[掲示板: 〈過去ログ〉Visitor(訪問者)の掲示板 -- 最新メッセージID: 592 // 時刻: 2024/11/24(22:01)]
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お名前: Ryotasan
投稿日: 2006/9/20(17:02)
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有名大学を目指して英語を勉強していた人なら、このスレッドに書き込まれた Time のエッセイを読んでも、単語のレベルで苦労することはほとんど無いでしょうね。それでも分かりにくいと感じられるのは、このエッセイ自体がオスカー・ワイルドの好んだ論法をパロディ的に採り入れているからです。ワイルドの文章をいくつか読んだことのある人ならすぐ分かることですが、彼は皮肉と逆説が大好きでした。同性愛者として男性を愛するよりも皮肉と逆説を愛したと言っても過言ではありません。
米国人が表面的に観察すると日本人は奇妙な民族だが、小さな島国の階級社会で培われてきた日本人の心情は、米国人と繋がりのある英国人とそんなに違わないし、彼らから見れば米国人もやはり奇妙に見えるというのがエッセイの主旨ですね。そんなに突飛な結論ではありませんが、それを逆説的に表現しているわけです。ただし、これは頭をひねって読む文章と言うよりは、1語ごとに笑いながら読む文章です。
こういう文章を理解できるようになる近道は、ワイルドの文章を英語で数多く読むことです。(道具として英語を勉強しているだけでは無理です。) ワイルドが大人向けに書いた文章ではもっと難しい単語も出てきますから、語彙数を制限した副読本や、ワイルドが子どもむけに書いた作品でも良いでしょう。このエッセイに使われている単語に関して苦労しない水準まで来ている人がSSSの方法で百万語読めば、何となくハハーンと言えるぐらいにはなるでしょう。(Timeの時事的な記事は別です。)
蛇足ですが、このエッセイで最も難しい単語が使われているのは The Book of Tea からの引用でしょうね。つまり日本人の書いた英文です。
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お名前: Tallinn
投稿日: 2006/9/22(07:20)
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おはようございます。
有益な助言を書き込まれていたのは存じてます。ただ、このとおり、私の方はたった一人なので、全部に応える余裕がありません。
助言感謝してます。ところで、Ryotasanはどれぐらいの多読量でしょうか?
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"Tallinn"さんは[url:kb:508]で書きました:
お忙しいことは存じておりますので、この書き込みへのご回答は不要です。
〉助言感謝してます。ところで、Ryotasanはどれぐらいの多読量でしょうか?
多読を始めて2年目ぐらいから、大人向けペーパーバック1日100頁をノルマにして、それを15年ぐらい続けました。その期間、忙しくて読めない日もありましたが、150頁以上読む日も沢山あったので、平均すればそれぐらいは読んでいたと考えています。(それ以外に、語彙を制限した副読本や、日本語の書籍も読んでいました。)
語数は数えていませんでしたが、1000頁のペーパーバックが34万語ぐらいなので、1ヶ月で100万語ぐらいだと思います。それを15年間です。
そういうことが可能だったのは、自分の専門分野や、仕事で必要な実用書も英語で読んでいたからです。
今は仕事や家庭の状況によって変わります。全く読まない日もあれば、200頁読む日もあります。
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お名前: Tallinn
投稿日: 2006/9/24(21:52)
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こんばんわ。
出張から戻ってきたところです。私の場合、土日とかGWとかお盆とか無きが如くの仕事なもので(年末年始が休みやすいという程度です)。
比較にならない読書量と慧眼に感服いたしました。さて、以下のコメントをいただきましたが、
> それでも分かりにくいと感じられるのは、このエッセイ自体がオスカー・ワイルドの好んだ論法をパロディ的に採り入れているからです。
〉ただし、これは頭をひねって読む文章と言うよりは、1語ごとに笑いながら読む文章です。
〉こういう文章を理解できるようになる近道は、ワイルドの文章を英語で数多く読むことです。(道具として英語を勉強しているだけでは無理です。)
つまり、この手の文章を理解するということは多読量とか文法とかといったものとは別の座標軸でのアプローチが要るというわけですね。
これは理解できますが、私には無理ですね。ベケットの不条理な文章は多少は興味を引くとしても、ワイルドはちょっと触手が伸びそうもありません。自然発生的に読むという状況にはどうも。。。
お隣りの英国の啓蒙書というべきかRoger PenroseのThe Emperor's New Mindなどを読む方に価値を感じてしまいます。
そういう意味で一般記事は別にして、Essayのような類は私には無理ということはわかりました。もともと、この手の文を読む意図は英米人の思考形態に慣れることですが、逆にそれだけの素地をもってないとできないという当然のことが必要ということで、それは諦めて自分に有益なものを中心に選択して読んでいくことにします。
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Tallinnさん、お仕事ご苦労様です。
読書量や文法の意義を否定するつもりないですが、背景に対する知識と理解も必要というわけです。
サミュエル・ベケットの文章は、できれば原文で読みたいと思いながら、代表作がフランス語なので後回しにしてきました。フランス語で読めるか、英語で読むかは分かりませんが、いずれ読みたいと思っています。
ワイルドに対して食指が動かないという人は、英米の知識人の中にもいます。読むか読まないかは個人の自由です。哲学史を学んで、古代ギリシャのことに興味が出てきたら、ワイルドへ興味が波及することがあるかもしれませんが、それはその時にまた考えれば良いことです。
読みたいと思う文章や、読んでいて面白いと感じられる文章を読み続けるのが一番ですね。
Penrose の本を読んだことはありませんが The Emperor's New Mind という題名はアンデルセンのもじりですね。"The Emperor's New Clothes" 日本では「はだかの王様」という題名で読まれてきた寓話です。