[掲示板: 〈過去ログ〉英語で趣味を楽しむ -- 最新メッセージID: 1605 // 時刻: 2024/11/24(04:51)]
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お名前: ウルトラQの母
投稿日: 2007/3/23(00:59)
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>Ryotasanさん
こんばんは。
〉ピアノの多弾とは、素晴らしい名案ですね! ぜひ続けて、結果を教えて下さい。
→ありがとうございます。多弾に切り替えたら弾くことが楽しくなったので、自然に続きそうな予感がしています。
〉僕も子どものときヤマハの教室に通ったり母親の個人レッスンを受けたりしましたが、楽しさより大変さの方が大きかったという記憶があります。特に、孤独な練習は小学生としてつらかったです。レコードを聴いたり本を読むのは一人でも楽しかったんですが。
〉その後、吹奏楽や管弦楽やロックなどを経験し、クラシックのピアノ曲でも簡単な曲が色々あることを知り、楽譜を見つけて弾いたこともあります。『アンナ・マグダレーナ・バッハの楽譜帳』(バッハ)、『ナンネルの楽譜帳』(レオポルト・モーツァルト)、『ミクロコスモス』(バルトーク)、それからエリック・サティのジムノペディや「アーモンドチョコレートのワルツ」などです。
〉ただ、独奏より連弾とか3・4人で行なうアンサンブルの方が楽しいといつも感じます。(独奏ならではの奥深さは否定しませんが。)
→なるほどー。私も実は、ソロよりアンサンブルの方が好きなタイプなんだと思います。合唱も合奏も好きです。
〉そこで教えてほしいのです。バイエル前半のように先生の伴奏がついている連弾でなく、独奏でないといけないのは、なぜなんでしょうか。(^-^;)
→独奏でないといけないってことはないんですよね。ただ、そういう先生の伴奏がついた「弾きやすさレベル0」っていう感じの(ORTで言うと字が全くないような感じの)曲って、「それだけ」だと、吹奏楽のパート練習を1人でやってるみたいな感じなんですよね。
もちろん、先生のところに行った時に先生が伴奏してくだされば、アンサンブルの楽しさが味わえるけど、それ以外の時は黙々とパート練習っていうか・・・。
もちろん、各パートも副旋律を奏でたり、そこに音楽を感じることは十分可能だけど、吹奏楽曲はあくまでも「みんなで合わせて1曲」な訳だし、先生の伴奏が前提となっている曲っていうのも、生徒のパートだけでの音楽性ってどうしても低くなっちゃうような気がするんです。(>そうじゃない曲もあるのかもしれないけど)
日本でも、もっと家族や友人とアンサンブルを日常的に楽しめる日が来れば事情が変わってくるかもしれないけれど。
私の理想は、ジェーン・オースティンの世界に出てくるように、親戚やら、友人が集まった時に、「弾いて」と言われたたら「うん」と弾ける曲を10曲ぐらい持ってること。そうやってお互いに「弾いて」「うん」と弾き合う集いが日常的にあること。
なので、そういう環境にあれば、先生の伴奏があれば生徒のパートが簡単でもかなり音楽性が高い曲になるようなものも、互いに伴奏し合えるのでいいけど、今の私の環境だとちょっと厳しい・・・っていうそういう感じかな?
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お名前: Ryotasan
投稿日: 2007/3/23(16:27)
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ウルトラQの母さん、興味深いお答えをありがとうございます。音楽性の高さですか。敬服しました。
音楽性の高さや低さについて、以下、素人なりに考えてみました。
ピアノのことを「弾けば鳴る」って自嘲的に言うピアノの先生もいますが、あれは半分冗談だと僕は思っています。実際には、速さと強さの微妙な加減で、出てくる音の響きも格段に違うような気がするのです。その絶妙な加減を見極め、心をこめてポーンと弾いたとき、そのたった一つの音が美しくて驚いたという経験はありませんか。自分でいつもそういう音を出せるわけではありませんが、いろいろな人の演奏を聴いていて、そういう美しい音に出会うことはあります。
バイエルの最初の方にある片手弾きの部分も、そんな風に弾けたらなんて思う僕は素人です。(^-^;)
ただし、ああいう曲で長時間の個人練習をする必要は無いと思いっています。伴奏してくれる人がいるときだけで良いから、どんどん弾けば良いのです。多読の感覚で、そのときだけ心をこめて。
それから、これはウルトラQちゃんのお母さんお一人に対するお返事というより一般論なんですが、教師用のバイエルに載っている伴奏パートを弾けるぐらいの水準まで来ている人は沢山いるように思うんです。親子連弾、夫婦連弾、兄弟姉妹での連弾なども楽しそうです。読書にたとえれば読み聞かせに近いかもしれません。
英語の先生が多読を実践しないのはどうしてなんだろう、という疑問と、これだけピアノを習っている人がいるのに連弾をする人が少ないのはどうしてなんだろう、という疑問を僕は80年代から持っていました。多読を経験した先生がいても本が豊富にないと教室での実践が難しいのと同じように、ピアノ連弾のばあいも、連弾用の楽譜が豊富になければ普及しないのだろうと最近は思っています。文化の輸入には手間と時間がかかるのかもしれませんね。
ピアノを弾くかたで、お子さんにもピアノを習わせているかたは、楽器屋さんで教師用バイエルの本を1度ご覧下さい。(もしまだでしたら。)
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>Ryotasanさん
色々考えさせられました。
〉音楽性の高さや低さについて、以下、素人なりに考えてみました。
〉ピアノのことを「弾けば鳴る」って自嘲的に言うピアノの先生もいますが、あれは半分冗談だと僕は思っています。実際には、速さと強さの微妙な加減で、出てくる音の響きも格段に違うような気がするのです。その絶妙な加減を見極め、心をこめてポーンと弾いたとき、そのたった一つの音が美しくて驚いたという経験はありませんか。自分でいつもそういう音を出せるわけではありませんが、いろいろな人の演奏を聴いていて、そういう美しい音に出会うことはあります。
→ピアノの音色は正に弾き手によって千差万別ですよね。タッチも押すタッチ、たたくタッチ、落とすタッチ、手首を回すタッチと、色々「技術」もあるようですが、最終的には弾く人の「耳」なんでしょうね。
〉バイエルの最初の方にある片手弾きの部分も、そんな風に弾けたらなんて思う僕は素人です。(^-^;)
〉ただし、ああいう曲で長時間の個人練習をする必要は無いと思いっています。伴奏してくれる人がいるときだけで良いから、どんどん弾けば良いのです。多読の感覚で、そのときだけ心をこめて。
→そうですね。伴奏してくれる人がいる時はアンサンブルをおおいに楽しめばよいのでしょうね。
〉それから、これはウルトラQちゃんのお母さんお一人に対するお返事というより一般論なんですが、教師用のバイエルに載っている伴奏パートを弾けるぐらいの水準まで来ている人は沢山いるように思うんです。親子連弾、夫婦連弾、兄弟姉妹での連弾なども楽しそうです。読書にたとえれば読み聞かせに近いかもしれません。
→本当にそうですね。ある程度ピアノが弾ける人が多いのに、ピアノを「個人で楽しむ」人も少ないし、まして、「みんなで楽しむ」人は少ないですね。
〉英語の先生が多読を実践しないのはどうしてなんだろう、という疑問と、これだけピアノを習っている人がいるのに連弾をする人が少ないのはどうしてなんだろう、という疑問を僕は80年代から持っていました。多読を経験した先生がいても本が豊富にないと教室での実践が難しいのと同じように、ピアノ連弾のばあいも、連弾用の楽譜が豊富になければ普及しないのだろうと最近は思っています。文化の輸入には手間と時間がかかるのかもしれませんね。
→私が以前習ってた先生の1人は発表会は1年おきに「連弾の年」「ソロの年」って分けてやってました。「連弾の年」の時は、仕事している人は2人の練習時間を合わせるのがなかなか大変でしたが、でも、貴重な体験をさせてもらったと思っています。
〉ピアノを弾くかたで、お子さんにもピアノを習わせているかたは、楽器屋さんで教師用バイエルの本を1度ご覧下さい。(もしまだでしたら。)
→そうですね。小さい頃からアンサンブルの楽しさを知ってるってステキですよね。