解釈されますが(下記(1))、それでいいのでしょうか。
〉また、次のような点(下記(2)以下)は、どう理解しているのでしょうか。
〉すわなち、
〉Ry0tasanの理解によると、
〉(1) 私とたかぼんさんが、西洋思想の基本の一つの思想の通説か否かを述べていた、その通説とは、「英語のlawは、科学における法則と、議会で決める法律の2つであること、そして、科学における法則と、議会で決める法律とは、lawということでは同じである、ということだ」と理解されて、上記文章を書かれたのでしょうか。
〉(2)ach758さんとたかぼんさんの「スポーツと英文法の規則(ルール)の異同論争」でも、同じようなことを書いており(番号2169)、そこでは、「科学の法則」ではなく、「自然の法則」と書いていますが、上記投稿の「自然の法則」を「法律」と比較しているということは、「自然の法則」とは、「自然科学の法則」を指すという意味で、書かれたのでしょうか
〉(3)社会科学の法則という概念は、どのように理解されていますか。
〉(4)法律は、社会科学の法則という理解ですか。
いいえ。
個人的な見解としては、
別だと考えています。
英語文化圏の庶民が、
両者を似通ったものとして日常的に認識しているとは思いますが、
実際に社会科学の研究をしている人も、
立法の仕事をする人も、
この両者を同一視してはいないと思います。
〉(5)日本語の「法則」の定義は、何であると理解されていますか。
これについては国語辞典をご覧ください。
〉(6)英語でlawのみ、法則と翻訳する言葉ですか。
いいえ、
英語にも同意語は沢山あるし、
翻訳者の判断次第で、
「法則」と表現されることもありえます。
7番目はまたの機会にさせていただきます。
〉(7)ach758さんのところで、英文法は、せいぜい「作法」であると主張していますが、ここで日本語の「作法」とは、作法にいろいろある意味のうち、「礼儀作法」という意味ですか。
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お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/11/3(07:31)
------------------------------
お待たせしました。
7番目の回答は、
この投稿の一番下をご覧ください。
〉Ry0tasanさんへ。主観の新茶です。
〉〉新茶さん、
〉〉お久しぶりです。
〉おひさしぶりです。
〉〉科学における法則も、
〉〉議会で決める法律も、
〉〉英語では "law" と言います。
〉〉一般的な理解としては、
〉〉わざわざ別の名称をつける必要はなく、
〉〉同じようなことを言っているのだから同じ "law" で支障がないわけです。
〉〉通説とはそういう意味でしょう。
〉もう少し詳しく書かれると、意図が分かるのですが、次のような意味でしょうか。
〉この短い文章を読むと、次のように解釈されますが(下記(1))、それでいいのでしょうか。
〉また、次のような点(下記(2)以下)は、どう理解しているのでしょうか。
〉すわなち、
〉Ry0tasanの理解によると、
〉(1) 私とたかぼんさんが、西洋思想の基本の一つの思想の通説か否かを述べていた、その通説とは、「英語のlawは、科学における法則と、議会で決める法律の2つであること、そして、科学における法則と、議会で決める法律とは、lawということでは同じである、ということだ」と理解されて、上記文章を書かれたのでしょうか。
〉(2)ach758さんとたかぼんさんの「スポーツと英文法の規則(ルール)の異同論争」でも、同じようなことを書いており(番号2169)、そこでは、「科学の法則」ではなく、「自然の法則」と書いていますが、上記投稿の「自然の法則」を「法律」と比較しているということは、「自然の法則」とは、「自然科学の法則」を指すという意味で、書かれたのでしょうか
〉(3)社会科学の法則という概念は、どのように理解されていますか。
〉(4)法律は、社会科学の法則という理解ですか。
〉(5)日本語の「法則」の定義は、何であると理解されていますか。
〉(6)英語でlawのみ、法則と翻訳する言葉ですか。
〉(7)ach758さんのところで、英文法は、せいぜい「作法」であると主張していますが、ここで日本語の「作法」とは、作法にいろいろある意味のうち、「礼儀作法」という意味ですか。
あえて言えば "no" です。重なる部分もありますが、重ならない部分もあります。全く同一とは言えません。文法的な表現でも礼儀としてお薦めできないことはあります。このほかに、「作法」という表現を使った理由は二つあります。
1. いわゆる "English grammar" というのは、単語をつなげて英文を作る方法、つまり英文作成法です。そういう意味で作法と言えます。
2. どういう文が文法的かは、一部は合理性に基づくばあいもありますが、社会的に決定されることもあります。たとえば "go" の過去形には "goed" という合理的・規則的な形もありましたが、社会的に認められていないので、文法的な表現として認識されていません。本来 "wend" の過去形だったはずの "went" が使われているというわけです。
以上です。
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お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/8(21:28)
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新茶です。
お忙しいところ、非常に感謝です。
私の考えと同じ思想の持ち主は、いないものかと思っていました。
捜し求めていたわけではないのですが、たまたま読書するうちに、私の考えと、同趣旨の本を見つけました。
内田義彦「読書と社会科学」岩波新書 黄色版 288
2007年版で、35刷りです。
大学の経済学の老先生ですね。
これを読んでもらえると助かります。
互いの概念の統一のため。
お互いに違った概念で話していても、仕方がありません。
この本は、社会科学を超えた一般的内容です。
一般人の読書会で講演した内容をも、基礎としています。
「ウェーバーを読むとは、ウェーバーのように考えることのできる読み方」
「本を読んで楽しいの意味」
は、私とまったく同じ考え方です。
「法則」については、160ページ以下。
「勉強」については、117ページ以下。
ここも、私が、昔から、習っていた事柄と同じです。
勉強の概念及び学問との関係は、ryOtasanさんも、ネットで書かれていますね。
今までのお答えについては、よく読んでいますが、完全には分かりにくい説明もあり、隔靴掻痒の感もありますが、今回は、お聞きする項目は、なしです。
それでは
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お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/11/9(07:29)
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〉新茶です。
〉お忙しいところ、非常に感謝です。
主観の新茶さん、
お元気そうでなによりです。
〉私の考えと同じ思想の持ち主は、いないものかと思っていました。
〉捜し求めていたわけではないのですが、たまたま読書するうちに、私の考えと、同趣旨の本を見つけました。
〉内田義彦「読書と社会科学」岩波新書 黄色版 288
〉2007年版で、35刷りです。
〉大学の経済学の老先生ですね。
有名な学者ですね。
僕は読んだことが無いですが。
〉これを読んでもらえると助かります。
〉互いの概念の統一のため。
〉お互いに違った概念で話していても、仕方がありません。
国語辞典に載っている定義とは違う意味合いで僕たちが日本語を使っているようなら、
ご指摘ください。
新茶さんご自身が国語辞典とは違うお考えをお持ちなら、
新茶さんによる定義をお願いします。
勿論、
国語辞典が100パーセント正しいとは限らないし、
社会科学における定義の方が正しいばあいだって、
あるかもしれません。
〉この本は、社会科学を超えた一般的内容です。
〉一般人の読書会で講演した内容をも、基礎としています。
〉「ウェーバーを読むとは、ウェーバーのように考えることのできる読み方」
〉「本を読んで楽しいの意味」
〉は、私とまったく同じ考え方です。
〉「法則」については、160ページ以下。
〉「勉強」については、117ページ以下。
〉ここも、私が、昔から、習っていた事柄と同じです。
こういうばあいも、
まずは新茶さんご自身による定義を説明をいただけると、
助かります。
法則については既にご意見を伺っているので、
勉強の方だけで結構です。
それを拝見してから、
内田先生の岩波新書を読もうと思います。
〉勉強の概念及び学問との関係は、ryOtasanさんも、ネットで書かれていますね。
あれもそんなに非常識な考えではないと思いますが、
ある程度の説明は必要だと思って書きました。
〉今までのお答えについては、よく読んでいますが、完全には分かりにくい説明もあり、隔靴掻痒の感もありますが、今回は、お聞きする項目は、なしです。
〉 それでは
質問が形になるまで日数がかかることもあるでしょう。
こちらとしても全てをご説明もうしあげたわけではありません。
いずれまたの機会とさせていただきます。
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新茶です。
勉強の定義は、直ぐに書けますが、正確にするために、出典を示すと長くなるし、少し時間を下さい。
追伸:追伸を書くのも変かもしれませんが、今週の回答は、困難かもしれません。悪しからず。11月16日、記。
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488. Re: 勉強の定義 漢詩による由来 内田義彦著「読書と社会科学」等
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/24(20:54)
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Ry0tasanさんへ。こんにちは。
主観の新茶です。
第1 勉強の定義等
1 勉強の定義
勉強とは、「自らを強いて励まし、楽しみを得るべく、行動すること」である。
勉強とは、「楽しみは、少し無理をして努力しても享受すべきこと」をいう、と言って同義である。
同じく、勉強とは、「人生、短いのだから、機会を見つけ、無理をしてでも楽しむべし、の意」である。
2 内田義彦 「読書と社会科学」
私の見解は、上記内田著「読書と社会科学」P117〜P132と同趣旨である。
意の足りない点は、上記内田著を参照されたい。
上記著書に、漢詩3つが引用されているので、第2に記す。
いずれも、勉強の語の由来として代表的な詩である。
第2 漢詩の出典
1 白楽天 『東城に春を尋ぬ』
老色、日に面に上り、歓情、日に心を去る。
今、既に昔に如かず。後、当に今に如かざるべし。
今なお、未だ甚だしくは衰えず。事毎に、力、任うべし。
花時、なお、出づるを愛し、酒後、なお、よく吟ず。
ただ恐る。かくの如き趣も、また日に随って消沈せんことを
東城の春、老いんと欲す、勉強して、一たび来尋す。
(句読点を付与)
2 欧陽脩 『酔翁亭の記』
造化は、無情、物を選ばず。春色、また至る、深山の中。
山桃、渓杏、意思少なきも、自ずから、時節を逐いて、春風に開く。
花を看る遊女は、醜さを知らず。古粧、野態、花の紅と争う。
人生の行楽、勉強にあり。酒あらば、そむくなかれ、瑠璃の盃に。
主人、笑うなかれ、花と娘と。
ああ、汝、自ずから、これ、花前の翁なり。
(句読点を付し、難読漢字を、適宜、別の漢字またはひらがなに変更)
原文
豊楽亭小飲 欧陽修
造化無情不択物 春色亦到深山中
山桃渓杏少意思 自趁時節開春風
看花遊女不知醜 古粧野態争花紅
人生行楽在勉強 有酒莫負瑠璃鍾
主人勿笑花與女 嗟爾自是花前翁
3 陶淵明 『雑詩』
人生、根帯なし。飄として、陌上の塵の如し。
分散して、風を逐いて転ず。これ、已に常の身にあらず。
地に落ちて、兄弟となる。何ぞ、必ずしも骨肉の親のみならんや。
歓楽を得ては当に楽しみを作すべし。斗酒、比隣を集む。
盛年、重ねて来たらず。一日、再び晨になり難し。
時に及びては、当に勉励すべし。歳月、人を待たず。
(句読点を付し、難読漢字を、適宜、別の漢字またはひらがなに変更)
第3 その他
1 漢詩における「勉強」等の意味
第1の白楽天、勉強とは、「人生は、短いのだから、適当にする行動するという怠け者根性は捨てて、真の楽しみは勉強にあることを再三経験することにある。」という意味である。
第2の欧陽脩、勉強とは、「人生の楽しみは、応分に、ほどほどに、などといわず、無理やりにでも享受すべきである。酒に背を向けるな。田舎の娘も、存分、春を楽しみ、今を盛りと咲き誇る花と、美しさを競う。お前も、一個の存在として、人生を楽しむべきだ。」という意味である。一海知義氏・漢学者による。
第3の陶淵明、勉励とは、「勉強と同じ意味であり、学問や仕事を一生懸命することだけせよと述べているのではなく、それも大事だが、朝は、二度と来ないの例えどおり、機会を逃さず、自分のやりたい楽しみを尽くせ」という意味である。稲田孝氏・漢学者による。
同稲田孝氏に依拠すると、勉励は、「努力」と同じ言葉であり、第3の詩は、夫が妻に送った蘇武の漢詩「努力して春華を愛せよ。歓楽の時を忘るることなかれ」と同じ心境であると説明する。
2 一部の場面に変容して使用される現代の勉強の意味
「市場で主婦が八百屋に値段の勉強を迫る」「親が子供に学校の勉強をせよと迫る」などの「勉強」には、漢詩の意と同じく、最小限、「強いる」という意味で、由来に忠実であるが、その余の意味は、忠実ではないという指摘は、上記内田著に記載されているとおりである。
3 仕事における勉強という言葉の現代の使われ方
仕事で、勉強という言葉は、悪い意味で使われることはないし、意識して使われることもないが、自然に「この点を勉強しよう」などという使い方は、当然なされる。
つまり、勉強は、自発的に自ら強いて行うという本来の意味で使用している。
他から指示される場合も、これを自分の為にもなると置き換えて、自ら強いて行うという本来の意味で使用している。
高校までの学校勉強の意味に使われることはないし、暗記勉強の意味に使われることもない。
暗記で対処できる分野は、勉強する範囲が狭いといっていいだろう。
覚えることも多く、また、覚えただけでは仕事はできず、応用力及び判断力を求められる勉強は、暗記では対処できないが、これが、大学における勉強、さらに、社会における勉強である。
4 「お勉強」の意味
私は、「お勉強」という言い方は、SSSの投稿を見るまで、知らなかった。
この言い方が、いつごろ出現したかは、知らない。
しかし、最近、竹中平蔵氏が、「お勉強」という用語を使用しているのを発見したが、同氏は、「お勉強とは、高校までの暗記を主体とする英語・数学等の学校勉強、または社会に出てからの学校勉強に近似する暗記主体の英語等の学校類似勉強」という内容の定義を述べており、「このような『お勉強』も、一部必要である」という見解を開陳されている。
第1の漢詩の訳及び解説は、上記内田著を、第2及び第3の漢詩の訳及び解説は、漢詩一日一首、中国の故事と名言500選、いずれも平凡社を、それぞれ参照した。
以 上
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490. Re: 勉強の定義 漢詩による由来 内田義彦著「読書と社会科学」等
お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/11/27(20:42)
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〉 Ry0tasanさんへ。こんにちは。
〉 主観の新茶です。
詳しい解説をありがとうございます。
『読書と社会科学』の勉強に関する箇所を読んでみました。
〉第1 勉強の定義等
〉1 勉強の定義
〉 勉強とは、「自らを強いて励まし、楽しみを得るべく、行動すること」である。
〉 勉強とは、「楽しみは、少し無理をして努力しても享受すべきこと」をいう、と言って同義である。
〉 同じく、勉強とは、「人生、短いのだから、機会を見つけ、無理をしてでも楽しむべし、の意」である。
すみませんが部分と全体を混同してらっしゃいませんか。
〉
〉2 内田義彦 「読書と社会科学」
〉 私の見解は、上記内田著「読書と社会科学」P117〜P132と同趣旨である。
〉 意の足りない点は、上記内田著を参照されたい。
〉 上記著書に、漢詩3つが引用されているので、第2に記す。
〉 いずれも、勉強の語の由来として代表的な詩である。
この本に引用された三つの詩句が勉強の「由来」であると書いてあるのは、
何頁ですか?
〉第2 漢詩の出典
〉1 白楽天 『東城に春を尋ぬ』
〉 老色、日に面に上り、歓情、日に心を去る。
〉 今、既に昔に如かず。後、当に今に如かざるべし。
〉
〉 今なお、未だ甚だしくは衰えず。事毎に、力、任うべし。
〉 花時、なお、出づるを愛し、酒後、なお、よく吟ず。
〉 ただ恐る。かくの如き趣も、また日に随って消沈せんことを
〉 東城の春、老いんと欲す、勉強して、一たび来尋す。
〉 (句読点を付与)
『読書と社会科学』よれば、
上記の詩における「勉強して」というのは、
「ちょっと無理をして」という意味ですよね。(p. 125)
〉2 欧陽脩 『酔翁亭の記』
〉 造化は、無情、物を選ばず。春色、また至る、深山の中。
〉 山桃、渓杏、意思少なきも、自ずから、時節を逐いて、春風に開く。
〉 花を看る遊女は、醜さを知らず。古粧、野態、花の紅と争う。
〉 人生の行楽、勉強にあり。酒あらば、そむくなかれ、瑠璃の盃に。
〉 主人、笑うなかれ、花と娘と。
〉 ああ、汝、自ずから、これ、花前の翁なり。
〉 (句読点を付し、難読漢字を、適宜、別の漢字またはひらがなに変更)
〉 原文
〉 豊楽亭小飲 欧陽修
〉 造化無情不択物 春色亦到深山中
〉 山桃渓杏少意思 自趁時節開春風
〉 看花遊女不知醜 古粧野態争花紅
〉 人生行楽在勉強 有酒莫負瑠璃鍾
〉 主人勿笑花與女 嗟爾自是花前翁
この詩で使われている「勉強」も、
『読書と社会科学』によれば、
「無理をして」とか「努力」という意味ですね。(p. 125, 127)
「怠けもの根性をすてて」という説明もあります。(p. 125)
それから、
学問をすることではないとも言っていますね。(p. 125)
〉3 陶淵明 『雑詩』
〉 人生、根帯なし。飄として、陌上の塵の如し。
〉 分散して、風を逐いて転ず。これ、已に常の身にあらず。
〉 地に落ちて、兄弟となる。何ぞ、必ずしも骨肉の親のみならんや。
〉 歓楽を得ては当に楽しみを作すべし。斗酒、比隣を集む。
〉 盛年、重ねて来たらず。一日、再び晨になり難し。
〉 時に及びては、当に勉励すべし。歳月、人を待たず。
〉(句読点を付し、難読漢字を、適宜、別の漢字またはひらがなに変更)
この詩で使われている「勉励」も、
『読書と社会科学』では、
「怠け者根性をすてて」となりますね。(p. 128)
〉第3 その他
〉1 漢詩における「勉強」等の意味
〉 第1の白楽天、勉強とは、「人生は、短いのだから、適当にする行動するという怠け者根性は捨てて、真の楽しみは勉強にあることを再三経験することにある。」という意味である。
〉 第2の欧陽脩、勉強とは、「人生の楽しみは、応分に、ほどほどに、などといわず、無理やりにでも享受すべきである。酒に背を向けるな。田舎の娘も、存分、春を楽しみ、今を盛りと咲き誇る花と、美しさを競う。お前も、一個の存在として、人生を楽しむべきだ。」という意味である。一海知義氏・漢学者による。
〉 第3の陶淵明、勉励とは、「勉強と同じ意味であり、学問や仕事を一生懸命することだけせよと述べているのではなく、それも大事だが、朝は、二度と来ないの例えどおり、機会を逃さず、自分のやりたい楽しみを尽くせ」という意味である。稲田孝氏・漢学者による。
ここでも単語の意味と詩句全体の意味を混同されていますね。
〉 同稲田孝氏に依拠すると、勉励は、「努力」と同じ言葉であり、第3の詩は、夫が妻に送った蘇武の漢詩「努力して春華を愛せよ。歓楽の時を忘るることなかれ」と同じ心境であると説明する。
ようするに、
漢文では「勉強」でも「勉励」でも、
「努力」とか「無理をする」という意味なのでしょう。
諸橋轍次の『大漢和辞典』も調べてみました。
漢文の用例と一緒に示されている定義は、
「力を尽くしてつとめる。精を出す」だけでした。(p. 1470)
[旧漢字は新漢字に置き換えてあります。]
目的が楽しみであれ何であれ、
漢文における「勉強」とは、
努力することや無理をすることなのでしょう。
楽しみを追求するための努力という文脈で「勉強」を使うこともあるというのが、
『読書と社会科学』における「勉強」の箇所の主旨だと思います。
「勉強」という単語(熟語?)自体に楽しみを追求するという意味が入っているわけではないと思います。
〉2 一部の場面に変容して使用される現代の勉強の意味
〉 「市場で主婦が八百屋に値段の勉強を迫る」「親が子供に学校の勉強をせよと迫る」などの「勉強」には、漢詩の意と同じく、最小限、「強いる」という意味で、由来に忠実であるが、その余の意味は、忠実ではないという指摘は、上記内田著に記載されているとおりである。
たしかに漢文における「勉強」からは変質していますね。
外来語でこういう変化は良くあることです。
〉3 仕事における勉強という言葉の現代の使われ方
〉 仕事で、勉強という言葉は、悪い意味で使われることはないし、意識して使われることもないが、自然に「この点を勉強しよう」などという使い方は、当然なされる。
〉 つまり、勉強は、自発的に自ら強いて行うという本来の意味で使用している。
〉 他から指示される場合も、これを自分の為にもなると置き換えて、自ら強いて行うという本来の意味で使用している。
「自律的」を「自発的」に書き換えると、
「無理をする」という原義が消えてしまいませんか?
〉 高校までの学校勉強の意味に使われることはないし、暗記勉強の意味に使われることもない。
この箇所はどういう根拠でおっしゃっているのでしょうか?
〉 暗記で対処できる分野は、勉強する範囲が狭いといっていいだろう。
この点には大賛成です。
〉 覚えることも多く、また、覚えただけでは仕事はできず、応用力及び判断力を求められる勉強は、暗記では対処できないが、これが、大学における勉強、さらに、社会における勉強である。
この点も同感です。
『日本国語大辞典』では、
「気がすすまないことを、しかたなしにすること」という定義も載っています。
〉4 「お勉強」の意味
〉 私は、「お勉強」という言い方は、SSSの投稿を見るまで、知らなかった。
〉 この言い方が、いつごろ出現したかは、知らない。
〉 しかし、最近、竹中平蔵氏が、「お勉強」という用語を使用しているのを発見したが、同氏は、「お勉強とは、高校までの暗記を主体とする英語・数学等の学校勉強、または社会に出てからの学校勉強に近似する暗記主体の英語等の学校類似勉強」という内容の定義を述べており、「このような『お勉強』も、一部必要である」という見解を開陳されている。
「お勉強」と言うと子どもの勉強のような感じがしますが、
これについては僕も詳しいことを知りません。
70年代に多胡輝先生の本で見た様な記憶はあります。
〉 第1の漢詩の訳及び解説は、上記内田著を、第2及び第3の漢詩の訳及び解説は、漢詩一日一首、中国の故事と名言500選、いずれも平凡社を、それぞれ参照した。
最後に確認しておきます。
「人生の行楽は勉強にあり」という詩句における「勉強」は、
「学問をする」という意味ではないと言うわけですね。
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1617. 貴君の主張をつぶさに検討したが,「勉強の定義」を訂正すべき点は全くない。
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2015/1/4(00:08)
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1 貴君の主張をつぶさに検討したが,訂正すべき点は全くない。
貴君は,私が物事(勉強の定義)を混同していると論難(=誤りがあると指摘し非難)したのであるけれども,貴君の批判は,該当しない。
2 すなわち,私は,これまで,勉強とは,漢文=中国古代文化において,「少し無理をしてでも楽しもうという」意味である,現代にも,同じ意味に使うべきであると主張しているところ,これを訂正する点は,全くない。
貴君は,「勉強とは,無理をする以外の意味はない。無理をして,楽しい場合もあれば,楽しくない場合もある。したがって,楽しむという付加が付いていることは,混同に当たる。」と主張している。
しかし,私は,混同していない。
私は,中国古代文化=いわゆる漢文において,楽しくない場合には,勉強という言葉は,使用していないといって良いと考えている。
これすなわち,勉強は,内在的に,楽しいという意味を包含する所以である。
私の考えは,一海知義氏の著書を見て考えたのであり,根拠を有する(漢語の知識7頁:岩波ジュニア新書)。
一海氏は,勉強という言葉自体,敢えていえば,無理をして楽しもうという意味があると述べている。
私は,この説に賛同した。
この著書を見て,なおも,貴君が自分の意見が正しく,私の見解が,混同しているというのであれば,最早,貴君の意見は,牽強付会(こじつけという意味)にすぎないというべきであろう。
3 さて,貴君は,私が,言葉の使い方を「混同した」と主張するのである。
貴君は,「勉強」という言葉は,本来,楽しむ・楽しまないとは関係がない無色の言葉で,単に「無理をする」という意味である,しかるに,私が引用した詩は,勉強を楽しむという文脈で使用している,この詩で,「無理して楽しむ」という意味が出てくるのは,詩の内容からであって,勉強という言葉の本来の意味ではない,したがって,貴君の指摘は,楽しむという限定解釈を施した私の見解は,「今回の詩の内容で使われる勉強の意味と,勉強という語句そのものの意味とを混同している」という趣旨である。
4 再度,結論をいうと,私は,混同をしていない。
混同しているという貴君の主張は,揚げ足取り(=言葉尻にいちゃもんを付けていること)である。
5 まず,非限定で「無理をする」場合と,限定概念である「楽しんで」「無理をする」とは,前者を○とすると,後者は,その○の中に○を書いた,つまり,◎の内側の丸になる。
包含関係である。
貴君の言わんとする「混同」は,比喩で言えば,蛇足(=余分なこと)である。「蛇足=楽しいという意味が付加しているのは,余分なこと」である。
6 ところで,混同とは,(1)AとBは,異なる概念であることを前提として,AをBと間違えるという意味と,(2)AとBを混和して,Cとなすという2つの意味がある。
私は,仕事上,(2)の意味も使う。
しかし,(2)の意味は,一般には,馴染みがない。
貴君は,(1)の意味で「混同」を使用しているのは,明らかである。
混同とは,一般には,例えば,公私混同のように,公と私という異なる概念を前提として,これを混同しているという使い方をするのである。
私は,Aを,Aと異なるBと間違えたのではない。
AとBは,「楽しむ」が付加されるかどうか,包含関係(=包摂関係)にある。
別の言い方をすると,AとBは,大は小を兼ねるという拡大概念又は縮小概念の関係にある。
異なる概念ではない。
貴君は,A=部分=「勉強」という語句そのものを,B=全体=詩句の中の意味と間違えたのだから,混同であるというのである。
しかし,間違えたことが,すべて「混同」という概念になるのではない。
「楽しまないで≒苦しんで,無理をする」という概念が,限定がない無色の「無理をする」という概念に包摂されるという問題である。
包摂するか,包摂されるかという関係の相違は,「混同」とはいわない。
2つの概念が,良く似た類似概念で異なる場合には,取り間違えたときに,混同したと表現しても良いかもしれない。
しかし,貴君は,包含関係ないし包摂関係にある場合,言い換えると,大は小を兼ねる場合に,大を小と間違えたという意味で,混同したと表現したのである。
貴君の使い方は,まあ,大目に見て,百歩譲れば,完全に間違った日本語の使い方だと,切って捨てることは,できないかも知れないな。
しかし,貴君は,「混同」という日本語を,少なくとも,適切には,使っていない。
貴君は,私のみならず,大学で,学生相手に,間違っているというときに,「混同している」という言い方を多用されるものと思われる。
7 第2に,貴君は,漢和辞典のみを見て,言葉の定義を論ずるという弊を犯している。
貴君は,かねがね,1979年(昭和54年)という貴君が19歳のころから辞典に頼らず英語を,とくに,主として小説に特化して読もうという主義を貫徹し,翻訳物は読まず,新聞とテレビを知識のよりどころとし,さらに,基本的に各種分野の専門書・啓蒙書等は読まないというやり方で,大学の英語の先生をしているところである。
辞典を見て,勉強の定義を云々するのは,辞書を見ないという貴君の主義に反しているのではないだろうか。
勉強というような昔からある言葉で,現在も使われている言葉は,権威ある漢和辞典を調べたことを以てのみ,定義を論ずるのは,軽率のそしりを免れないであろう。
8 第3に,貴君は,以下の区別を,明確にしていない。
勉強など漢字熟語は,(1)漢文=中国古典語,(2)現代中国語,(3)明治前の日本語,(4)現代日本語=漢語の4種類を混同しないで,区別しなければならない。
(1)は,これまで私が述べた定義のみ存在する。
(2)の現代中国語は,「無理をする」という無色の意味しかない。
貴君の掲げる定義である。
(3)は,(1)の意味で使用するほか,勉強=学問の意味も,少なくとも,江戸末期ころには,使われるようになったと思われる。
(4)は,(3)に付加すること,(ア)「嫌々義務教育の学習をさせられる」,(イ)「物の値段をまけて安くする」(ウ)「失敗したが,良い経験になった」「成功し,良い経験になった」などという意味などにも使用する。
私は,(1)の意味は,現代の日本(4)でも,通用しているし,仮に間違った使い方をしている者にも教えて,通用させなければならないと主張しているのである。
追加すると,現代日本語としての勉強は,学問という意味も,もちろん,ある。
勉強は,「強いて何々する」という意味もあるが,その場合には,勉強は,もちろん,学問の意味ではないが,勉強の対象となるものには,学問が含まれる。
「強いて学問をする」という言い方の場合は,「学問を勉強する」という言い方が,できるのである。
9 第4に,貴君は,当時の状況を無視し,方向違いの「あさって」の論述をして,私の意見を,くさ(腐)している。
私は,この投稿のころ,当時大学の英語の教師であったtadokuの酒井さんを含め,投稿者の多くの人が,「世間には,親から無理に嫌々強制されて学習した人が多い」から,「親から無理に嫌々強制されて学習した」ことが,「勉強」であって,勉強という言葉は,使わないようにしようとか,勉強しないで英語をやろう,そもそも,勉強はしないでおこうとか強く主張しており,そのため,投稿において勉強という言葉を使う投稿者がいると,勉強はダメだなどと指摘するなどという発言があったから,私は,そういう状況を憂い,「勉強」という言葉を使わないという態度は,狭量であって,間違っているということを言わんがために投稿したのである。
そんなことくらいさえ,貴君は,読み取れなかったのか。情けないね。
私は,勉強という言葉が,辞書によっては,単に「無理して行うこと」と書いてあり,「楽しんで無理すること」とまで書いてないものがあることくらい知っていた。
しかし,勉強という言葉が,「強」という言葉に引きずられるのか,酒井さんをはじめ,投稿者が,「嫌々強制される」という意味で,「勉強」という言葉を用いている状況を間違っていると指摘し,正しく改めたほうが良いと指摘するいう意味で,投稿したのである。
私の定義に従えば,当時,酒井さんをはじめ多くの投稿者は,勉強していたのである。
もちろん,今も,勉強しているのである。
貴君の投稿は,こういう私のもくろみを台無しにするような場違いな発言であった。
10 ところで,貴君は,勉強という言葉は,外来語であるところ,外来語は,在来語=土着語(日本語の場合は,和語=大和言葉が,在来語である)に比較し,意味の変容が多いと述べている。
しかし,外来語であろうが,土着語であろうが,意味の変容の確率に,差異があるという証拠(=学問成果)は,ないと思われる。
貴君の根拠のない偏見であろう。
11 勉強は,もはや,日本語になっている。
日本人が使っている勉強という言葉=漢語は,日本語なのである(日本語になっている中国語を漢語と呼ぶ)。
貴君は,勉強という言葉が,日本語であると思っていないのではないか。
確かに勉強という言葉は,中国からの外来語=借用語であるが,外来語であるとか,借用語であるとか,必要性もないのに,持ち出すべきではない。
しかし,貴君は,大学の英語の教師であるところ,英語において,ラテン語経由やギリシア語経由やフランス語経由などの外来語は,元々の英語ではない,元々の英語を学ぶべきであると主張しているから,区別したがるのだろうね。
貴君の主張は,英語らしい英語は,ラテン語経由など外来の英語ではなく,元々のゲルマン語の土着語の英語であるというのである。
だから,私が,かつてラテン語など経由の英語の語源の話をしたら,貴君は,私とのやりとりの末,最後には,私に対し,そんな英語の知識習得の態度なら,英語の勉強なんか辞めてしまえなどと,くさ(腐)したんだね。
しかし,英語らしい英語などという発想をすること自体が,不要な差別だね。ラテン語経由の英語だって,りっぱに,英語らしい英語さ。
日本語だって,同じさ。大和言葉=和語が,漢語に比べ,美しいなんて主張している人がいるね。差別だね。
英語も,ラテン語やギリシア語を巧みに使える人が,ゲルマン土着英語の巧みな使い手でもあった。
漢語も,たとえば,使い方によって,雄渾な美しさがあるさ。大和言葉も,たとえば,使い方によって,たおやかな美しさがある。
そして,古来,人の心に染み入るような漢語の使い手であってこそ,おなじく,人の心に染み入るような大和言葉が,使えたのさ。
これは,歴史の示すところである。
使い方によって,漢語も和語も,美しくも美しくなくもなるさ。この場合,単に美しいとか美しくないというのは,偏見だね。
たおやかとか,雄渾なとか,少なくとも,ひとこと,形容があるべきだろうね。
昔の言葉で残っている大和言葉の文章は,漢文の巧みな使い手でもあった。漢文を巧みに使えないで,和語を巧みに使えないのさ。
貴君の意見は,日本語の中で,漢語より,和語=やまとことばの方が,より日本語らしいという一部の人の見解と,同じようなものだね。
私の見解は,漢語もやまとことばも,同じ価値を持って,日本語らしいという考えだ。
ヒマではないが,積年,気になっていたことが,やっと書けた。
ネットで,「勉強の定義」を見ると,昔は,私の上記投稿は,1位だった。
今は,約140万件中,3位だ。
きちんとしたものを書いて良かったと思う。
個別の解答は,以下に補足して記載する。
"Ry0tasan"さんは[url:kb:490]で書きました:
〉〉 Ry0tasanさんへ。こんにちは。
〉〉 主観の新茶です。
〉詳しい解説をありがとうございます。
〉『読書と社会科学』の勉強に関する箇所を読んでみました。
〉〉第1 勉強の定義等
〉〉1 勉強の定義
〉〉 勉強とは、「自らを強いて励まし、楽しみを得るべく、行動すること」である。
〉〉 勉強とは、「楽しみは、少し無理をして努力しても享受すべきこと」をいう、と言って同義である。
〉〉 同じく、勉強とは、「人生、短いのだから、機会を見つけ、無理をしてでも楽しむべし、の意」である。
〉すみませんが部分と全体を混同してらっしゃいませんか。
混同していない。
答えは,上記のとおりである。
「すみませんが」「らっしゃいませんか」など,敬語の使い方が,慇懃無礼かつ変である。
〉〉
〉〉2 内田義彦 「読書と社会科学」
〉〉 私の見解は、上記内田著「読書と社会科学」P117〜P132と同趣旨である。
〉〉 意の足りない点は、上記内田著を参照されたい。
〉〉 上記著書に、漢詩3つが引用されているので、第2に記す。
〉〉 いずれも、勉強の語の由来として代表的な詩である。
〉この本に引用された三つの詩句が勉強の「由来」であると書いてあるのは、
〉何頁ですか?
この本に,「由来」と書いてあろうがなかろうが,関係がない。
3つの詩句は,客観的に,勉強という言葉の由来なのであるから。
再度くまなく読んだわけではないが,おそらく,内田さんの本に,「由来」ということは,書いてないと思う。
〉〉第2 漢詩の出典
〉〉1 白楽天 『東城に春を尋ぬ』
〉〉 老色、日に面に上り、歓情、日に心を去る。
〉〉 今、既に昔に如かず。後、当に今に如かざるべし。
〉〉
〉〉 今なお、未だ甚だしくは衰えず。事毎に、力、任うべし。
〉〉 花時、なお、出づるを愛し、酒後、なお、よく吟ず。
〉〉 ただ恐る。かくの如き趣も、また日に随って消沈せんことを
〉〉 東城の春、老いんと欲す、勉強して、一たび来尋す。
〉〉 (句読点を付与)
〉『読書と社会科学』よれば、
〉上記の詩における「勉強して」というのは、
〉「ちょっと無理をして」という意味ですよね。(p. 125)
〉〉2 欧陽脩 『酔翁亭の記』
〉〉 造化は、無情、物を選ばず。春色、また至る、深山の中。
〉〉 山桃、渓杏、意思少なきも、自ずから、時節を逐いて、春風に開く。
〉〉 花を看る遊女は、醜さを知らず。古粧、野態、花の紅と争う。
〉〉 人生の行楽、勉強にあり。酒あらば、そむくなかれ、瑠璃の盃に。
〉〉 主人、笑うなかれ、花と娘と。
〉〉 ああ、汝、自ずから、これ、花前の翁なり。
〉〉 (句読点を付し、難読漢字を、適宜、別の漢字またはひらがなに変更)
〉〉 原文
〉〉 豊楽亭小飲 欧陽修
〉〉 造化無情不択物 春色亦到深山中
〉〉 山桃渓杏少意思 自趁時節開春風
〉〉 看花遊女不知醜 古粧野態争花紅
〉〉 人生行楽在勉強 有酒莫負瑠璃鍾
〉〉 主人勿笑花與女 嗟爾自是花前翁
〉この詩で使われている「勉強」も、
〉『読書と社会科学』によれば、
〉「無理をして」とか「努力」という意味ですね。(p. 125, 127)
〉「怠けもの根性をすてて」という説明もあります。(p. 125)
〉それから、
〉学問をすることではないとも言っていますね。(p. 125)
〉〉3 陶淵明 『雑詩』
〉〉 人生、根帯なし。飄として、陌上の塵の如し。
〉〉 分散して、風を逐いて転ず。これ、已に常の身にあらず。
〉〉 地に落ちて、兄弟となる。何ぞ、必ずしも骨肉の親のみならんや。
〉〉 歓楽を得ては当に楽しみを作すべし。斗酒、比隣を集む。
〉〉 盛年、重ねて来たらず。一日、再び晨になり難し。
〉〉 時に及びては、当に勉励すべし。歳月、人を待たず。
〉〉(句読点を付し、難読漢字を、適宜、別の漢字またはひらがなに変更)
〉この詩で使われている「勉励」も、
〉『読書と社会科学』では、
〉「怠け者根性をすてて」となりますね。(p. 128)
〉〉第3 その他
〉〉1 漢詩における「勉強」等の意味
〉〉 第1の白楽天、勉強とは、「人生は、短いのだから、適当にする行動するという怠け者根性は捨てて、真の楽しみは勉強にあることを再三経験することにある。」という意味である。
〉〉 第2の欧陽脩、勉強とは、「人生の楽しみは、応分に、ほどほどに、などといわず、無理やりにでも享受すべきである。酒に背を向けるな。田舎の娘も、存分、春を楽しみ、今を盛りと咲き誇る花と、美しさを競う。お前も、一個の存在として、人生を楽しむべきだ。」という意味である。一海知義氏・漢学者による。
〉〉 第3の陶淵明、勉励とは、「勉強と同じ意味であり、学問や仕事を一生懸命することだけせよと述べているのではなく、それも大事だが、朝は、二度と来ないの例えどおり、機会を逃さず、自分のやりたい楽しみを尽くせ」という意味である。稲田孝氏・漢学者による。
〉ここでも単語の意味と詩句全体の意味を混同されていますね。
混同していない。この回答は,上記のとおりである。
ここまで読んで,貴君の混同とは,何を意味するかが,わかった。
それまで,混同? 何を混同?
訳分からんこと言ってるな,という感じであった。
〉〉 同稲田孝氏に依拠すると、勉励は、「努力」と同じ言葉であり、第3の詩は、夫が妻に送った蘇武の漢詩「努力して春華を愛せよ。歓楽の時を忘るることなかれ」と同じ心境であると説明する。
〉ようするに、
〉漢文では「勉強」でも「勉励」でも、
〉「努力」とか「無理をする」という意味なのでしょう。
〉諸橋轍次の『大漢和辞典』も調べてみました。
〉漢文の用例と一緒に示されている定義は、
〉「力を尽くしてつとめる。精を出す」だけでした。(p. 1470)
〉[旧漢字は新漢字に置き換えてあります。]
〉目的が楽しみであれ何であれ、
〉漢文における「勉強」とは、
〉努力することや無理をすることなのでしょう。
〉楽しみを追求するための努力という文脈で「勉強」を使うこともあるというのが、
〉『読書と社会科学』における「勉強」の箇所の主旨だと思います。
〉「勉強」という単語(熟語?)自体に楽しみを追求するという意味が入っているわけではないと思います。
貴君は,結局,「勉強」という言葉自体に,楽しみを追求するという意味が入っているわけではないと主張したかったのですね。
だったら,最初から,そう言えば良いのに。
すみませんが混同していらっしゃるなどというから,何だろうと思って,おかしくなるんだよ。
他人に対し,「混同している」という反論の言い方は,よっぽどの根拠のある大事なことでない限り,侮辱というか,失礼に当たるんですよ。
〉〉2 一部の場面に変容して使用される現代の勉強の意味
〉〉 「市場で主婦が八百屋に値段の勉強を迫る」「親が子供に学校の勉強をせよと迫る」などの「勉強」には、漢詩の意と同じく、最小限、「強いる」という意味で、由来に忠実であるが、その余の意味は、忠実ではないという指摘は、上記内田著に記載されているとおりである。
〉たしかに漢文における「勉強」からは変質していますね。
〉外来語でこういう変化は良くあることです。
考えが間違っている,大変問題のある記載です。
貴君の「外来語でこういう変化は良くあることです。」から見ると,外来語ではない本来語は,意味の変化は,外来語に比較し,多くないとしか,読み取れない。
本来語も外来語も,意味の変化という点では,どちらが多いかというようなことは,言えないというのが,正しい答えであると思います。
〉〉3 仕事における勉強という言葉の現代の使われ方
〉〉 仕事で、勉強という言葉は、悪い意味で使われることはないし、意識して使われることもないが、自然に「この点を勉強しよう」などという使い方は、当然なされる。
〉〉 つまり、勉強は、自発的に自ら強いて行うという本来の意味で使用している。
〉〉 他から指示される場合も、これを自分の為にもなると置き換えて、自ら強いて行うという本来の意味で使用している。
〉「自律的」を「自発的」に書き換えると、
〉「無理をする」という原義が消えてしまいませんか?
原義は,消えません。
貴君の主張は,意味不明です。
自律と自発の貴君の定義は,おそらく独自であって,私と違うことから,貴君独特の発言が出てくるのでしょう。
〉〉 高校までの学校勉強の意味に使われることはないし、暗記勉強の意味に使われることもない。
〉この箇所はどういう根拠でおっしゃっているのでしょうか?
「私について」という主体表現を,わざと抜かした文章です。
〉〉 暗記で対処できる分野は、勉強する範囲が狭いといっていいだろう。
〉この点には大賛成です。
賛同いただけて,ありがとう。
しかし,貴君と私では,生きてきた分野が違うから,同床異夢,呉越同舟のたぐいである。
〉〉 覚えることも多く、また、覚えただけでは仕事はできず、応用力及び判断力を求められる勉強は、暗記では対処できないが、これが、大学における勉強、さらに、社会における勉強である。
〉この点も同感です。
〉『日本国語大辞典』では、
〉「気がすすまないことを、しかたなしにすること」という定義も載っています。
〉〉4 「お勉強」の意味
〉〉 私は、「お勉強」という言い方は、SSSの投稿を見るまで、知らなかった。
〉〉 この言い方が、いつごろ出現したかは、知らない。
〉〉 しかし、最近、竹中平蔵氏が、「お勉強」という用語を使用しているのを発見したが、同氏は、「お勉強とは、高校までの暗記を主体とする英語・数学等の学校勉強、または社会に出てからの学校勉強に近似する暗記主体の英語等の学校類似勉強」という内容の定義を述べており、「このような『お勉強』も、一部必要である」という見解を開陳されている。
〉「お勉強」と言うと子どもの勉強のような感じがしますが、
〉これについては僕も詳しいことを知りません。
〉70年代に多胡輝先生の本で見た様な記憶はあります。
〉〉 第1の漢詩の訳及び解説は、上記内田著を、第2及び第3の漢詩の訳及び解説は、漢詩一日一首、中国の故事と名言500選、いずれも平凡社を、それぞれ参照した。
〉最後に確認しておきます。
〉「人生の行楽は勉強にあり」という詩句における「勉強」は、
〉「学問をする」という意味ではないと言うわけですね。
この場合の勉強は,ちょっと無理をしてでも楽しむのであって,学問をすることを含む。
ちょっと無理をしてでも楽しむことであれば,基本的には,何でも良いのであって,学問を除外しない。
ただ,この時代の勉強は,人民のために良い世の中を実現する施策を考えたり議論したり,また,詩歌を楽しんだりすることである。
この時代の勉強は,現実には,何でも良かったわけではない。
また勉強は,現代用語としては,学問をも意味する。
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お名前: acha758 http://acha758office.seesaa.net/
投稿日: 2008/11/6(08:01)
------------------------------
最近忙しくて掲示板読めてなかったのですが、名前が出ていたので出てきました。
Re: 言語を理解する上で西欧思想の正確で実のある議論 (acha758さんへのお詫び付き)
を(最後だけ)読みました。わざわざありがとうございます。
私は完璧に消化していますので、どうぞもうお気遣いなく。
最近書き込みしていないのは、たんに時間がないだけです・・・。
復活したたかぽんさんの、熱い投稿を今後も楽しみにしています。
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/11/6(22:45)
------------------------------
acha758さん、お返事ありがとうございます。
お返事いただこうと思ってなかったのですが、完全にお呼び立てしてましたね…
すみませんでした。
〉最近忙しくて掲示板読めてなかったのですが、名前が出ていたので出てきました。
どうもすみません。。。
〉Re: 言語を理解する上で西欧思想の正確で実のある議論 (acha758さんへのお詫び付き)
〉を(最後だけ)読みました。わざわざありがとうございます。
〉私は完璧に消化していますので、どうぞもうお気遣いなく。
〉最近書き込みしていないのは、たんに時間がないだけです・・・。
はい、ほんとに、お返事いただこうと思ってませんでした。
お気を遣わせてしまって、申し訳ございません。
〉復活したたかぽんさんの、熱い投稿を今後も楽しみにしています。
熱いですか(^^; 年齢なりに冷静にならないと…
何か、皆さんにお役に立てるような投稿をと、心がけたいと思います。(心がけだけは…)
今後ともよろしくお願いします。
ありがとうございました!
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お名前: こるも
投稿日: 2008/11/6(23:01)
------------------------------
こるです。チャチャ入れです。
先に謝っておきます。すみません。
〉熱いですか(^^; 年齢なりに冷静にならないと…
おお! 冷静なたかぽん! かっこいいぜ。
cool!
ところで英語には「きゅうりみたいにクール」
という言い回しがあるって、ほんと?
すみません。本当に。
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/11/6(23:12)
------------------------------
たかぽです。
〉こるです。チャチャ入れです。
ほんまやな。
〉先に謝っておきます。すみません。
何も言えんがな。
〉〉熱いですか(^^; 年齢なりに冷静にならないと…
〉おお! 冷静なたかぽん! かっこいいぜ。
〉cool!
いや、冷静になれるとは言っていない。。
ところで、woolの本当の発音知ったとき、驚かなかった?
〉ところで英語には「きゅうりみたいにクール」
〉という言い回しがあるって、ほんと?
ほんと。
彼らの好きな頭韻?かな。
「キューカンバーの好きなカッパー」
という言い回しを今作ったって、ごぞんじ?
〉すみません。本当に。
徹底して低姿勢。
------------------------------
〉たかぽです。
やっほー。
〉〉こるです。チャチャ入れです。
〉ほんまやな。
だから、そういってんじゃん。
〉〉先に謝っておきます。すみません。
〉何も言えんがな。
えー。怒るかと思っていたのに。
〉〉〉熱いですか(^^; 年齢なりに冷静にならないと…
〉〉おお! 冷静なたかぽん! かっこいいぜ。
〉〉cool!
〉いや、冷静になれるとは言っていない。。
ならないの?
〉ところで、woolの本当の発音知ったとき、驚かなかった?
えー。しらない。
〉〉ところで英語には「きゅうりみたいにクール」
〉〉という言い回しがあるって、ほんと?
〉ほんと。
〉彼らの好きな頭韻?かな。
「きゅうりみたいにクール」も、韻ふんでるよねー。
〉「キューカンバーの好きなカッパー」
〉という言い回しを今作ったって、ごぞんじ?
銅って、きゅうり好きなんだ。
〉〉すみません。本当に。
〉徹底して低姿勢。
すんませんね、ほんとうに。
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お名前: まりあ@SSS http://buhimaman.at.webry.info/
投稿日: 2008/11/6(23:54)
------------------------------
たかぽんさん、こるもさん、今晩は。 まりあ@SSSです。
〉〉ところで英語には「きゅうりみたいにクール」
〉〉という言い回しがあるって、ほんと?
〉ほんと。
〉彼らの好きな頭韻?かな。
たぶんそうじゃないと思ふ...
西洋人て、日焼けするとすぐ真っ赤っか。
きゅうりの薄切りを並べて冷やす。
ちなみに西洋のきゅうりはへちまに近いくらい
でかい!
捻挫・打ち身とかもやっぱりこれが簡便民間療法。
そこから来ているというだけの色気のないオチかと
思いますが。
でもきゅうりで冷やしていたのは冷凍冷蔵庫のない
時代の話。
今、アメリカで熱が出たとか、殴られたとか、冷やしたい
ときは冷凍グリーンピースの袋。
どこの家でも常備されているのが普通らしい。
Happy Cooling!
------------------------------
まりあさん、こんばんは。
〉〉〉ところで英語には「きゅうりみたいにクール」
〉〉〉という言い回しがあるって、ほんと?
〉〉ほんと。
〉〉彼らの好きな頭韻?かな。
〉 たぶんそうじゃないと思ふ...
〉 西洋人て、日焼けするとすぐ真っ赤っか。
〉 きゅうりの薄切りを並べて冷やす。
〉 ちなみに西洋のきゅうりはへちまに近いくらい
〉 でかい!
〉 捻挫・打ち身とかもやっぱりこれが簡便民間療法。
〉 そこから来ているというだけの色気のないオチかと
〉 思いますが。
あー、日焼けにきゅうりって、聞いたことがあります。
そういえば。
カーマインローションの代わりになるんですよね。
やったこともあります。
きゅうりパック。
効いたのかな?覚えていませんけど。
〉 でもきゅうりで冷やしていたのは冷凍冷蔵庫のない
〉 時代の話。
〉 今、アメリカで熱が出たとか、殴られたとか、冷やしたい
〉 ときは冷凍グリーンピースの袋。
〉 どこの家でも常備されているのが普通らしい。
〉Happy Cooling!
ありがとうございました。
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お名前: ドラちゃん http://dorataoku.blog37.fc2.com/
投稿日: 2008/11/7(03:21)
------------------------------
まりあさん、たかぽんさん、こるもさん、こんばんは〜!
ドラ@ラブコメ好きです。
〉〉〉ところで英語には「きゅうりみたいにクール」
〉〉〉という言い回しがあるって、ほんと?
〉〉ほんと。
〉〉彼らの好きな頭韻?かな。
〉 たぶんそうじゃないと思ふ...
〉 西洋人て、日焼けするとすぐ真っ赤っか。
〉 きゅうりの薄切りを並べて冷やす。
〉 ちなみに西洋のきゅうりはへちまに近いくらい
〉 でかい!
〉 捻挫・打ち身とかもやっぱりこれが簡便民間療法。
〉 そこから来ているというだけの色気のないオチかと
〉 思いますが。
なるほど〜!
ちなみに、私の記憶では…
アメリカのラブコメ映画などで、女性の主人公がキレイに変身していく
シーンがあったりすると、そのへちまの様なキュウリをスライスして、
目の周りや顔全体をパックしているのを、幾つかの映画で見た覚えが
あるんですが、あれってそういう習慣をもじってたんですね!
# それで、主人公が驚いたり、
# 話しかけられて返事をしようとすると
# 顔からキュウリが落ちる、と。
〉 でもきゅうりで冷やしていたのは冷凍冷蔵庫のない
〉 時代の話。
〉 今、アメリカで熱が出たとか、殴られたとか、冷やしたい
〉 ときは冷凍グリーンピースの袋。
〉 どこの家でも常備されているのが普通らしい。
あっ!
これも、ラブコメ映画で見た事ありますよ!
出て来たのは、頭とか顔を何かにぶつけて、たんこぶを冷やしてるシーンかな。
# こっちは1〜2回かなぁ…
# 何ていう映画だったかは…うぅーん
『ずいぶん乱暴なやり方だなぁ!』なんて思いながら、ついつい笑って
しまうんですけども、これも実際の習慣に基づいたオチだったんですね!
〉Happy Cooling!
面白い話をありがとうございました。
Happy Laughing and Coolingで♪
------------------------------
ドラさん。こるチャチャです。
〉 まりあさん、たかぽんさん、こるもさん、こんばんは〜!
〉 ドラ@ラブコメ好きです。
〉 アメリカのラブコメ映画などで、女性の主人公がキレイに変身していく
〉シーンがあったりすると、そのへちまの様なキュウリをスライスして、
〉目の周りや顔全体をパックしているのを、幾つかの映画で見た覚えが
〉あるんですが、あれってそういう習慣をもじってたんですね!
きゅうりには、肌を引き締め、白くする作用がある、といわれているんですよ。
本当のところはどうか、知りませんが。
〉# それで、主人公が驚いたり、
〉# 話しかけられて返事をしようとすると
〉# 顔からキュウリが落ちる、と。
あー、ありがち。
〉 あっ!
〉 これも、ラブコメ映画で見た事ありますよ!
〉 出て来たのは、頭とか顔を何かにぶつけて、たんこぶを冷やしてるシーンかな。
〉# こっちは1〜2回かなぁ…
〉# 何ていう映画だったかは…うぅーん
〉 『ずいぶん乱暴なやり方だなぁ!』なんて思いながら、ついつい笑って
〉しまうんですけども、これも実際の習慣に基づいたオチだったんですね!
〉〉Happy Cooling!
〉 面白い話をありがとうございました。
〉 Happy Laughing and Coolingで♪
ほんと、いろいろ勉強になるなあ。
茶々におつきあいくださって、ありがとうございました。
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お名前: たむ
投稿日: 2008/11/7(13:17)
------------------------------
まりあさん、いつも楽しいお話しありがとうございます。
まりあ説、なるほどと100%納得しているのですが、
ちなみに OALD で as cool as a cucumber を引いてみると
very calm and controlled, especially in d difficult
situation とあります。
説明の方をじっと見ていると、何かあのきゅうりの、
形状からくる、無骨で内向きで寡黙な存在感!のようなものを
感じるのです。…が考えすぎでしょうかね?
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448. Re: 1%の疑念 as cool as a cucumber
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/9(11:04)
------------------------------
たむさんへ。はじめまして。
主観の新茶です。
as cool as a cucumber が、はじめて書かれているので、ここにレスポンスします。
この比喩は、食感か、触感か、存在・形状か、効用・性質か。
as busy as a beaver
as busy as a bee
なら、ビーバーや、ミツバチが、勤勉なことから、比喩がわかる。
これらの比喩は、いわゆる直喩で、頭韻を踏むことも多いが、踏まないことも珍しくないと、ものの本に載っている。
She was as silent as a fish というのが、その例か。
Cucumber氏は、なぜ、coolか。
きゅうりが、なぜ、クールか。
きゅうりでなくて、ほかの野菜では駄目なのか。
猫の手も借りたい。
猫は、実際には役立たないが、猫の手も借りたいほど。
犬では駄目なのか。
ナスのつるには、きゅうりは、ならない。
ナスのつるには、瓜は、ならない、の方が一般的。
瓜は、きゅうりも含むが、まくわ瓜の方が、一般的。
今は、まくわ瓜は、あまり出回っていない。
とんびは、鷹を生まない。
かえるの子は、かえる。
これらが、上記ことわざの言いかえである。
とんびが、ナス、鷹が、きゅうり。
かえるは、ナスに相当する。
きゅうりの方が、ナスより、価値が高いことが前提。
いま、きゅうりも、ナスも、1年中出回っている。
きゅうりは、価格変動が大きい。
3本100円が、1本○○円に。
ナスの方が安定。
してみると、どちらが高いか、判断しかねる。
昔は、きゅうりの方が、貴重だった。
きゅうりもナスも、元来、夏の野菜。
秋ナスは、枝先のいわゆる「ウラナリ」である。
きゅうりは、栽培が難しかった。
虫が付いて。
その点、ナスの方が、虫が付かない。
今は、農薬のおかげで、きゅうりも、栽培が難しくない。
しかし、昔は、きゅうりのほうが、貴重。
そこで、ナスのつるに、きゅうりがなってくれればよいが、そうはいかない、というわけだ。
きゅうりより、大きいのが、へちま。
へちまも、へったくれもあるものか。
きゅうりも、へちまもあるものか。
きゅうりも、へちまも、くそも、へったくれもあるか、というような言い方も、あったような気がするが。
再び、秋茄子。
秋茄子(ナス)は、嫁に食わすな。
ナスは、身体を冷やす、陰性植物であるからであると、さる医者の先生(石原結實)の本にある。
意地悪説もあるが。
以下、その先生から。
ナスは、インド原産、日本には、奈良時代に輸入。
盛んに栽培される。
ナスの冷やす作用は、内服のみならず、打ち身、捻挫、やけどなど、外用薬になる。
ショウガを添えると、身体を温める陽性作用に転化する。
きゅうりは、インド等原産、日本には、平安初期に輸入。
身体を冷やす、陰性植物である。
塩を加えて、陽性にして食べる。
冷え性の人は、ぬか漬け、浅漬けが良い、とされる。
ほてり、暑気あたり、日焼け、やけど、打ち身に効く。
紫式部は、ナスは、食べただろうが、きゅうりは、間に合ったか。
冷え性だったか。
異性を見て、精神的に、また、身体的に、ほてっただろうか。
西洋ではどうか。
そこで、ネットの力を借りる。
あった。http://blogs.manapo.com/language/archives/081001000446.html
きゅうりは、いつも冷たい。この熟語、はじめて記されたのは、1732年。
イギリス詩人、ジョン・ゲイは、詩集「新しいシミリスへの新しい唄」において、"I ... cool as a cucumber could see The rest of womankind.(私は、...沈着冷静に、その他の女性たちを見ることができる。)と歌ったというのだそうだ。
1732年、きゅうりは、西洋では、どの程度、栽培が盛んであり、どのような使われ方をしたかは知らねども、これを見ると、きゅうりの食感、触感、存在、形状というより、人間に対する効用、性質から、論じているようにも思える。
どうなんだろうか。
それでは
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452. Re: 1%の疑念 as cool as a cucumber
お名前: こるも
投稿日: 2008/11/9(13:37)
------------------------------
新茶さん、こんにちは。
たむさんじゃなくてすみません。こるです。
いろいろと、面白いお話を、ありがとうございます。
〉as cool as a cucumber が、はじめて書かれているので、ここにレスポンスします。
あー、そういえば、asネタでもありますね。
〉この比喩は、食感か、触感か、存在・形状か、効用・性質か。
〉as busy as a beaver
〉as busy as a bee
〉なら、ビーバーや、ミツバチが、勤勉なことから、比喩がわかる。
〉これらの比喩は、いわゆる直喩で、頭韻を踏むことも多いが、踏まないことも珍しくないと、ものの本に載っている。
〉She was as silent as a fish というのが、その例か。
〉Cucumber氏は、なぜ、coolか。
〉きゅうりが、なぜ、クールか。
〉きゅうりでなくて、ほかの野菜では駄目なのか。
カボチャのようにクール、とか。
トマトのようにクール。
オクラのようにクール。
キャベツのようにクール。
レタスのようにクール。
ピーマンのようにクール。
どうでしょう?
〉猫の手も借りたい。
〉猫は、実際には役立たないが、猫の手も借りたいほど。
〉犬では駄目なのか。
〉ナスのつるには、きゅうりは、ならない。
〉ナスのつるには、瓜は、ならない、の方が一般的。
ははあ。
なんでナスの「つる」なんですか?
蔓性のナスもあるんでしょうか?
〉瓜は、きゅうりも含むが、まくわ瓜の方が、一般的。
〉今は、まくわ瓜は、あまり出回っていない。
〉とんびは、鷹を生まない。
〉かえるの子は、かえる。
〉これらが、上記ことわざの言いかえである。
〉とんびが、ナス、鷹が、きゅうり。
〉かえるは、ナスに相当する。
〉きゅうりの方が、ナスより、価値が高いことが前提。
〉いま、きゅうりも、ナスも、1年中出回っている。
〉きゅうりは、価格変動が大きい。
〉3本100円が、1本○○円に。
〉ナスの方が安定。
〉してみると、どちらが高いか、判断しかねる。
〉昔は、きゅうりの方が、貴重だった。
〉きゅうりもナスも、元来、夏の野菜。
〉秋ナスは、枝先のいわゆる「ウラナリ」である。
〉きゅうりは、栽培が難しかった。
〉虫が付いて。
〉その点、ナスの方が、虫が付かない。
〉今は、農薬のおかげで、きゅうりも、栽培が難しくない。
〉しかし、昔は、きゅうりのほうが、貴重。
〉そこで、ナスのつるに、きゅうりがなってくれればよいが、そうはいかない、というわけだ。
そういえば、きゅうりは虫も付きやすいですし。
うどん粉病にもなりやすいですね。なっとく。
〉きゅうりより、大きいのが、へちま。
〉へちまも、へったくれもあるものか。
〉きゅうりも、へちまもあるものか。
〉きゅうりも、へちまも、くそも、へったくれもあるか、というような言い方も、あったような気がするが。
「へったくれ」って、なんですかねえ。
素朴な疑問ですが。
〉再び、秋茄子。
〉秋茄子(ナス)は、嫁に食わすな。
〉ナスは、身体を冷やす、陰性植物であるからであると、さる医者の先生(石原結實)の本にある。
〉意地悪説もあるが。
〉以下、その先生から。
〉ナスは、インド原産、日本には、奈良時代に輸入。
〉盛んに栽培される。
〉ナスの冷やす作用は、内服のみならず、打ち身、捻挫、やけどなど、外用薬になる。
〉ショウガを添えると、身体を温める陽性作用に転化する。
〉きゅうりは、インド等原産、日本には、平安初期に輸入。
〉身体を冷やす、陰性植物である。
〉塩を加えて、陽性にして食べる。
〉冷え性の人は、ぬか漬け、浅漬けが良い、とされる。
〉ほてり、暑気あたり、日焼け、やけど、打ち身に効く。
〉紫式部は、ナスは、食べただろうが、きゅうりは、間に合ったか。
〉冷え性だったか。
〉異性を見て、精神的に、また、身体的に、ほてっただろうか。
〉西洋ではどうか。
〉そこで、ネットの力を借りる。
〉あった。http://blogs.manapo.com/language/archives/081001000446.html
〉きゅうりは、いつも冷たい。この熟語、はじめて記されたのは、1732年。
〉イギリス詩人、ジョン・ゲイは、詩集「新しいシミリスへの新しい唄」において、"I ... cool as a cucumber could see The rest of womankind.(私は、...沈着冷静に、その他の女性たちを見ることができる。)と歌ったというのだそうだ。
〉1732年、きゅうりは、西洋では、どの程度、栽培が盛んであり、どのような使われ方をしたかは知らねども、これを見ると、きゅうりの食感、触感、存在、形状というより、人間に対する効用、性質から、論じているようにも思える。
〉どうなんだろうか。
どうなんでしょう。
言葉って、面白いですね。
「なまこのようにクール」じゃ、だめなんでしょうかね。
だめでしょうね。
〉 それでは
ではでは。
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458. Re: 1%の疑念 as cool as a cucumber
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/10(19:29)
------------------------------
こるもさん、こんにちは。
新茶です。
〉新茶さん、こんにちは。
〉たむさんじゃなくてすみません。こるです。
〉いろいろと、面白いお話を、ありがとうございます。
〉〉as cool as a cucumber が、はじめて書かれているので、ここにレスポンスします。
〉あー、そういえば、asネタでもありますね。
そうですね。
〉〉この比喩は、食感か、触感か、存在・形状か、効用・性質か。
〉〉as busy as a beaver
〉〉as busy as a bee
〉〉なら、ビーバーや、ミツバチが、勤勉なことから、比喩がわかる。
〉〉これらの比喩は、いわゆる直喩で、頭韻を踏むことも多いが、踏まないことも珍しくないと、ものの本に載っている。
〉〉She was as silent as a fish というのが、その例か。
〉〉Cucumber氏は、なぜ、coolか。
〉〉きゅうりが、なぜ、クールか。
〉〉きゅうりでなくて、ほかの野菜では駄目なのか。
〉カボチャのようにクール、とか。
〉トマトのようにクール。
〉オクラのようにクール。
〉キャベツのようにクール。
〉レタスのようにクール。
〉ピーマンのようにクール。
〉どうでしょう?
すごいね。
きゅうりは、クリーシェ=定型文句だが、英語では、どんな言葉でも良いらしい。
日本語なら、外人が、「犬の手も借りたい」と言ったら、日本人から、間違いだと訂正されるだろうが。
〉〉猫の手も借りたい。
〉〉猫は、実際には役立たないが、猫の手も借りたいほど。
〉〉犬では駄目なのか。
〉〉ナスのつるには、きゅうりは、ならない。
〉〉ナスのつるには、瓜は、ならない、の方が一般的。
〉ははあ。
〉なんでナスの「つる」なんですか?
〉蔓性のナスもあるんでしょうか?
ナスもつるでいいんじゃないの?
〉〉瓜は、きゅうりも含むが、まくわ瓜の方が、一般的。
〉〉今は、まくわ瓜は、あまり出回っていない。
〉〉とんびは、鷹を生まない。
〉〉かえるの子は、かえる。
〉〉これらが、上記ことわざの言いかえである。
〉〉とんびが、ナス、鷹が、きゅうり。
〉〉かえるは、ナスに相当する。
〉〉きゅうりの方が、ナスより、価値が高いことが前提。
〉〉いま、きゅうりも、ナスも、1年中出回っている。
〉〉きゅうりは、価格変動が大きい。
〉〉3本100円が、1本○○円に。
〉〉ナスの方が安定。
〉〉してみると、どちらが高いか、判断しかねる。
〉〉昔は、きゅうりの方が、貴重だった。
〉〉きゅうりもナスも、元来、夏の野菜。
〉〉秋ナスは、枝先のいわゆる「ウラナリ」である。
〉〉きゅうりは、栽培が難しかった。
〉〉虫が付いて。
〉〉その点、ナスの方が、虫が付かない。
〉〉今は、農薬のおかげで、きゅうりも、栽培が難しくない。
〉〉しかし、昔は、きゅうりのほうが、貴重。
〉〉そこで、ナスのつるに、きゅうりがなってくれればよいが、そうはいかない、というわけだ。
〉そういえば、きゅうりは虫も付きやすいですし。
〉うどん粉病にもなりやすいですね。なっとく。
そうなんです。うどん粉病。
〉〉きゅうりより、大きいのが、へちま。
〉〉へちまも、へったくれもあるものか。
〉〉きゅうりも、へちまもあるものか。
〉〉きゅうりも、へちまも、くそも、へったくれもあるか、というような言い方も、あったような気がするが。
〉「へったくれ」って、なんですかねえ。
〉素朴な疑問ですが。
そういう上品な言葉は、知らないのでしょうか。
辞書にも載っている。
「へ」は、日本版の頭韻か。
たいしたものではないが。
〉〉再び、秋茄子。
〉〉秋茄子(ナス)は、嫁に食わすな。
〉〉ナスは、身体を冷やす、陰性植物であるからであると、さる医者の先生(石原結實)の本にある。
〉〉意地悪説もあるが。
〉〉以下、その先生から。
〉〉ナスは、インド原産、日本には、奈良時代に輸入。
〉〉盛んに栽培される。
〉〉ナスの冷やす作用は、内服のみならず、打ち身、捻挫、やけどなど、外用薬になる。
〉〉ショウガを添えると、身体を温める陽性作用に転化する。
〉〉きゅうりは、インド等原産、日本には、平安初期に輸入。
〉〉身体を冷やす、陰性植物である。
〉〉塩を加えて、陽性にして食べる。
〉〉冷え性の人は、ぬか漬け、浅漬けが良い、とされる。
〉〉ほてり、暑気あたり、日焼け、やけど、打ち身に効く。
〉〉紫式部は、ナスは、食べただろうが、きゅうりは、間に合ったか。
〉〉冷え性だったか。
〉〉異性を見て、精神的に、また、身体的に、ほてっただろうか。
〉〉西洋ではどうか。
〉〉そこで、ネットの力を借りる。
〉〉あった。http://blogs.manapo.com/language/archives/081001000446.html
〉〉きゅうりは、いつも冷たい。この熟語、はじめて記されたのは、1732年。
〉〉イギリス詩人、ジョン・ゲイは、詩集「新しいシミリスへの新しい唄」において、"I ... cool as a cucumber could see The rest of womankind.(私は、...沈着冷静に、その他の女性たちを見ることができる。)と歌ったというのだそうだ。
〉〉1732年、きゅうりは、西洋では、どの程度、栽培が盛んであり、どのような使われ方をしたかは知らねども、これを見ると、きゅうりの食感、触感、存在、形状というより、人間に対する効用、性質から、論じているようにも思える。
〉〉どうなんだろうか。
〉どうなんでしょう。
〉言葉って、面白いですね。
〉「なまこのようにクール」じゃ、だめなんでしょうかね。
〉だめでしょうね。
どこから、きゅうりが出てくるのか?
こるもさんは、話題の天才。
なまこも。
なまこのまなこは、鶴見氏著だったか。
A sea cucumber sees
なまこは、見ている。
翻訳余話 村上春樹 文春新書222Pに、きゅうりのようにCOOLが出ているが、そこから、拾ったのか? ネットから、捕まえたのか?
ネットの検索力が、並外れているのか。
なお、2008年10月31日筑摩書房刊行の水村美苗著「日本語が亡びるときー英語の世紀の中で」の299Pは、「きうり」と表記すべきだという。
「こるも」の「こ」は、Cでしょうか。
とすると
as cool as こるも
は、どうですか。
ひとつ、教えて頂戴。
最初にレスされたとき、tameの数ヶ国語を提示したでしょう。
エスペラントは、グーグルの辞書検索にないでしょう。
あれは、一括検索できる方法でもあったのですか?
それでは
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467. Re: 1%の疑念 as cool as a cucumber
お名前: こるも
投稿日: 2008/11/13(15:09)
------------------------------
新茶さん、こんにちは。
新茶さんの知性には、とてもついて行けそうにないので、ぶつ切りレスします。
〉〉〉Cucumber氏は、なぜ、coolか。
〉〉〉きゅうりが、なぜ、クールか。
〉〉〉きゅうりでなくて、ほかの野菜では駄目なのか。
〉〉カボチャのようにクール、とか。
〉〉トマトのようにクール。
〉〉オクラのようにクール。
〉〉キャベツのようにクール。
〉〉レタスのようにクール。
〉〉ピーマンのようにクール。
〉〉どうでしょう?
〉すごいね。
す、すごいですか?
わたしとしては、「オクラのようにクール」が気に入っています。
〉〉〉きゅうりより、大きいのが、へちま。
〉〉〉へちまも、へったくれもあるものか。
〉〉〉きゅうりも、へちまもあるものか。
〉〉〉きゅうりも、へちまも、くそも、へったくれもあるか、というような言い方も、あったような気がするが。
〉〉「へったくれ」って、なんですかねえ。
〉〉素朴な疑問ですが。
〉そういう上品な言葉は、知らないのでしょうか。
はぁ、育ちがいいもんで。
〉〉「なまこのようにクール」じゃ、だめなんでしょうかね。
〉〉だめでしょうね。
〉どこから、きゅうりが出てくるのか?
〉こるもさんは、話題の天才。
〉なまこも。
ということは、こるもは、なまこと同等、ということでしょうか。
まあ、いいですけど。
〉A sea cucumber sees
〉なまこは、見ている。
なまこって、sea cucumberっていうんですか。へえ。
〉「こるも」の「こ」は、Cでしょうか。
まあ、どっちでもいいんです。
〉as cool as こるも
〉は、どうですか。
あまりクールには見えませんが。
〉最初にレスされたとき、tameの数ヶ国語を提示したでしょう。
〉エスペラントは、グーグルの辞書検索にないでしょう。
〉あれは、一括検索できる方法でもあったのですか?
はぁ、ぐぐるとか、そういうのあまり知らないんです。
私のは、地道な努力です。ひまなもんで。
ではでは。
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489. Re: 1%の疑念 as cool as a cucumber オクラとなまこ
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/24(20:40)
------------------------------
こるもさんへ。こんにちは。かなり、おひさしぶりです。
新茶です。
〉〉〉〉Cucumber氏は、なぜ、coolか。
〉〉〉〉きゅうりが、なぜ、クールか。
〉〉〉〉きゅうりでなくて、ほかの野菜では駄目なのか。
〉〉〉カボチャのようにクール、とか。
〉〉〉トマトのようにクール。
〉〉〉オクラのようにクール。
〉〉〉キャベツのようにクール。
〉〉〉レタスのようにクール。
〉〉〉ピーマンのようにクール。
〉〉〉どうでしょう?
〉〉すごいね。
〉す、すごいですか?
〉わたしとしては、「オクラのようにクール」が気に入っています。
オクラが選択されたのですか?
色の同一性、形の相似性から判断し、へちまが親、きゅうりが、子供で、オクラが、孫ですか?
まさか、オクラは、a tiny cucumberとは、言わないでしょう?
オクラが選択された理由は、オクラ入り、迷宮入りって、ことですか?
〉〉〉〉きゅうりより、大きいのが、へちま。
〉〉〉〉へちまも、へったくれもあるものか。
〉〉〉〉きゅうりも、へちまもあるものか。
〉〉〉〉きゅうりも、へちまも、くそも、へったくれもあるか、というような言い方も、あったような気がするが。
〉〉〉「へったくれ」って、なんですかねえ。
〉〉〉素朴な疑問ですが。
〉〉そういう上品な言葉は、知らないのでしょうか。
〉はぁ、育ちがいいもんで。
思い出したが、順番は、「きゅうりも、へちまも、くそも、へったくれもあるか」ではなくて、「きゅうりも、へちまも、へったくれも、くそもあるか」だった。
これで、「へ」も「く」も韻を踏み、へちまに、「へた」を掛詞していることになる。
なお、ナスの「つる」のことわざは、「つる」の定義が、第三者に依存して伸びるか、依存物がない場合に横に這う性質の「茎」であると成立する前に成立した「ことわざ」であることは、こるもさんが、言わんとして省略したものと思われます。
〉〉〉「なまこのようにクール」じゃ、だめなんでしょうかね。
〉〉〉だめでしょうね。
〉〉どこから、きゅうりが出てくるのか?
〉〉こるもさんは、話題の天才。
〉〉なまこも。
〉ということは、こるもは、なまこと同等、ということでしょうか。
〉まあ、いいですけど。
〉〉A sea cucumber sees
〉〉なまこは、見ている。
〉なまこって、sea cucumberっていうんですか。へえ。
???。ウソでしょう。知ってたでしょう。
〉〉「こるも」の「こ」は、Cでしょうか。
〉まあ、どっちでもいいんです。
〉〉as cool as こるも
〉〉は、どうですか。
〉あまりクールには見えませんが。
なまこは、冬、採取します。
冬場だけ、なまこ採りのアルバイトをしている人もいます。
晴天であっても、海の中は静かでも、たいへんな労働でしょうね。
なまこ捕る 天気晴朗 波高し (新茶)
なまこ喰う 情熱だけが海の底 (新茶)
なまこ来て 多読しようと誘う夜 (新茶)
なまこは、青なまこと赤なまこがある。
食べて、歯ごたえがちょうど良いのは、青なまこ。
これを冬の日、生きたのを買ってきて、中味を抜いて空洞にし、ぬめりを取って、ちくわの如くに輪切りにし、三杯酢で食べる、ということをしたことがある。
なまこのヌメヌメ。
居酒屋定番のオクラ+納豆+イカまたはマグロ。
あの組み合わせは、身体に良いらしい。
あのヌメヌメが。
オクラは、さっと茹でるのか?、生か?。
居酒屋は、手間を省略し、生のまま、切っているのではないだろうか。
オクラのヌメヌメに変わりなし。
理科系で、確か、毒や薬が好きな こるもさん。
オクラも、なまこも、同じ、ヌメヌメ、滋養強壮作用、ムチン、多糖類などを含むという共通項の話だったのでしょうか。
それでは
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/11/7(22:22)
------------------------------
こるもさん、まりあさん、ドラちゃんさん、たむさん、こんばんは!
きゅうりでこんなに盛り上がるとは…
きゅうり冥利に尽きます。
こ〉〉〉ところで英語には「きゅうりみたいにクール」
こ〉〉〉という言い回しがあるって、ほんと?
たか〉〉ほんと。
たか〉〉彼らの好きな頭韻?かな。
ま〉 たぶんそうじゃないと思ふ...
ま〉 西洋人て、日焼けするとすぐ真っ赤っか。
ま〉 きゅうりの薄切りを並べて冷やす。
ま〉 ちなみに西洋のきゅうりはへちまに近いくらい
ま〉 でかい!
ま〉 捻挫・打ち身とかもやっぱりこれが簡便民間療法。
ま〉 そこから来ているというだけの色気のないオチかと
ま〉 思いますが。
なるほど。きゅうりはクーーーーールっていうイメージがあるのですな。
そういえば、ドラちゃんさんも言うてはるように、女の人がチェアに寝そべりながら、
まぶたの上なんかにきゅうりを載せてるのなんかを見たことがあります。
しかし、たむさんの、きゅうりの無骨で寡黙な外観からクーーーーールっていう説も捨てがたいなぁ。
でも、「ゴルゴ13は、きゅうりのようにクールだね」って言ったら、射ち殺されそうだなぁ…
ま〉 でもきゅうりで冷やしていたのは冷凍冷蔵庫のない
ま〉 時代の話。
ま〉 今、アメリカで熱が出たとか、殴られたとか、冷やしたい
ま〉 ときは冷凍グリーンピースの袋。
ま〉 どこの家でも常備されているのが普通らしい。
へー。そうなんですか。
氷で冷やすより、解けないし、冷たすぎないし、患部に応じて形状を変えやすいので、
それが使われるんでしょうね。
〉Happy Cooling!
Happy Cooling! (って何なんですか?)
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お名前: まりあ@SSS http://buhimaman.at.webry.info/
投稿日: 2008/11/7(22:47)
------------------------------
まりあ@SSSです。
〉ま〉 今、アメリカで熱が出たとか、殴られたとか、冷やしたい
〉ま〉 ときは冷凍グリーンピースの袋。
〉ま〉 どこの家でも常備されているのが普通らしい。
〉へー。そうなんですか。
〉氷で冷やすより、解けないし、冷たすぎないし、患部に応じて形状を変えやすいので、
〉それが使われるんでしょうね。
すみません、上の書き方、なんか冷やすために常備している
みたいにも読めますね。
あんまり料理熱心でないような家庭でも、冷凍グリーンピース
くらいは冷蔵庫にあるのが普通、という意味です。
実は夫のドメスティックバイオレンスがひどくって、
冷凍グリーンピースを切らせない、というのも一度出会い
ましたけど。
Happy Reading!
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お名前: Raquel
投稿日: 2008/11/7(23:11)
------------------------------
まりあさん、みなさん、こんにちは。
"まりあ@SSS"さんは[url:kb:440]で書きました:
〉〉ま〉 今、アメリカで熱が出たとか、殴られたとか、冷やしたい
〉〉ま〉 ときは冷凍グリーンピースの袋。
〉〉ま〉 どこの家でも常備されているのが普通らしい。
冷凍グリンピースに加えて、ステーキ肉を湿布代わりにして冷やすというのも
よく見かけるんですが、ホントでしょうか??
その後のお肉はもう食べられないのかなとか、主婦は気になります(笑)
さらなる脱線、失礼しました。
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お名前: 久子
投稿日: 2008/11/7(23:34)
------------------------------
Raquelさん まりあさん、みなさん、こんにちは。
〉"まりあ@SSS"さんは[url:kb:440]で書きました:
〉〉〉ま〉 今、アメリカで熱が出たとか、殴られたとか、冷やしたい
〉〉〉ま〉 ときは冷凍グリーンピースの袋。
〉〉〉ま〉 どこの家でも常備されているのが普通らしい。
〉冷凍グリンピースに加えて、ステーキ肉を湿布代わりにして冷やすというのも
〉よく見かけるんですが、ホントでしょうか??
〉その後のお肉はもう食べられないのかなとか、主婦は気になります(笑)
〉さらなる脱線、失礼しました。
英語からも離れてしまいますが、
江戸時代の本で捻挫したのでコハダを湿布代わりに冷やす
というのがありました。 アメリカではステーキ肉 日本ではコハダ って
なんだか妙に納得!
でも、どちらもその後食べたのか、食べられないのか気になります(笑
------------------------------
(司馬遼太郎「韃靼疾風録」のもじりです。)
久子さん Raquelさん まりあさん、みなさん、こんにちは。(ちょっとこちらで一服。。)
〉〉〉〉ま〉 今、アメリカで熱が出たとか、殴られたとか、冷やしたい
〉〉〉〉ま〉 ときは冷凍グリーンピースの袋。
〉〉〉〉ま〉 どこの家でも常備されているのが普通らしい。
R〉〉冷凍グリンピースに加えて、ステーキ肉を湿布代わりにして冷やすというのも
R〉〉よく見かけるんですが、ホントでしょうか??
R〉〉その後のお肉はもう食べられないのかなとか、主婦は気になります(笑)
R〉〉さらなる脱線、失礼しました。
久〉英語からも離れてしまいますが、
久〉江戸時代の本で捻挫したのでコハダを湿布代わりに冷やす
久〉というのがありました。 アメリカではステーキ肉 日本ではコハダ って
久〉なんだか妙に納得!
久〉でも、どちらもその後食べたのか、食べられないのか気になります(笑
みなさん、いろいろご存じですね〜。
グリーンピース湿布もステーキ湿布もコハダ湿布も見たことない・・・
治ったら食べていただきたい、ムダにしてほしくない気持ちで、胸がいっぱいになりますね。
昔、よく捻挫したので、母が、小麦粉とお酢と何かをまぜて湿布してくれました。
熱を取る作用だけか、それとも、治す成分があるのか?
ご飯と酢でもできそうですよね。それにコハダを加えれば、まるで鮨だ。
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お名前: まりあ@SSS http://buhimaman.at.webry.info/
投稿日: 2008/11/8(16:38)
------------------------------
Raquelさん、久子さんこんにちは。 まりあ@SSSです。
〉〉冷凍グリンピースに加えて、ステーキ肉を湿布代わりにして冷やすというのも
〉〉よく見かけるんですが、ホントでしょうか??
私は、肉湿布を見かけていませんが、冷凍庫じゃなくて冷蔵庫時代
のお話しかしら? 私1990年代以前のPBをほとんど読まないので。
〉〉その後のお肉はもう食べられないのかなとか、主婦は気になります(笑)
どうなんでしょう?
でもアメリカのステーキって、サーロインは$12位と高価ですが
(厚さ3センチくらいで日本とは量が違う)、モモステーキなら
でっか〜いの$2位でしたよ。
捻挫して歩けない、とか顔にアザとかになるのを防げると
したら200円の肉捨てても良いような気がする...
湿布薬買いに行ってもタダじゃないし。
日本でも火傷を馬肉で冷やすとかなかった?
〉〉さらなる脱線、失礼しました。
〉英語からも離れてしまいますが、
〉江戸時代の本で捻挫したのでコハダを湿布代わりに冷やす
これも聞いたことはないのですが、コハダは獲れるときには
たくさん獲れて、捨て値でしょう?それで湿布代わりにしたかと..
骨が多くて、寿司だねにするのは手間が大変。
コハダ寿司の値段は手間賃です。
まあ、いずれにしろ食べなかったと思いたいですね。
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お名前: こるも
投稿日: 2008/11/8(22:22)
------------------------------
たかぽ。
〉きゅうりでこんなに盛り上がるとは…
〉きゅうり冥利に尽きます。
きゅうりだったか。カッパーじゃなく?
〉なるほど。きゅうりはクーーーーールっていうイメージがあるのですな。
〉そういえば、ドラちゃんさんも言うてはるように、女の人がチェアに寝そべりながら、
〉まぶたの上なんかにきゅうりを載せてるのなんかを見たことがあります。
〉しかし、たむさんの、きゅうりの無骨で寡黙な外観からクーーーーールっていう説も捨てがたいなぁ。
〉でも、「ゴルゴ13は、きゅうりのようにクールだね」って言ったら、射ち殺されそうだなぁ…
〉ま〉 でもきゅうりで冷やしていたのは冷凍冷蔵庫のない
〉ま〉 時代の話。
〉ま〉 今、アメリカで熱が出たとか、殴られたとか、冷やしたい
〉ま〉 ときは冷凍グリーンピースの袋。
〉ま〉 どこの家でも常備されているのが普通らしい。
〉へー。そうなんですか。
〉氷で冷やすより、解けないし、冷たすぎないし、患部に応じて形状を変えやすいので、
〉それが使われるんでしょうね。
全然関係ない?けど。
子ども産むじゃん。
母乳あげるじゃん。
で、胸が張るわけよ。
そういうときにね。キャベツで冷やすんだって。
知ってた?
おためしあれ。
Happy Cooling!
------------------------------
こるぽ。
〉たかぽ。
〉〉きゅうりでこんなに盛り上がるとは…
〉〉きゅうり冥利に尽きます。
〉きゅうりだったか。カッパーじゃなく?
きゅうりでもあり、カッパーなの。皿にのせて食うの。
〉〉なるほど。きゅうりはクーーーーールっていうイメージがあるのですな。
〉〉そういえば、ドラちゃんさんも言うてはるように、女の人がチェアに寝そべりながら、
〉〉まぶたの上なんかにきゅうりを載せてるのなんかを見たことがあります。
〉〉しかし、たむさんの、きゅうりの無骨で寡黙な外観からクーーーーールっていう説も捨てがたいなぁ。
〉〉でも、「ゴルゴ13は、きゅうりのようにクールだね」って言ったら、射ち殺されそうだなぁ…
〉〉ま〉 でもきゅうりで冷やしていたのは冷凍冷蔵庫のない
〉〉ま〉 時代の話。
〉〉ま〉 今、アメリカで熱が出たとか、殴られたとか、冷やしたい
〉〉ま〉 ときは冷凍グリーンピースの袋。
〉〉ま〉 どこの家でも常備されているのが普通らしい。
〉〉へー。そうなんですか。
〉〉氷で冷やすより、解けないし、冷たすぎないし、患部に応じて形状を変えやすいので、
〉〉それが使われるんでしょうね。
〉全然関係ない?けど。
〉子ども産むじゃん。
〉母乳あげるじゃん。
〉で、胸が張るわけよ。
〉そういうときにね。キャベツで冷やすんだって。
〉知ってた?
知らんがな!
〉おためしあれ。
どうためす!?
いやあ、でもね、姪が生まれたとき、姉が胸が張って苦しがってたなぁ。
それから、乳腺炎というのにもかかって、短時間でブワーッと高熱になって、びびった。
こわいね、あれは。みんなでオロオロしたよ。
そうかキャベツか。
Happy Cooling!
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/19(09:42)
------------------------------
主観の新茶さん、こんにちは。あらためまして。
やっぱり何かモヤモヤするので。
おっしゃるように、権利が正義の具体化であり、それゆえに、権利主張は正義の取り合いになる、
(どっちが「right」か)というのはわかります。
〉 したがって、法を実現することは、いつも必ずしも正義ではないという考えでは、ありませんし(西欧の基本理念では、法の実現は必ず正義です)、正義は、法とは、別のところにあるという考えもありませんし、
これもわかるのですが、
〉法は、お上が作ったから、守らされるのであって、正義とは必ずしも結びつかないという考えもありませんし、悪いことだと思うのは法を犯したからだが、なぜその法があるのか、理由がわからないというような言いぐさが通るという考えもありません。
〉 なぜなら、自分で作ったものという理念ですから。
ここがよくわかりません。
法が正義であるべき、というのと、実際に定められている法(実定法)が正義である、というのとは、
違うのではないでしょうか?
実定法が正義であると主張するとすれば、それはまさに法実証主義の主張ではありませんか?
(自然に『ある』はずの正義=法を、「自分で『作る』」というのも、よくわかりません。)
〉 この理念を捨てて、統治者、つまりお上が、勝手に、物事を進めていると言動するのでは、言語政策であれ、教育政策であれ、自分を否定した、責任逃れの、恥ずべき言動にすぎません。
でも、実際には、「法を自分で作っている」などという現実は無いわけですよね。
一国民にはなすすべもなく、法が作られ、有無を言わさず従わせられるのが現実です。
たしかに、西欧には、法は普遍的な正義に基づいたものであるべきであって、
単なるその時その時の政府の意向や何かが法であるべきではない、という意識が強い、
ということは言えるでしょうね。
だから、何が正義かについての議論が盛んだし、大統領選挙などでも、
あからさまな利益誘導ではなく、いかに自分が正義に近いかをアピールすることになる、
という面はあると思います。
何をするにも大義名分が重んじられる。
それに対して日本は、何が正義であるかの議論ははなはだ脆弱で、
結局は力の強い者に支配されるしかないんだ、泣く子と地頭には逆らえぬ、という意識が強い。
法が正義に基づくという意識も希薄で(そもそも正義が何かと深く考えないから)、
所詮は、時の権力者がお決めになって、従わざるを得ないもの、という意識。
西欧だと、それぞれ一人ひとりに、正義についての確信というか、強い観念があって、
実際の法がそれに則っているのか、と照らし合わせる意識が強いのでしょうね。
だから、「違う」と思えば、ごうごうと非難をするし、反対運動などもすると。
(そんな「参政」が有効であるというのは、大いなるフィクションかもしれないのですが。)
日本には、これと決まった正義の観念がそもそも無いので、実定法を正義に近づけるという意識は薄いが、
西欧では、法は当然に正義の化体であるべきという意識が強く、実定法を正義に近づけようとする意識が強い、
ということは言えるかもしれませんね。
〉 西欧では、法は、道徳を前提としており、道徳の一部が昇華したものが、法です。
〉 道徳及び倫理は、西欧の人たちにとって、自らが自分で決めたから、積極的に守る規範であり、道徳及び倫理は、正しいこと=正義であり、正義を具体化したのが、権利であり法であり、権利ないし法を実際に実現することは、正義であり、道徳そのものである。
どうも、「実定法は正義に基づくべき」が、「実定法は正義である」に、すり替わっているような気がします。
またいろいろ考えてみます。
ありがとうございました。
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280. わかりやすく、おもしろい本。古田裕清 著 『翻訳語としての日本の法律用語』
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/20(01:31)
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主観の新茶さん、こんばんは。
やっぱり何が書いてあるのか気になって、おすすめの本、入手して少し読んでみました。(全12講中第3講まで)
おもしろい!
そしてまた、とてもわかりやすく書かれてますね。
(わかりやすいからおもしろいのか? ともあれ、)
いい本をご紹介くださって、ありがとうございました。
まったく、どこを読んでも「なるほど、なるほど」なのですが、特にこの部分に納得。
欧州には自然法という考え方が昔からあります。これは「人間関係や社会関係,即ちしがらみ一般は,その自然本性上,必ず正義を実現する何らかの法則性に従っているはずだ。我々はこの自然本性上の法則性を認識し,この法則性に従って生きるべきだ。人間の作る実定法は,この法則性を実現するものであるべきだ」と概略できる考え方です。自然法思想は古代ギリシア末期のストア派に由来するものですが,やがてキリスト教の伝統に持ち込まれ,「我々が本性上従っているはずの法則性」は神が創造した法則と等値されました。これを明文化したものが実定法であるなら,法に訴えることはキリスト教の神への忠誠を証し,神への助力を願うことに他なりません。ホッブズやロックの近代自然権思想もこうした自然法思想の延長線上にあります。
こうした自然法思想は日本ではなかなか受け容れられません。自然本性上従っている法則として平均的な日本人が理解できるのはせいぜい自然法則(古典力学や相対性理論,量子力学理論など)止まりで,法律もそうした法則性であるという考え方は馴染めないようです。これは日本が中国の法家思想(為政者が制定した法律を人民に課す,という考え方)の影響を長らく被り,実定法以上の超越的な法の存在を信ずる伝統がなかったためです。日本的な人間関係に自然本性があるとすれば,それはむしろ法律と対置される「しがらみ」です。この「しがらみ」を一種の「ことわり(理)」,「定め」と諦念して受け容れる精神風土なら,日本には昔からあるようです。(p.25-26)
"iustitia"や"Gerechtigkeit"と呼ばれる状態はあくまで理想状態であり,実現したかに見えたとしてもそれはほんの一時にすぎないでしょう。それにもかかわらずこうした理想状態を象徴として想定する,というところに,ヨーロッパ法文化の一つの基本特徴があります。こうした理想状態を理念として設定し,その理念を少しでも社会で実現したい。理念そのものに向かって社会を,現実を少しでも近づけたい。こうした力が,ヨーロッパではギリシア・ローマの昔から働いています。このことは,「法の目的は正義である」という文が雄弁に語っています。この文は,「正義」という理想状態が実在する,という強い確信と,その状態に社会を近づけたい,という固い意思とを,表しています。・・・
(中略)
・・・。同時多発テロ後に米大統領がビン・ラディン氏を念頭において"We need justice!"と叫んだ背後にも,この正義に関する理想主義が根付いています。
では,「正義」と形容されてしかるべき状態は,具体的にどのような状態でしょうか。これに対する答えは拠って立つ正義論の中身によって変わってきます。また,その状態が国内の状態のことなのか,国際関係のことなのか,によっても答えが違ってきます。更に,「正義」の原産地であるヨーロッパ(アメリカを含む)では時代によっても答えが変わってきました。いずれにせよ,正義についての理想主義は,日本ではいまだに馴染みが薄い考え方かもしれません。「法はしょせん,人間が作ったものだ。紛争や社会問題が発生するたびに現行実定法が適用され,場合によっては法の欠陥が指摘される。新たな実定法の必要性が生じたら,法整備も行われる。その繰り返しが法と社会の歴史だ」という現実主義・歴史主義の方が,多くの日本人には性にあうようです。しかし,我々が明治以来導入してきた欧州起源の法文化は,以上のような理想主義を根に持っているのです。(p.15-16)
したがって、新茶さんのおっしゃる、
〉法は、お上が作ったから、守らされるのであって、正義とは必ずしも結びつかないという考えもありませんし、悪いことだと思うのは法を犯したからだが、なぜその法があるのか、理由がわからないというような言いぐさが通るという考えもありません。
これは、「あるべき法」と実定法とを混同した言い方だ、ということになると思います。
実際に定められている法(実定法)が不当だ、とは、西欧の考えであっても
当然に言えることだと思います。
ただそこから先、実定法は正義にかなったものでなければならないからとして
正義に近づけようという意識が働くか(西欧の場合)、
「正義」について考える風土が無いため、実定法を正義に近づけようという意識は薄く(または、無く)、
基本的には諦念というか、せいぜい愚痴やため息で終わるか(日本の場合)、
の違いがあるということだと思います。
久しぶりに頭を使ったような気がします・・・
学生時代、何となく聞いていたようなことも、いろいろ思い出しました。
良い本を教えてくださって、ありがとうございました。
それでは。
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316. Re: わかりやすく、おもしろい本。古田裕清 著 『翻訳語としての日本の法律用語』
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(10:08)
------------------------------
たかぼんさんへ。主観の新茶です。
上記した西欧の理念に依拠する限り、一定の国の政策が妥当でないと判断した場合には、SSS上においても、各々が提案し、話し合い、一定の方向性を決定し、共同して、適法な方法で、実際に言動に移すことが必要となる。
それは、恥ずかしいことではなく、したくなければしなくてよいことでもなく、逆に、たとえば、はじめから無力とあきらめ、愚痴等をもって批判に対置していることが、または、無関心であるか、関心があっても適切な言動に移していないことが、恥ずべきことである。
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323. Re: わかりやすく、おもしろい本。古田裕清 著 『翻訳語としての日本の法律用語』
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/25(12:25)
------------------------------
主観の新茶さん、こんにちは。たかぽんです。(「takapon」です。(笑))
〉たかぼんさんへ。主観の新茶です。
〉 上記した西欧の理念に依拠する限り、一定の国の政策が妥当でないと判断した場合には、SSS上においても、各々が提案し、話し合い、一定の方向性を決定し、共同して、適法な方法で、実際に言動に移すことが必要となる。
〉 それは、恥ずかしいことではなく、したくなければしなくてよいことでもなく、逆に、たとえば、はじめから無力とあきらめ、愚痴等をもって批判に対置していることが、または、無関心であるか、関心があっても適切な言動に移していないことが、恥ずべきことである。
それは新茶さんのお考えであり、古田氏の本では「恥ずべきこと」とは書いていなかったと思います。
(しかし、私が読み落としているだけかもしれませんので、該当箇所があればご指摘ください。)
古田氏がおっしゃっているのは、実際の法を「正義」に近づけようとする理想主義が西欧にはある、までだったと思います。
個人の、愚痴ることや無関心が、「恥ずべきこと」と西洋全体で見なされている、とまでは言えないのではないかと思います。
法改正のために本来とるべき適切な言動、というのが何なのかがよくわかりませんが(デモや陳情?)、
現に、どうしてこんな法律があるんだーなどと西洋人が(デモや陳情もせず)愚痴ってるシーンは当然に多数あるでしょうし、
今や膨大な量になってしまっている現代の法律に無関心であるからといって、それが「恥ずべきこと」であるという感覚が
一般であるとは言えないと思います。法律を知っていないと不利益をこうむることがある、というだけで。
そもそも、よくわからないのですが、西洋における「恥」の観念は、道徳的・宗教的なものであって、
良心にもとるとか、神の教えに反する(神との契約に反する?)、ということだと思います。
現在の法律に不満を持っているが、デモや陳情などの行動をせず愚痴るにとどまったり、
現在の法律に無関心でいることが、良心にもとるとか、神の教えに反する、とまでは、
必ずしも言えないのではないかと思います。
西洋では、伝統的に、「正義」とは何かという議論が非常に膨大に細かくなされていて、
法律をその「正義」に近づけようとする社会的な傾向がある、ということではないでしょうか。
(その「正義」の多様性を認めない場合には、極端に走って怖いことにもなるが。)
個人の行動が「恥」であるかどうかは、その個人の道徳律や信仰に照らした問題であって、
どういう行動をとる(とらない)が一律に「恥」である、と言えることはないと思います。
ですから、たとえば、道徳や信仰を国家が強制するような時代においては、一律の「恥」はあったでしょうね。
たとえばナチスのような全体主義国家時代においては、一定の行動(or行動しないこと)が「恥」であると、
厳しく糾弾されることがあったのではないかと思います。
いろいろ考えさせられる問題ですね。
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328. Re: わかりやすく、おもしろい本。古田裕清 著 『翻訳語としての日本の法律用語』
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(13:55)
------------------------------
たかぽんさんへ。新茶です。
.
は[url:kb:323]で書きました:
〉主観の新茶さん、こんにちは。たかぽんです。(「takapon」です。(笑))
〉〉たかぼんさんへ。主観の新茶です。
〉〉 上記した西欧の理念に依拠する限り、一定の国の政策が妥当でないと判断した場合には、SSS上においても、各々が提案し、話し合い、一定の方向性を決定し、共同して、適法な方法で、実際に言動に移すことが必要となる。
これは、古田さんの見解です。
〉〉 それは、恥ずかしいことではなく、したくなければしなくてよいことでもなく、逆に、たとえば、はじめから無力とあきらめ、愚痴等をもって批判に対置していることが、または、無関心であるか、関心があっても適切な言動に移していないことが、恥ずべきことである。
古田さんの見解では、最後の「は、恥ずべきことである」は、「は、妥当とはいえない」という程度のものであって、「は、恥ずべきことである」とは述べていない。
これは、私の見解であり、かつ、上記理念を理解する人の一部の考え方である。
「恥」という言葉は、神への、または、人類へのと考えるだけで、非難とは、結びつていない。
しかし、日本でいう「恥」は、人によって、非難と結びつく、相当性を欠く言葉である。
よって、私も、別の言い方をしたほうがよいと考える。
しかし、その言い方にとらわれず、意のあるところを汲まれたい。
〉それは新茶さんのお考えであり、古田氏の本では「恥ずべきこと」とは書いていなかったと思います。
〉(しかし、私が読み落としているだけかもしれませんので、該当箇所があればご指摘ください。)
〉古田氏がおっしゃっているのは、実際の法を「正義」に近づけようとする理想主義が西欧にはある、までだったと思います。
〉個人の、愚痴ることや無関心が、「恥ずべきこと」と西洋全体で見なされている、とまでは言えないのではないかと思います。
〉法改正のために本来とるべき適切な言動、というのが何なのかがよくわかりませんが(デモや陳情?)、
〉現に、どうしてこんな法律があるんだーなどと西洋人が(デモや陳情もせず)愚痴ってるシーンは当然に多数あるでしょうし、
〉今や膨大な量になってしまっている現代の法律に無関心であるからといって、それが「恥ずべきこと」であるという感覚が
〉一般であるとは言えないと思います。法律を知っていないと不利益をこうむることがある、というだけで。
〉そもそも、よくわからないのですが、西洋における「恥」の観念は、道徳的・宗教的なものであって、
〉良心にもとるとか、神の教えに反する(神との契約に反する?)、ということだと思います。
〉現在の法律に不満を持っているが、デモや陳情などの行動をせず愚痴るにとどまったり、
〉現在の法律に無関心でいることが、良心にもとるとか、神の教えに反する、とまでは、
〉必ずしも言えないのではないかと思います。
〉西洋では、伝統的に、「正義」とは何かという議論が非常に膨大に細かくなされていて、
〉法律をその「正義」に近づけようとする社会的な傾向がある、ということではないでしょうか。
〉(その「正義」の多様性を認めない場合には、極端に走って怖いことにもなるが。)
〉個人の行動が「恥」であるかどうかは、その個人の道徳律や信仰に照らした問題であって、
〉どういう行動をとる(とらない)が一律に「恥」である、と言えることはないと思います。
〉ですから、たとえば、道徳や信仰を国家が強制するような時代においては、一律の「恥」はあったでしょうね。
〉たとえばナチスのような全体主義国家時代においては、一定の行動(or行動しないこと)が「恥」であると、
〉厳しく糾弾されることがあったのではないかと思います。
〉いろいろ考えさせられる問題ですね。
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331. Re: わかりやすく、おもしろい本。古田裕清 著 『翻訳語としての日本の法律用語』
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/25(15:24)
------------------------------
主観の新茶さん、こんにちは。
〉〉〉 上記した西欧の理念に依拠する限り、一定の国の政策が妥当でないと判断した場合には、SSS上においても、各々が提案し、話し合い、一定の方向性を決定し、共同して、適法な方法で、実際に言動に移すことが必要となる。
〉これは、古田さんの見解です。
そうですか?
どこに書いてありますか? ページ数だけでもお願いします。
〉〉〉 それは、恥ずかしいことではなく、したくなければしなくてよいことでもなく、逆に、たとえば、はじめから無力とあきらめ、愚痴等をもって批判に対置していることが、または、無関心であるか、関心があっても適切な言動に移していないことが、恥ずべきことである。
〉古田さんの見解では、最後の「は、恥ずべきことである」は、「は、妥当とはいえない」という程度のものであって、「は、恥ずべきことである」とは述べていない。
「は、妥当とはいえない」というようなことも、古田氏は書いていますか?
西洋には実際の法を「正義」に近づけようとする理想主義の傾向がある、
という事実を述べられているだけで、日本と西洋とどちらがいいかという問題には、
言及しておられないように思うのですが?
もし言及しておられるような箇所があれば、ページ数をお示しください。
〉これは、私の見解であり、かつ、上記理念を理解する人の一部の考え方である。
いえ、新茶さんは「西欧の理念」を誤解されていると思います。
上に書かれている理念は、つまり民主主義のことだと言えると思いますが、
国家など権力が民主主義的に運営されなければならないということ、これは今の西欧の理念の一つだと思いますが、
だからといって、個人が無関心であったり愚痴だけ言ってることが妥当ではない、とは必ずしも言えないと思います。
つまり、それは「西欧の理念」だとは言えない。
すなわち、個人が法律に関心を持たなければならないとか、法律に不満があれば行動(デモとか陳情?)を起こさなければならない、
といった行動律が「西欧の理念」だとは言えないと思います。
何かしないと実際上の不利益を受けることがあるから行動する、というだけのことで。
〉「恥」という言葉は、神への、または、人類へのと考えるだけで、非難とは、結びつていない。
えっ? いや、「恥」という言葉は、もろに、非難と結びついた言葉でしょう。
〉しかし、日本でいう「恥」は、人によって、非難と結びつく、相当性を欠く言葉である。
〉よって、私も、別の言い方をしたほうがよいと考える。
「恥」という言葉は、西洋であっても日本であっても、非難に結びつく言葉だと思います。
ただ、何に対する「恥」かで、大きく異なるのではないかと思います。
大ざっぱに言えば、西洋の場合は宗教的な道徳が元にあって、それに反する場合が「恥」、
日本の場合は、その地域・その時代etc.の「空気」みたいなものに反するのが「恥」、
ということではないかと思います。
〉しかし、その言い方にとらわれず、意のあるところを汲まれたい。
どのへんに新茶さんの意があるのかはよくわかりませんが。。。
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お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/1(20:48)
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主観の新茶です。
古田裕清 著 『翻訳語としての日本の法律用語』は、これを理解しながら読むことにより、記憶という作業を特別に行うまでもなく、日中英独仏ラテン語の6語の有機的関連の単語を、思想の体系の中で体得することができる。
この知見は、大学の1、2年程度のものであるといってよい。
したがって、専門的知見に属するが、一般教養の範囲をでないともいえる。
この本は、さりながら、やや特殊であるから、理系、文系をとわず、体系的知見を取り入れながら、英単語も覚えられるという和書を紹介できればと祈念する。
自家薬籠中の物とまではいかなくとも、消化できたものは、紹介していきたい。
ところで、SSSでは、従来、単語を覚えるには、
1 英書を多読するしかない。
英英辞書までは、効果がある。
または、英文文法書までは、効果がある、という見解が有力である。
この見解においては、2の方法は、有害で、英書を読めるようにならないと主張する人もいる。
2の方法を継続すると、かえってマイナスで、元に戻すのに、かかった年数だけ、unlearnが必要であるという見解もある。
この見解は、2の方法について、「お勉強」などという言葉を使用し、勉強という言葉は、蔑称に使っている人もいる。
なお、英語を多読するしかないといいながら、日本語の思考に依拠する背景知識が重要であるという見解も有力である。
SSSの多読は、背景知識の取得については、各自に任せているから、中には、和書をまったく読まないと主張する会員も存在する。
2 昔、試験に出る英単語、今、Duoによる勉強に代表される。
英和辞書を引くという方法も含まれる。
単語を単語として覚えるやり方である。
単語間の脈絡なく、語源を基礎に、英単語を覚えるやり方を含むだろう。
2の見解の人で、ことさら、1の方法を悪く述べる人はいない。
これは、1の見解の人は、英書が読めるようになっていると自負している人がいるのに対し、2の見解の人は、1の方法を並存するし、英書が読めると自負できるSSSの人が、出現していないからであろう。
3 和書を読む過程で、知見を取得しながら、英単語相互の有機的関連を理解し、自然に記憶するという方法が、第3の方法として存在する。
単語の習得を目的としたとしても、本来は、知見を取得する作業なのである。
本来知見を所得する作業として独自の意義を有することが、2の方法とまったく異なる。
もし、この第3の概念がなかったのなら、本書をもって、嚆矢としたい。
4 「多読」は、SSSの専売特許ではなく、その以前から主張されてきたものであることは、既に晴山氏の著書で検討した。
SSSの新規性は、ネットの普及による会員相互の情報交換並びに、為替変動及び需要と供給の相互作用による多読英書の入手の容易さという時代にマッチしたことに依拠する点が大きい。
SSSの多読は、「細部に気を使わず、大雑把に読む」「細かに考えずに、ざっと読む」ことが本質である。
すなわち、SSSの多読は、客観的に考察し、多読の中の一方法にすぎない。
4 なお、「多読」「背景知識と知見の関係」「勉強」「unlearn」などの概念は、さらに検討が必要である。
これが、今回の投稿の目的の1つであり、最初のスレッドの投稿の主題に符合する。
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主観の新茶さん、こんにちは。
一カ所だけ…。
〉4 「多読」は、SSSの専売特許ではなく、その以前から主張されてきたものであることは、既に晴山氏の著書で検討した。
〉 SSSの新規性は、ネットの普及による会員相互の情報交換並びに、為替変動及び需要と供給の相互作用による多読英書の入手の容易さという時代にマッチしたことに依拠する点が大きい。
〉 SSSの多読は、「細部に気を使わず、大雑把に読む」「細かに考えずに、ざっと読む」ことが本質である。
〉 すなわち、SSSの多読は、客観的に考察し、多読の中の一方法にすぎない。
多読はSSSの専売特許ではないということについてはそのとおりだと思います。
しかし「本質」については、単に細かいことにとらわれないで読むのではなく、「すらすら読める本」「やさしい本」をたくさん読む、ということが肝心だと思います。今まで「多読的精読」について述べたことがありますが、多読で「細かいところも気にして読む」こともできます。細かいところにこだわって進まなくなるのがいけないのであって、必ずしも「大雑把に読め」と言ってるのではないと思います。ですからそこよりも、レベル0から始める、「やさしい本を読む」ことがSSS多読の大きな特徴だと思います。
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"主観の新茶"さん こんばんは!
古川です。
いろいろ決めつけてあるところがありますので、
部分的に補足・反論させていただきます。、
>ところで、SSSでは、従来、単語を覚えるには、
1 英書を多読するしかない。
多読・多聴・多書・多話ですね。
要するに実際に使うのが一番の近道という主張です。
〉 英英辞書までは、効果がある。
〉 または、英文文法書までは、効果がある、という見解が有力である。
「有力」というのほよくわかりません。
いろいろな考えの人がいると思いますよ。
〉 この見解においては、2の方法は、有害で、英書を読めるようにならないと主張する人もいる。
〉 2の方法を継続すると、かえってマイナスで、元に戻すのに、かかった年数だけ、unlearnが必要であるという見解もある。
かかった年数のunlearnが必要だという見解は私は知りません。
〉 この見解は、2の方法について、「お勉強」などという言葉を使用し、勉強という言葉は、蔑称に使っている人もいる。
〉 なお、英語を多読するしかないといいながら、日本語の思考に依拠する背景知識が重要であるという見解も有力である。
〉 SSSの多読は、背景知識の取得については、各自に任せているから、中には、和書をまったく読まないと主張する会員も存在する。
現時点では、会員制ではないので、
という「掲示板投稿者」もいるというのが正しい表現です。
〉2 昔、試験に出る英単語、今、Duoによる勉強に代表される。
〉 英和辞書を引くという方法も含まれる。
〉 単語を単語として覚えるやり方である。
〉 単語間の脈絡なく、語源を基礎に、英単語を覚えるやり方を含むだろう。
〉 2の見解の人で、ことさら、1の方法を悪く述べる人はいない。
〉 これは、1の見解の人は、英書が読めるようになっていると自負している人がいるのに対し、2の見解の人は、1の方法を並存するし、英書が読めると自負できるSSSの人が、出現していないからであろう。
これも、SSSの人というのが意味不明です。
〉3 和書を読む過程で、知見を取得しながら、英単語相互の有機的関連を理解し、自然に記憶するという方法が、第3の方法として存在する。
〉 単語の習得を目的としたとしても、本来は、知見を取得する作業なのである。
〉 本来知見を所得する作業として独自の意義を有することが、2の方法とまったく異なる。
〉 もし、この第3の概念がなかったのなら、本書をもって、嚆矢としたい。
〉4 「多読」は、SSSの専売特許ではなく、その以前から主張されてきたものであることは、既に晴山氏の著書で検討した。
夏目漱石の時代から「多読」はあったし、おそらく、
その前からもあったでしょう。
〉 SSSの新規性は、ネットの普及による会員相互の情報交換並びに、為替変動及び需要と供給の相互作用による多読英書の入手の容易さという時代にマッチしたことに依拠する点が大きい。
「洋書が入手しやすくなった」ことは大きいですが、
1)「易しい」という概念を変えた点
2)易しい本をどの位読むかという定量的な指標を作ったこと
3)多くの本の語数とYLを提供したこと
が本質でししょう。
なお、1)、2)については、酒井先生の功績が大きいことは
いうまでもありません。
〉 SSSの多読は、「細部に気を使わず、大雑把に読む」「細かに考えずに、ざっと読む」ことが本質である。
〉 すなわち、SSSの多読は、客観的に考察し、多読の中の一方法にすぎない。
〉
多読の一方法であることは言うまでもありません。
すぎない かとうかは見解の分かれるところです。
〉4 なお、「多読」「背景知識と知見の関係」「勉強」「unlearn」などの概念は、さらに検討が必要である。
〉これが、今回の投稿の目的の1つであり、最初のスレッドの投稿の主題に符合する。
よく理解できません。
どうも、問題意識が私とはすれちがっている気がします。
それでは。
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お名前: まりあ@SSS http://buhimaman.at.webry.info/
投稿日: 2008/11/2(04:12)
------------------------------
主観の新茶さん、今晩は。まりあ@SSSです。
〉 SSSの多読は、「細部に気を使わず、大雑把に読む」「細かに考えずに、ざっと読む」ことが本質である。
「知らない単語を飛ばす」と薦めるのは、枝葉に捕らわれて
幹を見失うな、ということであり、木を見ず森を見よ、と
いうことです。細部に拘泥せず全体を読み通して、作者の語り
たい真意を掴もうとすることは、「大雑把に読む」とは
違うと感じます。
「ごくごくやさしい本を読む」ことで、単語の「訳語」では
なく、その単語のカバーする概念の範囲やイメージを体得
することを目指すもので、「細部に気を使わず」「細かに
考えずに」と括られることにも違和感があります。
〉 すなわち、SSSの多読は、客観的に考察し、多読の中の一方法にすぎない。
〉
上段とどう結びつくのか、私には理解できないところですが、
SSSの多読の定義を論じあっても英語が出来るようになる
わけではありません。
別に誰かが特許申請をしているわけではありませんから、
新奇発明であろうが、従前からあったもののバリエーションで
あろうがどうでも良いことです。
現にSSSの多読で多くの人が洋書を読めるようになっている、
という厳然とした事実があるのですから、それで良いでは
ありませんか!
Happy Reading!
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: pandada45 http://dokusyodeeigo.blog87.fc2.com/
投稿日: 2008/11/2(08:29)
------------------------------
pandada45 です。
主観の新茶 さん、はじめまして(だと思います)
杏樹さん、古川さん、まりあさん おはようございます。
"主観の新茶"さんは[url:kb:381]で書きました:
〉主観の新茶です。
〉古田裕清 著 『翻訳語としての日本の法律用語』は、これを理解しながら読むことにより、
記憶という作業を特別に行うまでもなく、日中英独仏ラテン語の6語の有機的関連の単語を、
思想の体系の中で体得することができる。
〉この知見は、大学の1、2年程度のものであるといってよい。
〉したがって、専門的知見に属するが、一般教養の範囲をでないともいえる。
〉この本は、さりながら、やや特殊であるから、理系、文系をとわず、体系的知見を取り入れ
ながら、英単語も覚えられるという和書を紹介できればと祈念する。
〉自家薬籠中の物とまではいかなくとも、消化できたものは、紹介していきたい。
『翻訳語としての日本の法律用語』という本があるのですね。
pandada45 の事例に当てはめますと
NEDOのホームページに「よくわかる!技術解説」
http://app2.infoc.nedo.go.jp/kaisetsu/index.html
というのがあって、この中で例えば
よくわかる!技術解説 > バイオテクノロジー・医療技術分野 >バイオテクノロジーとは
http://app2.infoc.nedo.go.jp/kaisetsu/bio/bi04/index.html
というのがあるのですが、このページを理解しながら読むことによって、記憶という
作業を特別に行うまでもなく、バイオテクノロジーに関する有機的関連の語彙
(この場合は日本語ですが)を、技術の体系の中で体得することができる。
と言うのと同じですね。すばらしい。
でも、私は法律用語は科学捜査専門家 Lincoln Rhyme に教わるかなあ。
Kinsey Millhone はどうなんでしょうか?
〉ところで、SSSでは、従来、単語を覚えるには、…
これ以下の部分は、4項の「すなわち」以下の文章が結論だとすると、オレンジさんの
言われる英単語の覚え方の紹介とは違う議論なのでチョキチョキしますね。
それから軽くお願いです。
「である調」で文章を書かれていますが、「ですます調」で書いていただけると
読みやすくて助かるのですが…。
「紹介できればと祈念する。」も「紹介できればよいと思うなあ」とか
「紹介していきたいと考えます。」と書いていただければぐっと親しみが湧くのですが。
もっとも、そのように書こうと気構えて掲示板への投稿が減ってしまっては本末転倒
ですので、あまり気にしないでくださいね。
それでは Happy Reading!
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395. Re: 私の今回の主題に正面から回答したはじめての投稿ですがー第3の道 単語の体系の増強
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/2(19:41)
------------------------------
pandada45さん
主観の新茶 です。
正式には、次回、お答えしますが、その前に。
私の主張は、第2の道、つまり、オレンジさんの最初の投稿であるDUOの話に対応したものであるということは、私の投稿の最後に、念のため述べていますが、それを理解した上で、かつ、反応されたのは、あなただけです。
オレンジさんの名前を出していないのは、オレンジさんに返答を煩わせないためです。
〉よくわかる!技術解説 > バイオテクノロジー・医療技術分野 >バイオテクノロジーとは
〉http://app2.infoc.nedo.go.jp/kaisetsu/bio/bi04/index.html
〉
〉というのがあるのですが、このページを理解しながら読むことによって、記憶という
〉作業を特別に行うまでもなく、バイオテクノロジーに関する有機的関連の語彙
〉(この場合は日本語ですが)を、技術の体系の中で体得することができる。
〉
〉と言うのと同じですね。すばらしい。
残念ながら、私は、私が述べたことが、すばらしいと言われるほどのことではないと思っています。
〉
〉でも、私は法律用語は科学捜査専門家 Lincoln Rhyme に教わるかなあ。
〉Kinsey Millhone はどうなんでしょうか?
しかし、この文章で、結局、私の主張に、正面から答えておられないことがわかりました。
主張していることが、理解しにくいのでしょうかね。
〉これ以下の部分は、4項の「すなわち」以下の文章が結論だとすると、オレンジさんの
〉言われる英単語の覚え方の紹介とは違う議論なのでチョキチョキしますね。
〉
「すなわち」以下の文章は、結論ではありません。
「ところで」までが、主題、1,2,3は、その補足説明であり、4は、さらに、1,2,3の補足説明になるという関係です。
12345となるところ、12344という誤字があります。
それでは、次回。
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404. Re: 私の今回の主題に正面から回答したはじめての投稿ですがー第3の道 単語の体系の増強
お名前: pandada45 http://dokusyodeeigo.blog87.fc2.com/
投稿日: 2008/11/3(08:00)
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pandada45 です。 おはようございます。
"主観の新茶"さんは[url:kb:395]で書きました:
〉pandada45さん
〉主観の新茶 です。
〉正式には、次回、お答えしますが、その前に。
正式な回答、お待ちしていますね。
いやー、ドキドキするなあ。
でも、なにに回答していただけるのかなあ?
〉私の主張は、第2の道、つまり、オレンジさんの最初の投稿であるDUOの話に
対応したものであるということは、私の投稿の最後に、念のため述べていますが、
それを理解した上で、かつ、反応されたのは、あなただけです。
〉オレンジさんの名前を出していないのは、オレンジさんに返答を煩わせないためです。
〉〉よくわかる!技術解説 > バイオテクノロジー・医療技術分野 >バイオテクノロジーとは
〉〉http://app2.infoc.nedo.go.jp/kaisetsu/bio/bi04/index.html
〉〉
〉〉というのがあるのですが、このページを理解しながら読むことによって、記憶という
〉〉作業を特別に行うまでもなく、バイオテクノロジーに関する有機的関連の語彙
〉〉(この場合は日本語ですが)を、技術の体系の中で体得することができる。
〉〉
〉〉と言うのと同じですね。すばらしい。
〉残念ながら、私は、私が述べたことが、すばらしいと言われるほどのことではないと思っています。
なーんだ、たいしたことではないんですね。
私は、よく「これすげーよ、すごい発見だよ」とカミさんや子供につい言ってしまうので
狼中年です。
〉〉
〉〉でも、私は法律用語は科学捜査専門家 Lincoln Rhyme に教わるかなあ。
〉〉Kinsey Millhone はどうなんでしょうか?
〉しかし、この文章で、結局、私の主張に、正面から答えておられないことがわかりました。
〉主張していることが、理解しにくいのでしょうかね。
あーこの言い方、嫌いですね。まるで私が馬鹿みたいじゃないですか?
ヘキサゴンの問題だって結構答えられると思うんですがねえ。
私は次のように考えたんですけれどねえ。違いましたか。
古田裕清さんの著された『翻訳語としての日本の法律用語』という本を理解
しながら読めば、日本の法律用語とその対になる各国の法律用語を、
「権利(日)right(英) das Recht(独) le droit(仏)」を唱えて覚える
ということをしなくても、覚えるだけじゃなくて使えるようになりますよ。
こんなことは大学1年2年生になれば分かることでしょう。
だから専門課程(大学3年4年以降)で教わることかも知れないけれど、1年、2年
生なら分かるとことでしょうと言っても言い過ぎではないと思う。
だけれど、この本は普通はなじみが無いと思うので、文科系の人でも理科系の人
でもことがらを関連付けながら英単語を覚えることのできる日本語で書かれた本
を紹介できたらいいなと思います。
必要に応じて自分の思うままに使えるものになったと言えないまでも、自分の身
に付いたものは紹介したいと思います。
上記のような内容だと思ったので、私は法律の専門用語を解説している和書を読む
ことではなくて、探偵ものの小説を原書で読むことによって、日常出てくる程度の
法律用語や警察関係用語の英語版が使えるようになればいいなと思っている、と言
いたかったんですよ。Lincoln Rhyme や Kinsey Millhone の名前を出すことでですね。
〉〉これ以下の部分は、4項の「すなわち」以下の文章が結論だとすると、オレンジさんの
〉〉言われる英単語の覚え方の紹介とは違う議論なのでチョキチョキしますね。
〉〉
〉「すなわち」以下の文章は、結論ではありません。
〉「ところで」までが、主題、1,2,3は、その補足説明であり、4は、さらに、1,2,3の補足説明になるという
関係です。
〉12345となるところ、12344という誤字があります。
1,2,3,4,5の誤記でしたか。失礼しました。
『4 なお、「多読」「… 』 とあるので混乱しました。
一番最後に「これが、今回の投稿の目的の1つであり、」と書かれても、『これ』とは
今まで読んできた文章のどこがここなのか分かりにくいと思いますよ。
『目的』
(仮:私は英単語の覚え方を紹介したい)
『結論』
(仮:古田裕清さんの『翻訳語としての…』をよく読むと良いと考える。)
『説明』
『まとめ』
(仮:『翻訳語としての…』はなじみが薄いので、なじみやすい日本語で書か
れた本を探して、その本でやってもて自分で身に付いたと思ったら紹介し
たいと思います。)
といったように書かれれば、私でも間違わずに理解できると思いますが。
〉
〉それでは、次回。
次回を楽しみのお待ちしています。
それでは Happy Reading!
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408. Re: 私の今回の主題に正面から回答したはじめての投稿ですがー第3の道 単語の体系の増強
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/3(10:08)
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簡単で失礼であるかもしれないが、以下。
私が言外に述べた仮説は、もう一つの本である「翻訳語成立事情」を読んで考察したり、私の200万語の主張を推し進めたりしないと、やはり、客観的に見て、誰もが理解し難いのではないかと思われる。
私の仮説では、貴殿の本の選択には、ならないのである。
その意味で、私の主張を理解されておられないか、客観的に、私の主張に反対を表明されておられるのである。
である調で失礼。