[掲示板: 〈過去ログ〉英語で趣味を楽しむ -- 最新メッセージID: 1605 // 時刻: 2024/11/24(02:54)]
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お名前: ウルトラQの母
投稿日: 2007/3/18(11:24)
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これは「英語で趣味を楽しむ」の範疇ではないのですが、「多読の方法の応用で趣味を楽しむ」に関して、自分の趣味のサイトのブログに書いたものなんですが、転載させていただきたいと思います。
「多読の方法」はあらゆる分野に応用可能なんじゃないかなぁ。そしてどの分野でも、「楽しく実力をあげる」「それによってさらにその分野のことをやるのが楽しくなる」という、とても良い循環を生むんじゃないかなぁ・・・と思います。
ピアノに関して実際に効果が上がったらまたご報告しますね。
以下、引用です:
多読では、うんと易しい物を読んで「スラスラ読み」を実感すること、「スラスラ読める」程度の難しさ(>易しさ)のものを「大量に」読むことが推奨されている。
多読を始めてすぐに「実感」したことは、自分がいかに「今の英語力」で「楽しめる」物を楽しんでこなかったか・・・ということだ。
中学1年の1課を学んだ後に、1課の英語力で楽しめる物は読まずに、2課に行く。新しい文法知識や語彙は学ぶけど、そこでつけた力を使って、英語でかかれた「面白い物」を楽しむことなく3課に行く・・・。
私のピアノもそんな感じだった。
いつもモタモタと譜読みに時間がかかり、「進みの遅い」自分は、ピアノ世界では、すでにドロップアウトした存在・・・というように自分をとらえていた。
今思えば「なんてもったいない!」と思うけど。
私が子どもの頃は今よりもっと「教則本」流行のころだったので、「今○ちゃんはチェルニー30番」とか、「△ちゃんは○年なのにインベンションに入ったらしい」とか、教則本の名前や番数で「ピアノの腕」が語られ、「○ちゃんのショパンっていいよね」とか「△ちゃんはベートーヴェンが好きなのね」とか、あるいは、「○ちゃんってリズム感があるよね」とか「△ちゃんの音色って私好き」とか、音楽の「内容」でピアノが語られることが少なかった。
少なくとも私の周囲では。
エッセイにも書いたけど、だから、私にとっては「ピアノ=訓練」という感じで「ピアノ∈音楽」ではなかったの。「音楽」はとても好きで、合唱やったり合奏やったり鼓笛隊やったりブラスバンドやったり、いつも「音楽」をやってたのに。
で、大人になってピアノを再開して、「楽しく弾く」ことに出会ったのだけど、昔のトラウマのようなものはまだちょっとひきずってたとこもあったし、また、「楽しく」ではあるんだけど、やっぱりいつも「自分の技術より上」のものを弾いてきてしまったかもしれない。
だから、1曲あげるのにいつも時間がかかって、しかも、それが自分のレパートリーとして「いつでも弾ける」状態になっていないのだ。
Qが小学校に入ってピアノを始めることになった時、「難しい曲は弾かない」という方針で行こうと思い、「とりこぼした」名曲、「エリーゼのために」「乙女の祈り」といった曲を中心にやってきた。
なんだけど、たまたま「悲愴」の第二楽章というのを弾いた時に、「あぁ、ベートーヴェンっていいなぁ」と思って(>そもそも私はベートーヴェンが好き)、そのままベートーヴェンのソナタの世界に入って行ってしまい、またしても「泥沼」(>といっても別に楽しかったんで、いいんですけどね)。
今回、ピアノを再開するにあたって、私が選んだのは、とりあえず3冊。
「バイエル前半から中頃程度」の人用の『先生が選んだピアノ発表会名曲集1』(YAMAHA)というのと『ピアノで弾くベートーヴェンの生涯(上)(下)』(YAMAHA)というのと『ブルグミュラー練習曲25曲』(全音)です。
「バイエル入門」の人用のもあったんだけど、「さすがにそれはなー」と思って「前半」からのにしたんだけど、「前半」の人用を弾いてみて、ひょっとしたら「入門」の方が良かったのかも・・・と思いました。
ただ、「入門」の場合は「音楽」にするために「先生の伴奏」が入ってる場合が多いですので、ソロのためには「前半」からでいいかもしれません。
この「バイエル前半」やってる子が発表会!となった時に弾く曲っていうのは、かなり短く、もちろん、この程度のものでも「本当に音楽的に弾く」「音の粒をそろえて弾く」となれば、ぜんぜん私には出来てないのですが、それでも譜読みは「初見」でもOKだし、「1曲を1曲として感じる」にはとても良い教材です。
それにね、こうやって「手に収まる」曲をやって初めて「音楽も手に収める」ことが出来るのかもしれません。
同じフレーズが2回出て来た時の弾き方とか、実は音楽表現上とても大事なことを、「技術に余裕があるもの」を弾くからこそ学べるっていうか・・・。
譜読みに追われていると、なかなかそこまで行けないっていうか・・・。
辞書引きながら読んでると、英語の文章の流れが途切れてしまうのと同じかも。
この曲集は多読で言うとORT(>イギリスの小学生の副読本)の低学年用っていう感じかも。
「お子ちゃま用」とあなどるなかれ。ORTは文法的にはかなり高度なものも入ってるし、英語の自然なフレーズというのも満載です。この曲集についても同様のことが言えるかも。作曲上の「技巧」のエッセンスが多分そこここに埋め込まれているんだと思う。(>音楽理論は分からないので「思う」としか言えないのだが)
『ベートーヴェンの生涯』に収録された曲の中には、簡単バージョンに直してあるのもあります。残念ながら、どれがアレンジしてあって、どれがアレンジしてないのか、という明記がないので、私には、オリジナルかそうでないかが判別出来ないものも多いんですけど。
アレンジ物、とくにそもそもピアノ曲として書かれた物のアレンジ物には、実は心理的抵抗感もあります。
でも、これも多読で言う「リトールド物」と同じなのかもしれません。子ども向けに易しく書かれた「ジェーン・エア」を読むことは、その子どもの成長にとってマイナスになるか・・と言われれば、それは必ずしもそうでない。大人になって「本物」を読む時にマイナスになるか・・・と言われれれば、それは必ずしもそうではない。
GRで易しい英語に直された「ジェーン・エア」を読み、「結果として」英語力がつくということもある。オリジナルじゃないけど、「ジェーン・エア」ってこういう話なんだぁ・・っていうのを「知る」ことが人生にマイナスになるとは限らない。
いずれオリジナルを読む日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。でも、もし、オリジナルを1点しか読む「時間」や「余裕」しか自分にはないとしたら、GRでいろいろなものを「齧って」おいて、いずれどの一つを読むのかを決めるのもいい。
GRはそれはそれでそういう「ジャンル」だと考えられるなら、ピアノのアレンジ曲も、それはそれでそういう「ジャンル」だと考えればいい。
多読をやった時「読まぬ古典より読むGR」と思いましたが、「弾かぬ名曲より弾くアレンジ曲」ってとこですかね。
・・・という訳で、この曲集をはじめから弾いてます。
一番初めは、ベートーヴェンの初めての出版作品(>12歳の時!)と言われる「ドレスラーの行進曲による9つの変奏曲」の中の「第4変奏」と「第六変奏」というのが載ってるので、それをやってます。
で、ブルグミュラーは、子どもの頃、大好きだったけど「とりこぼし」てた「別れ」。ブルグミュラーもソナチネに移行しちゃって弾いてない曲があるので、「好きだったのにとりこぼし」の中をまずは中心にやってくつもりです。
多読と同じく、多弾も強力かもしれません。多読で「カバー・トゥ・カバー」で無理なく易しく読めるものを100冊読むのと、教科書に引用された古典の一部分を辞書を引き引き時間をかけて読むのとでは、「読書の楽しみ」という点でも、「結果としてつく力」という点でも、格段に前者に軍配があがるように、ピアノも無理なく易しく弾ける曲を100曲弾く方が、半年近くかけてソナタの1楽章を「一応」あげる(>私のことね)より、ずーっと力がつきそう。
こうやって順番に力をつけていけば、いずれ多読でPBが読めるようになるのと同じく、ピアノにおいてもソナタをもっとラクに弾けるようになるのかもしれません。
ま、とりあえず1年間くらい実験してみるつもりです。
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お名前: 夜行猫 http://yakoneko.exblog.jp/
投稿日: 2007/3/19(19:40)
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ウルトラQの母さん、こんにちは。
Hey! Diddle Diddle,
The Cat and the Fiddle,
の夜行猫です。
楽器と英語って共通点がありますよね。
どちらも道具なのに、使って何かする事よりも、習得することそのものに力を入れがちだったりとか。
私が最近考えているのは、音程を正しく取るのが難しいバイオリンとシャドーイングの関係です。
どちらも正しい音/ネイティブの発音を聴いてそのまま真似をするだけなのに、それが難しい。
シャドーイングでは「もごもご」がひとつのキーワードになってるが、それに相当するものは何だろう、
考えない事なのだろうか?と。
最近、音階練習がなかなか進まなくて腐っていたのですが、ウルトラQの母さんの書き込みがちょっと刺激になりました。
お互い、楽しく沢山弾きましょう。
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>夜行猫さん
こんばんは。
〉楽器と英語って共通点がありますよね。
〉どちらも道具なのに、使って何かする事よりも、習得することそのものに力を入れがちだったりとか。
→本当にそうですよねぇ。
〉私が最近考えているのは、音程を正しく取るのが難しいバイオリンとシャドーイングの関係です。
〉どちらも正しい音/ネイティブの発音を聴いてそのまま真似をするだけなのに、それが難しい。
〉シャドーイングでは「もごもご」がひとつのキーワードになってるが、それに相当するものは何だろう、
〉考えない事なのだろうか?と。
→夜行猫さんはバイオリンをなさるんですか? ドを押せばドの音の出るピアノと違って、バイオリンはまずは音を取るのが難しいらしいですね。
シャドーイングとの類似性・・興味深いです。
〉最近、音階練習がなかなか進まなくて腐っていたのですが、ウルトラQの母さんの書き込みがちょっと刺激になりました。
→場違いかなぁって重いながら書き込んだのですが、少しはお役に立ったようで良かったです。
〉お互い、楽しく沢山弾きましょう。
→そうですね! 今後ともよろしくお願いいたします。
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お名前: 杏樹
投稿日: 2007/3/21(00:01)
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ウルトラQの母さん、こんにちは。
〉「多読の方法」はあらゆる分野に応用可能なんじゃないかなぁ。そしてどの分野でも、「楽しく実力をあげる」「それによってさらにその分野のことをやるのが楽しくなる」という、とても良い循環を生むんじゃないかなぁ・・・と思います。
おお、それは面白い実験。多読法のやり方は、いろんな「勉強」に応用できると思います。
〉多読を始めてすぐに「実感」したことは、自分がいかに「今の英語力」で「楽しめる」物を楽しんでこなかったか・・・ということだ。
〉中学1年の1課を学んだ後に、1課の英語力で楽しめる物は読まずに、2課に行く。新しい文法知識や語彙は学ぶけど、そこでつけた力を使って、英語でかかれた「面白い物」を楽しむことなく3課に行く・・・。
そうそう、そうです。
〉私のピアノもそんな感じだった。
〉いつもモタモタと譜読みに時間がかかり、「進みの遅い」自分は、ピアノ世界では、すでにドロップアウトした存在・・・というように自分をとらえていた。
〉今思えば「なんてもったいない!」と思うけど。
〉私が子どもの頃は今よりもっと「教則本」流行のころだったので、「今○ちゃんはチェルニー30番」とか、「△ちゃんは○年なのにインベンションに入ったらしい」とか、教則本の名前や番数で「ピアノの腕」が語られ、「○ちゃんのショパンっていいよね」とか「△ちゃんはベートーヴェンが好きなのね」とか、あるいは、「○ちゃんってリズム感があるよね」とか「△ちゃんの音色って私好き」とか、音楽の「内容」でピアノが語られることが少なかった。
〉少なくとも私の周囲では。
わかります〜。私もピアノを習いに行かされていましたので。全くこの通りでした。「チェルニー何番」とか「インベンション何番」を弾いてる、というのが基準で、どんな音楽を奏でるか、というのはまるで想定外。
〉だから、1曲あげるのにいつも時間がかかって、しかも、それが自分のレパートリーとして「いつでも弾ける」状態になっていないのだ。
ああ〜〜。もう本当にそのとおりでございます。必死で最後まで「訓練」して、先生にマルをもらったらそれで終わり。
確かに語学の従来型の勉強と似てますね。やらなかったら忘れてしまう。
〉なんだけど、たまたま「悲愴」の第二楽章というのを弾いた時に、「あぁ、ベートーヴェンっていいなぁ」と思って(>そもそも私はベートーヴェンが好き)、そのままベートーヴェンのソナタの世界に入って行ってしまい、またしても「泥沼」(>といっても別に楽しかったんで、いいんですけどね)。
ベートーヴェンのソナタの世界に入っていく、っていう感覚、いいですね。楽しかったらそれでよし。
〉今回、ピアノを再開するにあたって、私が選んだのは、とりあえず3冊。
〉「バイエル前半から中頃程度」の人用の『先生が選んだピアノ発表会名曲集1』(YAMAHA)というのと『ピアノで弾くベートーヴェンの生涯(上)(下)』(YAMAHA)というのと『ブルグミュラー練習曲25曲』(全音)です。
〉「バイエル入門」の人用のもあったんだけど、「さすがにそれはなー」と思って「前半」からのにしたんだけど、「前半」の人用を弾いてみて、ひょっとしたら「入門」の方が良かったのかも・・・と思いました。
〉ただ、「入門」の場合は「音楽」にするために「先生の伴奏」が入ってる場合が多いですので、ソロのためには「前半」からでいいかもしれません。
〉この「バイエル前半」やってる子が発表会!となった時に弾く曲っていうのは、かなり短く、もちろん、この程度のものでも「本当に音楽的に弾く」「音の粒をそろえて弾く」となれば、ぜんぜん私には出来てないのですが、それでも譜読みは「初見」でもOKだし、「1曲を1曲として感じる」にはとても良い教材です。
おお、弾きやすさレベル1ぐらいですか。
〉それにね、こうやって「手に収まる」曲をやって初めて「音楽も手に収める」ことが出来るのかもしれません。
〉同じフレーズが2回出て来た時の弾き方とか、実は音楽表現上とても大事なことを、「技術に余裕があるもの」を弾くからこそ学べるっていうか・・・。
〉譜読みに追われていると、なかなかそこまで行けないっていうか・・・。
ふむ、ふむ。そういう習い方、したことなかったですね。
〉辞書引きながら読んでると、英語の文章の流れが途切れてしまうのと同じかも。
〉この曲集は多読で言うとORT(>イギリスの小学生の副読本)の低学年用っていう感じかも。
〉「お子ちゃま用」とあなどるなかれ。ORTは文法的にはかなり高度なものも入ってるし、英語の自然なフレーズというのも満載です。この曲集についても同様のことが言えるかも。作曲上の「技巧」のエッセンスが多分そこここに埋め込まれているんだと思う。(>音楽理論は分からないので「思う」としか言えないのだが)
本当に多読と重なるんですね。
〉『ベートーヴェンの生涯』に収録された曲の中には、簡単バージョンに直してあるのもあります。残念ながら、どれがアレンジしてあって、どれがアレンジしてないのか、という明記がないので、私には、オリジナルかそうでないかが判別出来ないものも多いんですけど。
〉アレンジ物、とくにそもそもピアノ曲として書かれた物のアレンジ物には、実は心理的抵抗感もあります。
〉でも、これも多読で言う「リトールド物」と同じなのかもしれません。子ども向けに易しく書かれた「ジェーン・エア」を読むことは、その子どもの成長にとってマイナスになるか・・と言われれば、それは必ずしもそうでない。大人になって「本物」を読む時にマイナスになるか・・・と言われれれば、それは必ずしもそうではない。
海外文学が苦手な人でも、GRで面白さを知る、ということはよくあります。ディケンズは難しいと思ってたら、個性的な人物や波乱万丈の人生で、おもしろいものだとわかった、とか。私はOBWで「嵐が丘」を読んだら原文で読むのが夢になりました。
〉GRはそれはそれでそういう「ジャンル」だと考えられるなら、ピアノのアレンジ曲も、それはそれでそういう「ジャンル」だと考えればいい。
〉多読をやった時「読まぬ古典より読むGR」と思いましたが、「弾かぬ名曲より弾くアレンジ曲」ってとこですかね。
「読まぬ古典より読むGR」。名言ですね。全くその通りです。
〉多読と同じく、多弾も強力かもしれません。多読で「カバー・トゥ・カバー」で無理なく易しく読めるものを100冊読むのと、教科書に引用された古典の一部分を辞書を引き引き時間をかけて読むのとでは、「読書の楽しみ」という点でも、「結果としてつく力」という点でも、格段に前者に軍配があがるように、ピアノも無理なく易しく弾ける曲を100曲弾く方が、半年近くかけてソナタの1楽章を「一応」あげる(>私のことね)より、ずーっと力がつきそう。
そうですね。やさしい曲ならたくさん弾けるんですね。それに弾けると楽しい。
〉こうやって順番に力をつけていけば、いずれ多読でPBが読めるようになるのと同じく、ピアノにおいてもソナタをもっとラクに弾けるようになるのかもしれません。
〉ま、とりあえず1年間くらい実験してみるつもりです。
実験の報告を楽しみにしています。
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お名前: ウルトラQの母
投稿日: 2007/3/23(00:42)
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>杏樹さん
こんばんは。
〉〉「多読の方法」はあらゆる分野に応用可能なんじゃないかなぁ。そしてどの分野でも、「楽しく実力をあげる」「それによってさらにその分野のことをやるのが楽しくなる」という、とても良い循環を生むんじゃないかなぁ・・・と思います。
〉おお、それは面白い実験。多読法のやり方は、いろんな「勉強」に応用できると思います。
→本当にそうなんですよねぇ。「多読に通じる者は百芸に通ず」って感じでしょうか。
〉〉多読を始めてすぐに「実感」したことは、自分がいかに「今の英語力」で「楽しめる」物を楽しんでこなかったか・・・ということだ。
〉〉中学1年の1課を学んだ後に、1課の英語力で楽しめる物は読まずに、2課に行く。新しい文法知識や語彙は学ぶけど、そこでつけた力を使って、英語でかかれた「面白い物」を楽しむことなく3課に行く・・・。
〉そうそう、そうです。
→そう言っていただけると心強いです。
〉〉私のピアノもそんな感じだった。
〉〉いつもモタモタと譜読みに時間がかかり、「進みの遅い」自分は、ピアノ世界では、すでにドロップアウトした存在・・・というように自分をとらえていた。
〉〉今思えば「なんてもったいない!」と思うけど。
〉〉私が子どもの頃は今よりもっと「教則本」流行のころだったので、「今○ちゃんはチェルニー30番」とか、「△ちゃんは○年なのにインベンションに入ったらしい」とか、教則本の名前や番数で「ピアノの腕」が語られ、「○ちゃんのショパンっていいよね」とか「△ちゃんはベートーヴェンが好きなのね」とか、あるいは、「○ちゃんってリズム感があるよね」とか「△ちゃんの音色って私好き」とか、音楽の「内容」でピアノが語られることが少なかった。
〉〉少なくとも私の周囲では。
〉わかります〜。私もピアノを習いに行かされていましたので。全くこの通りでした。「チェルニー何番」とか「インベンション何番」を弾いてる、というのが基準で、どんな音楽を奏でるか、というのはまるで想定外。
→おぉ、杏樹さんもそうでしたか。ほんと、もったいないことですよねぇ。
〉〉だから、1曲あげるのにいつも時間がかかって、しかも、それが自分のレパートリーとして「いつでも弾ける」状態になっていないのだ。
〉ああ〜〜。もう本当にそのとおりでございます。必死で最後まで「訓練」して、先生にマルをもらったらそれで終わり。
〉確かに語学の従来型の勉強と似てますね。やらなかったら忘れてしまう。
→多読の場合に、「今、この時、英語で書かれた物を読んでいる」ってことが、立派に「英語を使っている」ということなのと同様に、本当はピアノも「今、この時、この曲を弾いていて楽しい」というのが「ピアノの技術を使って音楽を楽しんでいる」ということのはずなのにね。
〉〉なんだけど、たまたま「悲愴」の第二楽章というのを弾いた時に、「あぁ、ベートーヴェンっていいなぁ」と思って(>そもそも私はベートーヴェンが好き)、そのままベートーヴェンのソナタの世界に入って行ってしまい、またしても「泥沼」(>といっても別に楽しかったんで、いいんですけどね)。
〉ベートーヴェンのソナタの世界に入っていく、っていう感覚、いいですね。楽しかったらそれでよし。
→ベートーヴェンは私にとっては、多読で言うところの「キリン読み」ですが、たとえ「キリン読み」でも好きな物は、あまり好きでない物よりも意欲が沸いて読めたりってこともありますよね。あと、全部は分からなくても多読でも気に入った表現があったりしてそれを「あぁ、いい表現だなぁ」って味わったりするのと同じように、ピアノの曲もたとえ1フレーズでも、「あぁ、いいなぁ」って味わったり・・・・。「キリン読み」の場合はそれもアリだし、やっぱり「本物に触れる」良さってのがありますよね。
〉〉今回、ピアノを再開するにあたって、私が選んだのは、とりあえず3冊。
〉〉「バイエル前半から中頃程度」の人用の『先生が選んだピアノ発表会名曲集1』(YAMAHA)というのと『ピアノで弾くベートーヴェンの生涯(上)(下)』(YAMAHA)というのと『ブルグミュラー練習曲25曲』(全音)です。
〉〉「バイエル入門」の人用のもあったんだけど、「さすがにそれはなー」と思って「前半」からのにしたんだけど、「前半」の人用を弾いてみて、ひょっとしたら「入門」の方が良かったのかも・・・と思いました。
〉〉ただ、「入門」の場合は「音楽」にするために「先生の伴奏」が入ってる場合が多いですので、ソロのためには「前半」からでいいかもしれません。
〉〉この「バイエル前半」やってる子が発表会!となった時に弾く曲っていうのは、かなり短く、もちろん、この程度のものでも「本当に音楽的に弾く」「音の粒をそろえて弾く」となれば、ぜんぜん私には出来てないのですが、それでも譜読みは「初見」でもOKだし、「1曲を1曲として感じる」にはとても良い教材です。
〉おお、弾きやすさレベル1ぐらいですか。
→そうです。弾きやすさレベルの低い物をいっぱいやるっていうのは、多読同様とっても大事なことのように思います。
〉〉それにね、こうやって「手に収まる」曲をやって初めて「音楽も手に収める」ことが出来るのかもしれません。
〉〉同じフレーズが2回出て来た時の弾き方とか、実は音楽表現上とても大事なことを、「技術に余裕があるもの」を弾くからこそ学べるっていうか・・・。
〉〉譜読みに追われていると、なかなかそこまで行けないっていうか・・・。
〉ふむ、ふむ。そういう習い方、したことなかったですね。
→弾きやすさレベルの低い物だから、はじめてすみずみまで目が届くっていう感じがするんですよね。
弾きやすさレベル5とかだと、とりあえず「音を抑える」に気を取られて、内容を味わう余裕がないっていうか・・・。
〉〉辞書引きながら読んでると、英語の文章の流れが途切れてしまうのと同じかも。
〉〉この曲集は多読で言うとORT(>イギリスの小学生の副読本)の低学年用っていう感じかも。
〉〉「お子ちゃま用」とあなどるなかれ。ORTは文法的にはかなり高度なものも入ってるし、英語の自然なフレーズというのも満載です。この曲集についても同様のことが言えるかも。作曲上の「技巧」のエッセンスが多分そこここに埋め込まれているんだと思う。(>音楽理論は分からないので「思う」としか言えないのだが)
〉本当に多読と重なるんですね。
→そうなんですよねぇ。多読ってすごい!って改めて思います。物事の本質を非常に鋭くついたメソッドだと思います。
〉〉『ベートーヴェンの生涯』に収録された曲の中には、簡単バージョンに直してあるのもあります。残念ながら、どれがアレンジしてあって、どれがアレンジしてないのか、という明記がないので、私には、オリジナルかそうでないかが判別出来ないものも多いんですけど。
〉〉アレンジ物、とくにそもそもピアノ曲として書かれた物のアレンジ物には、実は心理的抵抗感もあります。
〉〉でも、これも多読で言う「リトールド物」と同じなのかもしれません。子ども向けに易しく書かれた「ジェーン・エア」を読むことは、その子どもの成長にとってマイナスになるか・・と言われれば、それは必ずしもそうでない。大人になって「本物」を読む時にマイナスになるか・・・と言われれれば、それは必ずしもそうではない。
〉海外文学が苦手な人でも、GRで面白さを知る、ということはよくあります。ディケンズは難しいと思ってたら、個性的な人物や波乱万丈の人生で、おもしろいものだとわかった、とか。私はOBWで「嵐が丘」を読んだら原文で読むのが夢になりました。
→そうですよね。GRのことは、あれこれ批判する人もいるけど、でも、GRが拡げてくれる視野っていうのもありますよね。
〉〉GRはそれはそれでそういう「ジャンル」だと考えられるなら、ピアノのアレンジ曲も、それはそれでそういう「ジャンル」だと考えればいい。
〉〉多読をやった時「読まぬ古典より読むGR」と思いましたが、「弾かぬ名曲より弾くアレンジ曲」ってとこですかね。
〉「読まぬ古典より読むGR」。名言ですね。全くその通りです。
→ありがとうございます。
〉〉多読と同じく、多弾も強力かもしれません。多読で「カバー・トゥ・カバー」で無理なく易しく読めるものを100冊読むのと、教科書に引用された古典の一部分を辞書を引き引き時間をかけて読むのとでは、「読書の楽しみ」という点でも、「結果としてつく力」という点でも、格段に前者に軍配があがるように、ピアノも無理なく易しく弾ける曲を100曲弾く方が、半年近くかけてソナタの1楽章を「一応」あげる(>私のことね)より、ずーっと力がつきそう。
〉そうですね。やさしい曲ならたくさん弾けるんですね。それに弾けると楽しい。
→そうなんですよ。まずは、曲の数をこなすっていうの、本当はとっても大切なことかもしれない。
ピアノの先生は「難易度を上げて行く」にとらわれがちだけど、実は、無理なくひけるものをいっぱい楽しく音楽的に弾くことこそ、上達の早道かもしれません。
まだ結果が出てないのでなんとも言えませんが・・・。
〉〉こうやって順番に力をつけていけば、いずれ多読でPBが読めるようになるのと同じく、ピアノにおいてもソナタをもっとラクに弾けるようになるのかもしれません。
〉〉ま、とりあえず1年間くらい実験してみるつもりです。
〉実験の報告を楽しみにしています。
→今、以前よりピアノに向かう時の気持ちが、変わって来ているように思います。「弾きたい」っていう気持ちが強くなってて、でもとてもラクな気持ちっていうか。
多読が自然に自分の生活の中に溶け込んでしまったように、多弾なら、自然に弾きたいと思えるようになるのかも・・・。
まぁ、成果が出ても出なくても、多読の場合は「今読んでいること自体が楽しい」のと同様に、多弾においても、「今弾いていること自体が楽しい」っていう方向になりそう。でも、それを長く続けていれば、多読の場合に結果は必ずついてくるのと同じように、ピアノも上達しそう。そして、そうやってつけた力でいっそう深く読書を楽しめるようになるっていうのと同じように、ピアノももっと楽しくなりそうです。
1年くらいしたら、またご報告したいと思います。
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お名前: 酒井@tadoku.org http://tadoku.org
投稿日: 2007/3/23(01:04)
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ウルトラQのお母さん、こんばんは!
さかい@tadoku.orgです。
音楽家のみなさん、こんばんは!!
なかなか理解にじかんのかかりそうなところはとばし読みで・・・
〉1年くらいしたら、またご報告したいと思います。
楽しみにしています!!
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お名前: Ryotasan
投稿日: 2007/3/21(09:13)
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おはようございます。
ピアノの多弾とは、素晴らしい名案ですね! ぜひ続けて、結果を教えて下さい。
僕も子どものときヤマハの教室に通ったり母親の個人レッスンを受けたりしましたが、楽しさより大変さの方が大きかったという記憶があります。特に、孤独な練習は小学生としてつらかったです。レコードを聴いたり本を読むのは一人でも楽しかったんですが。
その後、吹奏楽や管弦楽やロックなどを経験し、クラシックのピアノ曲でも簡単な曲が色々あることを知り、楽譜を見つけて弾いたこともあります。『アンナ・マグダレーナ・バッハの楽譜帳』(バッハ)、『ナンネルの楽譜帳』(レオポルト・モーツァルト)、『ミクロコスモス』(バルトーク)、それからエリック・サティのジムノペディや「アーモンドチョコレートのワルツ」などです。
ただ、独奏より連弾とか3・4人で行なうアンサンブルの方が楽しいといつも感じます。(独奏ならではの奥深さは否定しませんが。)
そこで教えてほしいのです。バイエル前半のように先生の伴奏がついている連弾でなく、独奏でないといけないのは、なぜなんでしょうか。(^-^;)
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お名前: ウルトラQの母
投稿日: 2007/3/23(00:59)
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>Ryotasanさん
こんばんは。
〉ピアノの多弾とは、素晴らしい名案ですね! ぜひ続けて、結果を教えて下さい。
→ありがとうございます。多弾に切り替えたら弾くことが楽しくなったので、自然に続きそうな予感がしています。
〉僕も子どものときヤマハの教室に通ったり母親の個人レッスンを受けたりしましたが、楽しさより大変さの方が大きかったという記憶があります。特に、孤独な練習は小学生としてつらかったです。レコードを聴いたり本を読むのは一人でも楽しかったんですが。
〉その後、吹奏楽や管弦楽やロックなどを経験し、クラシックのピアノ曲でも簡単な曲が色々あることを知り、楽譜を見つけて弾いたこともあります。『アンナ・マグダレーナ・バッハの楽譜帳』(バッハ)、『ナンネルの楽譜帳』(レオポルト・モーツァルト)、『ミクロコスモス』(バルトーク)、それからエリック・サティのジムノペディや「アーモンドチョコレートのワルツ」などです。
〉ただ、独奏より連弾とか3・4人で行なうアンサンブルの方が楽しいといつも感じます。(独奏ならではの奥深さは否定しませんが。)
→なるほどー。私も実は、ソロよりアンサンブルの方が好きなタイプなんだと思います。合唱も合奏も好きです。
〉そこで教えてほしいのです。バイエル前半のように先生の伴奏がついている連弾でなく、独奏でないといけないのは、なぜなんでしょうか。(^-^;)
→独奏でないといけないってことはないんですよね。ただ、そういう先生の伴奏がついた「弾きやすさレベル0」っていう感じの(ORTで言うと字が全くないような感じの)曲って、「それだけ」だと、吹奏楽のパート練習を1人でやってるみたいな感じなんですよね。
もちろん、先生のところに行った時に先生が伴奏してくだされば、アンサンブルの楽しさが味わえるけど、それ以外の時は黙々とパート練習っていうか・・・。
もちろん、各パートも副旋律を奏でたり、そこに音楽を感じることは十分可能だけど、吹奏楽曲はあくまでも「みんなで合わせて1曲」な訳だし、先生の伴奏が前提となっている曲っていうのも、生徒のパートだけでの音楽性ってどうしても低くなっちゃうような気がするんです。(>そうじゃない曲もあるのかもしれないけど)
日本でも、もっと家族や友人とアンサンブルを日常的に楽しめる日が来れば事情が変わってくるかもしれないけれど。
私の理想は、ジェーン・オースティンの世界に出てくるように、親戚やら、友人が集まった時に、「弾いて」と言われたたら「うん」と弾ける曲を10曲ぐらい持ってること。そうやってお互いに「弾いて」「うん」と弾き合う集いが日常的にあること。
なので、そういう環境にあれば、先生の伴奏があれば生徒のパートが簡単でもかなり音楽性が高い曲になるようなものも、互いに伴奏し合えるのでいいけど、今の私の環境だとちょっと厳しい・・・っていうそういう感じかな?
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お名前: Ryotasan
投稿日: 2007/3/23(16:27)
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ウルトラQの母さん、興味深いお答えをありがとうございます。音楽性の高さですか。敬服しました。
音楽性の高さや低さについて、以下、素人なりに考えてみました。
ピアノのことを「弾けば鳴る」って自嘲的に言うピアノの先生もいますが、あれは半分冗談だと僕は思っています。実際には、速さと強さの微妙な加減で、出てくる音の響きも格段に違うような気がするのです。その絶妙な加減を見極め、心をこめてポーンと弾いたとき、そのたった一つの音が美しくて驚いたという経験はありませんか。自分でいつもそういう音を出せるわけではありませんが、いろいろな人の演奏を聴いていて、そういう美しい音に出会うことはあります。
バイエルの最初の方にある片手弾きの部分も、そんな風に弾けたらなんて思う僕は素人です。(^-^;)
ただし、ああいう曲で長時間の個人練習をする必要は無いと思いっています。伴奏してくれる人がいるときだけで良いから、どんどん弾けば良いのです。多読の感覚で、そのときだけ心をこめて。
それから、これはウルトラQちゃんのお母さんお一人に対するお返事というより一般論なんですが、教師用のバイエルに載っている伴奏パートを弾けるぐらいの水準まで来ている人は沢山いるように思うんです。親子連弾、夫婦連弾、兄弟姉妹での連弾なども楽しそうです。読書にたとえれば読み聞かせに近いかもしれません。
英語の先生が多読を実践しないのはどうしてなんだろう、という疑問と、これだけピアノを習っている人がいるのに連弾をする人が少ないのはどうしてなんだろう、という疑問を僕は80年代から持っていました。多読を経験した先生がいても本が豊富にないと教室での実践が難しいのと同じように、ピアノ連弾のばあいも、連弾用の楽譜が豊富になければ普及しないのだろうと最近は思っています。文化の輸入には手間と時間がかかるのかもしれませんね。
ピアノを弾くかたで、お子さんにもピアノを習わせているかたは、楽器屋さんで教師用バイエルの本を1度ご覧下さい。(もしまだでしたら。)
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>Ryotasanさん
色々考えさせられました。
〉音楽性の高さや低さについて、以下、素人なりに考えてみました。
〉ピアノのことを「弾けば鳴る」って自嘲的に言うピアノの先生もいますが、あれは半分冗談だと僕は思っています。実際には、速さと強さの微妙な加減で、出てくる音の響きも格段に違うような気がするのです。その絶妙な加減を見極め、心をこめてポーンと弾いたとき、そのたった一つの音が美しくて驚いたという経験はありませんか。自分でいつもそういう音を出せるわけではありませんが、いろいろな人の演奏を聴いていて、そういう美しい音に出会うことはあります。
→ピアノの音色は正に弾き手によって千差万別ですよね。タッチも押すタッチ、たたくタッチ、落とすタッチ、手首を回すタッチと、色々「技術」もあるようですが、最終的には弾く人の「耳」なんでしょうね。
〉バイエルの最初の方にある片手弾きの部分も、そんな風に弾けたらなんて思う僕は素人です。(^-^;)
〉ただし、ああいう曲で長時間の個人練習をする必要は無いと思いっています。伴奏してくれる人がいるときだけで良いから、どんどん弾けば良いのです。多読の感覚で、そのときだけ心をこめて。
→そうですね。伴奏してくれる人がいる時はアンサンブルをおおいに楽しめばよいのでしょうね。
〉それから、これはウルトラQちゃんのお母さんお一人に対するお返事というより一般論なんですが、教師用のバイエルに載っている伴奏パートを弾けるぐらいの水準まで来ている人は沢山いるように思うんです。親子連弾、夫婦連弾、兄弟姉妹での連弾なども楽しそうです。読書にたとえれば読み聞かせに近いかもしれません。
→本当にそうですね。ある程度ピアノが弾ける人が多いのに、ピアノを「個人で楽しむ」人も少ないし、まして、「みんなで楽しむ」人は少ないですね。
〉英語の先生が多読を実践しないのはどうしてなんだろう、という疑問と、これだけピアノを習っている人がいるのに連弾をする人が少ないのはどうしてなんだろう、という疑問を僕は80年代から持っていました。多読を経験した先生がいても本が豊富にないと教室での実践が難しいのと同じように、ピアノ連弾のばあいも、連弾用の楽譜が豊富になければ普及しないのだろうと最近は思っています。文化の輸入には手間と時間がかかるのかもしれませんね。
→私が以前習ってた先生の1人は発表会は1年おきに「連弾の年」「ソロの年」って分けてやってました。「連弾の年」の時は、仕事している人は2人の練習時間を合わせるのがなかなか大変でしたが、でも、貴重な体験をさせてもらったと思っています。
〉ピアノを弾くかたで、お子さんにもピアノを習わせているかたは、楽器屋さんで教師用バイエルの本を1度ご覧下さい。(もしまだでしたら。)
→そうですね。小さい頃からアンサンブルの楽しさを知ってるってステキですよね。
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お名前: 柊
投稿日: 2007/3/26(16:43)
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ウルトラQの母さん、多分、初めまして、柊です。最近ちょっと、自信がなくなってきました。
〉これは「英語で趣味を楽しむ」の範疇ではないのですが、「多読の方法の応用で趣味を楽しむ」に関して、自分の趣味のサイトのブログに書いたものなんですが、転載させていただきたいと思います。
私もピアノを習っていたので、英語の話になってないよなと思いながら、ちょっと返事をさせていただきます。
〉「多読の方法」はあらゆる分野に応用可能なんじゃないかなぁ。そしてどの分野でも、「楽しく実力をあげる」「それによってさらにその分野のことをやるのが楽しくなる」という、とても良い循環を生むんじゃないかなぁ・・・と思います。
応用可能だと思います。人生に応用してしまっているようで、やりたくないからやらない!ということが増えています。やりたいからやる!を増やしたいです。
〉ピアノに関して実際に効果が上がったらまたご報告しますね。
楽しくなった時点で、十分効果出てると思いますよ。でも、楽しみにしてます。
〉多読では、うんと易しい物を読んで「スラスラ読み」を実感すること、「スラスラ読める」程度の難しさ(>易しさ)のものを「大量に」読むことが推奨されている。
〉多読を始めてすぐに「実感」したことは、自分がいかに「今の英語力」で「楽しめる」物を楽しんでこなかったか・・・ということだ。
〉中学1年の1課を学んだ後に、1課の英語力で楽しめる物は読まずに、2課に行く。新しい文法知識や語彙は学ぶけど、そこでつけた力を使って、英語でかかれた「面白い物」を楽しむことなく3課に行く・・・。
〉私のピアノもそんな感じだった。
私のピアノもそんな感じでした。たまたま先生が他の生徒さんについて、「親子で習っていて、お母さんは前に習っていたから最初は速かったけど、前に習ってないところに来たら途端に進歩が止まっちゃった。やっぱり大人になると駄目だね」というようなことを言っていて、その頃は大人になって始める人の話は全く聞かなかったので、二十歳までにどのレベルまで行けるかで決まってしまうと思っていました。
それでいて割と遅いらしく、「他の人は3ヵ月だよ」と言われながら、トンプソンに一年かかっていた。。。
〉いつもモタモタと譜読みに時間がかかり、「進みの遅い」自分は、ピアノ世界では、すでにドロップアウトした存在・・・というように自分をとらえていた。
〉今思えば「なんてもったいない!」と思うけど。
もったいないですよね。
〉私が子どもの頃は今よりもっと「教則本」流行のころだったので、「今○ちゃんはチェルニー30番」とか、「△ちゃんは○年なのにインベンションに入ったらしい」とか、教則本の名前や番数で「ピアノの腕」が語られ、「○ちゃんのショパンっていいよね」とか「△ちゃんはベートーヴェンが好きなのね」とか、あるいは、「○ちゃんってリズム感があるよね」とか「△ちゃんの音色って私好き」とか、音楽の「内容」でピアノが語られることが少なかった。
〉少なくとも私の周囲では。
そうですね。私は、年齢的な問題もあったのか、自分の弾くピアノを「音楽」として聞くことができませんでした。音色の違いとか、弾く人によって同じ曲が変わってくるとか、聞く量が少なすぎてわからなかった(ちょっと英語に通じた?)。
〉エッセイにも書いたけど、だから、私にとっては「ピアノ=訓練」という感じで「ピアノ∈音楽」ではなかったの。「音楽」はとても好きで、合唱やったり合奏やったり鼓笛隊やったりブラスバンドやったり、いつも「音楽」をやってたのに。
〉で、大人になってピアノを再開して、「楽しく弾く」ことに出会ったのだけど、昔のトラウマのようなものはまだちょっとひきずってたとこもあったし、また、「楽しく」ではあるんだけど、やっぱりいつも「自分の技術より上」のものを弾いてきてしまったかもしれない。
自分のレベルより下のものを弾くって、そういう言い方になる発想そのものが嫌ですしね。←自分。この場合、技術というのは情感豊かにというよりは、手がどれだけ動くかという方向ですね。
〉だから、1曲あげるのにいつも時間がかかって、しかも、それが自分のレパートリーとして「いつでも弾ける」状態になっていないのだ。
数ヵ月弾かないと、すぐに弾けなくなりますからね。いつでも弾けるは相当難しいです。
〉Qが小学校に入ってピアノを始めることになった時、「難しい曲は弾かない」という方針で行こうと思い、「とりこぼした」名曲、「エリーゼのために」「乙女の祈り」といった曲を中心にやってきた。
〉なんだけど、たまたま「悲愴」の第二楽章というのを弾いた時に、「あぁ、ベートーヴェンっていいなぁ」と思って(>そもそも私はベートーヴェンが好き)、そのままベートーヴェンのソナタの世界に入って行ってしまい、またしても「泥沼」(>といっても別に楽しかったんで、いいんですけどね)。
悲愴、あ、妹が好きでよく弾いてました。不思議な和音が連続して、不協和音にも聞こえるけど、なんかいいなあっていうやつですよね。
〉今回、ピアノを再開するにあたって、私が選んだのは、とりあえず3冊。
〉「バイエル前半から中頃程度」の人用の『先生が選んだピアノ発表会名曲集1』(YAMAHA)というのと『ピアノで弾くベートーヴェンの生涯(上)(下)』(YAMAHA)というのと『ブルグミュラー練習曲25曲』(全音)です。
練習曲というか、手の訓練用に使われることが多いようなんですが、エドナ・メイ・バーナムはいかがですか? 子どもが訓練で嫌にならないようにという本なので、曲名が「走ろう」「歩こう」「アヒル歩き」なんていう風になっていて、走ったり歩いたりしている人の絵がついています。曲として音楽的にどうこうというものではないですが、アヒル歩きなんかは弾きながらおかしくて笑ってしまいます。本当に、そういう動作にそっくりなんです。
私が持っているのは導入と1ですが、初めてピアノにさわる人も大丈夫という感じです。
〉この「バイエル前半」やってる子が発表会!となった時に弾く曲っていうのは、かなり短く、もちろん、この程度のものでも「本当に音楽的に弾く」「音の粒をそろえて弾く」となれば、ぜんぜん私には出来てないのですが、それでも譜読みは「初見」でもOKだし、「1曲を1曲として感じる」にはとても良い教材です。
発表会の前は1日25回弾きなさいとかいわれました。でも、すらすら弾けるようになったら、それ以上は音楽的センスがまだ育っていなかったせいか、25回弾いても違いがわからなくて、つまらなかった。
今なら、違いがわかったところで25回は弾きませんが。
〉それにね、こうやって「手に収まる」曲をやって初めて「音楽も手に収める」ことが出来るのかもしれません。
〉同じフレーズが2回出て来た時の弾き方とか、実は音楽表現上とても大事なことを、「技術に余裕があるもの」を弾くからこそ学べるっていうか・・・。
深いですね。
〉譜読みに追われていると、なかなかそこまで行けないっていうか・・・。
私の母は譜を読みながら弾けないので、暗譜していない曲は弾けません。でも、楽しそうです。
〉辞書引きながら読んでると、英語の文章の流れが途切れてしまうのと同じかも。
〉この曲集は多読で言うとORT(>イギリスの小学生の副読本)の低学年用っていう感じかも。
〉「お子ちゃま用」とあなどるなかれ。ORTは文法的にはかなり高度なものも入ってるし、英語の自然なフレーズというのも満載です。この曲集についても同様のことが言えるかも。作曲上の「技巧」のエッセンスが多分そこここに埋め込まれているんだと思う。(>音楽理論は分からないので「思う」としか言えないのだが)
理論がわからなくても、弾いて感じられれば、それで埋め込まれていると断言していいのでは? 感じられないようなら、理論がどうであろうと、聞いてわからなければ意味がないと言ってしまっていいように思います。理論がわかる人ばかりが聞く訳じゃないですから。
〉『ベートーヴェンの生涯』に収録された曲の中には、簡単バージョンに直してあるのもあります。残念ながら、どれがアレンジしてあって、どれがアレンジしてないのか、という明記がないので、私には、オリジナルかそうでないかが判別出来ないものも多いんですけど。
〉アレンジ物、とくにそもそもピアノ曲として書かれた物のアレンジ物には、実は心理的抵抗感もあります。
ハ長調に変えると、曲のイメージが変わってしまって、楽譜通りに弾いても何か間違った気がして仕方がないときがあります。
〉でも、これも多読で言う「リトールド物」と同じなのかもしれません。子ども向けに易しく書かれた「ジェーン・エア」を読むことは、その子どもの成長にとってマイナスになるか・・と言われれば、それは必ずしもそうでない。大人になって「本物」を読む時にマイナスになるか・・・と言われれれば、それは必ずしもそうではない。
〉GRで易しい英語に直された「ジェーン・エア」を読み、「結果として」英語力がつくということもある。オリジナルじゃないけど、「ジェーン・エア」ってこういう話なんだぁ・・っていうのを「知る」ことが人生にマイナスになるとは限らない。
〉いずれオリジナルを読む日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。でも、もし、オリジナルを1点しか読む「時間」や「余裕」しか自分にはないとしたら、GRでいろいろなものを「齧って」おいて、いずれどの一つを読むのかを決めるのもいい。
〉GRはそれはそれでそういう「ジャンル」だと考えられるなら、ピアノのアレンジ曲も、それはそれでそういう「ジャンル」だと考えればいい。
〉多読をやった時「読まぬ古典より読むGR」と思いましたが、「弾かぬ名曲より弾くアレンジ曲」ってとこですかね。
それと、編集者(編曲者)の腕というのも、GRと通じますね。私は断然、松本祐士さんが好きです。
それから、大江光さんの曲はオリジナルからして易しいし、それでいてこれ以上何もいらないという完成度の高いものなので、好きです。
〉・・・という訳で、この曲集をはじめから弾いてます。
〉一番初めは、ベートーヴェンの初めての出版作品(>12歳の時!)と言われる「ドレスラーの行進曲による9つの変奏曲」の中の「第4変奏」と「第六変奏」というのが載ってるので、それをやってます。
モーツァルトは6歳でしたっけ。
〉で、ブルグミュラーは、子どもの頃、大好きだったけど「とりこぼし」てた「別れ」。ブルグミュラーもソナチネに移行しちゃって弾いてない曲があるので、「好きだったのにとりこぼし」の中をまずは中心にやってくつもりです。
〉多読と同じく、多弾も強力かもしれません。多読で「カバー・トゥ・カバー」で無理なく易しく読めるものを100冊読むのと、教科書に引用された古典の一部分を辞書を引き引き時間をかけて読むのとでは、「読書の楽しみ」という点でも、「結果としてつく力」という点でも、格段に前者に軍配があがるように、ピアノも無理なく易しく弾ける曲を100曲弾く方が、半年近くかけてソナタの1楽章を「一応」あげる(>私のことね)より、ずーっと力がつきそう。
半年かかっちゃうと、飽きちゃいそうですよね。自分が上手く弾けないと、曲が嫌いになってしまう。
〉こうやって順番に力をつけていけば、いずれ多読でPBが読めるようになるのと同じく、ピアノにおいてもソナタをもっとラクに弾けるようになるのかもしれません。
〉ま、とりあえず1年間くらい実験してみるつもりです。
ソナタを弾くより楽しそうですし、楽しく沢山練習したら力がつくというのは、何にでも通じると思います。
今私は、バイエル前半程度と思われるアレンジの「星に願いを」を弾くのが一番難しいです。音の数が極端に少ないので、全部の音に意識を集中して、全ての音に気持ちを込めないと、音をはずさないだけでは格好がつかない曲なんです。深いです。ちょっとでも音の粒がそろわないと、はっきりとわかってしまいます。
これは、私がピアノを習っていた頃に考えていた「テクニック」とは別の問題ですね。
それに今は、ピアノで音が鳴っただけで楽しい。ピアノの前の演奏者用の席って、音楽として聞く上での一番の特等席だと思うようになりました。間違えた音を弾こうが何しようが、音が鳴ると楽しい。
こじつけるようですが、技術的上達を考えていた頃と、弾きながら聞いて楽しむことを考えている今とでは、勉強していた頃と多読を始めたからのように、楽しさが全く違います。
私の場合は、中学生以降に音楽を沢山聴くようになって、好きなミュージシャンができて、それで耳が変わったことにも原因があると思います。
ウルトラQの母さんに、連弾できる人ができますように。あ、お子さんも習っているんでしたっけ。楽しみですね。
では。
Happy hmmm ah! singing in piano!
#私は父がブラインド・タッチができないということを知って初めて、普通の人は両手の指を全部バラバラに動かすことができるとは限らないということを知りました。一つの世界に浸かった分、視野は狭かったかもしれません。
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>柊さん
(多分)初めまして。いつもカキコミは読ませていただいています。
〉 私もピアノを習っていたので、英語の話になってないよなと思いながら、ちょっと返事をさせていただきます。
→ありがとうございます。
〉〉「多読の方法」はあらゆる分野に応用可能なんじゃないかなぁ。そしてどの分野でも、「楽しく実力をあげる」「それによってさらにその分野のことをやるのが楽しくなる」という、とても良い循環を生むんじゃないかなぁ・・・と思います。
〉 応用可能だと思います。人生に応用してしまっているようで、やりたくないからやらない!ということが増えています。やりたいからやる!を増やしたいです。
→私もやりたいからやる!を増やしたいです。なかなか思うに任せないけど。あと同じにやるんでも、最初からPBを読め!と言われると疲れちゃうけど、易しいもの、好きなものから読んでごらん!と言われれば、はい!と読めちゃうというのもあって、物事には「やり方」ってのがあるんだなぁって思います。仕事の場合はなかなか相手が待ってくれないっていうのもあるけど、これももしかしたら「多働」なんて方法があるかも。
〉〉ピアノに関して実際に効果が上がったらまたご報告しますね。
〉 楽しくなった時点で、十分効果出てると思いますよ。でも、楽しみにしてます。
→ピアノに向かうのが楽しいんです。おっくうさがない。ほんと、楓さんがおっしゃるとおり、すでに効果が出てます。
〉〉多読では、うんと易しい物を読んで「スラスラ読み」を実感すること、「スラスラ読める」程度の難しさ(>易しさ)のものを「大量に」読むことが推奨されている。
〉〉多読を始めてすぐに「実感」したことは、自分がいかに「今の英語力」で「楽しめる」物を楽しんでこなかったか・・・ということだ。
〉〉中学1年の1課を学んだ後に、1課の英語力で楽しめる物は読まずに、2課に行く。新しい文法知識や語彙は学ぶけど、そこでつけた力を使って、英語でかかれた「面白い物」を楽しむことなく3課に行く・・・。
〉〉私のピアノもそんな感じだった。
〉 私のピアノもそんな感じでした。たまたま先生が他の生徒さんについて、「親子で習っていて、お母さんは前に習っていたから最初は速かったけど、前に習ってないところに来たら途端に進歩が止まっちゃった。やっぱり大人になると駄目だね」というようなことを言っていて、その頃は大人になって始める人の話は全く聞かなかったので、二十歳までにどのレベルまで行けるかで決まってしまうと思っていました。
〉 それでいて割と遅いらしく、「他の人は3ヵ月だよ」と言われながら、トンプソンに一年かかっていた。。。
→大人になっても上達します!(>きっぱり!) 私は25歳くらいの時に一度再開してまして、その時は「前に戻ればいいや」と思ってたんです。でも、ちゃんと上達するんですよね。次に息子が小学校に入った時にも再開したんだけど、その時も多分やっぱり上達したと思います。
「大人は上達しない」は「大人はやらなかった」ので「知られてなかった」だけ。大人でもやり続ければ、絶対上達すると思います。
それに上達って技術のみじゃないですよね。情感や表現の深さとか。そういうのってやっぱり大人の方が人生経験を積んだだけ幅広くなるんじゃないでしょうか。
「教則本の進み」だけでピアノの上達をはかるのってすっごい間違いですよね。うちの息子もバイエルの進みがすっごく遅かったんです。それに私の頃と違って教則本を何冊もやらせないし、「こんなにエチュードしないでいいんかなぁ」と思ってましたが、最近ぐっと上達して、「悲愴」の第一楽章をあっという間に自習で譜読みしちまいまして、けっこう上手に弾いてます。(>今レッスンで習ってるのは第二楽章)
息子は「嫌いな曲はのらない」っていうタイプで、バイエルは嫌いだったんですよね。なので先生から「もうさっさか終わらせちゃおうよ」と言われてももっさりもっさりしてました。
〉〉いつもモタモタと譜読みに時間がかかり、「進みの遅い」自分は、ピアノ世界では、すでにドロップアウトした存在・・・というように自分をとらえていた。
〉〉今思えば「なんてもったいない!」と思うけど。
〉 もったいないですよね。
→教則本の進度で上達度をはかるのってやめるべきですよね〜。でも、けっこう私自身も深層心理のとこで、囚われてたりする部分がありますが。
〉〉私が子どもの頃は今よりもっと「教則本」流行のころだったので、「今○ちゃんはチェルニー30番」とか、「△ちゃんは○年なのにインベンションに入ったらしい」とか、教則本の名前や番数で「ピアノの腕」が語られ、「○ちゃんのショパンっていいよね」とか「△ちゃんはベートーヴェンが好きなのね」とか、あるいは、「○ちゃんってリズム感があるよね」とか「△ちゃんの音色って私好き」とか、音楽の「内容」でピアノが語られることが少なかった。
〉〉少なくとも私の周囲では。
〉 そうですね。私は、年齢的な問題もあったのか、自分の弾くピアノを「音楽」として聞くことができませんでした。音色の違いとか、弾く人によって同じ曲が変わってくるとか、聞く量が少なすぎてわからなかった(ちょっと英語に通じた?)。
→やっぱりピアノ教育の側にも問題があったと思うんですよね。「この曲ってこんなとこがステキだと思わない?」とか、「先生はブルグミュラーの中ではこの曲が一番好きなの。今度あなたも弾いてみない?」とかそんな風に先生が話してあげたりすることがあっても良かったのかも・・と思います。(>「多読」指導において、指導者が多読を実践し多読の楽しさを語れるのが大事っていうのと同じ?)
〉〉エッセイにも書いたけど、だから、私にとっては「ピアノ=訓練」という感じで「ピアノ∈音楽」ではなかったの。「音楽」はとても好きで、合唱やったり合奏やったり鼓笛隊やったりブラスバンドやったり、いつも「音楽」をやってたのに。
〉〉で、大人になってピアノを再開して、「楽しく弾く」ことに出会ったのだけど、昔のトラウマのようなものはまだちょっとひきずってたとこもあったし、また、「楽しく」ではあるんだけど、やっぱりいつも「自分の技術より上」のものを弾いてきてしまったかもしれない。
〉 自分のレベルより下のものを弾くって、そういう言い方になる発想そのものが嫌ですしね。←自分。この場合、技術というのは情感豊かにというよりは、手がどれだけ動くかという方向ですね。
→そうね。どんなに易しいものだって、上手に弾くのは本当に難しい。
〉〉だから、1曲あげるのにいつも時間がかかって、しかも、それが自分のレパートリーとして「いつでも弾ける」状態になっていないのだ。
〉 数ヵ月弾かないと、すぐに弾けなくなりますからね。いつでも弾けるは相当難しいです。
→「レパートリーの維持」は今後の課題。多読で言うと、再読を熱心にやるってとこかな?
〉〉Qが小学校に入ってピアノを始めることになった時、「難しい曲は弾かない」という方針で行こうと思い、「とりこぼした」名曲、「エリーゼのために」「乙女の祈り」といった曲を中心にやってきた。
〉〉なんだけど、たまたま「悲愴」の第二楽章というのを弾いた時に、「あぁ、ベートーヴェンっていいなぁ」と思って(>そもそも私はベートーヴェンが好き)、そのままベートーヴェンのソナタの世界に入って行ってしまい、またしても「泥沼」(>といっても別に楽しかったんで、いいんですけどね)。
〉 悲愴、あ、妹が好きでよく弾いてました。不思議な和音が連続して、不協和音にも聞こえるけど、なんかいいなあっていうやつですよね。
→私ベートーヴェン好きなんですよねぇ。子どもの頃から。でも、「順番に」の時代だったから、「モーツァルト→ショパン→ベートーヴェン」みたいな順番があって。モーツァルトのソナタは全曲弾かないといけないって言われて、進みの遅い私は気が遠くなって大学受験の時にやめたってのもあります。一体いつになったら違う人の曲が弾けるんだ!!!って。(>まだまだモーツアルトがいっぱい残ってたので)
〉 練習曲というか、手の訓練用に使われることが多いようなんですが、エドナ・メイ・バーナムはいかがですか? 子どもが訓練で嫌にならないようにという本なので、曲名が「走ろう」「歩こう」「アヒル歩き」なんていう風になっていて、走ったり歩いたりしている人の絵がついています。曲として音楽的にどうこうというものではないですが、アヒル歩きなんかは弾きながらおかしくて笑ってしまいます。本当に、そういう動作にそっくりなんです。
〉 私が持っているのは導入と1ですが、初めてピアノにさわる人も大丈夫という感じです。
→今度チェックしてみます。情報ありがとうございます。名前はよく聞くけれど手に取ったことはありませんでした。
〉 発表会の前は1日25回弾きなさいとかいわれました。でも、すらすら弾けるようになったら、それ以上は音楽的センスがまだ育っていなかったせいか、25回弾いても違いがわからなくて、つまらなかった。
〉 今なら、違いがわかったところで25回は弾きませんが。
→もしかしたら、ご自分に「合ってない」曲だったのかもしれませんよね。多読だったら「投げ技」使うべき曲だったのかも。ピアノの先生のもうひとつの役割は「好きな曲に出会わせる」ってことかもしれません。
実は第一回のレッスンに行って来ました。「そこまで易しいのを弾くことない」「もったいない」って言われて、一方で「多弾」の危機(?)を感じたんですが、他方で、一度に1つの曲じゃなくて並行して何曲か練習するっていう方式で「好きなもの」を発見していくという「並行読み」っていうか、そういうやり方で、「これも多弾?」と思いました。
で、紹介していただいた曲を弾いてみたら、どれもステキな曲で、先生は私の演奏を聴いて、すぐに私の好みや特性っていうのが分かったのかも・・・と思いました。でも、「自分だけ」では出会えなかったと思います。
〉〉それにね、こうやって「手に収まる」曲をやって初めて「音楽も手に収める」ことが出来るのかもしれません。
〉〉同じフレーズが2回出て来た時の弾き方とか、実は音楽表現上とても大事なことを、「技術に余裕があるもの」を弾くからこそ学べるっていうか・・・。
〉 深いですね。
→いやー、そんなこともないんですが、子ども向けのものも、実は色々考えて作曲されてるらしい・・ってのをこないだブルグミュラーの「解説」を読んで思いました。
〉〉譜読みに追われていると、なかなかそこまで行けないっていうか・・・。
〉 私の母は譜を読みながら弾けないので、暗譜していない曲は弾けません。でも、楽しそうです。
→お母様、暗譜しちゃうっていうのもすごいですねぇ。暗譜苦手な人も多いですよね。
〉 理論がわからなくても、弾いて感じられれば、それで埋め込まれていると断言していいのでは? 感じられないようなら、理論がどうであろうと、聞いてわからなければ意味がないと言ってしまっていいように思います。理論がわかる人ばかりが聞く訳じゃないですから。
→そうですね。理屈は分かってなくても、音楽が分かってる人もいれば、理屈は分かっていても音楽は分かってないという人もいると思います。
〉 ハ長調に変えると、曲のイメージが変わってしまって、楽譜通りに弾いても何か間違った気がして仕方がないときがあります。
→楓さんは絶対音感の人なのかな? それは調性感があるってことですよね。私は相対音感の人なので、あんまりよく分かってないかも。
〉 それと、編集者(編曲者)の腕というのも、GRと通じますね。私は断然、松本祐士さんが好きです。
〉 それから、大江光さんの曲はオリジナルからして易しいし、それでいてこれ以上何もいらないという完成度の高いものなので、好きです。
→なるほどね。日本の楽譜には編曲者の名前まで書いてない楽譜も多いんですけど、本当は編曲っていうのもひとつのジャンルですよね。
松本祐士さんと大江光さんも、今度チェックしてみます。ありがとうございます。(>英語の掲示板で音楽の幅が広がってしまいました。酒井先生、ありがとうございました)
〉〉一番初めは、ベートーヴェンの初めての出版作品(>12歳の時!)と言われる「ドレスラーの行進曲による9つの変奏曲」の中の「第4変奏」と「第六変奏」というのが載ってるので、それをやってます。
〉 モーツァルトは6歳でしたっけ。
→うぅん、分かりません。でも、ピアノの先生は「12歳かぁ。モーツアルトに負けてますね」とおっしゃってましたので、モーツアルトはずっと早かった(し、その年齢では良い曲を作っていた?)のかな?
〉 半年かかっちゃうと、飽きちゃいそうですよね。自分が上手く弾けないと、曲が嫌いになってしまう。
→何弾いてるか、よく分からなくなっちゃうんですよねー。
〉 ソナタを弾くより楽しそうですし、楽しく沢山練習したら力がつくというのは、何にでも通じると思います。
〉 今私は、バイエル前半程度と思われるアレンジの「星に願いを」を弾くのが一番難しいです。音の数が極端に少ないので、全部の音に意識を集中して、全ての音に気持ちを込めないと、音をはずさないだけでは格好がつかない曲なんです。深いです。ちょっとでも音の粒がそろわないと、はっきりとわかってしまいます。
〉 これは、私がピアノを習っていた頃に考えていた「テクニック」とは別の問題ですね。
〉 それに今は、ピアノで音が鳴っただけで楽しい。ピアノの前の演奏者用の席って、音楽として聞く上での一番の特等席だと思うようになりました。間違えた音を弾こうが何しようが、音が鳴ると楽しい。
〉 こじつけるようですが、技術的上達を考えていた頃と、弾きながら聞いて楽しむことを考えている今とでは、勉強していた頃と多読を始めたからのように、楽しさが全く違います。
〉 私の場合は、中学生以降に音楽を沢山聴くようになって、好きなミュージシャンができて、それで耳が変わったことにも原因があると思います。
→音楽は「どういう音を出したいか」ってことが大事ですよね。私もQが大きくなったので、今後は少しずつコンサートにも行きたいと思っています。
〉 ウルトラQの母さんに、連弾できる人ができますように。あ、お子さんも習っているんでしたっけ。楽しみですね。
〉 では。
〉 Happy hmmm ah! singing in piano!
→お互いに!! 今後ともよろしくお願いいたします。沢山の刺激的な情報をありがとうございました。
〉#私は父がブラインド・タッチができないということを知って初めて、普通の人は両手の指を全部バラバラに動かすことができるとは限らないということを知りました。一つの世界に浸かった分、視野は狭かったかもしれません。
→それはあります。私もブラインドタッチ、無茶苦茶速いって人に驚かれます。
See you soon!