[掲示板: 〈過去ログ〉英語で趣味を楽しむ -- 最新メッセージID: 1605 // 時刻: 2024/11/24(02:55)]
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お名前: 杏樹
投稿日: 2007/3/21(00:01)
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ウルトラQの母さん、こんにちは。
〉「多読の方法」はあらゆる分野に応用可能なんじゃないかなぁ。そしてどの分野でも、「楽しく実力をあげる」「それによってさらにその分野のことをやるのが楽しくなる」という、とても良い循環を生むんじゃないかなぁ・・・と思います。
おお、それは面白い実験。多読法のやり方は、いろんな「勉強」に応用できると思います。
〉多読を始めてすぐに「実感」したことは、自分がいかに「今の英語力」で「楽しめる」物を楽しんでこなかったか・・・ということだ。
〉中学1年の1課を学んだ後に、1課の英語力で楽しめる物は読まずに、2課に行く。新しい文法知識や語彙は学ぶけど、そこでつけた力を使って、英語でかかれた「面白い物」を楽しむことなく3課に行く・・・。
そうそう、そうです。
〉私のピアノもそんな感じだった。
〉いつもモタモタと譜読みに時間がかかり、「進みの遅い」自分は、ピアノ世界では、すでにドロップアウトした存在・・・というように自分をとらえていた。
〉今思えば「なんてもったいない!」と思うけど。
〉私が子どもの頃は今よりもっと「教則本」流行のころだったので、「今○ちゃんはチェルニー30番」とか、「△ちゃんは○年なのにインベンションに入ったらしい」とか、教則本の名前や番数で「ピアノの腕」が語られ、「○ちゃんのショパンっていいよね」とか「△ちゃんはベートーヴェンが好きなのね」とか、あるいは、「○ちゃんってリズム感があるよね」とか「△ちゃんの音色って私好き」とか、音楽の「内容」でピアノが語られることが少なかった。
〉少なくとも私の周囲では。
わかります〜。私もピアノを習いに行かされていましたので。全くこの通りでした。「チェルニー何番」とか「インベンション何番」を弾いてる、というのが基準で、どんな音楽を奏でるか、というのはまるで想定外。
〉だから、1曲あげるのにいつも時間がかかって、しかも、それが自分のレパートリーとして「いつでも弾ける」状態になっていないのだ。
ああ〜〜。もう本当にそのとおりでございます。必死で最後まで「訓練」して、先生にマルをもらったらそれで終わり。
確かに語学の従来型の勉強と似てますね。やらなかったら忘れてしまう。
〉なんだけど、たまたま「悲愴」の第二楽章というのを弾いた時に、「あぁ、ベートーヴェンっていいなぁ」と思って(>そもそも私はベートーヴェンが好き)、そのままベートーヴェンのソナタの世界に入って行ってしまい、またしても「泥沼」(>といっても別に楽しかったんで、いいんですけどね)。
ベートーヴェンのソナタの世界に入っていく、っていう感覚、いいですね。楽しかったらそれでよし。
〉今回、ピアノを再開するにあたって、私が選んだのは、とりあえず3冊。
〉「バイエル前半から中頃程度」の人用の『先生が選んだピアノ発表会名曲集1』(YAMAHA)というのと『ピアノで弾くベートーヴェンの生涯(上)(下)』(YAMAHA)というのと『ブルグミュラー練習曲25曲』(全音)です。
〉「バイエル入門」の人用のもあったんだけど、「さすがにそれはなー」と思って「前半」からのにしたんだけど、「前半」の人用を弾いてみて、ひょっとしたら「入門」の方が良かったのかも・・・と思いました。
〉ただ、「入門」の場合は「音楽」にするために「先生の伴奏」が入ってる場合が多いですので、ソロのためには「前半」からでいいかもしれません。
〉この「バイエル前半」やってる子が発表会!となった時に弾く曲っていうのは、かなり短く、もちろん、この程度のものでも「本当に音楽的に弾く」「音の粒をそろえて弾く」となれば、ぜんぜん私には出来てないのですが、それでも譜読みは「初見」でもOKだし、「1曲を1曲として感じる」にはとても良い教材です。
おお、弾きやすさレベル1ぐらいですか。
〉それにね、こうやって「手に収まる」曲をやって初めて「音楽も手に収める」ことが出来るのかもしれません。
〉同じフレーズが2回出て来た時の弾き方とか、実は音楽表現上とても大事なことを、「技術に余裕があるもの」を弾くからこそ学べるっていうか・・・。
〉譜読みに追われていると、なかなかそこまで行けないっていうか・・・。
ふむ、ふむ。そういう習い方、したことなかったですね。
〉辞書引きながら読んでると、英語の文章の流れが途切れてしまうのと同じかも。
〉この曲集は多読で言うとORT(>イギリスの小学生の副読本)の低学年用っていう感じかも。
〉「お子ちゃま用」とあなどるなかれ。ORTは文法的にはかなり高度なものも入ってるし、英語の自然なフレーズというのも満載です。この曲集についても同様のことが言えるかも。作曲上の「技巧」のエッセンスが多分そこここに埋め込まれているんだと思う。(>音楽理論は分からないので「思う」としか言えないのだが)
本当に多読と重なるんですね。
〉『ベートーヴェンの生涯』に収録された曲の中には、簡単バージョンに直してあるのもあります。残念ながら、どれがアレンジしてあって、どれがアレンジしてないのか、という明記がないので、私には、オリジナルかそうでないかが判別出来ないものも多いんですけど。
〉アレンジ物、とくにそもそもピアノ曲として書かれた物のアレンジ物には、実は心理的抵抗感もあります。
〉でも、これも多読で言う「リトールド物」と同じなのかもしれません。子ども向けに易しく書かれた「ジェーン・エア」を読むことは、その子どもの成長にとってマイナスになるか・・と言われれば、それは必ずしもそうでない。大人になって「本物」を読む時にマイナスになるか・・・と言われれれば、それは必ずしもそうではない。
海外文学が苦手な人でも、GRで面白さを知る、ということはよくあります。ディケンズは難しいと思ってたら、個性的な人物や波乱万丈の人生で、おもしろいものだとわかった、とか。私はOBWで「嵐が丘」を読んだら原文で読むのが夢になりました。
〉GRはそれはそれでそういう「ジャンル」だと考えられるなら、ピアノのアレンジ曲も、それはそれでそういう「ジャンル」だと考えればいい。
〉多読をやった時「読まぬ古典より読むGR」と思いましたが、「弾かぬ名曲より弾くアレンジ曲」ってとこですかね。
「読まぬ古典より読むGR」。名言ですね。全くその通りです。
〉多読と同じく、多弾も強力かもしれません。多読で「カバー・トゥ・カバー」で無理なく易しく読めるものを100冊読むのと、教科書に引用された古典の一部分を辞書を引き引き時間をかけて読むのとでは、「読書の楽しみ」という点でも、「結果としてつく力」という点でも、格段に前者に軍配があがるように、ピアノも無理なく易しく弾ける曲を100曲弾く方が、半年近くかけてソナタの1楽章を「一応」あげる(>私のことね)より、ずーっと力がつきそう。
そうですね。やさしい曲ならたくさん弾けるんですね。それに弾けると楽しい。
〉こうやって順番に力をつけていけば、いずれ多読でPBが読めるようになるのと同じく、ピアノにおいてもソナタをもっとラクに弾けるようになるのかもしれません。
〉ま、とりあえず1年間くらい実験してみるつもりです。
実験の報告を楽しみにしています。
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お名前: ウルトラQの母
投稿日: 2007/3/23(00:42)
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>杏樹さん
こんばんは。
〉〉「多読の方法」はあらゆる分野に応用可能なんじゃないかなぁ。そしてどの分野でも、「楽しく実力をあげる」「それによってさらにその分野のことをやるのが楽しくなる」という、とても良い循環を生むんじゃないかなぁ・・・と思います。
〉おお、それは面白い実験。多読法のやり方は、いろんな「勉強」に応用できると思います。
→本当にそうなんですよねぇ。「多読に通じる者は百芸に通ず」って感じでしょうか。
〉〉多読を始めてすぐに「実感」したことは、自分がいかに「今の英語力」で「楽しめる」物を楽しんでこなかったか・・・ということだ。
〉〉中学1年の1課を学んだ後に、1課の英語力で楽しめる物は読まずに、2課に行く。新しい文法知識や語彙は学ぶけど、そこでつけた力を使って、英語でかかれた「面白い物」を楽しむことなく3課に行く・・・。
〉そうそう、そうです。
→そう言っていただけると心強いです。
〉〉私のピアノもそんな感じだった。
〉〉いつもモタモタと譜読みに時間がかかり、「進みの遅い」自分は、ピアノ世界では、すでにドロップアウトした存在・・・というように自分をとらえていた。
〉〉今思えば「なんてもったいない!」と思うけど。
〉〉私が子どもの頃は今よりもっと「教則本」流行のころだったので、「今○ちゃんはチェルニー30番」とか、「△ちゃんは○年なのにインベンションに入ったらしい」とか、教則本の名前や番数で「ピアノの腕」が語られ、「○ちゃんのショパンっていいよね」とか「△ちゃんはベートーヴェンが好きなのね」とか、あるいは、「○ちゃんってリズム感があるよね」とか「△ちゃんの音色って私好き」とか、音楽の「内容」でピアノが語られることが少なかった。
〉〉少なくとも私の周囲では。
〉わかります〜。私もピアノを習いに行かされていましたので。全くこの通りでした。「チェルニー何番」とか「インベンション何番」を弾いてる、というのが基準で、どんな音楽を奏でるか、というのはまるで想定外。
→おぉ、杏樹さんもそうでしたか。ほんと、もったいないことですよねぇ。
〉〉だから、1曲あげるのにいつも時間がかかって、しかも、それが自分のレパートリーとして「いつでも弾ける」状態になっていないのだ。
〉ああ〜〜。もう本当にそのとおりでございます。必死で最後まで「訓練」して、先生にマルをもらったらそれで終わり。
〉確かに語学の従来型の勉強と似てますね。やらなかったら忘れてしまう。
→多読の場合に、「今、この時、英語で書かれた物を読んでいる」ってことが、立派に「英語を使っている」ということなのと同様に、本当はピアノも「今、この時、この曲を弾いていて楽しい」というのが「ピアノの技術を使って音楽を楽しんでいる」ということのはずなのにね。
〉〉なんだけど、たまたま「悲愴」の第二楽章というのを弾いた時に、「あぁ、ベートーヴェンっていいなぁ」と思って(>そもそも私はベートーヴェンが好き)、そのままベートーヴェンのソナタの世界に入って行ってしまい、またしても「泥沼」(>といっても別に楽しかったんで、いいんですけどね)。
〉ベートーヴェンのソナタの世界に入っていく、っていう感覚、いいですね。楽しかったらそれでよし。
→ベートーヴェンは私にとっては、多読で言うところの「キリン読み」ですが、たとえ「キリン読み」でも好きな物は、あまり好きでない物よりも意欲が沸いて読めたりってこともありますよね。あと、全部は分からなくても多読でも気に入った表現があったりしてそれを「あぁ、いい表現だなぁ」って味わったりするのと同じように、ピアノの曲もたとえ1フレーズでも、「あぁ、いいなぁ」って味わったり・・・・。「キリン読み」の場合はそれもアリだし、やっぱり「本物に触れる」良さってのがありますよね。
〉〉今回、ピアノを再開するにあたって、私が選んだのは、とりあえず3冊。
〉〉「バイエル前半から中頃程度」の人用の『先生が選んだピアノ発表会名曲集1』(YAMAHA)というのと『ピアノで弾くベートーヴェンの生涯(上)(下)』(YAMAHA)というのと『ブルグミュラー練習曲25曲』(全音)です。
〉〉「バイエル入門」の人用のもあったんだけど、「さすがにそれはなー」と思って「前半」からのにしたんだけど、「前半」の人用を弾いてみて、ひょっとしたら「入門」の方が良かったのかも・・・と思いました。
〉〉ただ、「入門」の場合は「音楽」にするために「先生の伴奏」が入ってる場合が多いですので、ソロのためには「前半」からでいいかもしれません。
〉〉この「バイエル前半」やってる子が発表会!となった時に弾く曲っていうのは、かなり短く、もちろん、この程度のものでも「本当に音楽的に弾く」「音の粒をそろえて弾く」となれば、ぜんぜん私には出来てないのですが、それでも譜読みは「初見」でもOKだし、「1曲を1曲として感じる」にはとても良い教材です。
〉おお、弾きやすさレベル1ぐらいですか。
→そうです。弾きやすさレベルの低い物をいっぱいやるっていうのは、多読同様とっても大事なことのように思います。
〉〉それにね、こうやって「手に収まる」曲をやって初めて「音楽も手に収める」ことが出来るのかもしれません。
〉〉同じフレーズが2回出て来た時の弾き方とか、実は音楽表現上とても大事なことを、「技術に余裕があるもの」を弾くからこそ学べるっていうか・・・。
〉〉譜読みに追われていると、なかなかそこまで行けないっていうか・・・。
〉ふむ、ふむ。そういう習い方、したことなかったですね。
→弾きやすさレベルの低い物だから、はじめてすみずみまで目が届くっていう感じがするんですよね。
弾きやすさレベル5とかだと、とりあえず「音を抑える」に気を取られて、内容を味わう余裕がないっていうか・・・。
〉〉辞書引きながら読んでると、英語の文章の流れが途切れてしまうのと同じかも。
〉〉この曲集は多読で言うとORT(>イギリスの小学生の副読本)の低学年用っていう感じかも。
〉〉「お子ちゃま用」とあなどるなかれ。ORTは文法的にはかなり高度なものも入ってるし、英語の自然なフレーズというのも満載です。この曲集についても同様のことが言えるかも。作曲上の「技巧」のエッセンスが多分そこここに埋め込まれているんだと思う。(>音楽理論は分からないので「思う」としか言えないのだが)
〉本当に多読と重なるんですね。
→そうなんですよねぇ。多読ってすごい!って改めて思います。物事の本質を非常に鋭くついたメソッドだと思います。
〉〉『ベートーヴェンの生涯』に収録された曲の中には、簡単バージョンに直してあるのもあります。残念ながら、どれがアレンジしてあって、どれがアレンジしてないのか、という明記がないので、私には、オリジナルかそうでないかが判別出来ないものも多いんですけど。
〉〉アレンジ物、とくにそもそもピアノ曲として書かれた物のアレンジ物には、実は心理的抵抗感もあります。
〉〉でも、これも多読で言う「リトールド物」と同じなのかもしれません。子ども向けに易しく書かれた「ジェーン・エア」を読むことは、その子どもの成長にとってマイナスになるか・・と言われれば、それは必ずしもそうでない。大人になって「本物」を読む時にマイナスになるか・・・と言われれれば、それは必ずしもそうではない。
〉海外文学が苦手な人でも、GRで面白さを知る、ということはよくあります。ディケンズは難しいと思ってたら、個性的な人物や波乱万丈の人生で、おもしろいものだとわかった、とか。私はOBWで「嵐が丘」を読んだら原文で読むのが夢になりました。
→そうですよね。GRのことは、あれこれ批判する人もいるけど、でも、GRが拡げてくれる視野っていうのもありますよね。
〉〉GRはそれはそれでそういう「ジャンル」だと考えられるなら、ピアノのアレンジ曲も、それはそれでそういう「ジャンル」だと考えればいい。
〉〉多読をやった時「読まぬ古典より読むGR」と思いましたが、「弾かぬ名曲より弾くアレンジ曲」ってとこですかね。
〉「読まぬ古典より読むGR」。名言ですね。全くその通りです。
→ありがとうございます。
〉〉多読と同じく、多弾も強力かもしれません。多読で「カバー・トゥ・カバー」で無理なく易しく読めるものを100冊読むのと、教科書に引用された古典の一部分を辞書を引き引き時間をかけて読むのとでは、「読書の楽しみ」という点でも、「結果としてつく力」という点でも、格段に前者に軍配があがるように、ピアノも無理なく易しく弾ける曲を100曲弾く方が、半年近くかけてソナタの1楽章を「一応」あげる(>私のことね)より、ずーっと力がつきそう。
〉そうですね。やさしい曲ならたくさん弾けるんですね。それに弾けると楽しい。
→そうなんですよ。まずは、曲の数をこなすっていうの、本当はとっても大切なことかもしれない。
ピアノの先生は「難易度を上げて行く」にとらわれがちだけど、実は、無理なくひけるものをいっぱい楽しく音楽的に弾くことこそ、上達の早道かもしれません。
まだ結果が出てないのでなんとも言えませんが・・・。
〉〉こうやって順番に力をつけていけば、いずれ多読でPBが読めるようになるのと同じく、ピアノにおいてもソナタをもっとラクに弾けるようになるのかもしれません。
〉〉ま、とりあえず1年間くらい実験してみるつもりです。
〉実験の報告を楽しみにしています。
→今、以前よりピアノに向かう時の気持ちが、変わって来ているように思います。「弾きたい」っていう気持ちが強くなってて、でもとてもラクな気持ちっていうか。
多読が自然に自分の生活の中に溶け込んでしまったように、多弾なら、自然に弾きたいと思えるようになるのかも・・・。
まぁ、成果が出ても出なくても、多読の場合は「今読んでいること自体が楽しい」のと同様に、多弾においても、「今弾いていること自体が楽しい」っていう方向になりそう。でも、それを長く続けていれば、多読の場合に結果は必ずついてくるのと同じように、ピアノも上達しそう。そして、そうやってつけた力でいっそう深く読書を楽しめるようになるっていうのと同じように、ピアノももっと楽しくなりそうです。
1年くらいしたら、またご報告したいと思います。
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お名前: 酒井@tadoku.org http://tadoku.org
投稿日: 2007/3/23(01:04)
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ウルトラQのお母さん、こんばんは!
さかい@tadoku.orgです。
音楽家のみなさん、こんばんは!!
なかなか理解にじかんのかかりそうなところはとばし読みで・・・
〉1年くらいしたら、またご報告したいと思います。
楽しみにしています!!