SSS コラム  身の丈にあった英語の発信を 

[掲示板: 〈過去ログ〉多読による外国語教育 -- 最新メッセージID: 1456 // 時刻: 2024/11/25(00:52)]

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649. SSS コラム  身の丈にあった英語の発信を 

お名前: 古川@SSS
投稿日: 2005/9/15(15:50)

------------------------------

多読通信に下記のコラムを投稿しました。
いろいろ、ご意見を個人的にもらっています。
ですので、掲示板にも投稿することにしました。
感想・意見・反論など、ある方、ぜひお寄せ下さい。

───────────────────────────────────
【4】SSS コラム  身の丈にあった英語の発信を        (古川)
───────────────────────────────────
 今日、東京近郊のT市で行われた公立中学生の英語スピーチコンテストに招
待されていってきました。中学2・3年生が、原稿を見ずに、400語程度の
英文を5〜6分でスピーチするというものです。
 いま、公立中学校の英語は、内容が削減されて、語彙も1000語程度になった
と聞いていたので、非常に平易な英語で話すコンテストなのかと想像していた
のですが、実際には、語彙も豊富で、一文も20語を越えるような長いものが
多く、かなり高度な英語でスピーチしていてとてもびっくりしました。
 先生方に聞いたところ、生徒の原案をもとに、外国人の英語の先生が原稿を
書き、生徒達は、夏休み前から、その先生が吹き込んだテープをお手本に、暗
記するまで復唱する練習をしているとのことで、思わず納得しました。
 審査も、内容より、英語の発音やプレゼンテーションの態度に重きをおいて
いるようでした。
 でも、スピーチの英文が「高度」すぎて、おそらく、参加者同士は、他人の
発表内容を聞いても理解できなかったことでしょう。
 日本の英語教育の現場では、読解でもスピーチでも、「背伸び」しすぎだと
思います。一文が、5語や6語の短文の連続でも、言いたいことが伝われば中
学段階では、(大人でも)十分ではないでしょうか。「立派な」スピーチでな
くても、つたない言葉でも、一部、日本語が混じっても、内容があれば、人を
感動させることができると思うからです。
 「立派な」英語を書いたり、きれいな発音で話したりすることは、確かにか
っこいいし、英語のプロになる人には必要なことだけど、僕たち、普通の人達
は、「立派な英語」より、拙くても、即興で書ける英語、即興で話せる英語を
身に着けることがまず大切だと思うのです。
 学校のスピーチコンテストも、、聞いている友達がその場で理解でき、生徒
がアドリブで変更できるようなもっと平易な英語でスピーチをするようにした
ら、発音や形式より中身の面白さを重視する審査にしたら、もっと、多くの生
徒が気軽に参加でき、他校の生徒同士の交流も深まり、より有意義なイベント
になるのではないかと思いました。


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650. Re: SSS コラム  身の丈にあった英語の発信を 

お名前: まりあ@SSS
投稿日: 2005/9/15(20:52)

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古川@SSSさん、こんにちは。 まりあ@SSSです。

  SSSに参加して4年余、古川さんの書き込みにレスつけるのは初めての
  様な気がして...

〉【4】SSS コラム  身の丈にあった英語の発信を        (古川)
〉───────────────────────────────────
〉 今日、東京近郊のT市で行われた公立中学生の英語スピーチコンテストに招
〉待されていってきました。

〉 でも、スピーチの英文が「高度」すぎて、おそらく、参加者同士は、他人の
〉発表内容を聞いても理解できなかったことでしょう。

  スピーチの「コンテスト」に特化してしまっているのですね。
  実生活でスピーチは、その後質疑応答が伴うのが普通で、このコンテス
  トの経験は、学会発表にも会社の新製品発表のプレゼンにも役に立たな
  いですね。本当に学校英語は、役に立たない英語ばっかり!

  このコンテストもその後5分でも良いから質疑応答時間をとり、それと
  総合して採点するシステムだったらこんなことにはならないでしょう。

  言語の本質は「コミュニケーション」。意志を伝え合う道具です。
  正しい文法も、いい発音も、自分の意思を正確に伝えるための方法論の
  一つに過ぎない。独立してそれだけで価値があるとは思えません。

  スピーチしっぱなしですむのは天皇陛下くらい(笑)そんなこと練習
  してもねぇ...

〉 日本の英語教育の現場では、読解でもスピーチでも、「背伸び」しすぎだと
〉思います。一文が、5語や6語の短文の連続でも、言いたいことが伝われば中
〉学段階では、(大人でも)十分ではないでしょうか。

  そもそも英語を「言いたいことを伝える」道具として捉えているかどう
  か?が疑問ですね。「外国人に道を聞かれたら答えられる位の会話力
  は最低限度必要」だからもっとコミュニカティブな英語を...なんて
  言っていて.....私達、そんなに毎日外国人に道を尋ねられますか?
  私なんか○十年近く都会に生きていて、1,2度ですよ!1人で周りに
  道を訪ねながら東京を歩いている外国人、日本語が話せる人が多くて
  日本語で訪ねられた回数はかなりありますが。もっとも彼等が、日本人
  に訪ねても英語が通じないだろうと諦めている、ということもあるの
  でしょうが。とにかく、コミュニケーションて、道を教えることでは
  ないはずです!!
  
  沈黙は金、男は黙って、気働き...伝えあうことよりも、黙っている
  他人の気持ちを汲み取れることが、より高度な精神作用であるという
  価値観がありますからね、日本文化には。

「立派な」スピーチでな
〉くても、つたない言葉でも、一部、日本語が混じっても、内容があれば、人を
〉感動させることができると思うからです。

  日本人は完璧主義ですから。自動車は故障しないし、電車は定時に
  走るし、時報きっかりにテレビは始まるし...その性格がこと英語の習得
  になると邪魔をしているように感じます。

〉 「立派な」英語を書いたり、きれいな発音で話したりすることは、確かにか
〉っこいいし、英語のプロになる人には必要なことだけど、僕たち、普通の人達
〉は、「立派な英語」より、拙くても、即興で書ける英語、即興で話せる英語を
〉身に着けることがまず大切だと思うのです。

  はい、そう思います。ただ問題は「即興で話せる英語」を身に付けなく
  ても暮らしていけるだけ豊かなんですね、私達は。東南アジア諸国では
  公務員になるより、アメリカ人が来るゴルフ場のキャディーやレストラ
  ンのウェイターをしてチップを貰った方がお金になる、立派な英語より
  相手の気分を良くすることが稼ぎになります。私達はこういう状況に
  ありません。

  古川さんのご意見には全面的に賛成です。しかし、日本の文化や経済力
  を考えると、文部省の石頭を変革するには岩をも動かすエネルギーが
  いることを覚悟しなくてはならないだろうと思います。
  とかし、「点滴岩をも穿つ」とも言われています。私達1人1人が点滴
  になって岩に穴を開けていきたいですね。全体の状況に諦めないで、
  自分の身の回りでできる限りでも最大限の努力をする、その力を結集
  できたら、と願っています。


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651. 身の丈にあった英語の発信を<−8888(ぱちぱちぱち)

お名前: バナナ
投稿日: 2005/9/15(22:01)

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"まりあ@SSS"さんは[url:kb:650]で書きました:
〉古川@SSSさん、こんにちは。 まりあ@SSSです。

こんにちは、バナナです。
とても、感じ入りました。

「身の丈にあった英語」ってそのとおりですね。

実は私、Writingの広場に、駄文を時々書いているのですが、
たぶん(駄文とのしゃれではありません)、むちゃくちゃなんですね。

「せのび」してるところもあるし、思いっきり「身の丈にあって」単純な文章で書いてるところもある。

でもなんというか、時々「自然と身の丈にあった文」を書いているような気がすることがあって、そのときはわりと自然にかけたような気(錯覚)がしています。

「身の丈でやっていく」ようになりたいな。
そのためにはどうやったらいいのかな?
どういう環境を用意すれば自然にできるのかな?

多読では「各YLにあった書籍がいっぱいあって」という環境が
「身の丈で読む」ということを実現しているのだとすれば、
「身の丈にあった」コミュニケーションする(書く・しゃべる・聴く・話す)ためには、どんな環境を自分の周りにそろえればいいのかな?

そんなことを考えました。

ではでは


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655. Re: SSS コラム  身の丈にあった英語の発信を 

お名前: macska
投稿日: 2005/9/16(13:30)

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まりあ@SSSさん、古川@SSSさん、お世話になっております。
100%「その通りだぁ」って思います。

〉〉 「立派な」英語を書いたり、きれいな発音で話したりすることは、確かにか
〉〉っこいいし、英語のプロになる人には必要なことだけど、僕たち、普通の人達
〉〉は、「立派な英語」より、拙くても、即興で書ける英語、即興で話せる英語を
〉〉身に着けることがまず大切だと思うのです。

あわよくば英語のプロになってほしいという気持ちが働いているのではないかしら。
英語ではないけど、私の住んでる町ではスポーツ少年団や陸上大会やと、小学生のうちから一日おきに2時間の練習なんかしていて、まるでプロ養成の練習みたいです。子どもの人数が少ないので休むのも嫌がられたりして、運動が得意ではない私は可哀想だなあって大人の責任を感じたりします。

〉  古川さんのご意見には全面的に賛成です。しかし、日本の文化や経済力
〉  を考えると、文部省の石頭を変革するには岩をも動かすエネルギーが
〉  いることを覚悟しなくてはならないだろうと思います。
〉  とかし、「点滴岩をも穿つ」とも言われています。私達1人1人が点滴
〉  になって岩に穴を開けていきたいですね。全体の状況に諦めないで、
〉  自分の身の回りでできる限りでも最大限の努力をする、その力を結集
〉  できたら、と願っています。

そういう状態を助長している一般の人々の存在もとても感じます。やはり多読仲間を地元に増やすことで、その感性も広めていかなければとつくづく思います。


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653. Re: SSS コラム  身の丈にあった英語の発信を 

お名前: NEO http://www.geocities.jp/takuyayuya2000/
投稿日: 2005/9/16(10:38)

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"古川@SSS"さんは[url:kb:649]で書きました:
〉多読通信に下記のコラムを投稿しました。
〉いろいろ、ご意見を個人的にもらっています。
〉ですので、掲示板にも投稿することにしました。
〉感想・意見・反論など、ある方、ぜひお寄せ下さい。

古川さん、こんにちは!
昨年、中学、高校のスピーチコンテストの予選を見に行った時に私も同じように感じ、とても考え込んでしまいました。

〉───────────────────────────────────
〉【4】SSS コラム  身の丈にあった英語の発信を        (古川)
〉───────────────────────────────────
〉 今日、東京近郊のT市で行われた公立中学生の英語スピーチコンテストに招
〉待されていってきました。中学2・3年生が、原稿を見ずに、400語程度の
〉英文を5〜6分でスピーチするというものです。
〉 いま、公立中学校の英語は、内容が削減されて、語彙も1000語程度になった
〉と聞いていたので、非常に平易な英語で話すコンテストなのかと想像していた
〉のですが、実際には、語彙も豊富で、一文も20語を越えるような長いものが
〉多く、かなり高度な英語でスピーチしていてとてもびっくりしました。
〉 先生方に聞いたところ、生徒の原案をもとに、外国人の英語の先生が原稿を
〉書き、生徒達は、夏休み前から、その先生が吹き込んだテープをお手本に、暗
〉記するまで復唱する練習をしているとのことで、思わず納得しました。
〉 審査も、内容より、英語の発音やプレゼンテーションの態度に重きをおいて
〉いるようでした。
〉 でも、スピーチの英文が「高度」すぎて、おそらく、参加者同士は、他人の
〉発表内容を聞いても理解できなかったことでしょう。
〉 日本の英語教育の現場では、読解でもスピーチでも、「背伸び」しすぎだと
〉思います。一文が、5語や6語の短文の連続でも、言いたいことが伝われば中
〉学段階では、(大人でも)十分ではないでしょうか。「立派な」スピーチでな
〉くても、つたない言葉でも、一部、日本語が混じっても、内容があれば、人を
〉感動させることができると思うからです。
〉 「立派な」英語を書いたり、きれいな発音で話したりすることは、確かにか
〉っこいいし、英語のプロになる人には必要なことだけど、僕たち、普通の人達
〉は、「立派な英語」より、拙くても、即興で書ける英語、即興で話せる英語を
〉身に着けることがまず大切だと思うのです。
〉 学校のスピーチコンテストも、、聞いている友達がその場で理解でき、生徒
〉がアドリブで変更できるようなもっと平易な英語でスピーチをするようにした
〉ら、発音や形式より中身の面白さを重視する審査にしたら、もっと、多くの生
〉徒が気軽に参加でき、他校の生徒同士の交流も深まり、より有意義なイベント
〉になるのではないかと思いました。

私が、スピーチコンテストに行って感じた感想を書かせていただきます。

どれも、自分で書いたであろう文章を先生が手直しをし、あえて理論的に難しい表現にしている。それをネイテブの発音指導を受け、発音を磨き暗唱し、最初は自分で書いた文章も先生の書いた文章になっているから、自分の意見の文章になっていないからなのか、スピーチに自己表現が全く感じられない、つまり自分の言葉で心から語っていない。これがスピーチといえるのか?と思ってしまいました。

中学部門はそんなに語彙も多いわけでもないですし、先生も手直しを手加減するのかそこまでは感じず、発音と表現力があれば入選できるな〜と思いました。

問題なのは高校生です。スピーチの内容は国際問題の貧困と富の格差など内容的には感動すべき内容なのですがスピーチの表現が難しすぎてピンとこないかったのです。文章で読んだ場合、そうだな〜と感動したり、私もそう思うと共感できたかと思いますが、すばらしい内容なのにスピーチを聞いていても私の心に響かないのです。
本来なら文章を読むより、その生徒さんの心からの意見なら、直接のスピーチの方が遥かに心に伝わるはずです。

この印象は特に進学高に見受けられました。

その中で、とても印象的なスピーチがありました。
定時制の高校の女の子のスピーチです。中学生のときに登校拒否になり、そこから今の自分についてのスピーチです。簡単な英語ですが、彼女の伝えたい事が私の心に響くスピーチでした。難しい英語を並び立て理論ばかり語る進学高の生徒のスピーチより遥かにメッセージが伝わり自分の言葉で心から語っていると思いました。このスピーチを聞いていて涙が出てきました。
これが本当のスピーチじゃないかと・・・自分の言葉で自己表現をし、聞き手に思いを伝える。これが大事。

結果は文章的に見てすばらしい進学校の子が予選突破でした。
私はこの定時制の高校に通う子に話しかけずにはいられなくて「予選は突破できなかったけれど私なら貴方が金賞ョ・心がこもっていて伝えたい事がダイレクトに伝わりました。自分を素直に表現できる心をそのまま持って欲しい」と伝えました。

内容的にみれば文章レベルは高校1年生になるかと思います。
賞をとったお子さんの内容は国連レベルって感じでしょうか・・・
内容からみれば仕方がない事かな〜と思うところもあるが、妙な気持ちになりました。
自己表現賞みたいなものがあればいいのにな〜と思いました。

とりとめもない文章になってしまいましたが、私も古川さんと同じ印象を持ったと言う事でした。

それから、古川さんのスピーチコンテストのあり方のご意見、私も大賛成です!

では、失礼します。


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665. Re: 横レス失礼します。 

お名前: たむ
投稿日: 2005/9/18(09:10)

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NEOさん、おはようございます。
たむと申します。

〉私が、スピーチコンテストに行って感じた感想を書かせていただきます。

〉どれも、自分で書いたであろう文章を先生が手直しをし、あえて理論的に難しい表現にしている。それをネイテブの発音指導を受け、発音を磨き暗唱し、最初は自分で書いた文章も先生の書いた文章になっているから、自分の意見の文章になっていないからなのか、スピーチに自己表現が全く感じられない、つまり自分の言葉で心から語っていない。これがスピーチといえるのか?と思ってしまいました。

インターネットのサイトに、コンテスト用のスピーチを集めた
ところがあるそうです。そこから学校の先生が選んでくれたと
言って来られた中学生がいました。英会話学校です。

たまたま、同じ中学校に行っている生徒さんもコンテストに出ると
来られましたが、この方は自分で原稿を書くと言ったところ、先生に
それなら自分でやりなさいと突き放されてしまったそうです。

私がうっかり、じゃあ英語人の先生に原稿を直してもらってから
練習しようね、と言ったところ、お母さんから猛烈な抗議を
受けました。その子が書いた原稿は絶対になおさないでくれ、
と言うのです。(希望を感じます。)

サイトの原稿を利用した中学生は、地区大会で優勝したそうです。
作ったようなはなしですが、実話です。


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669. Re: 横レス失礼します。 

お名前: NEO http://www.geocities.jp/takuyayuya2000/
投稿日: 2005/9/19(09:56)

------------------------------

"たむ"さんは[url:kb:665]で書きました:
〉NEOさん、おはようございます。
〉たむと申します。

はじめまして。たむさん。レスありがとうございます。

〉〉私が、スピーチコンテストに行って感じた感想を書かせていただきます。

〉インターネットのサイトに、コンテスト用のスピーチを集めた
〉ところがあるそうです。そこから学校の先生が選んでくれたと
〉言って来られた中学生がいました。英会話学校です。

そうなんですか?知りませんでした。

〉たまたま、同じ中学校に行っている生徒さんもコンテストに出ると
〉来られましたが、この方は自分で原稿を書くと言ったところ、先生に
〉それなら自分でやりなさいと突き放されてしまったそうです。

友人が中学の臨時・英語教員をしていますが、臨時でも大変忙しく、英語以外でもすごい仕事量だと言っていました。
この先生も余裕がないのでしょう・・・・
本来なら自分で書くと言われたら、がんばれ〜、応援するよ。表現が分からなかったり、少し、変かな?という時は教えてあげるよ。となるところでしょう。

〉私がうっかり、じゃあ英語人の先生に原稿を直してもらってから
〉練習しようね、と言ったところ、お母さんから猛烈な抗議を
〉受けました。その子が書いた原稿は絶対になおさないでくれ、
〉と言うのです。(希望を感じます。)

賞を取ると目的を置くか内容や取り組みに比重を置くかで変わってきそうですね。」
私もこういう親子さんでしたら断然、燃えて協力しちゃいます^^

〉サイトの原稿を利用した中学生は、地区大会で優勝したそうです。
〉作ったようなはなしですが、実話です。

賞を取るとなると文章レベルも問われるでしょうし・・・
私も頼まれたら、本人の書いた文章でおかしいところは本人の主張を聞きながら、なるべく本人の書いた文章をいじらない形で訂正するかと思います。(言いたい事が伝わらないな〜と思ったら)
ジェミニさんのお話もそうだな〜と思って読ませていただきました。

自己表現にこだわるなら、今のスピーチコンテストはピンとこない内容のコンテストになっているって言う事でしょうね・・・

レス、ありがとうございました。

これからも宜しくお願いします^^


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666. Re: SSS コラム  身の丈にあった英語の発信を 

お名前: ジェミニ http://creek.hp.infoseek.co.jp/ti-net/index.html
投稿日: 2005/9/18(21:48)

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 古川さん、こんにちは。ジェミニです。

〉先生方に聞いたところ、生徒の原案をもとに、外国人の英語の先生が原稿を
〉書き、生徒達は、夏休み前から、その先生が吹き込んだテープをお手本に、
〉暗記するまで復唱する練習をしているとのことで、思わず納得しました。
〉 審査も、内容より、英語の発音やプレゼンテーションの態度に重きをおい
〉ているようでした。

 スピーチって自分の言いたいことを皆さんに聞いてもらうためのものですから、自分が自ら言いたい内容もなくスピーチコンテストに出るのはどうかと思います。
 まるで、夏休みの工作、自由研究を親が作ってやっているようなものですね。

 恥ずかしながら、自分も10年ほど前、富山でのスピーチコンテストに出たことがあります。自分で作成した原稿もろくろく暗記していなかったので、入賞はしませんでしたが・・・。

 そこで、優勝したのは女子高校生でした。他のスピーチコンテストでも入賞したことがあると、スピーチは堂々としたものでした。彼女の場合は、自分でスピーチ原稿を作成していたようです。ただ、題材が安楽死とかあまり高校生になじみがない内容だった気がします。自分の実体験がにじんだ内容だったらさらに良かったのにと思います。

 あのときも、他に何人か高校生が参加していましたが、その学校の先生が丸抱えで指導しているのが、ありありと分かりました。

 話は変わって、その頃、外国人による日本語弁論大会のお世話をしたこともあります。外国の方がスピーチするのを手伝うというものでした。そのコンテストはなかなか参加者も少なく出てもらうだけでありがたかったので、参加者には手厚くサポートするという考えでした。

 4年にわたり、4人ほどお世話をしましたが、最初の2人に関しては、こちらでいろいろと相手の話を聞いて、原稿もこちらで作成した覚えがあります。また、一人は英語での原稿をこちらで日本語に訳してスピーチの原稿としました。最後の方は全部自分でやる方で日本語も達者で自分のやることは富山弁のイントネーションについてアドバイスする程度のものでした。

 本来なら、参加者は皆、自分でスピーチの準備をするのが当たり前なんでしょうが、そうすると参加者が集まらないと言うことも有るんじゃないかと思います。

 でも、もし、自分の思いを英語で言えて、それを大勢の方がきちんと聞いていただければ、それは、カラオケを歌うよりも開館じゃないかなと思います。

 それでは。


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676. Re: スピーチコンテスト神奈川の場合

お名前: 湘南のおねえさん
投稿日: 2005/9/22(22:54)

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長男が中学2年のとき、英語の先生からスピーチコンテストに出てみないか、と言われ、いいチャンスだから、やってごらん、と長男を説得して出場させました。彼の書いた原稿を私が英訳して、その中には中2ではまだ習っていない文法事項がどっさり入っていますが、それを英語の先生にみせて、さらに難しい、英語の詩なんかが追加されて原稿が完成。それを丸暗記して大会に臨みました。前もって提出しておいた全員の原稿が1冊の冊子にまとめてあり、それを読みながら聴きました。
その冊子がなければ私はスピーチを聞き取れなかったと思います。あまりに複雑な文章で。中2の長男にいたっては、冊子を読んでもわからなかったと言います。評価は内容、発音、態度、のみっつで上の大会に進んだ生徒の様子から、態度が一番重要視されていたようです。日本人としては赤面するようなおおげさな身振りと表情といったところでしょうか。
さて、長男ですが、くじ運悪く最後から2番目なんてのを引いちゃったので、どきどきしながら、途中まっしろになって立ち往生しちゃう生徒のを目の当たりにしながら長時間待ったのがかなりのストレスだったようで、もう2度とやらない、と言いながら帰ってきました。私自身もなんだか”はてなマーク”が頭の中をぐるぐるしながら帰ってきました。
その後、神奈川県の高校入試のシステムが大きく変わり、内申書だけで合否がきまる前期日程入試が始まりました。この前期入試で、スピーチコンテストでの成績がものを言うようになったわけです。
身の丈以上の内容に内申書まで関わってきて、どこへ行くのかスピーチコンテスト。


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697. Re: SSS コラム  身の丈にあった英語の発信を 

お名前: スヌーピー
投稿日: 2005/9/30(00:15)

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こんにちは。
ちょっと時間が経ってからのレスで、申し訳ありません。

私は先日、外国人留学生の「日本語スピーチ発表会」を見る機会がありました。
エントリーしていたのは、短期留学(1ヶ月)で日本語を学んだ欧米からの高校生たち30人。1ヶ月の成果を発表する、という意味合いの発表会で、競技会ではありませんでした。
留学する前の日本語学習経験は様々でしたが、日本の低学年レベルの国語の本が読める程度の日本語力(YL1.0〜2.0 ?)が平均値だったように思います。
会話は、よほど丁寧に、平易に、と心がけて話しかければ何とか成立する程度でしょうか。
スピーチの原稿は、みな同じ語学学校で学んだ生徒たちなので、先生の手直し加減は平等。どうしても意味が伝わらないところだけ、先生が原稿を修正されたとのことでした。

流暢さや使う単語の難易度と、スピーチの内容の濃さは比例していませんでした。
日本語能力の低い子が小学生レベルの内容を話す、ということはありません。簡単な日本語でも、言いたいことはきちんと伝えてくる。
英語らしい言い回しが日本語の端々に残っているのも、日本語としては多少不自然でも、その子が日本人ではないのだから、かえって自然に聞こえました。
聞いていて涙が出るようなスピーチもありました。
内容に聞き入っていたので、日本語の正確さがどうのということは記憶に残らないくらいでした。そのくらい、彼らのスピーチは面白かったのです。
面白い、と言えば、一生懸命「笑い」をとることに精を出しているスピーチもありました。これだけの日本語能力で人を笑わそうとするなんて、と、私もケタケタ笑いながら、感心してしまいました。
母国語ならずとも自分の言いたいことをきちんと表現できるのは、やっぱり欧米人ならではかな、とも思いました。
こういう力を、日本の子ども達ももっと伸ばすべきだ、という考えで、日本の英語スピーチコンテストが開催されているのだと思っていました。
審査の内情はまったく知りませんが、皆さんのおっしゃるようなコンテストでは、そうでもなさそうですね。

もしこの日本語スピーチ発表会がコンテストであったとしたら、日本人が「これは良かった」と評価するスピーチは、決して古川先生がご覧になった英語スピーチコンテストのような結果(内容より発音・態度重視)にはならなかったと思うのです。

身の丈にあったスピーチは、素敵です。
でも、先生方の手直し加減を自粛しましょう、と呼びかけても、それは不可能でしょう。
より高度なものを求めるのは、自然ですから。
難易度をコントロールするのも、難しいような気がします。
学校で習った単語範囲内で、なんて、余計に不自然。
審査の方向性から変っていってくれるしかないですよね。

スピーチの評価って、多読の本の読み方と同じであるべきじゃないのかな、と思います。
「難しかった」「簡単だった」「難しい単語がどのくらいあった」という感想では、本を楽しんでいることにはならない。
「おもしろかった」「つまらなかった」「泣けた!」「しらけた・・・」というなんらかのインパクトの内容で、本は評価されるもの。
スピーチの評価もそうであれば、身の丈を超えた「立派」過ぎる言葉には何の意味もなくなってくるでしょう。

スピーチを聴いている中学生、高校生に「どのスピーチが良かったか」を投票させる、なんて評価もおもしろいと思いませんか。
現状のスピーチコンテストだと、聴いてもらうのは聴衆ではなく審査員であり、その審査員を感心させようと高度なスピーチへ走っているきらいもあるのではないでしょうか。
同年代の心を動かせないスピーチは、淘汰されるという方法です。
発表生徒の「皆に聞いてもらいたい、分かってもらいたい!」という気持ちも強くなるでしょう。
普通の審査員評価と学生会場審査員評価をあわせ(歳末NHK紅白みたいに)るにしてもその比重や、会場審査員もある程度聴く力を持っている生徒をピックアップして投票してもらうのか、誰にでも投票権を与えられるのか、等によって、それぞれのスピーチコンテストの色が現れるかもしれません。

何も知らない素人が、好き勝手言っていると思われたら、どうぞお許し下さい。
でも、「聴いても発表しても楽しい英語スピーチコンテスト」が増えたら、素敵でしょうね。


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698. Re: SSS コラム  身の丈にあった英語の発信を 

お名前: 古川@SSS http://www.seg.co.jp/
投稿日: 2005/9/30(00:30)

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"スヌーピー"さん ほかのみなさん、書き込みありがとうございました。

スヌーピーさんがうまくもとめてくれたと思います。

〉日本語能力の低い子が小学生レベルの内容を話す、ということはありません。簡単な日本語でも、言いたいことはきちんと伝えてくる。

いいですねぇ!

〉内容に聞き入っていたので、日本語の正確さがどうのということは記憶に残らな
いくらいでした。そのくらい、彼らのスピーチは面白かったのです。

そうなんです。日本語の文法にミスがあるからといって、
内容があれば、聞いているときは気になっても聞いた後
には全く気になりません。

〉身の丈にあったスピーチは、素敵です。
〉でも、先生方の手直し加減を自粛しましょう、と呼びかけても、それは不可能でしょう。
〉より高度なものを求めるのは、自然ですから。

そうですね。

〉難易度をコントロールするのも、難しいような気がします。
〉学校で習った単語範囲内で、なんて、余計に不自然。
〉審査の方向性から変っていってくれるしかないですよね。

はい。

〉スピーチの評価って、多読の本の読み方と同じであるべきじゃないのかな、と思います。
〉「難しかった」「簡単だった」「難しい単語がどのくらいあった」という感想では、本を楽しんでいることにはならない。
〉「おもしろかった」「つまらなかった」「泣けた!」「しらけた・・・」というなんらかのインパクトの内容で、本は評価されるもの。
〉スピーチの評価もそうであれば、身の丈を超えた「立派」過ぎる言葉には何の意味もなくなってくるでしょう。

〉スピーチを聴いている中学生、高校生に「どのスピーチが良かったか」を投票させる、なんて評価もおもしろいと思いませんか。
〉現状のスピーチコンテストだと、聴いてもらうのは聴衆ではなく審査員であり、その審査員を感心させようと高度なスピーチへ走っているきらいもあるのではないでしょうか。

まさにそうだと思います。

〉同年代の心を動かせないスピーチは、淘汰されるという方法です。

これが一番よいと思います。
それだけだと、偏りがありすぎるかもしれないから、
「審査委員特別賞」みたいなものもあった方がいいとは思いますが、

〉発表生徒の「皆に聞いてもらいたい、分かってもらいたい!」という気持ちも強くなるでしょう。

が一番大事だと思います。

〉普通の審査員評価と学生会場審査員評価をあわせ(歳末NHK紅白みたいに)るにしてもその比重や、会場審査員もある程度聴く力を持っている生徒をピックアップして投票してもらうのか、誰にでも投票権を与えられるのか、等によって、それぞれのスピーチコンテストの色が現れるかもしれません。

〉何も知らない素人が、好き勝手言っていると思われたら、どうぞお許し下さい。
〉でも、「聴いても発表しても楽しい英語スピーチコンテスト」が増えたら、素敵でしょうね。

何もしらない素人だから、「裸の王様」が見えるということが
ありすから!!!

それでは!


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699. Re: スピコン評価、同世代の投票いいですね。 

お名前: いづこ
投稿日: 2005/9/30(00:40)

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スヌーピーさん、こんにちは。いづこです。横レス失礼します。

外国人留学生の「日本語スピーチ発表会」とは、楽しいものをご覧になれましたね!
(最近、「楽しい」は最高の誉め言葉だと思っています♪)
 
 
〉母国語ならずとも自分の言いたいことをきちんと表現できるのは、やっぱり欧米人ならではかな、とも思いました。
〉こういう力を、日本の子ども達ももっと伸ばすべきだ、という考えで、日本の英語スピーチコンテストが開催されているのだと思っていました。

本当に、そうあるべきなんですよねー。
まー、もともとできていないのだから、「自分を表現する力」を伸ばすには
コンテストという少数の参加者だけの、イベント的な機会だけでは
いかんともしがたいですよね。
せめて全員参加の予選と、多回数の機会が欲しいところです。

〉審査の内情はまったく知りませんが、皆さんのおっしゃるようなコンテストでは、そうでもなさそうですね。

残念ながら、そのようです。
 
 
〉スピーチの評価って、多読の本の読み方と同じであるべきじゃないのかな、と思います。
〉「難しかった」「簡単だった」「難しい単語がどのくらいあった」という感想では、本を楽しんでいることにはならない。
〉「おもしろかった」「つまらなかった」「泣けた!」「しらけた・・・」というなんらかのインパクトの内容で、本は評価されるもの。
〉スピーチの評価もそうであれば、身の丈を超えた「立派」過ぎる言葉には何の意味もなくなってくるでしょう。

とくにここに大きくうなずきます!
こう考えてみるとスピーチは、おお、多読に親和性がありそう。
スヌーピーさんが、この下で書かれているような状況なら、
スピーチを「聞く」という活動も意味をもちそうですし。
多読をどこかの学校、教室で通年カリキュラムにしたとき、
その中にぽんぽんスピーチの機会をいれるのもいいかも!
 
 
〉スピーチを聴いている中学生、高校生に「どのスピーチが良かったか」を投票させる、なんて評価もおもしろいと思いませんか。

すんごく思います!
いっこだけ問題点が。
自分の学校でだと、やはり友達に投票してしまうかも。
ネットで放送とかして、全国的に投票してもらうのは?(あ、中高生かどうかわからないか・・・)
細かいこと言ってごめんなさい!
ほんとにスヌーピーさんのおっしゃっているようになるといいなー、と思うので、
ついしっかり具体的に考えるうちに、ここをこうするともっと・・・とか
思ってしまうので〜。
 
 
〉現状のスピーチコンテストだと、聴いてもらうのは聴衆ではなく審査員であり、その審査員を感心させようと高度なスピーチへ走っているきらいもあるのではないでしょうか。
〉同年代の心を動かせないスピーチは、淘汰されるという方法です。
〉発表生徒の「皆に聞いてもらいたい、分かってもらいたい!」という気持ちも強くなるでしょう。
〉普通の審査員評価と学生会場審査員評価をあわせ(歳末NHK紅白みたいに)るにしてもその比重や、会場審査員もある程度聴く力を持っている生徒をピックアップして投票してもらうのか、誰にでも投票権を与えられるのか、等によって、それぞれのスピーチコンテストの色が現れるかもしれません。

いいですねー、スピーチコンテストにもそれぞれの色合いが!
みんなの投票を日本野鳥の会の方々に数えてもらったり?(ごめんなさいっ)
 
 
〉何も知らない素人が、好き勝手言っていると思われたら、どうぞお許し下さい。
〉でも、「聴いても発表しても楽しい英語スピーチコンテスト」が増えたら、素敵でしょうね。

あー、わたしもどこかのスピーチコンテストが見せていただきたーい。

スヌーピーさん、素敵なご意見をありがとうございました!


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