[掲示板: 〈過去ログ〉英語で趣味を楽しむ -- 最新メッセージID: 1605 // 時刻: 2024/11/24(02:33)]
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お名前: 柊
投稿日: 2007/3/26(16:43)
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ウルトラQの母さん、多分、初めまして、柊です。最近ちょっと、自信がなくなってきました。
〉これは「英語で趣味を楽しむ」の範疇ではないのですが、「多読の方法の応用で趣味を楽しむ」に関して、自分の趣味のサイトのブログに書いたものなんですが、転載させていただきたいと思います。
私もピアノを習っていたので、英語の話になってないよなと思いながら、ちょっと返事をさせていただきます。
〉「多読の方法」はあらゆる分野に応用可能なんじゃないかなぁ。そしてどの分野でも、「楽しく実力をあげる」「それによってさらにその分野のことをやるのが楽しくなる」という、とても良い循環を生むんじゃないかなぁ・・・と思います。
応用可能だと思います。人生に応用してしまっているようで、やりたくないからやらない!ということが増えています。やりたいからやる!を増やしたいです。
〉ピアノに関して実際に効果が上がったらまたご報告しますね。
楽しくなった時点で、十分効果出てると思いますよ。でも、楽しみにしてます。
〉多読では、うんと易しい物を読んで「スラスラ読み」を実感すること、「スラスラ読める」程度の難しさ(>易しさ)のものを「大量に」読むことが推奨されている。
〉多読を始めてすぐに「実感」したことは、自分がいかに「今の英語力」で「楽しめる」物を楽しんでこなかったか・・・ということだ。
〉中学1年の1課を学んだ後に、1課の英語力で楽しめる物は読まずに、2課に行く。新しい文法知識や語彙は学ぶけど、そこでつけた力を使って、英語でかかれた「面白い物」を楽しむことなく3課に行く・・・。
〉私のピアノもそんな感じだった。
私のピアノもそんな感じでした。たまたま先生が他の生徒さんについて、「親子で習っていて、お母さんは前に習っていたから最初は速かったけど、前に習ってないところに来たら途端に進歩が止まっちゃった。やっぱり大人になると駄目だね」というようなことを言っていて、その頃は大人になって始める人の話は全く聞かなかったので、二十歳までにどのレベルまで行けるかで決まってしまうと思っていました。
それでいて割と遅いらしく、「他の人は3ヵ月だよ」と言われながら、トンプソンに一年かかっていた。。。
〉いつもモタモタと譜読みに時間がかかり、「進みの遅い」自分は、ピアノ世界では、すでにドロップアウトした存在・・・というように自分をとらえていた。
〉今思えば「なんてもったいない!」と思うけど。
もったいないですよね。
〉私が子どもの頃は今よりもっと「教則本」流行のころだったので、「今○ちゃんはチェルニー30番」とか、「△ちゃんは○年なのにインベンションに入ったらしい」とか、教則本の名前や番数で「ピアノの腕」が語られ、「○ちゃんのショパンっていいよね」とか「△ちゃんはベートーヴェンが好きなのね」とか、あるいは、「○ちゃんってリズム感があるよね」とか「△ちゃんの音色って私好き」とか、音楽の「内容」でピアノが語られることが少なかった。
〉少なくとも私の周囲では。
そうですね。私は、年齢的な問題もあったのか、自分の弾くピアノを「音楽」として聞くことができませんでした。音色の違いとか、弾く人によって同じ曲が変わってくるとか、聞く量が少なすぎてわからなかった(ちょっと英語に通じた?)。
〉エッセイにも書いたけど、だから、私にとっては「ピアノ=訓練」という感じで「ピアノ∈音楽」ではなかったの。「音楽」はとても好きで、合唱やったり合奏やったり鼓笛隊やったりブラスバンドやったり、いつも「音楽」をやってたのに。
〉で、大人になってピアノを再開して、「楽しく弾く」ことに出会ったのだけど、昔のトラウマのようなものはまだちょっとひきずってたとこもあったし、また、「楽しく」ではあるんだけど、やっぱりいつも「自分の技術より上」のものを弾いてきてしまったかもしれない。
自分のレベルより下のものを弾くって、そういう言い方になる発想そのものが嫌ですしね。←自分。この場合、技術というのは情感豊かにというよりは、手がどれだけ動くかという方向ですね。
〉だから、1曲あげるのにいつも時間がかかって、しかも、それが自分のレパートリーとして「いつでも弾ける」状態になっていないのだ。
数ヵ月弾かないと、すぐに弾けなくなりますからね。いつでも弾けるは相当難しいです。
〉Qが小学校に入ってピアノを始めることになった時、「難しい曲は弾かない」という方針で行こうと思い、「とりこぼした」名曲、「エリーゼのために」「乙女の祈り」といった曲を中心にやってきた。
〉なんだけど、たまたま「悲愴」の第二楽章というのを弾いた時に、「あぁ、ベートーヴェンっていいなぁ」と思って(>そもそも私はベートーヴェンが好き)、そのままベートーヴェンのソナタの世界に入って行ってしまい、またしても「泥沼」(>といっても別に楽しかったんで、いいんですけどね)。
悲愴、あ、妹が好きでよく弾いてました。不思議な和音が連続して、不協和音にも聞こえるけど、なんかいいなあっていうやつですよね。
〉今回、ピアノを再開するにあたって、私が選んだのは、とりあえず3冊。
〉「バイエル前半から中頃程度」の人用の『先生が選んだピアノ発表会名曲集1』(YAMAHA)というのと『ピアノで弾くベートーヴェンの生涯(上)(下)』(YAMAHA)というのと『ブルグミュラー練習曲25曲』(全音)です。
練習曲というか、手の訓練用に使われることが多いようなんですが、エドナ・メイ・バーナムはいかがですか? 子どもが訓練で嫌にならないようにという本なので、曲名が「走ろう」「歩こう」「アヒル歩き」なんていう風になっていて、走ったり歩いたりしている人の絵がついています。曲として音楽的にどうこうというものではないですが、アヒル歩きなんかは弾きながらおかしくて笑ってしまいます。本当に、そういう動作にそっくりなんです。
私が持っているのは導入と1ですが、初めてピアノにさわる人も大丈夫という感じです。
〉この「バイエル前半」やってる子が発表会!となった時に弾く曲っていうのは、かなり短く、もちろん、この程度のものでも「本当に音楽的に弾く」「音の粒をそろえて弾く」となれば、ぜんぜん私には出来てないのですが、それでも譜読みは「初見」でもOKだし、「1曲を1曲として感じる」にはとても良い教材です。
発表会の前は1日25回弾きなさいとかいわれました。でも、すらすら弾けるようになったら、それ以上は音楽的センスがまだ育っていなかったせいか、25回弾いても違いがわからなくて、つまらなかった。
今なら、違いがわかったところで25回は弾きませんが。
〉それにね、こうやって「手に収まる」曲をやって初めて「音楽も手に収める」ことが出来るのかもしれません。
〉同じフレーズが2回出て来た時の弾き方とか、実は音楽表現上とても大事なことを、「技術に余裕があるもの」を弾くからこそ学べるっていうか・・・。
深いですね。
〉譜読みに追われていると、なかなかそこまで行けないっていうか・・・。
私の母は譜を読みながら弾けないので、暗譜していない曲は弾けません。でも、楽しそうです。
〉辞書引きながら読んでると、英語の文章の流れが途切れてしまうのと同じかも。
〉この曲集は多読で言うとORT(>イギリスの小学生の副読本)の低学年用っていう感じかも。
〉「お子ちゃま用」とあなどるなかれ。ORTは文法的にはかなり高度なものも入ってるし、英語の自然なフレーズというのも満載です。この曲集についても同様のことが言えるかも。作曲上の「技巧」のエッセンスが多分そこここに埋め込まれているんだと思う。(>音楽理論は分からないので「思う」としか言えないのだが)
理論がわからなくても、弾いて感じられれば、それで埋め込まれていると断言していいのでは? 感じられないようなら、理論がどうであろうと、聞いてわからなければ意味がないと言ってしまっていいように思います。理論がわかる人ばかりが聞く訳じゃないですから。
〉『ベートーヴェンの生涯』に収録された曲の中には、簡単バージョンに直してあるのもあります。残念ながら、どれがアレンジしてあって、どれがアレンジしてないのか、という明記がないので、私には、オリジナルかそうでないかが判別出来ないものも多いんですけど。
〉アレンジ物、とくにそもそもピアノ曲として書かれた物のアレンジ物には、実は心理的抵抗感もあります。
ハ長調に変えると、曲のイメージが変わってしまって、楽譜通りに弾いても何か間違った気がして仕方がないときがあります。
〉でも、これも多読で言う「リトールド物」と同じなのかもしれません。子ども向けに易しく書かれた「ジェーン・エア」を読むことは、その子どもの成長にとってマイナスになるか・・と言われれば、それは必ずしもそうでない。大人になって「本物」を読む時にマイナスになるか・・・と言われれれば、それは必ずしもそうではない。
〉GRで易しい英語に直された「ジェーン・エア」を読み、「結果として」英語力がつくということもある。オリジナルじゃないけど、「ジェーン・エア」ってこういう話なんだぁ・・っていうのを「知る」ことが人生にマイナスになるとは限らない。
〉いずれオリジナルを読む日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。でも、もし、オリジナルを1点しか読む「時間」や「余裕」しか自分にはないとしたら、GRでいろいろなものを「齧って」おいて、いずれどの一つを読むのかを決めるのもいい。
〉GRはそれはそれでそういう「ジャンル」だと考えられるなら、ピアノのアレンジ曲も、それはそれでそういう「ジャンル」だと考えればいい。
〉多読をやった時「読まぬ古典より読むGR」と思いましたが、「弾かぬ名曲より弾くアレンジ曲」ってとこですかね。
それと、編集者(編曲者)の腕というのも、GRと通じますね。私は断然、松本祐士さんが好きです。
それから、大江光さんの曲はオリジナルからして易しいし、それでいてこれ以上何もいらないという完成度の高いものなので、好きです。
〉・・・という訳で、この曲集をはじめから弾いてます。
〉一番初めは、ベートーヴェンの初めての出版作品(>12歳の時!)と言われる「ドレスラーの行進曲による9つの変奏曲」の中の「第4変奏」と「第六変奏」というのが載ってるので、それをやってます。
モーツァルトは6歳でしたっけ。
〉で、ブルグミュラーは、子どもの頃、大好きだったけど「とりこぼし」てた「別れ」。ブルグミュラーもソナチネに移行しちゃって弾いてない曲があるので、「好きだったのにとりこぼし」の中をまずは中心にやってくつもりです。
〉多読と同じく、多弾も強力かもしれません。多読で「カバー・トゥ・カバー」で無理なく易しく読めるものを100冊読むのと、教科書に引用された古典の一部分を辞書を引き引き時間をかけて読むのとでは、「読書の楽しみ」という点でも、「結果としてつく力」という点でも、格段に前者に軍配があがるように、ピアノも無理なく易しく弾ける曲を100曲弾く方が、半年近くかけてソナタの1楽章を「一応」あげる(>私のことね)より、ずーっと力がつきそう。
半年かかっちゃうと、飽きちゃいそうですよね。自分が上手く弾けないと、曲が嫌いになってしまう。
〉こうやって順番に力をつけていけば、いずれ多読でPBが読めるようになるのと同じく、ピアノにおいてもソナタをもっとラクに弾けるようになるのかもしれません。
〉ま、とりあえず1年間くらい実験してみるつもりです。
ソナタを弾くより楽しそうですし、楽しく沢山練習したら力がつくというのは、何にでも通じると思います。
今私は、バイエル前半程度と思われるアレンジの「星に願いを」を弾くのが一番難しいです。音の数が極端に少ないので、全部の音に意識を集中して、全ての音に気持ちを込めないと、音をはずさないだけでは格好がつかない曲なんです。深いです。ちょっとでも音の粒がそろわないと、はっきりとわかってしまいます。
これは、私がピアノを習っていた頃に考えていた「テクニック」とは別の問題ですね。
それに今は、ピアノで音が鳴っただけで楽しい。ピアノの前の演奏者用の席って、音楽として聞く上での一番の特等席だと思うようになりました。間違えた音を弾こうが何しようが、音が鳴ると楽しい。
こじつけるようですが、技術的上達を考えていた頃と、弾きながら聞いて楽しむことを考えている今とでは、勉強していた頃と多読を始めたからのように、楽しさが全く違います。
私の場合は、中学生以降に音楽を沢山聴くようになって、好きなミュージシャンができて、それで耳が変わったことにも原因があると思います。
ウルトラQの母さんに、連弾できる人ができますように。あ、お子さんも習っているんでしたっけ。楽しみですね。
では。
Happy hmmm ah! singing in piano!
#私は父がブラインド・タッチができないということを知って初めて、普通の人は両手の指を全部バラバラに動かすことができるとは限らないということを知りました。一つの世界に浸かった分、視野は狭かったかもしれません。
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>柊さん
(多分)初めまして。いつもカキコミは読ませていただいています。
〉 私もピアノを習っていたので、英語の話になってないよなと思いながら、ちょっと返事をさせていただきます。
→ありがとうございます。
〉〉「多読の方法」はあらゆる分野に応用可能なんじゃないかなぁ。そしてどの分野でも、「楽しく実力をあげる」「それによってさらにその分野のことをやるのが楽しくなる」という、とても良い循環を生むんじゃないかなぁ・・・と思います。
〉 応用可能だと思います。人生に応用してしまっているようで、やりたくないからやらない!ということが増えています。やりたいからやる!を増やしたいです。
→私もやりたいからやる!を増やしたいです。なかなか思うに任せないけど。あと同じにやるんでも、最初からPBを読め!と言われると疲れちゃうけど、易しいもの、好きなものから読んでごらん!と言われれば、はい!と読めちゃうというのもあって、物事には「やり方」ってのがあるんだなぁって思います。仕事の場合はなかなか相手が待ってくれないっていうのもあるけど、これももしかしたら「多働」なんて方法があるかも。
〉〉ピアノに関して実際に効果が上がったらまたご報告しますね。
〉 楽しくなった時点で、十分効果出てると思いますよ。でも、楽しみにしてます。
→ピアノに向かうのが楽しいんです。おっくうさがない。ほんと、楓さんがおっしゃるとおり、すでに効果が出てます。
〉〉多読では、うんと易しい物を読んで「スラスラ読み」を実感すること、「スラスラ読める」程度の難しさ(>易しさ)のものを「大量に」読むことが推奨されている。
〉〉多読を始めてすぐに「実感」したことは、自分がいかに「今の英語力」で「楽しめる」物を楽しんでこなかったか・・・ということだ。
〉〉中学1年の1課を学んだ後に、1課の英語力で楽しめる物は読まずに、2課に行く。新しい文法知識や語彙は学ぶけど、そこでつけた力を使って、英語でかかれた「面白い物」を楽しむことなく3課に行く・・・。
〉〉私のピアノもそんな感じだった。
〉 私のピアノもそんな感じでした。たまたま先生が他の生徒さんについて、「親子で習っていて、お母さんは前に習っていたから最初は速かったけど、前に習ってないところに来たら途端に進歩が止まっちゃった。やっぱり大人になると駄目だね」というようなことを言っていて、その頃は大人になって始める人の話は全く聞かなかったので、二十歳までにどのレベルまで行けるかで決まってしまうと思っていました。
〉 それでいて割と遅いらしく、「他の人は3ヵ月だよ」と言われながら、トンプソンに一年かかっていた。。。
→大人になっても上達します!(>きっぱり!) 私は25歳くらいの時に一度再開してまして、その時は「前に戻ればいいや」と思ってたんです。でも、ちゃんと上達するんですよね。次に息子が小学校に入った時にも再開したんだけど、その時も多分やっぱり上達したと思います。
「大人は上達しない」は「大人はやらなかった」ので「知られてなかった」だけ。大人でもやり続ければ、絶対上達すると思います。
それに上達って技術のみじゃないですよね。情感や表現の深さとか。そういうのってやっぱり大人の方が人生経験を積んだだけ幅広くなるんじゃないでしょうか。
「教則本の進み」だけでピアノの上達をはかるのってすっごい間違いですよね。うちの息子もバイエルの進みがすっごく遅かったんです。それに私の頃と違って教則本を何冊もやらせないし、「こんなにエチュードしないでいいんかなぁ」と思ってましたが、最近ぐっと上達して、「悲愴」の第一楽章をあっという間に自習で譜読みしちまいまして、けっこう上手に弾いてます。(>今レッスンで習ってるのは第二楽章)
息子は「嫌いな曲はのらない」っていうタイプで、バイエルは嫌いだったんですよね。なので先生から「もうさっさか終わらせちゃおうよ」と言われてももっさりもっさりしてました。
〉〉いつもモタモタと譜読みに時間がかかり、「進みの遅い」自分は、ピアノ世界では、すでにドロップアウトした存在・・・というように自分をとらえていた。
〉〉今思えば「なんてもったいない!」と思うけど。
〉 もったいないですよね。
→教則本の進度で上達度をはかるのってやめるべきですよね〜。でも、けっこう私自身も深層心理のとこで、囚われてたりする部分がありますが。
〉〉私が子どもの頃は今よりもっと「教則本」流行のころだったので、「今○ちゃんはチェルニー30番」とか、「△ちゃんは○年なのにインベンションに入ったらしい」とか、教則本の名前や番数で「ピアノの腕」が語られ、「○ちゃんのショパンっていいよね」とか「△ちゃんはベートーヴェンが好きなのね」とか、あるいは、「○ちゃんってリズム感があるよね」とか「△ちゃんの音色って私好き」とか、音楽の「内容」でピアノが語られることが少なかった。
〉〉少なくとも私の周囲では。
〉 そうですね。私は、年齢的な問題もあったのか、自分の弾くピアノを「音楽」として聞くことができませんでした。音色の違いとか、弾く人によって同じ曲が変わってくるとか、聞く量が少なすぎてわからなかった(ちょっと英語に通じた?)。
→やっぱりピアノ教育の側にも問題があったと思うんですよね。「この曲ってこんなとこがステキだと思わない?」とか、「先生はブルグミュラーの中ではこの曲が一番好きなの。今度あなたも弾いてみない?」とかそんな風に先生が話してあげたりすることがあっても良かったのかも・・と思います。(>「多読」指導において、指導者が多読を実践し多読の楽しさを語れるのが大事っていうのと同じ?)
〉〉エッセイにも書いたけど、だから、私にとっては「ピアノ=訓練」という感じで「ピアノ∈音楽」ではなかったの。「音楽」はとても好きで、合唱やったり合奏やったり鼓笛隊やったりブラスバンドやったり、いつも「音楽」をやってたのに。
〉〉で、大人になってピアノを再開して、「楽しく弾く」ことに出会ったのだけど、昔のトラウマのようなものはまだちょっとひきずってたとこもあったし、また、「楽しく」ではあるんだけど、やっぱりいつも「自分の技術より上」のものを弾いてきてしまったかもしれない。
〉 自分のレベルより下のものを弾くって、そういう言い方になる発想そのものが嫌ですしね。←自分。この場合、技術というのは情感豊かにというよりは、手がどれだけ動くかという方向ですね。
→そうね。どんなに易しいものだって、上手に弾くのは本当に難しい。
〉〉だから、1曲あげるのにいつも時間がかかって、しかも、それが自分のレパートリーとして「いつでも弾ける」状態になっていないのだ。
〉 数ヵ月弾かないと、すぐに弾けなくなりますからね。いつでも弾けるは相当難しいです。
→「レパートリーの維持」は今後の課題。多読で言うと、再読を熱心にやるってとこかな?
〉〉Qが小学校に入ってピアノを始めることになった時、「難しい曲は弾かない」という方針で行こうと思い、「とりこぼした」名曲、「エリーゼのために」「乙女の祈り」といった曲を中心にやってきた。
〉〉なんだけど、たまたま「悲愴」の第二楽章というのを弾いた時に、「あぁ、ベートーヴェンっていいなぁ」と思って(>そもそも私はベートーヴェンが好き)、そのままベートーヴェンのソナタの世界に入って行ってしまい、またしても「泥沼」(>といっても別に楽しかったんで、いいんですけどね)。
〉 悲愴、あ、妹が好きでよく弾いてました。不思議な和音が連続して、不協和音にも聞こえるけど、なんかいいなあっていうやつですよね。
→私ベートーヴェン好きなんですよねぇ。子どもの頃から。でも、「順番に」の時代だったから、「モーツァルト→ショパン→ベートーヴェン」みたいな順番があって。モーツァルトのソナタは全曲弾かないといけないって言われて、進みの遅い私は気が遠くなって大学受験の時にやめたってのもあります。一体いつになったら違う人の曲が弾けるんだ!!!って。(>まだまだモーツアルトがいっぱい残ってたので)
〉 練習曲というか、手の訓練用に使われることが多いようなんですが、エドナ・メイ・バーナムはいかがですか? 子どもが訓練で嫌にならないようにという本なので、曲名が「走ろう」「歩こう」「アヒル歩き」なんていう風になっていて、走ったり歩いたりしている人の絵がついています。曲として音楽的にどうこうというものではないですが、アヒル歩きなんかは弾きながらおかしくて笑ってしまいます。本当に、そういう動作にそっくりなんです。
〉 私が持っているのは導入と1ですが、初めてピアノにさわる人も大丈夫という感じです。
→今度チェックしてみます。情報ありがとうございます。名前はよく聞くけれど手に取ったことはありませんでした。
〉 発表会の前は1日25回弾きなさいとかいわれました。でも、すらすら弾けるようになったら、それ以上は音楽的センスがまだ育っていなかったせいか、25回弾いても違いがわからなくて、つまらなかった。
〉 今なら、違いがわかったところで25回は弾きませんが。
→もしかしたら、ご自分に「合ってない」曲だったのかもしれませんよね。多読だったら「投げ技」使うべき曲だったのかも。ピアノの先生のもうひとつの役割は「好きな曲に出会わせる」ってことかもしれません。
実は第一回のレッスンに行って来ました。「そこまで易しいのを弾くことない」「もったいない」って言われて、一方で「多弾」の危機(?)を感じたんですが、他方で、一度に1つの曲じゃなくて並行して何曲か練習するっていう方式で「好きなもの」を発見していくという「並行読み」っていうか、そういうやり方で、「これも多弾?」と思いました。
で、紹介していただいた曲を弾いてみたら、どれもステキな曲で、先生は私の演奏を聴いて、すぐに私の好みや特性っていうのが分かったのかも・・・と思いました。でも、「自分だけ」では出会えなかったと思います。
〉〉それにね、こうやって「手に収まる」曲をやって初めて「音楽も手に収める」ことが出来るのかもしれません。
〉〉同じフレーズが2回出て来た時の弾き方とか、実は音楽表現上とても大事なことを、「技術に余裕があるもの」を弾くからこそ学べるっていうか・・・。
〉 深いですね。
→いやー、そんなこともないんですが、子ども向けのものも、実は色々考えて作曲されてるらしい・・ってのをこないだブルグミュラーの「解説」を読んで思いました。
〉〉譜読みに追われていると、なかなかそこまで行けないっていうか・・・。
〉 私の母は譜を読みながら弾けないので、暗譜していない曲は弾けません。でも、楽しそうです。
→お母様、暗譜しちゃうっていうのもすごいですねぇ。暗譜苦手な人も多いですよね。
〉 理論がわからなくても、弾いて感じられれば、それで埋め込まれていると断言していいのでは? 感じられないようなら、理論がどうであろうと、聞いてわからなければ意味がないと言ってしまっていいように思います。理論がわかる人ばかりが聞く訳じゃないですから。
→そうですね。理屈は分かってなくても、音楽が分かってる人もいれば、理屈は分かっていても音楽は分かってないという人もいると思います。
〉 ハ長調に変えると、曲のイメージが変わってしまって、楽譜通りに弾いても何か間違った気がして仕方がないときがあります。
→楓さんは絶対音感の人なのかな? それは調性感があるってことですよね。私は相対音感の人なので、あんまりよく分かってないかも。
〉 それと、編集者(編曲者)の腕というのも、GRと通じますね。私は断然、松本祐士さんが好きです。
〉 それから、大江光さんの曲はオリジナルからして易しいし、それでいてこれ以上何もいらないという完成度の高いものなので、好きです。
→なるほどね。日本の楽譜には編曲者の名前まで書いてない楽譜も多いんですけど、本当は編曲っていうのもひとつのジャンルですよね。
松本祐士さんと大江光さんも、今度チェックしてみます。ありがとうございます。(>英語の掲示板で音楽の幅が広がってしまいました。酒井先生、ありがとうございました)
〉〉一番初めは、ベートーヴェンの初めての出版作品(>12歳の時!)と言われる「ドレスラーの行進曲による9つの変奏曲」の中の「第4変奏」と「第六変奏」というのが載ってるので、それをやってます。
〉 モーツァルトは6歳でしたっけ。
→うぅん、分かりません。でも、ピアノの先生は「12歳かぁ。モーツアルトに負けてますね」とおっしゃってましたので、モーツアルトはずっと早かった(し、その年齢では良い曲を作っていた?)のかな?
〉 半年かかっちゃうと、飽きちゃいそうですよね。自分が上手く弾けないと、曲が嫌いになってしまう。
→何弾いてるか、よく分からなくなっちゃうんですよねー。
〉 ソナタを弾くより楽しそうですし、楽しく沢山練習したら力がつくというのは、何にでも通じると思います。
〉 今私は、バイエル前半程度と思われるアレンジの「星に願いを」を弾くのが一番難しいです。音の数が極端に少ないので、全部の音に意識を集中して、全ての音に気持ちを込めないと、音をはずさないだけでは格好がつかない曲なんです。深いです。ちょっとでも音の粒がそろわないと、はっきりとわかってしまいます。
〉 これは、私がピアノを習っていた頃に考えていた「テクニック」とは別の問題ですね。
〉 それに今は、ピアノで音が鳴っただけで楽しい。ピアノの前の演奏者用の席って、音楽として聞く上での一番の特等席だと思うようになりました。間違えた音を弾こうが何しようが、音が鳴ると楽しい。
〉 こじつけるようですが、技術的上達を考えていた頃と、弾きながら聞いて楽しむことを考えている今とでは、勉強していた頃と多読を始めたからのように、楽しさが全く違います。
〉 私の場合は、中学生以降に音楽を沢山聴くようになって、好きなミュージシャンができて、それで耳が変わったことにも原因があると思います。
→音楽は「どういう音を出したいか」ってことが大事ですよね。私もQが大きくなったので、今後は少しずつコンサートにも行きたいと思っています。
〉 ウルトラQの母さんに、連弾できる人ができますように。あ、お子さんも習っているんでしたっけ。楽しみですね。
〉 では。
〉 Happy hmmm ah! singing in piano!
→お互いに!! 今後ともよろしくお願いいたします。沢山の刺激的な情報をありがとうございました。
〉#私は父がブラインド・タッチができないということを知って初めて、普通の人は両手の指を全部バラバラに動かすことができるとは限らないということを知りました。一つの世界に浸かった分、視野は狭かったかもしれません。
→それはあります。私もブラインドタッチ、無茶苦茶速いって人に驚かれます。
See you soon!