[掲示板: 〈過去ログ〉多読と英語学習・試験に関する掲示板 -- 最新メッセージID: 1756 // 時刻: 2024/11/24(03:43)]
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191. Re: 「多読三原則」にしばられず 多読一原則:「日本語を介さず 好きなように読む」
お名前: fiona
投稿日: 2008/10/12(13:16)
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たかぽんさん、今日は。
最近、英語多読で絶対必要なものは何だろう…
というようなことを考えています。
まだ、まとまってないのですが、
少なくとも、多読三原則は、絶対必要(ないと多読が成り立たない)もの
ではありません。
(絶対必要なものは2つ(多分)…このあたりまとまったら、どこかで書いてみますので、後ほど)
多読三原則は、多読を(楽しく)続けるためのコツ(もしくは技術)みたいなものではないでしょうか。
(でも、非常によく出来ているとは思います。)
私の場合、英語多読は、日本語での読書でやっていることを「英語」でやれば良いんじゃないの…と考えています。
「辞書を引かない」「分からんところは、とりあえず飛ばす」「分かる、分からないにかかわらず、つまらなくて読む気にならんものはやめ!」
なんて、日本語の読書のことを考えたら、普通は当たり前。
まあ、場合によっては、分からんところを調べながら読む本もあるでしょうが(日本語の本だって、そう言う本はありますね)。
でも、どんな本でも辞書を引き引き、分からないところを調べながら読むのはおかしいと思います。
特に、楽しんで読むべき本(小説とか)は。
(日本語の本でも、いつもそう言う風に読むのが普通の人の場合は、多読三原則無視でも、問題ないかも知れませんけれど)
今はどうか知らないのですが、学校で英語を読むときは、「辞書を引き、分からないところは調べないと」いけなかった。
それで、多読をするときは、違う読み方をしましょう(日本語の本と同じように読みましょう)。その方が、楽しく長く、多読を続けられますよ。
と言うのが「多読三原則」だと、私は解釈しています。
要するに、英語の本だからって、構えてしまうのがおかしいのでしょうね。
英語の本だって、日本語の本と同じように読めば良いと思うのですがねぇ。
問題は、日本語に比べ、英語に関する知識(語彙など)が圧倒的に少ないことでしょう。
そのため、なかなか日本語と同じように…とは難しいところもある。
では、その差のその穴埋めをどのようにしたら良いのか。
とにかくたくさん読む、と言うのが理想的な穴埋め方法。
でも、何かもっと効率的に穴埋めをする方法はないか…と言うのがこのスレッドで皆さんが考えていることではないでしょうか。
話が変なところへ行ってしまいました。
ではでは。
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194. なるほど。「母語を読むのと同じように読む」 ですね。
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/12(15:22)
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fionaさん、今日は。
〉たかぽんさん、今日は。
〉最近、英語多読で絶対必要なものは何だろう…
〉というようなことを考えています。
〉まだ、まとまってないのですが、
〉少なくとも、多読三原則は、絶対必要(ないと多読が成り立たない)もの
〉ではありません。
〉(絶対必要なものは2つ(多分)…このあたりまとまったら、どこかで書いてみますので、後ほど)
あ。その2つ、またぜひお聞きしたいです。
〉多読三原則は、多読を(楽しく)続けるためのコツ(もしくは技術)みたいなものではないでしょうか。
〉(でも、非常によく出来ているとは思います。)
その通りだと思います。
でも、どうもなんか、「多読三原則」がよく出来すぎているために、
それにしばられてしまう人が多いんかな?というような気がしてきたのです。
返り読みしたいのにガマンする人とか、精読したいのにガマンする人とか、
辞書引きたいが…と悩む人とか。一種の呪縛ぽく見えます。
したいなら、したらいいじゃない?と思うんです。
〉私の場合、英語多読は、日本語での読書でやっていることを「英語」でやれば良いんじゃないの…と考えています。
〉「辞書を引かない」「分からんところは、とりあえず飛ばす」「分かる、分からないにかかわらず、つまらなくて読む気にならんものはやめ!」
〉なんて、日本語の読書のことを考えたら、普通は当たり前。
そうなんですよね。要するに、日本語での読書でやってることをやるってだけのことであって。
それが英語だと構えてしまうので、いや、日本語でやってるのと同じようにすればいいんだよ、と
わかりやすく気づかせるために、「多読三原則」があるんだと思います。
〉まあ、場合によっては、分からんところを調べながら読む本もあるでしょうが(日本語の本だって、そう言う本はありますね)。
〉でも、どんな本でも辞書を引き引き、分からないところを調べながら読むのはおかしいと思います。
〉特に、楽しんで読むべき本(小説とか)は。
〉(日本語の本でも、いつもそう言う風に読むのが普通の人の場合は、多読三原則無視でも、問題ないかも知れませんけれど)
そうそう。「なんでも辞書引き引き読むのはおかしいでしょ?(日本語でもそういう読み方してる人は別ですけどー)」
と納得してもらうための、「多読三原則」だと思います。
なので、あるていど英語が読めるようになってきたら、「多読三原則」にこだわる必要は無いと思います。
日本語での読書でもやってるように、「勉強」もすれば、辞書も引けば、精読もする、というように。
〉今はどうか知らないのですが、学校で英語を読むときは、「辞書を引き、分からないところは調べないと」いけなかった。
〉それで、多読をするときは、違う読み方をしましょう(日本語の本と同じように読みましょう)。その方が、楽しく長く、多読を続けられますよ。
〉と言うのが「多読三原則」だと、私は解釈しています。
いや、まったく、おっしゃるとおりだと思います。
〉要するに、英語の本だからって、構えてしまうのがおかしいのでしょうね。
〉英語の本だって、日本語の本と同じように読めば良いと思うのですがねぇ。
そうですよね。
〉問題は、日本語に比べ、英語に関する知識(語彙など)が圧倒的に少ないことでしょう。
〉そのため、なかなか日本語と同じように…とは難しいところもある。
そこなんですよね。
ただ、このごろ思うのが、ふつうに日本語をあやつるのに必要な知識って、
そんなにたくさんあるのかな?ということです。
ベーシックなものは、そんなにたくさんは無いような。忘れてることも多いし・・
(小学校で習ったことも、完全に忘れてたりするし・・ それでも不自由しない。)
なので、英語でも、ふつうにあやつるのには、そんなにたくさん知らなくても
いいんだろうなぁと思います。
「効率」ということでいえば、『難しいことをやらない』よう気をつけるのが、
案外、一番の早道なのかなと思ったりします。
〉では、その差のその穴埋めをどのようにしたら良いのか。
〉とにかくたくさん読む、と言うのが理想的な穴埋め方法。
〉でも、何かもっと効率的に穴埋めをする方法はないか…と言うのがこのスレッドで皆さんが考えていることではないでしょうか。
いや、まさに、そういうことだと思います。
英語をふつうにあやつりたいのならば、日常的な会話とかそういうのにまず習熟するのが
いいんじゃないかと思います。多「読」はまず置いといたほうがいいかもしれない。
日常的な会話なら、そんなに知識量は要らないんじゃないでしょうか?
そういうのができてから、もうちょい難しいことを広げていく、というのが、
「健全な」行き方なんじゃないかと思います。
ただ、別に英語をあやつりたいわけじゃない、読みたい本を英語で読みたいだけだ、
という人もいるので、そういう人は、別に会話なんかから入らなくたっていいわけで。
自分が良いと直感した方に行くのが、その人にとっては正解なんだと思います。
そういう、直感を思い出させ、直感に従うことを思い出させてくれるのが、
「多読三原則」だったと私は思っています。自分の感覚・感情を大切にしたらいいんだよ、と。
そこにエッセンスがあるので、いつまでも「多読三原則」にしばられてる必要は無い、
と思っています。
〉話が変なところへ行ってしまいました。
いえいえ。私もいろいろ考えさせられました。ありがとうございます。
それでは〜
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197. Re: なるほど。「母語を読むのと同じように読む」 ですね。
お名前: 杏樹
投稿日: 2008/10/12(23:15)
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たかぽんぽん、こんばんぽん
〉〉多読三原則は、多読を(楽しく)続けるためのコツ(もしくは技術)みたいなものではないでしょうか。
〉〉(でも、非常によく出来ているとは思います。)
〉その通りだと思います。
〉でも、どうもなんか、「多読三原則」がよく出来すぎているために、
〉それにしばられてしまう人が多いんかな?というような気がしてきたのです。
〉返り読みしたいのにガマンする人とか、精読したいのにガマンする人とか、
〉辞書引きたいが…と悩む人とか。一種の呪縛ぽく見えます。
〉したいなら、したらいいじゃない?と思うんです。
〉〉私の場合、英語多読は、日本語での読書でやっていることを「英語」でやれば良いんじゃないの…と考えています。
〉〉「辞書を引かない」「分からんところは、とりあえず飛ばす」「分かる、分からないにかかわらず、つまらなくて読む気にならんものはやめ!」
〉〉なんて、日本語の読書のことを考えたら、普通は当たり前。
〉そうなんですよね。要するに、日本語での読書でやってることをやるってだけのことであって。
〉それが英語だと構えてしまうので、いや、日本語でやってるのと同じようにすればいいんだよ、と
〉わかりやすく気づかせるために、「多読三原則」があるんだと思います。
おっしゃることはよくわかります。
ただ、多読を始める前はだいたい英語は勉強するものだと思っている人が多く、勉強法を探して多読にたどり着く人もたくさんいます。そういう人に多読法を実践して、多読の効果を実感してもらうにはとりあえず「多読三原則」を守ってもらう必要があると思います。そもそも多読三原則は「勉強」としてはとんでもない方法で、普通の勉強とは全く反対の考え方です。それを納得してもらうには、とりあえずきちんと守って実行してみないとわからないでしょう。
英語の本を読むのに「好きなように」と言われても、勉強しかしたことのない人にはどうやって「好きなように」すればいいかわからないんですよ。多読を始めるにも、最初は低いレベルからおすすめ本やGRを読んでいきます。「楽しい本を読む」という感覚をつかむまでには「三原則」を守りながら何冊も本を読んでいく必要があります。
そうして自分なりに多読のやり方、好きな本の見つけ方、楽しみ方がわかってきてこそ「好きなようにすればいい」と言えるのです。
そういう状態になった人にこそ、「多読三原則に縛られる必要はない」というのが意味のあることになると思います。
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198. 最初は「多読三原則」がいいでしょうね。 (ただ、いつまでも縛られるとなると考えものですが…)
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/12(23:54)
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杏樹ぽん、こんばんぽーん。
〉たかぽんぽん、こんばんぽん
〉〉〉多読三原則は、多読を(楽しく)続けるためのコツ(もしくは技術)みたいなものではないでしょうか。
〉〉〉(でも、非常によく出来ているとは思います。)
〉〉その通りだと思います。
〉〉でも、どうもなんか、「多読三原則」がよく出来すぎているために、
〉〉それにしばられてしまう人が多いんかな?というような気がしてきたのです。
〉〉返り読みしたいのにガマンする人とか、精読したいのにガマンする人とか、
〉〉辞書引きたいが…と悩む人とか。一種の呪縛ぽく見えます。
〉〉したいなら、したらいいじゃない?と思うんです。
〉〉〉私の場合、英語多読は、日本語での読書でやっていることを「英語」でやれば良いんじゃないの…と考えています。
〉〉〉「辞書を引かない」「分からんところは、とりあえず飛ばす」「分かる、分からないにかかわらず、つまらなくて読む気にならんものはやめ!」
〉〉〉なんて、日本語の読書のことを考えたら、普通は当たり前。
〉〉そうなんですよね。要するに、日本語での読書でやってることをやるってだけのことであって。
〉〉それが英語だと構えてしまうので、いや、日本語でやってるのと同じようにすればいいんだよ、と
〉〉わかりやすく気づかせるために、「多読三原則」があるんだと思います。
〉おっしゃることはよくわかります。
〉ただ、多読を始める前はだいたい英語は勉強するものだと思っている人が多く、勉強法を探して多読にたどり着く人もたくさんいます。そういう人に多読法を実践して、多読の効果を実感してもらうにはとりあえず「多読三原則」を守ってもらう必要があると思います。そもそも多読三原則は「勉強」としてはとんでもない方法で、普通の勉強とは全く反対の考え方です。それを納得してもらうには、とりあえずきちんと守って実行してみないとわからないでしょう。
そうですね。初めはそれがいいと、私も思います。
でも、100万語200万語読んでて、精読したいんだけど「多読三原則」に反するから…とか、
英英辞書をどんどん引きたいんだけどそれは「多読三原則」に反するんじゃないか…などと、
悩んでる人がけっこういらっしゃりそうなので、いえいえ、「多読三原則」はスタートのための便宜なんですよ、
自由になるためのツールなんですと、言っとく必要があるんじゃないかと、ちょっと思ったんです。
いつまでも「多読三原則」に縛られなくてもいいよ、と。
〉英語の本を読むのに「好きなように」と言われても、勉強しかしたことのない人にはどうやって「好きなように」すればいいかわからないんですよ。多読を始めるにも、最初は低いレベルからおすすめ本やGRを読んでいきます。「楽しい本を読む」という感覚をつかむまでには「三原則」を守りながら何冊も本を読んでいく必要があります。
もちろん、最初は「多読三原則」を守りながら読むのがいいと、私も思います。
(ただ、のちのちも絶対原則のように縛られてしまうならば、考えものかなという気も、
ちょっとだけしますが。)
〉そうして自分なりに多読のやり方、好きな本の見つけ方、楽しみ方がわかってきてこそ「好きなようにすればいい」と言えるのです。
〉そういう状態になった人にこそ、「多読三原則に縛られる必要はない」というのが意味のあることになると思います。
もちろん、そうだと思います。
いや、「多読三原則」に縛られ続ける人が多いとは、従来あまり思っていなかったのですが、
あれ?けっこうみなさん、「多読三原則」に結界を張られて、踏み出せなかったりするのかな?
とか思うに至りまして、あえて強めに言ってみたというか、問題提起してみました。
自転車の補助輪のイメージでしょうか。
どうにも邪魔だと思うに至れば、迷わず、はずせばいいと思います。
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204. Re: 最初は「多読三原則」がいいでしょうね。 (ただ、いつまでも縛られるとなると考えものですが…)
お名前: 古川@SSS http://www.seg.co.jp
投稿日: 2008/10/13(03:13)
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たかぽん さん、杏樹さん、
こんばんは。古川です。
ツリーの成長が速くて 追いついていません(笑)
〉いや、「多読三原則」に縛られ続ける人が多いとは、従来あまり思っていなかったのですが、
〉あれ?けっこうみなさん、「多読三原則」に結界を張られて、踏み出せなかったりするのかな?
〉とか思うに至りまして、あえて強めに言ってみたというか、問題提起してみました。
全くそうですね。
多読3原則は、アンチテーゼですから、
「辞書や和訳に縛られず、自由に読め」
というメッセージだと思います。
それが、それに縛られるようになったら本末転倒だと思います。
学校の先生や塾の先生みんがが、「絶対に辞書を引くな」
と生徒に命令するようになったら、私は絶対に辞書を引くでしょうね。(笑)
あくまで、多読3原則は、精読に毒されている人のために作られた
もので、多読が日常的になってしまえば、それにこだわる必要は
ないというか、多読とは別に、精読をしても全く構わないと思っています。
それでは
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207. Re: 最初は「多読三原則」がいいでしょうね。 (ただ、いつまでも縛られるとなると考えものですが…)
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/13(10:58)
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古川さん、こんにちは。レスありがとうございます。たかぽんです。
(その節はたいへんお騒がせしました… またよろしくお願いします。)
〉たかぽん さん、杏樹さん、
〉こんばんは。古川です。
〉ツリーの成長が速くて 追いついていません(笑)
あー… すみません。。
〉〉いや、「多読三原則」に縛られ続ける人が多いとは、従来あまり思っていなかったのですが、
〉〉あれ?けっこうみなさん、「多読三原則」に結界を張られて、踏み出せなかったりするのかな?
〉〉とか思うに至りまして、あえて強めに言ってみたというか、問題提起してみました。
〉全くそうですね。
〉多読3原則は、アンチテーゼですから、
〉「辞書や和訳に縛られず、自由に読め」
〉というメッセージだと思います。
〉それが、それに縛られるようになったら本末転倒だと思います。
あっ。それです。「本末転倒」。 (その言葉が出て来なかった…)
〉学校の先生や塾の先生みんがが、「絶対に辞書を引くな」
〉と生徒に命令するようになったら、私は絶対に辞書を引くでしょうね。(笑)
私も逆らうほうなので、辞書ひきまくってしまうと思います。(笑)
〉あくまで、多読3原則は、精読に毒されている人のために作られた
〉もので、多読が日常的になってしまえば、それにこだわる必要は
〉ないというか、多読とは別に、精読をしても全く構わないと思っています。
精読もまた多読、と私は思っているのですが、(っていうのは、私の今の英語読書が、
野球ルールとか歴史とか、かなり精読的な読み方ばかりなので、「多読」に入れてほし…)
言葉の定義の問題でいいとして、そうですね、英語読書に慣れてくれば
(=常に構文分析・返り読み・和訳精読してしまう、などの毒が抜ければ)、
細かいところにこだわったり、辞書引いたりする読書も、いいんじゃないかと思います。
〉それでは
ありがとうございました。
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お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/10/14(09:21)
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別の方向へ話が発展してしまいましたが、
大事な論点が出されましたね。
多読三原則は、
楽しく自由に本を読めなくなってしまった人のための非常手段だと、
僕は思っています。
自分に合う本を自分で選べるようになったら、
どんな読み方でも試してみて良いでしょう。
翻訳したって良いし、
終わりの方から読んでも構わない。
自分の本なら、
書き込みもOKだし、
頁を切り取って読んでも良いのです。
勿論、
その結果も自己責任です。
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Ry0tasanさん、こんばんは!
〉別の方向へ話が発展してしまいましたが、
〉大事な論点が出されましたね。
思わぬ展開になりましたが(私がそういう展開にしたのか…)、
ここしばらく気になっていたことでして。ええ。
〉多読三原則は、
〉楽しく自由に本を読めなくなってしまった人のための非常手段だと、
〉僕は思っています。
なるほど。そうですね。
あと、「英語の本を読む」ってぇと構えてしまって、始められない人のために、
すごく有効ですよね。
〉自分に合う本を自分で選べるようになったら、
〉どんな読み方でも試してみて良いでしょう。
〉翻訳したって良いし、
最近になって、これをどう日本語訳してるのかなと、チェックしたりするようになりました。
意味を確かめるってんでなくて。
なんか、翻訳にも興味が出始めたんですかねぇ。
少し前までは、「訳読」に戻るのが怖くて、日本語訳を見るのがとてもイヤだったんですが、
8年目にしてようやく、ちょっとばかし余裕が出てきたのかもしれません。
〉終わりの方から読んでも構わない。
〉自分の本なら、
〉書き込みもOKだし、
〉頁を切り取って読んでも良いのです。
〉勿論、
〉その結果も自己責任です。
そうですね。前にも言ったんですが、結局「autonomy」獲得が最終目標、って感じがします。
うまくまとめていただいてありがとうございました!
(また散らかしてしまいましたが…)
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213. Re: 「多読三原則」にしばられず 多読一原則:「日本語を介さず 好きなように読む」(長文ごめん)
お名前: 極楽トンボ
投稿日: 2008/10/14(00:54)
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たかぽんさん、fionaさん、こんばんわ。連休中、出張してたら、掲示板がすごいことになっていてびっくりした極楽トンボです。もしかして雰囲気がわからずにズレたこと言っていたらごめんなさい。
「日本語を介さず 好きなように読む」というのは、これまで多くのタドキストたちの多読観の最大公約数的なものだと思います。私の記憶では、ある著名なタドキストの「多読は、英語を英語として読めばよい」という名言が最も印象深いです。
「英語を英語として読めばよい」とわかっていても、実際にはこれがなかなかできないわけです。わたしはいまだに、うかうかしていると心の英文和訳装置が自動的に発動してしまいます。
日本語の読書の場合は、日本語の書物を(英語を介さず!)日本語として読めているわけです。英語の書物の場合は、英語として読めていないので日本語が介在してしまうのか、日本語が介在してしまうので英語として読めていないのか不明ですが、いずれにせよ英語の書物を英語として読めていないことにかわりないわけです。
それでは、どうやったら英語を英語として読めばよいのでしょうか?英語ができないから多読をやっているのであって、英語ができない人に英語が英語として読めるわけがないんです。英語を英語として読める人は、英語の書物を英語を介して、つまり英語でものを考えながら読んでいる人に限られます。英語を英語として読めと言われても、英語でものを考えながら英語が読めるようになった人にしかその言葉の意味が実感できないんじゃあ、単なる言葉遊びに過ぎないじゃないかと、ずっと思っていました。
それがいつのころからか、考えが変わってきました。いや、別に英語が読めるようになってきたってわけではありません。あいかわらずあっぷあっぷしてます。念のため。「英語の書物を英語として読む」の名言を吐いたその著名タドキストが、あるところで「多読は、何も考えないでただ読めばよい」というこれもまた名言を吐いておられるのを目にしてから私の考えが変わってきたのです。
最初は、その発言の意味がよくわからなかったのですが、たいへん気になったので、おりにふれてその意味を考えていました。そしたらだんだんわかってきました。つまり、英語の書物を英語として読むとは、英語の書物を何も考えないで読むことと同義なんです。冗談じゃない、何も考えることなしに書物を読めるわけがない!とお思いかもしれませんが、本当なんです。
われわれは英語でものを考えることができません。だから、英語の書物を英語を介して読むことができないように見えます。しかし、英語の書物を英語として読むことは可能だと思います。英語の書物を英語として読むとは、fionaさんがおっしゃるごとく、英語の書物を、日本語を介在させないで読むことにほかならないからです。つまり、日本語でものを考えないで英語の書物を読めばいいんです。すると、英語の書物を英語として読むことと、何も考えないで英語の書物を読むことが一致することになります。
われわれは日本語でしかものを考えることができません。だから、英語の書物を読むときに、思い切って何も考えないで読めばいいんです。日本語では何も考えないようにして英語の書物を脳内音読しているだけなのに、あらふしぎ、書物の内容がおぼろげながらわかってしまう。このとき、われわれは英語ができないなりに英語でものを考えながら英語の書物を読んでいるのではないでしょうか?
私がこのように考えるようになったのは、ORTを体験したことにもよります。ステージの低い方は、何も考えなくても楽しく読めます。ステージ6を読んでいるときに、わたしはある変化を感じました。あたかもそれまで回転していなかった水車小屋の水車がゆっくりと動き出すような印象でした。わたしの心の和訳装置が動き出したのです。いや、正確に言うとまだ和訳にも和訳のための文法的分析にも入る前の段階です。文法的分析を行うためには、その前に、英文のどの個所を分析すべきかを決定しなくてはなりません。この点は、おそらく、英語でものを考えながら読んでいる場合も、高速和訳しながら読んでいる場合も共通だと思います。わたしの場合は、和訳の前段階のこころの動きだと思います。
体の中に英語がたくさん蓄積したら、いつかこころの水車が回って英語の書物を英語で分析できるようになるかもしれない。そうなったらいいなと思います。いま思いついたけど、そういえば難しい中国語を読んでいるとき、たまにやさしい中国語に置換しながら読むことってあるよなあと思いました。たぶん、英語の堪能な人はそうやって英語の書物を読んでいるのではないでしょうか。
だから(やっと本題に入りますが)、多読三原則を守らなくてはならないけれども、多読三原則に縛られてもいけないという議論は、なんだか悟りをひらくためには、悟りをひらこうと思わないといけないけれども、悟りをひらくことにとらわれてもいけないという禅問答によく似ています。わたしの場合、心の自動分析和訳装置が作動することを抑えるうえで、多読三原則はとても重要な役割を果たしていると考えられます。しかし、多読三原則を金科玉条にしてしまうと、本を読みながら考えることができなくなってしまいます。
多読三原則は、自由なタドキストの主体の形成に寄与するものと考えられますが、これにあまりとらわれてしまうと逆効果になる危険もあります。でも、目的到達のための方法って、何であれ同じ危険があるのではないでしょうか?とすれば、仏教の本を読むとよく出てくるあの有名な喩えが参考になるにちがいありません。ありがたい教えというものは、筏と同じで、向こう岸の目的地に渡ったらもう不要なんです。だからそんなものにとらわれてはいけないんです。わたしにとって多読三原則は本当に役に立つけれども、いつか不要になるときがきっと来るんだと思いながら、多読をずるずる続けている次第です。
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お名前: こるも
投稿日: 2008/10/14(11:41)
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極楽トンボさん、こんにちは。
たかぽさんでも、fionaさんでもないですが、こるもです。
ところで、100万語通過のスレに書かれていた、「わたしは投げたことがない」
に、大受けしてしまいました。
あちらに書き込めないんで、こちらで言わせてもらいます。
やっぱり、面白い方ですねえ。
〉たかぽんさん、fionaさん、こんばんわ。連休中、出張してたら、掲示板がすごいことになっていてびっくりした極楽トンボです。もしかして雰囲気がわからずにズレたこと言っていたらごめんなさい。
いやいや。
なかなかドンピシャリ、だと思います。
以下、切断しながらですが、ごめんなさい。
〉「日本語を介さず 好きなように読む」というのは、これまで多くのタドキストたちの多読観の最大公約数的なものだと思います。私の記憶では、ある著名なタドキストの「多読は、英語を英語として読めばよい」という名言が最も印象深いです。
ほほう。
そんな言葉があったんですか。
〉「英語を英語として読めばよい」とわかっていても、実際にはこれがなかなかできないわけです。わたしはいまだに、うかうかしていると心の英文和訳装置が自動的に発動してしまいます。
わたしもうっかりすると、日本語訳しそうになります。
それを「まあまあ」となだめて、先に進むようにします。
〉それでは、どうやったら英語を英語として読めばよいのでしょうか?英語ができないから多読をやっているのであって、英語ができない人に英語が英語として読めるわけがないんです。英語を英語として読める人は、英語の書物を英語を介して、つまり英語でものを考えながら読んでいる人に限られます。英語を英語として読めと言われても、英語でものを考えながら英語が読めるようになった人にしかその言葉の意味が実感できないんじゃあ、単なる言葉遊びに過ぎないじゃないかと、ずっと思っていました。
なるほど。
確かに「それができるようだったら、苦労しないよ」ですね。
〉それがいつのころからか、考えが変わってきました。いや、別に英語が読めるようになってきたってわけではありません。あいかわらずあっぷあっぷしてます。念のため。「英語の書物を英語として読む」の名言を吐いたその著名タドキストが、あるところで「多読は、何も考えないでただ読めばよい」というこれもまた名言を吐いておられるのを目にしてから私の考えが変わってきたのです。
ほほほう。
なかなか深いお言葉を吐く方ですね。
「なにも考えないで読む」って、どないやねん。
〉最初は、その発言の意味がよくわからなかったのですが、たいへん気になったので、おりにふれてその意味を考えていました。そしたらだんだんわかってきました。つまり、英語の書物を英語として読むとは、英語の書物を何も考えないで読むことと同義なんです。冗談じゃない、何も考えることなしに書物を読めるわけがない!とお思いかもしれませんが、本当なんです。
えええー!
冗談じゃないっすよ?
〉われわれは英語でものを考えることができません。だから、英語の書物を英語を介して読むことができないように見えます。しかし、英語の書物を英語として読むことは可能だと思います。英語の書物を英語として読むとは、fionaさんがおっしゃるごとく、英語の書物を、日本語を介在させないで読むことにほかならないからです。つまり、日本語でものを考えないで英語の書物を読めばいいんです。すると、英語の書物を英語として読むことと、何も考えないで英語の書物を読むことが一致することになります。
なるほど。
わたしも、英語で物を考えながら、本を読んでいるわけじゃないですね。
夕飯なんにしよう?とか。 ああ、掃除しなきゃ、とか。
〉われわれは日本語でしかものを考えることができません。だから、英語の書物を読むときに、思い切って何も考えないで読めばいいんです。日本語では何も考えないようにして英語の書物を脳内音読しているだけなのに、あらふしぎ、書物の内容がおぼろげながらわかってしまう。このとき、われわれは英語ができないなりに英語でものを考えながら英語の書物を読んでいるのではないでしょうか?
おおおー。
すごいじゃないですか。
〉私がこのように考えるようになったのは、ORTを体験したことにもよります。ステージの低い方は、何も考えなくても楽しく読めます。ステージ6を読んでいるときに、わたしはある変化を感じました。あたかもそれまで回転していなかった水車小屋の水車がゆっくりと動き出すような印象でした。わたしの心の和訳装置が動き出したのです。
この水車小屋のたとえが、なんだかいいなー、と思って。
感心する場所を、間違っているかもしれませんが。
〉体の中に英語がたくさん蓄積したら、いつかこころの水車が回って英語の書物を英語で分析できるようになるかもしれない。そうなったらいいなと思います。いま思いついたけど、そういえば難しい中国語を読んでいるとき、たまにやさしい中国語に置換しながら読むことってあるよなあと思いました。たぶん、英語の堪能な人はそうやって英語の書物を読んでいるのではないでしょうか。
英語は堪能ではないですけど、自分の場合を考えてみました。
たまにですけど、「和訳はできないんだけど、内容はわかる」ことがあります。
このときは、分析はしていないと思う。
あと、英語を話しているときに、日本語で考えてしまうと、うまく出てこない。
なんとなく「言いたいこと」をぼんやりと思い浮かべて、それにあった英語を探す方が、うまくいく。
日本語が入って来ちゃうと、それに引きづられてしまう。
だから、英語の人と英語のみで話しているときはいいんですが、
他の日本語の人に「〜って、英語でなんて言うんですか?」とか聞かれると、もうだめ。
たいがい答えられないし。
体に英語がたまってくれば、英語の回路ができてくるんではないかな?と、勝手に思っています。
今はまだ、回路もちゃんとしていないし、スイッチもうまく入らなかったりするのでだめだめなんですが。
期待は持っています。
〉だから(やっと本題に入りますが)、多読三原則を守らなくてはならないけれども、多読三原則に縛られてもいけないという議論は、なんだか悟りをひらくためには、悟りをひらこうと思わないといけないけれども、悟りをひらくことにとらわれてもいけないという禅問答によく似ています。
うまいですねえ。この表現。
わたしも「多読って、禅問答みたい」と、常々思っていました。
〉多読三原則は、自由なタドキストの主体の形成に寄与するものと考えられますが、これにあまりとらわれてしまうと逆効果になる危険もあります。でも、目的到達のための方法って、何であれ同じ危険があるのではないでしょうか?
そうかもしれませんね。
自分が変化すると、関係性も変化してしまう。
自由になるためのツールだったのが、束縛になってしまう。
〉とすれば、仏教の本を読むとよく出てくるあの有名な喩えが参考になるにちがいありません。ありがたい教えというものは、筏と同じで、向こう岸の目的地に渡ったらもう不要なんです。だからそんなものにとらわれてはいけないんです。わたしにとって多読三原則は本当に役に立つけれども、いつか不要になるときがきっと来るんだと思いながら、多読をずるずる続けている次第です。
この、筏のたとえも、うまい。
いつまでも、しがみついていては、だめってことですね。
たぶん、そう遠からず不要になるのでは?
と、予言しておきます。予言者こるも。
でもあんまり気にしない方がいいかと思いますけど。
それではでは。
------------------------------
"こるも"さんは[url:kb:215]で書きました:
〉極楽トンボさん、こんにちは。
〉たかぽさんでも、fionaさんでもないですが、こるもです。
こるもさん、レスありがとうございます。掲示板の下のほうになってしまったので、誰も読んでくれないかも、と思っていました。わたしも184,191のたかぽんさんのとfionaさんのしか読んでないので。
〉ところで、100万語通過のスレに書かれていた、「わたしは投げたことがない」
〉に、大受けしてしまいました。
susumuさんの100万語通過を祝って一曲歌ってしまいました。
〉以下、切断しながらですが、ごめんなさい。
〉〉ある著名なタドキストの「多読は、英語を英語として読めばよい」という名言が最も印象深いです。
〉ほほう。
〉そんな言葉があったんですか。
摩耶峰央さんの人気漫画のキャラクターをハンドルネームにしておられる方です。
〉英語は堪能ではないですけど、自分の場合を考えてみました。
〉たまにですけど、「和訳はできないんだけど、内容はわかる」ことがあります。
〉このときは、分析はしていないと思う。
〉あと、英語を話しているときに、日本語で考えてしまうと、うまく出てこない。
〉なんとなく「言いたいこと」をぼんやりと思い浮かべて、それにあった英語を探す方が、うまくいく。
〉日本語が入って来ちゃうと、それに引きづられてしまう。
〉だから、英語の人と英語のみで話しているときはいいんですが、
〉他の日本語の人に「〜って、英語でなんて言うんですか?」とか聞かれると、もうだめ。
〉たいがい答えられないし。
〉体に英語がたまってくれば、英語の回路ができてくるんではないかな?と、勝手に思っています。
〉今はまだ、回路もちゃんとしていないし、スイッチもうまく入らなかったりするのでだめだめなんですが。
〉期待は持っています。
心の中に英語だけの言語空間を持たないと、とくに会話ってダメなんでしょうね。英語でものを考えるってそういうことでもありんでしょうね。
〉〉とすれば、仏教の本を読むとよく出てくるあの有名な喩えが参考になるにちがいありません。ありがたい教えというものは、筏と同じで、向こう岸の目的地に渡ったらもう不要なんです。だからそんなものにとらわれてはいけないんです。わたしにとって多読三原則は本当に役に立つけれども、いつか不要になるときがきっと来るんだと思いながら、多読をずるずる続けている次第です。
〉この、筏のたとえも、うまい。
〉いつまでも、しがみついていては、だめってことですね。
〉たぶん、そう遠からず不要になるのでは?
〉と、予言しておきます。予言者こるも。
〉でもあんまり気にしない方がいいかと思いますけど。
だって、このまま子供の英語の本ばかり読んでいる変な中年オヤジのままでいたくないもん。
心の自動翻訳装置を解体一掃しないと英語の本が読めるようにならないと思って、目の敵にしてきたのですが、上述の経験を経て、水車小屋を解体してしまうと、本を考えながら読むことができなくなってしまうことに気がついたのです。英語でも使えるように水車小屋をパワーアップしながら、しかも和訳モードのみ抑制するのが目標になったわけです。
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/15(01:23)
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やっぱり、ちゃんと拝まないと。
あっ、極楽トンボさん、こんばんは。たかぽんです。
〉たかぽんさん、fionaさん、こんばんわ。連休中、出張してたら、掲示板がすごいことになっていてびっくりした極楽トンボです。もしかして雰囲気がわからずにズレたこと言っていたらごめんなさい。
ツリーが急激に成長しましたよねぇ。(ひとごとのやうに…)
でも、ぜんぜんズレたことおっしゃってないと思いますよ。
〉「日本語を介さず 好きなように読む」というのは、これまで多くのタドキストたちの多読観の最大公約数的なものだと思います。私の記憶では、ある著名なタドキストの「多読は、英語を英語として読めばよい」という名言が最も印象深いです。
うーん。深い言葉ですね。
(たぶん、私、理解できてないんだと思います…)
〉「英語を英語として読めばよい」とわかっていても、実際にはこれがなかなかできないわけです。わたしはいまだに、うかうかしていると心の英文和訳装置が自動的に発動してしまいます。
私も、以前は、ときどきありました。
今は、さすがに足かけ8年もやってるからか、英文和訳装置がはたらきません。
文章の意味はわかるんですけど、訳語は出て来ない。
学生時代が大昔のことになり、単に忘れてしまっただけだと思われますが…
〉日本語の読書の場合は、日本語の書物を(英語を介さず!)日本語として読めているわけです。英語の書物の場合は、英語として読めていないので日本語が介在してしまうのか、日本語が介在してしまうので英語として読めていないのか不明ですが、いずれにせよ英語の書物を英語として読めていないことにかわりないわけです。
でも、英語として読めている部分もあるわけで、それでいいんじゃないですか?
そのあたり、bumpyなのが、だんだん、なめらかになっていくと思いますよ。
〉それでは、どうやったら英語を英語として読めばよいのでしょうか?英語ができないから多読をやっているのであって、英語ができない人に英語が英語として読めるわけがないんです。英語を英語として読める人は、英語の書物を英語を介して、つまり英語でものを考えながら読んでいる人に限られます。英語を英語として読めと言われても、英語でものを考えながら英語が読めるようになった人にしかその言葉の意味が実感できないんじゃあ、単なる言葉遊びに過ぎないじゃないかと、ずっと思っていました。
英語を読んでるときでも、英語自体を読んでるわけではないですよね。
その記号が意味するものを読んでるわけで。
たとえば、seaとかskyとか聞いて、直接想起される風景があれば、それは十分、
他言語を介さず英語を読んでる、と言えると思います。
それがだんだんに、複雑な文章も、英語で直接わかってくるようになってくる、と。
〉それがいつのころからか、考えが変わってきました。いや、別に英語が読めるようになってきたってわけではありません。あいかわらずあっぷあっぷしてます。念のため。「英語の書物を英語として読む」の名言を吐いたその著名タドキストが、あるところで「多読は、何も考えないでただ読めばよい」というこれもまた名言を吐いておられるのを目にしてから私の考えが変わってきたのです。
なるほど。これまた深い名言ですね。(私、意味わかってるのか…)
英語読んで直接に意味がわかる、というのは、「考えてる」わけではないですよね。
There's a boy. つったら、そういうことなので、別に「考えて」わかるわけではない。
そういうことですかね。
〉最初は、その発言の意味がよくわからなかったのですが、たいへん気になったので、おりにふれてその意味を考えていました。そしたらだんだんわかってきました。つまり、英語の書物を英語として読むとは、英語の書物を何も考えないで読むことと同義なんです。冗談じゃない、何も考えることなしに書物を読めるわけがない!とお思いかもしれませんが、本当なんです。
いやー、本当だと思います。
「考えて」わかる、わけではないですよね。(わかってから考えたっていいけれど。)
〉われわれは英語でものを考えることができません。だから、英語の書物を英語を介して読むことができないように見えます。しかし、英語の書物を英語として読むことは可能だと思います。英語の書物を英語として読むとは、fionaさんがおっしゃるごとく、英語の書物を、日本語を介在させないで読むことにほかならないからです。つまり、日本語でものを考えないで英語の書物を読めばいいんです。すると、英語の書物を英語として読むことと、何も考えないで英語の書物を読むことが一致することになります。
そうですね。
(ただ、「英語でものを考えることができない」かどうかは、わからないなと思ってます。
私、ときどき、夢の中で英語で激しく考えてることがあります。
たまに英語をしゃべるときにも、日本語で考えてません。(だからすごく幼稚だけど…)
なので、そういう回路ってできていくものじゃないかな?とか思ってます。)
〉われわれは日本語でしかものを考えることができません。だから、英語の書物を読むときに、思い切って何も考えないで読めばいいんです。日本語では何も考えないようにして英語の書物を脳内音読しているだけなのに、あらふしぎ、書物の内容がおぼろげながらわかってしまう。このとき、われわれは英語ができないなりに英語でものを考えながら英語の書物を読んでいるのではないでしょうか?
そうだと思います。
正確に言えば、「考えてる」わけではないけれど、英語のまま「わかってる」んじゃないかと思います。
〉私がこのように考えるようになったのは、ORTを体験したことにもよります。ステージの低い方は、何も考えなくても楽しく読めます。ステージ6を読んでいるときに、わたしはある変化を感じました。あたかもそれまで回転していなかった水車小屋の水車がゆっくりと動き出すような印象でした。わたしの心の和訳装置が動き出したのです。いや、正確に言うとまだ和訳にも和訳のための文法的分析にも入る前の段階です。文法的分析を行うためには、その前に、英文のどの個所を分析すべきかを決定しなくてはなりません。この点は、おそらく、英語でものを考えながら読んでいる場合も、高速和訳しながら読んでいる場合も共通だと思います。わたしの場合は、和訳の前段階のこころの動きだと思います。
なるほど。わかる気がします。
私は和訳装置が動かないと言いましたが、和訳装置が動きそうになるような本を
無意識に避けているだけかもしれません。
和訳装置が動きそうになる本とは、「難しいけれど、どうしても細かく意味を理解したい本」ですね。
〉体の中に英語がたくさん蓄積したら、いつかこころの水車が回って英語の書物を英語で分析できるようになるかもしれない。そうなったらいいなと思います。いま思いついたけど、そういえば難しい中国語を読んでいるとき、たまにやさしい中国語に置換しながら読むことってあるよなあと思いました。たぶん、英語の堪能な人はそうやって英語の書物を読んでいるのではないでしょうか。
私、野球ルールについての本(英語)を愛読しているのですが、
ルールが生まれるにあたって、どういうことが起こったのか、というのが、けっこうややこしい。
読みながら、誰が何塁にいて、どうしてこうして、というのを、頭に描きますが、
そのときは、日本語で考えてるわけでも、英語で考えてるわけでもなく、イメージですね。
易しい英語に置き換えるというのもいいと思いますが、(John third, George first.とか)
直接イメージできたら、それでいいんじゃないかという気もします。
〉だから(やっと本題に入りますが)、多読三原則を守らなくてはならないけれども、多読三原則に縛られてもいけないという議論は、なんだか悟りをひらくためには、悟りをひらこうと思わないといけないけれども、悟りをひらくことにとらわれてもいけないという禅問答によく似ています。わたしの場合、心の自動分析和訳装置が作動することを抑えるうえで、多読三原則はとても重要な役割を果たしていると考えられます。しかし、多読三原則を金科玉条にしてしまうと、本を読みながら考えることができなくなってしまいます。
英語の本を英語のまま読めるようになるために、多読三原則は、とてもいいツールだと思います。
でも、ついつい、「読み飛ばしオンリー」にとらえられがちで、精読とか、英英辞書引きも
禁止されてるように解釈されてしまい、英語を読み慣れてきた人には、かえって、
きゅうくつな足かせになってしまう可能性がある、と思います。
多読三原則は、考えちゃいけない、なんて言ってないんですけどね。
〉多読三原則は、自由なタドキストの主体の形成に寄与するものと考えられますが、これにあまりとらわれてしまうと逆効果になる危険もあります。でも、目的到達のための方法って、何であれ同じ危険があるのではないでしょうか?とすれば、仏教の本を読むとよく出てくるあの有名な喩えが参考になるにちがいありません。ありがたい教えというものは、筏と同じで、向こう岸の目的地に渡ったらもう不要なんです。だからそんなものにとらわれてはいけないんです。わたしにとって多読三原則は本当に役に立つけれども、いつか不要になるときがきっと来るんだと思いながら、多読をずるずる続けている次第です。
何ごとも、とらわれすぎると、よくないですよね。最終的には、自分の心に聞いてみることですね。
それで、ちょっと気になったんですけど、私だけがわかってないのかもしれませんが、
多読三原則に則った読書だけが「多読」なんでしょうか?
なんか、そういうとらえ方が圧倒的なようなので、あれ、私ってヘン?とか思ってます。
要は、その言語の本をいっぱい読む、というのが「多読」ということではないのかと。
なので、もちろん、精読と多読は対立するものでなく、精読も多読のうちに入る。
そんなとらえ方のほうが、「多読」の幅がひろがって、自由になれるような気がするんですけどね。
もちろん、少なくとも最初は多読三原則に従って読んでったほうがいいとは思うんですが、
それも中には「合わない」って人もいるでしょうし。
英英辞書まるごと読みました100万語報告、なんてのも聞いてみたい気がします。
(無理することないと思いますが。)
要は何でもいいんだ、英語を直接読んじゃうんだ、たくさん、てのが多読、ってほうが、
おもしろいと思うんですけどね。
(もちろん、多読三原則に従って始めるほうがよいとは思います。しつこいようですが。)
ただ、「英語ができる」ようになるには、ほんとうに多読が良いのか?っていうのは、
かなり早くから疑問に思っているところではあります。
やっぱり、最初は音からみっちりと、そして、コミュニケーションを通じてのほうが、
いいんじゃないのかなぁ、なまじ文字から入ると、頭でっかちになるというか、
コミュニケートできる英語へとすくすくと育たないのじゃないかなぁ、と。
でも、これはウンウンと頭をふりしぼっても、解決しない問題なので、
私の場合は、心が好むことを、好きなようにやっています。多聴、多読。
自分が何を目的としてやっているのか。もし、本当に英語に堪能になりたかったら、
英米人に生まれていると思うので、それが目的ではないようです。(わかりませんが。)
まぁ、何か、こうなりたいというものがあるのでしょう。そこへの道を、
自分の「好む」という感情が教えてくれていると思うので、それに従って、
へえ、どこへ連れてってくれんだい?てな感じで歩んでいます。
とまあ、あー、レスのふりして好きなことたくさん書いてしまいました…
てきとうに読み流してください。(って、ここで言っても遅いな…)
それではそれでは。
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お名前: 杏樹
投稿日: 2008/10/15(02:05)
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たかぽんぽん、こんばんは。
〉私も、以前は、ときどきありました。
〉今は、さすがに足かけ8年もやってるからか、英文和訳装置がはたらきません。
〉文章の意味はわかるんですけど、訳語は出て来ない。
〉学生時代が大昔のことになり、単に忘れてしまっただけだと思われますが…
単に「昔」じゃなくて、多読しているうちにどっかへ行っちゃったんじゃないですか。
〉それで、ちょっと気になったんですけど、私だけがわかってないのかもしれませんが、
〉多読三原則に則った読書だけが「多読」なんでしょうか?
〉なんか、そういうとらえ方が圧倒的なようなので、あれ、私ってヘン?とか思ってます。
「圧倒的」ということではないでしょう。最初のうちは勉強の意識を洗い流すために必要なものですが、語数が増えて自由に読めるようになったら掲示板に来なくなる人も多いじゃないですか。掲示板を必要としているのは、多読を始めていろいろ考えたり悩んだり相談事のある人で、それはやはり初心者に多いわけですから、「多読三原則」の看板を掲げておく必要はあるわけです。
むしろ多読で好きな本が読めるようになったら、みんな好きなようにしてると思うんですが。100万語超の報告を見ますと、多読三原則に縛られて悩んでいる人がそんなに多いようには見えないんですけれど。
自由奔放なたかぽんから見ると自由度が足りないように思うのかもしれませんけれど、どこまで守ってどこまで自由にするか、も人それぞれじゃないですか?突然パカっと自由になる人もいれば、徐々に解放される人もいるでしょうし、私は「わからないところは飛ばす」「つまらない本は投げる」は守り続けるつもりです。
ということで、やっぱり禅問答みたいになってきますね。
多読三原則から開放される自由、多読三原則を守る自由、どちらも自由。
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/15(02:36)
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杏樹ぽん、ぽにょぽん。
〉〉私も、以前は、ときどきありました。
〉〉今は、さすがに足かけ8年もやってるからか、英文和訳装置がはたらきません。
〉〉文章の意味はわかるんですけど、訳語は出て来ない。
〉〉学生時代が大昔のことになり、単に忘れてしまっただけだと思われますが…
〉単に「昔」じゃなくて、多読しているうちにどっかへ行っちゃったんじゃないですか。
かもですね。行く川の流れは…
〉〉それで、ちょっと気になったんですけど、私だけがわかってないのかもしれませんが、
〉〉多読三原則に則った読書だけが「多読」なんでしょうか?
〉〉なんか、そういうとらえ方が圧倒的なようなので、あれ、私ってヘン?とか思ってます。
〉「圧倒的」ということではないでしょう。最初のうちは勉強の意識を洗い流すために必要なものですが、語数が増えて自由に読めるようになったら掲示板に来なくなる人も多いじゃないですか。掲示板を必要としているのは、多読を始めていろいろ考えたり悩んだり相談事のある人で、それはやはり初心者に多いわけですから、「多読三原則」の看板を掲げておく必要はあるわけです。
〉むしろ多読で好きな本が読めるようになったら、みんな好きなようにしてると思うんですが。100万語超の報告を見ますと、多読三原則に縛られて悩んでいる人がそんなに多いようには見えないんですけれど。
いえいえ、「多読三原則に縛られて悩んでる人が圧倒的」とは言ってないです。
「多読三原則に則った多読を「多読」、ととらえてる人が圧倒的」と思ったんです。
(もちろん、「圧倒的」との認識は間違っているかもしれません。)
「多読以外に精読を…」とかの言い方を見ると、「あれ?」って思うんです。
多読って言葉からすると、要は、外国語を直接たくさん読む、ってことに尽きるんだから、
別に「三原則」に則ってなくても多読なんじゃない?と思います。
そして、「三原則」に則った多読だけを「多読」ととらえる姿勢の中に、
精読をしたいんだけど「多読」に反するからダメだろうか、とか、
英英辞書でいっぱい調べたいんだけど「多読」に反するからダメだろうか、などの、
無用な悩みが生まれているような気がするんですね。
〉自由奔放なたかぽんから見ると自由度が足りないように思うのかもしれませんけれど、どこまで守ってどこまで自由にするか、も人それぞれじゃないですか?突然パカっと自由になる人もいれば、徐々に解放される人もいるでしょうし、私は「わからないところは飛ばす」「つまらない本は投げる」は守り続けるつもりです。
もちろん、同感です。人それぞれだと思います。
私は、多読三原則を捨てなければならない、と言ってるわけじゃなくて、
その人が窮屈になれば多読三原則を捨ててもいいのでは?、と言ってるんです。
不快になってまで守り続けなければならないような原則ではないよ、と。
私も、いまだに語数を数えたり、多読や多聴のみで会話には出ていませんから、
もっと自由な人から見れば、なんとも不自由な感じに見えると思います。
でも別に、今はこれで快適だから、いいんです。また気分が変わってきたら考えますけど。
〉ということで、やっぱり禅問答みたいになってきますね。
〉多読三原則から開放される自由、多読三原則を守る自由、どちらも自由。
どちらも自由です。当然です。
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お名前: fiona
投稿日: 2008/10/15(23:30)
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たかぽんさん、杏樹さん、極楽トンボさん、皆さん、今晩は。
いくつか思った事があるので書いておきます。
* 精読と多読
確か、SSSの掲示板で前に「精読ってなにさ」、みたいなスレッドがあったので蒸し返すみたいで気が引けるのですが、
精読と多読とは、対立するものではないと考えています。
単に、英語の先生などが、精読と多読を対立するようなことを言っているだけなのではないでしょうか。
「精読」って、辞書では、「内容を細かく吟味しつつ、丁寧に読むこと」と書いてあります。
まあ、そうですよね。
辞書を引かないでもできるだろうし、文法解析も必要ないと思います。
そういう、上っ面の問題ではなく、どこまできちんと内容を読み取るかが問題なのではないでしょうか。
反対語は、「多」読、と言うより、「粗」読では?(こんな言葉あったかな?)
(多読の反対は、少読(?)か?)
少なくとも、自分の読解力に見合った本を、「内容を細かく吟味しつつ、丁寧に読」んでいるなら、スピードが速かろうが遅かろうが、多く読もうが少なく読もうが「精読」なのではないでしょうか。
多読は、読んだ量の多い少ないの問題、精読は、読み方の深さ、丁寧さの問題…でしょうかね?
* 「分らないところは飛ばす」(多読3原則の一つ)
これは、考えれば考えるほど意味が深いように感じます。
私が、日本語を読むとき、英語とはレベルは違いますが、やはり「分らないところは飛ばして」読んでいます。
聞いたことのない語でも、適当に雰囲気でよんで飛ばしてます。
正確に言うと、「分らないところは飛ばす」というより、「雰囲気で読んで流す」ですね(英語もそんな読み方のような気がする)。
それよりも、問題なのは、「分かったつもりで読んでいる」部分でしょう。
本当に分っているかどうかと突っ込むと、多分、分っているところは無いのかも知れません。
例えば、「DNA」と言う言葉が出てきて、その語を本当に分っているのかどうか。
「DNA」って遺伝子の本体。
でも、それだけではなく、
塩基の並び方とアミノ酸の関係から始まって、生体内でのDNAの複製の方法や、それに関わる酵素とその働き、複製エラー時の処理…等、分厚い本1冊分くらいのこと、いや、それ以上の事がわかっているはず。
本当に分るには、全部知って、理解してないと。
(DNAについて分ってないこともたくさんあるはず。それも考えたら、世界に「DNA」と言う言葉について、本当に知っている人はいないことになる)
「自由」ってなにか。
私には、ボヤッとしか分かりませんが、多分、本が何冊もかけるくらいいろんなことがあると思う。
分かったつもりで読んでいるだけ…のように思う。(私の場合)
実際、日本語の本を読んでいる時は、どうしているか。
上の方のレベル(多分上っ面)が分っただけで、そのまま読んでいる。
深いレベルのことは、分らないまま飛ばしてます。
これは、英語多読をしているとき(分からないところは、飛ばす(雰囲気で読んで流す))と、本質的には変わらないような気がする。
多少、レベルが違うだけで、いわゆる、五十歩百歩。
分からないところは、分かるまで調べろ、なんて不可能。
そう思いません?
(ある程度のレベルで、妥協するしかないと思います。)
* 英文和訳
これ、私には、難しすぎてできません。
単に、いわゆる直訳なら、少しはできるかもしれませんが、
英語を、正確に日本語に置き換えることは(私には)できません。
Nate the Greatに、
「I, Nate the Great, am a detective.」
と言うような文が、最初にあるのですが、これが日本語にならない。
「Nate the Great」をどう置き換えたら…と言うのもあるのですが、それ以外の問題がたくさん。
「Nate the Great」は、取りあえず、「ネイト」でごまかすにしても、どういう日本語の文にすれば良いのだろう?
直訳「私、ネイトは探偵です」…は、ものすごく気持ち悪い。
まず、「I」は「私」、じゃないだろ!
ハードボイルドだったら、やはり、「俺」でしょうが。
でも、よい子のネイト君には「俺」は似合わない。
となると…「ぼく」…かぁ?
これで、数週間は悩んだね。
「ぼく、ネイトは探偵だ」
何か可愛すぎる。
と数ヶ月悩んだ末、「名探偵コナン」風にしてみた。
「ぼくは、ネイト。…探偵さ。」(「…」のところで、すこし間がある)
よい子がちょっといきがっている感じ。
直訳より、かなりましだと思うが、
元の英語のイメージとは、まだ、ずれている感じがする。
どんな日本語にすればピッタリか、
1年程たった今でも分からない。
(そう言えば、MTHで出てきた「Coming」も、考えてみたけど日本語にならんかった。)
なんで、学校って、最初から英語を日本語に訳させるの?
直訳だと、イメージがずれまくるし、イメージを正確に保って訳そうとするとすごく難しいし。
英文和訳ばっかりさせたら、言語感覚がおかしくなるか、途中で難しすぎて挫折するか…になりそうな気がする。
まだあるけど、長いので終わります。
ではでは。
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/16(00:58)
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fionaさん、こんばんは。
いろいろ反応。
〉たかぽんさん、杏樹さん、極楽トンボさん、皆さん、今晩は。
〉いくつか思った事があるので書いておきます。
〉
〉
〉* 精読と多読
〉確か、SSSの掲示板で前に「精読ってなにさ」、みたいなスレッドがあったので蒸し返すみたいで気が引けるのですが、
〉精読と多読とは、対立するものではないと考えています。
〉単に、英語の先生などが、精読と多読を対立するようなことを言っているだけなのではないでしょうか。
あ。そういえば、そう言う先生って、いましたね。
精読と多読、どちらも必要だ、みたいな。
その場合の精読は、構文分析・単語熟語、みっちりやって詳しく読むことだ、と。
今でもそういうことが言われてるんでしょうね。
〉「精読」って、辞書では、「内容を細かく吟味しつつ、丁寧に読むこと」と書いてあります。
〉まあ、そうですよね。
〉辞書を引かないでもできるだろうし、文法解析も必要ないと思います。
〉そういう、上っ面の問題ではなく、どこまできちんと内容を読み取るかが問題なのではないでしょうか。
〉反対語は、「多」読、と言うより、「粗」読では?(こんな言葉あったかな?)
〉(多読の反対は、少読(?)か?)
そうですね。多読の反対は精読でなく少読ですよね。
そして、文法解析して読むという意味での「精読」は、文章の読み方としては
すごく特殊なものですよね。
〉少なくとも、自分の読解力に見合った本を、「内容を細かく吟味しつつ、丁寧に読」んでいるなら、スピードが速かろうが遅かろうが、多く読もうが少なく読もうが「精読」なのではないでしょうか。
そうだと思います。精しく(くわしく)読むのが精読。
〉多読は、読んだ量の多い少ないの問題、精読は、読み方の深さ、丁寧さの問題…でしょうかね?
そう…でしょうかね。
〉* 「分らないところは飛ばす」(多読3原則の一つ)
〉これは、考えれば考えるほど意味が深いように感じます。
〉私が、日本語を読むとき、英語とはレベルは違いますが、やはり「分らないところは飛ばして」読んでいます。
〉聞いたことのない語でも、適当に雰囲気でよんで飛ばしてます。
〉正確に言うと、「分らないところは飛ばす」というより、「雰囲気で読んで流す」ですね(英語もそんな読み方のような気がする)。
大いに同感。
日本語でも英語でも、なんか、自動的に飛ばして読んでますよね。
〉それよりも、問題なのは、「分かったつもりで読んでいる」部分でしょう。
〉本当に分っているかどうかと突っ込むと、多分、分っているところは無いのかも知れません。
そうだと思います。
たとえば「社会」って言葉の意味、ほんとにわかってんのか?と凄まれたら、
あ、わかってません、すみません…と答えるほかないように思います。
〉例えば、「DNA」と言う言葉が出てきて、その語を本当に分っているのかどうか。
〉「DNA」って遺伝子の本体。
〉でも、それだけではなく、
〉塩基の並び方とアミノ酸の関係から始まって、生体内でのDNAの複製の方法や、それに関わる酵素とその働き、複製エラー時の処理…等、分厚い本1冊分くらいのこと、いや、それ以上の事がわかっているはず。
〉本当に分るには、全部知って、理解してないと。
〉(DNAについて分ってないこともたくさんあるはず。それも考えたら、世界に「DNA」と言う言葉について、本当に知っている人はいないことになる)
そうですね。つきつめるとね。
〉「自由」ってなにか。
〉私には、ボヤッとしか分かりませんが、多分、本が何冊もかけるくらいいろんなことがあると思う。
〉分かったつもりで読んでいるだけ…のように思う。(私の場合)
いや、ほんとに、日常ありふれた言葉のほうが、かえって難しいかもしれません。追究すると…
ちょっとずれるかもしれませんが、英単語に単純に一対一対応風に日本語訳を当てて覚えた場合、
この弊害がとても大きいような気がします。
明治になってから、漢語を作って当てたような外来語が多いですが、
その漢語を思い出せば事足れりとなってしまってることが多いと思います。
たとえばrepublicという言葉は「共和制」などと訳されますけれど、何のことか?
日本は共和国なのか?
英英を引きますと、王とか女王のいない政治体制・国、みたいな説明がなされています。
だから、イギリスはrepublicではないし、実は日本も、天皇は君主だという説をとれば、
republicではなく、立憲君主国(constitutional monarchy)だということになります。
明治時代にはイメージできたけれど、今となってはよくわからない漢語に置き換えられている言葉は、
「訳せるけれど意味がわからない」ということがとても多いように思います。
ここらへんが、某S先生のおっしゃる、アダム・スミスの国富論を原書で読んでる人はいても
ほんとに理解してる人はごくわずか、ということにつながるのではないかと思います。
なので、やっぱり、一対一対応的に日本語訳を覚えてしまうんじゃなくて、
ほんとにごくごく易しいところから、「生で」、言葉を身につけていくことが、
すごく大事なことなんじゃないかと思ったりします。
彼らの考え方を本当に理解する、という意味で、国家的に大事なことかもしれません。
(また、一部のエリートだけが欧米人を理解している、ということのないように、
彼らに使われる我々庶民が(笑)、彼らの考え方を理解することが必要だとも思います。
一対一対応日本語訳を覚えさせられることは、バカ養成ギプスをつけられるということで、
「奴隷への道」なのではないかと、かなり被害妄想的な考えに耽ったりもします。)
〉実際、日本語の本を読んでいる時は、どうしているか。
〉上の方のレベル(多分上っ面)が分っただけで、そのまま読んでいる。
〉深いレベルのことは、分らないまま飛ばしてます。
〉これは、英語多読をしているとき(分からないところは、飛ばす(雰囲気で読んで流す))と、本質的には変わらないような気がする。
〉多少、レベルが違うだけで、いわゆる、五十歩百歩。
そうだと思うんですが、ただ、日本人は、日本の新聞に書いてある言葉が、
ほとんどわかっていないのではないかという気もしています。(たぶん、書いてる人も。)
というのは、政治・経済に関する言葉には、外来語を漢語にした概念が多いからです。
たとえば「権利」はrightの訳語ですが、これひとつ取っても外国人の理解とは異なります。
日本語の「権利」には、「自分勝手」みたいなイメージがありますが、rightには、
「法によって正しいと認められる」という意味が含まれているように思います。
(だから福沢諭吉は、「権理」と訳せと言っていたようです。)
こういうことが、新聞に載っているようなことにはいっぱいあって、
書いてるほうも読んでるほうも、本来の意味するところがよくわかっていない、
という状態なんじゃないかと思います。
〉分からないところは、分かるまで調べろ、なんて不可能。
〉そう思いません?
〉(ある程度のレベルで、妥協するしかないと思います。)
それはそうだと思いますね。
〉* 英文和訳
〉これ、私には、難しすぎてできません。
〉単に、いわゆる直訳なら、少しはできるかもしれませんが、
〉英語を、正確に日本語に置き換えることは(私には)できません。
うーん。する必要がなければ、しなくてもいいんじゃないでしょうか?
〉Nate the Greatに、
〉「I, Nate the Great, am a detective.」
〉と言うような文が、最初にあるのですが、これが日本語にならない。
〉「Nate the Great」をどう置き換えたら…と言うのもあるのですが、それ以外の問題がたくさん。
〉「Nate the Great」は、取りあえず、「ネイト」でごまかすにしても、どういう日本語の文にすれば良いのだろう?
〉直訳「私、ネイトは探偵です」…は、ものすごく気持ち悪い。
〉まず、「I」は「私」、じゃないだろ!
〉ハードボイルドだったら、やはり、「俺」でしょうが。
〉でも、よい子のネイト君には「俺」は似合わない。
〉となると…「ぼく」…かぁ?
〉これで、数週間は悩んだね。
〉「ぼく、ネイトは探偵だ」
〉何か可愛すぎる。
〉と数ヶ月悩んだ末、「名探偵コナン」風にしてみた。
〉「ぼくは、ネイト。…探偵さ。」(「…」のところで、すこし間がある)
〉よい子がちょっといきがっている感じ。
〉直訳より、かなりましだと思うが、
〉元の英語のイメージとは、まだ、ずれている感じがする。
〉どんな日本語にすればピッタリか、
〉1年程たった今でも分からない。
新聞記事を訳すなんかよりも、こういうもののほうが、難しいですよね。
(まぁ、訳さなくってもいいと思うけれど…)
〉(そう言えば、MTHで出てきた「Coming」も、考えてみたけど日本語にならんかった。)
いわゆるカンタンなものほど、訳しづらいですよね。
〉なんで、学校って、最初から英語を日本語に訳させるの?
〉直訳だと、イメージがずれまくるし、イメージを正確に保って訳そうとするとすごく難しいし。
〉英文和訳ばっかりさせたら、言語感覚がおかしくなるか、途中で難しすぎて挫折するか…になりそうな気がする。
どうしてなんでしょうね。
まぁ、「理解度」がわかりやすい、成績がつけやすい、という理由が一応考えられますが、
さぁ、どうなんでしょうね。
〉まだあるけど、長いので終わります。
〉ではでは。
秋の夜長、ちぢにいろいろ考えてしまいますよねぇ。。
それでは〜
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お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/18(12:44)
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1 たかぼんさん こんにちは。(主観の)新茶です。
〉たとえば「権利」はrightの訳語ですが、これひとつ取っても外国人の理解とは異なります。
〉日本語の「権利」には、「自分勝手」みたいなイメージがありますが、rightには、
〉「法によって正しいと認められる」という意味が含まれているように思います。
〉(だから福沢諭吉は、「権理」と訳せと言っていたようです。)
2 以下は、西欧の基本思想の通説の記述です。
英語など言語理解の前提となる知見であるので、ここで述べて良いでしょうか。
西欧(アメリカ及びイギリスをもちろん含む)の基本思想のひとつは、正義を具体化した存在が、権利であるということです。
正しさ、つまり、正義が先に存在し、権利は、正義を化体した存在にすぎないという理念に導かれています。
権利は、「法によって始めて認められる」ものではありません。
権利は、普通の人間の本性=正義として、自然のうちにあるという、自然法の思想に、本来由来する。
正義は、また、道徳または倫理と同値であり、権利は、法と同値であります。
「法」と「正義」は、別個であるという考えは、ありません。
したがって、法を実現することは、いつも必ずしも正義ではないという考えでは、ありませんし(西欧の基本理念では、法の実現は必ず正義です)、正義は、法とは、別のところにあるという考えもありませんし、法は、お上が作ったから、守らされるのであって、正義とは必ずしも結びつかないという考えもありませんし、悪いことだと思うのは法を犯したからだが、なぜその法があるのか、理由がわからないというような言いぐさが通るという考えもありません。
なぜなら、自分で作ったものという理念ですから。
この理念を捨てて、統治者、つまりお上が、勝手に、物事を進めていると言動するのでは、言語政策であれ、教育政策であれ、自分を否定した、責任逃れの、恥ずべき言動にすぎません。
全ての政治活動は、法に依拠しなければならないから(法による支配)。
西欧では、法は、道徳を前提としており、道徳の一部が昇華したものが、法です。
道徳及び倫理は、西欧の人たちにとって、自らが自分で決めたから、積極的に守る規範であり、道徳及び倫理は、正しいこと=正義であり、正義を具体化したのが、権利であり法であり、権利ないし法を実際に実現することは、正義であり、道徳そのものである。
以上について、わかりやすい文献があれば、将来、紹介します。
3 正義の実現が権利であり法であるという理念の理解を前提として、ちなみに、補足説明として、言葉の由来(語源など)の上で、考えます。
権利は、right英 das Recht独 le droit仏の翻訳語です。
これら西欧語の原語は、「まっすぐ」を意味する「好感度の高い言葉」であり、そこで、「まっすぐは、正しい=正義」が派生し、中世になって、改めて法を考えるとき、「正しい意味だから、正義をも意味するrightを、法という意味にも転用しよう」ということになって、rightは、法の意味を始めて具有するに至った。
rightが、「右」の意味を具有するのは、さらにその後のことである。
なお、原語reht(何を原語とするか、または原語の品詞によって、単語のスペルは、異なるから、別のスペルもある。ここでは、説明の便宜上、ドイツ語の動詞の過去分詞形を載せています。)に関連したラテン語を原語とし、di-という接頭辞がついた英語directは、「まっすぐな」という意味があります。
翻訳には、新造語と転用語があります。
転用というのは、元の意味は、西洋語の原語と、微妙に又はかなり違うけれども、新造語を考案するまでないとして、改めて違う意味に使うようにしようと意図されたものです。
権利は、中国古典から存在した言葉の転用語です。
権利のうち、権は、力を意味し、利は、利益を意味します。
中国の元来の権利思想は、力により利益を取得することであって、その力が、正義に基づくことは、必ずしも要求されていません。
明治期の翻訳者達は、漢籍に通じ、かつ西洋の思想書を読んで訳すのですから、もとより、その違いを、当然に良く把握していました。
以上の参考文献として、
(1) 翻訳語成立事情 柳父章 岩波新書 1982年
(2) 翻訳語としての日本の法律用語 古田裕清 中央大学出版 2004年
(2)は、簡潔で正確な文章。西洋思想の学者であり、法律の学者ではない。(1)は、入手しやすい。翻訳語の学者だから、社会科学の理解は、やや落ちるが、本質は、つかんでいる。
4 (1)の文献には、「自由」という言葉の説明もある。
自由は、freedom(又はliberty)英 等の翻訳語である。
自由も、新造語ではなく、中国古典の転用語である。
freedomの前半の原語fri-は、「仲間」であるが(参照・英語のfriend友達)、それは、「独立した個人としての集合体である仲間同士。責任観念を自覚した個人の集合体としての仲間達」という意味である。
-domは、「勢力範囲」「〜の世界」である。
独立した人格の集合体の範囲及びその行動可能な世界が、本来のfreedomである。
ところで、個人が自由放縦に権利を主張すると、他人の自由放縦を犯すこともあり、まずいことが起きる。
そこで、各人の自由を、仲間との契約(contract)により、幾分か制限し、その残り(residual)をもって、freedomの概念とした。
つまり、西洋にとって、自由とは、本来、残り、残余物であるといわれる。
この残余概念が、西洋のfreedomの本質である。
もちろん残余物といっても、それは、理念としてのものの言い方であって、その内容は、広い。
自由は、他人の権利を侵さないという責任を併有した概念である。
中国古典の自由は、これと異なり、「放縦」の意味も包含し、しばしば「自由という概念のはき違え」があった。
自由という言葉は、明治以前は、民衆に流行して、使用された言葉ではない。
翻訳者達は、freedomの翻訳語として、「自由」以外もいくつか考案した。
しかし、言葉というものは、いくら為政者が力んでも、国民=民衆が使用しなければ、日常用語には、使われない。
今日でも、政治、経済、法律等の社会科学、化学、物理等の自然科学の用語は、一般国民が、広くは使用しないものもある。
freedomとその訳語は、明治初期から、民間の啓蒙者達も、盛んにこれを奨励した。
そして、「自由」という訳語は、むしろ、翻訳語として適当ではないという危機感も強かった。
「自分勝手も許される」「放縦でよい」、「勝手でしょ」、「何をやろうが自由だろ」、という意味で、民衆が使う危険があったから。
freedomには、自分勝手という意味はないし、何をやろうと許されるという意味もない。
だから、ほかの翻訳語も、いくつも考案した。
しかし、日常会話でも、自由のみ、翻訳語が生き残った。
「自由」のみ訳語が生き残ったのは、民衆が使ったから。
そして、民衆の使用する「自由」という用語は、「他人の権利を侵さない責任を合わせ併有する、残余物を意味する概念」としてではなく、「自分勝手が許される」「本来、人は、何をやろうが許されるはず、それが自由である」などとして理解されることがあり、実際にその意味で言動する輩も、また、多くいたのである。
5 以上のような説明が、学問としての通説です。
以上は、学問としての通説を記載したものであり、私の単なる意見を記載したものではないことに留意されたいが、私というフィルターを通じて説明していますし、わかりやすくするために、説明を省略した部分もあります。
説明を省略した部分には、わかりやすくするために正確性を少し犠牲にした事項もありますし、通説的理解と一見異なるかに見えるような内容を回り道して説明しなければならない事項もあります。
したがって、上記の書籍は、本項の言葉の由来の部分などを、わかりやすく詳細に説明している中で、本質的事項も一部説明しているから、参照されると、内容が深まった論議ができると思われます。
societyを翻訳した新造語「社会」なども、両著書とも、説明しています。
6 たかぼんさんが、私の200万語の報告に投稿されたことには、大変感謝します。
返事をしていないので、気になっています。
ただし、消耗から充電に移行していないので、今更、返事は、遅いといわれるかもしれませんが、充電できたら、遅ればせながら、200万語の返事を書きます。
acha758さんとの「スポーツ及び英文法の規則の異同論争」において、たかぼんさんが、「規則とは、禁止規範及び命令規範に違反することのみを指す。違反には、法律または法律類似の制裁がある。」という非常に狭い定義を採用していることを明示しなかったから(それに気がついて皆が議論していない。禁止規範等の定義は、今は省略する)、たかぼんさんの定義に従う限り、たかぼんさんの言い分は正しいが、その定義のみが規則の定義ではないと正当に喝破すれば、むしろスポーツと英文法に同じ類似点を見いだそうというacha758さんの問題意識の方が、17世紀に始まる国民国家成立後を考えるにしても、国民国家成立以前の国家(古代国家を含む)を考えるにおいても、有益であると思っていますが、そういうことなども気になるが、書く気になるかどうか。
論争の当時は、SSSの投稿をそんなに見ていなかったから、気がつかなかったが、気がついていたら参加し、acha758さんの見解を応援したと思う。
今回の投稿は、たかぼんさんの主張が、間違っていると述べたいがために、投稿したものではありません。
通説的見解を考慮した、実のある議論を望むために書いたものです。
反対説や、一人独自説も、未来の通説になる可能性は、あるのですし。
特に、20代前後の人を中心に、社会科学であれ、自然科学であれ、正確な理論を身につけ、年上の人や外国人と議論できるように、成長してほしい。
それが、今後の社会で、年上の人のなすべき役割分担及び責務の自覚をも促すであろう。
以 上
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261. Re: 言語を理解する上で西欧思想の正確で実のある議論 (acha758さんへのお詫び付き)
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/18(17:58)
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主観の新茶さん、こんにちは。たかぽんです。
(acha758さんへのお詫びは、ずずずいっと下のほうです。太字でお呼びしました。)
〉1 たかぼんさん こんにちは。(主観の)新茶です。
〉〉たとえば「権利」はrightの訳語ですが、これひとつ取っても外国人の理解とは異なります。
〉〉日本語の「権利」には、「自分勝手」みたいなイメージがありますが、rightには、
〉〉「法によって正しいと認められる」という意味が含まれているように思います。
〉〉(だから福沢諭吉は、「権理」と訳せと言っていたようです。)
〉2 以下は、西欧の基本思想の通説の記述です。
〉 英語など言語理解の前提となる知見であるので、ここで述べて良いでしょうか。
あ。どうぞどうぞ。
(って、私が許可することなのかというのもありますが・・・)
〉西欧(アメリカ及びイギリスをもちろん含む)の基本思想のひとつは、正義を具体化した存在が、権利であるということです。
〉 正しさ、つまり、正義が先に存在し、権利は、正義を化体した存在にすぎないという理念に導かれています。
自然法思想的には、そうなんでしょうか。
でも、よく知りませんが、ドイツなどの法実証主義だとどうなんでしょうね。
〉 権利は、「法によって始めて認められる」ものではありません。
全ての権利が、「法によって始めて認められる」ものではないかもしれませんね。
でも、法による確認的な権利もあれば、法による創設的な権利もあるような気もします。
まぁ、創設的に見えて、実はその時点での「自然的」、一般意思の表れに過ぎないのだ、
との理屈づけもできましょうが。
〉 権利は、普通の人間の本性=正義として、自然のうちにあるという、自然法の思想に、本来由来する。
〉 正義は、また、道徳または倫理と同値であり、権利は、法と同値であります。
詳しいことは知らないのですが、やはり自然法思想一本槍ではないような気がします。
おっしゃるとおりならば、法が要らない、ってことになりそうです。
つまり、「法で定める」ってことに意味が無くなってしまいそう。
法と道徳を分けるという考えが必ずあるはずで、法にはそれなりの権威が伴うように思います。
〉 「法」と「正義」は、別個であるという考えは、ありません。
そうかなぁ。
〉 したがって、法を実現することは、いつも必ずしも正義ではないという考えでは、ありませんし(西欧の基本理念では、法の実現は必ず正義です)、正義は、法とは、別のところにあるという考えもありませんし、法は、お上が作ったから、守らされるのであって、正義とは必ずしも結びつかないという考えもありませんし、悪いことだと思うのは法を犯したからだが、なぜその法があるのか、理由がわからないというような言いぐさが通るという考えもありません。
どうなんでしょうか。「悪法も法なり」的なところもあるんじゃないでしょうか。
やはり、法は、倫理的(宗教的?)な意味での正義と必ずしも結びつかなくても、
権威ある機関が定立・執行するので正当化される、ってとこはないですか?
その限りにおいて、法で認められる権利はrightであると。
内容の正しさ、ではなく、決めた機関が正しいから、正しいと。
法実証主義って、そういうのではなかったでしたっけ?
国家権力が宗教的権威から離れ、価値相対主義ということになると、何が正義なのか不明なので、
それで、民主的な基盤から定められる法を、その権威の正しさによって、正しいとする、
みたいなところはなかったでしょうか?
しかしその後、文明国共通の法理としての「新しい正義」が認識されるようになり、
憲法的正義みたいなものに法を照らすことが行なわれるようになった、のではないかと思います。
違憲審査。定立権威が正しければ正しい法と言えるのか?権威にマル投げしてしまっていいのか?
という疑問が生じたからだと思います。民主的っていっても多数決的な決定であるに過ぎないなど、
実際の立法過程にはいろいろな瑕疵が存在すると考えられるからだと思います。
ただ、違憲審査と言っても、照らすのはあくまでも法的正義であって、
道徳的正義とはまた違うのではないかと思います。
〉 なぜなら、自分で作ったものという理念ですから。
ですから、内容の正しさではなく、作った過程による「正しさ」ですよね?
でも、何歳以上かの人が選挙で選んだ人が議論して決めた法が、本当に正しいと言い切れるのか?
という疑問は、西欧でも常につきまとうわけですよね。ナチスの過去もありますし。
ましてや、「自分たち」で作ったから道徳的に正しい、と言えるわけもない。
宗教的権威から離れた近現代国家は、法の正しさを担保するために、いろいろ
四苦八苦しているんじゃないでしょうか。
〉 この理念を捨てて、統治者、つまりお上が、勝手に、物事を進めていると言動するのでは、言語政策であれ、教育政策であれ、自分を否定した、責任逃れの、恥ずべき言動にすぎません。
そうですか?
実際の立法過程は、当然に、一人ひとりの意思が反映しているとは言えませんし、
高度に技術的になっているので、多数の民意を反映しているとさえ言えなくなっていると思います。
自分が個人的に委任した人がやるならば、そりゃ文句は言えません。「自分を否定」することになります。
でも実際は、自分が個人的に委任した人でもない人たちがやってるわけで、それに文句をつけることは
別にかまわないでしょう。
〉 全ての政治活動は、法に依拠しなければならないから(法による支配)。
もちろんそうですね。行政は法に則ってやってもらわなくては。(法治主義?)
だからって、国民がお上に文句言ってはならない、ということにはならないと思うのですが?
〉 西欧では、法は、道徳を前提としており、道徳の一部が昇華したものが、法です。
上に書いてきたように、道徳を前提としていない法というものもあると思います。
やはり、近代国家成立の過程で、宗教的権威からの分離ということがあって、
道徳と法を分けて考える、とされたのではないかと思います。
そのときに、宗教に代わる「正しさ」を担保するものとして、「理性」であったり、
「一般意思」であったり、「民主的基盤」というものが、据えられていったのではないかと思います。
「神の教えだから正しい」から「自然的に正しい」から「みんなで決めたから正しい」
へと変遷したのじゃないか? そんな感じがします。
(今は、「みんなで決めたから原則正しいけど、憲法に照らす」となっているのでしょうか。)
〉 道徳及び倫理は、西欧の人たちにとって、自らが自分で決めたから、積極的に守る規範であり、道徳及び倫理は、正しいこと=正義であり、正義を具体化したのが、権利であり法であり、権利ないし法を実際に実現することは、正義であり、道徳そのものである。
やっぱり、道徳と法がごちゃごちゃっとなっているように思います。
近代国家は、宗教から離れて、道徳と法を分けるようになったが、その法の正しさを担保する根拠を失い、
そこでいろいろ苦労した末に、「みんなで決めたから正しい」というところに落ち着いたが、
「みんなで決めた」というのが大いなる擬制であり、
そもそも「みんなで決めたから正しい」ってどうして言えるのか?という疑問も起こるようになって、
そこで法を「憲法的原則」に照らすようになったが、なおそこにもごたごたがある、
というのが現状なのではないでしょうか。
〉 以上について、わかりやすい文献があれば、将来、紹介します。
はい。またお願いします。
〉3 正義の実現が権利であり法であるという理念の理解を前提として、ちなみに、補足説明として、言葉の由来(語源など)の上で、考えます。
どうも「正義」という言葉の使い方が問題なのかなという気がしてきました。
道徳的正義と法的正義は違うように思います。
権利が法的正義の実現であるというのは、これは当たり前のことだと思います。
同義反復と言ってもいいでしょう。
権利は道徳的正義の実現か。これには大いに疑問があります。
適切な例が思い浮かびませんが、たとえば、違法収集証拠排除法則、というのがあります。
証拠からして有罪なんだけど、その証拠の収集過程に違法があったとき、無罪とされる場合があります。
道徳的に考えれば、被告人を有罪にして、捜査官も処分すればよいように思います。
ところが被告人を無罪にしてしまう。こういうところ、法と道徳とが分かれるとこだなと
私は思っています。
〉 権利は、right英 das Recht独 le droit仏の翻訳語です。
〉 これら西欧語の原語は、「まっすぐ」を意味する「好感度の高い言葉」であり、そこで、「まっすぐは、正しい=正義」が派生し、中世になって、改めて法を考えるとき、「正しい意味だから、正義をも意味するrightを、法という意味にも転用しよう」ということになって、rightは、法の意味を始めて具有するに至った。
なるほど。
そのときは、道徳も法も未分化だったのでしょうね。
〉 rightが、「右」の意味を具有するのは、さらにその後のことである。
あっ。そうなんですね。
と、いうことは、leftは、「その他の」「あまりの」みたいな意味から来てるんでしょうか?
〉 なお、原語reht(何を原語とするか、または原語の品詞によって、単語のスペルは、異なるから、別のスペルもある。ここでは、説明の便宜上、ドイツ語の動詞の過去分詞形を載せています。)に関連したラテン語を原語とし、di-という接頭辞がついた英語directは、「まっすぐな」という意味があります。
おお! おもしろい。
〉 翻訳には、新造語と転用語があります。
〉 転用というのは、元の意味は、西洋語の原語と、微妙に又はかなり違うけれども、新造語を考案するまでないとして、改めて違う意味に使うようにしようと意図されたものです。
〉 権利は、中国古典から存在した言葉の転用語です。
〉 権利のうち、権は、力を意味し、利は、利益を意味します。
〉 中国の元来の権利思想は、力により利益を取得することであって、その力が、正義に基づくことは、必ずしも要求されていません。
なるほど。
福沢諭吉が「権理」にしよう、と言ったのは、新造語に入るのでしょうかね。
(転用かもしれませんが。)
そのパワーが「理」に基づく、といった感じですね。正義の根拠を「理」に求めたんですね。
「理性」に基づく、ルソーなどの近代啓蒙思想の影響なんですかね。
〉 明治期の翻訳者達は、漢籍に通じ、かつ西洋の思想書を読んで訳すのですから、もとより、その違いを、当然に良く把握していました。
〉
〉 以上の参考文献として、
〉 (1) 翻訳語成立事情 柳父章 岩波新書 1982年
〉 (2) 翻訳語としての日本の法律用語 古田裕清 中央大学出版 2004年
〉 (2)は、簡潔で正確な文章。西洋思想の学者であり、法律の学者ではない。(1)は、入手しやすい。翻訳語の学者だから、社会科学の理解は、やや落ちるが、本質は、つかんでいる。
ありがとうございます。
(1)のほうは昔から知っているのに、ついぞ読んだことがありません。。。
この機会に読んでみようかな。
〉4 (1)の文献には、「自由」という言葉の説明もある。
〉 自由は、freedom(又はliberty)英 等の翻訳語である。
〉
〉 自由も、新造語ではなく、中国古典の転用語である。
あっ。そうなんですね。
〉 freedomの前半の原語fri-は、「仲間」であるが(参照・英語のfriend友達)、それは、「独立した個人としての集合体である仲間同士。責任観念を自覚した個人の集合体としての仲間達」という意味である。
〉 -domは、「勢力範囲」「〜の世界」である。
〉 独立した人格の集合体の範囲及びその行動可能な世界が、本来のfreedomである。
おお。そうなんですか。
なんかすごい。
〉 ところで、個人が自由放縦に権利を主張すると、他人の自由放縦を犯すこともあり、まずいことが起きる。
「権利」が「正義」であるのなら、まずいことの起こりようがないのではないですか?
と引っ掛かってみますが。(笑)
このときは各自が「権利」と思っていても、後で総合判断されたときに「権利」と認められないことがある、
ということですよね。
(やっぱりそこでキーになるのは、法を判断し強制する「権威」なのではないかと思います。)
〉 そこで、各人の自由を、仲間との契約(contract)により、幾分か制限し、その残り(residual)をもって、freedomの概念とした。
〉 つまり、西洋にとって、自由とは、本来、残り、残余物であるといわれる。
〉 この残余概念が、西洋のfreedomの本質である。
なあるほど。
〉 もちろん残余物といっても、それは、理念としてのものの言い方であって、その内容は、広い。
〉 自由は、他人の権利を侵さないという責任を併有した概念である。
但し書きがついている感じですね。「〜の限りにおいて」という感じ。
〉 中国古典の自由は、これと異なり、「放縦」の意味も包含し、しばしば「自由という概念のはき違え」があった。
但し書きの無い「自由」なんですね。
〉 自由という言葉は、明治以前は、民衆に流行して、使用された言葉ではない。
〉
〉 翻訳者達は、freedomの翻訳語として、「自由」以外もいくつか考案した。
〉 しかし、言葉というものは、いくら為政者が力んでも、国民=民衆が使用しなければ、日常用語には、使われない。
〉 今日でも、政治、経済、法律等の社会科学、化学、物理等の自然科学の用語は、一般国民が、広くは使用しないものもある。
たくさんあるでしょうね。
〉 freedomとその訳語は、明治初期から、民間の啓蒙者達も、盛んにこれを奨励した。
〉 そして、「自由」という訳語は、むしろ、翻訳語として適当ではないという危機感も強かった。
〉 「自分勝手も許される」「放縦でよい」、「勝手でしょ」、「何をやろうが自由だろ」、という意味で、民衆が使う危険があったから。
〉 freedomには、自分勝手という意味はないし、何をやろうと許されるという意味もない。
〉 だから、ほかの翻訳語も、いくつも考案した。
〉
〉 しかし、日常会話でも、自由のみ、翻訳語が生き残った。
〉 「自由」のみ訳語が生き残ったのは、民衆が使ったから。
〉 そして、民衆の使用する「自由」という用語は、「他人の権利を侵さない責任を合わせ併有する、残余物を意味する概念」としてではなく、「自分勝手が許される」「本来、人は、何をやろうが許されるはず、それが自由である」などとして理解されることがあり、実際にその意味で言動する輩も、また、多くいたのである。
なるほどね。
自由民権運動の流行、新聞など出版物の普及、なんかが大きかったでしょうね。
〉5 以上のような説明が、学問としての通説です。
上のほうの、道徳的正義の一部が法的正義、という議論は、ほんとに通説か?と思います。
「道徳」の意味をかなりモダンに変形しないと、それは成り立たないのではないかと。
〉 以上は、学問としての通説を記載したものであり、私の単なる意見を記載したものではないことに留意されたいが、私というフィルターを通じて説明していますし、わかりやすくするために、説明を省略した部分もあります。
〉 説明を省略した部分には、わかりやすくするために正確性を少し犠牲にした事項もありますし、通説的理解と一見異なるかに見えるような内容を回り道して説明しなければならない事項もあります。
〉 したがって、上記の書籍は、本項の言葉の由来の部分などを、わかりやすく詳細に説明している中で、本質的事項も一部説明しているから、参照されると、内容が深まった論議ができると思われます。
〉 societyを翻訳した新造語「社会」なども、両著書とも、説明しています。
はい。おもしろそうなので、とりあえず岩波新書のは読んでみようと思います。
ありがとうございます。
〉6 たかぼんさんが、私の200万語の報告に投稿されたことには、大変感謝します。
〉 返事をしていないので、気になっています。
〉 ただし、消耗から充電に移行していないので、今更、返事は、遅いといわれるかもしれませんが、充電できたら、遅ればせながら、200万語の返事を書きます。
あ、気にしてくださらなくても結構ですのに。
お返事くださっても、お返事くださらなくても、どちらでもいいですよ。
〉 acha758さんとの「スポーツ及び英文法の規則の異同論争」において、たかぼんさんが、「規則とは、禁止規範及び命令規範に違反することのみを指す。違反には、法律または法律類似の制裁がある。」という非常に狭い定義を採用していることを明示しなかったから(それに気がついて皆が議論していない。禁止規範等の定義は、今は省略する)、たかぼんさんの定義に従う限り、たかぼんさんの言い分は正しいが、その定義のみが規則の定義ではないと正当に喝破すれば、むしろスポーツと英文法に同じ類似点を見いだそうというacha758さんの問題意識の方が、17世紀に始まる国民国家成立後を考えるにしても、国民国家成立以前の国家(古代国家を含む)を考えるにおいても、有益であると思っていますが、そういうことなども気になるが、書く気になるかどうか。
こちらから始まる議論ですね。
[url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-english&c=e&id=1991]
私が言ってたのは、要するに、スポーツゲームはルールが無いと成立しないので、
あらかじめルールを把握しておく必要があるけれど、言語には、そういう意味のルールがあるわけではない、
したがって、スポーツゲームとの比較によって「言語を習得するにも文法の勉強が必要」とは言えない、
ということだったと思います。
文法の勉強をしたい方はすればいいと思いますが、「絶対に必要」ではないと思う、というのが、
言いたかったことでした。
今ふり返ってみると、スポーツのルールも言語の文法も、かなり似たとこがあるなと思います。
(ここを意地になって「違う!」と言い張ったのは、非常に良くなかったと思います。
acha758さん皆さん、あらためて、あのときはすみませんでした・・・)
どちらも、どう習得するのがよいかが問題となりますが、各人が無理の無い範囲で、
楽しく習得できるような方法がいいのではないかと思います。
人それぞれですから、「文法」と取り分けて勉強するのがしっくり来るならばそうすればいいし、
気が進まなかったら、それはそれでよいと思います。
〉 論争の当時は、SSSの投稿をそんなに見ていなかったから、気がつかなかったが、気がついていたら参加し、acha758さんの見解を応援したと思う。
私もacha758さんを応援したく思う。。
〉 今回の投稿は、たかぼんさんの主張が、間違っていると述べたいがために、投稿したものではありません。
〉 通説的見解を考慮した、実のある議論を望むために書いたものです。
〉 反対説や、一人独自説も、未来の通説になる可能性は、あるのですし。
新茶さんのおっしゃる道徳と法うんぬんについてだけは、ほんとに通説的見解?と思ってしまいます。
私が恐ろしい考え違いをしてるかもしれませんが。。。
〉 特に、20代前後の人を中心に、社会科学であれ、自然科学であれ、正確な理論を身につけ、年上の人や外国人と議論できるように、成長してほしい。
そうですね。私もよくわかってないので偉そうなことは言えませんが、
これからの若い人には、「筋のいい」というか、本質をつかむような勉強を
していただきたいですね。
〉 それが、今後の社会で、年上の人のなすべき役割分担及び責務の自覚をも促すであろう。
私もまだまだ勉強だなぁと思います。
いろいろと勉強になりました。
ありがとうございました。
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268. Re: 言語を理解する上で西欧思想の正確で実のある議論 (acha758さんへのお詫び付き)
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/18(23:58)
------------------------------
たかぼんさん、お返事ありがとう。
主観の新茶です。
私は、古代ギリシアから古代ローマ、中世ヨーロッパ、近代ヨーロッパを経て、現代まで連綿と続く「法と道徳、法と正義の関係など」についての西欧の「客観的な歴史的評価」についての通説を書いたのです。
客観的事実としての歴史上の思想の把握=通説と、その好き嫌いを分けて、説明いただくと良いと思います。
歴史的には、法と正義、道徳についてさえ、「通説」と異なる見解を有する思想家は、古代ギリシア、古代ローマの思想家にもいましたが、たかぼんさんの指摘されるように、19世紀の法実証主義の人々も、法に正義(正義を通じて道徳を実現すると考えれば道徳でもよい。)という理念を包含させることを拒否しました。
法実証主義の人々は、「悪法もまた法である」と述べて、自然法思想を否定しました。
法実証主義の人々にとって、西欧の歴史としての理念は、通説のとおりだと認めざるを得ないとしても、上記の点で通説の見解には賛成できないと考え、理念の変更を主張しました。
しかし、西洋の理念の通説には、なれませんでした。
たかぼんさんは、現在の気持ちとしても、西欧の通説に、必ずしも賛同できないという見解でもあり、日本人には、結構、多いとされています。
たかぼんさんの基本理念は、西洋の通説と違います。
また、現代に視点を移すと、現代のように複雑な社会では、法と道徳がストレートに結びつかない分野が増加したという意識は、むしろ通説でしょう。
それは、西欧でも日本でも、言うまでもないことです。
しかし、ここでの問題は、脈々として生きている西洋の基本理念は何かを把握することです。
一般的に、西欧にいうところの道徳、正義及び法などについての「歴史」において、書籍で通説として説明されているのは、(1)西洋人は、法を、理念と見ていること、(2)理念とは、現実の世界で努力して実現すべき理想状態であるということ、(3)古代ギリシア、古代ローマ、中世ヨーロッパ、近代ヨーロッパ、現代ヨーロッパの法の制定とその運用と人々の日常の法意識とを歴史的に調べていくと、西洋では、正義の実現が法そのものであり、道徳の昇華が法であると考えられてきたということです。
文献2をも、参考に読んでみて下さい。
たかぼんさんの疑問も、あらゆる意味で、氷解すると思います。
もし、たかぼんさんが、著書を読んだ上で、また、投稿されるのであれば、歓迎します。
たかぼんさんの基本理念が、通説に変更されるのであれば、・・・・・。
最後に、英語学習に関係ないと思われる方もいるかもしれないので、少し論考の主題を移しますが、たとえば、ホーソンの緋文字は、道徳=法=正義の強烈な精神的束縛を前提とする小説と理解することが可能であり、英語の小説を読む場合には、西洋の思想・理念の正確な把握が必要ともいえるでしょう。
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271. Re: 言語を理解する上で西欧思想の正確で実のある議論
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/19(01:27)
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主観の新茶さん、こんばんは。たかぽんです。
〉たかぼんさん、お返事ありがとう。
〉主観の新茶です。
〉私は、古代ギリシアから古代ローマ、中世ヨーロッパ、近代ヨーロッパを経て、現代まで連綿と続く「法と道徳、法と正義の関係など」についての西欧の「客観的な歴史的評価」についての通説を書いたのです。
そうなんですか。
古代ギリシアから古代ローマ、中世ヨーロッパ、近代ヨーロッパ、現代までって、
一貫しているわけではないと思いますし、それに大陸法、英米法など、地域でもずいぶん違うと思います。
特に中世から近代への転換期、啓蒙主義以後の考え方はガラッと変わっているのではないでしょうか。
私が学校で習ったところでも、近代法のひとつのメルクマールとして、「法と道徳との峻別」
というものがあったと思います。それは、近代主権国家というものの成立とともに、
「法の宗教離れ」が起こった結果ではないかと思います。
〉客観的事実としての歴史上の思想の把握=通説と、その好き嫌いを分けて、説明いただくと良いと思います。
はい、もちろんそうしているつもりです。
近代で法と道徳が分離されたはずなのに、法と道徳とがごっちゃになっているような考え方が、
今の西洋の法の考え方も説明する通説だとは、どうにも信じがたいのですが、
という疑問を呈しているだけです。
〉歴史的には、法と正義、道徳についてさえ、「通説」と異なる見解を有する思想家は、古代ギリシア、古代ローマの思想家にもいましたが、たかぼんさの指摘されるように、19世紀の法実証主義の人々も、法に正義(正義を通じて道徳を実現すると考えれば道徳でもよい。)という理念を包含させることを拒否しました。
〉法実証主義の人々は、「悪法もまた法である」と述べて、自然法思想を否定しました。
〉法実証主義の人々にとって、西欧の歴史としての理念は、通説のとおりだと認めざるを得ないとしても、上記の点で通説の見解には賛成できないと考え、理念の変更を主張しました。
〉しかし、西洋の理念の通説には、なれませんでした。
はい、ですから、前のレスでも申しましたように、近代法が宗教的権威から離れた結果、
何を正しい法とするかの拠り所を失ってしまい、それを「理性」や「一般意思」
などに求めたのだと思います。そして結局、「みんなで決めた」というところに
正当性の根拠を求めることになりますが、みんなで決めた以上は正しいのだからと、
それ以上の正当性の判断を放棄したのが、おそらく法実証主義で、それは
ワイマール憲法下のドイツにおいて採られていた考え方だったと思います。
しかし、第2次大戦後、ナチス支配の反省などから、あまりの価値相対主義、
法律万能主義はいかがなものかということになって、ドイツも実質的法治国家に移行した、
ということだと思います。つまり、みんなで作ったので一応正しいとするが、
憲法に照らして審査する余地を認める。
ですが、その際に、どういう法が正しい法か?の基準について、宗教的な道徳に
戻るという選択は行なわれていないと思います。戻れば中世に逆戻りです。
そうではなく、あくまでも根本的な「法」に照らすという行き方がとられていると思います。
〉たかぼんさんは、現在の気持ちとしても、西欧の通説に、必ずしも賛同できないという見解でもあり、日本人には、結構、多いとされています。
〉たかぼんさんの基本理念は、西洋の通説と違います。
いえ、そもそも、道徳と法を一緒くたにするというのが、西洋の通説であるというのが、
どうにも信じられないというか、ほんとですか?と思うだけです。
〉また、現代に視点を移すと、現代のように複雑な社会では、法と道徳がストレートに結びつかない分野が増加したという意識は、むしろ通説でしょう。
〉それは、西欧でも日本でも、言うまでもないことです。
あれ・・・
いや、現代だけでなく、中世から近代に移行する時点で、法と道徳を分ける、
というふうになったのではなかったでしょうか?
〉しかし、ここでの問題は、脈々として生きている西洋の基本理念は何かを把握することです。
もし、そのような法と道徳を同じとする基本理念があったとしても、
近代・現代には断絶した、ということになりそうですね。
〉一般的に、西欧にいうところの道徳、正義及び法などについての「歴史」において、書籍で通説として説明されているのは、(1)西洋人は、法を、理念と見ていること、(2)理念とは、現実の世界で努力して実現すべき理想状態であるということ、(3)古代ギリシア、古代ローマ、中世ヨーロッパ、近代ヨーロッパ、現代ヨーロッパの法の制定とその運用と人々の日常の法意識とを歴史的に調べていくと、西洋では、正義の実現が法そのものであり、道徳の昇華が法であると考えられてきたということです。
正義の実現が法、とは言えると思いますが、その「正義」について、近代以降は少なくとも、
法的正義と道徳的正義は分けられる、とされてるんじゃないでしょうか。
道徳と法を直結させない、というのは、もう何百年前に克服された課題だと思います。
ちょっとここで、刑法ですが、昔使った教科書を引っ張り出してみます。
(前田雅英『刑法総論講義』第3版)
「西欧近代の刑法は,それ以前の旧体制下の刑法を乗り越える形で形成された.
中世の刑法の特色は,干渉性,恣意性,身分性,苛酷性の4点にまとめることができる。
まず,中世においては,法と宗教・道徳が未分離であったため,法律が個人の
内面生活にまで深く干渉していた.・・・」(p.17)
また、近代革命に非常に大きな影響を与えたとされるベッカリーアの『犯罪と刑罰』について、
「彼は啓蒙主義哲学を基本に,社会契約論により国家の刑罰権を基礎づける.
そして(1)社会・市民の利益の外形的な侵害のみが犯罪たり得るとして干渉性を批判し,・・・」(p.18)
そして、西欧近代の刑法理論の基礎を形成した学者の一人、カントについて、
「法は個人の道徳には干渉し得ないとして,刑罰の干渉性を厳しく排除した.
カントの刑法理論の第一の特色はこの刑罰の干渉性の排除から導かれる
法と倫理の峻別にある。」(同頁)
さらに、近代刑法学の父と称されるフォイエルバッハについて、
「彼はカントの「法と倫理の峻別」の考え方を受け継ぎ,権利侵害のみが犯罪であるとして
干渉性を批判した(権利侵害説).」(p.19)
このように、法と宗教・道徳との分離は、近代でとっくに終わっているのではないかと思います。
ただ、「道徳」を国家秩序維持のための倫理と読み替えるならば、
その倫理から法は生まれている、と見る余地もあると思います。
ヘーゲルについて、
「ヘーゲルの刑法理論の第二の特色は,カント,フォイエルバッハが重視した
個人の利益に代え,国家の利益を強調した点にある.国家を「理性と倫理そのもの」
と規定し,国家は刑罰を加えることにより法と正義を回復するとしたのである.」(p.20)
ただ、この場合の倫理も、近代国家を前提とした国家倫理であって、
宗教を基盤とした道徳とは違います。法から「干渉性」を排除するというのは、
共通認識であろうと思います。
〉文献2をも、参考に読んでみて下さい。
〉たかぼんさんの疑問も、あらゆる意味で、氷解すると思います。
はい、また、読む気が起きたら、読んでみたいと思います。
〉もし、たかぼんさんが、著書を読んだ上で、また、投稿されるのであれば、歓迎します。
〉基本理念が、通説に変更されるのであれば、・・・・・。
あ。いつ読むかわからないので、いま投稿してしまいます・・・
ほんとに通説なのかなぁ・・・(笑)
それとも、近代に法と道徳が分けられたっていうのは、日本の法学者だけが言ってる、
特殊な学説なのかなぁ。
〉最後に、英語学習に関係ないと思われる方もいるかもしれないので、少し論考の主題を移しますが、たとえば、ホーソンの緋文字は、道徳=法=正義の強烈な精神的束縛を前提とする小説と理解することが可能であり、英語の小説を読む場合には、西洋の思想・理念の正確な把握が必要ともいえるでしょう。
そうなんですか。
「罪と罰」なんかはどうなんでしょうね。
それでは。
ありがとうございました。
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お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/10/19(15:06)
------------------------------
新茶さん、
お久しぶりです。
科学における法則も、
議会で決める法律も、
英語では "law" と言います。
一般的な理解としては、
わざわざ別の名称をつける必要はなく、
同じようなことを言っているのだから同じ "law" で支障がないわけです。
通説とはそういう意味でしょう。
Nathaniel Hawthorne の The Scarlet Letter について論文を書くなら、
新茶さんのような解釈は学会で評価されそうですね。
それはそれで結構なことですが、
一般的には、
もっと簡単に考えても構わないと思います。
長期的な単身赴任に行っている夫からの連絡が途絶えた後、
若妻が妊娠してしまった話として理解しても構わないんじゃないでしょうか。
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お名前: こるも
投稿日: 2008/10/19(22:14)
------------------------------
Ryotasanさん、お久しぶりです。
新茶さん、こんにちは。
よこです、すみません。
The Scarlet Letter
〉長期的な単身赴任に行っている夫からの連絡が途絶えた後、
〉若妻が妊娠してしまった話として理解しても構わないんじゃないでしょうか。
わたしは、「女って、強え」って話だと思っていました。
失礼しました。
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お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(10:06)
------------------------------
こるもさん。新茶です。
〉新茶さん、こんにちは。
〉よこです、すみません。
依然私に投稿した際の、haveは1つのこるもさん、いや、横ヤリのこるもさん、ではなくて、横レスのこるもさん。
ご投稿、感謝。
たかぼんさんから、「しのび返しの法的意味」、「But me no butsの文法構造」等について、理由を聞いたのに、理由を示してもらえなかった、こるもさん、でもある。
こるもさん、隗より始めよで、こるもさんが、まず、haveが1つの理由を示しましょう。
皆の知見に役立つことだから。
haveを抜かした以降の単語の並びから考える、か。
それを、haveしている、と考える。
そうすれば、1つ、とか。
〉The Scarlet Letter
〉わたしは、「女って、強え」って話だと思っていました。
〉失礼しました。
こるもさんが、この前まで、のめりこんでいたかのような「田山花袋の蒲団」は、上記のこるもさん流でいうと、「女って、強え」というより、「カノ女って、手強え」って話だということになりますか?
柳父さんの「翻訳語成立事情」の最後の項目である「彼と彼女」の項目に、「田山花袋の蒲団」が引用されていることを見てくれると、いいんだけど。
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お名前: こるも
投稿日: 2008/10/25(10:37)
------------------------------
新茶さんだ。
こんにちはー。
〉 依然私に投稿した際の、haveは1つのこるもさん、いや、横ヤリのこるもさん、ではなくて、横レスのこるもさん。
はあ、すみません。
気分を害したのであれば、以後慎みます。
〉 たかぼんさんから、「しのび返しの法的意味」、「But me no butsの文法構造」等について、理由を聞いたのに、理由を示してもらえなかった、こるもさん、でもある。
よく覚えてはりますねえ。
本人たちも忘れてましたわ。
〉 こるもさん、隗より始めよで、こるもさんが、まず、haveが1つの理由を示しましょう。
〉 皆の知見に役立つことだから。
〉 haveを抜かした以降の単語の並びから考える、か。
〉 それを、haveしている、と考える。
〉 そうすれば、1つ、とか。
イメージです。
頭悪いんで、これ以上は、無理です。ご容赦を。
〉〉The Scarlet Letter
〉〉わたしは、「女って、強え」って話だと思っていました。
〉〉失礼しました。
〉 こるもさんが、この前まで、のめりこんでいたかのような「田山花袋の蒲団」は、上記のこるもさん流でいうと、「女って、強え」というより、「カノ女って、手強え」って話だということになりますか?
いやあ。読んだことないんで。
〉 柳父さんの「翻訳語成立事情」の最後の項目である「彼と彼女」の項目に、「田山花袋の蒲団」が引用されていることを見てくれると、いいんだけど。
はあ。
まず「蒲団」から読まないと。
どうもありがとうございました。
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お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(10:53)
------------------------------
こるもさんへ。新茶です。こんにちは。
〉〉 依然私に投稿した際の、haveは1つのこるもさん、いや、横ヤリのこるもさん、ではなくて、横レスのこるもさん。
〉はあ、すみません。
〉気分を害したのであれば、以後慎みます。
冗談めかして、言ったにすぎません。横レス歓迎。
〉〉 たかぼんさんから、「しのび返しの法的意味」、「But me no butsの文法構造」等について、理由を聞いたのに、理由を示してもらえなかった、こるもさん、でもある。
〉よく覚えてはりますねえ。
〉本人たちも忘れてましたわ。
忘れていないでしょう。
〉〉 こるもさん、隗より始めよで、こるもさんが、まず、haveが1つの理由を示しましょう。
〉〉 皆の知見に役立つことだから。
〉〉 haveを抜かした以降の単語の並びから考える、か。
〉〉 それを、haveしている、と考える。
〉〉 そうすれば、1つ、とか。
〉イメージです。
〉頭悪いんで、これ以上は、無理です。ご容赦を。
残念です。
ちなみに、どんなイメージですか?
〉〉〉The Scarlet Letter
〉〉〉わたしは、「女って、強え」って話だと思っていました。
〉〉〉失礼しました。
〉〉 こるもさんが、この前まで、のめりこんでいたかのような「田山花袋の蒲団」は、上記のこるもさん流でいうと、「女って、強え」というより、「カノ女って、手強え」って話だということになりますか?
〉いやあ。読んだことないんで。
〉〉 柳父さんの「翻訳語成立事情」の最後の項目である「彼と彼女」の項目に、「田山花袋の蒲団」が引用されていることを見てくれると、いいんだけど。
〉はあ。
〉まず「蒲団」から読まないと。
〉どうもありがとうございました。
柳父さん、有益だよ。
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お名前: こるも
投稿日: 2008/10/25(11:21)
------------------------------
こるです。
〉〉〉 依然私に投稿した際の、haveは1つのこるもさん、いや、横ヤリのこるもさん、ではなくて、横レスのこるもさん。
〉〉はあ、すみません。
〉〉気分を害したのであれば、以後慎みます。
〉冗談めかして、言ったにすぎません。横レス歓迎。
そうですか。じゃ、遠慮なく。
わーい。
〉〉〉 たかぼんさんから、「しのび返しの法的意味」、「But me no butsの文法構造」等について、理由を聞いたのに、理由を示してもらえなかった、こるもさん、でもある。
〉〉よく覚えてはりますねえ。
〉〉本人たちも忘れてましたわ。
〉忘れていないでしょう。
まあ、忘れてはいませんけど。
〉〉〉 こるもさん、隗より始めよで、こるもさんが、まず、haveが1つの理由を示しましょう。
〉〉イメージです。
〉〉頭悪いんで、これ以上は、無理です。ご容赦を。
〉残念です。
〉ちなみに、どんなイメージですか?
だから、haveの。
〉〉〉 柳父さんの「翻訳語成立事情」の最後の項目である「彼と彼女」の項目に、「田山花袋の蒲団」が引用されていることを見てくれると、いいんだけど。
〉〉まず「蒲団」から読まないと。
〉柳父さん、有益だよ。
そうですか。
じゃあ、ちょっと、気にしてみます。
ではでは。
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/25(12:33)
------------------------------
横からすみません。
こるもさん。
〉〉〉〉 たかぼんさんから、「しのび返しの法的意味」、「But me no butsの文法構造」等について、理由を聞いたのに、理由を示してもらえなかった、こるもさん、でもある。
〉〉〉よく覚えてはりますねえ。
〉〉〉本人たちも忘れてましたわ。
〉〉忘れていないでしょう。
〉まあ、忘れてはいませんけど。
「しのび返しの法的意味」「But me no butsの文法構造」等につき、
説明をしませんで、大変申し訳ございませんでした。
いまだに説明する気はありません。(笑)
あしからず。
それではでは。
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お名前: こるも
投稿日: 2008/10/25(13:19)
------------------------------
たかさん。
〉横からすみません。
〉こるもさん。
〉〉〉〉〉 たかぼんさんから、「しのび返しの法的意味」、「But me no butsの文法構造」等について、理由を聞いたのに、理由を示してもらえなかった、こるもさん、でもある。
〉〉〉〉よく覚えてはりますねえ。
〉〉〉〉本人たちも忘れてましたわ。
〉〉〉忘れていないでしょう。
〉〉まあ、忘れてはいませんけど。
〉「しのび返しの法的意味」「But me no butsの文法構造」等につき、
〉説明をしませんで、大変申し訳ございませんでした。
〉いまだに説明する気はありません。(笑)
〉あしからず。
そりゃあ、言い過ぎってもんです。
説明しろなんて、少なくともわたしはここでは、言ってない。
新茶さん。
以上のことは、まあここでわざわざ蒸し返す必要のない話題だと思います。
あのときはあのときで、「なんで?」と思って質問しましたが、
たかぽんさんにはべつに答える義務はありません。
少なくともわたしは義務があるとは思っていません。
と、いうわけで、この話題はこれで終わりにしてください。
お願いします。
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/25(13:43)
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こるもさん、こんにちは。
〉たかさん。
〉〉横からすみません。
〉〉こるもさん。
〉〉〉〉〉〉 たかぼんさんから、「しのび返しの法的意味」、「But me no butsの文法構造」等について、理由を聞いたのに、理由を示してもらえなかった、こるもさん、でもある。
〉〉〉〉〉よく覚えてはりますねえ。
〉〉〉〉〉本人たちも忘れてましたわ。
〉〉〉〉忘れていないでしょう。
〉〉〉まあ、忘れてはいませんけど。
〉〉「しのび返しの法的意味」「But me no butsの文法構造」等につき、
〉〉説明をしませんで、大変申し訳ございませんでした。
〉〉いまだに説明する気はありません。(笑)
〉〉あしからず。
〉そりゃあ、言い過ぎってもんです。
〉説明しろなんて、少なくともわたしはここでは、言ってない。
そうですよね。
ちゃんと説明する自信もないです。あーよかった。(笑)
それにしても、新茶さんって、私の過去ログもよく読んでくださってるんですね。
たいへんうれしく思いました。ありがとうございます。
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お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(14:13)
------------------------------
たかぽんさんへ。新茶です。
「But me no butsの文法構造」は、数行書いた、たかぽんさんとは、別の本がある。文法の本ではない。それは、よければ、紹介してよいが、どうですか。不要なことですか。簡単に言えば、文法を考えるまでもなく、字の配列から、そうなるだろうというだけ。また、たかぽんさんは、今も使われているかどうか、疑問を呈しているが、その本は、1999年に改訂された本で、今も使われていると述べている。皆さんの役に立ちますか。
「しのび返しの法的意味」は、前回、たかぽんさんが言及した本に書いてあるのではないか。一寸見ればよいと思った。
〉それにしても、新茶さんって、私の過去ログもよく読んでくださってるんですね。
〉たいへんうれしく思いました。ありがとうございます。
相手の主張をよく理解することが、まず、前提として、相手に敬意を表することだと思われる。
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たかさん、新茶さん。
〉「But me no butsの文法構造」は、数行書いた、たかぽんさんとは、別の本がある。文法の本ではない。それは、よければ、紹介してよいが、どうですか。不要なことですか。簡単に言えば、文法を考えるまでもなく、字の配列から、そうなるだろうというだけ。また、たかぽんさんは、今も使われているかどうか、疑問を呈しているが、その本は、1999年に改訂された本で、今も使われていると述べている。皆さんの役に立ちますか。
〉「しのび返しの法的意味」は、前回、たかぽんさんが言及した本に書いてあるのではないか。一寸見ればよいと思った。
お願いですから、やめてください。
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主観の新茶さん、こんにちは。
(こるもさん、失礼します。)
〉「But me no butsの文法構造」は、数行書いた、たかぽんさんとは、別の本がある。文法の本ではない。それは、よければ、紹介してよいが、どうですか。不要なことですか。簡単に言えば、文法を考えるまでもなく、字の配列から、そうなるだろうというだけ。また、たかぽんさんは、今も使われているかどうか、疑問を呈しているが、その本は、1999年に改訂された本で、今も使われていると述べている。皆さんの役に立ちますか。
どうなんでしょう。
〉「しのび返しの法的意味」は、前回、たかぽんさんが言及した本に書いてあるのではないか。一寸見ればよいと思った。
そうですね。刑法の教科書の正当防衛のところに載ってます。
興味のある方は、本屋さん等で読まれればいいのではないかと思います。
〉〉それにしても、新茶さんって、私の過去ログもよく読んでくださってるんですね。
〉〉たいへんうれしく思いました。ありがとうございます。
〉相手の主張をよく理解することが、まず、前提として、相手に敬意を表することだと思われる。
そうですね。
そしてまた、和やかに掲示板を進める配慮も必要でしょうね。自戒もこめて。
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お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(10:17)
------------------------------
Ry0tasanさんへ。主観の新茶です。
〉新茶さん、
〉お久しぶりです。
おひさしぶりです。
〉科学における法則も、
〉議会で決める法律も、
〉英語では "law" と言います。
〉一般的な理解としては、
〉わざわざ別の名称をつける必要はなく、
〉同じようなことを言っているのだから同じ "law" で支障がないわけです。
〉通説とはそういう意味でしょう。
もう少し詳しく書かれると、意図が分かるのですが、次のような意味でしょうか。
この短い文章を読むと、次のように解釈されますが(下記(1))、それでいいのでしょうか。
また、次のような点(下記(2)以下)は、どう理解しているのでしょうか。
すわなち、
Ry0tasanの理解によると、
(1) 私とたかぼんさんが、西洋思想の基本の一つの思想の通説か否かを述べていた、その通説とは、「英語のlawは、科学における法則と、議会で決める法律の2つであること、そして、科学における法則と、議会で決める法律とは、lawということでは同じである、ということだ」と理解されて、上記文章を書かれたのでしょうか。
(2)ach758さんとたかぼんさんの「スポーツと英文法の規則(ルール)の異同論争」でも、同じようなことを書いており(番号2169)、そこでは、「科学の法則」ではなく、「自然の法則」と書いていますが、上記投稿の「自然の法則」を「法律」と比較しているということは、「自然の法則」とは、「自然科学の法則」を指すという意味で、書かれたのでしょうか
(3)社会科学の法則という概念は、どのように理解されていますか。
(4)法律は、社会科学の法則という理解ですか。
(5)日本語の「法則」の定義は、何であると理解されていますか。
(6)英語でlawのみ、法則と翻訳する言葉ですか。
(7)ach758さんのところで、英文法は、せいぜい「作法」であると主張していますが、ここで日本語の「作法」とは、作法にいろいろある意味のうち、「礼儀作法」という意味ですか。
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お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/10/25(11:19)
------------------------------
以前にも、
新茶さんから尋問というか、
質問ぜめにされた記憶があります。
一つ一つ丁寧にお答えしたつもりですが、
あまり実のあるやりとりに発展した記憶がありません。
新茶さんご自身も、
消耗されているようでした。
今回はどうなのでしょう?
同じような結果になるなら、
辞退するつもりです。
どういう意図で沢山の質問をなさるのか、
明確にしていただければ、
もう少し前向きになれる可能性はあります。
With respect.
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お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(12:36)
------------------------------
Ry0tasanさんへ。新茶です。
〉以前にも、
〉新茶さんから尋問というか、
〉質問ぜめにされた記憶があります。
尋問とか、質問責めとは、言いすぎでしょう。
〉一つ一つ丁寧にお答えしたつもりですが、
〉あまり実のあるやりとりに発展した記憶がありません。
〉新茶さんご自身も、
〉消耗されているようでした。
きちんとした返答がないので。
たとえば、今回でいえば、用語の意味。
それによって、文章の意味が違ってくるでしょう。
〉今回はどうなのでしょう?
〉同じような結果になるなら、
〉辞退するつもりです。
同じ結果になりません。
〉どういう意図で沢山の質問をなさるのか、
〉明確にしていただければ、
〉もう少し前向きになれる可能性はあります。
基本的な事項だからです。
Ry0tasanの主張が、一般的な意見なのか、独自の説なのか、検証したいからです。
それが、SSSのほかの人にとっても、Ry0tasanの説の適否を判断する助けになると思うから。
〉With respect.
これは、どういう意味ですか?
意味が明確ではないが、推測して答えます。
ここでは、皆が、対等な関係です。
そうではないのですか。
上記7点は、質問の形態を採用しているが、Ry0tasanが、本来、述べたときに、説明しておくことだったと思います。
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お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/10/26(09:28)
------------------------------
〉Ry0tasanさんへ。新茶です。
おはようございます。
新茶さん。
西洋思想について深い知識をお持ちの新茶さんから学べることも沢山あると思うので、
もうしばらくおつきあいします。
〉〉以前にも、
〉〉新茶さんから尋問というか、
〉〉質問ぜめにされた記憶があります。
〉尋問とか、質問責めとは、言いすぎでしょう。
すみませんがこれは正直な気持ちです。
一人の方から同時に4っつ以上の質問を受けると、
僕は心的な負担を感じるようなのです。
〉〉一つ一つ丁寧にお答えしたつもりですが、
〉〉あまり実のあるやりとりに発展した記憶がありません。
〉〉新茶さんご自身も、
〉〉消耗されているようでした。
〉きちんとした返答がないので。
きちんとした返答は一つも無かったという意味ですか?
それはまた手厳しいですね。
いくつかお答えできなかった質問があることは認めます。
1回の質問が三つ以内で、
僕からの回答に何らかのお返事をいただければ、
次のご質問も受け付けることにします。
〉たとえば、今回でいえば、用語の意味。
〉それによって、文章の意味が違ってくるでしょう。
用語については、
一般向けの国語辞典か、
学習者向け英英辞典でご確認ください。
そこに載っている定義や用法から外れた使い方を僕がしていると判断されたら、
1回に三つまでの範囲でご質問も歓迎します。
〉〉今回はどうなのでしょう?
〉〉同じような結果になるなら、
〉〉辞退するつもりです。
〉同じ結果になりません。
〉〉どういう意図で沢山の質問をなさるのか、
〉〉明確にしていただければ、
〉〉もう少し前向きになれる可能性はあります。
〉基本的な事項だからです。
〉Ry0tasanの主張が、一般的な意見なのか、独自の説なのか、検証したいからです。
〉それが、SSSのほかの人にとっても、Ry0tasanの説の適否を判断する助けになると思うから。
英語の "law" という単語については、
辞書で確認すれば済むと思います。
辞書に全てが載っているわけではありませんが、
少なくとも辞書に載っていることは、
一般的な認識と考えるのが妥当です。
〉〉With respect.
〉これは、どういう意味ですか?
〉意味が明確ではないが、推測して答えます。
〉ここでは、皆が、対等な関係です。
〉そうではないのですか。
英語における "respect" という単語は、
対等な関係と矛盾しません。
お互いに、
自分と違う意見に対して、
一定の respect を払うというのが、
一般的なありかただと認識しています。
(日本では違うという反論はありえますが。)
〉上記7点は、質問の形態を採用しているが、Ry0tasanが、本来、述べたときに、説明しておくことだったと思います。
ここは大学のゼミ室でもないし、
学会のフォーラムでもありません。
多読について興味のある人なら、
誰でも気楽に発言できることの方が重要だと思います。
説明不足でも構わないと僕は思っています。
疑問をお感じであれば、
1回に三つまではお答えします。
最後に、
公私ともに忙しい時期には、
数日間にわたって掲示板に書き込みできないこともあります。
それでもスレッドはどんどん下の方へ流れて行きます。
僕が質問を見落としているばあいは、
再質問してくださっても結構です。
Happy reading!
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Ry0tasanさんへ。主観の新茶です。
今回のRy0tasanの以下のレスは、私の理解が正確でなければ、それに答えても、「意味が違っています」と答えられてしまうでしょう。
Ry0tasanは、以前にも、相手の返答に、、「意味が違っています」と答えているのを、一度ならず見ましたが、私も、Ry0tasanの見解を、その相手の人と同じように受け取るのが、文面上相当だと思ったことがありました。
しかし、そんなことを言っていても始まらないので、Ry0tasanの見解を検証し、推測してみます。
その検証・推測が、正確でないと、私のレスの答えが、でないでしょう。
見ている人も、Ry0tasanのレスの意味がわからないか、誤解すると思います。
〉〉科学における法則も、
〉〉議会で決める法律も、
〉〉英語では "law" と言います。
〉〉一般的な理解としては、
〉〉わざわざ別の名称をつける必要はなく、
〉〉同じようなことを言っているのだから同じ "law" で支障がないわけです。
〉〉通説とはそういう意味でしょう。
〉もう少し詳しく書かれると、意図が分かるのですが、次のような意味でしょうか。
〉この短い文章を読むと、次のように解釈されますが(下記(1))、それでいいのでしょうか。
〉また、次のような点(下記(2)以下)は、どう理解しているのでしょうか。
〉すわなち、
〉Ry0tasanの理解によると、
〉(1) 私とたかぼんさんが、西洋思想の基本の一つの思想の通説か否かを述べていた、その通説とは、「英語のlawは、科学における法則と、議会で決める法律の2つであること、そして、科学における法則と、議会で決める法律とは、lawということでは同じである、ということだ」と理解されて、上記文章を書かれたのでしょうか。
Ry0tasanは、上記理解をしたものと判断した。
もし、わたしのその判断が正しければ、わたしとたかぼんさんの意見交換の内容とは、まったく異なった次元のことを、Ry0tasanは、述べている。
もし、その判断が違っているのなら、意見交換の内容と、Ry0tasanの主張は、どういう結びつきがあるのだろう。
〉(2)ach758さんとたかぼんさんの「スポーツと英文法の規則(ルール)の異同論争」でも、同じようなことを書いており(番号2169)、そこでは、「科学の法則」ではなく、「自然の法則」と書いていますが、上記投稿の「自然の法則」を「法律」と比較しているということは、「自然の法則」とは、「自然科学の法則」を指すという意味で、書かれたのでしょうか
Ry0tasanの答えは、YESと判断した。
〉(3)社会科学の法則という概念は、どのように理解されていますか。
Ry0tasanは、社会科学の法則という概念は、認めないと考えておられる可能性が高いと思われる。
〉(4)法律は、社会科学の法則という理解ですか。
上記(3)を前提とすると、Ry0tasanは、法律は、社会科学の法則ではないと考えていると思われる。
〉(5)日本語の「法則」の定義は、何であると理解されていますか。
不明。ここは、重要な点。
〉(6)英語でlawのみ、法則と翻訳する言葉ですか。
おそらく、Yesと考えておられると思われるが、NOの可能性もある。
ここも、かなり重要。
〉(7)ach758さんのところで、英文法は、せいぜい「作法」であると主張していますが、ここで日本語の「作法」とは、作法にいろいろある意味のうち、「礼儀作法」という意味ですか。
Yesと考えておられると判断する。
ただし、礼儀作法の内容は、明確ではない。
ここも、重要。
私は、ちなみに、英文法は、礼儀作法も含むが、大前提として、法則であると思っている。
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お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/10/26(16:28)
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主観の新茶さんがもうご自身で回答をお書きになっており、
僕からの回答をお望みなのか分かりませんが、
とりあえず最初の三つにお答えしておきます。
〉Ry0tasanさんへ。主観の新茶です。
〉〉新茶さん、
〉〉お久しぶりです。
〉おひさしぶりです。
〉〉科学における法則も、
〉〉議会で決める法律も、
〉〉英語では "law" と言います。
〉〉一般的な理解としては、
〉〉わざわざ別の名称をつける必要はなく、
〉〉同じようなことを言っているのだから同じ "law" で支障がないわけです。
〉〉通説とはそういう意味でしょう。
〉もう少し詳しく書かれると、意図が分かるのですが、次のような意味でしょうか。
〉この短い文章を読むと、次のように解釈されますが(下記(1))、それでいいのでしょうか。
〉また、次のような点(下記(2)以下)は、どう理解しているのでしょうか。
〉すわなち、
〉Ry0tasanの理解によると、
〉(1) 私とたかぼんさんが、西洋思想の基本の一つの思想の通説か否かを述べていた、その通説とは、「英語のlawは、科学における法則と、議会で決める法律の2つであること、そして、科学における法則と、議会で決める法律とは、lawということでは同じである、ということだ」と理解されて、上記文章を書かれたのでしょうか。
科学における法則と議会で決める法律の二つだけではないかもしれません。
単に代表的な二つを挙げただけで、
ほかにも存在する可能性は否定しません。
いずれにしても、
この二つは実質的に同じものとして認識されていると思います。
〉(2)ach758さんとたかぼんさんの「スポーツと英文法の規則(ルール)の異同論争」でも、同じようなことを書いており(番号2169)、そこでは、「科学の法則」ではなく、「自然の法則」と書いていますが、上記投稿の「自然の法則」を「法律」と比較しているということは、「自然の法則」とは、「自然科学の法則」を指すという意味で、書かれたのでしょうか
そうです。
自然の法則も自然科学の法則も実質的には同じと考えております。
〉(3)社会科学の法則という概念は、どのように理解されていますか。
最初はこの質問が漠然としていて答えにくかったんですが、
新茶さんご自身の推測をもとに判断すると、
社会科学の法則が存在することを僕が認めるかどうかということらしいですね。
これは存在すると思います。
西欧の一般人がどう認識しているかは分からないし、
自然科学の法則より発見や証明が難しいと思いますが、
きっと存在するだろうと個人的には考えております。
社会現象の根底にある法則とか、
社会を動かしている法則と言った方が、
僕としては理解し易いです。
今回はここまでにします。
返事を強要すべきでないというご指摘も上の方で出ておりますが、
もともと新茶さんからの要請に僕が答えているという経緯に鑑み、
この投稿に対するお返事をいただいてから、
4番以降にお答えするつもりです。
(ソレイユさん、ごめんなさい。)
ちゃんとした返事ではないと判断されたばあいでも、
せめて「読みました」ぐらいのお返事をいただけると嬉しいです。
(義務ではありません。)
こちらとしては急ぎませんが、
日数が経ったばあいは、
新しいトピックにしていただけると、
助かります。
以上。
〉(4)法律は、社会科学の法則という理解ですか。
〉(5)日本語の「法則」の定義は、何であると理解されていますか。
〉(6)英語でlawのみ、法則と翻訳する言葉ですか。
〉(7)ach758さんのところで、英文法は、せいぜい「作法」であると主張していますが、ここで日本語の「作法」とは、作法にいろいろある意味のうち、「礼儀作法」という意味ですか。
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お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/10/28(07:56)
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返事を強要すべきでないというご指摘がソレイユさんと管理人さんから出ているので、
それにそった補足をします。
主観の新茶さんから出された七つの質問に対して、
三つまでお答えしました。
これに対して新茶さんからのお返事がなくても、
僕は一向に気にしません。
悲しんだり、
怒ったりもしません。
三つまでならそんなに多くの質問でもないと思うので。
四つ目以降の質問に対しては、
新茶さんのお返事があれば、
できるだけお答えするようにします。
決してお返事を要求しているわけではありません。
新茶さんの方で拒否なさる権利は保証いたします。
お返事いただければ望外の幸せですが、
お返事いただけなくても全く問題ないです。
もし気分が乗って時間があれば、
お返事がなくても、
僕の方で勝手に、
四つ目以降の質問にお答えする可能性もあります。
答えるかもしれないし、
答えないかもしれないという意味です。
この補足に対しても、
ご気分がのらないとか、
お忙しいとか、
ちゃんとした補足でないと判断されるばあい、
お返事は不要です。
以上
Happy reading!
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お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/1(20:43)
------------------------------
Ry0tasan さんへ。主観の新茶です。
返事したくなかったわけではありません。
Ry0tasan の方法で、英書を読む方法として、採用できる範囲及び方法、適合できる人の範囲等を検討したいのです。
10年間程度の学習が必要であると近時述べておられるが、これは、たとえば、1日6時間くらいは、いや、もっと、英語に没頭できる環境だっだのではないかなどと考えます。
Ry0tasan の情報を収集しているが、情報が不足しているので、残りの点も、お答え願いたいと思います。
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お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/11/2(09:19)
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〉Ry0tasan さんへ。主観の新茶です。
〉返事したくなかったわけではありません。
お元気ですか?
お互いに、
書き込みできない日が続くことはあるでしょう。
〉Ry0tasan の方法で、英書を読む方法として、採用できる範囲及び方法、適合できる人の範囲等を検討したいのです。
僕が78年から80年代に実践し、
大人むけの英書を読めるようになった方法について書いているばあい、
単にそういうことをしていたという事実をお知らせしているだけで、
みなさんにお勧めするつもりもありません。
SSSのような団体も無かったし、
具体的にどこから手をつけたら良いのかを日本語で詳しく解説した本も見つかりませんでした。
手探りの試行錯誤でした。
参考になる部分もあるし、
反面教師的に受け止めてくださった方が良いばあいもあるでしょう。
〉10年間程度の学習が必要であると近時述べておられるが、これは、たとえば、1日6時間くらいは、いや、もっと、英語に没頭できる環境だっだのではないかなどと考えます。
英語を訳さず、
習うより慣れろ式で大量に摂取する方法を始めて、
最初の9ヶ月間ぐらいは確かに没頭していました。
そのあとは、
大学生同士で雑談したり、
オーケストラの練習に出席したり、
家庭教師や廃品回収のアルバイトをしたりで、
英語を読む時間は細切れでした。
近所にあるコーヒー店で読むことが多かったです。
テレビは見なかったので、
その時間を読書にあてることはできました。
習うより慣れろ式を始めてから、
Lady Chatterley's Lover を読み通せるようになるまで、
3年はかかっていません。
10年かかったのは、
受験のために訳語と対応させて暗記した1000語で、
この訳語がポップアップしてこなくなるまでに要した unlearning の歳月のことかもしれませんね。
もっと基本的で出現頻度の高い単語は、
子どもむけ英英辞典などでやり直したし、
もっと難しい単語は英英辞典を何冊か読み比べて理解するようにしていました。
ですから、
おおむね本は読めていたと思います。
訳語の出てくる単語でときどき引っかかっていたというところですね。
読む速度をもっと上げて、
英語を聴く行為との隙間を埋めたかったのです。
適用範囲については、
大都市の大きな書店や図書館へ定期的に出かけて行くことができる環境に居ることが、
必要条件だと思っています。
それから、
絵の多い本や子ども向けの本は絶対に読みたくないという人には、
適用が難しいでしょうね。
〉Ry0tasan の情報を収集しているが、情報が不足しているので、残りの点も、お答え願いたいと思います。
僕がどういう人物かを調べるより、
まりあさんの新しい本を読まれた方が、
本格的な英書を読めるようになるまでの道のりとしては速いかと思いますが、
そう簡単に納得していただけないだろうとも思います。
質問の6まではお答えしました。
7番目も近いうちにお答えするつもりです。
Happy reading!
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お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/11/2(07:41)
------------------------------
お待たせしました。
それでは質問の4番目から6番目のところをご覧ください。
〉Ry0tasanさんへ。主観の新茶です。
〉〉新茶さん、
〉〉お久しぶりです。
〉おひさしぶりです。
〉〉科学における法則も、
〉〉議会で決める法律も、
〉〉英語では "law" と言います。
〉〉一般的な理解としては、
〉〉わざわざ別の名称をつける必要はなく、
〉〉同じようなことを言っているのだから同じ "law" で支障がないわけです。
〉〉通説とはそういう意味でしょう。
〉もう少し詳しく書かれると、意図が分かるのですが、次のような意味でしょうか。
〉この短い文章を読むと、次のように解釈されますが(下記(1))、それでいいのでしょうか。
〉また、次のような点(下記(2)以下)は、どう理解しているのでしょうか。
〉すわなち、
〉Ry0tasanの理解によると、
〉(1) 私とたかぼんさんが、西洋思想の基本の一つの思想の通説か否かを述べていた、その通説とは、「英語のlawは、科学における法則と、議会で決める法律の2つであること、そして、科学における法則と、議会で決める法律とは、lawということでは同じである、ということだ」と理解されて、上記文章を書かれたのでしょうか。
〉(2)ach758さんとたかぼんさんの「スポーツと英文法の規則(ルール)の異同論争」でも、同じようなことを書いており(番号2169)、そこでは、「科学の法則」ではなく、「自然の法則」と書いていますが、上記投稿の「自然の法則」を「法律」と比較しているということは、「自然の法則」とは、「自然科学の法則」を指すという意味で、書かれたのでしょうか
〉(3)社会科学の法則という概念は、どのように理解されていますか。
〉(4)法律は、社会科学の法則という理解ですか。
いいえ。
個人的な見解としては、
別だと考えています。
英語文化圏の庶民が、
両者を似通ったものとして日常的に認識しているとは思いますが、
実際に社会科学の研究をしている人も、
立法の仕事をする人も、
この両者を同一視してはいないと思います。
〉(5)日本語の「法則」の定義は、何であると理解されていますか。
これについては国語辞典をご覧ください。
〉(6)英語でlawのみ、法則と翻訳する言葉ですか。
いいえ、
英語にも同意語は沢山あるし、
翻訳者の判断次第で、
「法則」と表現されることもありえます。
7番目はまたの機会にさせていただきます。
〉(7)ach758さんのところで、英文法は、せいぜい「作法」であると主張していますが、ここで日本語の「作法」とは、作法にいろいろある意味のうち、「礼儀作法」という意味ですか。
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/11/3(07:31)
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お待たせしました。
7番目の回答は、
この投稿の一番下をご覧ください。
〉Ry0tasanさんへ。主観の新茶です。
〉〉新茶さん、
〉〉お久しぶりです。
〉おひさしぶりです。
〉〉科学における法則も、
〉〉議会で決める法律も、
〉〉英語では "law" と言います。
〉〉一般的な理解としては、
〉〉わざわざ別の名称をつける必要はなく、
〉〉同じようなことを言っているのだから同じ "law" で支障がないわけです。
〉〉通説とはそういう意味でしょう。
〉もう少し詳しく書かれると、意図が分かるのですが、次のような意味でしょうか。
〉この短い文章を読むと、次のように解釈されますが(下記(1))、それでいいのでしょうか。
〉また、次のような点(下記(2)以下)は、どう理解しているのでしょうか。
〉すわなち、
〉Ry0tasanの理解によると、
〉(1) 私とたかぼんさんが、西洋思想の基本の一つの思想の通説か否かを述べていた、その通説とは、「英語のlawは、科学における法則と、議会で決める法律の2つであること、そして、科学における法則と、議会で決める法律とは、lawということでは同じである、ということだ」と理解されて、上記文章を書かれたのでしょうか。
〉(2)ach758さんとたかぼんさんの「スポーツと英文法の規則(ルール)の異同論争」でも、同じようなことを書いており(番号2169)、そこでは、「科学の法則」ではなく、「自然の法則」と書いていますが、上記投稿の「自然の法則」を「法律」と比較しているということは、「自然の法則」とは、「自然科学の法則」を指すという意味で、書かれたのでしょうか
〉(3)社会科学の法則という概念は、どのように理解されていますか。
〉(4)法律は、社会科学の法則という理解ですか。
〉(5)日本語の「法則」の定義は、何であると理解されていますか。
〉(6)英語でlawのみ、法則と翻訳する言葉ですか。
〉(7)ach758さんのところで、英文法は、せいぜい「作法」であると主張していますが、ここで日本語の「作法」とは、作法にいろいろある意味のうち、「礼儀作法」という意味ですか。
あえて言えば "no" です。重なる部分もありますが、重ならない部分もあります。全く同一とは言えません。文法的な表現でも礼儀としてお薦めできないことはあります。このほかに、「作法」という表現を使った理由は二つあります。
1. いわゆる "English grammar" というのは、単語をつなげて英文を作る方法、つまり英文作成法です。そういう意味で作法と言えます。
2. どういう文が文法的かは、一部は合理性に基づくばあいもありますが、社会的に決定されることもあります。たとえば "go" の過去形には "goed" という合理的・規則的な形もありましたが、社会的に認められていないので、文法的な表現として認識されていません。本来 "wend" の過去形だったはずの "went" が使われているというわけです。
以上です。
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お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/8(21:28)
------------------------------
新茶です。
お忙しいところ、非常に感謝です。
私の考えと同じ思想の持ち主は、いないものかと思っていました。
捜し求めていたわけではないのですが、たまたま読書するうちに、私の考えと、同趣旨の本を見つけました。
内田義彦「読書と社会科学」岩波新書 黄色版 288
2007年版で、35刷りです。
大学の経済学の老先生ですね。
これを読んでもらえると助かります。
互いの概念の統一のため。
お互いに違った概念で話していても、仕方がありません。
この本は、社会科学を超えた一般的内容です。
一般人の読書会で講演した内容をも、基礎としています。
「ウェーバーを読むとは、ウェーバーのように考えることのできる読み方」
「本を読んで楽しいの意味」
は、私とまったく同じ考え方です。
「法則」については、160ページ以下。
「勉強」については、117ページ以下。
ここも、私が、昔から、習っていた事柄と同じです。
勉強の概念及び学問との関係は、ryOtasanさんも、ネットで書かれていますね。
今までのお答えについては、よく読んでいますが、完全には分かりにくい説明もあり、隔靴掻痒の感もありますが、今回は、お聞きする項目は、なしです。
それでは
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お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/11/9(07:29)
------------------------------
〉新茶です。
〉お忙しいところ、非常に感謝です。
主観の新茶さん、
お元気そうでなによりです。
〉私の考えと同じ思想の持ち主は、いないものかと思っていました。
〉捜し求めていたわけではないのですが、たまたま読書するうちに、私の考えと、同趣旨の本を見つけました。
〉内田義彦「読書と社会科学」岩波新書 黄色版 288
〉2007年版で、35刷りです。
〉大学の経済学の老先生ですね。
有名な学者ですね。
僕は読んだことが無いですが。
〉これを読んでもらえると助かります。
〉互いの概念の統一のため。
〉お互いに違った概念で話していても、仕方がありません。
国語辞典に載っている定義とは違う意味合いで僕たちが日本語を使っているようなら、
ご指摘ください。
新茶さんご自身が国語辞典とは違うお考えをお持ちなら、
新茶さんによる定義をお願いします。
勿論、
国語辞典が100パーセント正しいとは限らないし、
社会科学における定義の方が正しいばあいだって、
あるかもしれません。
〉この本は、社会科学を超えた一般的内容です。
〉一般人の読書会で講演した内容をも、基礎としています。
〉「ウェーバーを読むとは、ウェーバーのように考えることのできる読み方」
〉「本を読んで楽しいの意味」
〉は、私とまったく同じ考え方です。
〉「法則」については、160ページ以下。
〉「勉強」については、117ページ以下。
〉ここも、私が、昔から、習っていた事柄と同じです。
こういうばあいも、
まずは新茶さんご自身による定義を説明をいただけると、
助かります。
法則については既にご意見を伺っているので、
勉強の方だけで結構です。
それを拝見してから、
内田先生の岩波新書を読もうと思います。
〉勉強の概念及び学問との関係は、ryOtasanさんも、ネットで書かれていますね。
あれもそんなに非常識な考えではないと思いますが、
ある程度の説明は必要だと思って書きました。
〉今までのお答えについては、よく読んでいますが、完全には分かりにくい説明もあり、隔靴掻痒の感もありますが、今回は、お聞きする項目は、なしです。
〉 それでは
質問が形になるまで日数がかかることもあるでしょう。
こちらとしても全てをご説明もうしあげたわけではありません。
いずれまたの機会とさせていただきます。
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新茶です。
勉強の定義は、直ぐに書けますが、正確にするために、出典を示すと長くなるし、少し時間を下さい。
追伸:追伸を書くのも変かもしれませんが、今週の回答は、困難かもしれません。悪しからず。11月16日、記。
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488. Re: 勉強の定義 漢詩による由来 内田義彦著「読書と社会科学」等
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/24(20:54)
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Ry0tasanさんへ。こんにちは。
主観の新茶です。
第1 勉強の定義等
1 勉強の定義
勉強とは、「自らを強いて励まし、楽しみを得るべく、行動すること」である。
勉強とは、「楽しみは、少し無理をして努力しても享受すべきこと」をいう、と言って同義である。
同じく、勉強とは、「人生、短いのだから、機会を見つけ、無理をしてでも楽しむべし、の意」である。
2 内田義彦 「読書と社会科学」
私の見解は、上記内田著「読書と社会科学」P117〜P132と同趣旨である。
意の足りない点は、上記内田著を参照されたい。
上記著書に、漢詩3つが引用されているので、第2に記す。
いずれも、勉強の語の由来として代表的な詩である。
第2 漢詩の出典
1 白楽天 『東城に春を尋ぬ』
老色、日に面に上り、歓情、日に心を去る。
今、既に昔に如かず。後、当に今に如かざるべし。
今なお、未だ甚だしくは衰えず。事毎に、力、任うべし。
花時、なお、出づるを愛し、酒後、なお、よく吟ず。
ただ恐る。かくの如き趣も、また日に随って消沈せんことを
東城の春、老いんと欲す、勉強して、一たび来尋す。
(句読点を付与)
2 欧陽脩 『酔翁亭の記』
造化は、無情、物を選ばず。春色、また至る、深山の中。
山桃、渓杏、意思少なきも、自ずから、時節を逐いて、春風に開く。
花を看る遊女は、醜さを知らず。古粧、野態、花の紅と争う。
人生の行楽、勉強にあり。酒あらば、そむくなかれ、瑠璃の盃に。
主人、笑うなかれ、花と娘と。
ああ、汝、自ずから、これ、花前の翁なり。
(句読点を付し、難読漢字を、適宜、別の漢字またはひらがなに変更)
原文
豊楽亭小飲 欧陽修
造化無情不択物 春色亦到深山中
山桃渓杏少意思 自趁時節開春風
看花遊女不知醜 古粧野態争花紅
人生行楽在勉強 有酒莫負瑠璃鍾
主人勿笑花與女 嗟爾自是花前翁
3 陶淵明 『雑詩』
人生、根帯なし。飄として、陌上の塵の如し。
分散して、風を逐いて転ず。これ、已に常の身にあらず。
地に落ちて、兄弟となる。何ぞ、必ずしも骨肉の親のみならんや。
歓楽を得ては当に楽しみを作すべし。斗酒、比隣を集む。
盛年、重ねて来たらず。一日、再び晨になり難し。
時に及びては、当に勉励すべし。歳月、人を待たず。
(句読点を付し、難読漢字を、適宜、別の漢字またはひらがなに変更)
第3 その他
1 漢詩における「勉強」等の意味
第1の白楽天、勉強とは、「人生は、短いのだから、適当にする行動するという怠け者根性は捨てて、真の楽しみは勉強にあることを再三経験することにある。」という意味である。
第2の欧陽脩、勉強とは、「人生の楽しみは、応分に、ほどほどに、などといわず、無理やりにでも享受すべきである。酒に背を向けるな。田舎の娘も、存分、春を楽しみ、今を盛りと咲き誇る花と、美しさを競う。お前も、一個の存在として、人生を楽しむべきだ。」という意味である。一海知義氏・漢学者による。
第3の陶淵明、勉励とは、「勉強と同じ意味であり、学問や仕事を一生懸命することだけせよと述べているのではなく、それも大事だが、朝は、二度と来ないの例えどおり、機会を逃さず、自分のやりたい楽しみを尽くせ」という意味である。稲田孝氏・漢学者による。
同稲田孝氏に依拠すると、勉励は、「努力」と同じ言葉であり、第3の詩は、夫が妻に送った蘇武の漢詩「努力して春華を愛せよ。歓楽の時を忘るることなかれ」と同じ心境であると説明する。
2 一部の場面に変容して使用される現代の勉強の意味
「市場で主婦が八百屋に値段の勉強を迫る」「親が子供に学校の勉強をせよと迫る」などの「勉強」には、漢詩の意と同じく、最小限、「強いる」という意味で、由来に忠実であるが、その余の意味は、忠実ではないという指摘は、上記内田著に記載されているとおりである。
3 仕事における勉強という言葉の現代の使われ方
仕事で、勉強という言葉は、悪い意味で使われることはないし、意識して使われることもないが、自然に「この点を勉強しよう」などという使い方は、当然なされる。
つまり、勉強は、自発的に自ら強いて行うという本来の意味で使用している。
他から指示される場合も、これを自分の為にもなると置き換えて、自ら強いて行うという本来の意味で使用している。
高校までの学校勉強の意味に使われることはないし、暗記勉強の意味に使われることもない。
暗記で対処できる分野は、勉強する範囲が狭いといっていいだろう。
覚えることも多く、また、覚えただけでは仕事はできず、応用力及び判断力を求められる勉強は、暗記では対処できないが、これが、大学における勉強、さらに、社会における勉強である。
4 「お勉強」の意味
私は、「お勉強」という言い方は、SSSの投稿を見るまで、知らなかった。
この言い方が、いつごろ出現したかは、知らない。
しかし、最近、竹中平蔵氏が、「お勉強」という用語を使用しているのを発見したが、同氏は、「お勉強とは、高校までの暗記を主体とする英語・数学等の学校勉強、または社会に出てからの学校勉強に近似する暗記主体の英語等の学校類似勉強」という内容の定義を述べており、「このような『お勉強』も、一部必要である」という見解を開陳されている。
第1の漢詩の訳及び解説は、上記内田著を、第2及び第3の漢詩の訳及び解説は、漢詩一日一首、中国の故事と名言500選、いずれも平凡社を、それぞれ参照した。
以 上
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490. Re: 勉強の定義 漢詩による由来 内田義彦著「読書と社会科学」等
お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/11/27(20:42)
------------------------------
〉 Ry0tasanさんへ。こんにちは。
〉 主観の新茶です。
詳しい解説をありがとうございます。
『読書と社会科学』の勉強に関する箇所を読んでみました。
〉第1 勉強の定義等
〉1 勉強の定義
〉 勉強とは、「自らを強いて励まし、楽しみを得るべく、行動すること」である。
〉 勉強とは、「楽しみは、少し無理をして努力しても享受すべきこと」をいう、と言って同義である。
〉 同じく、勉強とは、「人生、短いのだから、機会を見つけ、無理をしてでも楽しむべし、の意」である。
すみませんが部分と全体を混同してらっしゃいませんか。
〉
〉2 内田義彦 「読書と社会科学」
〉 私の見解は、上記内田著「読書と社会科学」P117〜P132と同趣旨である。
〉 意の足りない点は、上記内田著を参照されたい。
〉 上記著書に、漢詩3つが引用されているので、第2に記す。
〉 いずれも、勉強の語の由来として代表的な詩である。
この本に引用された三つの詩句が勉強の「由来」であると書いてあるのは、
何頁ですか?
〉第2 漢詩の出典
〉1 白楽天 『東城に春を尋ぬ』
〉 老色、日に面に上り、歓情、日に心を去る。
〉 今、既に昔に如かず。後、当に今に如かざるべし。
〉
〉 今なお、未だ甚だしくは衰えず。事毎に、力、任うべし。
〉 花時、なお、出づるを愛し、酒後、なお、よく吟ず。
〉 ただ恐る。かくの如き趣も、また日に随って消沈せんことを
〉 東城の春、老いんと欲す、勉強して、一たび来尋す。
〉 (句読点を付与)
『読書と社会科学』よれば、
上記の詩における「勉強して」というのは、
「ちょっと無理をして」という意味ですよね。(p. 125)
〉2 欧陽脩 『酔翁亭の記』
〉 造化は、無情、物を選ばず。春色、また至る、深山の中。
〉 山桃、渓杏、意思少なきも、自ずから、時節を逐いて、春風に開く。
〉 花を看る遊女は、醜さを知らず。古粧、野態、花の紅と争う。
〉 人生の行楽、勉強にあり。酒あらば、そむくなかれ、瑠璃の盃に。
〉 主人、笑うなかれ、花と娘と。
〉 ああ、汝、自ずから、これ、花前の翁なり。
〉 (句読点を付し、難読漢字を、適宜、別の漢字またはひらがなに変更)
〉 原文
〉 豊楽亭小飲 欧陽修
〉 造化無情不択物 春色亦到深山中
〉 山桃渓杏少意思 自趁時節開春風
〉 看花遊女不知醜 古粧野態争花紅
〉 人生行楽在勉強 有酒莫負瑠璃鍾
〉 主人勿笑花與女 嗟爾自是花前翁
この詩で使われている「勉強」も、
『読書と社会科学』によれば、
「無理をして」とか「努力」という意味ですね。(p. 125, 127)
「怠けもの根性をすてて」という説明もあります。(p. 125)
それから、
学問をすることではないとも言っていますね。(p. 125)
〉3 陶淵明 『雑詩』
〉 人生、根帯なし。飄として、陌上の塵の如し。
〉 分散して、風を逐いて転ず。これ、已に常の身にあらず。
〉 地に落ちて、兄弟となる。何ぞ、必ずしも骨肉の親のみならんや。
〉 歓楽を得ては当に楽しみを作すべし。斗酒、比隣を集む。
〉 盛年、重ねて来たらず。一日、再び晨になり難し。
〉 時に及びては、当に勉励すべし。歳月、人を待たず。
〉(句読点を付し、難読漢字を、適宜、別の漢字またはひらがなに変更)
この詩で使われている「勉励」も、
『読書と社会科学』では、
「怠け者根性をすてて」となりますね。(p. 128)
〉第3 その他
〉1 漢詩における「勉強」等の意味
〉 第1の白楽天、勉強とは、「人生は、短いのだから、適当にする行動するという怠け者根性は捨てて、真の楽しみは勉強にあることを再三経験することにある。」という意味である。
〉 第2の欧陽脩、勉強とは、「人生の楽しみは、応分に、ほどほどに、などといわず、無理やりにでも享受すべきである。酒に背を向けるな。田舎の娘も、存分、春を楽しみ、今を盛りと咲き誇る花と、美しさを競う。お前も、一個の存在として、人生を楽しむべきだ。」という意味である。一海知義氏・漢学者による。
〉 第3の陶淵明、勉励とは、「勉強と同じ意味であり、学問や仕事を一生懸命することだけせよと述べているのではなく、それも大事だが、朝は、二度と来ないの例えどおり、機会を逃さず、自分のやりたい楽しみを尽くせ」という意味である。稲田孝氏・漢学者による。
ここでも単語の意味と詩句全体の意味を混同されていますね。
〉 同稲田孝氏に依拠すると、勉励は、「努力」と同じ言葉であり、第3の詩は、夫が妻に送った蘇武の漢詩「努力して春華を愛せよ。歓楽の時を忘るることなかれ」と同じ心境であると説明する。
ようするに、
漢文では「勉強」でも「勉励」でも、
「努力」とか「無理をする」という意味なのでしょう。
諸橋轍次の『大漢和辞典』も調べてみました。
漢文の用例と一緒に示されている定義は、
「力を尽くしてつとめる。精を出す」だけでした。(p. 1470)
[旧漢字は新漢字に置き換えてあります。]
目的が楽しみであれ何であれ、
漢文における「勉強」とは、
努力することや無理をすることなのでしょう。
楽しみを追求するための努力という文脈で「勉強」を使うこともあるというのが、
『読書と社会科学』における「勉強」の箇所の主旨だと思います。
「勉強」という単語(熟語?)自体に楽しみを追求するという意味が入っているわけではないと思います。
〉2 一部の場面に変容して使用される現代の勉強の意味
〉 「市場で主婦が八百屋に値段の勉強を迫る」「親が子供に学校の勉強をせよと迫る」などの「勉強」には、漢詩の意と同じく、最小限、「強いる」という意味で、由来に忠実であるが、その余の意味は、忠実ではないという指摘は、上記内田著に記載されているとおりである。
たしかに漢文における「勉強」からは変質していますね。
外来語でこういう変化は良くあることです。
〉3 仕事における勉強という言葉の現代の使われ方
〉 仕事で、勉強という言葉は、悪い意味で使われることはないし、意識して使われることもないが、自然に「この点を勉強しよう」などという使い方は、当然なされる。
〉 つまり、勉強は、自発的に自ら強いて行うという本来の意味で使用している。
〉 他から指示される場合も、これを自分の為にもなると置き換えて、自ら強いて行うという本来の意味で使用している。
「自律的」を「自発的」に書き換えると、
「無理をする」という原義が消えてしまいませんか?
〉 高校までの学校勉強の意味に使われることはないし、暗記勉強の意味に使われることもない。
この箇所はどういう根拠でおっしゃっているのでしょうか?
〉 暗記で対処できる分野は、勉強する範囲が狭いといっていいだろう。
この点には大賛成です。
〉 覚えることも多く、また、覚えただけでは仕事はできず、応用力及び判断力を求められる勉強は、暗記では対処できないが、これが、大学における勉強、さらに、社会における勉強である。
この点も同感です。
『日本国語大辞典』では、
「気がすすまないことを、しかたなしにすること」という定義も載っています。
〉4 「お勉強」の意味
〉 私は、「お勉強」という言い方は、SSSの投稿を見るまで、知らなかった。
〉 この言い方が、いつごろ出現したかは、知らない。
〉 しかし、最近、竹中平蔵氏が、「お勉強」という用語を使用しているのを発見したが、同氏は、「お勉強とは、高校までの暗記を主体とする英語・数学等の学校勉強、または社会に出てからの学校勉強に近似する暗記主体の英語等の学校類似勉強」という内容の定義を述べており、「このような『お勉強』も、一部必要である」という見解を開陳されている。
「お勉強」と言うと子どもの勉強のような感じがしますが、
これについては僕も詳しいことを知りません。
70年代に多胡輝先生の本で見た様な記憶はあります。
〉 第1の漢詩の訳及び解説は、上記内田著を、第2及び第3の漢詩の訳及び解説は、漢詩一日一首、中国の故事と名言500選、いずれも平凡社を、それぞれ参照した。
最後に確認しておきます。
「人生の行楽は勉強にあり」という詩句における「勉強」は、
「学問をする」という意味ではないと言うわけですね。
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1617. 貴君の主張をつぶさに検討したが,「勉強の定義」を訂正すべき点は全くない。
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2015/1/4(00:08)
------------------------------
1 貴君の主張をつぶさに検討したが,訂正すべき点は全くない。
貴君は,私が物事(勉強の定義)を混同していると論難(=誤りがあると指摘し非難)したのであるけれども,貴君の批判は,該当しない。
2 すなわち,私は,これまで,勉強とは,漢文=中国古代文化において,「少し無理をしてでも楽しもうという」意味である,現代にも,同じ意味に使うべきであると主張しているところ,これを訂正する点は,全くない。
貴君は,「勉強とは,無理をする以外の意味はない。無理をして,楽しい場合もあれば,楽しくない場合もある。したがって,楽しむという付加が付いていることは,混同に当たる。」と主張している。
しかし,私は,混同していない。
私は,中国古代文化=いわゆる漢文において,楽しくない場合には,勉強という言葉は,使用していないといって良いと考えている。
これすなわち,勉強は,内在的に,楽しいという意味を包含する所以である。
私の考えは,一海知義氏の著書を見て考えたのであり,根拠を有する(漢語の知識7頁:岩波ジュニア新書)。
一海氏は,勉強という言葉自体,敢えていえば,無理をして楽しもうという意味があると述べている。
私は,この説に賛同した。
この著書を見て,なおも,貴君が自分の意見が正しく,私の見解が,混同しているというのであれば,最早,貴君の意見は,牽強付会(こじつけという意味)にすぎないというべきであろう。
3 さて,貴君は,私が,言葉の使い方を「混同した」と主張するのである。
貴君は,「勉強」という言葉は,本来,楽しむ・楽しまないとは関係がない無色の言葉で,単に「無理をする」という意味である,しかるに,私が引用した詩は,勉強を楽しむという文脈で使用している,この詩で,「無理して楽しむ」という意味が出てくるのは,詩の内容からであって,勉強という言葉の本来の意味ではない,したがって,貴君の指摘は,楽しむという限定解釈を施した私の見解は,「今回の詩の内容で使われる勉強の意味と,勉強という語句そのものの意味とを混同している」という趣旨である。
4 再度,結論をいうと,私は,混同をしていない。
混同しているという貴君の主張は,揚げ足取り(=言葉尻にいちゃもんを付けていること)である。
5 まず,非限定で「無理をする」場合と,限定概念である「楽しんで」「無理をする」とは,前者を○とすると,後者は,その○の中に○を書いた,つまり,◎の内側の丸になる。
包含関係である。
貴君の言わんとする「混同」は,比喩で言えば,蛇足(=余分なこと)である。「蛇足=楽しいという意味が付加しているのは,余分なこと」である。
6 ところで,混同とは,(1)AとBは,異なる概念であることを前提として,AをBと間違えるという意味と,(2)AとBを混和して,Cとなすという2つの意味がある。
私は,仕事上,(2)の意味も使う。
しかし,(2)の意味は,一般には,馴染みがない。
貴君は,(1)の意味で「混同」を使用しているのは,明らかである。
混同とは,一般には,例えば,公私混同のように,公と私という異なる概念を前提として,これを混同しているという使い方をするのである。
私は,Aを,Aと異なるBと間違えたのではない。
AとBは,「楽しむ」が付加されるかどうか,包含関係(=包摂関係)にある。
別の言い方をすると,AとBは,大は小を兼ねるという拡大概念又は縮小概念の関係にある。
異なる概念ではない。
貴君は,A=部分=「勉強」という語句そのものを,B=全体=詩句の中の意味と間違えたのだから,混同であるというのである。
しかし,間違えたことが,すべて「混同」という概念になるのではない。
「楽しまないで≒苦しんで,無理をする」という概念が,限定がない無色の「無理をする」という概念に包摂されるという問題である。
包摂するか,包摂されるかという関係の相違は,「混同」とはいわない。
2つの概念が,良く似た類似概念で異なる場合には,取り間違えたときに,混同したと表現しても良いかもしれない。
しかし,貴君は,包含関係ないし包摂関係にある場合,言い換えると,大は小を兼ねる場合に,大を小と間違えたという意味で,混同したと表現したのである。
貴君の使い方は,まあ,大目に見て,百歩譲れば,完全に間違った日本語の使い方だと,切って捨てることは,できないかも知れないな。
しかし,貴君は,「混同」という日本語を,少なくとも,適切には,使っていない。
貴君は,私のみならず,大学で,学生相手に,間違っているというときに,「混同している」という言い方を多用されるものと思われる。
7 第2に,貴君は,漢和辞典のみを見て,言葉の定義を論ずるという弊を犯している。
貴君は,かねがね,1979年(昭和54年)という貴君が19歳のころから辞典に頼らず英語を,とくに,主として小説に特化して読もうという主義を貫徹し,翻訳物は読まず,新聞とテレビを知識のよりどころとし,さらに,基本的に各種分野の専門書・啓蒙書等は読まないというやり方で,大学の英語の先生をしているところである。
辞典を見て,勉強の定義を云々するのは,辞書を見ないという貴君の主義に反しているのではないだろうか。
勉強というような昔からある言葉で,現在も使われている言葉は,権威ある漢和辞典を調べたことを以てのみ,定義を論ずるのは,軽率のそしりを免れないであろう。
8 第3に,貴君は,以下の区別を,明確にしていない。
勉強など漢字熟語は,(1)漢文=中国古典語,(2)現代中国語,(3)明治前の日本語,(4)現代日本語=漢語の4種類を混同しないで,区別しなければならない。
(1)は,これまで私が述べた定義のみ存在する。
(2)の現代中国語は,「無理をする」という無色の意味しかない。
貴君の掲げる定義である。
(3)は,(1)の意味で使用するほか,勉強=学問の意味も,少なくとも,江戸末期ころには,使われるようになったと思われる。
(4)は,(3)に付加すること,(ア)「嫌々義務教育の学習をさせられる」,(イ)「物の値段をまけて安くする」(ウ)「失敗したが,良い経験になった」「成功し,良い経験になった」などという意味などにも使用する。
私は,(1)の意味は,現代の日本(4)でも,通用しているし,仮に間違った使い方をしている者にも教えて,通用させなければならないと主張しているのである。
追加すると,現代日本語としての勉強は,学問という意味も,もちろん,ある。
勉強は,「強いて何々する」という意味もあるが,その場合には,勉強は,もちろん,学問の意味ではないが,勉強の対象となるものには,学問が含まれる。
「強いて学問をする」という言い方の場合は,「学問を勉強する」という言い方が,できるのである。
9 第4に,貴君は,当時の状況を無視し,方向違いの「あさって」の論述をして,私の意見を,くさ(腐)している。
私は,この投稿のころ,当時大学の英語の教師であったtadokuの酒井さんを含め,投稿者の多くの人が,「世間には,親から無理に嫌々強制されて学習した人が多い」から,「親から無理に嫌々強制されて学習した」ことが,「勉強」であって,勉強という言葉は,使わないようにしようとか,勉強しないで英語をやろう,そもそも,勉強はしないでおこうとか強く主張しており,そのため,投稿において勉強という言葉を使う投稿者がいると,勉強はダメだなどと指摘するなどという発言があったから,私は,そういう状況を憂い,「勉強」という言葉を使わないという態度は,狭量であって,間違っているということを言わんがために投稿したのである。
そんなことくらいさえ,貴君は,読み取れなかったのか。情けないね。
私は,勉強という言葉が,辞書によっては,単に「無理して行うこと」と書いてあり,「楽しんで無理すること」とまで書いてないものがあることくらい知っていた。
しかし,勉強という言葉が,「強」という言葉に引きずられるのか,酒井さんをはじめ,投稿者が,「嫌々強制される」という意味で,「勉強」という言葉を用いている状況を間違っていると指摘し,正しく改めたほうが良いと指摘するいう意味で,投稿したのである。
私の定義に従えば,当時,酒井さんをはじめ多くの投稿者は,勉強していたのである。
もちろん,今も,勉強しているのである。
貴君の投稿は,こういう私のもくろみを台無しにするような場違いな発言であった。
10 ところで,貴君は,勉強という言葉は,外来語であるところ,外来語は,在来語=土着語(日本語の場合は,和語=大和言葉が,在来語である)に比較し,意味の変容が多いと述べている。
しかし,外来語であろうが,土着語であろうが,意味の変容の確率に,差異があるという証拠(=学問成果)は,ないと思われる。
貴君の根拠のない偏見であろう。
11 勉強は,もはや,日本語になっている。
日本人が使っている勉強という言葉=漢語は,日本語なのである(日本語になっている中国語を漢語と呼ぶ)。
貴君は,勉強という言葉が,日本語であると思っていないのではないか。
確かに勉強という言葉は,中国からの外来語=借用語であるが,外来語であるとか,借用語であるとか,必要性もないのに,持ち出すべきではない。
しかし,貴君は,大学の英語の教師であるところ,英語において,ラテン語経由やギリシア語経由やフランス語経由などの外来語は,元々の英語ではない,元々の英語を学ぶべきであると主張しているから,区別したがるのだろうね。
貴君の主張は,英語らしい英語は,ラテン語経由など外来の英語ではなく,元々のゲルマン語の土着語の英語であるというのである。
だから,私が,かつてラテン語など経由の英語の語源の話をしたら,貴君は,私とのやりとりの末,最後には,私に対し,そんな英語の知識習得の態度なら,英語の勉強なんか辞めてしまえなどと,くさ(腐)したんだね。
しかし,英語らしい英語などという発想をすること自体が,不要な差別だね。ラテン語経由の英語だって,りっぱに,英語らしい英語さ。
日本語だって,同じさ。大和言葉=和語が,漢語に比べ,美しいなんて主張している人がいるね。差別だね。
英語も,ラテン語やギリシア語を巧みに使える人が,ゲルマン土着英語の巧みな使い手でもあった。
漢語も,たとえば,使い方によって,雄渾な美しさがあるさ。大和言葉も,たとえば,使い方によって,たおやかな美しさがある。
そして,古来,人の心に染み入るような漢語の使い手であってこそ,おなじく,人の心に染み入るような大和言葉が,使えたのさ。
これは,歴史の示すところである。
使い方によって,漢語も和語も,美しくも美しくなくもなるさ。この場合,単に美しいとか美しくないというのは,偏見だね。
たおやかとか,雄渾なとか,少なくとも,ひとこと,形容があるべきだろうね。
昔の言葉で残っている大和言葉の文章は,漢文の巧みな使い手でもあった。漢文を巧みに使えないで,和語を巧みに使えないのさ。
貴君の意見は,日本語の中で,漢語より,和語=やまとことばの方が,より日本語らしいという一部の人の見解と,同じようなものだね。
私の見解は,漢語もやまとことばも,同じ価値を持って,日本語らしいという考えだ。
ヒマではないが,積年,気になっていたことが,やっと書けた。
ネットで,「勉強の定義」を見ると,昔は,私の上記投稿は,1位だった。
今は,約140万件中,3位だ。
きちんとしたものを書いて良かったと思う。
個別の解答は,以下に補足して記載する。
"Ry0tasan"さんは[url:kb:490]で書きました:
〉〉 Ry0tasanさんへ。こんにちは。
〉〉 主観の新茶です。
〉詳しい解説をありがとうございます。
〉『読書と社会科学』の勉強に関する箇所を読んでみました。
〉〉第1 勉強の定義等
〉〉1 勉強の定義
〉〉 勉強とは、「自らを強いて励まし、楽しみを得るべく、行動すること」である。
〉〉 勉強とは、「楽しみは、少し無理をして努力しても享受すべきこと」をいう、と言って同義である。
〉〉 同じく、勉強とは、「人生、短いのだから、機会を見つけ、無理をしてでも楽しむべし、の意」である。
〉すみませんが部分と全体を混同してらっしゃいませんか。
混同していない。
答えは,上記のとおりである。
「すみませんが」「らっしゃいませんか」など,敬語の使い方が,慇懃無礼かつ変である。
〉〉
〉〉2 内田義彦 「読書と社会科学」
〉〉 私の見解は、上記内田著「読書と社会科学」P117〜P132と同趣旨である。
〉〉 意の足りない点は、上記内田著を参照されたい。
〉〉 上記著書に、漢詩3つが引用されているので、第2に記す。
〉〉 いずれも、勉強の語の由来として代表的な詩である。
〉この本に引用された三つの詩句が勉強の「由来」であると書いてあるのは、
〉何頁ですか?
この本に,「由来」と書いてあろうがなかろうが,関係がない。
3つの詩句は,客観的に,勉強という言葉の由来なのであるから。
再度くまなく読んだわけではないが,おそらく,内田さんの本に,「由来」ということは,書いてないと思う。
〉〉第2 漢詩の出典
〉〉1 白楽天 『東城に春を尋ぬ』
〉〉 老色、日に面に上り、歓情、日に心を去る。
〉〉 今、既に昔に如かず。後、当に今に如かざるべし。
〉〉
〉〉 今なお、未だ甚だしくは衰えず。事毎に、力、任うべし。
〉〉 花時、なお、出づるを愛し、酒後、なお、よく吟ず。
〉〉 ただ恐る。かくの如き趣も、また日に随って消沈せんことを
〉〉 東城の春、老いんと欲す、勉強して、一たび来尋す。
〉〉 (句読点を付与)
〉『読書と社会科学』よれば、
〉上記の詩における「勉強して」というのは、
〉「ちょっと無理をして」という意味ですよね。(p. 125)
〉〉2 欧陽脩 『酔翁亭の記』
〉〉 造化は、無情、物を選ばず。春色、また至る、深山の中。
〉〉 山桃、渓杏、意思少なきも、自ずから、時節を逐いて、春風に開く。
〉〉 花を看る遊女は、醜さを知らず。古粧、野態、花の紅と争う。
〉〉 人生の行楽、勉強にあり。酒あらば、そむくなかれ、瑠璃の盃に。
〉〉 主人、笑うなかれ、花と娘と。
〉〉 ああ、汝、自ずから、これ、花前の翁なり。
〉〉 (句読点を付し、難読漢字を、適宜、別の漢字またはひらがなに変更)
〉〉 原文
〉〉 豊楽亭小飲 欧陽修
〉〉 造化無情不択物 春色亦到深山中
〉〉 山桃渓杏少意思 自趁時節開春風
〉〉 看花遊女不知醜 古粧野態争花紅
〉〉 人生行楽在勉強 有酒莫負瑠璃鍾
〉〉 主人勿笑花與女 嗟爾自是花前翁
〉この詩で使われている「勉強」も、
〉『読書と社会科学』によれば、
〉「無理をして」とか「努力」という意味ですね。(p. 125, 127)
〉「怠けもの根性をすてて」という説明もあります。(p. 125)
〉それから、
〉学問をすることではないとも言っていますね。(p. 125)
〉〉3 陶淵明 『雑詩』
〉〉 人生、根帯なし。飄として、陌上の塵の如し。
〉〉 分散して、風を逐いて転ず。これ、已に常の身にあらず。
〉〉 地に落ちて、兄弟となる。何ぞ、必ずしも骨肉の親のみならんや。
〉〉 歓楽を得ては当に楽しみを作すべし。斗酒、比隣を集む。
〉〉 盛年、重ねて来たらず。一日、再び晨になり難し。
〉〉 時に及びては、当に勉励すべし。歳月、人を待たず。
〉〉(句読点を付し、難読漢字を、適宜、別の漢字またはひらがなに変更)
〉この詩で使われている「勉励」も、
〉『読書と社会科学』では、
〉「怠け者根性をすてて」となりますね。(p. 128)
〉〉第3 その他
〉〉1 漢詩における「勉強」等の意味
〉〉 第1の白楽天、勉強とは、「人生は、短いのだから、適当にする行動するという怠け者根性は捨てて、真の楽しみは勉強にあることを再三経験することにある。」という意味である。
〉〉 第2の欧陽脩、勉強とは、「人生の楽しみは、応分に、ほどほどに、などといわず、無理やりにでも享受すべきである。酒に背を向けるな。田舎の娘も、存分、春を楽しみ、今を盛りと咲き誇る花と、美しさを競う。お前も、一個の存在として、人生を楽しむべきだ。」という意味である。一海知義氏・漢学者による。
〉〉 第3の陶淵明、勉励とは、「勉強と同じ意味であり、学問や仕事を一生懸命することだけせよと述べているのではなく、それも大事だが、朝は、二度と来ないの例えどおり、機会を逃さず、自分のやりたい楽しみを尽くせ」という意味である。稲田孝氏・漢学者による。
〉ここでも単語の意味と詩句全体の意味を混同されていますね。
混同していない。この回答は,上記のとおりである。
ここまで読んで,貴君の混同とは,何を意味するかが,わかった。
それまで,混同? 何を混同?
訳分からんこと言ってるな,という感じであった。
〉〉 同稲田孝氏に依拠すると、勉励は、「努力」と同じ言葉であり、第3の詩は、夫が妻に送った蘇武の漢詩「努力して春華を愛せよ。歓楽の時を忘るることなかれ」と同じ心境であると説明する。
〉ようするに、
〉漢文では「勉強」でも「勉励」でも、
〉「努力」とか「無理をする」という意味なのでしょう。
〉諸橋轍次の『大漢和辞典』も調べてみました。
〉漢文の用例と一緒に示されている定義は、
〉「力を尽くしてつとめる。精を出す」だけでした。(p. 1470)
〉[旧漢字は新漢字に置き換えてあります。]
〉目的が楽しみであれ何であれ、
〉漢文における「勉強」とは、
〉努力することや無理をすることなのでしょう。
〉楽しみを追求するための努力という文脈で「勉強」を使うこともあるというのが、
〉『読書と社会科学』における「勉強」の箇所の主旨だと思います。
〉「勉強」という単語(熟語?)自体に楽しみを追求するという意味が入っているわけではないと思います。
貴君は,結局,「勉強」という言葉自体に,楽しみを追求するという意味が入っているわけではないと主張したかったのですね。
だったら,最初から,そう言えば良いのに。
すみませんが混同していらっしゃるなどというから,何だろうと思って,おかしくなるんだよ。
他人に対し,「混同している」という反論の言い方は,よっぽどの根拠のある大事なことでない限り,侮辱というか,失礼に当たるんですよ。
〉〉2 一部の場面に変容して使用される現代の勉強の意味
〉〉 「市場で主婦が八百屋に値段の勉強を迫る」「親が子供に学校の勉強をせよと迫る」などの「勉強」には、漢詩の意と同じく、最小限、「強いる」という意味で、由来に忠実であるが、その余の意味は、忠実ではないという指摘は、上記内田著に記載されているとおりである。
〉たしかに漢文における「勉強」からは変質していますね。
〉外来語でこういう変化は良くあることです。
考えが間違っている,大変問題のある記載です。
貴君の「外来語でこういう変化は良くあることです。」から見ると,外来語ではない本来語は,意味の変化は,外来語に比較し,多くないとしか,読み取れない。
本来語も外来語も,意味の変化という点では,どちらが多いかというようなことは,言えないというのが,正しい答えであると思います。
〉〉3 仕事における勉強という言葉の現代の使われ方
〉〉 仕事で、勉強という言葉は、悪い意味で使われることはないし、意識して使われることもないが、自然に「この点を勉強しよう」などという使い方は、当然なされる。
〉〉 つまり、勉強は、自発的に自ら強いて行うという本来の意味で使用している。
〉〉 他から指示される場合も、これを自分の為にもなると置き換えて、自ら強いて行うという本来の意味で使用している。
〉「自律的」を「自発的」に書き換えると、
〉「無理をする」という原義が消えてしまいませんか?
原義は,消えません。
貴君の主張は,意味不明です。
自律と自発の貴君の定義は,おそらく独自であって,私と違うことから,貴君独特の発言が出てくるのでしょう。
〉〉 高校までの学校勉強の意味に使われることはないし、暗記勉強の意味に使われることもない。
〉この箇所はどういう根拠でおっしゃっているのでしょうか?
「私について」という主体表現を,わざと抜かした文章です。
〉〉 暗記で対処できる分野は、勉強する範囲が狭いといっていいだろう。
〉この点には大賛成です。
賛同いただけて,ありがとう。
しかし,貴君と私では,生きてきた分野が違うから,同床異夢,呉越同舟のたぐいである。
〉〉 覚えることも多く、また、覚えただけでは仕事はできず、応用力及び判断力を求められる勉強は、暗記では対処できないが、これが、大学における勉強、さらに、社会における勉強である。
〉この点も同感です。
〉『日本国語大辞典』では、
〉「気がすすまないことを、しかたなしにすること」という定義も載っています。
〉〉4 「お勉強」の意味
〉〉 私は、「お勉強」という言い方は、SSSの投稿を見るまで、知らなかった。
〉〉 この言い方が、いつごろ出現したかは、知らない。
〉〉 しかし、最近、竹中平蔵氏が、「お勉強」という用語を使用しているのを発見したが、同氏は、「お勉強とは、高校までの暗記を主体とする英語・数学等の学校勉強、または社会に出てからの学校勉強に近似する暗記主体の英語等の学校類似勉強」という内容の定義を述べており、「このような『お勉強』も、一部必要である」という見解を開陳されている。
〉「お勉強」と言うと子どもの勉強のような感じがしますが、
〉これについては僕も詳しいことを知りません。
〉70年代に多胡輝先生の本で見た様な記憶はあります。
〉〉 第1の漢詩の訳及び解説は、上記内田著を、第2及び第3の漢詩の訳及び解説は、漢詩一日一首、中国の故事と名言500選、いずれも平凡社を、それぞれ参照した。
〉最後に確認しておきます。
〉「人生の行楽は勉強にあり」という詩句における「勉強」は、
〉「学問をする」という意味ではないと言うわけですね。
この場合の勉強は,ちょっと無理をしてでも楽しむのであって,学問をすることを含む。
ちょっと無理をしてでも楽しむことであれば,基本的には,何でも良いのであって,学問を除外しない。
ただ,この時代の勉強は,人民のために良い世の中を実現する施策を考えたり議論したり,また,詩歌を楽しんだりすることである。
この時代の勉強は,現実には,何でも良かったわけではない。
また勉強は,現代用語としては,学問をも意味する。
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お名前: acha758 http://acha758office.seesaa.net/
投稿日: 2008/11/6(08:01)
------------------------------
最近忙しくて掲示板読めてなかったのですが、名前が出ていたので出てきました。
Re: 言語を理解する上で西欧思想の正確で実のある議論 (acha758さんへのお詫び付き)
を(最後だけ)読みました。わざわざありがとうございます。
私は完璧に消化していますので、どうぞもうお気遣いなく。
最近書き込みしていないのは、たんに時間がないだけです・・・。
復活したたかぽんさんの、熱い投稿を今後も楽しみにしています。
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/11/6(22:45)
------------------------------
acha758さん、お返事ありがとうございます。
お返事いただこうと思ってなかったのですが、完全にお呼び立てしてましたね…
すみませんでした。
〉最近忙しくて掲示板読めてなかったのですが、名前が出ていたので出てきました。
どうもすみません。。。
〉Re: 言語を理解する上で西欧思想の正確で実のある議論 (acha758さんへのお詫び付き)
〉を(最後だけ)読みました。わざわざありがとうございます。
〉私は完璧に消化していますので、どうぞもうお気遣いなく。
〉最近書き込みしていないのは、たんに時間がないだけです・・・。
はい、ほんとに、お返事いただこうと思ってませんでした。
お気を遣わせてしまって、申し訳ございません。
〉復活したたかぽんさんの、熱い投稿を今後も楽しみにしています。
熱いですか(^^; 年齢なりに冷静にならないと…
何か、皆さんにお役に立てるような投稿をと、心がけたいと思います。(心がけだけは…)
今後ともよろしくお願いします。
ありがとうございました!
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お名前: こるも
投稿日: 2008/11/6(23:01)
------------------------------
こるです。チャチャ入れです。
先に謝っておきます。すみません。
〉熱いですか(^^; 年齢なりに冷静にならないと…
おお! 冷静なたかぽん! かっこいいぜ。
cool!
ところで英語には「きゅうりみたいにクール」
という言い回しがあるって、ほんと?
すみません。本当に。
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/11/6(23:12)
------------------------------
たかぽです。
〉こるです。チャチャ入れです。
ほんまやな。
〉先に謝っておきます。すみません。
何も言えんがな。
〉〉熱いですか(^^; 年齢なりに冷静にならないと…
〉おお! 冷静なたかぽん! かっこいいぜ。
〉cool!
いや、冷静になれるとは言っていない。。
ところで、woolの本当の発音知ったとき、驚かなかった?
〉ところで英語には「きゅうりみたいにクール」
〉という言い回しがあるって、ほんと?
ほんと。
彼らの好きな頭韻?かな。
「キューカンバーの好きなカッパー」
という言い回しを今作ったって、ごぞんじ?
〉すみません。本当に。
徹底して低姿勢。
------------------------------
〉たかぽです。
やっほー。
〉〉こるです。チャチャ入れです。
〉ほんまやな。
だから、そういってんじゃん。
〉〉先に謝っておきます。すみません。
〉何も言えんがな。
えー。怒るかと思っていたのに。
〉〉〉熱いですか(^^; 年齢なりに冷静にならないと…
〉〉おお! 冷静なたかぽん! かっこいいぜ。
〉〉cool!
〉いや、冷静になれるとは言っていない。。
ならないの?
〉ところで、woolの本当の発音知ったとき、驚かなかった?
えー。しらない。
〉〉ところで英語には「きゅうりみたいにクール」
〉〉という言い回しがあるって、ほんと?
〉ほんと。
〉彼らの好きな頭韻?かな。
「きゅうりみたいにクール」も、韻ふんでるよねー。
〉「キューカンバーの好きなカッパー」
〉という言い回しを今作ったって、ごぞんじ?
銅って、きゅうり好きなんだ。
〉〉すみません。本当に。
〉徹底して低姿勢。
すんませんね、ほんとうに。
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お名前: まりあ@SSS http://buhimaman.at.webry.info/
投稿日: 2008/11/6(23:54)
------------------------------
たかぽんさん、こるもさん、今晩は。 まりあ@SSSです。
〉〉ところで英語には「きゅうりみたいにクール」
〉〉という言い回しがあるって、ほんと?
〉ほんと。
〉彼らの好きな頭韻?かな。
たぶんそうじゃないと思ふ...
西洋人て、日焼けするとすぐ真っ赤っか。
きゅうりの薄切りを並べて冷やす。
ちなみに西洋のきゅうりはへちまに近いくらい
でかい!
捻挫・打ち身とかもやっぱりこれが簡便民間療法。
そこから来ているというだけの色気のないオチかと
思いますが。
でもきゅうりで冷やしていたのは冷凍冷蔵庫のない
時代の話。
今、アメリカで熱が出たとか、殴られたとか、冷やしたい
ときは冷凍グリーンピースの袋。
どこの家でも常備されているのが普通らしい。
Happy Cooling!
------------------------------
まりあさん、こんばんは。
〉〉〉ところで英語には「きゅうりみたいにクール」
〉〉〉という言い回しがあるって、ほんと?
〉〉ほんと。
〉〉彼らの好きな頭韻?かな。
〉 たぶんそうじゃないと思ふ...
〉 西洋人て、日焼けするとすぐ真っ赤っか。
〉 きゅうりの薄切りを並べて冷やす。
〉 ちなみに西洋のきゅうりはへちまに近いくらい
〉 でかい!
〉 捻挫・打ち身とかもやっぱりこれが簡便民間療法。
〉 そこから来ているというだけの色気のないオチかと
〉 思いますが。
あー、日焼けにきゅうりって、聞いたことがあります。
そういえば。
カーマインローションの代わりになるんですよね。
やったこともあります。
きゅうりパック。
効いたのかな?覚えていませんけど。
〉 でもきゅうりで冷やしていたのは冷凍冷蔵庫のない
〉 時代の話。
〉 今、アメリカで熱が出たとか、殴られたとか、冷やしたい
〉 ときは冷凍グリーンピースの袋。
〉 どこの家でも常備されているのが普通らしい。
〉Happy Cooling!
ありがとうございました。
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お名前: ドラちゃん http://dorataoku.blog37.fc2.com/
投稿日: 2008/11/7(03:21)
------------------------------
まりあさん、たかぽんさん、こるもさん、こんばんは〜!
ドラ@ラブコメ好きです。
〉〉〉ところで英語には「きゅうりみたいにクール」
〉〉〉という言い回しがあるって、ほんと?
〉〉ほんと。
〉〉彼らの好きな頭韻?かな。
〉 たぶんそうじゃないと思ふ...
〉 西洋人て、日焼けするとすぐ真っ赤っか。
〉 きゅうりの薄切りを並べて冷やす。
〉 ちなみに西洋のきゅうりはへちまに近いくらい
〉 でかい!
〉 捻挫・打ち身とかもやっぱりこれが簡便民間療法。
〉 そこから来ているというだけの色気のないオチかと
〉 思いますが。
なるほど〜!
ちなみに、私の記憶では…
アメリカのラブコメ映画などで、女性の主人公がキレイに変身していく
シーンがあったりすると、そのへちまの様なキュウリをスライスして、
目の周りや顔全体をパックしているのを、幾つかの映画で見た覚えが
あるんですが、あれってそういう習慣をもじってたんですね!
# それで、主人公が驚いたり、
# 話しかけられて返事をしようとすると
# 顔からキュウリが落ちる、と。
〉 でもきゅうりで冷やしていたのは冷凍冷蔵庫のない
〉 時代の話。
〉 今、アメリカで熱が出たとか、殴られたとか、冷やしたい
〉 ときは冷凍グリーンピースの袋。
〉 どこの家でも常備されているのが普通らしい。
あっ!
これも、ラブコメ映画で見た事ありますよ!
出て来たのは、頭とか顔を何かにぶつけて、たんこぶを冷やしてるシーンかな。
# こっちは1〜2回かなぁ…
# 何ていう映画だったかは…うぅーん
『ずいぶん乱暴なやり方だなぁ!』なんて思いながら、ついつい笑って
しまうんですけども、これも実際の習慣に基づいたオチだったんですね!
〉Happy Cooling!
面白い話をありがとうございました。
Happy Laughing and Coolingで♪
------------------------------
ドラさん。こるチャチャです。
〉 まりあさん、たかぽんさん、こるもさん、こんばんは〜!
〉 ドラ@ラブコメ好きです。
〉 アメリカのラブコメ映画などで、女性の主人公がキレイに変身していく
〉シーンがあったりすると、そのへちまの様なキュウリをスライスして、
〉目の周りや顔全体をパックしているのを、幾つかの映画で見た覚えが
〉あるんですが、あれってそういう習慣をもじってたんですね!
きゅうりには、肌を引き締め、白くする作用がある、といわれているんですよ。
本当のところはどうか、知りませんが。
〉# それで、主人公が驚いたり、
〉# 話しかけられて返事をしようとすると
〉# 顔からキュウリが落ちる、と。
あー、ありがち。
〉 あっ!
〉 これも、ラブコメ映画で見た事ありますよ!
〉 出て来たのは、頭とか顔を何かにぶつけて、たんこぶを冷やしてるシーンかな。
〉# こっちは1〜2回かなぁ…
〉# 何ていう映画だったかは…うぅーん
〉 『ずいぶん乱暴なやり方だなぁ!』なんて思いながら、ついつい笑って
〉しまうんですけども、これも実際の習慣に基づいたオチだったんですね!
〉〉Happy Cooling!
〉 面白い話をありがとうございました。
〉 Happy Laughing and Coolingで♪
ほんと、いろいろ勉強になるなあ。
茶々におつきあいくださって、ありがとうございました。
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お名前: たむ
投稿日: 2008/11/7(13:17)
------------------------------
まりあさん、いつも楽しいお話しありがとうございます。
まりあ説、なるほどと100%納得しているのですが、
ちなみに OALD で as cool as a cucumber を引いてみると
very calm and controlled, especially in d difficult
situation とあります。
説明の方をじっと見ていると、何かあのきゅうりの、
形状からくる、無骨で内向きで寡黙な存在感!のようなものを
感じるのです。…が考えすぎでしょうかね?
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448. Re: 1%の疑念 as cool as a cucumber
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/9(11:04)
------------------------------
たむさんへ。はじめまして。
主観の新茶です。
as cool as a cucumber が、はじめて書かれているので、ここにレスポンスします。
この比喩は、食感か、触感か、存在・形状か、効用・性質か。
as busy as a beaver
as busy as a bee
なら、ビーバーや、ミツバチが、勤勉なことから、比喩がわかる。
これらの比喩は、いわゆる直喩で、頭韻を踏むことも多いが、踏まないことも珍しくないと、ものの本に載っている。
She was as silent as a fish というのが、その例か。
Cucumber氏は、なぜ、coolか。
きゅうりが、なぜ、クールか。
きゅうりでなくて、ほかの野菜では駄目なのか。
猫の手も借りたい。
猫は、実際には役立たないが、猫の手も借りたいほど。
犬では駄目なのか。
ナスのつるには、きゅうりは、ならない。
ナスのつるには、瓜は、ならない、の方が一般的。
瓜は、きゅうりも含むが、まくわ瓜の方が、一般的。
今は、まくわ瓜は、あまり出回っていない。
とんびは、鷹を生まない。
かえるの子は、かえる。
これらが、上記ことわざの言いかえである。
とんびが、ナス、鷹が、きゅうり。
かえるは、ナスに相当する。
きゅうりの方が、ナスより、価値が高いことが前提。
いま、きゅうりも、ナスも、1年中出回っている。
きゅうりは、価格変動が大きい。
3本100円が、1本○○円に。
ナスの方が安定。
してみると、どちらが高いか、判断しかねる。
昔は、きゅうりの方が、貴重だった。
きゅうりもナスも、元来、夏の野菜。
秋ナスは、枝先のいわゆる「ウラナリ」である。
きゅうりは、栽培が難しかった。
虫が付いて。
その点、ナスの方が、虫が付かない。
今は、農薬のおかげで、きゅうりも、栽培が難しくない。
しかし、昔は、きゅうりのほうが、貴重。
そこで、ナスのつるに、きゅうりがなってくれればよいが、そうはいかない、というわけだ。
きゅうりより、大きいのが、へちま。
へちまも、へったくれもあるものか。
きゅうりも、へちまもあるものか。
きゅうりも、へちまも、くそも、へったくれもあるか、というような言い方も、あったような気がするが。
再び、秋茄子。
秋茄子(ナス)は、嫁に食わすな。
ナスは、身体を冷やす、陰性植物であるからであると、さる医者の先生(石原結實)の本にある。
意地悪説もあるが。
以下、その先生から。
ナスは、インド原産、日本には、奈良時代に輸入。
盛んに栽培される。
ナスの冷やす作用は、内服のみならず、打ち身、捻挫、やけどなど、外用薬になる。
ショウガを添えると、身体を温める陽性作用に転化する。
きゅうりは、インド等原産、日本には、平安初期に輸入。
身体を冷やす、陰性植物である。
塩を加えて、陽性にして食べる。
冷え性の人は、ぬか漬け、浅漬けが良い、とされる。
ほてり、暑気あたり、日焼け、やけど、打ち身に効く。
紫式部は、ナスは、食べただろうが、きゅうりは、間に合ったか。
冷え性だったか。
異性を見て、精神的に、また、身体的に、ほてっただろうか。
西洋ではどうか。
そこで、ネットの力を借りる。
あった。http://blogs.manapo.com/language/archives/081001000446.html
きゅうりは、いつも冷たい。この熟語、はじめて記されたのは、1732年。
イギリス詩人、ジョン・ゲイは、詩集「新しいシミリスへの新しい唄」において、"I ... cool as a cucumber could see The rest of womankind.(私は、...沈着冷静に、その他の女性たちを見ることができる。)と歌ったというのだそうだ。
1732年、きゅうりは、西洋では、どの程度、栽培が盛んであり、どのような使われ方をしたかは知らねども、これを見ると、きゅうりの食感、触感、存在、形状というより、人間に対する効用、性質から、論じているようにも思える。
どうなんだろうか。
それでは
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452. Re: 1%の疑念 as cool as a cucumber
お名前: こるも
投稿日: 2008/11/9(13:37)
------------------------------
新茶さん、こんにちは。
たむさんじゃなくてすみません。こるです。
いろいろと、面白いお話を、ありがとうございます。
〉as cool as a cucumber が、はじめて書かれているので、ここにレスポンスします。
あー、そういえば、asネタでもありますね。
〉この比喩は、食感か、触感か、存在・形状か、効用・性質か。
〉as busy as a beaver
〉as busy as a bee
〉なら、ビーバーや、ミツバチが、勤勉なことから、比喩がわかる。
〉これらの比喩は、いわゆる直喩で、頭韻を踏むことも多いが、踏まないことも珍しくないと、ものの本に載っている。
〉She was as silent as a fish というのが、その例か。
〉Cucumber氏は、なぜ、coolか。
〉きゅうりが、なぜ、クールか。
〉きゅうりでなくて、ほかの野菜では駄目なのか。
カボチャのようにクール、とか。
トマトのようにクール。
オクラのようにクール。
キャベツのようにクール。
レタスのようにクール。
ピーマンのようにクール。
どうでしょう?
〉猫の手も借りたい。
〉猫は、実際には役立たないが、猫の手も借りたいほど。
〉犬では駄目なのか。
〉ナスのつるには、きゅうりは、ならない。
〉ナスのつるには、瓜は、ならない、の方が一般的。
ははあ。
なんでナスの「つる」なんですか?
蔓性のナスもあるんでしょうか?
〉瓜は、きゅうりも含むが、まくわ瓜の方が、一般的。
〉今は、まくわ瓜は、あまり出回っていない。
〉とんびは、鷹を生まない。
〉かえるの子は、かえる。
〉これらが、上記ことわざの言いかえである。
〉とんびが、ナス、鷹が、きゅうり。
〉かえるは、ナスに相当する。
〉きゅうりの方が、ナスより、価値が高いことが前提。
〉いま、きゅうりも、ナスも、1年中出回っている。
〉きゅうりは、価格変動が大きい。
〉3本100円が、1本○○円に。
〉ナスの方が安定。
〉してみると、どちらが高いか、判断しかねる。
〉昔は、きゅうりの方が、貴重だった。
〉きゅうりもナスも、元来、夏の野菜。
〉秋ナスは、枝先のいわゆる「ウラナリ」である。
〉きゅうりは、栽培が難しかった。
〉虫が付いて。
〉その点、ナスの方が、虫が付かない。
〉今は、農薬のおかげで、きゅうりも、栽培が難しくない。
〉しかし、昔は、きゅうりのほうが、貴重。
〉そこで、ナスのつるに、きゅうりがなってくれればよいが、そうはいかない、というわけだ。
そういえば、きゅうりは虫も付きやすいですし。
うどん粉病にもなりやすいですね。なっとく。
〉きゅうりより、大きいのが、へちま。
〉へちまも、へったくれもあるものか。
〉きゅうりも、へちまもあるものか。
〉きゅうりも、へちまも、くそも、へったくれもあるか、というような言い方も、あったような気がするが。
「へったくれ」って、なんですかねえ。
素朴な疑問ですが。
〉再び、秋茄子。
〉秋茄子(ナス)は、嫁に食わすな。
〉ナスは、身体を冷やす、陰性植物であるからであると、さる医者の先生(石原結實)の本にある。
〉意地悪説もあるが。
〉以下、その先生から。
〉ナスは、インド原産、日本には、奈良時代に輸入。
〉盛んに栽培される。
〉ナスの冷やす作用は、内服のみならず、打ち身、捻挫、やけどなど、外用薬になる。
〉ショウガを添えると、身体を温める陽性作用に転化する。
〉きゅうりは、インド等原産、日本には、平安初期に輸入。
〉身体を冷やす、陰性植物である。
〉塩を加えて、陽性にして食べる。
〉冷え性の人は、ぬか漬け、浅漬けが良い、とされる。
〉ほてり、暑気あたり、日焼け、やけど、打ち身に効く。
〉紫式部は、ナスは、食べただろうが、きゅうりは、間に合ったか。
〉冷え性だったか。
〉異性を見て、精神的に、また、身体的に、ほてっただろうか。
〉西洋ではどうか。
〉そこで、ネットの力を借りる。
〉あった。http://blogs.manapo.com/language/archives/081001000446.html
〉きゅうりは、いつも冷たい。この熟語、はじめて記されたのは、1732年。
〉イギリス詩人、ジョン・ゲイは、詩集「新しいシミリスへの新しい唄」において、"I ... cool as a cucumber could see The rest of womankind.(私は、...沈着冷静に、その他の女性たちを見ることができる。)と歌ったというのだそうだ。
〉1732年、きゅうりは、西洋では、どの程度、栽培が盛んであり、どのような使われ方をしたかは知らねども、これを見ると、きゅうりの食感、触感、存在、形状というより、人間に対する効用、性質から、論じているようにも思える。
〉どうなんだろうか。
どうなんでしょう。
言葉って、面白いですね。
「なまこのようにクール」じゃ、だめなんでしょうかね。
だめでしょうね。
〉 それでは
ではでは。
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458. Re: 1%の疑念 as cool as a cucumber
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/10(19:29)
------------------------------
こるもさん、こんにちは。
新茶です。
〉新茶さん、こんにちは。
〉たむさんじゃなくてすみません。こるです。
〉いろいろと、面白いお話を、ありがとうございます。
〉〉as cool as a cucumber が、はじめて書かれているので、ここにレスポンスします。
〉あー、そういえば、asネタでもありますね。
そうですね。
〉〉この比喩は、食感か、触感か、存在・形状か、効用・性質か。
〉〉as busy as a beaver
〉〉as busy as a bee
〉〉なら、ビーバーや、ミツバチが、勤勉なことから、比喩がわかる。
〉〉これらの比喩は、いわゆる直喩で、頭韻を踏むことも多いが、踏まないことも珍しくないと、ものの本に載っている。
〉〉She was as silent as a fish というのが、その例か。
〉〉Cucumber氏は、なぜ、coolか。
〉〉きゅうりが、なぜ、クールか。
〉〉きゅうりでなくて、ほかの野菜では駄目なのか。
〉カボチャのようにクール、とか。
〉トマトのようにクール。
〉オクラのようにクール。
〉キャベツのようにクール。
〉レタスのようにクール。
〉ピーマンのようにクール。
〉どうでしょう?
すごいね。
きゅうりは、クリーシェ=定型文句だが、英語では、どんな言葉でも良いらしい。
日本語なら、外人が、「犬の手も借りたい」と言ったら、日本人から、間違いだと訂正されるだろうが。
〉〉猫の手も借りたい。
〉〉猫は、実際には役立たないが、猫の手も借りたいほど。
〉〉犬では駄目なのか。
〉〉ナスのつるには、きゅうりは、ならない。
〉〉ナスのつるには、瓜は、ならない、の方が一般的。
〉ははあ。
〉なんでナスの「つる」なんですか?
〉蔓性のナスもあるんでしょうか?
ナスもつるでいいんじゃないの?
〉〉瓜は、きゅうりも含むが、まくわ瓜の方が、一般的。
〉〉今は、まくわ瓜は、あまり出回っていない。
〉〉とんびは、鷹を生まない。
〉〉かえるの子は、かえる。
〉〉これらが、上記ことわざの言いかえである。
〉〉とんびが、ナス、鷹が、きゅうり。
〉〉かえるは、ナスに相当する。
〉〉きゅうりの方が、ナスより、価値が高いことが前提。
〉〉いま、きゅうりも、ナスも、1年中出回っている。
〉〉きゅうりは、価格変動が大きい。
〉〉3本100円が、1本○○円に。
〉〉ナスの方が安定。
〉〉してみると、どちらが高いか、判断しかねる。
〉〉昔は、きゅうりの方が、貴重だった。
〉〉きゅうりもナスも、元来、夏の野菜。
〉〉秋ナスは、枝先のいわゆる「ウラナリ」である。
〉〉きゅうりは、栽培が難しかった。
〉〉虫が付いて。
〉〉その点、ナスの方が、虫が付かない。
〉〉今は、農薬のおかげで、きゅうりも、栽培が難しくない。
〉〉しかし、昔は、きゅうりのほうが、貴重。
〉〉そこで、ナスのつるに、きゅうりがなってくれればよいが、そうはいかない、というわけだ。
〉そういえば、きゅうりは虫も付きやすいですし。
〉うどん粉病にもなりやすいですね。なっとく。
そうなんです。うどん粉病。
〉〉きゅうりより、大きいのが、へちま。
〉〉へちまも、へったくれもあるものか。
〉〉きゅうりも、へちまもあるものか。
〉〉きゅうりも、へちまも、くそも、へったくれもあるか、というような言い方も、あったような気がするが。
〉「へったくれ」って、なんですかねえ。
〉素朴な疑問ですが。
そういう上品な言葉は、知らないのでしょうか。
辞書にも載っている。
「へ」は、日本版の頭韻か。
たいしたものではないが。
〉〉再び、秋茄子。
〉〉秋茄子(ナス)は、嫁に食わすな。
〉〉ナスは、身体を冷やす、陰性植物であるからであると、さる医者の先生(石原結實)の本にある。
〉〉意地悪説もあるが。
〉〉以下、その先生から。
〉〉ナスは、インド原産、日本には、奈良時代に輸入。
〉〉盛んに栽培される。
〉〉ナスの冷やす作用は、内服のみならず、打ち身、捻挫、やけどなど、外用薬になる。
〉〉ショウガを添えると、身体を温める陽性作用に転化する。
〉〉きゅうりは、インド等原産、日本には、平安初期に輸入。
〉〉身体を冷やす、陰性植物である。
〉〉塩を加えて、陽性にして食べる。
〉〉冷え性の人は、ぬか漬け、浅漬けが良い、とされる。
〉〉ほてり、暑気あたり、日焼け、やけど、打ち身に効く。
〉〉紫式部は、ナスは、食べただろうが、きゅうりは、間に合ったか。
〉〉冷え性だったか。
〉〉異性を見て、精神的に、また、身体的に、ほてっただろうか。
〉〉西洋ではどうか。
〉〉そこで、ネットの力を借りる。
〉〉あった。http://blogs.manapo.com/language/archives/081001000446.html
〉〉きゅうりは、いつも冷たい。この熟語、はじめて記されたのは、1732年。
〉〉イギリス詩人、ジョン・ゲイは、詩集「新しいシミリスへの新しい唄」において、"I ... cool as a cucumber could see The rest of womankind.(私は、...沈着冷静に、その他の女性たちを見ることができる。)と歌ったというのだそうだ。
〉〉1732年、きゅうりは、西洋では、どの程度、栽培が盛んであり、どのような使われ方をしたかは知らねども、これを見ると、きゅうりの食感、触感、存在、形状というより、人間に対する効用、性質から、論じているようにも思える。
〉〉どうなんだろうか。
〉どうなんでしょう。
〉言葉って、面白いですね。
〉「なまこのようにクール」じゃ、だめなんでしょうかね。
〉だめでしょうね。
どこから、きゅうりが出てくるのか?
こるもさんは、話題の天才。
なまこも。
なまこのまなこは、鶴見氏著だったか。
A sea cucumber sees
なまこは、見ている。
翻訳余話 村上春樹 文春新書222Pに、きゅうりのようにCOOLが出ているが、そこから、拾ったのか? ネットから、捕まえたのか?
ネットの検索力が、並外れているのか。
なお、2008年10月31日筑摩書房刊行の水村美苗著「日本語が亡びるときー英語の世紀の中で」の299Pは、「きうり」と表記すべきだという。
「こるも」の「こ」は、Cでしょうか。
とすると
as cool as こるも
は、どうですか。
ひとつ、教えて頂戴。
最初にレスされたとき、tameの数ヶ国語を提示したでしょう。
エスペラントは、グーグルの辞書検索にないでしょう。
あれは、一括検索できる方法でもあったのですか?
それでは
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467. Re: 1%の疑念 as cool as a cucumber
お名前: こるも
投稿日: 2008/11/13(15:09)
------------------------------
新茶さん、こんにちは。
新茶さんの知性には、とてもついて行けそうにないので、ぶつ切りレスします。
〉〉〉Cucumber氏は、なぜ、coolか。
〉〉〉きゅうりが、なぜ、クールか。
〉〉〉きゅうりでなくて、ほかの野菜では駄目なのか。
〉〉カボチャのようにクール、とか。
〉〉トマトのようにクール。
〉〉オクラのようにクール。
〉〉キャベツのようにクール。
〉〉レタスのようにクール。
〉〉ピーマンのようにクール。
〉〉どうでしょう?
〉すごいね。
す、すごいですか?
わたしとしては、「オクラのようにクール」が気に入っています。
〉〉〉きゅうりより、大きいのが、へちま。
〉〉〉へちまも、へったくれもあるものか。
〉〉〉きゅうりも、へちまもあるものか。
〉〉〉きゅうりも、へちまも、くそも、へったくれもあるか、というような言い方も、あったような気がするが。
〉〉「へったくれ」って、なんですかねえ。
〉〉素朴な疑問ですが。
〉そういう上品な言葉は、知らないのでしょうか。
はぁ、育ちがいいもんで。
〉〉「なまこのようにクール」じゃ、だめなんでしょうかね。
〉〉だめでしょうね。
〉どこから、きゅうりが出てくるのか?
〉こるもさんは、話題の天才。
〉なまこも。
ということは、こるもは、なまこと同等、ということでしょうか。
まあ、いいですけど。
〉A sea cucumber sees
〉なまこは、見ている。
なまこって、sea cucumberっていうんですか。へえ。
〉「こるも」の「こ」は、Cでしょうか。
まあ、どっちでもいいんです。
〉as cool as こるも
〉は、どうですか。
あまりクールには見えませんが。
〉最初にレスされたとき、tameの数ヶ国語を提示したでしょう。
〉エスペラントは、グーグルの辞書検索にないでしょう。
〉あれは、一括検索できる方法でもあったのですか?
はぁ、ぐぐるとか、そういうのあまり知らないんです。
私のは、地道な努力です。ひまなもんで。
ではでは。
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489. Re: 1%の疑念 as cool as a cucumber オクラとなまこ
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/24(20:40)
------------------------------
こるもさんへ。こんにちは。かなり、おひさしぶりです。
新茶です。
〉〉〉〉Cucumber氏は、なぜ、coolか。
〉〉〉〉きゅうりが、なぜ、クールか。
〉〉〉〉きゅうりでなくて、ほかの野菜では駄目なのか。
〉〉〉カボチャのようにクール、とか。
〉〉〉トマトのようにクール。
〉〉〉オクラのようにクール。
〉〉〉キャベツのようにクール。
〉〉〉レタスのようにクール。
〉〉〉ピーマンのようにクール。
〉〉〉どうでしょう?
〉〉すごいね。
〉す、すごいですか?
〉わたしとしては、「オクラのようにクール」が気に入っています。
オクラが選択されたのですか?
色の同一性、形の相似性から判断し、へちまが親、きゅうりが、子供で、オクラが、孫ですか?
まさか、オクラは、a tiny cucumberとは、言わないでしょう?
オクラが選択された理由は、オクラ入り、迷宮入りって、ことですか?
〉〉〉〉きゅうりより、大きいのが、へちま。
〉〉〉〉へちまも、へったくれもあるものか。
〉〉〉〉きゅうりも、へちまもあるものか。
〉〉〉〉きゅうりも、へちまも、くそも、へったくれもあるか、というような言い方も、あったような気がするが。
〉〉〉「へったくれ」って、なんですかねえ。
〉〉〉素朴な疑問ですが。
〉〉そういう上品な言葉は、知らないのでしょうか。
〉はぁ、育ちがいいもんで。
思い出したが、順番は、「きゅうりも、へちまも、くそも、へったくれもあるか」ではなくて、「きゅうりも、へちまも、へったくれも、くそもあるか」だった。
これで、「へ」も「く」も韻を踏み、へちまに、「へた」を掛詞していることになる。
なお、ナスの「つる」のことわざは、「つる」の定義が、第三者に依存して伸びるか、依存物がない場合に横に這う性質の「茎」であると成立する前に成立した「ことわざ」であることは、こるもさんが、言わんとして省略したものと思われます。
〉〉〉「なまこのようにクール」じゃ、だめなんでしょうかね。
〉〉〉だめでしょうね。
〉〉どこから、きゅうりが出てくるのか?
〉〉こるもさんは、話題の天才。
〉〉なまこも。
〉ということは、こるもは、なまこと同等、ということでしょうか。
〉まあ、いいですけど。
〉〉A sea cucumber sees
〉〉なまこは、見ている。
〉なまこって、sea cucumberっていうんですか。へえ。
???。ウソでしょう。知ってたでしょう。
〉〉「こるも」の「こ」は、Cでしょうか。
〉まあ、どっちでもいいんです。
〉〉as cool as こるも
〉〉は、どうですか。
〉あまりクールには見えませんが。
なまこは、冬、採取します。
冬場だけ、なまこ採りのアルバイトをしている人もいます。
晴天であっても、海の中は静かでも、たいへんな労働でしょうね。
なまこ捕る 天気晴朗 波高し (新茶)
なまこ喰う 情熱だけが海の底 (新茶)
なまこ来て 多読しようと誘う夜 (新茶)
なまこは、青なまこと赤なまこがある。
食べて、歯ごたえがちょうど良いのは、青なまこ。
これを冬の日、生きたのを買ってきて、中味を抜いて空洞にし、ぬめりを取って、ちくわの如くに輪切りにし、三杯酢で食べる、ということをしたことがある。
なまこのヌメヌメ。
居酒屋定番のオクラ+納豆+イカまたはマグロ。
あの組み合わせは、身体に良いらしい。
あのヌメヌメが。
オクラは、さっと茹でるのか?、生か?。
居酒屋は、手間を省略し、生のまま、切っているのではないだろうか。
オクラのヌメヌメに変わりなし。
理科系で、確か、毒や薬が好きな こるもさん。
オクラも、なまこも、同じ、ヌメヌメ、滋養強壮作用、ムチン、多糖類などを含むという共通項の話だったのでしょうか。
それでは
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/11/7(22:22)
------------------------------
こるもさん、まりあさん、ドラちゃんさん、たむさん、こんばんは!
きゅうりでこんなに盛り上がるとは…
きゅうり冥利に尽きます。
こ〉〉〉ところで英語には「きゅうりみたいにクール」
こ〉〉〉という言い回しがあるって、ほんと?
たか〉〉ほんと。
たか〉〉彼らの好きな頭韻?かな。
ま〉 たぶんそうじゃないと思ふ...
ま〉 西洋人て、日焼けするとすぐ真っ赤っか。
ま〉 きゅうりの薄切りを並べて冷やす。
ま〉 ちなみに西洋のきゅうりはへちまに近いくらい
ま〉 でかい!
ま〉 捻挫・打ち身とかもやっぱりこれが簡便民間療法。
ま〉 そこから来ているというだけの色気のないオチかと
ま〉 思いますが。
なるほど。きゅうりはクーーーーールっていうイメージがあるのですな。
そういえば、ドラちゃんさんも言うてはるように、女の人がチェアに寝そべりながら、
まぶたの上なんかにきゅうりを載せてるのなんかを見たことがあります。
しかし、たむさんの、きゅうりの無骨で寡黙な外観からクーーーーールっていう説も捨てがたいなぁ。
でも、「ゴルゴ13は、きゅうりのようにクールだね」って言ったら、射ち殺されそうだなぁ…
ま〉 でもきゅうりで冷やしていたのは冷凍冷蔵庫のない
ま〉 時代の話。
ま〉 今、アメリカで熱が出たとか、殴られたとか、冷やしたい
ま〉 ときは冷凍グリーンピースの袋。
ま〉 どこの家でも常備されているのが普通らしい。
へー。そうなんですか。
氷で冷やすより、解けないし、冷たすぎないし、患部に応じて形状を変えやすいので、
それが使われるんでしょうね。
〉Happy Cooling!
Happy Cooling! (って何なんですか?)
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お名前: まりあ@SSS http://buhimaman.at.webry.info/
投稿日: 2008/11/7(22:47)
------------------------------
まりあ@SSSです。
〉ま〉 今、アメリカで熱が出たとか、殴られたとか、冷やしたい
〉ま〉 ときは冷凍グリーンピースの袋。
〉ま〉 どこの家でも常備されているのが普通らしい。
〉へー。そうなんですか。
〉氷で冷やすより、解けないし、冷たすぎないし、患部に応じて形状を変えやすいので、
〉それが使われるんでしょうね。
すみません、上の書き方、なんか冷やすために常備している
みたいにも読めますね。
あんまり料理熱心でないような家庭でも、冷凍グリーンピース
くらいは冷蔵庫にあるのが普通、という意味です。
実は夫のドメスティックバイオレンスがひどくって、
冷凍グリーンピースを切らせない、というのも一度出会い
ましたけど。
Happy Reading!
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お名前: Raquel
投稿日: 2008/11/7(23:11)
------------------------------
まりあさん、みなさん、こんにちは。
"まりあ@SSS"さんは[url:kb:440]で書きました:
〉〉ま〉 今、アメリカで熱が出たとか、殴られたとか、冷やしたい
〉〉ま〉 ときは冷凍グリーンピースの袋。
〉〉ま〉 どこの家でも常備されているのが普通らしい。
冷凍グリンピースに加えて、ステーキ肉を湿布代わりにして冷やすというのも
よく見かけるんですが、ホントでしょうか??
その後のお肉はもう食べられないのかなとか、主婦は気になります(笑)
さらなる脱線、失礼しました。
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お名前: 久子
投稿日: 2008/11/7(23:34)
------------------------------
Raquelさん まりあさん、みなさん、こんにちは。
〉"まりあ@SSS"さんは[url:kb:440]で書きました:
〉〉〉ま〉 今、アメリカで熱が出たとか、殴られたとか、冷やしたい
〉〉〉ま〉 ときは冷凍グリーンピースの袋。
〉〉〉ま〉 どこの家でも常備されているのが普通らしい。
〉冷凍グリンピースに加えて、ステーキ肉を湿布代わりにして冷やすというのも
〉よく見かけるんですが、ホントでしょうか??
〉その後のお肉はもう食べられないのかなとか、主婦は気になります(笑)
〉さらなる脱線、失礼しました。
英語からも離れてしまいますが、
江戸時代の本で捻挫したのでコハダを湿布代わりに冷やす
というのがありました。 アメリカではステーキ肉 日本ではコハダ って
なんだか妙に納得!
でも、どちらもその後食べたのか、食べられないのか気になります(笑
------------------------------
(司馬遼太郎「韃靼疾風録」のもじりです。)
久子さん Raquelさん まりあさん、みなさん、こんにちは。(ちょっとこちらで一服。。)
〉〉〉〉ま〉 今、アメリカで熱が出たとか、殴られたとか、冷やしたい
〉〉〉〉ま〉 ときは冷凍グリーンピースの袋。
〉〉〉〉ま〉 どこの家でも常備されているのが普通らしい。
R〉〉冷凍グリンピースに加えて、ステーキ肉を湿布代わりにして冷やすというのも
R〉〉よく見かけるんですが、ホントでしょうか??
R〉〉その後のお肉はもう食べられないのかなとか、主婦は気になります(笑)
R〉〉さらなる脱線、失礼しました。
久〉英語からも離れてしまいますが、
久〉江戸時代の本で捻挫したのでコハダを湿布代わりに冷やす
久〉というのがありました。 アメリカではステーキ肉 日本ではコハダ って
久〉なんだか妙に納得!
久〉でも、どちらもその後食べたのか、食べられないのか気になります(笑
みなさん、いろいろご存じですね〜。
グリーンピース湿布もステーキ湿布もコハダ湿布も見たことない・・・
治ったら食べていただきたい、ムダにしてほしくない気持ちで、胸がいっぱいになりますね。
昔、よく捻挫したので、母が、小麦粉とお酢と何かをまぜて湿布してくれました。
熱を取る作用だけか、それとも、治す成分があるのか?
ご飯と酢でもできそうですよね。それにコハダを加えれば、まるで鮨だ。
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お名前: まりあ@SSS http://buhimaman.at.webry.info/
投稿日: 2008/11/8(16:38)
------------------------------
Raquelさん、久子さんこんにちは。 まりあ@SSSです。
〉〉冷凍グリンピースに加えて、ステーキ肉を湿布代わりにして冷やすというのも
〉〉よく見かけるんですが、ホントでしょうか??
私は、肉湿布を見かけていませんが、冷凍庫じゃなくて冷蔵庫時代
のお話しかしら? 私1990年代以前のPBをほとんど読まないので。
〉〉その後のお肉はもう食べられないのかなとか、主婦は気になります(笑)
どうなんでしょう?
でもアメリカのステーキって、サーロインは$12位と高価ですが
(厚さ3センチくらいで日本とは量が違う)、モモステーキなら
でっか〜いの$2位でしたよ。
捻挫して歩けない、とか顔にアザとかになるのを防げると
したら200円の肉捨てても良いような気がする...
湿布薬買いに行ってもタダじゃないし。
日本でも火傷を馬肉で冷やすとかなかった?
〉〉さらなる脱線、失礼しました。
〉英語からも離れてしまいますが、
〉江戸時代の本で捻挫したのでコハダを湿布代わりに冷やす
これも聞いたことはないのですが、コハダは獲れるときには
たくさん獲れて、捨て値でしょう?それで湿布代わりにしたかと..
骨が多くて、寿司だねにするのは手間が大変。
コハダ寿司の値段は手間賃です。
まあ、いずれにしろ食べなかったと思いたいですね。
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お名前: こるも
投稿日: 2008/11/8(22:22)
------------------------------
たかぽ。
〉きゅうりでこんなに盛り上がるとは…
〉きゅうり冥利に尽きます。
きゅうりだったか。カッパーじゃなく?
〉なるほど。きゅうりはクーーーーールっていうイメージがあるのですな。
〉そういえば、ドラちゃんさんも言うてはるように、女の人がチェアに寝そべりながら、
〉まぶたの上なんかにきゅうりを載せてるのなんかを見たことがあります。
〉しかし、たむさんの、きゅうりの無骨で寡黙な外観からクーーーーールっていう説も捨てがたいなぁ。
〉でも、「ゴルゴ13は、きゅうりのようにクールだね」って言ったら、射ち殺されそうだなぁ…
〉ま〉 でもきゅうりで冷やしていたのは冷凍冷蔵庫のない
〉ま〉 時代の話。
〉ま〉 今、アメリカで熱が出たとか、殴られたとか、冷やしたい
〉ま〉 ときは冷凍グリーンピースの袋。
〉ま〉 どこの家でも常備されているのが普通らしい。
〉へー。そうなんですか。
〉氷で冷やすより、解けないし、冷たすぎないし、患部に応じて形状を変えやすいので、
〉それが使われるんでしょうね。
全然関係ない?けど。
子ども産むじゃん。
母乳あげるじゃん。
で、胸が張るわけよ。
そういうときにね。キャベツで冷やすんだって。
知ってた?
おためしあれ。
Happy Cooling!
------------------------------
こるぽ。
〉たかぽ。
〉〉きゅうりでこんなに盛り上がるとは…
〉〉きゅうり冥利に尽きます。
〉きゅうりだったか。カッパーじゃなく?
きゅうりでもあり、カッパーなの。皿にのせて食うの。
〉〉なるほど。きゅうりはクーーーーールっていうイメージがあるのですな。
〉〉そういえば、ドラちゃんさんも言うてはるように、女の人がチェアに寝そべりながら、
〉〉まぶたの上なんかにきゅうりを載せてるのなんかを見たことがあります。
〉〉しかし、たむさんの、きゅうりの無骨で寡黙な外観からクーーーーールっていう説も捨てがたいなぁ。
〉〉でも、「ゴルゴ13は、きゅうりのようにクールだね」って言ったら、射ち殺されそうだなぁ…
〉〉ま〉 でもきゅうりで冷やしていたのは冷凍冷蔵庫のない
〉〉ま〉 時代の話。
〉〉ま〉 今、アメリカで熱が出たとか、殴られたとか、冷やしたい
〉〉ま〉 ときは冷凍グリーンピースの袋。
〉〉ま〉 どこの家でも常備されているのが普通らしい。
〉〉へー。そうなんですか。
〉〉氷で冷やすより、解けないし、冷たすぎないし、患部に応じて形状を変えやすいので、
〉〉それが使われるんでしょうね。
〉全然関係ない?けど。
〉子ども産むじゃん。
〉母乳あげるじゃん。
〉で、胸が張るわけよ。
〉そういうときにね。キャベツで冷やすんだって。
〉知ってた?
知らんがな!
〉おためしあれ。
どうためす!?
いやあ、でもね、姪が生まれたとき、姉が胸が張って苦しがってたなぁ。
それから、乳腺炎というのにもかかって、短時間でブワーッと高熱になって、びびった。
こわいね、あれは。みんなでオロオロしたよ。
そうかキャベツか。
Happy Cooling!
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/19(09:42)
------------------------------
主観の新茶さん、こんにちは。あらためまして。
やっぱり何かモヤモヤするので。
おっしゃるように、権利が正義の具体化であり、それゆえに、権利主張は正義の取り合いになる、
(どっちが「right」か)というのはわかります。
〉 したがって、法を実現することは、いつも必ずしも正義ではないという考えでは、ありませんし(西欧の基本理念では、法の実現は必ず正義です)、正義は、法とは、別のところにあるという考えもありませんし、
これもわかるのですが、
〉法は、お上が作ったから、守らされるのであって、正義とは必ずしも結びつかないという考えもありませんし、悪いことだと思うのは法を犯したからだが、なぜその法があるのか、理由がわからないというような言いぐさが通るという考えもありません。
〉 なぜなら、自分で作ったものという理念ですから。
ここがよくわかりません。
法が正義であるべき、というのと、実際に定められている法(実定法)が正義である、というのとは、
違うのではないでしょうか?
実定法が正義であると主張するとすれば、それはまさに法実証主義の主張ではありませんか?
(自然に『ある』はずの正義=法を、「自分で『作る』」というのも、よくわかりません。)
〉 この理念を捨てて、統治者、つまりお上が、勝手に、物事を進めていると言動するのでは、言語政策であれ、教育政策であれ、自分を否定した、責任逃れの、恥ずべき言動にすぎません。
でも、実際には、「法を自分で作っている」などという現実は無いわけですよね。
一国民にはなすすべもなく、法が作られ、有無を言わさず従わせられるのが現実です。
たしかに、西欧には、法は普遍的な正義に基づいたものであるべきであって、
単なるその時その時の政府の意向や何かが法であるべきではない、という意識が強い、
ということは言えるでしょうね。
だから、何が正義かについての議論が盛んだし、大統領選挙などでも、
あからさまな利益誘導ではなく、いかに自分が正義に近いかをアピールすることになる、
という面はあると思います。
何をするにも大義名分が重んじられる。
それに対して日本は、何が正義であるかの議論ははなはだ脆弱で、
結局は力の強い者に支配されるしかないんだ、泣く子と地頭には逆らえぬ、という意識が強い。
法が正義に基づくという意識も希薄で(そもそも正義が何かと深く考えないから)、
所詮は、時の権力者がお決めになって、従わざるを得ないもの、という意識。
西欧だと、それぞれ一人ひとりに、正義についての確信というか、強い観念があって、
実際の法がそれに則っているのか、と照らし合わせる意識が強いのでしょうね。
だから、「違う」と思えば、ごうごうと非難をするし、反対運動などもすると。
(そんな「参政」が有効であるというのは、大いなるフィクションかもしれないのですが。)
日本には、これと決まった正義の観念がそもそも無いので、実定法を正義に近づけるという意識は薄いが、
西欧では、法は当然に正義の化体であるべきという意識が強く、実定法を正義に近づけようとする意識が強い、
ということは言えるかもしれませんね。
〉 西欧では、法は、道徳を前提としており、道徳の一部が昇華したものが、法です。
〉 道徳及び倫理は、西欧の人たちにとって、自らが自分で決めたから、積極的に守る規範であり、道徳及び倫理は、正しいこと=正義であり、正義を具体化したのが、権利であり法であり、権利ないし法を実際に実現することは、正義であり、道徳そのものである。
どうも、「実定法は正義に基づくべき」が、「実定法は正義である」に、すり替わっているような気がします。
またいろいろ考えてみます。
ありがとうございました。
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280. わかりやすく、おもしろい本。古田裕清 著 『翻訳語としての日本の法律用語』
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/20(01:31)
------------------------------
主観の新茶さん、こんばんは。
やっぱり何が書いてあるのか気になって、おすすめの本、入手して少し読んでみました。(全12講中第3講まで)
おもしろい!
そしてまた、とてもわかりやすく書かれてますね。
(わかりやすいからおもしろいのか? ともあれ、)
いい本をご紹介くださって、ありがとうございました。
まったく、どこを読んでも「なるほど、なるほど」なのですが、特にこの部分に納得。
欧州には自然法という考え方が昔からあります。これは「人間関係や社会関係,即ちしがらみ一般は,その自然本性上,必ず正義を実現する何らかの法則性に従っているはずだ。我々はこの自然本性上の法則性を認識し,この法則性に従って生きるべきだ。人間の作る実定法は,この法則性を実現するものであるべきだ」と概略できる考え方です。自然法思想は古代ギリシア末期のストア派に由来するものですが,やがてキリスト教の伝統に持ち込まれ,「我々が本性上従っているはずの法則性」は神が創造した法則と等値されました。これを明文化したものが実定法であるなら,法に訴えることはキリスト教の神への忠誠を証し,神への助力を願うことに他なりません。ホッブズやロックの近代自然権思想もこうした自然法思想の延長線上にあります。
こうした自然法思想は日本ではなかなか受け容れられません。自然本性上従っている法則として平均的な日本人が理解できるのはせいぜい自然法則(古典力学や相対性理論,量子力学理論など)止まりで,法律もそうした法則性であるという考え方は馴染めないようです。これは日本が中国の法家思想(為政者が制定した法律を人民に課す,という考え方)の影響を長らく被り,実定法以上の超越的な法の存在を信ずる伝統がなかったためです。日本的な人間関係に自然本性があるとすれば,それはむしろ法律と対置される「しがらみ」です。この「しがらみ」を一種の「ことわり(理)」,「定め」と諦念して受け容れる精神風土なら,日本には昔からあるようです。(p.25-26)
"iustitia"や"Gerechtigkeit"と呼ばれる状態はあくまで理想状態であり,実現したかに見えたとしてもそれはほんの一時にすぎないでしょう。それにもかかわらずこうした理想状態を象徴として想定する,というところに,ヨーロッパ法文化の一つの基本特徴があります。こうした理想状態を理念として設定し,その理念を少しでも社会で実現したい。理念そのものに向かって社会を,現実を少しでも近づけたい。こうした力が,ヨーロッパではギリシア・ローマの昔から働いています。このことは,「法の目的は正義である」という文が雄弁に語っています。この文は,「正義」という理想状態が実在する,という強い確信と,その状態に社会を近づけたい,という固い意思とを,表しています。・・・
(中略)
・・・。同時多発テロ後に米大統領がビン・ラディン氏を念頭において"We need justice!"と叫んだ背後にも,この正義に関する理想主義が根付いています。
では,「正義」と形容されてしかるべき状態は,具体的にどのような状態でしょうか。これに対する答えは拠って立つ正義論の中身によって変わってきます。また,その状態が国内の状態のことなのか,国際関係のことなのか,によっても答えが違ってきます。更に,「正義」の原産地であるヨーロッパ(アメリカを含む)では時代によっても答えが変わってきました。いずれにせよ,正義についての理想主義は,日本ではいまだに馴染みが薄い考え方かもしれません。「法はしょせん,人間が作ったものだ。紛争や社会問題が発生するたびに現行実定法が適用され,場合によっては法の欠陥が指摘される。新たな実定法の必要性が生じたら,法整備も行われる。その繰り返しが法と社会の歴史だ」という現実主義・歴史主義の方が,多くの日本人には性にあうようです。しかし,我々が明治以来導入してきた欧州起源の法文化は,以上のような理想主義を根に持っているのです。(p.15-16)
したがって、新茶さんのおっしゃる、
〉法は、お上が作ったから、守らされるのであって、正義とは必ずしも結びつかないという考えもありませんし、悪いことだと思うのは法を犯したからだが、なぜその法があるのか、理由がわからないというような言いぐさが通るという考えもありません。
これは、「あるべき法」と実定法とを混同した言い方だ、ということになると思います。
実際に定められている法(実定法)が不当だ、とは、西欧の考えであっても
当然に言えることだと思います。
ただそこから先、実定法は正義にかなったものでなければならないからとして
正義に近づけようという意識が働くか(西欧の場合)、
「正義」について考える風土が無いため、実定法を正義に近づけようという意識は薄く(または、無く)、
基本的には諦念というか、せいぜい愚痴やため息で終わるか(日本の場合)、
の違いがあるということだと思います。
久しぶりに頭を使ったような気がします・・・
学生時代、何となく聞いていたようなことも、いろいろ思い出しました。
良い本を教えてくださって、ありがとうございました。
それでは。
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316. Re: わかりやすく、おもしろい本。古田裕清 著 『翻訳語としての日本の法律用語』
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(10:08)
------------------------------
たかぼんさんへ。主観の新茶です。
上記した西欧の理念に依拠する限り、一定の国の政策が妥当でないと判断した場合には、SSS上においても、各々が提案し、話し合い、一定の方向性を決定し、共同して、適法な方法で、実際に言動に移すことが必要となる。
それは、恥ずかしいことではなく、したくなければしなくてよいことでもなく、逆に、たとえば、はじめから無力とあきらめ、愚痴等をもって批判に対置していることが、または、無関心であるか、関心があっても適切な言動に移していないことが、恥ずべきことである。
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323. Re: わかりやすく、おもしろい本。古田裕清 著 『翻訳語としての日本の法律用語』
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/25(12:25)
------------------------------
主観の新茶さん、こんにちは。たかぽんです。(「takapon」です。(笑))
〉たかぼんさんへ。主観の新茶です。
〉 上記した西欧の理念に依拠する限り、一定の国の政策が妥当でないと判断した場合には、SSS上においても、各々が提案し、話し合い、一定の方向性を決定し、共同して、適法な方法で、実際に言動に移すことが必要となる。
〉 それは、恥ずかしいことではなく、したくなければしなくてよいことでもなく、逆に、たとえば、はじめから無力とあきらめ、愚痴等をもって批判に対置していることが、または、無関心であるか、関心があっても適切な言動に移していないことが、恥ずべきことである。
それは新茶さんのお考えであり、古田氏の本では「恥ずべきこと」とは書いていなかったと思います。
(しかし、私が読み落としているだけかもしれませんので、該当箇所があればご指摘ください。)
古田氏がおっしゃっているのは、実際の法を「正義」に近づけようとする理想主義が西欧にはある、までだったと思います。
個人の、愚痴ることや無関心が、「恥ずべきこと」と西洋全体で見なされている、とまでは言えないのではないかと思います。
法改正のために本来とるべき適切な言動、というのが何なのかがよくわかりませんが(デモや陳情?)、
現に、どうしてこんな法律があるんだーなどと西洋人が(デモや陳情もせず)愚痴ってるシーンは当然に多数あるでしょうし、
今や膨大な量になってしまっている現代の法律に無関心であるからといって、それが「恥ずべきこと」であるという感覚が
一般であるとは言えないと思います。法律を知っていないと不利益をこうむることがある、というだけで。
そもそも、よくわからないのですが、西洋における「恥」の観念は、道徳的・宗教的なものであって、
良心にもとるとか、神の教えに反する(神との契約に反する?)、ということだと思います。
現在の法律に不満を持っているが、デモや陳情などの行動をせず愚痴るにとどまったり、
現在の法律に無関心でいることが、良心にもとるとか、神の教えに反する、とまでは、
必ずしも言えないのではないかと思います。
西洋では、伝統的に、「正義」とは何かという議論が非常に膨大に細かくなされていて、
法律をその「正義」に近づけようとする社会的な傾向がある、ということではないでしょうか。
(その「正義」の多様性を認めない場合には、極端に走って怖いことにもなるが。)
個人の行動が「恥」であるかどうかは、その個人の道徳律や信仰に照らした問題であって、
どういう行動をとる(とらない)が一律に「恥」である、と言えることはないと思います。
ですから、たとえば、道徳や信仰を国家が強制するような時代においては、一律の「恥」はあったでしょうね。
たとえばナチスのような全体主義国家時代においては、一定の行動(or行動しないこと)が「恥」であると、
厳しく糾弾されることがあったのではないかと思います。
いろいろ考えさせられる問題ですね。
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328. Re: わかりやすく、おもしろい本。古田裕清 著 『翻訳語としての日本の法律用語』
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/10/25(13:55)
------------------------------
たかぽんさんへ。新茶です。
.
は[url:kb:323]で書きました:
〉主観の新茶さん、こんにちは。たかぽんです。(「takapon」です。(笑))
〉〉たかぼんさんへ。主観の新茶です。
〉〉 上記した西欧の理念に依拠する限り、一定の国の政策が妥当でないと判断した場合には、SSS上においても、各々が提案し、話し合い、一定の方向性を決定し、共同して、適法な方法で、実際に言動に移すことが必要となる。
これは、古田さんの見解です。
〉〉 それは、恥ずかしいことではなく、したくなければしなくてよいことでもなく、逆に、たとえば、はじめから無力とあきらめ、愚痴等をもって批判に対置していることが、または、無関心であるか、関心があっても適切な言動に移していないことが、恥ずべきことである。
古田さんの見解では、最後の「は、恥ずべきことである」は、「は、妥当とはいえない」という程度のものであって、「は、恥ずべきことである」とは述べていない。
これは、私の見解であり、かつ、上記理念を理解する人の一部の考え方である。
「恥」という言葉は、神への、または、人類へのと考えるだけで、非難とは、結びつていない。
しかし、日本でいう「恥」は、人によって、非難と結びつく、相当性を欠く言葉である。
よって、私も、別の言い方をしたほうがよいと考える。
しかし、その言い方にとらわれず、意のあるところを汲まれたい。
〉それは新茶さんのお考えであり、古田氏の本では「恥ずべきこと」とは書いていなかったと思います。
〉(しかし、私が読み落としているだけかもしれませんので、該当箇所があればご指摘ください。)
〉古田氏がおっしゃっているのは、実際の法を「正義」に近づけようとする理想主義が西欧にはある、までだったと思います。
〉個人の、愚痴ることや無関心が、「恥ずべきこと」と西洋全体で見なされている、とまでは言えないのではないかと思います。
〉法改正のために本来とるべき適切な言動、というのが何なのかがよくわかりませんが(デモや陳情?)、
〉現に、どうしてこんな法律があるんだーなどと西洋人が(デモや陳情もせず)愚痴ってるシーンは当然に多数あるでしょうし、
〉今や膨大な量になってしまっている現代の法律に無関心であるからといって、それが「恥ずべきこと」であるという感覚が
〉一般であるとは言えないと思います。法律を知っていないと不利益をこうむることがある、というだけで。
〉そもそも、よくわからないのですが、西洋における「恥」の観念は、道徳的・宗教的なものであって、
〉良心にもとるとか、神の教えに反する(神との契約に反する?)、ということだと思います。
〉現在の法律に不満を持っているが、デモや陳情などの行動をせず愚痴るにとどまったり、
〉現在の法律に無関心でいることが、良心にもとるとか、神の教えに反する、とまでは、
〉必ずしも言えないのではないかと思います。
〉西洋では、伝統的に、「正義」とは何かという議論が非常に膨大に細かくなされていて、
〉法律をその「正義」に近づけようとする社会的な傾向がある、ということではないでしょうか。
〉(その「正義」の多様性を認めない場合には、極端に走って怖いことにもなるが。)
〉個人の行動が「恥」であるかどうかは、その個人の道徳律や信仰に照らした問題であって、
〉どういう行動をとる(とらない)が一律に「恥」である、と言えることはないと思います。
〉ですから、たとえば、道徳や信仰を国家が強制するような時代においては、一律の「恥」はあったでしょうね。
〉たとえばナチスのような全体主義国家時代においては、一定の行動(or行動しないこと)が「恥」であると、
〉厳しく糾弾されることがあったのではないかと思います。
〉いろいろ考えさせられる問題ですね。
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331. Re: わかりやすく、おもしろい本。古田裕清 著 『翻訳語としての日本の法律用語』
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/25(15:24)
------------------------------
主観の新茶さん、こんにちは。
〉〉〉 上記した西欧の理念に依拠する限り、一定の国の政策が妥当でないと判断した場合には、SSS上においても、各々が提案し、話し合い、一定の方向性を決定し、共同して、適法な方法で、実際に言動に移すことが必要となる。
〉これは、古田さんの見解です。
そうですか?
どこに書いてありますか? ページ数だけでもお願いします。
〉〉〉 それは、恥ずかしいことではなく、したくなければしなくてよいことでもなく、逆に、たとえば、はじめから無力とあきらめ、愚痴等をもって批判に対置していることが、または、無関心であるか、関心があっても適切な言動に移していないことが、恥ずべきことである。
〉古田さんの見解では、最後の「は、恥ずべきことである」は、「は、妥当とはいえない」という程度のものであって、「は、恥ずべきことである」とは述べていない。
「は、妥当とはいえない」というようなことも、古田氏は書いていますか?
西洋には実際の法を「正義」に近づけようとする理想主義の傾向がある、
という事実を述べられているだけで、日本と西洋とどちらがいいかという問題には、
言及しておられないように思うのですが?
もし言及しておられるような箇所があれば、ページ数をお示しください。
〉これは、私の見解であり、かつ、上記理念を理解する人の一部の考え方である。
いえ、新茶さんは「西欧の理念」を誤解されていると思います。
上に書かれている理念は、つまり民主主義のことだと言えると思いますが、
国家など権力が民主主義的に運営されなければならないということ、これは今の西欧の理念の一つだと思いますが、
だからといって、個人が無関心であったり愚痴だけ言ってることが妥当ではない、とは必ずしも言えないと思います。
つまり、それは「西欧の理念」だとは言えない。
すなわち、個人が法律に関心を持たなければならないとか、法律に不満があれば行動(デモとか陳情?)を起こさなければならない、
といった行動律が「西欧の理念」だとは言えないと思います。
何かしないと実際上の不利益を受けることがあるから行動する、というだけのことで。
〉「恥」という言葉は、神への、または、人類へのと考えるだけで、非難とは、結びつていない。
えっ? いや、「恥」という言葉は、もろに、非難と結びついた言葉でしょう。
〉しかし、日本でいう「恥」は、人によって、非難と結びつく、相当性を欠く言葉である。
〉よって、私も、別の言い方をしたほうがよいと考える。
「恥」という言葉は、西洋であっても日本であっても、非難に結びつく言葉だと思います。
ただ、何に対する「恥」かで、大きく異なるのではないかと思います。
大ざっぱに言えば、西洋の場合は宗教的な道徳が元にあって、それに反する場合が「恥」、
日本の場合は、その地域・その時代etc.の「空気」みたいなものに反するのが「恥」、
ということではないかと思います。
〉しかし、その言い方にとらわれず、意のあるところを汲まれたい。
どのへんに新茶さんの意があるのかはよくわかりませんが。。。
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お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/1(20:48)
------------------------------
主観の新茶です。
古田裕清 著 『翻訳語としての日本の法律用語』は、これを理解しながら読むことにより、記憶という作業を特別に行うまでもなく、日中英独仏ラテン語の6語の有機的関連の単語を、思想の体系の中で体得することができる。
この知見は、大学の1、2年程度のものであるといってよい。
したがって、専門的知見に属するが、一般教養の範囲をでないともいえる。
この本は、さりながら、やや特殊であるから、理系、文系をとわず、体系的知見を取り入れながら、英単語も覚えられるという和書を紹介できればと祈念する。
自家薬籠中の物とまではいかなくとも、消化できたものは、紹介していきたい。
ところで、SSSでは、従来、単語を覚えるには、
1 英書を多読するしかない。
英英辞書までは、効果がある。
または、英文文法書までは、効果がある、という見解が有力である。
この見解においては、2の方法は、有害で、英書を読めるようにならないと主張する人もいる。
2の方法を継続すると、かえってマイナスで、元に戻すのに、かかった年数だけ、unlearnが必要であるという見解もある。
この見解は、2の方法について、「お勉強」などという言葉を使用し、勉強という言葉は、蔑称に使っている人もいる。
なお、英語を多読するしかないといいながら、日本語の思考に依拠する背景知識が重要であるという見解も有力である。
SSSの多読は、背景知識の取得については、各自に任せているから、中には、和書をまったく読まないと主張する会員も存在する。
2 昔、試験に出る英単語、今、Duoによる勉強に代表される。
英和辞書を引くという方法も含まれる。
単語を単語として覚えるやり方である。
単語間の脈絡なく、語源を基礎に、英単語を覚えるやり方を含むだろう。
2の見解の人で、ことさら、1の方法を悪く述べる人はいない。
これは、1の見解の人は、英書が読めるようになっていると自負している人がいるのに対し、2の見解の人は、1の方法を並存するし、英書が読めると自負できるSSSの人が、出現していないからであろう。
3 和書を読む過程で、知見を取得しながら、英単語相互の有機的関連を理解し、自然に記憶するという方法が、第3の方法として存在する。
単語の習得を目的としたとしても、本来は、知見を取得する作業なのである。
本来知見を所得する作業として独自の意義を有することが、2の方法とまったく異なる。
もし、この第3の概念がなかったのなら、本書をもって、嚆矢としたい。
4 「多読」は、SSSの専売特許ではなく、その以前から主張されてきたものであることは、既に晴山氏の著書で検討した。
SSSの新規性は、ネットの普及による会員相互の情報交換並びに、為替変動及び需要と供給の相互作用による多読英書の入手の容易さという時代にマッチしたことに依拠する点が大きい。
SSSの多読は、「細部に気を使わず、大雑把に読む」「細かに考えずに、ざっと読む」ことが本質である。
すなわち、SSSの多読は、客観的に考察し、多読の中の一方法にすぎない。
4 なお、「多読」「背景知識と知見の関係」「勉強」「unlearn」などの概念は、さらに検討が必要である。
これが、今回の投稿の目的の1つであり、最初のスレッドの投稿の主題に符合する。
------------------------------
主観の新茶さん、こんにちは。
一カ所だけ…。
〉4 「多読」は、SSSの専売特許ではなく、その以前から主張されてきたものであることは、既に晴山氏の著書で検討した。
〉 SSSの新規性は、ネットの普及による会員相互の情報交換並びに、為替変動及び需要と供給の相互作用による多読英書の入手の容易さという時代にマッチしたことに依拠する点が大きい。
〉 SSSの多読は、「細部に気を使わず、大雑把に読む」「細かに考えずに、ざっと読む」ことが本質である。
〉 すなわち、SSSの多読は、客観的に考察し、多読の中の一方法にすぎない。
多読はSSSの専売特許ではないということについてはそのとおりだと思います。
しかし「本質」については、単に細かいことにとらわれないで読むのではなく、「すらすら読める本」「やさしい本」をたくさん読む、ということが肝心だと思います。今まで「多読的精読」について述べたことがありますが、多読で「細かいところも気にして読む」こともできます。細かいところにこだわって進まなくなるのがいけないのであって、必ずしも「大雑把に読め」と言ってるのではないと思います。ですからそこよりも、レベル0から始める、「やさしい本を読む」ことがSSS多読の大きな特徴だと思います。
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"主観の新茶"さん こんばんは!
古川です。
いろいろ決めつけてあるところがありますので、
部分的に補足・反論させていただきます。、
>ところで、SSSでは、従来、単語を覚えるには、
1 英書を多読するしかない。
多読・多聴・多書・多話ですね。
要するに実際に使うのが一番の近道という主張です。
〉 英英辞書までは、効果がある。
〉 または、英文文法書までは、効果がある、という見解が有力である。
「有力」というのほよくわかりません。
いろいろな考えの人がいると思いますよ。
〉 この見解においては、2の方法は、有害で、英書を読めるようにならないと主張する人もいる。
〉 2の方法を継続すると、かえってマイナスで、元に戻すのに、かかった年数だけ、unlearnが必要であるという見解もある。
かかった年数のunlearnが必要だという見解は私は知りません。
〉 この見解は、2の方法について、「お勉強」などという言葉を使用し、勉強という言葉は、蔑称に使っている人もいる。
〉 なお、英語を多読するしかないといいながら、日本語の思考に依拠する背景知識が重要であるという見解も有力である。
〉 SSSの多読は、背景知識の取得については、各自に任せているから、中には、和書をまったく読まないと主張する会員も存在する。
現時点では、会員制ではないので、
という「掲示板投稿者」もいるというのが正しい表現です。
〉2 昔、試験に出る英単語、今、Duoによる勉強に代表される。
〉 英和辞書を引くという方法も含まれる。
〉 単語を単語として覚えるやり方である。
〉 単語間の脈絡なく、語源を基礎に、英単語を覚えるやり方を含むだろう。
〉 2の見解の人で、ことさら、1の方法を悪く述べる人はいない。
〉 これは、1の見解の人は、英書が読めるようになっていると自負している人がいるのに対し、2の見解の人は、1の方法を並存するし、英書が読めると自負できるSSSの人が、出現していないからであろう。
これも、SSSの人というのが意味不明です。
〉3 和書を読む過程で、知見を取得しながら、英単語相互の有機的関連を理解し、自然に記憶するという方法が、第3の方法として存在する。
〉 単語の習得を目的としたとしても、本来は、知見を取得する作業なのである。
〉 本来知見を所得する作業として独自の意義を有することが、2の方法とまったく異なる。
〉 もし、この第3の概念がなかったのなら、本書をもって、嚆矢としたい。
〉4 「多読」は、SSSの専売特許ではなく、その以前から主張されてきたものであることは、既に晴山氏の著書で検討した。
夏目漱石の時代から「多読」はあったし、おそらく、
その前からもあったでしょう。
〉 SSSの新規性は、ネットの普及による会員相互の情報交換並びに、為替変動及び需要と供給の相互作用による多読英書の入手の容易さという時代にマッチしたことに依拠する点が大きい。
「洋書が入手しやすくなった」ことは大きいですが、
1)「易しい」という概念を変えた点
2)易しい本をどの位読むかという定量的な指標を作ったこと
3)多くの本の語数とYLを提供したこと
が本質でししょう。
なお、1)、2)については、酒井先生の功績が大きいことは
いうまでもありません。
〉 SSSの多読は、「細部に気を使わず、大雑把に読む」「細かに考えずに、ざっと読む」ことが本質である。
〉 すなわち、SSSの多読は、客観的に考察し、多読の中の一方法にすぎない。
〉
多読の一方法であることは言うまでもありません。
すぎない かとうかは見解の分かれるところです。
〉4 なお、「多読」「背景知識と知見の関係」「勉強」「unlearn」などの概念は、さらに検討が必要である。
〉これが、今回の投稿の目的の1つであり、最初のスレッドの投稿の主題に符合する。
よく理解できません。
どうも、問題意識が私とはすれちがっている気がします。
それでは。
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お名前: まりあ@SSS http://buhimaman.at.webry.info/
投稿日: 2008/11/2(04:12)
------------------------------
主観の新茶さん、今晩は。まりあ@SSSです。
〉 SSSの多読は、「細部に気を使わず、大雑把に読む」「細かに考えずに、ざっと読む」ことが本質である。
「知らない単語を飛ばす」と薦めるのは、枝葉に捕らわれて
幹を見失うな、ということであり、木を見ず森を見よ、と
いうことです。細部に拘泥せず全体を読み通して、作者の語り
たい真意を掴もうとすることは、「大雑把に読む」とは
違うと感じます。
「ごくごくやさしい本を読む」ことで、単語の「訳語」では
なく、その単語のカバーする概念の範囲やイメージを体得
することを目指すもので、「細部に気を使わず」「細かに
考えずに」と括られることにも違和感があります。
〉 すなわち、SSSの多読は、客観的に考察し、多読の中の一方法にすぎない。
〉
上段とどう結びつくのか、私には理解できないところですが、
SSSの多読の定義を論じあっても英語が出来るようになる
わけではありません。
別に誰かが特許申請をしているわけではありませんから、
新奇発明であろうが、従前からあったもののバリエーションで
あろうがどうでも良いことです。
現にSSSの多読で多くの人が洋書を読めるようになっている、
という厳然とした事実があるのですから、それで良いでは
ありませんか!
Happy Reading!
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お名前: pandada45 http://dokusyodeeigo.blog87.fc2.com/
投稿日: 2008/11/2(08:29)
------------------------------
pandada45 です。
主観の新茶 さん、はじめまして(だと思います)
杏樹さん、古川さん、まりあさん おはようございます。
"主観の新茶"さんは[url:kb:381]で書きました:
〉主観の新茶です。
〉古田裕清 著 『翻訳語としての日本の法律用語』は、これを理解しながら読むことにより、
記憶という作業を特別に行うまでもなく、日中英独仏ラテン語の6語の有機的関連の単語を、
思想の体系の中で体得することができる。
〉この知見は、大学の1、2年程度のものであるといってよい。
〉したがって、専門的知見に属するが、一般教養の範囲をでないともいえる。
〉この本は、さりながら、やや特殊であるから、理系、文系をとわず、体系的知見を取り入れ
ながら、英単語も覚えられるという和書を紹介できればと祈念する。
〉自家薬籠中の物とまではいかなくとも、消化できたものは、紹介していきたい。
『翻訳語としての日本の法律用語』という本があるのですね。
pandada45 の事例に当てはめますと
NEDOのホームページに「よくわかる!技術解説」
http://app2.infoc.nedo.go.jp/kaisetsu/index.html
というのがあって、この中で例えば
よくわかる!技術解説 > バイオテクノロジー・医療技術分野 >バイオテクノロジーとは
http://app2.infoc.nedo.go.jp/kaisetsu/bio/bi04/index.html
というのがあるのですが、このページを理解しながら読むことによって、記憶という
作業を特別に行うまでもなく、バイオテクノロジーに関する有機的関連の語彙
(この場合は日本語ですが)を、技術の体系の中で体得することができる。
と言うのと同じですね。すばらしい。
でも、私は法律用語は科学捜査専門家 Lincoln Rhyme に教わるかなあ。
Kinsey Millhone はどうなんでしょうか?
〉ところで、SSSでは、従来、単語を覚えるには、…
これ以下の部分は、4項の「すなわち」以下の文章が結論だとすると、オレンジさんの
言われる英単語の覚え方の紹介とは違う議論なのでチョキチョキしますね。
それから軽くお願いです。
「である調」で文章を書かれていますが、「ですます調」で書いていただけると
読みやすくて助かるのですが…。
「紹介できればと祈念する。」も「紹介できればよいと思うなあ」とか
「紹介していきたいと考えます。」と書いていただければぐっと親しみが湧くのですが。
もっとも、そのように書こうと気構えて掲示板への投稿が減ってしまっては本末転倒
ですので、あまり気にしないでくださいね。
それでは Happy Reading!
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395. Re: 私の今回の主題に正面から回答したはじめての投稿ですがー第3の道 単語の体系の増強
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/2(19:41)
------------------------------
pandada45さん
主観の新茶 です。
正式には、次回、お答えしますが、その前に。
私の主張は、第2の道、つまり、オレンジさんの最初の投稿であるDUOの話に対応したものであるということは、私の投稿の最後に、念のため述べていますが、それを理解した上で、かつ、反応されたのは、あなただけです。
オレンジさんの名前を出していないのは、オレンジさんに返答を煩わせないためです。
〉よくわかる!技術解説 > バイオテクノロジー・医療技術分野 >バイオテクノロジーとは
〉http://app2.infoc.nedo.go.jp/kaisetsu/bio/bi04/index.html
〉
〉というのがあるのですが、このページを理解しながら読むことによって、記憶という
〉作業を特別に行うまでもなく、バイオテクノロジーに関する有機的関連の語彙
〉(この場合は日本語ですが)を、技術の体系の中で体得することができる。
〉
〉と言うのと同じですね。すばらしい。
残念ながら、私は、私が述べたことが、すばらしいと言われるほどのことではないと思っています。
〉
〉でも、私は法律用語は科学捜査専門家 Lincoln Rhyme に教わるかなあ。
〉Kinsey Millhone はどうなんでしょうか?
しかし、この文章で、結局、私の主張に、正面から答えておられないことがわかりました。
主張していることが、理解しにくいのでしょうかね。
〉これ以下の部分は、4項の「すなわち」以下の文章が結論だとすると、オレンジさんの
〉言われる英単語の覚え方の紹介とは違う議論なのでチョキチョキしますね。
〉
「すなわち」以下の文章は、結論ではありません。
「ところで」までが、主題、1,2,3は、その補足説明であり、4は、さらに、1,2,3の補足説明になるという関係です。
12345となるところ、12344という誤字があります。
それでは、次回。
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404. Re: 私の今回の主題に正面から回答したはじめての投稿ですがー第3の道 単語の体系の増強
お名前: pandada45 http://dokusyodeeigo.blog87.fc2.com/
投稿日: 2008/11/3(08:00)
------------------------------
pandada45 です。 おはようございます。
"主観の新茶"さんは[url:kb:395]で書きました:
〉pandada45さん
〉主観の新茶 です。
〉正式には、次回、お答えしますが、その前に。
正式な回答、お待ちしていますね。
いやー、ドキドキするなあ。
でも、なにに回答していただけるのかなあ?
〉私の主張は、第2の道、つまり、オレンジさんの最初の投稿であるDUOの話に
対応したものであるということは、私の投稿の最後に、念のため述べていますが、
それを理解した上で、かつ、反応されたのは、あなただけです。
〉オレンジさんの名前を出していないのは、オレンジさんに返答を煩わせないためです。
〉〉よくわかる!技術解説 > バイオテクノロジー・医療技術分野 >バイオテクノロジーとは
〉〉http://app2.infoc.nedo.go.jp/kaisetsu/bio/bi04/index.html
〉〉
〉〉というのがあるのですが、このページを理解しながら読むことによって、記憶という
〉〉作業を特別に行うまでもなく、バイオテクノロジーに関する有機的関連の語彙
〉〉(この場合は日本語ですが)を、技術の体系の中で体得することができる。
〉〉
〉〉と言うのと同じですね。すばらしい。
〉残念ながら、私は、私が述べたことが、すばらしいと言われるほどのことではないと思っています。
なーんだ、たいしたことではないんですね。
私は、よく「これすげーよ、すごい発見だよ」とカミさんや子供につい言ってしまうので
狼中年です。
〉〉
〉〉でも、私は法律用語は科学捜査専門家 Lincoln Rhyme に教わるかなあ。
〉〉Kinsey Millhone はどうなんでしょうか?
〉しかし、この文章で、結局、私の主張に、正面から答えておられないことがわかりました。
〉主張していることが、理解しにくいのでしょうかね。
あーこの言い方、嫌いですね。まるで私が馬鹿みたいじゃないですか?
ヘキサゴンの問題だって結構答えられると思うんですがねえ。
私は次のように考えたんですけれどねえ。違いましたか。
古田裕清さんの著された『翻訳語としての日本の法律用語』という本を理解
しながら読めば、日本の法律用語とその対になる各国の法律用語を、
「権利(日)right(英) das Recht(独) le droit(仏)」を唱えて覚える
ということをしなくても、覚えるだけじゃなくて使えるようになりますよ。
こんなことは大学1年2年生になれば分かることでしょう。
だから専門課程(大学3年4年以降)で教わることかも知れないけれど、1年、2年
生なら分かるとことでしょうと言っても言い過ぎではないと思う。
だけれど、この本は普通はなじみが無いと思うので、文科系の人でも理科系の人
でもことがらを関連付けながら英単語を覚えることのできる日本語で書かれた本
を紹介できたらいいなと思います。
必要に応じて自分の思うままに使えるものになったと言えないまでも、自分の身
に付いたものは紹介したいと思います。
上記のような内容だと思ったので、私は法律の専門用語を解説している和書を読む
ことではなくて、探偵ものの小説を原書で読むことによって、日常出てくる程度の
法律用語や警察関係用語の英語版が使えるようになればいいなと思っている、と言
いたかったんですよ。Lincoln Rhyme や Kinsey Millhone の名前を出すことでですね。
〉〉これ以下の部分は、4項の「すなわち」以下の文章が結論だとすると、オレンジさんの
〉〉言われる英単語の覚え方の紹介とは違う議論なのでチョキチョキしますね。
〉〉
〉「すなわち」以下の文章は、結論ではありません。
〉「ところで」までが、主題、1,2,3は、その補足説明であり、4は、さらに、1,2,3の補足説明になるという
関係です。
〉12345となるところ、12344という誤字があります。
1,2,3,4,5の誤記でしたか。失礼しました。
『4 なお、「多読」「… 』 とあるので混乱しました。
一番最後に「これが、今回の投稿の目的の1つであり、」と書かれても、『これ』とは
今まで読んできた文章のどこがここなのか分かりにくいと思いますよ。
『目的』
(仮:私は英単語の覚え方を紹介したい)
『結論』
(仮:古田裕清さんの『翻訳語としての…』をよく読むと良いと考える。)
『説明』
『まとめ』
(仮:『翻訳語としての…』はなじみが薄いので、なじみやすい日本語で書か
れた本を探して、その本でやってもて自分で身に付いたと思ったら紹介し
たいと思います。)
といったように書かれれば、私でも間違わずに理解できると思いますが。
〉
〉それでは、次回。
次回を楽しみのお待ちしています。
それでは Happy Reading!
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408. Re: 私の今回の主題に正面から回答したはじめての投稿ですがー第3の道 単語の体系の増強
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/3(10:08)
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簡単で失礼であるかもしれないが、以下。
私が言外に述べた仮説は、もう一つの本である「翻訳語成立事情」を読んで考察したり、私の200万語の主張を推し進めたりしないと、やはり、客観的に見て、誰もが理解し難いのではないかと思われる。
私の仮説では、貴殿の本の選択には、ならないのである。
その意味で、私の主張を理解されておられないか、客観的に、私の主張に反対を表明されておられるのである。
である調で失礼。
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お名前: 杏樹
投稿日: 2008/10/16(01:32)
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たかぽんぽこ、ぽこぽんぽん!
〉そして、「三原則」に則った多読だけを「多読」ととらえる姿勢の中に、
〉精読をしたいんだけど「多読」に反するからダメだろうか、とか、
〉英英辞書でいっぱい調べたいんだけど「多読」に反するからダメだろうか、などの、
〉無用な悩みが生まれているような気がするんですね。
結局たかぽん自身が多読と精読を分けて考えてしまってるんじゃないですか?だからそういったことが気になるのでは。
1年ぐらい前でしたか、800万語報告の時に多読的精読とは、ということを書いてるんです。平たく言えば、「丁寧に読む」のが多読的精読と言えるのではないか、ということです。
また、私はずーーーーと前から、「ひいてはいけない」のは基本的に英和辞典のことで、「読めるようになったら英英辞典」はOKだろうと言い続けています。そのために辞書引き実験報告もしました。
結局、掲示板に書いていることって、その場限りで通り過ぎてしまって、多読の方法や考え方として定着するわけではないんですね。だから今までも同じような話題が繰り返されたりするんです。精読についても勉強の掲示板以前に話題になったこともあるのですが。
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杏樹ぽん、ぽぽぽこぽん!
〉たかぽんぽこ、ぽこぽんぽん!
たぬき御殿ですか、ここは…
〉〉そして、「三原則」に則った多読だけを「多読」ととらえる姿勢の中に、
〉〉精読をしたいんだけど「多読」に反するからダメだろうか、とか、
〉〉英英辞書でいっぱい調べたいんだけど「多読」に反するからダメだろうか、などの、
〉〉無用な悩みが生まれているような気がするんですね。
〉結局たかぽん自身が多読と精読を分けて考えてしまってるんじゃないですか?だからそういったことが気になるのでは。
そんなことないです。
fionaさんへのレスにも書きましたが、多読と少読が対立概念で、精読と粗読が対立概念だと思ってます。
(思ってるというか、fionaさんのご意見に賛同しただけですが…)
〉1年ぐらい前でしたか、800万語報告の時に多読的精読とは、ということを書いてるんです。平たく言えば、「丁寧に読む」のが多読的精読と言えるのではないか、ということです。
〉また、私はずーーーーと前から、「ひいてはいけない」のは基本的に英和辞典のことで、「読めるようになったら英英辞典」はOKだろうと言い続けています。そのために辞書引き実験報告もしました。
そうでしたよね。
じゃあ、意見一致してますよね。あれ?
〉結局、掲示板に書いていることって、その場限りで通り過ぎてしまって、多読の方法や考え方として定着するわけではないんですね。だから今までも同じような話題が繰り返されたりするんです。精読についても勉強の掲示板以前に話題になったこともあるのですが。
まぁ、何回でも話題にしていいと思いますけど…
私が言いたいのは、要するに、最初軌道に乗るまでは「多読三原則」守るのがいいだろうけど、
慣れてきたら、精読したり(これも多読)、英英辞書引いたりしたりしてもいい、
結局は多読って、外国語を直接たくさん読む、ってことに尽きるんだからさ、
ということです。
たぶん、杏樹さんのご意見と一致してると思います。
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お名前: fiona
投稿日: 2008/10/16(18:27)
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たかぽんさん、杏樹さん、極楽トンボさん、再び今晩は。
多読三原則について、いろいろ議論があるようですが、
私は、いつまでも(多読の量に関わらず)重要な原則だとは思います。(少なくとも私にとっては)
単に多読初心者向け、だけとは思えません。
その理由は、母語(日本語)で本を読むとき、
特殊な例外を除いて、この多読三原則に従って読んでいるからです。
別に、誰かに言われた訳ではないのですが、
「辞書を引かない」「分からないところは飛ばすか雰囲気で流す」「つまらない本は、途中でやめる」と言うのは、私にとっては、母語(日本語)の読書の自然なスタイルです。
本を読むようになってから、既に(日本語は)数千冊は読んでいますが、(本を読んでいる途中で、またはその後で)辞書を引いたのは多分両手で数えるほどではないかと思います。分からないことを調べたのは、それよりは多いかも知れませんが。
(多分3、4才から)ずっと、辞書なんかほとんど引いていませんが、いつの間にか読めるようになっていたという感じです。
まあ、英語も同じじゃないの…と思っています。
あまり無理に語彙を増やそうとしても、弊害が多すぎるみたいだし…私は、そんなに急ぐ理由も、今のところありません。
ある程度まで英語多読をやってきたら、辞書を引くのも、分からないところを調べてみるのも良いかもしれません。
ただ、これを続けるのは、(少なくとも私にとっては)自然な本の読み方ではありません。
多読三原則に外れた読み方を続けている場合、どこか無理をした読み方をしています。
そう言う読み方が必要な場合は、まあ仕方ないけど、必要もないのにやるのはどうでしょうか?
時々やってみるのも良いかも知れないのですが、長期にやると、どこかに変な歪みを作ってしまいそうな気がします(と言うより、私の場合は、途中でイヤになって続かないと思う)。
もし、母語の自然な読書のスタイルが、多読三原則を外れているなら、英語多読でも同じように、多読三原則を外れても良いようには思います。
でも、母語の自然な読書スタイルが、多読三原則に従ったものなら、多読三原則を外した読み方は、(その人の)自然な本の読み方ではない可能性が大きいのではないでしょうか。
どのように読むのも、個人の自由ですが、必要もないのに多読三原則を外すのは、本を、どこか無理をして読むことになりそうで、私としては、簡単にお薦めしたくありません。
何か、必要があるとか、無理のある(かもしれない)ことを知っていて試みるのなら良いとは思うのですが…。
多読三原則、とらわれ過ぎるのも問題があるのかもしれませんが、あまり軽く考えすぎるのも問題があるように思います。
ではでは。
P.S.
上記の、辞書を引くとか、分からないところを調べると言うのは、あくまでも、本を読みながら…でです。
本を読むことに直接関係なく、辞書や百科事典を気の向くまま読んだりすることはあります。
でも、語彙を増やすため辞書を読むと言うのは、効率良いのかな?
今まで読んできた語彙を、整理するには良いと思いますが、新たな語彙を増やすために読むのは、効率が悪すぎる気がします。
知らない語について読んで、「へぇー」と思うのは良いけど、無理やり覚えるのは……。
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245. 語彙増強法の違いによって獲得される語彙力に違いが出るのでは
お名前: 極楽トンボ
投稿日: 2008/10/16(19:13)
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fionaさん、こんばんは。
極楽トンボでーす。
〉もし、母語の自然な読書のスタイルが、多読三原則を外れているなら、英語多読でも同じように、多読三原則を外れても良いようには思います。
〉でも、母語の自然な読書スタイルが、多読三原則に従ったものなら、多読三原則を外した読み方は、(その人の)自然な本の読み方ではない可能性が大きいのではないでしょうか。
多読三原則向きの本とそうでない本って確実にあると思います。また、本を読む目的が異なれば、同じ本を読むにしても多読三原則など守ってられるか!というケースもあるかと思います。つまり、多読三原則に則った読書も、そうでない読書も、とくに不自然とまでは言えないわけです。ましてや、個人の読書生活史によって自然かどうか判断できるようなことではないと思います。ですからわたしは、多読三原則は、ただ単に、読書を通じた外国語の修得の方法的理念にすぎないと考えざるを得ないと思います。
いずれにせよ、多読三原則で語彙を増強できるという前提にたった上で、これをそれ以外の語彙増強法といろいろな面から比較してみる作業がこれから必要になってくるだろうなと思います。なにしろ、わたしにはまだ多読で培う語彙力なんてぜんぜん実感できていないのですから。迷うところです。だから、オレンジさんをはじめ、単語帳で語彙増強を志しているみなさんに、単語帳で培った語彙力と多読で培った語彙力との違いを報告してくださると助かります。
こういう英語に接したり用いる局面ではこういう語彙増強法で増強した語彙が役に立ったけど、別の局面では別の語彙増強法で身につけた語彙の方が役に立ったなんていう報告があったら読みたいです。たとえば、会話の局面と、報道に接する局面なんか違いがあるのでは。
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263. Re: 多読三原則、外国語の習得の方法にすぎない?
お名前: fiona
投稿日: 2008/10/18(19:58)
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極楽トンボさん、今晩は。
多読三原則向きでない本、どんな本かなあと考えてみたのですが、思い当たりませんでした。
一応、日本語の本で…考えてみましたが(英語のものは読んだ量が少ないので)。
ゆっくり精読する本はあるにしても、辞書を引いたり、分からない部分を調べながら読むような本は、特に思い当たりません(特別な場合を除く)。
辞書を引き、分からないことを調べないと読めない本って、今の自分には難しすぎて合っていないものなので、普通は読みません。
そのような場合は、たいてい、同じ内容を、もっと易しく書いたものか、入門書から順に読みます。
これは、人によって違うのかも知れませんが…。
そのような本を無理にでも読まないといけない場合、また、普通に読める本を調べながら読むような場合は、特別な場合ではないかと思います。
例えば、テストがあるとか、レポートを書かないといけないとか、仕事上すぐに必要だとか。
このような場合は、辞書を引いたり、いろいろ調べながら読むでしょうね。
そう言う必要もないのに、辞書を引いたり、調べながら読む。
やって、良い悪いは別として、小説なら、中身を味わえないし、○×新書みたいなのだと、余計に内容がつかめなくなりそうな気もするし(細かいところに意識が行き過ぎて)、
流れをあまりにぶつ切れにして読むのは、普通の読み方でないように思います。
(ただ、中には、きちんとすべて調べながら読むのが普通、と言う方もあるので、すべての人がこうであると言うわけではありません)
英語を多読するとき、何も、無理に特別な読み方をしなくても良いのではないか…と思ったのですが。
場合によっては、辞書を引いたり、何かを調べることもあるかもしれません。
でも、英語多読量が数千万語になっても、基本的には「多読三原則」に沿った読み方をするのが普通なのではないか。
と言うより、自然とそう言う読み方をするのではないかと思っています。
どうなんでしょう?
ではでは。
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299. Re: 多読三原則、外国語の習得の方法にすぎない?
お名前: 極楽トンボ
投稿日: 2008/10/23(15:28)
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fionaさん、すこし遅くなりましたが、極楽トンボのお返事です。
多読三原則向きではない本というのは、何も辞書を引いたり参考書を参照することを要求するような本のことを念頭においているわけではありません。皆さん本を読むときに、本を読みながら考えちゃうことってあるでしょ、考えながら本を読んでいたら、前後読みたいところに飛んで読んだりすることもあるかわりに、読みたいところを考えながらじっくりよんでしまうこともあるのではないでしょうか?わたしは、本を読むときに大事だと思うところや、好きなところを探して、そこを何度もじっくりと意味をよく考えながら読むのが好きです。これって、わからないところは飛ばして読むというSSS多読第二原則に反しているような気がします。
三原則の中でわたしが苦痛なく守れるのは辞書を引かないことだけです。投げ技はできません。でも、200頁くらいだったらわからなくても最後のページまで目を通すくらいはできます。読み飛ばしも苦痛ですが、なんとかやろうと思えばできるようになりました。
いま、レインボウマジックの56巻を読んでいます。YL2.5とされる本ですが、読み飛ばしの術を使って読むと、やっとあらすじがたどれる程度に、ぼやーんとぼやけてしまい、楽しめないので、ものすごくフラストレーションがたまります。これを、こころの和訳マシーンが発動しない程度にゆっくりと読み、その際、読み飛ばしたら意味がつかめなくなるところがどこか確定した上で、返り読みをしない程度にじっくり意味内容を把握するような読み方で読むと飛躍的に解像度が上がります。
このとき、わたしは単語の順番を入れ替えながら和訳するようなことはしていないと思いますが、読み飛ばしたら意味がつかめなくなりそうな箇所に気をつけながら意味を把握する過程で、どうしても文法的分析の真似事をしているのではないかと恐れています。これでは、いかんのではないかなあーと思うのですが、レインボウマジックもたくさん読むと面白くなってきて、あらすじだけわかれば結構、はい次、というわけになかなか参りません。最初はそういうつもりでレインボウマジックを選んだんですけどね。下手をすると、まず一回目は飛ばし読みだけで読み、次に読み飛ばしではよくわからなかった箇所を重点的に読むという、多読だかなんだかわかんない読み方をしたりしてます。
レインボウマジックは、皆さんご承知の通り、妖精界の王様と悪い妖精ジャックフロストとの抗争を、妖精の王様の味方をしてゴブリンたちと戦う女の子二人組の眼から描いた物語です。あんなにおびただしいヴァリエーションが作れるくらいですから、レインボウマジックの物語はかなり骨組みがしっかりできていると思います。
それで、レインボウマジックもだんだん様子がわかってくると、いろいろ疑問が浮かんでくるわけです。ジャックフロストは妖精の王様と戦ったら負けることがわかっているのに、それにもかかわらずなぜ反逆するのだろうか?ジャックフロストおよび、彼のゴブリンたちは愚昧で卑劣で無力なものたちのように描かれているのに、ときどき、えらくかっこよく描かれることもあるのはどうしてだろうか?逆によい子ちゃんのはずの女の子たちや妖精たちもけっこうエグイ手口でゴブリンたちをやっつけたりしているのはなぜなのだろうか?女の子二人組みも妖精たちもみんなすごく似通っていて、千篇一律なのに、うちの幼稚園のむすめはそれらの絵の一つ一つに異常に反応するのはどうしてだろうか?すると、解像度をあげて読みたい箇所が増えてきてしまって飛ばし読みで一丁上がりと言うわけにはいかないのです。
まーこれは単に、わたしがレインボウマジックを読むにはまだ時期尚早であるということなのかもしれませんが、そういう指摘に対しては、レインボウマジックくらい読ましてくれよーと、弱弱しくお答えするほかありません。
そういうわけで、わたしにとって、読み飛ばしてもまったく気にならない本と、読み飛ばしたら楽しめない本との2種類があるわけです。日刊ゲンダイは前者、レインボウマジックは最初の15冊くらいまでは前者だったのですが、だんだん後者になってきてしまって困っています。
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極楽トンボさん、今晩は。
私は、「多読三原則には合わない」、という場合、
「いろんなことを調べたり、文法解析をしたりして」読むのかと思っていました。
失礼しました。
極楽トンボさんの読み方、私個人は、「分からないところは飛ばす」に反しているとは思いません。
単に、じっくり読んでいるだけだと思います。
「多読」の中の「精読」か、それに近い読み方をされているのではないでしょうか。
そのほうが、楽しく読めるようなら別に良いのではないかと(個人的)には思います。
また、「分からないところは飛ばす」は、「読み飛ばす」、ではないと思っています。
この原則に反することとは、「わからない単語にこだわる」「(内容ではなく、語学的に)分からない部分にこだわって、場合によっては文法解析などをする」、
と言うようなことではないでしょうか。
別の言い方をすると、日本語ではしないような、分からない語、部分への「変なこだわり」をすることではないでしょうか。
(人によって、意見が違うかも知れません)
日本語でも、粗めにどんどん読むのが好きな人と、ゆっくり、じっくりと読むのが好きな人とがいます。英語でも同じだと思います。
このあたりは、個人の好みや趣味の問題では…?
ではでは
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極楽トンボさん、こんにちは。
私も極楽トンボさんの読み方は多読三原則に反している、とは言えないと思います。
去年10月に800万語通過してその時の報告に書いたことですが、そのころ私はロマンス本でPBを何冊も読んでいました。読めるようになったのは、どんどん飛ばしていたからです。1行や2行どころか、数ページでもわからないまま平気で飛ばしていました。
しかし800万語通過本は「ダレン・シャン」でした。ずっと前に読みかけて、難しくて止まっていたのを一気に最後まで読んだのです。それでもけっこう難しくて、すらすらといは行きませんでした。わからないところもたくさんありました。そのとき、ロマンス本のような飛ばし方で読んでいたら内容がつかみにくい、わかりにくいことに気がつきました。それで、もっとゆっくりじっくり読んでみることにしました。わかりにくいところをすっ飛ばさないでゆっくり丁寧に読んでみると、けっこうわかってくるのです。
それで私はこういう読み方が「多読的精読」ではないかという報告をしました。辞書は引いてませんし、和訳してませんし、丁寧に読んでるだけで、無理はしてません。ゆっくり読んでもわからないところはわからないので、そういうところは飛ばします。完璧100パーセントわからなくてもいいんですから。
こういう読み方に気がついたのも、児童書が苦手で、児童書をあまり読まずに無理矢理PBを読み続けて読めるようになったPBの先輩が、PBは1ページや2ページ飛ばしても、1章や2章飛ばしても読める、でも児童書はそんな飛ばし方をしたらわからないから読めないと言っていたのです。
ですから児童書の方がPBよりも丁寧に読んだほうがいい、ということがあるようです。どんな飛ばし方をするかは、自分が納得すればそれでいいんじゃないでしょうか。
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292. Re: 語彙増強法の違いによって獲得される語彙力に違いが出るのでは
お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/10/21(08:42)
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極楽トンボさん、
横から失礼します。
多読を始める前に単語の暗記をしたことのある人は沢山いるはずです。
その体験をつきあわせてみると、
何らかの発見があるかもしれませんね。
僕も昔やったことはあります。
日本語訳とつなげて1000語までやり、
それ以上は続きませんでした。
そのとき暗記した訳語をふりかえって見ると、
あまり正確とは言えません。
多読を通しての矯正が必要だったし、
英文を読んでいるときに訳語がポップアップしてくると読む速度が上がらないので、
その癖が無くなるまで努力が必要でした。
最初から多読を通して英単語を理解する方法の方が正確だし、
矯正にかかる時間を考えれば効率面でもそんなに劣ることはないと感じるようになりました。
そうなるまで10年ぐらいかかったと思います。
それから、
作文に必要な語彙力と、
読書に必要な語彙力は、
分けて考える方が実際的だと僕は思っています。
どちらも多読で思っていますが。
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301. Re: 語彙増強法の違いによって獲得される語彙力に違いが出るのでは
お名前: 極楽トンボ
投稿日: 2008/10/23(16:50)
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"Ry0tasan"さんは[url:kb:292]で書きました:
〉極楽トンボさん、
〉横から失礼します。
Ry0tasan、こんにちわ、極楽トンボです!
わたし、影響を受けやすいほうなので、オレンジさんの投稿を読んだら、DUOに興味がでてしまって、ブッククラブの帰りに本屋でDUOを購入してしまったのです(Oh!Mah!Ah!さんの英語喉は店頭になかったので未購入です)。掲示板のみなさんには内緒でこっそりやってみようかなと思っていたら、Ry0tasanさんにお便りいただきました。わたしがDUOに手を出すなんて、なんでわかったんですか?
〉僕も昔やったことはあります。
〉日本語訳とつなげて1000語までやり、
〉それ以上は続きませんでした。
〉そのとき暗記した訳語をふりかえって見ると、
〉あまり正確とは言えません。
〉多読を通しての矯正が必要だったし、
〉英文を読んでいるときに訳語がポップアップしてくると読む速度が上がらないので、
〉その癖が無くなるまで努力が必要でした。
〉最初から多読を通して英単語を理解する方法の方が正確だし、
〉矯正にかかる時間を考えれば効率面でもそんなに劣ることはないと感じるようになりました。
〉そうなるまで10年ぐらいかかったと思います。
こわーい副作用があるということですね。DUOは、新聞やニュースに出てくる語彙や抽象的な概念語が主です。レインボウマジックにでてくるようなネイティブにとって身近な語彙って、外国人には使いこなせない語彙が多いので、そういう語彙を多読によって身につけるというのは非常に理にかなっていると思います。しかし、新聞報道に出てくる語彙は、抽象的な概念語が多いので、単語集で覚えてもあまり害がないのではなかろうかと愚考した次第。また、大学受験以来、英語の勉強は実質的に多読が初めてのわたしでも、けっこう知っている単語が多かったのは意外でした。これならDUOを覚えるのはそんなに大変じゃないぞ、と意気込んでいたところでした。修正するのにRyotasanでも十年かかるんじゃあ、わたしなんざ生きてる間に修正する見込みがありません。うーん、やっぱやめようかなあ。
〉それから、
〉作文に必要な語彙力と、
〉読書に必要な語彙力は、
〉分けて考える方が実際的だと僕は思っています。
〉どちらも多読で思っていますが。
わたしも中国語学習の経験から、なんとなくそう思っていました。作文時の語彙力は、運用する力が必要であり、読書時の語彙力は運用するほどの力がなくてもいいということでしょうか。でも、酒井先生のブログなど見てると、そういう分け方を否定しているように見えます。一つの単語の背後にどれだけの英語の海を感じることができるかが勝負だとすれば、作文などに運用できるほどの語彙の力がないと、読書も本当の読書にならないような印象を受けます。酒井先生の議論から受けるわたしの印象が酒井先生の議論をどれだけ忠実になぞっているかはよくわかりませんが、作文や読書に必要な語彙がどのようなものであるか、わたしの考えは揺らいでおります。
オレンジ方式でDUOでもやってみようかと思ったのも、単語集で単語の和訳を覚えるのはよくないことと知りつつ、でもある程度語彙がなければ多読はスムースに進まないのではないかと思うからです。VOAスペシャルから、本格的なニュースにうつるにはどうしたらいいか、英字紙などを多読するにはどうしたらいいのか、これはやってみる価値があるかもしれないと思ったわけです。ある程度語彙を身につけておいてから、多読で和臭を拭い去ればよいと考えたのです。
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305. Re: 語彙増強法の違いによって獲得される語彙力に違いが出るのでは
お名前: まりあ@SSS http://buhimaman.at.webry.info/
投稿日: 2008/10/23(18:46)
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Ry0tasan、極楽トンボさん、こんにちは。 まりあ@SSSです。
〉〉そのとき暗記した訳語をふりかえって見ると、
〉〉あまり正確とは言えません。
どんな辞書も単語帳も、宿命的に訳語が正確ということは
あり得ないと思います。
2つの言語を「語」単位で対応させることには無理があると
思うからです。
緑=green は誤りではありませんが、緑は若葉とかみずみず
しさをイメージするのに対して、green は鼻くそとか、べとべとの
モンスターとか、嫉妬に狂った眼差しとか、嫌なものを連想しや
すい言葉です。訳語としての対応にはさほどの誤差がなくても、
その単語に結びつくイメージが正反対だったりすることはしじゅう
あります。
脊索動物門哺乳綱齧歯目キヌゲネズミ亜科というような、
学術用語で、各国がまったく同一のものを指し示すように
言葉の定義をしかるべき機関が定めているとか、衆議院・
参議院とか各国の行政組織の呼び方など、外務省や報道機関
が訳語のガイドラインを定めている、あるいは集積回路など
IT関連の言葉で、これは誰がリードしているのか知りませんが
英語での定義をそのままもってこないとコンピューターが
動かないといった特殊事情があって訳語が集約される事情が
あるもの、など訳語がニュアンスを含んでは言葉として
成り立たない特殊な事情がある場合は例外となりますね。
こうした専門用語は、専門用語辞典で学べると思います。
〉〉多読を通しての矯正が必要だったし、
〉〉英文を読んでいるときに訳語がポップアップしてくると読む速度が上がらないので、
〉〉その癖が無くなるまで努力が必要でした。
そういうものの存在があるかどうかは別として、みなさんの憧れる
「英語脳」「英語回路」獲得への回り道!
〉〉最初から多読を通して英単語を理解する方法の方が正確だし、
〉〉矯正にかかる時間を考えれば効率面でもそんなに劣ることはないと感じるようになりました。
まさに急がば回れ!ですね。
〉こわーい副作用があるということですね。
副作用で済めばいいですが、一生ペーパーバックを読める
ようにならなかった人がほとんどでしょう?
多読でペーパーバックが読めるようになったタドキスト
仲間は何十人も知っていますが、「DUO単完全暗記でR・パーカー
が読めた!」とかいう人知りません.. ↑
↑
PBとしてはかなりやさしい部類
〉また、大学受験以来、英語の勉強は実質的に多読が初めてのわたしでも、
〉けっこう知っている単語が多かったのは意外でした。これならDUOを覚え
〉るのはそんなに大変じゃないぞ、と意気込んでいたところでした。
昔は英語の勉強というと単語の暗記くらいしかなく、イディオム
とか慣用表現などという用語すらなかったので、若さに任せて
7,000語くらい叩き込んでいましたけど、Magic Tree House に
手こずりました。
DUOを覚えるのは簡単でも、覚えて本が読めないと意味が
ありません...
〉修正するのにRyotasanでも十年かかるんじゃあ、わたしなんざ生きてる
〉間に修正する見込みがありません。うーん、やっぱやめようかなあ。
やめておくことをお薦め。時間は大切です。
〉〉それから、
〉〉作文に必要な語彙力と、
〉〉読書に必要な語彙力は、
〉〉分けて考える方が実際的だと僕は思っています。
〉〉どちらも多読で思っていますが。
〉酒井先生のブログなど見てると、そういう分け方を否定しているように
〉見えます。一つの単語の背後にどれだけの英語の海を感じることができる
〉かが勝負だとすれば、作文などに運用できるほどの語彙の力がないと、
〉読書も本当の読書にならないような印象を受けます。
読書の場合は物語全体から、英語の海が見えてくるので、
最初から単語の背後まで見えている必要はありません。
単語を正しく覚えて読書ができるようになるのではなく、読書する
ことでひとつひとつ単語の背景が見えてくるのです。
Ry0tasanは、運用語彙(使いこなせるレベルに理解=作文に必要)
と認識語彙(おぼろげに把握=読書は可能)という差について
おっしゃりたかったのではないかな?
最終的には、かなりの部分が運用語彙レベルの状態で読書しない
と本当の読書ではないといえるでしょうが、日本語でもある程度は
認識語彙レベルで読書するのが普通です。たくさん読んで認識語彙が
運用語彙に昇華します。いきなり運用語彙をふやしてから読書を
はじめるというわけにはいきません。
〉でもある程度語彙がなければ多読はスムースに進まないのではないかと
〉思うからです。VOAスペシャルから、本格的なニュースにうつるにはどう
〉したらいいか、英字紙などを多読するにはどうしたらいいのか、
今なら金融危機とか、大統領選挙とか大事件が起きたときから
それ関連のニュースを毎日追っていけば、同じような単語が繰り
返され、少しずつ変化していきますから語彙も無理なく増えていくと
思いますが。
もちろん新聞にも目を通して、「あの話しね」とピンと来るよう
アンテナをたてておいて、ですが。
Happy Reading!
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314. Re: 語彙増強法の違いによって獲得される語彙力に違いが出るのでは
お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/10/25(09:23)
------------------------------
しばらく書き込みできなかったんですが、
極楽トンボさん、
おはようございます。
〉"Ry0tasan"さんは[url:kb:292]で書きました:
〉〉極楽トンボさん、
〉〉横から失礼します。
〉Ry0tasan、こんにちわ、極楽トンボです!
〉わたし、影響を受けやすいほうなので、オレンジさんの投稿を読んだら、DUOに興味がでてしまって、ブッククラブの帰りに本屋でDUOを購入してしまったのです(Oh!Mah!Ah!さんの英語喉は店頭になかったので未購入です)。掲示板のみなさんには内緒でこっそりやってみようかなと思っていたら、Ry0tasanさんにお便りいただきました。わたしがDUOに手を出すなんて、なんでわかったんですか?
いえ、
特に誰か特定の人のことを想定して書いたわけではありません。
日本語で英語を身につけようとしている人なら、
この種の疑問が気になる時期は必ずあるので書いただけです。
どういう方法でも、
自分で実際にやってみないと、
本当の効果や副作用は分かりません。
長期的な影響は、
長期的に経験してみないと分かりません。
〉〉僕も昔やったことはあります。
〉〉日本語訳とつなげて1000語までやり、
〉〉それ以上は続きませんでした。
〉〉そのとき暗記した訳語をふりかえって見ると、
〉〉あまり正確とは言えません。
〉〉多読を通しての矯正が必要だったし、
〉〉英文を読んでいるときに訳語がポップアップしてくると読む速度が上がらないので、
〉〉その癖が無くなるまで努力が必要でした。
〉〉最初から多読を通して英単語を理解する方法の方が正確だし、
〉〉矯正にかかる時間を考えれば効率面でもそんなに劣ることはないと感じるようになりました。
〉〉そうなるまで10年ぐらいかかったと思います。
〉こわーい副作用があるということですね。DUOは、新聞やニュースに出てくる語彙や抽象的な概念語が主です。レインボウマジックにでてくるようなネイティブにとって身近な語彙って、外国人には使いこなせない語彙が多いので、そういう語彙を多読によって身につけるというのは非常に理にかなっていると思います。しかし、新聞報道に出てくる語彙は、抽象的な概念語が多いので、単語集で覚えてもあまり害がないのではなかろうかと愚考した次第。また、大学受験以来、英語の勉強は実質的に多読が初めてのわたしでも、けっこう知っている単語が多かったのは意外でした。これならDUOを覚えるのはそんなに大変じゃないぞ、と意気込んでいたところでした。修正するのにRyotasanでも十年かかるんじゃあ、わたしなんざ生きてる間に修正する見込みがありません。うーん、やっぱやめようかなあ。
どのくらい一生懸命にやるかでも後への影響は違います。
訳語の選択肢を示されて何とか正解を選べる程度でとどめれば、
それほど影響は出ないかもしれません。
自動的にポップアップしてくるまでやると、
英文を読む時間が倍ちかくかかるようになるので、
読む速度があがらなくなります。
結果的に、
多読を通して未知語に何度も出会うことが難しくなり、
多読で語彙力をつけることが難しくなるように思えるんです。
時事的な英語に関しては、
Time を10年以上読み続けた経験をふまえて、
背景知識で理解できるのではという気がしていることを、
別のところでも書きました。
日本の小学3年生に読めない新聞記事を、
高校3年生が読めるのは、
日本語で単語の暗記をしたからではなく、
実生活やテレビやさまざまな科目の勉強を通して得た背景知識のためかもしれません。
〉〉それから、
〉〉作文に必要な語彙力と、
〉〉読書に必要な語彙力は、
〉〉分けて考える方が実際的だと僕は思っています。
〉〉どちらも多読で思っていますが。
〉わたしも中国語学習の経験から、なんとなくそう思っていました。作文時の語彙力は、運用する力が必要であり、読書時の語彙力は運用するほどの力がなくてもいいということでしょうか。でも、酒井先生のブログなど見てると、そういう分け方を否定しているように見えます。一つの単語の背後にどれだけの英語の海を感じることができるかが勝負だとすれば、作文などに運用できるほどの語彙の力がないと、読書も本当の読書にならないような印象を受けます。酒井先生の議論から受けるわたしの印象が酒井先生の議論をどれだけ忠実になぞっているかはよくわかりませんが、作文や読書に必要な語彙がどのようなものであるか、わたしの考えは揺らいでおります。
作文に必要な語彙はそんなに多くないと思います。
実用的な文章なら1000語の使いこなしで書けるし、
Graded Reader を読めば分かる通り、
物語だって書けます。
(使いこなせるぐらい熟知していればの話ですが。)
読書に必要な語彙は無限にありそうに思えますが、
背景知識を使って類推しながら読んでも理解できるし、
そうやって読んで行けば、
語彙も増えるように思うんです。
〉オレンジ方式でDUOでもやってみようかと思ったのも、単語集で単語の和訳を覚えるのはよくないことと知りつつ、でもある程度語彙がなければ多読はスムースに進まないのではないかと思うからです。VOAスペシャルから、本格的なニュースにうつるにはどうしたらいいか、英字紙などを多読するにはどうしたらいいのか、これはやってみる価値があるかもしれないと思ったわけです。ある程度語彙を身につけておいてから、多読で和臭を拭い去ればよいと考えたのです。
どんな方法でも自分でやってみなければ自分に対する効果は分かりませんから、
僕も断定的なことは言えません。
この投稿でも、
特定の方法を勧めているわけではないのです。
やってみて感じたことを書いているだけです。
それから、
多読と語彙と辞書の関係について、
まりあさんの新しい本は詳しく分かり易く説明してありますね。
まとまらないですが、
家族が起きて来たので、
ここで切ります。(^-^;)
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339. Re: 語彙増強法の違いによって獲得される語彙力に違いが出るのでは
お名前: オレンジ
投稿日: 2008/10/26(13:13)
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〉〉極楽トンボさん、
〉〉横から失礼します。
〉Ry0tasan、こんにちわ、極楽トンボです!
極楽トンボさん、こんにちは。オレンジです。部分レスです。
〉わたし、影響を受けやすいほうなので、オレンジさんの投稿を読んだら、DUOに興味がでてしまって、ブッククラブの帰りに本屋でDUOを購入してしまったのです(Oh!Mah!Ah!さんの英語喉は店頭になかったので未購入です)。掲示板のみなさんには内緒でこっそりやってみようかなと思っていたら、Ry0tasanさんにお便りいただきました。わたしがDUOに手を出すなんて、なんでわかったんですか?
〉〉僕も昔やったことはあります。
〉〉日本語訳とつなげて1000語までやり、
〉〉それ以上は続きませんでした。
〉〉そのとき暗記した訳語をふりかえって見ると、
〉〉あまり正確とは言えません。
〉〉多読を通しての矯正が必要だったし、
〉〉英文を読んでいるときに訳語がポップアップしてくると読む速度が上がらないので、
〉〉その癖が無くなるまで努力が必要でした。
〉〉最初から多読を通して英単語を理解する方法の方が正確だし、
〉〉矯正にかかる時間を考えれば効率面でもそんなに劣ることはないと感じるようになりました。
〉〉そうなるまで10年ぐらいかかったと思います。
〉こわーい副作用があるということですね。DUOは、新聞やニュースに出てくる語彙や抽象的な概念語が主です。レインボウマジックにでてくるようなネイティブにとって身近な語彙って、外国人には使いこなせない語彙が多いので、そういう語彙を多読によって身につけるというのは非常に理にかなっていると思います。しかし、新聞報道に出てくる語彙は、抽象的な概念語が多いので、単語集で覚えてもあまり害がないのではなかろうかと愚考した次第。また、大学受験以来、英語の勉強は実質的に多読が初めてのわたしでも、けっこう知っている単語が多かったのは意外でした。これならDUOを覚えるのはそんなに大変じゃないぞ、と意気込んでいたところでした。修正するのにRyotasanでも十年かかるんじゃあ、わたしなんざ生きてる間に修正する見込みがありません。うーん、やっぱやめようかなあ。
〉〉それから、
〉〉作文に必要な語彙力と、
〉〉読書に必要な語彙力は、
〉〉分けて考える方が実際的だと僕は思っています。
〉〉どちらも多読で思っていますが。
〉わたしも中国語学習の経験から、なんとなくそう思っていました。作文時の語彙力は、運用する力が必要であり、読書時の語彙力は運用するほどの力がなくてもいいということでしょうか。でも、酒井先生のブログなど見てると、そういう分け方を否定しているように見えます。一つの単語の背後にどれだけの英語の海を感じることができるかが勝負だとすれば、作文などに運用できるほどの語彙の力がないと、読書も本当の読書にならないような印象を受けます。酒井先生の議論から受けるわたしの印象が酒井先生の議論をどれだけ忠実になぞっているかはよくわかりませんが、作文や読書に必要な語彙がどのようなものであるか、わたしの考えは揺らいでおります。
〉オレンジ方式でDUOでもやってみようかと思ったのも、単語集で単語の和訳を覚えるのはよくないことと知りつつ、でもある程度語彙がなければ多読はスムースに進まないのではないかと思うからです。VOAスペシャルから、本格的なニュースにうつるにはどうしたらいいか、英字紙などを多読するにはどうしたらいいのか、これはやってみる価値があるかもしれないと思ったわけです。ある程度語彙を身につけておいてから、多読で和臭を拭い去ればよいと考えたのです。
英字新聞が読みたいのであれば、Daily Yomiuriがお勧めです。新聞だから難しいとお思いでしょうが、Daily Yomiuriは全然簡単です。もし、英単語力が足りなくて、Daily Yomiuriが読めないのであれば、読売新聞の同じ記事を読んだ後にDaily Yomiuriを読めばいいと思います(パンダ読みの変形です)。また、英単語力があるけれど、背景知識がなくて読めない場合は、テレビのニュースで背景知識を知っておくと読みやすくなると思います。僕の主観ですが、新聞の読みやすさはDaily Yomiuri<Japan Times(コラム)<Japan Timesだと思います。ご参考までに。
余談ですが、"オレンジ方式"って言われてうれしいです!
Happy Reading!!
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247. 要は、自分の直感(happy)にしたがうということ
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/16(19:24)
------------------------------
fionaさん、こんにちは。
〉たかぽんさん、杏樹さん、極楽トンボさん、再び今晩は。
〉多読三原則について、いろいろ議論があるようですが、
〉私は、いつまでも(多読の量に関わらず)重要な原則だとは思います。(少なくとも私にとっては)
〉単に多読初心者向け、だけとは思えません。
確かに、多読初心者向け、っていうのは違うかもしれません。
多読が進んでる人でも、なんとなくまだ自分のhappy readingがつかみきれてない人には、
とりあえず「多読三原則」を守って読んだほうがいい、と言えるかもですね。
〉その理由は、母語(日本語)で本を読むとき、
〉特殊な例外を除いて、この多読三原則に従って読んでいるからです。
〉別に、誰かに言われた訳ではないのですが、
〉「辞書を引かない」「分からないところは飛ばすか雰囲気で流す」「つまらない本は、途中でやめる」と言うのは、私にとっては、母語(日本語)の読書の自然なスタイルです。
私が思ってるのは、結果的に読書が「多読三原則」のようになる、というのと、
「多読三原則」を守る、というのとは、違うということです。
心が精読・辞書引きをしたいと言ってるのに、「多読三原則」からはずれるから…
と考えて、やらないのは、もったいないなと思うんです。
〉本を読むようになってから、既に(日本語は)数千冊は読んでいますが、(本を読んでいる途中で、またはその後で)辞書を引いたのは多分両手で数えるほどではないかと思います。分からないことを調べたのは、それよりは多いかも知れませんが。
私も、読書中とかに辞書を引いたことは、すごく少ないと思います。
〉(多分3、4才から)ずっと、辞書なんかほとんど引いていませんが、いつの間にか読めるようになっていたという感じです。
〉まあ、英語も同じじゃないの…と思っています。
〉あまり無理に語彙を増やそうとしても、弊害が多すぎるみたいだし…私は、そんなに急ぐ理由も、今のところありません。
はい。それぞれの人の好きなようにしていったらいいと思います。
(そもそも、日本語は、本を読まずにしゃべれるようになったよなぁ、というのが、
長年持っている関心なのですが、それは話題がずれるので、ここまでとします。)
〉ある程度まで英語多読をやってきたら、辞書を引くのも、分からないところを調べてみるのも良いかもしれません。
〉ただ、これを続けるのは、(少なくとも私にとっては)自然な本の読み方ではありません。
〉多読三原則に外れた読み方を続けている場合、どこか無理をした読み方をしています。
〉そう言う読み方が必要な場合は、まあ仕方ないけど、必要もないのにやるのはどうでしょうか?
〉時々やってみるのも良いかも知れないのですが、長期にやると、どこかに変な歪みを作ってしまいそうな気がします(と言うより、私の場合は、途中でイヤになって続かないと思う)。
はい。ですから、本人がどうしてもやってみたい場合には、そうすればいい、と思ってます。
無理する必要なんか全然ない。
「多読三原則は絶対ではない」と言ってるだけです。
〉もし、母語の自然な読書のスタイルが、多読三原則を外れているなら、英語多読でも同じように、多読三原則を外れても良いようには思います。
〉でも、母語の自然な読書スタイルが、多読三原則に従ったものなら、多読三原則を外した読み方は、(その人の)自然な本の読み方ではない可能性が大きいのではないでしょうか。
母語の読書スタイルと、外国語の読書スタイルは、必ずしも一致しないのではないでしょうか?
一致する場合もあるでしょうが、一致しない場合もあると思います。だって母語ではないから。
いずれにせよ、自分の好きなように読めばいいのではないでしょうか。
外国語を読む足がかりとして「多読三原則」があると思っています。
もちろん、その後もずーっと守り続けていいし、「三原則」にはずれた読書をしたくなったら、
そういう読書をしてもかまわないと思います。
〉どのように読むのも、個人の自由ですが、必要もないのに多読三原則を外すのは、本を、どこか無理をして読むことになりそうで、私としては、簡単にお薦めしたくありません。
〉何か、必要があるとか、無理のある(かもしれない)ことを知っていて試みるのなら良いとは思うのですが…。
はい。同感です。
自分の直感がhappyなことをするのが、いいと思います。
〉多読三原則、とらわれ過ぎるのも問題があるのかもしれませんが、あまり軽く考えすぎるのも問題があるように思います。
確かに、自分の直感に従うということに、(私も含めて)現代人は慣れていないのかもしれませんね。
ついつい焦ったり、イヤなこともしなきゃと思ったり、頑張ったりしてしまいます。
なので、そんなことする必要ないよ、徹底的に楽しむだけでいいんだよ、ということを
具体的に教えてくれた「多読三原則」は素晴らしいものだと思います。
でもそれは、やはりあくまでも、「自分の直感にしたがう」に至るための道具であって、
「直感」と「三原則」が矛盾抵触する場合には、「三原則」が「直感」に道を譲るべきなんじゃないか、
と思います。
〉ではでは。
〉P.S.
〉上記の、辞書を引くとか、分からないところを調べると言うのは、あくまでも、本を読みながら…でです。
〉本を読むことに直接関係なく、辞書や百科事典を気の向くまま読んだりすることはあります。
〉でも、語彙を増やすため辞書を読むと言うのは、効率良いのかな?
〉今まで読んできた語彙を、整理するには良いと思いますが、新たな語彙を増やすために読むのは、効率が悪すぎる気がします。
〉知らない語について読んで、「へぇー」と思うのは良いけど、無理やり覚えるのは……。
ですから、それも、最終的には各人の直感にまかせればいいことだと思うんですね。
気分のいいことが、その人にとっての正解なんだと思います。
一日のうち、節目節目に、これはホントに自分がやりたいことなのかな?
惰性とか焦りでやろうとしてないか? 本当に一番やりたいと思ってることは何か?
と自分の感情をチェックしてみることがよいそうです。
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264. Re: 要は、自分の直感(happy)にしたがうということ
お名前: fiona
投稿日: 2008/10/18(21:36)
------------------------------
たかぽんさん、今晩は。
自分の直感(happy)にしたがうということ、
確かにそうなのですが、
実際は、直感(Happy)のつもりが、そうでなく、
たんなる思い込みで、直感の示すところと外れていることがあります。
そのため、「直感」と言う言葉だけが先行してしまうと言うのも、気になります
ですから、たかぽんさんが最後の方で書かれている、
本当のところはどうか、と確かめることが非常に大事だと思います。
これがないと、「直感」と言っても、
結局、変な方向に行ってしまいそうで…。
私の場合は、「直感」の示す方向と言っても、Happyな方向…とは少し違います。
変な方向だと、どこかに違和感を感じます。
どこかしら、合ってないなあと言う感じ。また、ざらつき感みたいなものを感じます。
音楽で言えば、ある楽器の音が合ってなくて、どこか調和のくずれているような感じでしょうか。
そして、違和感のない方向が、多分「直感」の示す方向。
たかぽんさんの言われている「直感」と、同じかどうかは分かりません。
「多読三原則」については、
前回うまくかけなかったかもしれませんが、
いつまでも、「多読三原則」沿っているのが基本的な(ベースになる)読み方、ではないかと思っています。
ですから、これから外れてはいけないわけではない(でも、多読を始めてしばらくは、守っておいて欲しい)。
でも、外れるなら、ベースとなる読み方とは違った読み方をしている、と意識しておいた方が良いと思っています(要するに、「多読三原則」から外れた読み方の方が本当の読み方だ、と安易に考えるのはどうかと…熟考し、いろいろ試してみての結論なら分かりますが)。
(今は、下の3つ目の問題を無視して書いています)
たかぽんさんの意見とぶつかるものではないと思いますが…。
(ただ、私の方が心配性……?)
「母語の読書スタイルと、外国語の読書スタイルは、必ずしも一致しないのではないでしょうか?
一致する場合もあるでしょうが、一致しない場合もあると思います。」
のところ、
よく考えてみると、これまでの多読を変えなくてはいけないかも知れない問題が潜んでいるように思いました。
「もし、母語の自然な読書のスタイルが、多読三原則を外れているなら、英語多読でも同じように、多読三原則を外れても良いようには思います。
でも、母語の自然な読書スタイルが、多読三原則に従ったものなら、多読三原則を外した読み方は、(その人の)自然な本の読み方ではない可能性が大きいのではないでしょうか。」
と私が書いた部分から説明する必要があります。
この部分の根拠は、それほど確かなものではありません。
1つは、私の場合、日本語と英語とでは読み方のスタイルが、基本的に同じであること。
2つ目は、「日本語では、わからない言葉はすべて辞書で調べて読んでいく」と言う方がおられて、その方は、英語を多読三原則に従って(辞書を引かず)読んだため、とても英語が読みにくかったらしい(辞書を引くと読みやすいらしい)。よって、日本語で辞書を引いて読むのが自然な場合、英語でも辞書を引いて読むのが自然らしいと思われること。
3つ目は、掲示板の投稿を読んでいて、英語も日本語と同じように(同じようなスタイルで)読んで多読されている方が多いような感じがすること。
この3つあたりから、そうではないかと思っていました。
日本語を読む場合、普通は多読三原則に従っている(外れた読み方をする人は少ない)。
そして、英語でも同じ読み方をするのが自然である。
自然な読み方をした方が、多読は楽しく長く続けられる。
と言うのが、英語多読とその三原則のベースになっていると思います。
ところが、考えてみると、そのベースの部分が確かでない。
まず、日本語の自然な読み方が英語でも自然であると仮定します。
その場合、(私は今まで、きちんと考えていなかったのですが)日本語の読み方が多読三原則から外れている人に、英語多読で三原則を強制するのはおかしいですね。
外れた読み方が自然なのだから、まずは同じように外した読み方で英語多読を始める方が良いのではないでしょうか。
いままでの多読は、その配慮が欠けているように思います。
できれば、日本語の読書のスタイルをきちんと確認して、英語多読の始め方を考える必要があるのではないでしょうか。
これまでに、多読三原則があわなくて(本人にとって自然でなくて)英語多読に挫折した方があったかも知れません。
次に、たかぽんさんの言われるように、日本語と英語とでは読み方が違うことが、かなりの可能性である場合(細かな違いではなく、多読三原則の部分で違う場合)。
この場合が、大問題です。
英語多読を始める人に、多読三原則にしたがってやってみましょうと言って良いのかどうか。
これまで英語多読をやめたり、途中で挫折した人は、多読三原則が合わなくて(自然で楽な読み方でなくて)、多読をやめてしまったのかもしれません。
しかし、どんな読み方が良かったのか、日本語の読書スタイルを聞いてみるだけでは分かりません(英語では違っているかも知れませんから)。
まずは、日本語と同じスタイルで始めてみるとしても、途中で何度もチェックするか、いくつかのスタイルを試すなりする必要があると思われます。
実は、これまでこのことを見過ごしていたため、多くの人が多読をやめてしまっていたかも知れない。
実際のところはどうなのか、多くの人の多読を支援したりしたことがないので分かりません。
しかしながら、このあたりのことは、調査・研究して、ハッキリさせた方が良いことではないでしょうか。
場合によっては、今までの英語多読の方法を変える必要があるかも知れません。
でも、誰がどうやって調べるんだろう……???
(と、他人まかせの事しかいえない)
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265. Re: 要は、自分の直感(happy)にしたがうということ
お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/18(22:38)
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fionaさん、今晩は。
〉たかぽんさん、今晩は。
〉自分の直感(happy)にしたがうということ、
〉確かにそうなのですが、
〉実際は、直感(Happy)のつもりが、そうでなく、
〉たんなる思い込みで、直感の示すところと外れていることがあります。
〉そのため、「直感」と言う言葉だけが先行してしまうと言うのも、気になります
そうですねぇ。
自分の直感を知る(これが自分の魂が指し示すところだ、と知る?)のには、
ちょっとしたコツというか、技術が必要なのかもしれません。
私も会得してるとは言えなくて、あくまでも「なんちゃって」なのですが…
でも、まぁ、とりあえずhappyな方向がいいんだなって感じでやって行って、
あれ、違った、じゃあ、こっちか?なんていう風に、探検ていうか冒険して行けば
いいんじゃないでしょうかね。
私も、人様のことを見ていて、あー、そっちのほうはマズいんじゃないかな…
なんてこともあるのですが、まぁ、それはご自分で感じないとわからないことなので、
(それに私にはその人にとって何がベストなのかはわからないので、)
黙って見守ることにしよう、と最近は思っています。
〉ですから、たかぽんさんが最後の方で書かれている、
〉本当のところはどうか、と確かめることが非常に大事だと思います。
そうですね。
私も、なんだか「猛然と」ヤル気を出して、やろう!と思うことがときどきあるのですが、
それはあんまり正しい答えではないようです。(私にとっては)
それは人との競争心であったり、自分を良く見せようと思うことだったり、実は焦りからだったりで、
心の声を無視するように盛り上げて盛り上げて感覚を麻痺させて突っ走ろう、としているときです。
あぶないんですね。興奮しているから「楽しい」感じに思えてしまう。
でもその楽しさはニセモノなんです。(私にとっては)
やっぱり、呼吸をととのえて、落ち着いたときに、ほのぼのと楽しく感じるようなことが、
ほんとうの正解のようです。(私にとっては)
〉これがないと、「直感」と言っても、
〉結局、変な方向に行ってしまいそうで…。
そうですね。「興奮」とか「衝動」と取られますとね…。
〉私の場合は、「直感」の示す方向と言っても、Happyな方向…とは少し違います。
〉変な方向だと、どこかに違和感を感じます。
〉どこかしら、合ってないなあと言う感じ。また、ざらつき感みたいなものを感じます。
〉音楽で言えば、ある楽器の音が合ってなくて、どこか調和のくずれているような感じでしょうか。
〉そして、違和感のない方向が、多分「直感」の示す方向。
〉たかぽんさんの言われている「直感」と、同じかどうかは分かりません。
いや、その、「違和感のない方向」が、私の言ってる「直感」と同じであるような気がします。
「違和感のない、落ち着いた感じ」を私はhappyだと思ってるので、ふつうのhappyとは
違うかもしれませんね。。
〉「多読三原則」については、
〉前回うまくかけなかったかもしれませんが、
〉いつまでも、「多読三原則」沿っているのが基本的な(ベースになる)読み方、ではないかと思っています。
そうですね。大方の人にはそれが自然な日本語読書の仕方でしょうし。
日本語読書のように英語読書もしたらいいんだよというのが「多読三原則」ですね。
それについては画期的な提示だったと思います。
〉ですから、これから外れてはいけないわけではない(でも、多読を始めてしばらくは、守っておいて欲しい)。
〉でも、外れるなら、ベースとなる読み方とは違った読み方をしている、と意識しておいた方が良いと思っています(要するに、「多読三原則」から外れた読み方の方が本当の読み方だ、と安易に考えるのはどうかと…熟考し、いろいろ試してみての結論なら分かりますが)。
〉(今は、下の3つ目の問題を無視して書いています)
そうですね。やっぱり、日本語読書と同じように英語読書をするということに
慣れていない人が多い(私もそうだった)と思いますので、ちょっとしばらくは、
多読三原則を守って読んだほうがいいですよ、とアドバイスしたくなりますね。
〉たかぽんさんの意見とぶつかるものではないと思いますが…。
〉(ただ、私の方が心配性……?)
ぶつかってないと思います。
私がただ単に、多読三原則が足かせになってしまうんじゃない?と取り越し苦労をしてるだけで。
私のほうが心配性かも…
〉「母語の読書スタイルと、外国語の読書スタイルは、必ずしも一致しないのではないでしょうか?
〉一致する場合もあるでしょうが、一致しない場合もあると思います。」
〉のところ、
〉よく考えてみると、これまでの多読を変えなくてはいけないかも知れない問題が潜んでいるように思いました。
〉「もし、母語の自然な読書のスタイルが、多読三原則を外れているなら、英語多読でも同じように、多読三原則を外れても良いようには思います。
〉でも、母語の自然な読書スタイルが、多読三原則に従ったものなら、多読三原則を外した読み方は、(その人の)自然な本の読み方ではない可能性が大きいのではないでしょうか。」
〉と私が書いた部分から説明する必要があります。
〉この部分の根拠は、それほど確かなものではありません。
〉1つは、私の場合、日本語と英語とでは読み方のスタイルが、基本的に同じであること。
〉2つ目は、「日本語では、わからない言葉はすべて辞書で調べて読んでいく」と言う方がおられて、その方は、英語を多読三原則に従って(辞書を引かず)読んだため、とても英語が読みにくかったらしい(辞書を引くと読みやすいらしい)。よって、日本語で辞書を引いて読むのが自然な場合、英語でも辞書を引いて読むのが自然らしいと思われること。
〉3つ目は、掲示板の投稿を読んでいて、英語も日本語と同じように(同じようなスタイルで)読んで多読されている方が多いような感じがすること。
〉この3つあたりから、そうではないかと思っていました。
母語(日本語)でも辞書を引き引き読む人がいるんですね。
確かに、日本語と英語、同じ読み方で読むのが自然な感じである、という人が多いと思います。
ただ、やはり、母語でない分、実はよく見てみると、母語の読書とは違うような読み方を
している場合が多いのではないかと思います。
〉日本語を読む場合、普通は多読三原則に従っている(外れた読み方をする人は少ない)。
〉そして、英語でも同じ読み方をするのが自然である。
〉自然な読み方をした方が、多読は楽しく長く続けられる。
〉と言うのが、英語多読とその三原則のベースになっていると思います。
〉ところが、考えてみると、そのベースの部分が確かでない。
〉まず、日本語の自然な読み方が英語でも自然であると仮定します。
〉その場合、(私は今まで、きちんと考えていなかったのですが)日本語の読み方が多読三原則から外れている人に、英語多読で三原則を強制するのはおかしいですね。
〉外れた読み方が自然なのだから、まずは同じように外した読み方で英語多読を始める方が良いのではないでしょうか。
〉いままでの多読は、その配慮が欠けているように思います。
〉できれば、日本語の読書のスタイルをきちんと確認して、英語多読の始め方を考える必要があるのではないでしょうか。
〉これまでに、多読三原則があわなくて(本人にとって自然でなくて)英語多読に挫折した方があったかも知れません。
うーむ。。
ここまで配慮する必要があるのかどうか。
日本語読書のスタイルが英語読書のスタイルになる、とは、やはり、限らないと思います。
日本語は読書なんか始めるずうっと前に話せるようになっている、という事情がありますから、
やはり母語と外国語の読書は同列には語れない。
多読三原則による多読に興味を持って来るような人には、多読三原則を守ったらいいですよ、
と言っていいんじゃないかと思います。
本人が、どうも合わないな、と思われれば、やめたらいいだけなんじゃないでしょうか。
〉次に、たかぽんさんの言われるように、日本語と英語とでは読み方が違うことが、かなりの可能性である場合(細かな違いではなく、多読三原則の部分で違う場合)。
〉この場合が、大問題です。
〉英語多読を始める人に、多読三原則にしたがってやってみましょうと言って良いのかどうか。
〉これまで英語多読をやめたり、途中で挫折した人は、多読三原則が合わなくて(自然で楽な読み方でなくて)、多読をやめてしまったのかもしれません。
〉しかし、どんな読み方が良かったのか、日本語の読書スタイルを聞いてみるだけでは分かりません(英語では違っているかも知れませんから)。
〉まずは、日本語と同じスタイルで始めてみるとしても、途中で何度もチェックするか、いくつかのスタイルを試すなりする必要があると思われます。
〉実は、これまでこのことを見過ごしていたため、多くの人が多読をやめてしまっていたかも知れない。
その可能性はありますね。
でも・・・ そこまで配慮する必要があるのかどうか。
もう、多読する人、それぞれの人の判断に任せればいいのではないでしょうかね。
合う合わない、いろいろあるでしょうし。
〉実際のところはどうなのか、多くの人の多読を支援したりしたことがないので分かりません。
〉しかしながら、このあたりのことは、調査・研究して、ハッキリさせた方が良いことではないでしょうか。
〉場合によっては、今までの英語多読の方法を変える必要があるかも知れません。
うーん・・・
各人の、好きにしたらいいのじゃないのかなぁ・・・
〉でも、誰がどうやって調べるんだろう……???
〉(と、他人まかせの事しかいえない)
ねー。誰がやるんだって感じですよね。
ゆるーく「多読」というくくりで集まって、私はこんなことしてますとかで、
応援したりほめたり刺激し合ったりという場で、いいんじゃないでしょうかね。
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269. Re: 要は、自分の直感(happy)にしたがうということ
お名前: 古川@SSS
投稿日: 2008/10/18(23:57)
------------------------------
"fiona"さん、たかぽんさん、今晩は。
古川です。 あくまで、部分的な反応です。
〉英語多読を始める人に、多読三原則にしたがってやってみましょうと言って良いのかどうか。
〉これまで英語多読をやめたり、途中で挫折した人は、多読三原則が合わなくて(自然で楽な読み方でなくて)、多読をやめてしまったのかもしれません。
私が見聞きしている範囲では、
多読を途中でやめてしまった人のほとんどは、
1)急激にレベルをあげていって途中で上げきれなくなり挫折
2)内容が幼稚なものはよめないといって挫折
だと思います。
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お名前: 極楽トンボ
投稿日: 2008/10/16(18:32)
------------------------------
たかぽんさん、レスありがとうございます。極楽トンボです。
〉でも、英語として読めている部分もあるわけで、それでいいんじゃないですか?
〉そのあたり、bumpyなのが、だんだん、なめらかになっていくと思いますよ。
100%英語として読めていないわけではないので、多読を通じて今後英語として読めている割合を増やしていければと思っています。それがいまの最大の希望です。
〉〉それでは、どうやったら英語を英語として読めばよいのでしょうか?英語ができないから多読をやっているのであって、英語ができない人に英語が英語として読めるわけがないんです。英語を英語として読める人は、英語の書物を英語を介して、つまり英語でものを考えながら読んでいる人に限られます。英語を英語として読めと言われても、英語でものを考えながら英語が読めるようになった人にしかその言葉の意味が実感できないんじゃあ、単なる言葉遊びに過ぎないじゃないかと、ずっと思っていました。
〉英語を読んでるときでも、英語自体を読んでるわけではないですよね。
〉その記号が意味するものを読んでるわけで。
〉たとえば、seaとかskyとか聞いて、直接想起される風景があれば、それは十分、
〉他言語を介さず英語を読んでる、と言えると思います。
〉それがだんだんに、複雑な文章も、英語で直接わかってくるようになってくる、と。
〉英語読んで直接に意味がわかる、というのは、「考えてる」わけではないですよね。
〉There's a boy. つったら、そういうことなので、別に「考えて」わかるわけではない。
〉そういうことですかね。
英語読んで直接に意味がわかる、というのは一見、「考えている」わけではなさそうですが、これは日本語で考えていない以上、英語で考えているもしくは英語で感応している事になると思います。簡単なイメージが思い浮かべられればすむような本の場合は、英語で感応していることになるわけですね。
〉(ただ、「英語でものを考えることができない」かどうかは、わからないなと思ってます。
〉 私、ときどき、夢の中で英語で激しく考えてることがあります。
〉 たまに英語をしゃべるときにも、日本語で考えてません。(だからすごく幼稚だけど…)
〉 なので、そういう回路ってできていくものじゃないかな?とか思ってます。)
うーん、わたしも英語の回路が構築できたらいいなー。
〉〉私がこのように考えるようになったのは、ORTを体験したことにもよります。ステージの低い方は、何も考えなくても楽しく読めます。ステージ6を読んでいるときに、わたしはある変化を感じました。あたかもそれまで回転していなかった水車小屋の水車がゆっくりと動き出すような印象でした。わたしの心の和訳装置が動き出したのです。いや、正確に言うとまだ和訳にも和訳のための文法的分析にも入る前の段階です。文法的分析を行うためには、その前に、英文のどの個所を分析すべきかを決定しなくてはなりません。この点は、おそらく、英語でものを考えながら読んでいる場合も、高速和訳しながら読んでいる場合も共通だと思います。わたしの場合は、和訳の前段階のこころの動きだと思います。
〉なるほど。わかる気がします。
〉私は和訳装置が動かないと言いましたが、和訳装置が動きそうになるような本を無意識に避けているだけかもしれません。
〉和訳装置が動きそうになる本とは、「難しいけれど、どうしても細かく意味を理解したい本」ですね。
そういう本は、もしかすると多読向きではない本かもしれませんね。
〉何ごとも、とらわれすぎると、よくないですよね。最終的には、自分の心に聞いてみることですね。
〉それで、ちょっと気になったんですけど、私だけがわかってないのかもしれませんが、
〉多読三原則に則った読書だけが「多読」なんでしょうか?
〉なんか、そういうとらえ方が圧倒的なようなので、あれ、私ってヘン?とか思ってます。
多読三原則に則った英語読書だけが「多読」とは限らないと思います。しかし、多読三原則に則った英語読書のことをsss多読と言うのだと思います。
しかし、これはsssの掲示板に投稿する人がすべてこれを守らないといけないというものではありません。sssの多読を実践する人がこれを守っていないからといって、お前のやっているのはsssの多読じゃないと非難する必要はないでしょう。三原則はsss多読の方法上の理念であって、したがって必ずしも現実がそれにまったく一致している必要はないわけです。ですから、sss多読を実践する人は、一応この三原則を念頭に置いて英語の本を読んで楽しんでいれば、それでまったくさしつかえないと思います。理念ってそういうものだと思います。辞書をやたら引き過ぎないように気をつけるとか、どうでもよい細部に拘泥しすぎて読み進めなくなくならないようにするとか、あるいは方法に過ぎないものが自己目的化して駄本が投げられなくなっても困るじゃないですか。その程度でいいんですよ。
わたしにできるのは、飛ばし読みだけです。こないだついにレインボウマジックに頻出する英単語を英和辞典で引いてしまいました。CLUMPという単語でしたが、その意味はすぐ忘れてしまいました。むかし、中国語の発音を調べては忘れ、調べては忘れているうちに、その字が字引の何ページに載っているかばかり覚えてしまい、かんじんの発音が覚えられなかった苦い記憶が蘇えりました。
〉要は、その言語の本をいっぱい読む、というのが「多読」ということではないのかと。
〉なので、もちろん、精読と多読は対立するものでなく、精読も多読のうちに入る。
〉そんなとらえ方のほうが、「多読」の幅がひろがって、自由になれるような気がするんですけどね。
おっしゃるとおりだと思います。自由にやってくださるとよいと思います。少なくともわたしは、たかぽんさんを非難しません(よもや非難する人は誰もいない思いますが)。
〉もちろん、少なくとも最初は多読三原則に従って読んでったほうがいいとは思うんですが、
〉それも中には「合わない」って人もいるでしょうし。
わたしはまだ自分の多読生活をふりかえって回顧するような地点に立っていません。つまり、成功だったとも失敗だったとも言える状態ではありません。とりあえずsss多読をずるずると4年も続けているだけです。これがすでに失敗だったりして?1000万語も読んでやっと、sss多読は失敗だったよ、なんて衝撃の報告したりして?わたしも気が利かないほうなので、自分がsss多読に向いているのかどうか自信があるわけではありませんが、ほかに手はないので仕方ありません。
〉ただ、「英語ができる」ようになるには、ほんとうに多読が良いのか?っていうのは、
〉かなり早くから疑問に思っているところではあります。
〉やっぱり、最初は音からみっちりと、そして、コミュニケーションを通じてのほうが、
〉いいんじゃないのかなぁ、なまじ文字から入ると、頭でっかちになるというか、
〉コミュニケートできる英語へとすくすくと育たないのじゃないかなぁ、と。
まったくおっしゃるとおりです。わたし、多読開始当初は、難しい英語の本がよめるようになれればいいやと思っていたので多読にはあまり疑問を感じるどころか、すばらしい方法だと思って飛びつきました。いまは、会話もできればとか、子供が小さいうちに読み聞かせをしてみたいとか、多言語もとか、いろいろ目標ができてしまい、そういう意味で英語多読に集中できず、すこし迷いがでています。
〉でも、これはウンウンと頭をふりしぼっても、解決しない問題なので、
〉私の場合は、心が好むことを、好きなようにやっています。多聴、多読。
〉自分が何を目的としてやっているのか。
〉まぁ、何か、こうなりたいというものがあるのでしょう。そこへの道を、
〉自分の「好む」という感情が教えてくれていると思うので、それに従って、
〉へえ、どこへ連れてってくれんだい?てな感じで歩んでいます。
たかぽんさんはたかぽんさんのこころのいうことを聞いていれば安心して前に進めるんですね。わたしのこころはすこし曇っているので、こころの考えていることをいちいちチェックしないと心配でなりません。いっそこころを鍛えてわたしの目標に近づけるようにしたほうが早いかなあと思いますが、妙案はありません。こころはどうやって鍛えればよいんでしょうか?
〉とまあ、あー、レスのふりして好きなことたくさん書いてしまいました…
〉てきとうに読み流してください。(って、ここで言っても遅いな…)
面白く読ませていただきました。ありがとうございます。
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/16(23:20)
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極楽トンボさん、こんばんは。
〉たかぽんさん、レスありがとうございます。極楽トンボです。
〉〉でも、英語として読めている部分もあるわけで、それでいいんじゃないですか?
〉〉そのあたり、bumpyなのが、だんだん、なめらかになっていくと思いますよ。
〉100%英語として読めていないわけではないので、多読を通じて今後英語として読めている割合を増やしていければと思っています。それがいまの最大の希望です。
いろいろやってくうちに、英語として読めてる割合、必ず増えると思いますよ。
〉〉〉それでは、どうやったら英語を英語として読めばよいのでしょうか?英語ができないから多読をやっているのであって、英語ができない人に英語が英語として読めるわけがないんです。英語を英語として読める人は、英語の書物を英語を介して、つまり英語でものを考えながら読んでいる人に限られます。英語を英語として読めと言われても、英語でものを考えながら英語が読めるようになった人にしかその言葉の意味が実感できないんじゃあ、単なる言葉遊びに過ぎないじゃないかと、ずっと思っていました。
〉〉英語を読んでるときでも、英語自体を読んでるわけではないですよね。
〉〉その記号が意味するものを読んでるわけで。
〉〉たとえば、seaとかskyとか聞いて、直接想起される風景があれば、それは十分、
〉〉他言語を介さず英語を読んでる、と言えると思います。
〉〉それがだんだんに、複雑な文章も、英語で直接わかってくるようになってくる、と。
〉〉英語読んで直接に意味がわかる、というのは、「考えてる」わけではないですよね。
〉〉There's a boy. つったら、そういうことなので、別に「考えて」わかるわけではない。
〉〉そういうことですかね。
〉英語読んで直接に意味がわかる、というのは一見、「考えている」わけではなさそうですが、これは日本語で考えていない以上、英語で考えているもしくは英語で感応している事になると思います。簡単なイメージが思い浮かべられればすむような本の場合は、英語で感応していることになるわけですね。
そうですね、英語で感応しているわけですよね。
最初は簡単なものしか感応できなくても、だんだんと複雑なものも英語で直接、
感応できるようになると思います。
英語を母語とする人も、そういう経過を辿ってるんだと思います。
〉〉(ただ、「英語でものを考えることができない」かどうかは、わからないなと思ってます。
〉〉 私、ときどき、夢の中で英語で激しく考えてることがあります。
〉〉 たまに英語をしゃべるときにも、日本語で考えてません。(だからすごく幼稚だけど…)
〉〉 なので、そういう回路ってできていくものじゃないかな?とか思ってます。)
〉うーん、わたしも英語の回路が構築できたらいいなー。
いや、もう、既に出来かかってると思いますよ。
たとえば、Good morning!って、別に日本語を考えなくも出て来ますよね?
他の外国語よりも、数段、進歩した回路が出来てるんじゃないでしょうか。
〉〉〉私がこのように考えるようになったのは、ORTを体験したことにもよります。ステージの低い方は、何も考えなくても楽しく読めます。ステージ6を読んでいるときに、わたしはある変化を感じました。あたかもそれまで回転していなかった水車小屋の水車がゆっくりと動き出すような印象でした。わたしの心の和訳装置が動き出したのです。いや、正確に言うとまだ和訳にも和訳のための文法的分析にも入る前の段階です。文法的分析を行うためには、その前に、英文のどの個所を分析すべきかを決定しなくてはなりません。この点は、おそらく、英語でものを考えながら読んでいる場合も、高速和訳しながら読んでいる場合も共通だと思います。わたしの場合は、和訳の前段階のこころの動きだと思います。
〉〉なるほど。わかる気がします。
〉〉私は和訳装置が動かないと言いましたが、和訳装置が動きそうになるような本を無意識に避けているだけかもしれません。
〉〉和訳装置が動きそうになる本とは、「難しいけれど、どうしても細かく意味を理解したい本」ですね。
〉そういう本は、もしかすると多読向きではない本かもしれませんね。
「多読向きではない」っていうのがわかりませんが、そういう状態のときには、
無理して読まなくてもいい本でしょうね。
もっと他に、読みやすいのを、たくさん読んだほうがいいでしょう。急がば回れ?
〉〉何ごとも、とらわれすぎると、よくないですよね。最終的には、自分の心に聞いてみることですね。
〉〉それで、ちょっと気になったんですけど、私だけがわかってないのかもしれませんが、
〉〉多読三原則に則った読書だけが「多読」なんでしょうか?
〉〉なんか、そういうとらえ方が圧倒的なようなので、あれ、私ってヘン?とか思ってます。
〉多読三原則に則った英語読書だけが「多読」とは限らないと思います。しかし、多読三原則に則った英語読書のことをsss多読と言うのだと思います。
そうなのかなと思ってたんですが、他の学習法を併用してもいいことになっているので、
多読三原則に則った多読がsss多読とは言えなくなったのではないかと思います。
というのは、文法学習などは、酒井先生が提唱された多読三原則には反しますよね?
実際、古川さんの方針に対して、酒井先生は、それは多読三原則に反すると反論されて、
sssから離れられた、ということだったと記憶しています。
したがって、今や、多読三原則の多読がsss多読である、とは言えないのではないかと
考えています。
まぁ、ゆるい意味で(ってのも不明確ですが)、多読三原則で始める多読がsss多読であるとは、
今でも言えるかもしれませんが。
〉しかし、これはsssの掲示板に投稿する人がすべてこれを守らないといけないというものではありません。sssの多読を実践する人がこれを守っていないからといって、お前のやっているのはsssの多読じゃないと非難する必要はないでしょう。三原則はsss多読の方法上の理念であって、したがって必ずしも現実がそれにまったく一致している必要はないわけです。ですから、sss多読を実践する人は、一応この三原則を念頭に置いて英語の本を読んで楽しんでいれば、それでまったくさしつかえないと思います。理念ってそういうものだと思います。辞書をやたら引き過ぎないように気をつけるとか、どうでもよい細部に拘泥しすぎて読み進めなくなくならないようにするとか、あるいは方法に過ぎないものが自己目的化して駄本が投げられなくなっても困るじゃないですか。その程度でいいんですよ。
いや、おっしゃるとおりだと思いますし、そういうことを私は言ってきてるつもりです。
〉わたしにできるのは、飛ばし読みだけです。こないだついにレインボウマジックに頻出する英単語を英和辞典で引いてしまいました。CLUMPという単語でしたが、その意味はすぐ忘れてしまいました。むかし、中国語の発音を調べては忘れ、調べては忘れているうちに、その字が字引の何ページに載っているかばかり覚えてしまい、かんじんの発音が覚えられなかった苦い記憶が蘇えりました。
いい経験ができたんじゃないですか?と思いますが。
無駄な経験は無いと思います。
ちなみに、私だったら、英和辞典は引きません。
多読を始めてから7年以上になりますが、一度も、単語の意味を調べる目的で
英和辞典を引いたことがありません。(語源を調べる目的で、リーダーズを引いたりしますが。)
どうしても引きたかったら、易しい言葉で説明した英英辞書を使うといいと思います。
それ自体が多読になりますし。
Oxford とか Longman とか、いろいろあります。
〉〉要は、その言語の本をいっぱい読む、というのが「多読」ということではないのかと。
〉〉なので、もちろん、精読と多読は対立するものでなく、精読も多読のうちに入る。
〉〉そんなとらえ方のほうが、「多読」の幅がひろがって、自由になれるような気がするんですけどね。
〉おっしゃるとおりだと思います。自由にやってくださるとよいと思います。少なくともわたしは、たかぽんさんを非難しません(よもや非難する人は誰もいない思いますが)。
いえいえ、私のことを言ってるんじゃありません。
私は私の好きにやってるので、いいんです。誰に何と言われようが。(笑)
そうじゃなくて、多読三原則以外の多読をやっちゃいけないんだろうか…と悩んでる人がいたら、
いいじゃないですか、精読でも何でも、好きなことやったらいいですよ、と言ってあげたいな、
と思ってるってことです。
〉〉もちろん、少なくとも最初は多読三原則に従って読んでったほうがいいとは思うんですが、
〉〉それも中には「合わない」って人もいるでしょうし。
〉わたしはまだ自分の多読生活をふりかえって回顧するような地点に立っていません。つまり、成功だったとも失敗だったとも言える状態ではありません。とりあえずsss多読をずるずると4年も続けているだけです。これがすでに失敗だったりして?1000万語も読んでやっと、sss多読は失敗だったよ、なんて衝撃の報告したりして?わたしも気が利かないほうなので、自分がsss多読に向いているのかどうか自信があるわけではありませんが、ほかに手はないので仕方ありません。
私もまだまだ回顧するような地点には立っていませんが、
sss多読(が何なのかもつかめていませんが)と「心中」するつもりはありません。
自分の好きにやっていくだけです。
効果無かったじゃないか!と、sssさんに文句を言おうとも思ってませんし。
自分のことは、全て、自分の責任です。
そのときそのとき、これがよいと思ったことをしていくしかありません。
〉〉ただ、「英語ができる」ようになるには、ほんとうに多読が良いのか?っていうのは、
〉〉かなり早くから疑問に思っているところではあります。
〉〉やっぱり、最初は音からみっちりと、そして、コミュニケーションを通じてのほうが、
〉〉いいんじゃないのかなぁ、なまじ文字から入ると、頭でっかちになるというか、
〉〉コミュニケートできる英語へとすくすくと育たないのじゃないかなぁ、と。
〉まったくおっしゃるとおりです。わたし、多読開始当初は、難しい英語の本がよめるようになれればいいやと思っていたので多読にはあまり疑問を感じるどころか、すばらしい方法だと思って飛びつきました。いまは、会話もできればとか、子供が小さいうちに読み聞かせをしてみたいとか、多言語もとか、いろいろ目標ができてしまい、そういう意味で英語多読に集中できず、すこし迷いがでています。
vested interestというんですが、それまでの蓄積とか投資などで、判断が揺れるんですよね。
簡単な例でいうと、これだけの本買ったんだから、これは読まないと、と思ってしまうとか。
目標とか、志向というのは、変わっていくものなので、変えていってもいいと思います。
思い切って多読をやめてしまうのも、ひとつの手ですね。(再開したくなったら、したらいいし。)
たぶん、リラックスして落ち着いて考えたときに、よし、こうだ、と思うことが、
その時の正解なんだと、私は思ってます。
〉〉でも、これはウンウンと頭をふりしぼっても、解決しない問題なので、
〉〉私の場合は、心が好むことを、好きなようにやっています。多聴、多読。
〉〉自分が何を目的としてやっているのか。
〉〉まぁ、何か、こうなりたいというものがあるのでしょう。そこへの道を、
〉〉自分の「好む」という感情が教えてくれていると思うので、それに従って、
〉〉へえ、どこへ連れてってくれんだい?てな感じで歩んでいます。
〉たかぽんさんはたかぽんさんのこころのいうことを聞いていれば安心して前に進めるんですね。わたしのこころはすこし曇っているので、こころの考えていることをいちいちチェックしないと心配でなりません。いっそこころを鍛えてわたしの目標に近づけるようにしたほうが早いかなあと思いますが、妙案はありません。こころはどうやって鍛えればよいんでしょうか?
「こころを鍛える」というのがよくわからないんですが、私がここで言ってる「こころ」は、
ほんとの自分とか、魂とか、なんかそういうものです。
それが、どうやら、自分にとって一番いい答えを知っているようです。どうやら。
うれしいとか、楽しいとか、いい気分だなぁ、と感じることが、その「答え」のようですね。
〉〉とまあ、あー、レスのふりして好きなことたくさん書いてしまいました…
〉〉てきとうに読み流してください。(って、ここで言っても遅いな…)
〉面白く読ませていただきました。ありがとうございます。
いえ、こちらこそ、ありがとうございました。
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お名前: こるも
投稿日: 2008/10/17(10:53)
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たかぽさん、極楽トンボさん、こんにちは。
無駄によこレスします。
〉〉〉英語を読んでるときでも、英語自体を読んでるわけではないですよね。
〉〉〉その記号が意味するものを読んでるわけで。
あー、そういえばこの前、「読字障害」についてのテレビを見た。
文字を読むって、かなり高度なことをやっているらしいよ。
人の脳は、「文字を読む」ようにはできていない。
脳のいろいろな部分を動員して、読んでいるらしいです。
〉〉うーん、わたしも英語の回路が構築できたらいいなー。
〉いや、もう、既に出来かかってると思いますよ。
〉たとえば、Good morning!って、別に日本語を考えなくも出て来ますよね?
〉他の外国語よりも、数段、進歩した回路が出来てるんじゃないでしょうか。
英語回路、できるんじゃないかな。
わたしも2歳児並の回路ですが、あるような気がします。
ひょっとしたら、1歳児かも。
〉ちなみに、私だったら、英和辞典は引きません。
〉多読を始めてから7年以上になりますが、一度も、単語の意味を調べる目的で
〉英和辞典を引いたことがありません。(語源を調べる目的で、リーダーズを引いたりしますが。)
〉どうしても引きたかったら、易しい言葉で説明した英英辞書を使うといいと思います。
〉それ自体が多読になりますし。
〉Oxford とか Longman とか、いろいろあります。
あ、わたし英和ひいちゃいます。 近場にあるからつい。
この前もcircumstanceを引いたばかり。
その上にcircumcisionなんて単語もあったりして。
やっぱcircleと、関係があるんだろうか?
すんません。つまらん話を。
〉いえいえ、私のことを言ってるんじゃありません。
〉私は私の好きにやってるので、いいんです。誰に何と言われようが。(笑)
〉そうじゃなくて、多読三原則以外の多読をやっちゃいけないんだろうか…と悩んでる人がいたら、
〉いいじゃないですか、精読でも何でも、好きなことやったらいいですよ、と言ってあげたいな、
〉と思ってるってことです。
たぶん、たかぽんさんがおっしゃりたいのは、ここではないかと。
(「全部だよ」という声が聞こえてきそうですが)
〉〉まったくおっしゃるとおりです。わたし、多読開始当初は、難しい英語の本がよめるようになれればいいやと思っていたので多読にはあまり疑問を感じるどころか、すばらしい方法だと思って飛びつきました。いまは、会話もできればとか、子供が小さいうちに読み聞かせをしてみたいとか、多言語もとか、いろいろ目標ができてしまい、そういう意味で英語多読に集中できず、すこし迷いがでています。
いろいろやってみたくなったら、やってみるのもいいかと。
英会話は、瞬発力を養うし、読み聞かせは自分のためにもいいし、
多言語やることで「英語」が見えてくることもあります。
自分の話ですが、英語以外の多言語をかじることで、英語がしゃべりやすくなった経験があります。
いろいろやることで、多読も進むかもしれません。
〉〉たかぽんさんはたかぽんさんのこころのいうことを聞いていれば安心して前に進めるんですね。わたしのこころはすこし曇っているので、こころの考えていることをいちいちチェックしないと心配でなりません。いっそこころを鍛えてわたしの目標に近づけるようにしたほうが早いかなあと思いますが、妙案はありません。こころはどうやって鍛えればよいんでしょうか?
こころを取りだして、鍛えたり、磨いたり、なでたりできればいいんですけど。
本当に、実体のないものを、どうやって鍛えればいいんでしょうね。
こころはリンゴのような「実体」ではなく、波や風のような「現象」だと思っています。
だからざわついたり、静かだったりするのではないかと。
実体だったら、自分の自由になりそうな気がする。
でも実際は、こころに振り回されたりしますよね。
〉「こころを鍛える」というのがよくわからないんですが、私がここで言ってる「こころ」は、
〉ほんとの自分とか、魂とか、なんかそういうものです。
「本当の自分」とか「うその自分」ってあるんでしょうか?
と、あえて反論してみる。
〉それが、どうやら、自分にとって一番いい答えを知っているようです。どうやら。
〉うれしいとか、楽しいとか、いい気分だなぁ、と感じることが、その「答え」のようですね。
本当に好きなことをやっている時って、すごい集中力を発揮しますよね。
そして実際に力も付く。
たかぽんさんのおっしゃる「本当に好きなことをしよう」というのは、そういうことなのかな、と勝手に思っています。
ではではでは。
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お名前: ako
投稿日: 2008/10/17(19:42)
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横レス専門家(爆)こるもさん、こんにちは。
無駄レス愛好家、akoです。
〉無駄によこレスします。
ということなので、どのくらい無駄か、
無駄レベル(ML)判定でもしてみようかとこのレスを見たら!!!
びっくりもびっくりの偶然ウルトラC発生でした。
〉あー、そういえばこの前、「読字障害」についてのテレビを見た。
〉文字を読むって、かなり高度なことをやっているらしいよ。
〉人の脳は、「文字を読む」ようにはできていない。
〉脳のいろいろな部分を動員して、読んでいるらしいです。
ここです。
実は、ごく最近『ディスレクシア』に関する本を読んだばかりです。
たまたま知り合いにそういう子がいるので、勉強中です。
交通事故や脳梗塞で起きるものではなく、生来のものです。
テレビでやっていたとは知らず、驚きました。
ここで教えてもらえることも驚きです。
多読の知人に、こういったことを知っている人がいるとわかって嬉しいです。
以前から「読む」という行為については、「話す」や「聞く」との関係でもそうですが、考えること多々です。
英語学習という範囲を超えた話をしている中に、
英語学習という行為?について考えを深めるきっかけがあるように思います。
また別の機会に深めたいですね。
こるさんの無駄?な横については、
下の方に書いてあった「こころ」についても思うところありますが、
これはドッペルゲンガーさんと対話お続け下さいませ。
いやはや、これだからこるさんの横レスは見逃せないです。
いつもまっすぐな言葉をありがとう。
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無駄レス判定士、akoさん。
〉横レス専門家(爆)こるもさん、こんにちは。
なんだかうれしい。
〉無駄レス愛好家、akoです。
やっぱり。
〉〉無駄によこレスします。
〉ということなので、どのくらい無駄か、
〉無駄レベル(ML)判定でもしてみようかとこのレスを見たら!!!
〉びっくりもびっくりの偶然ウルトラC発生でした。
で、無駄度はいかほどで。
〉〉あー、そういえばこの前、「読字障害」についてのテレビを見た。
〉〉文字を読むって、かなり高度なことをやっているらしいよ。
〉〉人の脳は、「文字を読む」ようにはできていない。
〉〉脳のいろいろな部分を動員して、読んでいるらしいです。
〉ここです。
〉実は、ごく最近『ディスレクシア』に関する本を読んだばかりです。
〉たまたま知り合いにそういう子がいるので、勉強中です。
ああ。結構な割合でいるみたいですよ。
ピカソなんかもそうだった、とか言ってましたね。
〉交通事故や脳梗塞で起きるものではなく、生来のものです。
〉テレビでやっていたとは知らず、驚きました。
なんか、恐竜発掘の教授(アメリカ人)が、字が読めないらしいです。
字が読めなくても、教授になれる!ことにまず驚き。
さすがアメリカ。
〉ここで教えてもらえることも驚きです。
〉多読の知人に、こういったことを知っている人がいるとわかって嬉しいです。
なんかね。
これって「障害」なのかなー?と思いました。
文字を読めない人は、空間把握にたけている方が多いみたいです。
早期に発見して、「適切な教育」を受ければかなり読めるようになるらしいですが。
それは確かにいいことなのかもしれないんですが。
うーん、うまく言えなせん。
〉以前から「読む」という行為については、「話す」や「聞く」との関係でもそうですが、考えること多々です。
〉英語学習という範囲を超えた話をしている中に、
〉英語学習という行為?について考えを深めるきっかけがあるように思います。
ええー?
よくわかりません。すみません。
〉こるさんの無駄?な横については、
〉下の方に書いてあった「こころ」についても思うところありますが、
えー。書いてくださいよう。
〉これはドッペルゲンガーさんと対話お続け下さいませ。
どちらがドッペルさんで、どちらがゲンガーさんか、悩ましいところです。
〉いやはや、これだからこるさんの横レスは見逃せないです。
〉いつもまっすぐな言葉をありがとう。
まっすぐってのが、よくわからないのよね。
そんなにストレートですか?
そんではでは。
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/18(00:50)
------------------------------
こるさん、こんばんは。
〉たかぽさん、極楽トンボさん、こんにちは。
〉無駄によこレスします。
なんの。
〉〉〉〉英語を読んでるときでも、英語自体を読んでるわけではないですよね。
〉〉〉〉その記号が意味するものを読んでるわけで。
〉あー、そういえばこの前、「読字障害」についてのテレビを見た。
〉文字を読むって、かなり高度なことをやっているらしいよ。
〉人の脳は、「文字を読む」ようにはできていない。
〉脳のいろいろな部分を動員して、読んでいるらしいです。
なるほど。そうだろうと思います。
目といい、いろんな部分といい、ありがたいことです。
そういえば、ダールの本で、Vicar of Nibbles...っていうのがありましたね。
全部言葉が逆さになってしまう人。
〉〉〉うーん、わたしも英語の回路が構築できたらいいなー。
〉〉いや、もう、既に出来かかってると思いますよ。
〉〉たとえば、Good morning!って、別に日本語を考えなくも出て来ますよね?
〉〉他の外国語よりも、数段、進歩した回路が出来てるんじゃないでしょうか。
〉英語回路、できるんじゃないかな。
〉わたしも2歳児並の回路ですが、あるような気がします。
〉ひょっとしたら、1歳児かも。
私の回路も非常に幼いと思うけど・・・
でも、何かありますよね。日本語をかまさず直接働くものが。
〉〉ちなみに、私だったら、英和辞典は引きません。
〉〉多読を始めてから7年以上になりますが、一度も、単語の意味を調べる目的で
〉〉英和辞典を引いたことがありません。(語源を調べる目的で、リーダーズを引いたりしますが。)
〉〉どうしても引きたかったら、易しい言葉で説明した英英辞書を使うといいと思います。
〉〉それ自体が多読になりますし。
〉〉Oxford とか Longman とか、いろいろあります。
〉あ、わたし英和ひいちゃいます。 近場にあるからつい。
なんで英和ひいちゃうんだ!!
・・・って、まぁ、人それぞれなんでしょうが。
私は、ほんとに、訳語に興味が無いから、ぜんぜん引かないなぁ。
気持ち悪くもあるし。
〉この前もcircumstanceを引いたばかり。
〉その上にcircumcisionなんて単語もあったりして。
〉やっぱcircleと、関係があるんだろうか?
〉すんません。つまらん話を。
もちろん、circleと関係あるんでしょう。そんだけ似ていれば。
ぐるっと、まるっと、て感じかなぁ。
(circuitもそうだし、circusもね。馬を走らせるのに円状である必要があったとか。)
circumcisionは、decisionもそうだと思いますが、さくっと、ざくっと、だね。
『僕たちのアナ・バナナ』とかいう映画で、ユダヤ教のcircumcisionのシーンがチラッとあります。
もちろんそのものは映りませんが、新米ラバイがそれを見て卒倒してしまうん。
〉〉いえいえ、私のことを言ってるんじゃありません。
〉〉私は私の好きにやってるので、いいんです。誰に何と言われようが。(笑)
〉〉そうじゃなくて、多読三原則以外の多読をやっちゃいけないんだろうか…と悩んでる人がいたら、
〉〉いいじゃないですか、精読でも何でも、好きなことやったらいいですよ、と言ってあげたいな、
〉〉と思ってるってことです。
〉たぶん、たかぽんさんがおっしゃりたいのは、ここではないかと。
〉(「全部だよ」という声が聞こえてきそうですが)
はぁ、まぁ、そこでしょうか。
〉〉〉まったくおっしゃるとおりです。わたし、多読開始当初は、難しい英語の本がよめるようになれればいいやと思っていたので多読にはあまり疑問を感じるどころか、すばらしい方法だと思って飛びつきました。いまは、会話もできればとか、子供が小さいうちに読み聞かせをしてみたいとか、多言語もとか、いろいろ目標ができてしまい、そういう意味で英語多読に集中できず、すこし迷いがでています。
〉いろいろやってみたくなったら、やってみるのもいいかと。
〉英会話は、瞬発力を養うし、読み聞かせは自分のためにもいいし、
〉多言語やることで「英語」が見えてくることもあります。
そうでしょうね。
なんでも、思いついて、やってみよう!ってことは、ちょっとやってみるといいですね。
〉自分の話ですが、英語以外の多言語をかじることで、英語がしゃべりやすくなった経験があります。
なるほどねー。
ドイツ語かじるかねー。(ほんとうにかじりたいのは、ビアホールのソーセージだ!)
〉いろいろやることで、多読も進むかもしれません。
かもねー。
〉〉〉たかぽんさんはたかぽんさんのこころのいうことを聞いていれば安心して前に進めるんですね。わたしのこころはすこし曇っているので、こころの考えていることをいちいちチェックしないと心配でなりません。いっそこころを鍛えてわたしの目標に近づけるようにしたほうが早いかなあと思いますが、妙案はありません。こころはどうやって鍛えればよいんでしょうか?
〉こころを取りだして、鍛えたり、磨いたり、なでたりできればいいんですけど。
〉本当に、実体のないものを、どうやって鍛えればいいんでしょうね。
鍛えるってのが、いまいち・・・
〉こころはリンゴのような「実体」ではなく、波や風のような「現象」だと思っています。
〉だからざわついたり、静かだったりするのではないかと。
あー。それは表に近いほうの「こころ」ですね。
それは、いろいろありますよね。
〉実体だったら、自分の自由になりそうな気がする。
〉でも実際は、こころに振り回されたりしますよね。
とりあえず、ちょっと静かに、心を鎮める習慣をつけるのがいいそうですよ。
一日少しの時間でいいので。ラクにして。呼吸を静かに。
〉〉「こころを鍛える」というのがよくわからないんですが、私がここで言ってる「こころ」は、
〉〉ほんとの自分とか、魂とか、なんかそういうものです。
〉「本当の自分」とか「うその自分」ってあるんでしょうか?
〉と、あえて反論してみる。
全部、自分でしょうね。
考え方の方便かもしれません。
見えないところに「ほんとの自分」がいて、今の自分の思考が「ほんとの自分」と離れていれば、
落ち着かないイライラした気分になるし、「ほんとの自分」にぴったりとした思考をとっていれば、
落ち着いた気持ちのいい気分になるし、という感じ。
というふうに考えてみると、なるほどねーと納得できることが、個人的にはあります。
〉〉それが、どうやら、自分にとって一番いい答えを知っているようです。どうやら。
〉〉うれしいとか、楽しいとか、いい気分だなぁ、と感じることが、その「答え」のようですね。
〉本当に好きなことをやっている時って、すごい集中力を発揮しますよね。
〉そして実際に力も付く。
〉たかぽんさんのおっしゃる「本当に好きなことをしよう」というのは、そういうことなのかな、と勝手に思っています。
いや、まさに、そういうことです。
好きなことに集中すると、ものすごいエネルギーを発するのですが、現代人はなかなか集中できないかも。
情報をたくさん仕入れないと不安、と思い込まされていて、別に好きでもないことに関心を向けてたりする。
一応知っとかないといけないかなと、思ってしまう。思考があちこちに分散されていて、エネルギーを生まない。
好きなこと(魂?)から離れてることが多いので、イライラしていることが多い。
だからって急に改善するのは難しいから、当面、明らかに不要だなということは関心から外して、
少しでも気分のいいことに思考を向けると、いいそうです。
自分の好きな物事に思考を向けるとか、少しでもホッと落ち着けるような思考をしたり。
あんまり自分が実現しそうと思ってないことは暗い感情を呼ぶので避けておいて、手近なところから。
少しでも明るいほうに思考を向けると、自然、やる気もわいてきそうです。
〉ではではでは。
ほなほなほな。
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お名前: こるも
投稿日: 2008/10/18(12:11)
------------------------------
という回文が、以前はやりましたね。
「こ。」です。こんにちは。
〉〉無駄によこレスします。
〉なんの。
なんの?
〉そういえば、ダールの本で、Vicar of Nibbles...っていうのがありましたね。
〉全部言葉が逆さになってしまう人。
えー、しらない。
〉〉英語回路、できるんじゃないかな。
〉〉わたしも2歳児並の回路ですが、あるような気がします。
〉〉ひょっとしたら、1歳児かも。
〉私の回路も非常に幼いと思うけど・・・
〉でも、何かありますよね。日本語をかまさず直接働くものが。
ある。
スペイン語回路も、イタリア語回路も、ある。
1才未満児だけど。
〉〉あ、わたし英和ひいちゃいます。 近場にあるからつい。
〉なんで英和ひいちゃうんだ!!
あー、やっぱりおこられたー。
禁断の初告白。
なかなか言えないことを、言ってみたかった。すっきり。
〉・・・って、まぁ、人それぞれなんでしょうが。
〉私は、ほんとに、訳語に興味が無いから、ぜんぜん引かないなぁ。
〉気持ち悪くもあるし。
そうねえ。
でも焦点を固定しなければ、結構平気。
おすすめはしませんが。
〉〉この前もcircumstanceを引いたばかり。
〉〉その上にcircumcisionなんて単語もあったりして。
〉〉やっぱcircleと、関係があるんだろうか?
〉もちろん、circleと関係あるんでしょう。そんだけ似ていれば。
あるんですか。
〉ぐるっと、まるっと、て感じかなぁ。
〉(circuitもそうだし、circusもね。馬を走らせるのに円状である必要があったとか。)
周辺てことよね。
〉circumcisionは、decisionもそうだと思いますが、さくっと、ざくっと、だね。
ひー。
〉『僕たちのアナ・バナナ』とかいう映画で、ユダヤ教のcircumcisionのシーンがチラッとあります。
〉もちろんそのものは映りませんが、新米ラバイがそれを見て卒倒してしまうん。
ユダヤ教の神様って、変なことが好きだよね。
なんでそんなことをさせたいのかしら。
〉〉〉いえいえ、私のことを言ってるんじゃありません。
〉〉〉私は私の好きにやってるので、いいんです。誰に何と言われようが。(笑)
〉〉〉そうじゃなくて、多読三原則以外の多読をやっちゃいけないんだろうか…と悩んでる人がいたら、
〉〉〉いいじゃないですか、精読でも何でも、好きなことやったらいいですよ、と言ってあげたいな、
〉〉〉と思ってるってことです。
〉〉たぶん、たかぽんさんがおっしゃりたいのは、ここではないかと。
〉〉(「全部だよ」という声が聞こえてきそうですが)
〉はぁ、まぁ、そこでしょうか。
あー、はずした。
〉〉いろいろやってみたくなったら、やってみるのもいいかと。
〉〉英会話は、瞬発力を養うし、読み聞かせは自分のためにもいいし、
〉〉多言語やることで「英語」が見えてくることもあります。
〉そうでしょうね。
〉なんでも、思いついて、やってみよう!ってことは、ちょっとやってみるといいですね。
ねー。すぐやめてもいいんだし。
〉〉自分の話ですが、英語以外の多言語をかじることで、英語がしゃべりやすくなった経験があります。
〉なるほどねー。
〉ドイツ語かじるかねー。(ほんとうにかじりたいのは、ビアホールのソーセージだ!)
なんだか無理がありますけど。
〉〉いろいろやることで、多読も進むかもしれません。
〉かもねー。
進まないかもしれませんが。それもまた良し、かと。
〉〉こころを取りだして、鍛えたり、磨いたり、なでたりできればいいんですけど。
〉〉本当に、実体のないものを、どうやって鍛えればいいんでしょうね。
〉鍛えるってのが、いまいち・・・
やっぱり、ばしばし鍛えないと。
〉〉こころはリンゴのような「実体」ではなく、波や風のような「現象」だと思っています。
〉〉だからざわついたり、静かだったりするのではないかと。
〉あー。それは表に近いほうの「こころ」ですね。
そうなのか。
〉それは、いろいろありますよね。
ありますか?
〉〉実体だったら、自分の自由になりそうな気がする。
〉〉でも実際は、こころに振り回されたりしますよね。
〉とりあえず、ちょっと静かに、心を鎮める習慣をつけるのがいいそうですよ。
〉一日少しの時間でいいので。ラクにして。呼吸を静かに。
ゆっくり呼吸すると、気も落ち着いてきますね。
イライラしていると、呼吸も浅くなる。
呼吸をコントロールすることで、気分も多少はコントロールできる、らしい。
〉〉「本当の自分」とか「うその自分」ってあるんでしょうか?
〉〉と、あえて反論してみる。
〉全部、自分でしょうね。
そう思う。
うそもほんともないよ。じぶんはじぶん。
〉考え方の方便かもしれません。
〉見えないところに「ほんとの自分」がいて、今の自分の思考が「ほんとの自分」と離れていれば、
〉落ち着かないイライラした気分になるし、「ほんとの自分」にぴったりとした思考をとっていれば、
〉落ち着いた気持ちのいい気分になるし、という感じ。
〉というふうに考えてみると、なるほどねーと納得できることが、個人的にはあります。
そうなんかー。
わたしはねー、湖のイメージです。
底の方に「わたし」がいるん。(こころじゃなくて)
これが、コアですね。
こころがざわついているときは、波が立っている感じ。
「わたし」は見えない。
波が静かになると「わたし」が見えてくる。
〉好きなことに集中すると、ものすごいエネルギーを発するのですが、現代人はなかなか集中できないかも。
刺激が多すぎるんですかね。
〉情報をたくさん仕入れないと不安、と思い込まされていて、別に好きでもないことに関心を向けてたりする。
〉一応知っとかないといけないかなと、思ってしまう。思考があちこちに分散されていて、エネルギーを生まない。
〉好きなこと(魂?)から離れてることが多いので、イライラしていることが多い。
しなきゃならないことも、たくさんあるから。
〉だからって急に改善するのは難しいから、当面、明らかに不要だなということは関心から外して、
〉少しでも気分のいいことに思考を向けると、いいそうです。
ほほう。
〉自分の好きな物事に思考を向けるとか、少しでもホッと落ち着けるような思考をしたり。
〉あんまり自分が実現しそうと思ってないことは暗い感情を呼ぶので避けておいて、手近なところから。
〉少しでも明るいほうに思考を向けると、自然、やる気もわいてきそうです。
頭が疲れたら、体を動かす、とか。
体が疲れたら、頭を動かす、とかもいいみたい。
頭と体のバランスをうまく保つと、こころも落ち着いてくるような気がします。
それがなかなか、むずかしいけれど。
それではでは。
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/18(19:55)
------------------------------
無駄に焦っている奥さま?(こるさんや特定の方がそうだというわけでなく。)
こるさん。こ。
〉〉〉無駄によこレスします。
〉〉なんの。
〉なんの?
なんのなんの、ということですが、用法用量をまちがってました?
〉〉そういえば、ダールの本で、Vicar of Nibbles...っていうのがありましたね。
〉〉全部言葉が逆さになってしまう人。
〉えー、しらない。
そっか。機会があればご一読を。うっすい本です。
〉〉〉英語回路、できるんじゃないかな。
〉〉〉わたしも2歳児並の回路ですが、あるような気がします。
〉〉〉ひょっとしたら、1歳児かも。
〉〉私の回路も非常に幼いと思うけど・・・
〉〉でも、何かありますよね。日本語をかまさず直接働くものが。
〉ある。
〉スペイン語回路も、イタリア語回路も、ある。
〉1才未満児だけど。
かっくいー!
他のも全部合わせたら、小学生には達するね。
〉〉〉あ、わたし英和ひいちゃいます。 近場にあるからつい。
〉〉なんで英和ひいちゃうんだ!!
〉あー、やっぱりおこられたー。
〉禁断の初告白。
〉なかなか言えないことを、言ってみたかった。すっきり。
私はアントニオ猪木氏のビンタですか。
〉〉・・・って、まぁ、人それぞれなんでしょうが。
〉〉私は、ほんとに、訳語に興味が無いから、ぜんぜん引かないなぁ。
〉〉気持ち悪くもあるし。
〉そうねえ。
〉でも焦点を固定しなければ、結構平気。
〉おすすめはしませんが。
うむ。ぼやーっと見るぶんにはいいかもしれないが・・・
でもやっぱり、おすすめはせんなぁ。
〉〉〉この前もcircumstanceを引いたばかり。
〉〉〉その上にcircumcisionなんて単語もあったりして。
〉〉〉やっぱcircleと、関係があるんだろうか?
〉〉もちろん、circleと関係あるんでしょう。そんだけ似ていれば。
〉あるんですか。
いや、あるんでしょう。たぶん。
(辞書で調べても関係あるってわかるだけなので、調べる前から徒労感。)
(英語で書かれた語源辞典があるといいなぁと、なんとなくつぶやいてみる。)
〉〉ぐるっと、まるっと、て感じかなぁ。
〉〉(circuitもそうだし、circusもね。馬を走らせるのに円状である必要があったとか。)
〉周辺てことよね。
周辺ていうか、ぐるっと、まるっと。
〉〉circumcisionは、decisionもそうだと思いますが、さくっと、ざくっと、だね。
〉ひー。
経験ござらんか?
〉〉『僕たちのアナ・バナナ』とかいう映画で、ユダヤ教のcircumcisionのシーンがチラッとあります。
〉〉もちろんそのものは映りませんが、新米ラバイがそれを見て卒倒してしまうん。
〉ユダヤ教の神様って、変なことが好きだよね。
〉なんでそんなことをさせたいのかしら。
いろいろ、由来があるのでしょう。
男の子の場合は、雑菌がたまらなくなって良いという話だが。
〉〉〉〉いえいえ、私のことを言ってるんじゃありません。
〉〉〉〉私は私の好きにやってるので、いいんです。誰に何と言われようが。(笑)
〉〉〉〉そうじゃなくて、多読三原則以外の多読をやっちゃいけないんだろうか…と悩んでる人がいたら、
〉〉〉〉いいじゃないですか、精読でも何でも、好きなことやったらいいですよ、と言ってあげたいな、
〉〉〉〉と思ってるってことです。
〉〉〉たぶん、たかぽんさんがおっしゃりたいのは、ここではないかと。
〉〉〉(「全部だよ」という声が聞こえてきそうですが)
〉〉はぁ、まぁ、そこでしょうか。
〉あー、はずした。
いや、はずしたわけでもなかろう。
知らんけど。
〉〉〉いろいろやってみたくなったら、やってみるのもいいかと。
〉〉〉英会話は、瞬発力を養うし、読み聞かせは自分のためにもいいし、
〉〉〉多言語やることで「英語」が見えてくることもあります。
〉〉そうでしょうね。
〉〉なんでも、思いついて、やってみよう!ってことは、ちょっとやってみるといいですね。
〉ねー。すぐやめてもいいんだし。
そうそう。
臨機応変に。柔軟に。
〉〉〉自分の話ですが、英語以外の多言語をかじることで、英語がしゃべりやすくなった経験があります。
〉〉なるほどねー。
〉〉ドイツ語かじるかねー。(ほんとうにかじりたいのは、ビアホールのソーセージだ!)
〉なんだか無理がありますけど。
えー、けっこうマジっすけど。
〉〉〉いろいろやることで、多読も進むかもしれません。
〉〉かもねー。
〉進まないかもしれませんが。それもまた良し、かと。
そうですね。
私も、日本語の本づいていたり、他のことづいてて、多読が全然進まなかった時期が何度もありますが、
べつによいかと。
〉〉〉こころを取りだして、鍛えたり、磨いたり、なでたりできればいいんですけど。
〉〉〉本当に、実体のないものを、どうやって鍛えればいいんでしょうね。
〉〉鍛えるってのが、いまいち・・・
〉やっぱり、ばしばし鍛えないと。
あー。攻めるほうでしたね。こるさん。
〉〉〉こころはリンゴのような「実体」ではなく、波や風のような「現象」だと思っています。
〉〉〉だからざわついたり、静かだったりするのではないかと。
〉〉あー。それは表に近いほうの「こころ」ですね。
〉そうなのか。
知らんけど。
〉〉それは、いろいろありますよね。
〉ありますか?
ないかも。
〉〉〉実体だったら、自分の自由になりそうな気がする。
〉〉〉でも実際は、こころに振り回されたりしますよね。
〉〉とりあえず、ちょっと静かに、心を鎮める習慣をつけるのがいいそうですよ。
〉〉一日少しの時間でいいので。ラクにして。呼吸を静かに。
〉ゆっくり呼吸すると、気も落ち着いてきますね。
〉イライラしていると、呼吸も浅くなる。
〉呼吸をコントロールすることで、気分も多少はコントロールできる、らしい。
呼吸をコントロールでもいいし、呼吸を感じるだけでも違いますよね。
(私はコントロールしない派。ただ注目する。)
心が落ち着くと、自分の感じていることがわかりやすくなりますね。
〉〉〉「本当の自分」とか「うその自分」ってあるんでしょうか?
〉〉〉と、あえて反論してみる。
〉〉全部、自分でしょうね。
〉そう思う。
〉うそもほんともないよ。じぶんはじぶん。
うん、それはそうなんだけど、「ほんとの自分」を設定して、それに近づくようなイメージでいたほうが、
私にはわかりやすい。わかりやすい人がいるかなと思って。
「うその自分」がいるわけではないけれどね。
〉〉考え方の方便かもしれません。
〉〉見えないところに「ほんとの自分」がいて、今の自分の思考が「ほんとの自分」と離れていれば、
〉〉落ち着かないイライラした気分になるし、「ほんとの自分」にぴったりとした思考をとっていれば、
〉〉落ち着いた気持ちのいい気分になるし、という感じ。
〉〉というふうに考えてみると、なるほどねーと納得できることが、個人的にはあります。
〉そうなんかー。
〉わたしはねー、湖のイメージです。
〉底の方に「わたし」がいるん。(こころじゃなくて)
〉これが、コアですね。
〉こころがざわついているときは、波が立っている感じ。
〉「わたし」は見えない。
〉波が静かになると「わたし」が見えてくる。
なるほど。そのたとえもわかりやすいなぁ。
「わたし」に逆らう行き方をするのもアリなんだけど、そうすると、
逆らってまっせってことで、「わたし」は波を送ってくるようです。
〉〉好きなことに集中すると、ものすごいエネルギーを発するのですが、現代人はなかなか集中できないかも。
〉刺激が多すぎるんですかね。
刺激・情報量が多すぎるんでしょうな。
〉〉情報をたくさん仕入れないと不安、と思い込まされていて、別に好きでもないことに関心を向けてたりする。
〉〉一応知っとかないといけないかなと、思ってしまう。思考があちこちに分散されていて、エネルギーを生まない。
〉〉好きなこと(魂?)から離れてることが多いので、イライラしていることが多い。
〉しなきゃならないことも、たくさんあるから。
そうね。それはそうなんだけど、よく考えてみると楽しくもないし別にしなくてもいいことも、
たくさんやってしまってたりするよね。
〉〉だからって急に改善するのは難しいから、当面、明らかに不要だなということは関心から外して、
〉〉少しでも気分のいいことに思考を向けると、いいそうです。
〉ほほう。
こるこるはテレビ見ないからあれだけど、「とりあえずテレビつける」というのを止めるだけでも、
効果あるかも。
さぁ次は何するか、何するか、と、刻々意識して、ネガティブなことをできるだけ取り去り、
なるべく気分のいいことを考えるのがよいみたい。
〉〉自分の好きな物事に思考を向けるとか、少しでもホッと落ち着けるような思考をしたり。
〉〉あんまり自分が実現しそうと思ってないことは暗い感情を呼ぶので避けておいて、手近なところから。
〉〉少しでも明るいほうに思考を向けると、自然、やる気もわいてきそうです。
〉頭が疲れたら、体を動かす、とか。
〉体が疲れたら、頭を動かす、とかもいいみたい。
そうね。これもまた、自分が教えてくれるよね。
〉頭と体のバランスをうまく保つと、こころも落ち着いてくるような気がします。
〉それがなかなか、むずかしいけれど。
ねー。どうなんだろね。
〉それではでは。
ほんではほんでは。
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お名前: こるも
投稿日: 2008/10/18(22:40)
------------------------------
八○場とか…
こ。です。
なんだかたくさん大事な話題がありそうなんで。
わたしのはまあ、適当に。
〉無駄に焦っている奥さま?(こるさんや特定の方がそうだというわけでなく。)
無駄に縦ロールな奥さまかと思った。
〉〉〉〉無駄によこレスします。
〉〉〉なんの。
〉〉なんの?
〉なんのなんの、ということですが、用法用量をまちがってました?
はて。
〉〉スペイン語回路も、イタリア語回路も、ある。
〉〉1才未満児だけど。
〉かっくいー!
〉他のも全部合わせたら、小学生には達するね。
いや、合わせんでも。
でも、ドイツ語回路はないなあ。
大学で全部Aとったのにー。
〉〉〉〉あ、わたし英和ひいちゃいます。 近場にあるからつい。
〉〉〉なんで英和ひいちゃうんだ!!
〉〉あー、やっぱりおこられたー。
〉〉禁断の初告白。
〉〉なかなか言えないことを、言ってみたかった。すっきり。
〉私はアントニオ猪木氏のビンタですか。
わからん。
すまん。
〉〉〉・・・って、まぁ、人それぞれなんでしょうが。
〉〉〉私は、ほんとに、訳語に興味が無いから、ぜんぜん引かないなぁ。
〉〉〉気持ち悪くもあるし。
〉〉そうねえ。
〉〉でも焦点を固定しなければ、結構平気。
〉〉おすすめはしませんが。
〉うむ。ぼやーっと見るぶんにはいいかもしれないが・・・
〉でもやっぱり、おすすめはせんなぁ。
だから、すすめないって。ひとには。
〉〉〉もちろん、circleと関係あるんでしょう。そんだけ似ていれば。
〉〉あるんですか。
〉いや、あるんでしょう。たぶん。
〉(辞書で調べても関係あるってわかるだけなので、調べる前から徒労感。)
〉(英語で書かれた語源辞典があるといいなぁと、なんとなくつぶやいてみる。)
ないの?
〉〉〉ぐるっと、まるっと、て感じかなぁ。
〉〉〉(circuitもそうだし、circusもね。馬を走らせるのに円状である必要があったとか。)
〉〉周辺てことよね。
〉周辺ていうか、ぐるっと、まるっと。
だから、周辺じゃん?(堂々巡り)
〉〉〉circumcisionは、decisionもそうだと思いますが、さくっと、ざくっと、だね。
〉〉ひー。
〉経験ござらんか?
あー、そういえば。
〉〉ユダヤ教の神様って、変なことが好きだよね。
〉〉なんでそんなことをさせたいのかしら。
〉いろいろ、由来があるのでしょう。
〉男の子の場合は、雑菌がたまらなくなって良いという話だが。
でも、みんなでしなくてもいいじゃん、べつに。
〉〉〉なんでも、思いついて、やってみよう!ってことは、ちょっとやってみるといいですね。
〉〉ねー。すぐやめてもいいんだし。
〉そうそう。
〉臨機応変に。柔軟に。
思い立ったら、すぐ実行。
〉〉〉ドイツ語かじるかねー。(ほんとうにかじりたいのは、ビアホールのソーセージだ!)
〉〉なんだか無理がありますけど。
〉えー、けっこうマジっすけど。
いっひ まいなー みあ みっひ。どぅ だいなー でぃあ でぃっひ。
しか覚えてないよ。
〉私も、日本語の本づいていたり、他のことづいてて、多読が全然進まなかった時期が何度もありますが、
〉べつによいかと。
なんでも無駄はないのよねー。
〉〉〉〉こころを取りだして、鍛えたり、磨いたり、なでたりできればいいんですけど。
〉〉〉〉本当に、実体のないものを、どうやって鍛えればいいんでしょうね。
〉〉〉鍛えるってのが、いまいち・・・
〉〉やっぱり、ばしばし鍛えないと。
〉あー。攻めるほうでしたね。こるさん。
それは、たかぽのほうでしょー。
〉〉〉〉こころはリンゴのような「実体」ではなく、波や風のような「現象」だと思っています。
〉〉〉あー。それは表に近いほうの「こころ」ですね。
〉〉そうなのか。
〉知らんけど。
知らんのかよ。
〉〉〉それは、いろいろありますよね。
〉〉ありますか?
〉ないかも。
ないんかよ。
〉呼吸をコントロールでもいいし、呼吸を感じるだけでも違いますよね。
〉(私はコントロールしない派。ただ注目する。)
そういう方法もあるのか…
〉心が落ち着くと、自分の感じていることがわかりやすくなりますね。
そうなんだよね。
〉〉うそもほんともないよ。じぶんはじぶん。
〉うん、それはそうなんだけど、「ほんとの自分」を設定して、それに近づくようなイメージでいたほうが、
〉私にはわかりやすい。わかりやすい人がいるかなと思って。
〉「うその自分」がいるわけではないけれどね。
あー、なるほど。
〉〉わたしはねー、湖のイメージです。
〉〉底の方に「わたし」がいるん。(こころじゃなくて)
〉〉これが、コアですね。
〉〉こころがざわついているときは、波が立っている感じ。
〉〉「わたし」は見えない。
〉〉波が静かになると「わたし」が見えてくる。
〉「わたし」に逆らう行き方をするのもアリなんだけど、そうすると、
〉逆らってまっせってことで、「わたし」は波を送ってくるようです。
うん。でも、なんもしなくても、ざわついちゃうことって、あるじゃん?
いやなことがあったりしてさ。
そういうときに、「これは波だ」って思うの。
今は波が高いけど、放っておけば、落ち着く。
考えれば考えるほど、波は高くなっていく。
「いやなこと」があったのは事実だけど、それを必要以上に増幅させちゃうのは、自分なんだよね。
考えないようにするんでもなくて(考えないようにすると、余計そっちに意識が行っちゃうから)放っておくの。
そうすると、いつの間にか落ち着く。
むずかしいけど。
〉〉しなきゃならないことも、たくさんあるから。
〉そうね。それはそうなんだけど、よく考えてみると楽しくもないし別にしなくてもいいことも、
〉たくさんやってしまってたりするよね。
えー。そうなんだ。
〉こるこるはテレビ見ないからあれだけど、「とりあえずテレビつける」というのを止めるだけでも、
〉効果あるかも。
テレビはねー。
それこそ情報量が多すぎて。頭痛くなる。
〉さぁ次は何するか、何するか、と、刻々意識して、ネガティブなことをできるだけ取り去り、
〉なるべく気分のいいことを考えるのがよいみたい。
なるほど。
〉〉頭が疲れたら、体を動かす、とか。
〉〉体が疲れたら、頭を動かす、とかもいいみたい。
〉そうね。これもまた、自分が教えてくれるよね。
あーでもこの頃、頭でっかちかも。
〉〉頭と体のバランスをうまく保つと、こころも落ち着いてくるような気がします。
〉〉それがなかなか、むずかしいけれど。
〉ねー。どうなんだろね。
案外、体の言うこと聞いた方がいいような気がする。
頭は、つい無理なことしちゃうから。
ではではでは。
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/18(23:31)
------------------------------
とどめをさした気分…
〉こ。です。
〉なんだかたくさん大事な話題がありそうなんで。
〉わたしのはまあ、適当に。
はあ。じゃあ、ま、こんなんで。
〉〉無駄に焦っている奥さま?(こるさんや特定の方がそうだというわけでなく。)
〉無駄に縦ロールな奥さまかと思った。
そっか。そっちな…
(縦ロールの奥さまっているん?)
〉〉〉スペイン語回路も、イタリア語回路も、ある。
〉〉〉1才未満児だけど。
〉〉かっくいー!
〉〉他のも全部合わせたら、小学生には達するね。
〉いや、合わせんでも。
〉でも、ドイツ語回路はないなあ。
〉大学で全部Aとったのにー。
ええー! そりゃすごい。
2年生のときにフロイト(ドイツ語)を読んだけど、ほんっとに、わけわからんかった。
〉〉〉〉〉あ、わたし英和ひいちゃいます。 近場にあるからつい。
〉〉〉〉なんで英和ひいちゃうんだ!!
〉〉〉あー、やっぱりおこられたー。
〉〉〉禁断の初告白。
〉〉〉なかなか言えないことを、言ってみたかった。すっきり。
〉〉私はアントニオ猪木氏のビンタですか。
〉わからん。
〉すまん。
あ。いいんです。
〉〉〉〉・・・って、まぁ、人それぞれなんでしょうが。
〉〉〉〉私は、ほんとに、訳語に興味が無いから、ぜんぜん引かないなぁ。
〉〉〉〉気持ち悪くもあるし。
〉〉〉そうねえ。
〉〉〉でも焦点を固定しなければ、結構平気。
〉〉〉おすすめはしませんが。
〉〉うむ。ぼやーっと見るぶんにはいいかもしれないが・・・
〉〉でもやっぱり、おすすめはせんなぁ。
〉だから、すすめないって。ひとには。
ひとにすすめてたら100円もらうからなー。(小学生か)
〉〉〉〉もちろん、circleと関係あるんでしょう。そんだけ似ていれば。
〉〉〉あるんですか。
〉〉いや、あるんでしょう。たぶん。
〉〉(辞書で調べても関係あるってわかるだけなので、調べる前から徒労感。)
〉〉(英語で書かれた語源辞典があるといいなぁと、なんとなくつぶやいてみる。)
〉ないの?
そりゃあると思います。だからこうしてつぶやいて…
〉〉〉〉ぐるっと、まるっと、て感じかなぁ。
〉〉〉〉(circuitもそうだし、circusもね。馬を走らせるのに円状である必要があったとか。)
〉〉〉周辺てことよね。
〉〉周辺ていうか、ぐるっと、まるっと。
〉だから、周辺じゃん?(堂々巡り)
じゃなくてさー、ぐるっ、まるっ、なんだよ、こる!(サークルの飲み会風)
〉〉〉〉circumcisionは、decisionもそうだと思いますが、さくっと、ざくっと、だね。
〉〉〉ひー。
〉〉経験ござらんか?
〉あー、そういえば。
あー、そうですか。
男には耐えられなさそう。
〉〉〉ユダヤ教の神様って、変なことが好きだよね。
〉〉〉なんでそんなことをさせたいのかしら。
〉〉いろいろ、由来があるのでしょう。
〉〉男の子の場合は、雑菌がたまらなくなって良いという話だが。
〉でも、みんなでしなくてもいいじゃん、べつに。
そうだけど… 俺に聞くなよ。
〉〉〉〉なんでも、思いついて、やってみよう!ってことは、ちょっとやってみるといいですね。
〉〉〉ねー。すぐやめてもいいんだし。
〉〉そうそう。
〉〉臨機応変に。柔軟に。
〉思い立ったら、すぐ実行。
そやね。とりあえずやってみる。
〉〉〉〉ドイツ語かじるかねー。(ほんとうにかじりたいのは、ビアホールのソーセージだ!)
〉〉〉なんだか無理がありますけど。
〉〉えー、けっこうマジっすけど。
〉いっひ まいなー みあ みっひ。どぅ だいなー でぃあ でぃっひ。
〉しか覚えてないよ。
大学で習ったことはさっぱり忘れてしまって、中学のとき少しだけ聞いていたテープの会話を覚えてる。
大学の苦労は何だったんだって思うよ…
〉〉私も、日本語の本づいていたり、他のことづいてて、多読が全然進まなかった時期が何度もありますが、
〉〉べつによいかと。
〉なんでも無駄はないのよねー。
そっか。大学の苦労は、苦労したって何も残らない、ということがわかって、
よかったのだなぁ。(そうとでも考えんと…)
〉〉〉〉〉こころを取りだして、鍛えたり、磨いたり、なでたりできればいいんですけど。
〉〉〉〉〉本当に、実体のないものを、どうやって鍛えればいいんでしょうね。
〉〉〉〉鍛えるってのが、いまいち・・・
〉〉〉やっぱり、ばしばし鍛えないと。
〉〉あー。攻めるほうでしたね。こるさん。
〉それは、たかぽのほうでしょー。
えー、こるのほうでしょー。(まわるまわる)
〉〉〉〉〉こころはリンゴのような「実体」ではなく、波や風のような「現象」だと思っています。
〉〉〉〉あー。それは表に近いほうの「こころ」ですね。
〉〉〉そうなのか。
〉〉知らんけど。
〉知らんのかよ。
見たことないもん。
〉〉〉〉それは、いろいろありますよね。
〉〉〉ありますか?
〉〉ないかも。
〉ないんかよ。
あるかもよ?
〉〉呼吸をコントロールでもいいし、呼吸を感じるだけでも違いますよね。
〉〉(私はコントロールしない派。ただ注目する。)
〉そういう方法もあるのか…
うん。ただふつうに。時間で呼吸が変化するのはおもしろい。
〉〉心が落ち着くと、自分の感じていることがわかりやすくなりますね。
〉そうなんだよね。
ねー。
意識が頭に上がってたのが、下におさまってくるような感じもする。
〉〉〉うそもほんともないよ。じぶんはじぶん。
〉〉うん、それはそうなんだけど、「ほんとの自分」を設定して、それに近づくようなイメージでいたほうが、
〉〉私にはわかりやすい。わかりやすい人がいるかなと思って。
〉〉「うその自分」がいるわけではないけれどね。
〉あー、なるほど。
そんな感じねん。
〉〉〉わたしはねー、湖のイメージです。
〉〉〉底の方に「わたし」がいるん。(こころじゃなくて)
〉〉〉これが、コアですね。
〉〉〉こころがざわついているときは、波が立っている感じ。
〉〉〉「わたし」は見えない。
〉〉〉波が静かになると「わたし」が見えてくる。
〉〉「わたし」に逆らう行き方をするのもアリなんだけど、そうすると、
〉〉逆らってまっせってことで、「わたし」は波を送ってくるようです。
〉うん。でも、なんもしなくても、ざわついちゃうことって、あるじゃん?
〉いやなことがあったりしてさ。
〉そういうときに、「これは波だ」って思うの。
〉今は波が高いけど、放っておけば、落ち着く。
〉考えれば考えるほど、波は高くなっていく。
〉「いやなこと」があったのは事実だけど、それを必要以上に増幅させちゃうのは、自分なんだよね。
〉考えないようにするんでもなくて(考えないようにすると、余計そっちに意識が行っちゃうから)放っておくの。
〉そうすると、いつの間にか落ち着く。
〉むずかしいけど。
ああ。よーくわかるような気がします。
なんかね、いやな感情があると、それをなんとか処理しなくちゃと思ってしまうん。
そしていろんな思考や言葉をそこに注入してしまうんだけど、それは火に油。
注目すればするほど燃え上がる。
だから、ほっとく。または、他の、自分のお気に入り、やろうとしてたこと、
本来のことに意識を向ける。
そのうちに、気分が変わるし、いつの間にか、いやなことの整理もついてるんだよね。
〉〉〉しなきゃならないことも、たくさんあるから。
〉〉そうね。それはそうなんだけど、よく考えてみると楽しくもないし別にしなくてもいいことも、
〉〉たくさんやってしまってたりするよね。
〉えー。そうなんだ。
あー。こるこるはそれが少ないのかも。
〉〉こるこるはテレビ見ないからあれだけど、「とりあえずテレビつける」というのを止めるだけでも、
〉〉効果あるかも。
〉テレビはねー。
〉それこそ情報量が多すぎて。頭痛くなる。
ねー。
私は、音を消して見てる場合も多いです。
〉〉さぁ次は何するか、何するか、と、刻々意識して、ネガティブなことをできるだけ取り去り、
〉〉なるべく気分のいいことを考えるのがよいみたい。
〉なるほど。
今はこのレスを書くのが楽しいですのよ♪
〉〉〉頭が疲れたら、体を動かす、とか。
〉〉〉体が疲れたら、頭を動かす、とかもいいみたい。
〉〉そうね。これもまた、自分が教えてくれるよね。
〉あーでもこの頃、頭でっかちかも。
踊れ。
〉〉〉頭と体のバランスをうまく保つと、こころも落ち着いてくるような気がします。
〉〉〉それがなかなか、むずかしいけれど。
〉〉ねー。どうなんだろね。
〉案外、体の言うこと聞いた方がいいような気がする。
〉頭は、つい無理なことしちゃうから。
うん。mind でなく heart に、think せず feel せよ、っていうよね。
〉ではではでは。
ほなほなほな。
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お名前: こるも
投稿日: 2008/10/19(09:03)
------------------------------
〉とどめをさした気分…
まだまだ。
上の方では興味深い論議が行われているようですが。
まーわたしには、なんの話をしているのかさえ不明ですが。
法と道徳(宗教?)は切り離されているか?ってことですか?
〉〉〉無駄に焦っている奥さま?(こるさんや特定の方がそうだというわけでなく。)
〉〉無駄に縦ロールな奥さまかと思った。
〉そっか。そっちな…
〉(縦ロールの奥さまっているん?)
お蝶夫人
〉2年生のときにフロイト(ドイツ語)を読んだけど、ほんっとに、わけわからんかった。
フロイトは、本人がオイディプス・コンプレックスがあったとか?
あ、そういえば「海辺のカフカ」はオイディプス伝説が下敷きです。
コンプレックスではなく。ギリシャ悲劇のほう。
〉〉〉〉〉・・・って、まぁ、人それぞれなんでしょうが。
〉〉〉〉〉私は、ほんとに、訳語に興味が無いから、ぜんぜん引かないなぁ。
〉〉〉〉〉気持ち悪くもあるし。
〉〉〉〉そうねえ。
〉〉〉〉でも焦点を固定しなければ、結構平気。
〉〉〉〉おすすめはしませんが。
〉〉〉うむ。ぼやーっと見るぶんにはいいかもしれないが・・・
〉〉〉でもやっぱり、おすすめはせんなぁ。
〉〉だから、すすめないって。ひとには。
〉ひとにすすめてたら100円もらうからなー。(小学生か)
こっそりすすめちゃお。
〉〉〉(英語で書かれた語源辞典があるといいなぁと、なんとなくつぶやいてみる。)
〉〉ないの?
〉そりゃあると思います。だからこうしてつぶやいて…
欲しいのね。
〉〉〉〉〉ぐるっと、まるっと、て感じかなぁ。
〉〉〉〉〉(circuitもそうだし、circusもね。馬を走らせるのに円状である必要があったとか。)
〉〉〉〉周辺てことよね。
〉〉〉周辺ていうか、ぐるっと、まるっと。
〉〉だから、周辺じゃん?(堂々巡り)
〉じゃなくてさー、ぐるっ、まるっ、なんだよ、こる!(サークルの飲み会風)
だからー、中心があってー、その周辺でしょー? せんぱーい。
(からむ下級生)
〉〉〉〉〉circumcisionは、decisionもそうだと思いますが、さくっと、ざくっと、だね。
〉〉〉〉ひー。
〉〉〉経験ござらんか?
〉〉あー、そういえば。
〉あー、そうですか。
さっくり。ちくちく。
〉男には耐えられなさそう。
?
circumcisionって、男がするもんじゃないの?
〉〉〉〉ユダヤ教の神様って、変なことが好きだよね。
〉〉〉〉なんでそんなことをさせたいのかしら。
〉〉〉いろいろ、由来があるのでしょう。
〉〉〉男の子の場合は、雑菌がたまらなくなって良いという話だが。
〉〉でも、みんなでしなくてもいいじゃん、べつに。
〉そうだけど… 俺に聞くなよ。
じゃあ、誰に聞けばいいんすか?せんぱい。
〉〉思い立ったら、すぐ実行。
〉そやね。とりあえずやってみる。
でもなかなか実行に移せないの。
〉〉〉〉〉ドイツ語かじるかねー。(ほんとうにかじりたいのは、ビアホールのソーセージだ!)
〉〉〉〉なんだか無理がありますけど。
〉〉〉えー、けっこうマジっすけど。
〉〉いっひ まいなー みあ みっひ。どぅ だいなー でぃあ でぃっひ。
〉〉しか覚えてないよ。
〉大学で習ったことはさっぱり忘れてしまって、中学のとき少しだけ聞いていたテープの会話を覚えてる。
〉大学の苦労は何だったんだって思うよ…
あー、あるある。
〉〉なんでも無駄はないのよねー。
〉そっか。大学の苦労は、苦労したって何も残らない、ということがわかって、
〉よかったのだなぁ。(そうとでも考えんと…)
大学って、苦労した?
わたしは、しなかったなあ。
授業も、実験も、楽しかった。
4年で研究室配属してからも、割と厳しいとこだったんだけど、楽しかった。
〉〉〉あー。攻めるほうでしたね。こるさん。
〉〉それは、たかぽのほうでしょー。
〉えー、こるのほうでしょー。(まわるまわる)
とけてバターになっちゃうよ。
ちびくろさんぼの「バター」は、本当は「ギー」だそうです。
〉〉〉〉〉〉こころはリンゴのような「実体」ではなく、波や風のような「現象」だと思っています。
〉〉〉〉〉あー。それは表に近いほうの「こころ」ですね。
〉〉〉〉そうなのか。
〉〉〉知らんけど。
〉〉知らんのかよ。
〉見たことないもん。
ないの?
〉〉〉〉〉それは、いろいろありますよね。
〉〉〉〉ありますか?
〉〉〉ないかも。
〉〉ないんかよ。
〉あるかもよ?
どっちだよ。
〉〉〉呼吸をコントロールでもいいし、呼吸を感じるだけでも違いますよね。
〉〉〉(私はコントロールしない派。ただ注目する。)
〉〉そういう方法もあるのか…
〉うん。ただふつうに。時間で呼吸が変化するのはおもしろい。
息をゆーっくり吐いていくと、心臓がゆっくりになっていくんだよね。
〉〉〉心が落ち着くと、自分の感じていることがわかりやすくなりますね。
〉〉そうなんだよね。
〉ねー。
〉意識が頭に上がってたのが、下におさまってくるような感じもする。
頭に血が上っていると、うまくいかないことが多いよね。
〉〉〉〉うそもほんともないよ。じぶんはじぶん。
〉〉〉うん、それはそうなんだけど、「ほんとの自分」を設定して、それに近づくようなイメージでいたほうが、
〉〉〉私にはわかりやすい。わかりやすい人がいるかなと思って。
〉〉〉「うその自分」がいるわけではないけれどね。
〉〉あー、なるほど。
〉そんな感じねん。
「本来の自分」を設定するわけね。
〉〉うん。でも、なんもしなくても、ざわついちゃうことって、あるじゃん?
〉〉いやなことがあったりしてさ。
〉〉そういうときに、「これは波だ」って思うの。
〉〉今は波が高いけど、放っておけば、落ち着く。
〉〉考えれば考えるほど、波は高くなっていく。
〉〉「いやなこと」があったのは事実だけど、それを必要以上に増幅させちゃうのは、自分なんだよね。
〉〉考えないようにするんでもなくて(考えないようにすると、余計そっちに意識が行っちゃうから)放っておくの。
〉〉そうすると、いつの間にか落ち着く。
〉〉むずかしいけど。
〉ああ。よーくわかるような気がします。
〉なんかね、いやな感情があると、それをなんとか処理しなくちゃと思ってしまうん。
〉そしていろんな思考や言葉をそこに注入してしまうんだけど、それは火に油。
〉注目すればするほど燃え上がる。
〉だから、ほっとく。または、他の、自分のお気に入り、やろうとしてたこと、
〉本来のことに意識を向ける。
〉そのうちに、気分が変わるし、いつの間にか、いやなことの整理もついてるんだよね。
そうそう。
時間がたつと、「なんであんなにムキになってたんだろう?」って思うことあるよ。
〉〉〉〉しなきゃならないことも、たくさんあるから。
〉〉〉そうね。それはそうなんだけど、よく考えてみると楽しくもないし別にしなくてもいいことも、
〉〉〉たくさんやってしまってたりするよね。
〉〉えー。そうなんだ。
〉あー。こるこるはそれが少ないのかも。
そういえば、いやなことはしないかも。
〉〉〉こるこるはテレビ見ないからあれだけど、「とりあえずテレビつける」というのを止めるだけでも、
〉〉〉効果あるかも。
〉〉テレビはねー。
〉〉それこそ情報量が多すぎて。頭痛くなる。
〉ねー。
〉私は、音を消して見てる場合も多いです。
消さないの?
〉〉〉さぁ次は何するか、何するか、と、刻々意識して、ネガティブなことをできるだけ取り去り、
〉〉〉なるべく気分のいいことを考えるのがよいみたい。
〉〉なるほど。
〉今はこのレスを書くのが楽しいですのよ♪
そうか。
ありがたいことです。
〉〉あーでもこの頃、頭でっかちかも。
〉踊れ。
踊れる人って、いいなーと思う。
ソシアルでも、ブレイクでも。なんでも。
〉〉案外、体の言うこと聞いた方がいいような気がする。
〉〉頭は、つい無理なことしちゃうから。
〉うん。mind でなく heart に、think せず feel せよ、っていうよね。
無駄に考えるのは、得意なんだけどねー。
でもどこにも行き着かない。
そんでわ。
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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/20(23:51)
------------------------------
こるもさん、こんばんは。
「駄」を抜くのアリかよー…
あ。そうそう。昨日、久しぶりに、絵に描いたような駄駄をこねている男の子を見ました。
地面にあおむけに寝っころがって、アー!アー!泣きわめきながら、足をジタバタさせてました。
〉上の方では興味深い論議が行われているようですが。
〉まーわたしには、なんの話をしているのかさえ不明ですが。
〉法と道徳(宗教?)は切り離されているか?ってことですか?
さて。どういうことなんでしょう…
〉〉〉〉無駄に焦っている奥さま?(こるさんや特定の方がそうだというわけでなく。)
〉〉〉無駄に縦ロールな奥さまかと思った。
〉〉そっか。そっちな…
〉〉(縦ロールの奥さまっているん?)
〉お蝶夫人
あー!
ぜんぜん所帯持ちに見えない奥様でしたな。
〉〉2年生のときにフロイト(ドイツ語)を読んだけど、ほんっとに、わけわからんかった。
〉フロイトは、本人がオイディプス・コンプレックスがあったとか?
へー。
容貌に自信が無かったんかしら。「おいで、ブス」と言われてるような気がして。
〉あ、そういえば「海辺のカフカ」はオイディプス伝説が下敷きです。
〉コンプレックスではなく。ギリシャ悲劇のほう。
オリジナルのほうですな。
ギリシャ悲劇って、お面(ラテン語ではpersona)をかぶって演じたんですな。
先ごろ亡くなった、パントマイムの第一人者、マルセル・マルソーさんの
日本公演を見に行ったことがあるが、そのとき、お面を次々と取り替えるという
演目を演ってはった。
もちろん実際にお面は無くて、全てパントマイムで。
怒った顔の面、泣いた顔の面、笑った顔の面と次々と取り替えるんだけど、
笑った顔の面が、顔からはずれなくなる。
顔は笑ったお面のままなんだけど、明らかに動揺して、焦って、困って、泣いている。
その表現がすごいなと思うとともに、むちゃ可笑しかった。
一番印象に残ってるなぁ、あの演目が。(この話、前にどこかでしたと思うけど。)
〉〉〉〉〉〉・・・って、まぁ、人それぞれなんでしょうが。
〉〉〉〉〉〉私は、ほんとに、訳語に興味が無いから、ぜんぜん引かないなぁ。
〉〉〉〉〉〉気持ち悪くもあるし。
〉〉〉〉〉そうねえ。
〉〉〉〉〉でも焦点を固定しなければ、結構平気。
〉〉〉〉〉おすすめはしませんが。
〉〉〉〉うむ。ぼやーっと見るぶんにはいいかもしれないが・・・
〉〉〉〉でもやっぱり、おすすめはせんなぁ。
〉〉〉だから、すすめないって。ひとには。
〉〉ひとにすすめてたら100円もらうからなー。(小学生か)
〉こっそりすすめちゃお。
密告者に10円あげちゃお。
〉〉〉〉〉〉ぐるっと、まるっと、て感じかなぁ。
〉〉〉〉〉〉(circuitもそうだし、circusもね。馬を走らせるのに円状である必要があったとか。)
〉〉〉〉〉周辺てことよね。
〉〉〉〉周辺ていうか、ぐるっと、まるっと。
〉〉〉だから、周辺じゃん?(堂々巡り)
〉〉じゃなくてさー、ぐるっ、まるっ、なんだよ、こる!(サークルの飲み会風)
〉だからー、中心があってー、その周辺でしょー? せんぱーい。
〉(からむ下級生)
円って、その線のことを言うのか、そのエリアのことを言うのか、
どっちなんだと思ったことがあるなぁ。
〉〉〉なんでも無駄はないのよねー。
〉〉そっか。大学の苦労は、苦労したって何も残らない、ということがわかって、
〉〉よかったのだなぁ。(そうとでも考えんと…)
〉大学って、苦労した?
〉わたしは、しなかったなあ。
〉授業も、実験も、楽しかった。
〉4年で研究室配属してからも、割と厳しいとこだったんだけど、楽しかった。
よかったねー。
そう言われてみれば、私も苦労しなかったけれど、ドイツ語は若干ね。
勉強しないと落ちると思って勉強したけど意味なかった。
〉〉〉〉あー。攻めるほうでしたね。こるさん。
〉〉〉それは、たかぽのほうでしょー。
〉〉えー、こるのほうでしょー。(まわるまわる)
〉とけてバターになっちゃうよ。
〉ちびくろさんぼの「バター」は、本当は「ギー」だそうです。
ほほー。
〉〉〉〉呼吸をコントロールでもいいし、呼吸を感じるだけでも違いますよね。
〉〉〉〉(私はコントロールしない派。ただ注目する。)
〉〉〉そういう方法もあるのか…
〉〉うん。ただふつうに。時間で呼吸が変化するのはおもしろい。
〉息をゆーっくり吐いていくと、心臓がゆっくりになっていくんだよね。
そうね。ただ私の場合は、深く瞑想すると、腸がぐるぐると動き出すなぁ。
便秘の解消に良いかも。
〉〉〉〉心が落ち着くと、自分の感じていることがわかりやすくなりますね。
〉〉〉そうなんだよね。
〉〉ねー。
〉〉意識が頭に上がってたのが、下におさまってくるような感じもする。
〉頭に血が上っていると、うまくいかないことが多いよね。
ほとんどうまくいかないね。
〉〉〉〉〉うそもほんともないよ。じぶんはじぶん。
〉〉〉〉うん、それはそうなんだけど、「ほんとの自分」を設定して、それに近づくようなイメージでいたほうが、
〉〉〉〉私にはわかりやすい。わかりやすい人がいるかなと思って。
〉〉〉〉「うその自分」がいるわけではないけれどね。
〉〉〉あー、なるほど。
〉〉そんな感じねん。
〉「本来の自分」を設定するわけね。
そうっす。イメージの便宜。
一説によれば、人間は、何度も生まれ変わってあの世とこの世を往復している、
というわけではない、とのこと。
ずーっとあの世に自分はいるんだって。
〉〉〉うん。でも、なんもしなくても、ざわついちゃうことって、あるじゃん?
〉〉〉いやなことがあったりしてさ。
〉〉〉そういうときに、「これは波だ」って思うの。
〉〉〉今は波が高いけど、放っておけば、落ち着く。
〉〉〉考えれば考えるほど、波は高くなっていく。
〉〉〉「いやなこと」があったのは事実だけど、それを必要以上に増幅させちゃうのは、自分なんだよね。
〉〉〉考えないようにするんでもなくて(考えないようにすると、余計そっちに意識が行っちゃうから)放っておくの。
〉〉〉そうすると、いつの間にか落ち着く。
〉〉〉むずかしいけど。
〉〉ああ。よーくわかるような気がします。
〉〉なんかね、いやな感情があると、それをなんとか処理しなくちゃと思ってしまうん。
〉〉そしていろんな思考や言葉をそこに注入してしまうんだけど、それは火に油。
〉〉注目すればするほど燃え上がる。
〉〉だから、ほっとく。または、他の、自分のお気に入り、やろうとしてたこと、
〉〉本来のことに意識を向ける。
〉〉そのうちに、気分が変わるし、いつの間にか、いやなことの整理もついてるんだよね。
〉そうそう。
〉時間がたつと、「なんであんなにムキになってたんだろう?」って思うことあるよ。
あるある。たくさんある。
〉〉〉〉〉しなきゃならないことも、たくさんあるから。
〉〉〉〉そうね。それはそうなんだけど、よく考えてみると楽しくもないし別にしなくてもいいことも、
〉〉〉〉たくさんやってしまってたりするよね。
〉〉〉えー。そうなんだ。
〉〉あー。こるこるはそれが少ないのかも。
〉そういえば、いやなことはしないかも。
しなさそう。
〉〉〉〉こるこるはテレビ見ないからあれだけど、「とりあえずテレビつける」というのを止めるだけでも、
〉〉〉〉効果あるかも。
〉〉〉テレビはねー。
〉〉〉それこそ情報量が多すぎて。頭痛くなる。
〉〉ねー。
〉〉私は、音を消して見てる場合も多いです。
〉消さないの?
映像は見てたいほうなの…
〉〉〉〉さぁ次は何するか、何するか、と、刻々意識して、ネガティブなことをできるだけ取り去り、
〉〉〉〉なるべく気分のいいことを考えるのがよいみたい。
〉〉〉なるほど。
〉〉今はこのレスを書くのが楽しいですのよ♪
〉そうか。
〉ありがたいことです。
なんのなんの。
〉〉〉あーでもこの頃、頭でっかちかも。
〉〉踊れ。
〉踊れる人って、いいなーと思う。
〉ソシアルでも、ブレイクでも。なんでも。
いいよね。
昔、一時期、ダンスを見るのに凝ってたことがあった。
自分は踊れないんだけど、なんか身体表現すげえなと思ってて。
何かやってみようかな。
〉〉〉案外、体の言うこと聞いた方がいいような気がする。
〉〉〉頭は、つい無理なことしちゃうから。
〉〉うん。mind でなく heart に、think せず feel せよ、っていうよね。
〉無駄に考えるのは、得意なんだけどねー。
〉でもどこにも行き着かない。
今いる場所が、その「どこか」だ。なんて。
〉そんでわ。
ふんでわ。
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お名前: こるも
投稿日: 2008/10/21(10:58)
------------------------------
たかぽさん、こんにちは。
〉「駄」を抜くのアリかよー…
仁義なき戦いなのです。(戦い?)
〉あ。そうそう。昨日、久しぶりに、絵に描いたような駄駄をこねている男の子を見ました。
〉地面にあおむけに寝っころがって、アー!アー!泣きわめきながら、足をジタバタさせてました。
おお。たくましい子ですね。
あれはね、「親が恥ずかしいだろう」と思ってやっているのです。
だから親は、そっと離れて、陰から様子をうかがう。
そうすると、バカらしくなってやめるそうです。
おためしを。
〉〉〉(縦ロールの奥さまっているん?)
〉〉お蝶夫人
〉あー!
〉ぜんぜん所帯持ちに見えない奥様でしたな。
所帯持ちだったか。お蝶婦人。
高校生のくせに。
〉〉〉2年生のときにフロイト(ドイツ語)を読んだけど、ほんっとに、わけわからんかった。
〉〉フロイトは、本人がオイディプス・コンプレックスがあったとか?
〉へー。
〉容貌に自信が無かったんかしら。「おいで、ブス」と言われてるような気がして。
なんか、お父さんが厳しかったらしいよ。(まじれす)
〉ギリシャ悲劇って、お面(ラテン語ではpersona)をかぶって演じたんですな。
〉先ごろ亡くなった、パントマイムの第一人者、マルセル・マルソーさんの
〉日本公演を見に行ったことがあるが、そのとき、お面を次々と取り替えるという
〉演目を演ってはった。
〉もちろん実際にお面は無くて、全てパントマイムで。
〉怒った顔の面、泣いた顔の面、笑った顔の面と次々と取り替えるんだけど、
〉笑った顔の面が、顔からはずれなくなる。
〉顔は笑ったお面のままなんだけど、明らかに動揺して、焦って、困って、泣いている。
〉その表現がすごいなと思うとともに、むちゃ可笑しかった。
〉一番印象に残ってるなぁ、あの演目が。(この話、前にどこかでしたと思うけど。)
すごいもん見ましたね。
いいなあ。
〉〉〉〉〉でもやっぱり、おすすめはせんなぁ。
〉〉〉〉だから、すすめないって。ひとには。
〉〉〉ひとにすすめてたら100円もらうからなー。(小学生か)
〉〉こっそりすすめちゃお。
〉密告者に10円あげちゃお。
せこい。
〉円って、その線のことを言うのか、そのエリアのことを言うのか、
〉どっちなんだと思ったことがあるなぁ。
えー? どっち?
〉そう言われてみれば、私も苦労しなかったけれど、ドイツ語は若干ね。
〉勉強しないと落ちると思って勉強したけど意味なかった。
へー。まあ、意味はなかったね。
全く覚えてないもん。
でも「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」の意味がわかって、ちょっとうれしかった。
でも…どうなんだろう?
本当に「意味はなかった」のかな。
大学で勉強することのほとんどは、社会では役には立たないけど。
それって「意味はなかった」のかな?
もっと言うと「意味がある」「意味がない」って、なんだろう。
〉〉息をゆーっくり吐いていくと、心臓がゆっくりになっていくんだよね。
〉そうね。ただ私の場合は、深く瞑想すると、腸がぐるぐると動き出すなぁ。
〉便秘の解消に良いかも。
なかなか良い体質をお持ちで。
〉〉頭に血が上っていると、うまくいかないことが多いよね。
〉ほとんどうまくいかないね。
そうか。 やっぱりね。
〉〉「本来の自分」を設定するわけね。
〉そうっす。イメージの便宜。
でもやっぱ、ぴんとこないなあ。
「本来のわたし」って、イメージ沸かない。
(だから進歩しないのか)
〉一説によれば、人間は、何度も生まれ変わってあの世とこの世を往復している、
〉というわけではない、とのこと。
〉ずーっとあの世に自分はいるんだって。
じゃあ、この世にいる自分は、誰なのよ。
〉〉時間がたつと、「なんであんなにムキになってたんだろう?」って思うことあるよ。
〉あるある。たくさんある。
なんか、憑き物が落ちたみたいになるよね。
〉〉〉〉〉〉しなきゃならないことも、たくさんあるから。
〉〉〉〉〉そうね。それはそうなんだけど、よく考えてみると楽しくもないし別にしなくてもいいことも、
〉〉〉〉〉たくさんやってしまってたりするよね。
〉〉〉〉えー。そうなんだ。
〉〉〉あー。こるこるはそれが少ないのかも。
〉〉そういえば、いやなことはしないかも。
〉しなさそう。
なぜわかる。
〉〉〉〉テレビはねー。
〉〉〉〉それこそ情報量が多すぎて。頭痛くなる。
〉〉〉ねー。
〉〉〉私は、音を消して見てる場合も多いです。
〉〉消さないの?
〉映像は見てたいほうなの…
へー。
〉〉踊れる人って、いいなーと思う。
〉〉ソシアルでも、ブレイクでも。なんでも。
〉いいよね。
〉昔、一時期、ダンスを見るのに凝ってたことがあった。
〉自分は踊れないんだけど、なんか身体表現すげえなと思ってて。
〉何かやってみようかな。
じゃ、ケチャックダンス。
〉〉無駄に考えるのは、得意なんだけどねー。
〉〉でもどこにも行き着かない。
〉今いる場所が、その「どこか」だ。なんて。
まあ、そうなんだけどさ。
では。
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こるもさん。雑談部屋に引っ越しました。
明け荷をよろしく。
たかぽん
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お名前: ako
投稿日: 2008/10/16(01:36)
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極楽トンボさん、たぶん初めまして、akoと申します。
以下、本題部分のみの引用で、内容充実の前提をすべてカットして申し訳ありません。でも前提を十分に伺った上で、本題を読み、深く感じ入りました。
〉だから(やっと本題に入りますが)、多読三原則を守らなくてはならないけれども、多読三原則に縛られてもいけないという議論は、なんだか悟りをひらくためには、悟りをひらこうと思わないといけないけれども、悟りをひらくことにとらわれてもいけないという禅問答によく似ています。わたしの場合、心の自動分析和訳装置が作動することを抑えるうえで、多読三原則はとても重要な役割を果たしていると考えられます。しかし、多読三原則を金科玉条にしてしまうと、本を読みながら考えることができなくなってしまいます。
まさにその通りと思います。
掲示板でいろいろな体験談を読んでいますと、「原則」という言葉自体から、強制力を強く感じ取る人もいれば、最初から原則と適度な距離を置いている人まで、同じ日本語の解釈一つも、多様な受け取り方があるようですね。
でも読み続けて年月が経過していくうちに、皆さんそれぞれ、自分の体験から、原則との適度な距離の取り具合ができていくように思いますね。
〉多読三原則は、自由なタドキストの主体の形成に寄与するものと考えられますが、これにあまりとらわれてしまうと逆効果になる危険もあります。でも、目的到達のための方法って、何であれ同じ危険があるのではないでしょうか?とすれば、仏教の本を読むとよく出てくるあの有名な喩えが参考になるにちがいありません。ありがたい教えというものは、筏と同じで、向こう岸の目的地に渡ったらもう不要なんです。だからそんなものにとらわれてはいけないんです。わたしにとって多読三原則は本当に役に立つけれども、いつか不要になるときがきっと来るんだと思いながら、多読をずるずる続けている次第です。
「ずるずる」に大笑い。←自分が思い当たるからです(笑)。
いいですね。この筏の例え。
読ませていただいて、「守ー破ー離」を思い出しました。
芸事の世界でよく聞くのですが、そういったことが英語多読とつながってくるとは夢にも思いませんでした。
英語、と思って始めたことでしたが、続ければ続けるほどいろいろなことに通じるものを学べて、得るものがたくさんあります。そんなことも、多読好きの人とつきあいながら続けることの楽しみのうちです。
極楽トンボさんの投稿も、歌の才能といい、いつも面白くて楽しませて頂いています。
ありがとうございます。では〜
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お名前: 極楽トンボ
投稿日: 2008/10/16(16:25)
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akoさん、初めまして、極楽トンボでーす。akoさんもいつも個性的な投稿をなさる方ですよね。いつも楽しみに読ませてもらっています。
〉以下、本題部分のみの引用で、内容充実の前提をすべてカットして申し訳ありません。でも前提を十分に伺った上で、本題を読み、深く感じ入りました。
長文の駄文をていねいに読んでくだったうえに、レスまでくださってありがとうございます。
多読をずるずる続けている次第です。
〉「ずるずる」に大笑い。←自分が思い当たるからです(笑)。
わたしもこのままずっと子供の英語の本ばかり飛ばし読みしている変な中年オヤジのままでいるのは困ります。多読は筏にすぎないんですから。
〉いいですね。この筏の例え。
〉読ませていただいて、「守ー破ー離」を思い出しました。
〉芸事の世界でよく聞くのですが、そういったことが英語多読とつながってくるとは夢にも思いませんでした。
「守ー破ー離」ってどういう芸事で使う言葉なのですか?なんか聞いたことがあるような気がするけど。長唄かなにかでしょうか?
そういえば、茶道で「格より入りて格より出ずる」なんて言うらしいですよね。あれも同じですね。多読は芸事と同じだーなどと言ったら、酒井先生なんかすっごくいやがりそうですね。うふふ。自分を自分で教育する多読とお師匠について習う芸事は当然違うところがあるでしょうけど、その違いについていまはあまりよくわかりません。
〉英語、と思って始めたことでしたが、続ければ続けるほどいろいろなことに通じるものを学べて、得るものがたくさんあります。そんなことも、多読好きの人とつきあいながら続けることの楽しみのうちです。
〉極楽トンボさんの投稿も、歌の才能といい、いつも面白くて楽しませて頂いています。
〉ありがとうございます。では〜
多読の副産物ですね。わたしはまだあまりそういうものはありません。あ、でもレインボウマジックを読んで、これまで、ヨーロッパの知的辺境に生じた荒唐無稽なファンタジーと小ばかにしていた妖精ものも、なかなか面白そうだと思うようになったので、こんなことも副産物のうちかな。あれ、もしかしてあんなものはまともなファンタジーのうちに入らない、という意見の方もいるかもしれませんが。
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お名前: ako
投稿日: 2008/10/17(21:15)
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極楽トンボさん、こんにちは。
〉akoさん、初めまして、極楽トンボでーす。akoさんもいつも個性的な投稿をなさる方ですよね。いつも楽しみに読ませてもらっています。
うわー、感激。投稿冥利で極楽にいるようです〜(笑)。
極楽気分になったのでついたくさん書いちゃいまいた。
〉〉以下、本題部分のみの引用で、内容充実の前提をすべてカットして申し訳ありません。でも前提を十分に伺った上で、本題を読み、深く感じ入りました。
〉長文の駄文をていねいに読んでくだったうえに、レスまでくださってありがとうございます。
こちらこそ、以下、長文の駄文です〜〜。
〉多読をずるずる続けている次第です。
〉〉「ずるずる」に大笑い。←自分が思い当たるからです(笑)。
〉わたしもこのままずっと子供の英語の本ばかり飛ばし読みしている変な中年オヤジのままでいるのは困ります。多読は筏にすぎないんですから。
2通りの解釈をしてしまいましたので、一応、両方かきます。
真実に近い方をご採用ください。
(1)真剣に困っておられる場合に向けたマジレス→→→3原則は必要とおっしゃりつつも、多読のための筏に過ぎない、そして多読そのものも実は筏に過ぎないのだと喝破されている極楽トンボさんであられます。ですから、極楽さんの今後の多読人生において筏の難破はあり得ないと思いました。それでももしお困りの場合、もし通勤電車などで多読されている場合でしたら、是非レベルに関わらず一番読みたいと思っている英語本とレインボーマジックの両方をお持ちになればよろしいのではと思います。その場合、お持ちになる英語本は、もちろん極楽さんが、ご自身をアイデンティファイするのに相応しいものをご自身の好みでお選びくださいませ。例・世界史愛好家の私の場合は「BBC History Magazine」です。読めないところもたくさんありますが、楽しめる箇所も多々あるのです。要はキリンとパンダを同時並行してしまうのです。本が重いなら英文雑誌や駅ホームのキヨスクで売っているその日の英字紙でもいいと思います。
(2)困りますと言いながらも嬉しそうに照れておられる場合→→→面白中年オヤジのままでいることが「できる」というのは、タドキスト男性諸氏には多いのですが、同世代日本人男性を日本全国を見渡しますと、必ずしも多数派ではないと思います。つまりこれは一種の才能であられると思います。かなり精神のゆとりのある、違いのわかる男のナントカのCMみたいで実にカッコいいです。ハードなビジネスの合間のひととき、背広の内ポケットからさり気なく出す英語版レインボーマジック。今日はどの妖精? 部下のOLの尊敬の的です。小学生女子からも尊敬と愛情のマナコ。あのオジサン、ジャックフロストのこと知ってるんだって? じゃあ普段はスーツ着て普通の大人のフリしてるけど、それは世を忍ぶ仮の姿?とウワサの的です。これから先、もし難解な洋書を読めるようになられても、ここはぜひ、子供英語本も読み続ける人でいていただけると嬉しいです。
〉〉いいですね。この筏の例え。
〉〉読ませていただいて、「守ー破ー離」を思い出しました。
〉〉芸事の世界でよく聞くのですが、そういったことが英語多読とつながってくるとは夢にも思いませんでした。
〉「守ー破ー離」ってどういう芸事で使う言葉なのですか?なんか聞いたことがあるような気がするけど。長唄かなにかでしょうか?
わたしが実際に通っているのは生け花です。
父は謡曲、姉が日本舞踊、兄が合気道などやっておりますが、
「守ー破ー離」については日本の伝統文化関係の本でよく見ます。
もとは世阿弥あたりの話らしいのですが、風姿花伝にあるのは序破急なので、守破離との関わりがどうなっているか、現在まだちゃんと知りません。
禅や能と関係があるとみています。
〉そういえば、茶道で「格より入りて格より出ずる」なんて言うらしいですよね。あれも同じですね。多読は芸事と同じだーなどと言ったら、酒井先生なんかすっごくいやがりそうですね。うふふ。
いやがりそう、いやがりそう(笑)
〉自分を自分で教育する多読とお師匠について習う芸事は当然違うところがあるでしょうけど、その違いについていまはあまりよくわかりません。
師匠につく芸事の世界も、結局は、自分の方法を自分で打ち立てるもののようですよ。何代も続いている歌舞伎役者の話など聞きますと、そのように思います。
流派や序列があるため、解釈が難しいですが、流派の流儀や師匠の命令に、ただ無批判に従うことだけが求められる、というわけでもないようです。
酒井先生はよく「離陸」という言葉で表現されてますが、
このあたりのことと関係があると思ってます。
〉〉英語、と思って始めたことでしたが、続ければ続けるほどいろいろなことに通じるものを学べて、得るものがたくさんあります。そんなことも、多読好きの人とつきあいながら続けることの楽しみのうちです。
〉〉極楽トンボさんの投稿も、歌の才能といい、いつも面白くて楽しませて頂いています。
〉多読の副産物ですね。わたしはまだあまりそういうものはありません。あ、でもレインボウマジックを読んで、これまで、ヨーロッパの知的辺境に生じた荒唐無稽なファンタジーと小ばかにしていた妖精ものも、なかなか面白そうだと思うようになったので、こんなことも副産物のうちかな。あれ、もしかしてあんなものはまともなファンタジーのうちに入らない、という意見の方もいるかもしれませんが。
もし極楽トンボさんが知的であることが何より重要だということでしたら、児童向けに書かれた妖精モノも、アカデミックに究めることは可能だと思います。私は学者ではないのでよく知りませんが、あのように児童にヒットする作品というのは、当然、ヒットするなりの要素が作品にあるからだと思いますので、そのあたりを見極めながら読むことも可能なのではないでしょうか。コドモだましのように見える妖精モノも、西洋歴史学、神話学、宗教学、社会心理学など各方面に関連濃厚だと思います。また、まともなファンタジー?というものがあるとするなら(まともでないファンタジーとは如何なるものかわからないので、一応、です)、レインボーマジックを愛好する年少読者が、その後、ナルニアやゲド戦記を読むに至るのならば、読書人口が減少していると言われて久しいネット社会到来の現在、読書を推進する力のある作品の存在意義について語るといった視点からも、知的な満足感を高めたいと思う人の読み方として可能かと思います。
ただ、世知辛い現実社会を思いますと、そういった成人の視点からいったん離れ、小学生になった気持ちで、行方不明の妖精仲間を心配しながらハラハラして読む楽しさが、わたしには格別です。……な−んてこと、極楽トンボさんはとっくにわかっておられるものと思ってま〜す。
野暮な返答で失礼いたしました〜。
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お名前: 極楽トンボ
投稿日: 2008/10/23(15:48)
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akoさん、すこし時間がたっちゃいましたが、こんにちは。極楽トンボです。
〉〉わたしもこのままずっと子供の英語の本ばかり飛ばし読みしている変な中年オヤジのままでいるのは困ります。多読は筏にすぎないんですから。
〉2通りの解釈をしてしまいましたので、一応、両方かきます。
〉真実に近い方をご採用ください。
両方思い当たります。
〉(1)真剣に困っておられる場合に向けたマジレス→→→3原則は必要とおっしゃりつつも、多読のための筏に過ぎない、そして多読そのものも実は筏に過ぎないのだと喝破されている極楽トンボさんであられます。ですから、極楽さんの今後の多読人生において筏の難破はあり得ないと思いました。それでももしお困りの場合、もし通勤電車などで多読されている場合でしたら、是非レベルに関わらず一番読みたいと思っている英語本とレインボーマジックの両方をお持ちになればよろしいのではと思います。その場合、お持ちになる英語本は、もちろん極楽さんが、ご自身をアイデンティファイするのに相応しいものをご自身の好みでお選びくださいませ。例・世界史愛好家の私の場合は「BBC History Magazine」です。読めないところもたくさんありますが、楽しめる箇所も多々あるのです。要はキリンとパンダを同時並行してしまうのです。本が重いなら英文雑誌や駅ホームのキヨスクで売っているその日の英字紙でもいいと思います。
うーん、もうちょっと読めるようにならないと目標本でキリンは苦しいような気がします。実は、駅売りの英字紙も目標本もちょっと眺めるとすぐ眠くなるような体たらくですので。そんなの読めたらおおいばりで投稿するんだけどなー。いま話題の語彙増強でもやるしかないかなー。本屋でDUOの立ち読みをしてみようかな。
〉(2)困りますと言いながらも嬉しそうに照れておられる場合→→→面白中年オヤジのままでいることが「できる」というのは、タドキスト男性諸氏には多いのですが、同世代日本人男性を日本全国を見渡しますと、必ずしも多数派ではないと思います。つまりこれは一種の才能であられると思います。かなり精神のゆとりのある、違いのわかる男のナントカのCMみたいで実にカッコいいです。ハードなビジネスの合間のひととき、背広の内ポケットからさり気なく出す英語版レインボーマジック。今日はどの妖精? 部下のOLの尊敬の的です。小学生女子からも尊敬と愛情のマナコ。あのオジサン、ジャックフロストのこと知ってるんだって? じゃあ普段はスーツ着て普通の大人のフリしてるけど、それは世を忍ぶ仮の姿?とウワサの的です。これから先、もし難解な洋書を読めるようになられても、ここはぜひ、子供英語本も読み続ける人でいていただけると嬉しいです。
この辺の感覚、よくわかりませんが、確かに電車の中でレインボウマジックをこれ見よがしに読んでいると、若い女性がわたしの顔と本の表紙を交互にのぞきこんだりします。えーい、わたしは妖精がかわいくて読んでるんじゃないんだぞお!英語の勉強なんだぞお!おまけにこいつを読むとイギリスの小学生の女の子の頭の中までわかりそうなんだぞお!えっへん!
最初は純粋に多読の修行のために読んでいたのですが、十数冊も読むとだんだん情が移ってきて、ジャックフロストとゴブリンたちがこの先どうなるのか気になって仕方がなくなってきました。がんばれ、ゴブリン!イギリスの中産階級の女の子の妄想なんぞに負けるな!妖精に支配されたこの世の秩序の欺瞞を暴いてひっくり返してやれ!ついでにうちのローンもなくなっちゃえ!とこちらも妄想が入って手に汗握ってしまいます。あ、いかん、現実逃避モードになってる。
ちなみに、職場の若い女性2名はレインボウマジックのことをしりませんでした。君たちは女の子じゃない、少なくとも小学生の女の子では。といばってやりました。そしたら、最初のページを開きながら、Blossam Hallって何?と尋ねられたのですが、こりゃいけない、えーと、これはカースティーとレイチェルたちがお花の妖精と出会うところで、お花がいっぱい植わっているんだけれども、ジャックフロストのせいで、お花がしおれてしまっているんです。と説明したのですが、これ以上のうまい説明ができなかったので、逆に彼女たちの多読に対する疑念を呼んでしまったみたいです。ちゃんとホテルの名前だって言えばよかったのに、そのときはホテルという言葉が出てこなかったんです。レイチェルとカースティーがここに宿泊していたこと、きれいさっぱり忘れていました。そういえば、本にホテルという単語は出てこなかったような気がする。わたしの職場、英語できる人いっぱいいるので、こういうのをこういう読み方で読んでると、思いっきり馬鹿にされそうです。ふにゃー。
〉〉〉いいですね。この筏の例え。
〉〉〉読ませていただいて、「守ー破ー離」を思い出しました。
〉〉〉芸事の世界でよく聞くのですが、そういったことが英語多読とつながってくるとは夢にも思いませんでした。
〉〉「守ー破ー離」ってどういう芸事で使う言葉なのですか?なんか聞いたことがあるような気がするけど。長唄かなにかでしょうか?
〉わたしが実際に通っているのは生け花です。
〉父は謡曲、姉が日本舞踊、兄が合気道などやっておりますが、
〉「守ー破ー離」については日本の伝統文化関係の本でよく見ます。
〉もとは世阿弥あたりの話らしいのですが、風姿花伝にあるのは序破急なので、守破離との関わりがどうなっているか、現在まだちゃんと知りません。
〉禅や能と関係があるとみています。
わたし、無趣味なので、実体験としてはぜんぜんわかりません。おうちの方々はいろいろ趣味をお持ちですね。わたし、このままだと多読が唯一の趣味になってしまう!きゃー。禅は興味あるのですが、禅と芸事がどうつながるのかよくわかりません。
〉〉そういえば、茶道で「格より入りて格より出ずる」なんて言うらしいですよね。あれも同じですね。多読は芸事と同じだーなどと言ったら、酒井先生なんかすっごくいやがりそうですね。うふふ。
〉いやがりそう、いやがりそう(笑)
〉〉自分を自分で教育する多読とお師匠について習う芸事は当然違うところがあるでしょうけど、その違いについていまはあまりよくわかりません。
〉師匠につく芸事の世界も、結局は、自分の方法を自分で打ち立てるもののようですよ。何代も続いている歌舞伎役者の話など聞きますと、そのように思います。
〉流派や序列があるため、解釈が難しいですが、流派の流儀や師匠の命令に、ただ無批判に従うことだけが求められる、というわけでもないようです。
〉酒井先生はよく「離陸」という言葉で表現されてますが、
〉このあたりのことと関係があると思ってます。
ということは、やっぱり多読と芸道はよく似ているということですね。そうすると、酒井先生は家元ですね。でも、家元になるのがいやでやめちゃった家元ですね。でも、行った先々でまた家元になっちゃいそうですね。わたしも離陸めざして精進するのだー。
〉〉多読の副産物ですね。わたしはまだあまりそういうものはありません。あ、でもレインボウマジックを読んで、これまで、ヨーロッパの知的辺境に生じた荒唐無稽なファンタジーと小ばかにしていた妖精ものも、なかなか面白そうだと思うようになったので、こんなことも副産物のうちかな。あれ、もしかしてあんなものはまともなファンタジーのうちに入らない、という意見の方もいるかもしれませんが。
〉もし極楽トンボさんが知的であることが何より重要だということでしたら、児童向けに書かれた妖精モノも、アカデミックに究めることは可能だと思います。私は学者ではないのでよく知りませんが、あのように児童にヒットする作品というのは、当然、ヒットするなりの要素が作品にあるからだと思いますので、そのあたりを見極めながら読むことも可能なのではないでしょうか。コドモだましのように見える妖精モノも、西洋歴史学、神話学、宗教学、社会心理学など各方面に関連濃厚だと思います。
レインボウマジックを40冊以上読んで、わたしも同感です。わたしはアカデミックに究めることはできませんが、印象や感想を折にふれて投稿したいと思います。
>また、まともなファンタジー?というものがあるとするなら(まともでないファンタジーとは如何なるものかわからないので、一応、です)、レインボーマジックを愛好する年少読者が、その後、ナルニアやゲド戦記を読むに至るのならば、読書人口が減少していると言われて久しいネット社会到来の現在、読書を推進する力のある作品の存在意義について語るといった視点からも、知的な満足感を高めたいと思う人の読み方として可能かと思います。
まともなファンタジーって、わたしが言ったのは、単にですね、わたしが学生時代に周囲で流行っていた妖精ものを指します。当時、C・S・ルイスとか、ジョージ・マクドナルドとかダンセイニとか、翻訳ものがいっぺんに出てきて、結構流行っていたように記憶しています。わたしは当時まったく興味がありませんでした。それで思わずいやな言い方をしてしまいました。お気を悪くされた方ありましたらごめんなさい。年少読者うんぬんについて言うと、うちの幼稚園年長組の娘がレインボウマジックの表紙絵や挿絵に異常に反応していました。テレビのコマーシャルに出てくるんですって。小学生になったら読めるようになるよって言ってあげたら、無理っと言われてしまいました。わたしとしては、親がレインボウマジックにうつつを抜かしているところを見せておけば、そのうち自分で読み出すのではないかと期待していますが、ちょっと作戦負けか?
〉ただ、世知辛い現実社会を思いますと、そういった成人の視点からいったん離れ、小学生になった気持ちで、行方不明の妖精仲間を心配しながらハラハラして読む楽しさが、わたしには格別です。……な−んてこと、極楽トンボさんはとっくにわかっておられるものと思ってま〜す。
〉野暮な返答で失礼いたしました〜。
わたし、多読は勉強じゃない、楽しくなければ多読じゃないなんて言われて、楽しまなきゃ楽しまなきゃと自分に言い聞かせています。わざわざ自分に言い聞かせているところが野暮なんですけど、読んでるうちにいろいろ雑念がわいたりして、ますます野暮。すらすら読み飛ばしてスマートに楽しむってわけにはなかなかいきません。
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お名前: こるも
投稿日: 2008/10/23(17:16)
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極楽トンボさん、こんにちは。
akoさんを差し置いて、すみません。
どこにレスをつけるべきか迷ったんですが、たぶんakoさんなら許してくれるだろう。
えーと、いろいろ読んだんですが。
極楽トンボさんの文章、好きです。
いや、言いたいのは、そこじゃない。
読んでいると、極楽トンボさんは、迷いながらも正しい方向に進んでいる気がします。
いいんじゃないですか?
DUOでもなんでも。
やってみて「しまった」と思えばやめればいいし。
楽しかったら、続けてみればいい。
レインボーマジックについての考察も、深い。
わたし、読んでもいないのにえらそうですが。
「レインボーマジック」を読みふけるおやじってのもCool!だと思います。
なんだかんだ言って、かなり楽しんで読まれているんじゃないですか。
読み飛ばしも、精読も、楽しそう。
わたしは自分でいろいろ試してみないと納得できないタイプなので、
「なんでもやっちゃえー」と思います。
だめですかね?
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こるもさん、クイックレスポンスですねー。卓球みたいです。スポーツは卓球しかできない極楽トンボです。
わたし、けっこうわあわあ言ってても実際には実行に至らない、有言不実行型です。落ち着きなくてすぐ気が変わってしまうんです。だからわたしはわたしの心の命ずるままに生きることはできません、社会人なので。DUOはまあ、知らない単語のチェックだけでもしてみようと思います。
レインボウマジックは全部で77冊、そのうちブッククラブ未購入のものが7冊、ブッククラブ書棚から紛失とおぼしいものが7冊あります。ここまでくると、コンプリしたくなってきました。せっかくブッククラブに入ったので、レインボウマジックは買わずに済まそうと思ったんだけど、ゴブリンの味方としてはこの14冊、買ってしまいそうです。嗚呼!