[掲示板: 〈過去ログ〉多読と英語学習・試験に関する掲示板 -- 最新メッセージID: 1756 // 時刻: 2024/11/24(05:27)]
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
194. なるほど。「母語を読むのと同じように読む」 ですね。
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/12(15:22)
------------------------------
fionaさん、今日は。
〉たかぽんさん、今日は。
〉最近、英語多読で絶対必要なものは何だろう…
〉というようなことを考えています。
〉まだ、まとまってないのですが、
〉少なくとも、多読三原則は、絶対必要(ないと多読が成り立たない)もの
〉ではありません。
〉(絶対必要なものは2つ(多分)…このあたりまとまったら、どこかで書いてみますので、後ほど)
あ。その2つ、またぜひお聞きしたいです。
〉多読三原則は、多読を(楽しく)続けるためのコツ(もしくは技術)みたいなものではないでしょうか。
〉(でも、非常によく出来ているとは思います。)
その通りだと思います。
でも、どうもなんか、「多読三原則」がよく出来すぎているために、
それにしばられてしまう人が多いんかな?というような気がしてきたのです。
返り読みしたいのにガマンする人とか、精読したいのにガマンする人とか、
辞書引きたいが…と悩む人とか。一種の呪縛ぽく見えます。
したいなら、したらいいじゃない?と思うんです。
〉私の場合、英語多読は、日本語での読書でやっていることを「英語」でやれば良いんじゃないの…と考えています。
〉「辞書を引かない」「分からんところは、とりあえず飛ばす」「分かる、分からないにかかわらず、つまらなくて読む気にならんものはやめ!」
〉なんて、日本語の読書のことを考えたら、普通は当たり前。
そうなんですよね。要するに、日本語での読書でやってることをやるってだけのことであって。
それが英語だと構えてしまうので、いや、日本語でやってるのと同じようにすればいいんだよ、と
わかりやすく気づかせるために、「多読三原則」があるんだと思います。
〉まあ、場合によっては、分からんところを調べながら読む本もあるでしょうが(日本語の本だって、そう言う本はありますね)。
〉でも、どんな本でも辞書を引き引き、分からないところを調べながら読むのはおかしいと思います。
〉特に、楽しんで読むべき本(小説とか)は。
〉(日本語の本でも、いつもそう言う風に読むのが普通の人の場合は、多読三原則無視でも、問題ないかも知れませんけれど)
そうそう。「なんでも辞書引き引き読むのはおかしいでしょ?(日本語でもそういう読み方してる人は別ですけどー)」
と納得してもらうための、「多読三原則」だと思います。
なので、あるていど英語が読めるようになってきたら、「多読三原則」にこだわる必要は無いと思います。
日本語での読書でもやってるように、「勉強」もすれば、辞書も引けば、精読もする、というように。
〉今はどうか知らないのですが、学校で英語を読むときは、「辞書を引き、分からないところは調べないと」いけなかった。
〉それで、多読をするときは、違う読み方をしましょう(日本語の本と同じように読みましょう)。その方が、楽しく長く、多読を続けられますよ。
〉と言うのが「多読三原則」だと、私は解釈しています。
いや、まったく、おっしゃるとおりだと思います。
〉要するに、英語の本だからって、構えてしまうのがおかしいのでしょうね。
〉英語の本だって、日本語の本と同じように読めば良いと思うのですがねぇ。
そうですよね。
〉問題は、日本語に比べ、英語に関する知識(語彙など)が圧倒的に少ないことでしょう。
〉そのため、なかなか日本語と同じように…とは難しいところもある。
そこなんですよね。
ただ、このごろ思うのが、ふつうに日本語をあやつるのに必要な知識って、
そんなにたくさんあるのかな?ということです。
ベーシックなものは、そんなにたくさんは無いような。忘れてることも多いし・・
(小学校で習ったことも、完全に忘れてたりするし・・ それでも不自由しない。)
なので、英語でも、ふつうにあやつるのには、そんなにたくさん知らなくても
いいんだろうなぁと思います。
「効率」ということでいえば、『難しいことをやらない』よう気をつけるのが、
案外、一番の早道なのかなと思ったりします。
〉では、その差のその穴埋めをどのようにしたら良いのか。
〉とにかくたくさん読む、と言うのが理想的な穴埋め方法。
〉でも、何かもっと効率的に穴埋めをする方法はないか…と言うのがこのスレッドで皆さんが考えていることではないでしょうか。
いや、まさに、そういうことだと思います。
英語をふつうにあやつりたいのならば、日常的な会話とかそういうのにまず習熟するのが
いいんじゃないかと思います。多「読」はまず置いといたほうがいいかもしれない。
日常的な会話なら、そんなに知識量は要らないんじゃないでしょうか?
そういうのができてから、もうちょい難しいことを広げていく、というのが、
「健全な」行き方なんじゃないかと思います。
ただ、別に英語をあやつりたいわけじゃない、読みたい本を英語で読みたいだけだ、
という人もいるので、そういう人は、別に会話なんかから入らなくたっていいわけで。
自分が良いと直感した方に行くのが、その人にとっては正解なんだと思います。
そういう、直感を思い出させ、直感に従うことを思い出させてくれるのが、
「多読三原則」だったと私は思っています。自分の感覚・感情を大切にしたらいいんだよ、と。
そこにエッセンスがあるので、いつまでも「多読三原則」にしばられてる必要は無い、
と思っています。
〉話が変なところへ行ってしまいました。
いえいえ。私もいろいろ考えさせられました。ありがとうございます。
それでは〜
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
197. Re: なるほど。「母語を読むのと同じように読む」 ですね。
お名前: 杏樹
投稿日: 2008/10/12(23:15)
------------------------------
たかぽんぽん、こんばんぽん
〉〉多読三原則は、多読を(楽しく)続けるためのコツ(もしくは技術)みたいなものではないでしょうか。
〉〉(でも、非常によく出来ているとは思います。)
〉その通りだと思います。
〉でも、どうもなんか、「多読三原則」がよく出来すぎているために、
〉それにしばられてしまう人が多いんかな?というような気がしてきたのです。
〉返り読みしたいのにガマンする人とか、精読したいのにガマンする人とか、
〉辞書引きたいが…と悩む人とか。一種の呪縛ぽく見えます。
〉したいなら、したらいいじゃない?と思うんです。
〉〉私の場合、英語多読は、日本語での読書でやっていることを「英語」でやれば良いんじゃないの…と考えています。
〉〉「辞書を引かない」「分からんところは、とりあえず飛ばす」「分かる、分からないにかかわらず、つまらなくて読む気にならんものはやめ!」
〉〉なんて、日本語の読書のことを考えたら、普通は当たり前。
〉そうなんですよね。要するに、日本語での読書でやってることをやるってだけのことであって。
〉それが英語だと構えてしまうので、いや、日本語でやってるのと同じようにすればいいんだよ、と
〉わかりやすく気づかせるために、「多読三原則」があるんだと思います。
おっしゃることはよくわかります。
ただ、多読を始める前はだいたい英語は勉強するものだと思っている人が多く、勉強法を探して多読にたどり着く人もたくさんいます。そういう人に多読法を実践して、多読の効果を実感してもらうにはとりあえず「多読三原則」を守ってもらう必要があると思います。そもそも多読三原則は「勉強」としてはとんでもない方法で、普通の勉強とは全く反対の考え方です。それを納得してもらうには、とりあえずきちんと守って実行してみないとわからないでしょう。
英語の本を読むのに「好きなように」と言われても、勉強しかしたことのない人にはどうやって「好きなように」すればいいかわからないんですよ。多読を始めるにも、最初は低いレベルからおすすめ本やGRを読んでいきます。「楽しい本を読む」という感覚をつかむまでには「三原則」を守りながら何冊も本を読んでいく必要があります。
そうして自分なりに多読のやり方、好きな本の見つけ方、楽しみ方がわかってきてこそ「好きなようにすればいい」と言えるのです。
そういう状態になった人にこそ、「多読三原則に縛られる必要はない」というのが意味のあることになると思います。
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
198. 最初は「多読三原則」がいいでしょうね。 (ただ、いつまでも縛られるとなると考えものですが…)
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/12(23:54)
------------------------------
杏樹ぽん、こんばんぽーん。
〉たかぽんぽん、こんばんぽん
〉〉〉多読三原則は、多読を(楽しく)続けるためのコツ(もしくは技術)みたいなものではないでしょうか。
〉〉〉(でも、非常によく出来ているとは思います。)
〉〉その通りだと思います。
〉〉でも、どうもなんか、「多読三原則」がよく出来すぎているために、
〉〉それにしばられてしまう人が多いんかな?というような気がしてきたのです。
〉〉返り読みしたいのにガマンする人とか、精読したいのにガマンする人とか、
〉〉辞書引きたいが…と悩む人とか。一種の呪縛ぽく見えます。
〉〉したいなら、したらいいじゃない?と思うんです。
〉〉〉私の場合、英語多読は、日本語での読書でやっていることを「英語」でやれば良いんじゃないの…と考えています。
〉〉〉「辞書を引かない」「分からんところは、とりあえず飛ばす」「分かる、分からないにかかわらず、つまらなくて読む気にならんものはやめ!」
〉〉〉なんて、日本語の読書のことを考えたら、普通は当たり前。
〉〉そうなんですよね。要するに、日本語での読書でやってることをやるってだけのことであって。
〉〉それが英語だと構えてしまうので、いや、日本語でやってるのと同じようにすればいいんだよ、と
〉〉わかりやすく気づかせるために、「多読三原則」があるんだと思います。
〉おっしゃることはよくわかります。
〉ただ、多読を始める前はだいたい英語は勉強するものだと思っている人が多く、勉強法を探して多読にたどり着く人もたくさんいます。そういう人に多読法を実践して、多読の効果を実感してもらうにはとりあえず「多読三原則」を守ってもらう必要があると思います。そもそも多読三原則は「勉強」としてはとんでもない方法で、普通の勉強とは全く反対の考え方です。それを納得してもらうには、とりあえずきちんと守って実行してみないとわからないでしょう。
そうですね。初めはそれがいいと、私も思います。
でも、100万語200万語読んでて、精読したいんだけど「多読三原則」に反するから…とか、
英英辞書をどんどん引きたいんだけどそれは「多読三原則」に反するんじゃないか…などと、
悩んでる人がけっこういらっしゃりそうなので、いえいえ、「多読三原則」はスタートのための便宜なんですよ、
自由になるためのツールなんですと、言っとく必要があるんじゃないかと、ちょっと思ったんです。
いつまでも「多読三原則」に縛られなくてもいいよ、と。
〉英語の本を読むのに「好きなように」と言われても、勉強しかしたことのない人にはどうやって「好きなように」すればいいかわからないんですよ。多読を始めるにも、最初は低いレベルからおすすめ本やGRを読んでいきます。「楽しい本を読む」という感覚をつかむまでには「三原則」を守りながら何冊も本を読んでいく必要があります。
もちろん、最初は「多読三原則」を守りながら読むのがいいと、私も思います。
(ただ、のちのちも絶対原則のように縛られてしまうならば、考えものかなという気も、
ちょっとだけしますが。)
〉そうして自分なりに多読のやり方、好きな本の見つけ方、楽しみ方がわかってきてこそ「好きなようにすればいい」と言えるのです。
〉そういう状態になった人にこそ、「多読三原則に縛られる必要はない」というのが意味のあることになると思います。
もちろん、そうだと思います。
いや、「多読三原則」に縛られ続ける人が多いとは、従来あまり思っていなかったのですが、
あれ?けっこうみなさん、「多読三原則」に結界を張られて、踏み出せなかったりするのかな?
とか思うに至りまして、あえて強めに言ってみたというか、問題提起してみました。
自転車の補助輪のイメージでしょうか。
どうにも邪魔だと思うに至れば、迷わず、はずせばいいと思います。
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
204. Re: 最初は「多読三原則」がいいでしょうね。 (ただ、いつまでも縛られるとなると考えものですが…)
お名前: 古川@SSS http://www.seg.co.jp
投稿日: 2008/10/13(03:13)
------------------------------
たかぽん さん、杏樹さん、
こんばんは。古川です。
ツリーの成長が速くて 追いついていません(笑)
〉いや、「多読三原則」に縛られ続ける人が多いとは、従来あまり思っていなかったのですが、
〉あれ?けっこうみなさん、「多読三原則」に結界を張られて、踏み出せなかったりするのかな?
〉とか思うに至りまして、あえて強めに言ってみたというか、問題提起してみました。
全くそうですね。
多読3原則は、アンチテーゼですから、
「辞書や和訳に縛られず、自由に読め」
というメッセージだと思います。
それが、それに縛られるようになったら本末転倒だと思います。
学校の先生や塾の先生みんがが、「絶対に辞書を引くな」
と生徒に命令するようになったら、私は絶対に辞書を引くでしょうね。(笑)
あくまで、多読3原則は、精読に毒されている人のために作られた
もので、多読が日常的になってしまえば、それにこだわる必要は
ないというか、多読とは別に、精読をしても全く構わないと思っています。
それでは
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
207. Re: 最初は「多読三原則」がいいでしょうね。 (ただ、いつまでも縛られるとなると考えものですが…)
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/13(10:58)
------------------------------
古川さん、こんにちは。レスありがとうございます。たかぽんです。
(その節はたいへんお騒がせしました… またよろしくお願いします。)
〉たかぽん さん、杏樹さん、
〉こんばんは。古川です。
〉ツリーの成長が速くて 追いついていません(笑)
あー… すみません。。
〉〉いや、「多読三原則」に縛られ続ける人が多いとは、従来あまり思っていなかったのですが、
〉〉あれ?けっこうみなさん、「多読三原則」に結界を張られて、踏み出せなかったりするのかな?
〉〉とか思うに至りまして、あえて強めに言ってみたというか、問題提起してみました。
〉全くそうですね。
〉多読3原則は、アンチテーゼですから、
〉「辞書や和訳に縛られず、自由に読め」
〉というメッセージだと思います。
〉それが、それに縛られるようになったら本末転倒だと思います。
あっ。それです。「本末転倒」。 (その言葉が出て来なかった…)
〉学校の先生や塾の先生みんがが、「絶対に辞書を引くな」
〉と生徒に命令するようになったら、私は絶対に辞書を引くでしょうね。(笑)
私も逆らうほうなので、辞書ひきまくってしまうと思います。(笑)
〉あくまで、多読3原則は、精読に毒されている人のために作られた
〉もので、多読が日常的になってしまえば、それにこだわる必要は
〉ないというか、多読とは別に、精読をしても全く構わないと思っています。
精読もまた多読、と私は思っているのですが、(っていうのは、私の今の英語読書が、
野球ルールとか歴史とか、かなり精読的な読み方ばかりなので、「多読」に入れてほし…)
言葉の定義の問題でいいとして、そうですね、英語読書に慣れてくれば
(=常に構文分析・返り読み・和訳精読してしまう、などの毒が抜ければ)、
細かいところにこだわったり、辞書引いたりする読書も、いいんじゃないかと思います。
〉それでは
ありがとうございました。
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/10/14(09:21)
------------------------------
別の方向へ話が発展してしまいましたが、
大事な論点が出されましたね。
多読三原則は、
楽しく自由に本を読めなくなってしまった人のための非常手段だと、
僕は思っています。
自分に合う本を自分で選べるようになったら、
どんな読み方でも試してみて良いでしょう。
翻訳したって良いし、
終わりの方から読んでも構わない。
自分の本なら、
書き込みもOKだし、
頁を切り取って読んでも良いのです。
勿論、
その結果も自己責任です。
------------------------------
Ry0tasanさん、こんばんは!
〉別の方向へ話が発展してしまいましたが、
〉大事な論点が出されましたね。
思わぬ展開になりましたが(私がそういう展開にしたのか…)、
ここしばらく気になっていたことでして。ええ。
〉多読三原則は、
〉楽しく自由に本を読めなくなってしまった人のための非常手段だと、
〉僕は思っています。
なるほど。そうですね。
あと、「英語の本を読む」ってぇと構えてしまって、始められない人のために、
すごく有効ですよね。
〉自分に合う本を自分で選べるようになったら、
〉どんな読み方でも試してみて良いでしょう。
〉翻訳したって良いし、
最近になって、これをどう日本語訳してるのかなと、チェックしたりするようになりました。
意味を確かめるってんでなくて。
なんか、翻訳にも興味が出始めたんですかねぇ。
少し前までは、「訳読」に戻るのが怖くて、日本語訳を見るのがとてもイヤだったんですが、
8年目にしてようやく、ちょっとばかし余裕が出てきたのかもしれません。
〉終わりの方から読んでも構わない。
〉自分の本なら、
〉書き込みもOKだし、
〉頁を切り取って読んでも良いのです。
〉勿論、
〉その結果も自己責任です。
そうですね。前にも言ったんですが、結局「autonomy」獲得が最終目標、って感じがします。
うまくまとめていただいてありがとうございました!
(また散らかしてしまいましたが…)