地雷原は続く

[掲示板: 〈過去ログ〉SSS タドキストの広場 -- 最新メッセージID: 9999 // 時刻: 2024/11/23(11:23)]

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7980. 地雷原は続く

お名前: 杏樹
投稿日: 2003/11/19(23:31)

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道化師"さん、こんにちは。

こういうことを話し出すとあれも、これも…となってしまいます。

〉そうですね。
〉定規で引いた国境はアメリカ以外にもあって、様々な問題の原因になっている。
〉でも、アメリカの国境の問題と質的に違うのは、
〉他の定規でひいた国境には、まだそこに元からいた民族が居て、
〉問題の当事者になれると言う事なんです。
〉当事者がいる限り、解決はなかなか難しいかも知れないけれど、
〉いつか解決される希望があると言う事なんです。
〉でも、アメリカの人為的国境で起こるべき問題では、
〉もう当事者が抹殺されてしまっていて、当事者能力を持たない、
〉だから、未来永劫、当事者による解決は無いと言う絶望しか無いのです。
〉これが、私の感じる「アメリカの原罪」です。

ただ、最近はネイティブ・アメリカンの立場から歴史を見直す動きがあります。「西部開拓」の時代は、インディアンは白人が「開拓」するのを邪魔する悪者にされてきましたが、近年になってやっと先住民の土地を奪っていたと言う認識が生まれてきたようです。

〉この歴史は、私も浅薄ながら多少知っています。
〉そして、この「ユダヤ人差別」を考える時、いつも、
〉「じゃあ、ユダヤ人っていったい何なんだ?」
〉と、思うのです。
〉ユダヤ教徒を指すのか、もっと広く同じ生活風習習慣を持つ人達なのか、
〉ヘブライ語を使う人たちなのか・・・。
〉そして、千年以上の長きに渡って、国を持たず、しかし、同化せず、
〉なお文化を保持し続けたのは、いったい何なのか?
〉きっと欧米に生まれ育っていると、肌で感じ取れる事なのでしょうけれど、
〉どうも日本人である私には、ピンと来ないんです。

日本人には「単一民族幻想」が根強いですから民族問題は大変理解しにくいです。しかし世界では「一つの民族、一つの国」という国の方が珍しいです。特に本当に少数しかいない民族がすぐ隣り合って住んでいて、外から見ると一体何が違うのかと思うようなこともあります。そういう時に民族を決定するのは最終的には「自己認識」なんです。自分は○×民族である、という自称です。

ユダヤ人も大ざっぱに言えばそのようなものです。ユダヤ人の家庭に生まれてユダヤ教の教えに基づいて育てられるとユダヤ人です。ヨーロッパではユダヤ人は居住地が制限されており、ヨーロッパ人からの偏見や差別もあって簡単に交じり合うことはありませんでした。またそういったユダヤ人家庭では住んでいる国の言葉のほかにヘブライ語の聖典を読むことを教えられます。そうなると成人すると自分はユダヤ人である、としか認識できなくなるわけです。

近年はヨーロッパでもそうした差別はなくなっていて(完全にはなくなっていない)、ユダヤの家庭でも厳密なユダヤ教の教育もなくなってきていますが、そうなると自分がユダヤ人であると思いさえすればそれがユダヤ人だということになるわけです。そして他の民族がユダヤ教に改宗すれば「自分はユダヤ人である」と言っても認めてもらえます。ユダヤ教に改宗してイスラエル国籍を獲得すれば完全に「ユダヤ人」になります。

数学者で大道芸人として有名なピーター・フランクルという人がいますが、この人はハンガリー生まれのユダヤ人です。数学に抜群の才能がありながら、ユダヤ人ということで進学に制限を受けて、そのため国外へ出たそうです。そして日本にまでたどり着いたわけです。第二次大戦を経てもなおヨーロッパにはユダヤ人に対する差別が残り続けており、そうした差別に会うと、ユダヤ人は自分がユダヤ人であることを強く認識せざるを得ないでしょう。

〉〉あれは9.11のテロでアメリカ人が大きな衝撃を受けたので、何か「報復」をしないと格好がつかないからです。「大本営発表」みたいに勇ましかったですね。「我々の側につくか、テロリストの側につくか!」なんて。

〉「大本営発表」で思ったのですが、きっと太平洋戦争で日本が勝っていたら、
〉今も「大東亜共栄圏」は、立派な国際的正義であり、
〉八紘一宇が日本の原罪を覆い隠す「偉大なる日本」のイデオロギーだったのかも知れません。

そうですね。なにしろいまだにその時代の夢が覚めていない人がたまにいますからね。

〉〉最近出た「帝国を壊すために」(アルンダティ・ロイ著、岩波新書)おもしろいですよ。アメリカを思い切り皮肉ってます。原書を探しかけたけど読めそうにないので先に日本語で読みました。

〉面白そうですね。それに新書なのが良いですね。
〉私はこの手の新書だと、小説より遙かに早く読めるものですから。

それならぜひどうぞ。語りかけてくるような文章に特徴があるので、原語ではどうなってるのかと思います。

〉〉アフガニスタンにソ連が侵攻して来たとき、ソ連に対抗するため武器をアフガン・ゲリラに渡したのはアメリカでした。イラン・イラク戦争の時、フセインに武器を渡したのは、イランを敵としていたアメリカでした。アメリカは自分が渡した武器によって攻撃されているのです。

〉これは、アメリカが自身の罪によって、苦しめられている構図ですから、
〉いたしかたないでしょうね。
〉いつか、アメリカと言う国が、自らの在り方を問い直し、
〉その向かう方向を大きく変えない限り、この構図は世界あちこちで続くのでしょう。

アメリカでも気がついている人はいるはずです。むしろその声を消そうとする動きが厳然として存在しているようです。

〉>ついでに、世界の民族紛争の多くは欧米の植民地政策の落し物です。

〉こういう民族紛争が多発している世界の中で、
〉日本は、アメリカ追従でイラク派兵する以外すべき事はないのでしょうか?
〉私個人的には、数年前の沖縄・九州サミットのように
〉次回の日本でのサミットが広島・長崎サミットなればと思うのです。
〉もうサミットが実務的な意味合いを無くし、セレモニー化しているのですから、
〉ここは、8月6日、8月9日を挟んで、広島・長崎に世界の首脳が集まって貰って、
〉せめて慰霊碑に献花でもすれば、少しは本気で「平和」への意志が感じられるのではないか?と思っています。

アメリカが反発しそうですね。スミソニアンの原爆展を阻止したような人たちがデモでもやりかねません。
むしろ問題なのは日本が自己主張をほとんどしないことです。派兵するのもアメリカに押し切られました、みたいな格好でポリシーもなにもない。反対する気力もない。
広島と長崎を持ち出しさえすれば、必ずしも平和を伝えることが出来る訳ではないと思います。広島・長崎に世界の首脳を集めるならば強い意志で反核・反戦を訴える姿勢が必要だと思います。慰霊碑の前でもアメリカに遠慮して献花のポーズだけとってはい終わり、さあイラクへ送る軍隊の配分を話し合いましょう、だとかえってむなしいです。

〉〉この掲示板でここまで書いていいのかと思いつつ、この辺で失礼します。

〉あっ、そういう自己規制も必要なのか・・・。
〉やっぱり、マーリー・マトリンのせいで、腑抜けているなぁ・・・。

だって、多読からどんどんずれてるし…。
これ、本当は秋男さんの定例報告スレですし…。


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8009. ドッカーン!!爆死!

お名前: 道化師
投稿日: 2003/11/20(19:15)

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こんにちは杏樹さん。

〉こういうことを話し出すとあれも、これも…となってしまいます。

あれもこれもは、私も同類です。
(私の場合は、茶化しや、混ぜっ返しが多いですが)

〉ただ、最近はネイティブ・アメリカンの立場から歴史を見直す動きがあります。「西部開拓」の時代は、インディアンは白人が「開拓」するのを邪魔する悪者にされてきましたが、近年になってやっと先住民の土地を奪っていたと言う認識が生まれてきたようです。

確かに、そういう話は聞きます。
例えば、生き残った少数のインディアンの子孫に、経済的特区を与えて、
そこで子孫はカジノを開き、莫大な利益を上げているとか。
でも、経済的恩恵を与えれば、贖罪すると思う所が、アメリカなんだなぁ。
なぜに、
「私たちは、世界でも数少ない深い精神世界を持つ民族・文明を地上から抹殺してしまった反省の上に立ち、今後あらゆる他の民族の精神を尊重し、また、民族・文明を侵害する行為に反対する」と言えないのかなぁ?
今のイラク問題に関わるイスラム文明への態度に見受けられるように、アメリカの態度はいまだに、何の反省も無く、多民族の精神・文明に尊重を欠いているとしか思えません。

〉日本人には「単一民族幻想」が根強いですから民族問題は大変理解しにくいです。しかし世界では「一つの民族、一つの国」という国の方が珍しいです。特に本当に少数しかいない民族がすぐ隣り合って住んでいて、外から見ると一体何が違うのかと思うようなこともあります。そういう時に民族を決定するのは最終的には「自己認識」なんです。自分は○×民族である、という自称です。

このお話から、私の思考は、日本国内の本当は存在する民族問題へ向かうのですが、あまりに繊細な問題なので、止めておきます。

〉ユダヤ人も大ざっぱに言えばそのようなものです。ユダヤ人の家庭に生まれてユダヤ教の教えに基づいて育てられるとユダヤ人です。ヨーロッパではユダヤ人は居住地が制限されており、ヨーロッパ人からの偏見や差別もあって簡単に交じり合うことはありませんでした。またそういったユダヤ人家庭では住んでいる国の言葉のほかにヘブライ語の聖典を読むことを教えられます。そうなると成人すると自分はユダヤ人である、としか認識できなくなるわけです。

杏樹さんのこのお話を聞くと、ナチス・ドイツのユダヤ人にした行為が、決して突出して現れたのではなく、ある歴史的必然があったのではないか?口をぬぐって皆押し黙っているけれど、欧米各国には、暗にそれを肯定する意識が当時あったのではないか?と思ってしまいます。

〉近年はヨーロッパでもそうした差別はなくなっていて(完全にはなくなっていない)、ユダヤの家庭でも厳密なユダヤ教の教育もなくなってきていますが、そうなると自分がユダヤ人であると思いさえすればそれがユダヤ人だということになるわけです。そして他の民族がユダヤ教に改宗すれば「自分はユダヤ人である」と言っても認めてもらえます。ユダヤ教に改宗してイスラエル国籍を獲得すれば完全に「ユダヤ人」になります。

これは、公の制度としての「ユダヤ人」の問題ですね。
知有蔵人や三都主が日本人であるような。
民族的アイデンティティーはまた別の問題のような気がします。
先日、「裸足の1500マイル」と言う、オーストラリアのアビリジニー同化政策による悲劇を扱った映画を見たのですが、現在、その同化政策によって、民族的アイデンティティーの喪失に苦しむアボリジニーが多いそうです。
ユダヤ民族は、この民族アイデンティティーを永年に渡って強烈に保持してきたと思えるのですが、これは逆に「被差別」を敢えて意図して選択してきた歴史でもあるように思えるのです。

〉数学者で大道芸人として有名なピーター・フランクルという人がいますが、この人はハンガリー生まれのユダヤ人です。数学に抜群の才能がありながら、ユダヤ人ということで進学に制限を受けて、そのため国外へ出たそうです。そして日本にまでたどり着いたわけです。第二次大戦を経てもなおヨーロッパにはユダヤ人に対する差別が残り続けており、そうした差別に会うと、ユダヤ人は自分がユダヤ人であることを強く認識せざるを得ないでしょう。

私の思考は、ここから「差別の構造」に向かうのですが、
これも繊細な問題なので、止めます。

〉広島と長崎を持ち出しさえすれば、必ずしも平和を伝えることが出来る訳ではないと思います。広島・長崎に世界の首脳を集めるならば強い意志で反核・反戦を訴える姿勢が必要だと思います。慰霊碑の前でもアメリカに遠慮して献花のポーズだけとってはい終わり、さあイラクへ送る軍隊の配分を話し合いましょう、だとかえってむなしいです。

私は、日本の政府やメディアの今の広島と長崎の扱い方を理解しかねています。
戦争を起こしたバチとして、広島・長崎という惨事を招いたと感じているのか、
それとも、いくら戦争とは言え、無差別大量虐殺にあたる原爆投下したアメリカへの非難として、広島・長崎を語っているのか、解らないのです。
バチならば、もっと南京大虐殺を始めとする私たちの父、祖父達の罪を問わなければならないでしょうし、非難ならば、杏樹さんの言う通りもっと核保有国へ発言しなければならないでしょう。
多分、どちらともハッキリしない曖昧な中で、広島・長崎を扱っているのでしょうけれど。
でも、この曖昧さが、忘れてはならない経験を風化させると思うのです。
ならば、せめて、どんな形にせよ、新たな認識を生む行動を取り続けなければならないと思っています。
それが例えむなしい行為であれ、何かする事で人々へ新たな認識を喚起し、
次世代へ記憶を引き継がなければならないのですから。

以上、話が千路に乱れて、殆ど爆死状態の道化師でした。
ではでは。


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8020. しっかりせよと抱き起こし・・・

お名前: 杏樹
投稿日: 2003/11/20(23:55)

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道化師さん、こんにちは。

爆死と言いつつきちんとお返事してくださるのがうれしいです。しかも基本的な考えが似ているようですので気持ちよくやり取りできます。以前別の掲示板で意見の異なる人たちと民族問題とか戦争についてやり取りしたらそれこそかみあわなくて、深みにはまらないうちに撤退しました。「実際主義」に近い人たちだった、とだけ申しておきます。

〉確かに、そういう話は聞きます。
〉例えば、生き残った少数のインディアンの子孫に、経済的特区を与えて、
〉そこで子孫はカジノを開き、莫大な利益を上げているとか。
〉でも、経済的恩恵を与えれば、贖罪すると思う所が、アメリカなんだなぁ。
〉なぜに、
〉「私たちは、世界でも数少ない深い精神世界を持つ民族・文明を地上から抹殺してしまった反省の上に立ち、今後あらゆる他の民族の精神を尊重し、また、民族・文明を侵害する行為に反対する」と言えないのかなぁ?
〉今のイラク問題に関わるイスラム文明への態度に見受けられるように、アメリカの態度はいまだに、何の反省も無く、多民族の精神・文明に尊重を欠いているとしか思えません。

まったくその通りです。アメリカ白人は価値観が一つしかないようです。他の民族を尊重するという意識がいつまでたっても生まれないようです。

〉〉日本人には「単一民族幻想」が根強いですから民族問題は大変理解しにくいです。しかし世界では「一つの民族、一つの国」という国の方が珍しいです。特に本当に少数しかいない民族がすぐ隣り合って住んでいて、外から見ると一体何が違うのかと思うようなこともあります。そういう時に民族を決定するのは最終的には「自己認識」なんです。自分は○×民族である、という自称です。

〉このお話から、私の思考は、日本国内の本当は存在する民族問題へ向かうのですが、あまりに繊細な問題なので、止めておきます。

そうですねー。「本当は存在する」のに多くの人が意識すらしていない、そこが大きな問題で。

〉杏樹さんのこのお話を聞くと、ナチス・ドイツのユダヤ人にした行為が、決して突出して現れたのではなく、ある歴史的必然があったのではないか?口をぬぐって皆押し黙っているけれど、欧米各国には、暗にそれを肯定する意識が当時あったのではないか?と思ってしまいます。

まさしくそうです。ヨーロッパでは長い年月にわたるユダヤ人差別の歴史があります。ヒトラーがやったのは極端な行為ですが、当時のヨーロッパ人は多かれ少なかれユダヤ人を差別していました。そもそも「共和国」であったドイツでなぜヒトラーとナチスが政権を取ることが出来たか。それは当時のドイツ国民の支持があったからです。もちろん、ヒトラーはアジテーションがうまくてまんまとだまされた、という側面はあるでしょうけれど。
また、アメリカも当時ユダヤ人が多く渡ってきたと言いますが、無条件に受け入れたわけではありません。移民を希望するユダヤ人が大勢乗った客船の入港を拒否し、ヨーロッパへ送り返したことがあります。

〉〉近年はヨーロッパでもそうした差別はなくなっていて(完全にはなくなっていない)、ユダヤの家庭でも厳密なユダヤ教の教育もなくなってきていますが、そうなると自分がユダヤ人であると思いさえすればそれがユダヤ人だということになるわけです。そして他の民族がユダヤ教に改宗すれば「自分はユダヤ人である」と言っても認めてもらえます。ユダヤ教に改宗してイスラエル国籍を獲得すれば完全に「ユダヤ人」になります。

〉これは、公の制度としての「ユダヤ人」の問題ですね。
〉知有蔵人や三都主が日本人であるような。
〉民族的アイデンティティーはまた別の問題のような気がします。
〉先日、「裸足の1500マイル」と言う、オーストラリアのアビリジニー同化政策による悲劇を扱った映画を見たのですが、現在、その同化政策によって、民族的アイデンティティーの喪失に苦しむアボリジニーが多いそうです。
〉ユダヤ民族は、この民族アイデンティティーを永年に渡って強烈に保持してきたと思えるのですが、これは逆に「被差別」を敢えて意図して選択してきた歴史でもあるように思えるのです。

それは、同化を強制されたアボリジニーと違って、ユダヤ人はヨーロッパ人の中に入ってくることを拒絶されていたからではないでしょうか。そしてユダヤ人には「選民思想」があり、約束の土地へ帰るという強い意志を受け継いできました。それゆえキリスト教に改宗することを拒み、ヨーロッパ社会で被差別民であることに忍従してきたのでしょう。差別を受けながらも自分たちは神に選ばれた特別な民族だと思っていたわけです。

〉私は、日本の政府やメディアの今の広島と長崎の扱い方を理解しかねています。
〉戦争を起こしたバチとして、広島・長崎という惨事を招いたと感じているのか、
〉それとも、いくら戦争とは言え、無差別大量虐殺にあたる原爆投下したアメリカへの非難として、広島・長崎を語っているのか、解らないのです。
〉バチならば、もっと南京大虐殺を始めとする私たちの父、祖父達の罪を問わなければならないでしょうし、非難ならば、杏樹さんの言う通りもっと核保有国へ発言しなければならないでしょう。
〉多分、どちらともハッキリしない曖昧な中で、広島・長崎を扱っているのでしょうけれど。
〉でも、この曖昧さが、忘れてはならない経験を風化させると思うのです。

アメリカへの非難なら、広島・長崎以前に東京大空襲、大阪大空襲をはじめ、日本の無数の都市が空襲に遭っています。一発落としてさっさと帰ることのできる原爆はそれゆえ恐ろしい兵器でもありますが、無数の爆弾、焼夷弾(空襲経験のある母親はこの区別がしっかりあるんですが、わたしはよくわからない)を次々に落として、街が燃える様がはっきり見える状態で爆撃をし続けた兵士の心情はいかがなものかと思います。
私は広島・長崎だけ声高に叫ぶのではなく、当時日本中がアメリカの爆撃によって焼き尽くされたことも訴えたいです。一体パールハーバーの何倍の人が犠牲になったんでしょう?無抵抗の民間人が犠牲になることの恐ろしさをアメリカはもっと知るべきですし、日本はそれを訴えるべきだと思います。でもどこか及び腰なのは、アメリカに対してモノを言うのがはばかられるのか、それとも日本人特有の「沈黙は金」の美徳を守っているのか…。

それから「バチ」という考え方は間違ってると思います。その「バチ」は戦争をおこした張本人ではなく、無抵抗の民間人の上に落ちてきますから。

〉ならば、せめて、どんな形にせよ、新たな認識を生む行動を取り続けなければならないと思っています。
〉それが例えむなしい行為であれ、何かする事で人々へ新たな認識を喚起し、
〉次世代へ記憶を引き継がなければならないのですから。

まさしくその通りです。記憶を引き継ぎ新たな認識を喚起する行動を途切れないようにしたいです。

〉以上、話が千路に乱れて、殆ど爆死状態の道化師でした。

それではお大事に。


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8040. 我死せど君悲しみ給う事なかれ・・・ガクッ!

お名前: 道化師
投稿日: 2003/11/21(21:09)

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杏樹さん、こんにちは。いつまでも遊んでくれてありがとうです。
「しっかりせよと抱き起こし・・・」と言われて、
杏樹さんの胸に抱かれた自分の姿を想像してしまいました(笑)
(とは言っても、杏樹さんの姿は知らないのですが)
無理をしてでも、タドキスト全国大会にいらっしゃいません?

〉爆死と言いつつきちんとお返事してくださるのがうれしいです。しかも基本的な考えが似ているようですので気持ちよくやり取りできます。以前別の掲示板で意見の異なる人たちと民族問題とか戦争についてやり取りしたらそれこそかみあわなくて、深みにはまらないうちに撤退しました。「実際主義」に近い人たちだった、とだけ申しておきます。

「実際主義」に近い人たちが何を言われるかは、大体想像出来ますね。
結局、そういう人たちの考え方の行き着く所は、
「あなた自身の親、妻、子が殺されてもあなたは黙って居られるのか?」
と言う事なのだろうと思います。
これは、これでもっともな意見で、なかなかこういう意見に抗するのは難しいのですが、私自身はそういう意見と私なりの意見をどう擦り寄せて行くか考えるのは嫌いではありません。
(実は、杏樹さんとのやりとりの間に、いつそういう実際主義的意見の横リプが入って来ないか、待ってる所もあるのですが)

〉〉杏樹さんのこのお話を聞くと、ナチス・ドイツのユダヤ人にした行為が、決して突出して現れたのではなく、ある歴史的必然があったのではないか?口をぬぐって皆押し黙っているけれど、欧米各国には、暗にそれを肯定する意識が当時あったのではないか?と思ってしまいます。

〉まさしくそうです。ヨーロッパでは長い年月にわたるユダヤ人差別の歴史があります。ヒトラーがやったのは極端な行為ですが、当時のヨーロッパ人は多かれ少なかれユダヤ人を差別していました。そもそも「共和国」であったドイツでなぜヒトラーとナチスが政権を取ることが出来たか。それは当時のドイツ国民の支持があったからです。もちろん、ヒトラーはアジテーションがうまくてまんまとだまされた、という側面はあるでしょうけれど。

「ナチスの宣伝は、とても上手で、ドイツ国民をまんまとだました」側面は良く言われる事ですが、私はこの意見には、とても懐疑的です。果たして本当に騙されていたのか?騙されたふりをしていたのではないか?騙されていたとして、それは望んで騙されたのではないか?真実を見ないようにしていたのではないか?と思うのです。
卑近な例で恐縮ですが、悪い男と別れられない女性が、周りの忠告も聞かず、自分でも本当はどんな男か知っているのに、自分の都合の良い夢(彼は私を愛しているに違いない)を見たいが為に、騙されているのと同じなのではないかと思うのです。
知らなかったとか騙されていたというのは、贖罪にはならないと思います。勿論、騙す、知らせない、つまり情報操作する側に第一義的に責任が在るし、法的責任はこの第一義的責任に課せられるでしょう。でも、道義的、とどのつまりは、各個人個人の良心の問題として罪を負わなければならないと思います。
これは、繰り返しになりますが、アメリカも同じです。「正義」と言う、それこそアメリカに都合の良い夢、皮肉な言葉に「アメリカンドリーム」と言うのが有りますが、まさに「アメリカンドリーム」を見るために、アメリカ国民の多くが事実に目をつむり、騙されようとしているのだと思います。
更に、後ほど書きますが、日本人にとっても、同じだと思うのです。

〉また、アメリカも当時ユダヤ人が多く渡ってきたと言いますが、無条件に受け入れたわけではありません。移民を希望するユダヤ人が大勢乗った客船の入港を拒否し、ヨーロッパへ送り返したことがあります。

dumboさんも書かれていましたが、この時のアメリカの態度は「ユダヤ人の富と知性」を受け入れたかったのであって、それに該当しない一般のユダヤ人は、アメリカにとっておまけに過ぎなかったのではないのでしょうか。

〉それは、同化を強制されたアボリジニーと違って、ユダヤ人はヨーロッパ人の中に入ってくることを拒絶されていたからではないでしょうか。そしてユダヤ人には「選民思想」があり、約束の土地へ帰るという強い意志を受け継いできました。それゆえキリスト教に改宗することを拒み、ヨーロッパ社会で被差別民であることに忍従してきたのでしょう。差別を受けながらも自分たちは神に選ばれた特別な民族だと思っていたわけです。

つまり、ナチス・ドイツの「優越人種としてのアーリア人と劣等人種としてのユダヤ人」に対象的にユダヤ人側にも「選民思想」があったと言う事になる訳ですね。
いや、むしろナチスの「優越人種」の発想の元にユダヤの選民思想があったかも知れないですね。

〉アメリカへの非難なら、広島・長崎以前に東京大空襲、大阪大空襲をはじめ、日本の無数の都市が空襲に遭っています。一発落としてさっさと帰ることのできる原爆はそれゆえ恐ろしい兵器でもありますが、無数の爆弾、焼夷弾(空襲経験のある母親はこの区別がしっかりあるんですが、わたしはよくわからない)を次々に落として、街が燃える様がはっきり見える状態で爆撃をし続けた兵士の心情はいかがなものかと思います。

私の父も昭和6年の生まれで東京の生まれ育ちなので、13.4才の多感な時期に空襲の経験を持っているので、よく空襲の話は聞かされました。焼夷弾というのは爆風による破壊ではなく、キャンプなどに使うようなグリース状の燃料を火を付けた状態で鉄パイプから吹き上げる代物のようです。日本の家屋が木と紙で出来ているという当時の状況に合わせた作戦です。
こういう性質を持った焼夷弾ですから、多分、落とした兵士も「家屋を燃やす為にしているのであって、人を殺すのが本来の目的では無い。死んでもそれは副次的な結果に過ぎない」と考えていたに違いありません。(こういう心理的言い訳は必ずあった筈です。)そして、燃える街を見て「美しい」感じていたかも知れない。死んでいく人の顔を見ない限り、意外と淡々としていたと思うのです。

〉私は広島・長崎だけ声高に叫ぶのではなく、当時日本中がアメリカの爆撃によって焼き尽くされたことも訴えたいです。一体パールハーバーの何倍の人が犠牲になったんでしょう?無抵抗の民間人が犠牲になることの恐ろしさをアメリカはもっと知るべきですし、日本はそれを訴えるべきだと思います。でもどこか及び腰なのは、アメリカに対してモノを言うのがはばかられるのか、それとも日本人特有の「沈黙は金」の美徳を守っているのか…。

日本という国が及び腰なのは、アメリカに対してモノを言うのがはばかられるからでしょうね。
それに、日本人が被害者になったのは戦争遂行能力が欠けていただけで、もし日本がハワイを制圧し、アメリカ本土への制空権を握っていたら、同じ事をし、ロスアンジェルスやサンフランシスコに「特殊爆弾」を落としていたでしょうから。
それとは別の問題として、私は「日本人はこんなに多くの民をあなた方アメリカに殺された」と訴えるのは、二度とこのような悲劇を起こさないという解決には至らないと思えるのです。
現に、9.11で多数(と言っても、戦争時の民間人の犠牲者とは較べ物になりませんが)の民間人が犠牲になった恐ろしさを知ったアメリカはどうしたか?結論は「殺される前に殺せ」です。

〉それから「バチ」という考え方は間違ってると思います。その「バチ」は戦争をおこした張本人ではなく、無抵抗の民間人の上に落ちてきますから。

先程書いた「一般ドイツ国民」の良心の問題としての罪と同様に、例え無抵抗な民間人であろうと、日本人もまた「戦争を起こした当事国」の国民として、罪から逃れる事は出来ないと考えます。「バチ」と言う言い方は、「じゃあバチが当たらなければ何をしても良いのか」と言う話になってしまうから、間違いと言えると思いますが、とにかく罪の意識は持たないといけないと思うのです。

〉〉ならば、せめて、どんな形にせよ、新たな認識を生む行動を取り続けなければならないと思っています。
〉〉それが例えむなしい行為であれ、何かする事で人々へ新たな認識を喚起し、
〉〉次世代へ記憶を引き継がなければならないのですから。

〉まさしくその通りです。記憶を引き継ぎ新たな認識を喚起する行動を途切れないようにしたいです。

これこそ「歴史」の担う使命でしょう。
昨今「歴史」は存在しない、そこには「物語」が存在するだけだと言う意見を耳にしますが、確かに一理あると思います。
従来、「歴史」とは客観的事実のような装いを見せて、実態は当時の権力の正統性を説く「物語」だったのですから。
過去の事実は、その当てる照明の角度で、いかようにも解釈できるのです。何故なら少なくても数百万人から数千万人という人々の営み全てを記述仕切れる訳は無いのですから、そこには当然、都合の良い事実を選択し、都合の悪い事実を捨てるという作業が宿命として背負っているからです。
杏樹さんの詳しい中国の歴史が「中華思想」の体現であったように。
客観的「歴史」が不可能なものであるならば、むしろ私達はどのような「歴史」を持つべきか議論すべきだと考えます。
そして私は日本人ひいては人間という存在が、避けては通れない「罪」を誰もが背負っているのだと言う物語を説く「歴史」を持つべきだと思います。
そう言う視点からの「広島・長崎」の歴史を語るべきだと。

ガクッ・・・。
以上杏樹さんの腕に抱かれながら、往生際の台詞でした。
(うーん、ミュージカルのように往生際が悪い)
次があれば、ゾンビ道化師です。(笑)


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[爆笑] 8043. Re: 我死せど君悲しみ給う事なかれ・・・ガクッ!

お名前: まりあ@SSS http://www.buhimaman.jp/
投稿日: 2003/11/21(22:13)

------------------------------

"道化師"さんは[url:kb:8040]で書きました:
〉杏樹さん、こんにちは。いつまでも遊んでくれてありがとうです。
〉「しっかりせよと抱き起こし・・・」と言われて、
〉杏樹さんの胸に抱かれた自分の姿を想像してしまいました(笑)

ミュージカル「美女と野獣」
杏樹さん、目撃証人 まりあです。


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8050. Re: 我死せど君悲しみ給う事なかれ・・・ガクッ!

お名前: 道化師
投稿日: 2003/11/21(23:43)

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まりあさん、こんばんは。

"まりあ@SSS"さんは[url:kb:8043]で書きました:
〉"道化師"さんは[url:kb:8040]で書きました:
〉〉杏樹さん、こんにちは。いつまでも遊んでくれてありがとうです。
〉〉「しっかりせよと抱き起こし・・・」と言われて、
〉〉杏樹さんの胸に抱かれた自分の姿を想像してしまいました(笑)

〉 ミュージカル「美女と野獣」
〉杏樹さん、目撃証人 まりあです。

あのー、「野獣」が呪いを解かれた後の「王子様」ですよね・・・?


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8051. 友は野末の石の下

お名前: 杏樹
投稿日: 2003/11/21(23:56)

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道化師さん、こんにちは。

〉杏樹さん、こんにちは。いつまでも遊んでくれてありがとうです。

こちらこそとことん相手にしてくださってありがとうございます。

〉「しっかりせよと抱き起こし・・・」と言われて、
〉杏樹さんの胸に抱かれた自分の姿を想像してしまいました(笑)
〉(とは言っても、杏樹さんの姿は知らないのですが)

今度は石の下に埋めてしまいました。(一応聞きますが、もとネタわかりますよね?)

〉無理をしてでも、タドキスト全国大会にいらっしゃいません?

道化師さんの夢を壊さないよう隠れておきます。

〉「実際主義」に近い人たちが何を言われるかは、大体想像出来ますね。
〉結局、そういう人たちの考え方の行き着く所は、
〉「あなた自身の親、妻、子が殺されてもあなたは黙って居られるのか?」
〉と言う事なのだろうと思います。
〉これは、これでもっともな意見で、なかなかこういう意見に抗するのは難しいのですが、私自身はそういう意見と私なりの意見をどう擦り寄せて行くか考えるのは嫌いではありません。
〉(実は、杏樹さんとのやりとりの間に、いつそういう実際主義的意見の横リプが入って来ないか、待ってる所もあるのですが)

そういえば入ってきませんね。
アメリカから守ってもらわなかったらどうするんだとか…。ソ連の脅威がなくなったら「北朝鮮がテポドンを撃ってきたらどうするんだ」と言うようになったし。

〉「ナチスの宣伝は、とても上手で、ドイツ国民をまんまとだました」側面は良く言われる事ですが、私はこの意見には、とても懐疑的です。果たして本当に騙されていたのか?騙されたふりをしていたのではないか?騙されていたとして、それは望んで騙されたのではないか?真実を見ないようにしていたのではないか?と思うのです。

当時のドイツは第一次大戦の補償金で経済が行き詰まって極端のインフレに悩まされ、国民の間に不満が広がっていました。そういう時、「敵」を作って注意をそらせるというのは為政者がよくやることです。ブッシュも9.11テロのショックを受けたアメリカ国民をなだめるために「敵」を攻撃しなくてはならなかったのです。それに引っかかる方も愚かなのは確かですけれど。

〉卑近な例で恐縮ですが、悪い男と別れられない女性が、周りの忠告も聞かず、自分でも本当はどんな男か知っているのに、自分の都合の良い夢(彼は私を愛しているに違いない)を見たいが為に、騙されているのと同じなのではないかと思うのです。

そういう考え方も出来ますね。

〉知らなかったとか騙されていたというのは、贖罪にはならないと思います。勿論、騙す、知らせない、つまり情報操作する側に第一義的に責任が在るし、法的責任はこの第一義的責任に課せられるでしょう。でも、道義的、とどのつまりは、各個人個人の良心の問題として罪を負わなければならないと思います。
〉これは、繰り返しになりますが、アメリカも同じです。「正義」と言う、それこそアメリカに都合の良い夢、皮肉な言葉に「アメリカンドリーム」と言うのが有りますが、まさに「アメリカンドリーム」を見るために、アメリカ国民の多くが事実に目をつむり、騙されようとしているのだと思います。
〉更に、後ほど書きますが、日本人にとっても、同じだと思うのです。

知らなかった、というのは確かに贖罪にはならないでしょう。しかし当時のものの見方、考え方からすると、現代人と同じ「良心」を持てといっても難しい面があったとは思うのです。ただ、それを言い訳にするのではなく過去に起こしたことを「過ち」であることを認め、二度と起こさないよう意識を変えていく努力をするのが贖罪になると思います。その「過ち」すら認めないで「知らなかった」「当時の情勢からすると仕方がなかった」と逃げを打っている人がたくさんいるのは悲しいことです。

〉〉また、アメリカも当時ユダヤ人が多く渡ってきたと言いますが、無条件に受け入れたわけではありません。移民を希望するユダヤ人が大勢乗った客船の入港を拒否し、ヨーロッパへ送り返したことがあります。

〉dumboさんも書かれていましたが、この時のアメリカの態度は「ユダヤ人の富と知性」を受け入れたかったのであって、それに該当しない一般のユダヤ人は、アメリカにとっておまけに過ぎなかったのではないのでしょうか。

つまりアメリカはユダヤ人の移民を歓迎したのではなくて、アメリカにとってプラスになる富と知性だけが必要だったのです。

〉〉それは、同化を強制されたアボリジニーと違って、ユダヤ人はヨーロッパ人の中に入ってくることを拒絶されていたからではないでしょうか。そしてユダヤ人には「選民思想」があり、約束の土地へ帰るという強い意志を受け継いできました。それゆえキリスト教に改宗することを拒み、ヨーロッパ社会で被差別民であることに忍従してきたのでしょう。差別を受けながらも自分たちは神に選ばれた特別な民族だと思っていたわけです。

〉つまり、ナチス・ドイツの「優越人種としてのアーリア人と劣等人種としてのユダヤ人」に対象的にユダヤ人側にも「選民思想」があったと言う事になる訳ですね。
〉いや、むしろナチスの「優越人種」の発想の元にユダヤの選民思想があったかも知れないですね。

どの民族も多かれ少なかれ自画自賛しますからね。「中華の民」はもちろん、「日いづる国」「日ノ本」とか、「朝日のように鮮やかな」とか。自国、民族に誇りを持つのはけっこうですが、差別につながるのが困りもの。

〉私の父も昭和6年の生まれで東京の生まれ育ちなので、13.4才の多感な時期に空襲の経験を持っているので、よく空襲の話は聞かされました。焼夷弾というのは爆風による破壊ではなく、キャンプなどに使うようなグリース状の燃料を火を付けた状態で鉄パイプから吹き上げる代物のようです。日本の家屋が木と紙で出来ているという当時の状況に合わせた作戦です。
〉こういう性質を持った焼夷弾ですから、多分、落とした兵士も「家屋を燃やす為にしているのであって、人を殺すのが本来の目的では無い。死んでもそれは副次的な結果に過ぎない」と考えていたに違いありません。(こういう心理的言い訳は必ずあった筈です。)そして、燃える街を見て「美しい」感じていたかも知れない。死んでいく人の顔を見ない限り、意外と淡々としていたと思うのです。

でしょうね。特に「敵国」を爆撃するんですからそんなことにかまってられないでしょうね。
ただ、第二次大戦では無差別爆撃が平気で行われていましたが、アフガニスタンやイラクへの攻撃では民間人や民間施設を爆撃すると即世界中に報道され非難の声があがりました。50年前ならアメリカもバグダードを大々的に空爆して焼き尽くして制圧したと思います。しかし民間人に配慮しなければならない時代になったのでそれができなかった。少しは人類も進歩したのかなと思います。

〉日本という国が及び腰なのは、アメリカに対してモノを言うのがはばかられるからでしょうね。
〉それに、日本人が被害者になったのは戦争遂行能力が欠けていただけで、もし日本がハワイを制圧し、アメリカ本土への制空権を握っていたら、同じ事をし、ロスアンジェルスやサンフランシスコに「特殊爆弾」を落としていたでしょうから。
〉それとは別の問題として、私は「日本人はこんなに多くの民をあなた方アメリカに殺された」と訴えるのは、二度とこのような悲劇を起こさないという解決には至らないと思えるのです。
〉現に、9.11で多数(と言っても、戦争時の民間人の犠牲者とは較べ物になりませんが)の民間人が犠牲になった恐ろしさを知ったアメリカはどうしたか?結論は「殺される前に殺せ」です。

私はアメリカ人が「原爆のおかげで戦争が終わった」という評価に異議を唱えるためにも、原爆が落とされる以前に日本中が空襲で焼き尽くされていたことを伝えることは意義のあることだと思います。アメリカ人は突然落ちてきた原爆に驚いた日本が慌てて降参した、みたいなイメージを持っているんじゃないでしょうか。日本が無条件降伏を受け入れたのはソ連の侵攻があったためでもありますが、きっとそれも知らないんですよ。だから原爆の功績を必要以上に美化するんです。

確かに日本も戦争がうまくいっていたら同じようなことをしたでしょう。しかし日本はボロボロになって負けました。だからこそ戦争は悲惨なもの、というインプットができあがりました。アメリカは戦争に負けたことがなく、自分の住んでいる町が爆撃されて一般市民が炎の中を逃げるような経験をしたことがないため、いつまでたっても戦争に対してダーティーなイメージよりも栄光とか勝利とかのイメージを抱いてしまいます。そしていつまでも「アメリカン・ドリーム」を夢見てる。日本は「大日本帝国」の夢から覚めてよかったと思います。二度と見ないようにするために、国民一人一人が気をつけなくてはいけません。

〉〉それから「バチ」という考え方は間違ってると思います。その「バチ」は戦争をおこした張本人ではなく、無抵抗の民間人の上に落ちてきますから。

〉先程書いた「一般ドイツ国民」の良心の問題としての罪と同様に、例え無抵抗な民間人であろうと、日本人もまた「戦争を起こした当事国」の国民として、罪から逃れる事は出来ないと考えます。「バチ」と言う言い方は、「じゃあバチが当たらなければ何をしても良いのか」と言う話になってしまうから、間違いと言えると思いますが、とにかく罪の意識は持たないといけないと思うのです。

それはもっともです。しかし戦争責任はやはりはっきりさせなくてはなりません。一般の国民が完全に無実だとは言えないとしても、民間人と為政者の罪は同等にはならないと思います。「私の反省」は必要ですが、しかしそれで終わらせることは出来ません。戦争を起こしたもの、起こそうとするものに対して厳しい目を向けていかなくてはいけません。民間人同士で謝罪してるのに政府は知らんぷり、ということも起こるわけで。南京にある大虐殺記念館では日本人が千羽鶴やたくさんのお便りを寄せて謝罪を表明しているのに、日本の首相は毎年靖国神社への参拝を欠かしません。

〉〉〉ならば、せめて、どんな形にせよ、新たな認識を生む行動を取り続けなければならないと思っています。
〉〉〉それが例えむなしい行為であれ、何かする事で人々へ新たな認識を喚起し、
〉〉〉次世代へ記憶を引き継がなければならないのですから。

〉〉まさしくその通りです。記憶を引き継ぎ新たな認識を喚起する行動を途切れないようにしたいです。

〉これこそ「歴史」の担う使命でしょう。
〉昨今「歴史」は存在しない、そこには「物語」が存在するだけだと言う意見を耳にしますが、確かに一理あると思います。
〉従来、「歴史」とは客観的事実のような装いを見せて、実態は当時の権力の正統性を説く「物語」だったのですから。
〉過去の事実は、その当てる照明の角度で、いかようにも解釈できるのです。何故なら少なくても数百万人から数千万人という人々の営み全てを記述仕切れる訳は無いのですから、そこには当然、都合の良い事実を選択し、都合の悪い事実を捨てるという作業が宿命として背負っているからです。
〉杏樹さんの詳しい中国の歴史が「中華思想」の体現であったように。
〉客観的「歴史」が不可能なものであるならば、むしろ私達はどのような「歴史」を持つべきか議論すべきだと考えます。
〉そして私は日本人ひいては人間という存在が、避けては通れない「罪」を誰もが背負っているのだと言う物語を説く「歴史」を持つべきだと思います。
〉そう言う視点からの「広島・長崎」の歴史を語るべきだと。

まさしくそうです。歴史の解釈や見方はどんどん変わっていきます。絶対的な歴史的事実というものはないといってもいいです。歴史をどう解釈するか、ということは、現在自分がどのように生きるか、世界をどのように見るか、ということに深くかかわってきます。

〉ガクッ・・・。
〉以上杏樹さんの腕に抱かれながら、往生際の台詞でした。
〉(うーん、ミュージカルのように往生際が悪い)

瀕死なのに歌を歌ってるとか?

〉次があれば、ゾンビ道化師です。(笑)

イタコにでもなって霊を呼び出したりして。


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8063. 友は野末陳平の脇の下

お名前: 道化師
投稿日: 2003/11/22(04:43)

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杏樹さん、こんばんは。
真夜中に子供のゲロ騒動で叩き起こされて、目が冴えてしまって眠れない道化師です。

〉こちらこそとことん相手にしてくださってありがとうございます。

とことんお付き合いしたいのですが、どうやら私の元から浅い教養が底をついて来たようです。(悲)

〉今度は石の下に埋めてしまいました。(一応聞きますが、もとネタわかりますよね?)

ごめんなさい。解りません。本当に解りません。
秋男さんのように知ってて知らぬふりじゃありません。
私、そんな事しません。
(知らないのに知ってるふりはしますが←恥)
ここは、聞かぬは一生の恥で、お願いします。
「おせーて!」

〉道化師さんの夢を壊さないよう隠れておきます。

先程から杏樹さんについての「夢」が出来上がりました。
上でまりあさんが「美女と野獣」となぞらえたので、
「やや?」と思い、杏樹さんに対する人物評をあちらこちらで探し読みしてきました。
どうやら、「大阪」「ツッコミ」の文字上のイメージで上沼恵美子を想像してたんですが、だいぶ違うと言う事が解りました。
「美女」なんですね?
(美女マニア心をくすぐるなぁ。恋しそう!!)

因みに私は多分、文字上のイメージとおりです。
「野獣」じゃないでしょ?
(ねっ、東京の皆さん!)

以上、本当に書きたい事はここまでで、後は余談です。

〉アメリカから守ってもらわなかったらどうするんだとか…。ソ連の脅威がなくなったら「北朝鮮がテポドンを撃ってきたらどうするんだ」と言うようになったし。

やっぱり、そうか。

〉当時のドイツは第一次大戦の補償金で経済が行き詰まって極端のインフレに悩まされ、国民の間に不満が広がっていました。そういう時、「敵」を作って注意をそらせるというのは為政者がよくやることです。ブッシュも9.11テロのショックを受けたアメリカ国民をなだめるために「敵」を攻撃しなくてはならなかったのです。それに引っかかる方も愚かなのは確かですけれど。

「愚か」なふりですね。
「愚か者」を装うのは、性質の悪い「知恵者」のよくやる手です。
愚か者を装い、引っかかったふりをして、抜け目なく立ち回り、ほくそ笑む。
多分、ロスチャイルドなどはその類でしょう。
日本で言えば・・・おっと、これを言っては東京湾に沈められてしまう。

〉知らなかった、というのは確かに贖罪にはならないでしょう。しかし当時のものの見方、考え方からすると、現代人と同じ「良心」を持てといっても難しい面があったとは思うのです。ただ、それを言い訳にするのではなく過去に起こしたことを「過ち」であることを認め、二度と起こさないよう意識を変えていく努力をするのが贖罪になると思います。その「過ち」すら認めないで「知らなかった」「当時の情勢からすると仕方がなかった」と逃げを打っている人がたくさんいるのは悲しいことです。

今から50年後の人達が、「あの当時では仕方なかった」と言うかも知れない、
今、現在、ここで「知らない」で済ましている私の「過ち」が何なのか?
環境への無配慮か?資源の浪費か?我が子への心ない言葉か?
それは「今」は、解りませんが、将来「仕方なかった」と逃げを打つ事はしたくないものです。

〉どの民族も多かれ少なかれ自画自賛しますからね。「中華の民」はもちろん、「日いづる国」「日ノ本」とか、「朝日のように鮮やかな」とか。自国、民族に誇りを持つのはけっこうですが、差別につながるのが困りもの。

困った事に、人間の集団は、結局排除(=差別)される者があって、はじめて確立されると言う構造を持っていると思います。
「○○ではない私達」と言うことで、繋がり合うのです。「○○でない」事に誇りを持つのです。
異端分子があって、はじめて同質性が維持されるのです。
だから常に「○○な者」を認識出来る程度に手近に置いておく必要があるのです。
歴史的には杏樹さんが詳しく書かれたユダヤ人がヨーロッパでその役割を担ったのでしょうし、開国前の日本が被差別部落を村の周辺に置き、近代日本が朝鮮を差別的に扱ったのも、この構造があるからだと思うのです。
アメリカが建国以来、常に「敵」を持ってきたのも、「移民による他民族国家」と言う性質上、自らが「国家」としてまとまる上で必要だったからだと思います。
(と、この理屈は今をさること十数年前の私の卒論のテーマでした。進歩が無いなぁ)
あっ、誤解が無いように付け加えますが、だから「差別の構造」は必要悪なのだと言いたい訳では無いのです。いかに必要悪をゼロに近づけていくかを考えなければならないと言うことに本意があります。

〉ただ、第二次大戦では無差別爆撃が平気で行われていましたが、アフガニスタンやイラクへの攻撃では民間人や民間施設を爆撃すると即世界中に報道され非難の声があがりました。50年前ならアメリカもバグダードを大々的に空爆して焼き尽くして制圧したと思います。しかし民間人に配慮しなければならない時代になったのでそれができなかった。少しは人類も進歩したのかなと思います。

でも、その前は戦争とは兵士同士の闘いであり、戦闘の横で農民は黙々と農作業をしていた時代があり、その前は、こんどは兵士と一般人の区別も無く、負けた国の民はみな殺されるか奴隷にされた時代がありと、行ったり来たりにも感じます。
現に、湾岸戦争当時より今回のイラク戦争では遙かに情報統制が行き届いていて、また戦争の実態が解りにくくなりました。

〉私はアメリカ人が「原爆のおかげで戦争が終わった」という評価に異議を唱えるためにも、原爆が落とされる以前に日本中が空襲で焼き尽くされていたことを伝えることは意義のあることだと思います。アメリカ人は突然落ちてきた原爆に驚いた日本が慌てて降参した、みたいなイメージを持っているんじゃないでしょうか。日本が無条件降伏を受け入れたのはソ連の侵攻があったためでもありますが、きっとそれも知らないんですよ。だから原爆の功績を必要以上に美化するんです。

なるほど。杏樹さんの意図はそこにあるのですね。納得です。

〉確かに日本も戦争がうまくいっていたら同じようなことをしたでしょう。しかし日本はボロボロになって負けました。だからこそ戦争は悲惨なもの、というインプットができあがりました。アメリカは戦争に負けたことがなく、自分の住んでいる町が爆撃されて一般市民が炎の中を逃げるような経験をしたことがないため、いつまでたっても戦争に対してダーティーなイメージよりも栄光とか勝利とかのイメージを抱いてしまいます。そしていつまでも「アメリカン・ドリーム」を夢見てる。日本は「大日本帝国」の夢から覚めてよかったと思います。二度と見ないようにするために、国民一人一人が気をつけなくてはいけません。

アメリカも南北戦争という悲惨な国内戦をやって、その反省の上に建国した筈なのですが、その記憶も英雄伝説のようになってしまい風化したんでしょうね。
杏樹さんの言われる日本のインプットも、だいぶ賞味期限が切れて来ているようです。戦争体験者が現役の一戦にいた30年前では、イラク派兵なんて決して可決されていなかったでしょう。

〉それはもっともです。しかし戦争責任はやはりはっきりさせなくてはなりません。一般の国民が完全に無実だとは言えないとしても、民間人と為政者の罪は同等にはならないと思います。「私の反省」は必要ですが、しかしそれで終わらせることは出来ません。戦争を起こしたもの、起こそうとするものに対して厳しい目を向けていかなくてはいけません。民間人同士で謝罪してるのに政府は知らんぷり、ということも起こるわけで。南京にある大虐殺記念館では日本人が千羽鶴やたくさんのお便りを寄せて謝罪を表明しているのに、日本の首相は毎年靖国神社への参拝を欠かしません。

うーん。
ツッコミの杏樹さんにツッコミを入れるのは恐い気がするのですが、はまこさんの書き込みに「どんどん入れて」とあるので、入れますが・・・。
それに所詮、東京から離れた事の無い人間に本当の「ツッコミ」が解る筈も無いので、ご容赦を願って・・・。
(5.6人まとめてかかっても、投げ飛ばしていただけるようなので)
「戦争責任」と言うのは、言葉として存在しても、実態の無い言葉の典型だと思うのです。為政者の「戦争責任」と言う時、それは「敗戦責任」なんですね。勝てば決して責任は問われない。それは東京裁判でもニュールンベルグ裁判でもそうでした。チャーチルだって、トルーマンだって、スターリンだって戦争責任は問われなかったのです。更に、国民が為政者に問う物ではなく、戦勝国が敗戦国に突きつけるものです。戦争に勝ったか負けたかでどちらに転ぶか解らない責任を問うというのは、はなはだ矛盾に満ちているのです。確か東京裁判でも、インドの判事(パール判事と言ったかな?)が「国際法上、戦争は責任が問えるのか?」と同様の主旨の事を問うていたと思います。
じゃあ、既存の「戦争責任」に実態が無いのならば、国民が為政者に問う「戦争責任」が実態として作れるのかと言うと、これも難しい。もし、勝って国に利益をもたらし、国民生活が豊かになった時、それでも国民は為政者に責任をとれと言えるのか?と思うのです。やはり「戦争を起こして負けて、こんな悲惨な目に遭わせた責任を取れ」と言う「敗戦責任」になってしまうと思うのです。となると、次の論理の展開は「戦争は負けない戦争であれば責任は問われない」となり、弱小国への侵略となって行くと思うのです。
私が「反省」と言わず、多分に形而上的に「罪」と言うのはこの点なのです。「反省」は、どうすれば次は失敗しないか、どうすれば「負けないか」に繋がりかねないのです。贖罪されない「罪」を背負い、それでも、それを贖っていこうとする姿と自ずと違うと思うのです。
責任と反省は失敗しない道を歩ませ、罪はより良き道を歩ませると思うのです。随分と宗教的な言い方ですが、人間一人一人が自らの内にある「罪」を意識しない限り、他者への寛容、譲歩、共感は生まれないと思うのです。この考え方は、「りんごを食べてエデンの園を追われて以来、人間が抱える原罪」というキリスト教の発想に似ているかも知れません。が、このキリスト教の「原罪」という意識を「弱者のルサンチマンである」として否定し、「力への意志」を説いたニーチェの哲学は、ハイデカーを経由して間違いなくナチス・ドイツの思想へと繋がったのです。
良く言われる事に「犯罪」としての殺人より、「正義」の為の殺人の方がはるかに大規模で残虐であると言うのがありますが、真実であると思います。
犯罪としての殺人は殺人者に「罪の意識」がありますから、最小限の殺人に留まりますが、「正義の殺人」は「正義」のより完全な実現の為に最大限の殺人を行います。
「戦争責任」を裁く側に「罪」の意識無く「責任」を取らせるという「正義」を振りかざした時、それは戦争に一歩近づいた事になると思うのです。
そして「罪」を考えた時、それは為政者と一般国民にその軽重があるとは思えないのです。これは為政者の立場にある人の罪を軽くすると言うのではなく、一般国民の罪もまた為政者と同じ重さであると思うのです。そのくらいの「罪の重さ」を感じて初めて真剣に為政者の、いや国の戦争への道を厳しい目で監視し、阻止出来るのではないでしょうか。

〉まさしくそうです。歴史の解釈や見方はどんどん変わっていきます。絶対的な歴史的事実というものはないといってもいいです。歴史をどう解釈するか、ということは、現在自分がどのように生きるか、世界をどのように見るか、ということに深くかかわってきます。

今の私は、真夜中にガキのゲロ世話して生きています。トホホ。
でも、そんな日常から見えてくる世界もまたあります。

〉〉ガクッ・・・。
〉〉以上杏樹さんの腕に抱かれながら、往生際の台詞でした。
〉〉(うーん、ミュージカルのように往生際が悪い)

〉瀕死なのに歌を歌ってるとか?

そうそう。私が見たことのあるミュージカルは、
テレビで宝塚の「ベルバラ」だけなんです。
オスカルもアンドレも、往生際が悪かったなぁ。

〉イタコにでもなって霊を呼び出したりして。

子供げろに呼び出されるよりは、イタコに呼び出される方がましですね(笑)
さて、杏樹さんの胸に抱かれる夢を見ながら、もう一眠りします。


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8131. ここは元投稿を離れて何百里・・・

お名前: 杏樹
投稿日: 2003/11/23(00:58)

------------------------------

道化師さん、こんにちは。

ここのところ遊んでもらって多読のお邪魔をしてすみません。お子さんの世話もしなくてはいけないのに…。

〉〉こちらこそとことん相手にしてくださってありがとうございます。

〉とことんお付き合いしたいのですが、どうやら私の元から浅い教養が底をついて来たようです。(悲)

そんなご謙遜を。どんどん話が展開していくのでおもしろいです。

〉〉今度は石の下に埋めてしまいました。(一応聞きますが、もとネタわかりますよね?)

〉ごめんなさい。解りません。本当に解りません。
〉秋男さんのように知ってて知らぬふりじゃありません。
〉私、そんな事しません。
〉(知らないのに知ってるふりはしますが←恥)
〉ここは、聞かぬは一生の恥で、お願いします。
〉「おせーて!」

あちゃー。通じてなかったんですねー。
「ここはお国を何百里離れて遠き満州の…」
って軍歌、知りません?
長い歌らしくて全部は知らないんですけど…。
「赤い夕日に照らされて友は野末の石の下」
とか
「しっかりせよと抱き起こし仮包帯も弾の中」
とかいう歌詞があるんです。

〉先程から杏樹さんについての「夢」が出来上がりました。
〉上でまりあさんが「美女と野獣」となぞらえたので、
〉「やや?」と思い、杏樹さんに対する人物評をあちらこちらで探し読みしてきました。
〉どうやら、「大阪」「ツッコミ」の文字上のイメージで上沼恵美子を想像してたんですが、だいぶ違うと言う事が解りました。
〉「美女」なんですね?
〉(美女マニア心をくすぐるなぁ。恋しそう!!)

そういう「夢」が出来上がってしまったら、ますます道化師さんの前に出られなくなってしまう…。上沼恵美子よりはおとなしくて静かです。

〉因みに私は多分、文字上のイメージとおりです。
〉「野獣」じゃないでしょ?
〉(ねっ、東京の皆さん!)

魔法が解けて王子様に戻った野獣なんですね。

〉以上、本当に書きたい事はここまでで、後は余談です。

では余談のお相手を。

〉今から50年後の人達が、「あの当時では仕方なかった」と言うかも知れない、
〉今、現在、ここで「知らない」で済ましている私の「過ち」が何なのか?
〉環境への無配慮か?資源の浪費か?我が子への心ない言葉か?
〉それは「今」は、解りませんが、将来「仕方なかった」と逃げを打つ事はしたくないものです。

複雑な問題です。「仕方がなかった」のは事実、でもそれで終わらせるのではなく、これからは「仕方がなかった」ことが起こらないよう心がけるべきではないかと。

〉歴史的には杏樹さんが詳しく書かれたユダヤ人がヨーロッパでその役割を担ったのでしょうし、開国前の日本が被差別部落を村の周辺に置き、近代日本が朝鮮を差別的に扱ったのも、この構造があるからだと思うのです。
〉アメリカが建国以来、常に「敵」を持ってきたのも、「移民による他民族国家」と言う性質上、自らが「国家」としてまとまる上で必要だったからだと思います。
〉(と、この理屈は今をさること十数年前の私の卒論のテーマでした。進歩が無いなぁ)

何を専攻なさってたんでしょう?
ともかく人間の集団は被差別民を常に作り出しておく構造になっていたわけですね。

〉あっ、誤解が無いように付け加えますが、だから「差別の構造」は必要悪なのだと言いたい訳では無いのです。いかに必要悪をゼロに近づけていくかを考えなければならないと言うことに本意があります。

わかりますよ。むしろ被差別民を作り出して結束を固めるようなことは、なくしていくべきです。

〉〉ただ、第二次大戦では無差別爆撃が平気で行われていましたが、アフガニスタンやイラクへの攻撃では民間人や民間施設を爆撃すると即世界中に報道され非難の声があがりました。50年前ならアメリカもバグダードを大々的に空爆して焼き尽くして制圧したと思います。しかし民間人に配慮しなければならない時代になったのでそれができなかった。少しは人類も進歩したのかなと思います。

〉でも、その前は戦争とは兵士同士の闘いであり、戦闘の横で農民は黙々と農作業をしていた時代があり、その前は、こんどは兵士と一般人の区別も無く、負けた国の民はみな殺されるか奴隷にされた時代がありと、行ったり来たりにも感じます。
〉現に、湾岸戦争当時より今回のイラク戦争では遙かに情報統制が行き届いていて、また戦争の実態が解りにくくなりました。

アルジャジーラの放送でも見ることができたら見方も変わってくるかもしれません。アメリカの情報は一種の「大本営発表」の面もありますから。

〉〉私はアメリカ人が「原爆のおかげで戦争が終わった」という評価に異議を唱えるためにも、原爆が落とされる以前に日本中が空襲で焼き尽くされていたことを伝えることは意義のあることだと思います。アメリカ人は突然落ちてきた原爆に驚いた日本が慌てて降参した、みたいなイメージを持っているんじゃないでしょうか。日本が無条件降伏を受け入れたのはソ連の侵攻があったためでもありますが、きっとそれも知らないんですよ。だから原爆の功績を必要以上に美化するんです。

〉なるほど。杏樹さんの意図はそこにあるのですね。納得です。

納得してくださってありがとうございます。
付け加えるなら、空襲の被害を訴えることはアメリカを糾弾することではなく戦争の悲惨さを訴えるものであるべきだと思います。糾弾するのではなくただこういう事実があったことを知って欲しい。日本には今でも空襲の記憶をとどめている人がいることを。日本はそういう戦争を経験したからこそ憲法9条を守っているのだと。

〉アメリカも南北戦争という悲惨な国内戦をやって、その反省の上に建国した筈なのですが、その記憶も英雄伝説のようになってしまい風化したんでしょうね。

南北戦争は内戦でしたから。特に北部の人にとっては奴隷解放の輝かしい戦争でした。勝った方には反省は起こらないんですね。

〉〉それはもっともです。しかし戦争責任はやはりはっきりさせなくてはなりません。一般の国民が完全に無実だとは言えないとしても、民間人と為政者の罪は同等にはならないと思います。「私の反省」は必要ですが、しかしそれで終わらせることは出来ません。戦争を起こしたもの、起こそうとするものに対して厳しい目を向けていかなくてはいけません。民間人同士で謝罪してるのに政府は知らんぷり、ということも起こるわけで。南京にある大虐殺記念館では日本人が千羽鶴やたくさんのお便りを寄せて謝罪を表明しているのに、日本の首相は毎年靖国神社への参拝を欠かしません。

〉うーん。
〉ツッコミの杏樹さんにツッコミを入れるのは恐い気がするのですが、はまこさんの書き込みに「どんどん入れて」とあるので、入れますが・・・。
〉それに所詮、東京から離れた事の無い人間に本当の「ツッコミ」が解る筈も無いので、ご容赦を願って・・・。
〉(5.6人まとめてかかっても、投げ飛ばしていただけるようなので)
〉「戦争責任」と言うのは、言葉として存在しても、実態の無い言葉の典型だと思うのです。為政者の「戦争責任」と言う時、それは「敗戦責任」なんですね。勝てば決して責任は問われない。それは東京裁判でもニュールンベルグ裁判でもそうでした。チャーチルだって、トルーマンだって、スターリンだって戦争責任は問われなかったのです。更に、国民が為政者に問う物ではなく、戦勝国が敗戦国に突きつけるものです。戦争に勝ったか負けたかでどちらに転ぶか解らない責任を問うというのは、はなはだ矛盾に満ちているのです。確か東京裁判でも、インドの判事(パール判事と言ったかな?)が「国際法上、戦争は責任が問えるのか?」と同様の主旨の事を問うていたと思います。

全くその通りです。東京裁判を認めない日本人もいます。結局は勝者が敗者を裁くだけ。「敗戦責任」にすぎません。
だからこそ日本人は連合国の決定に唯々諾々と従うだけではなく、戦争を起こした大本の原因を追求するべきだったんです。戦争体験といえば空襲や物不足で窮乏した話、大陸からの引き上げの苦労話、赤紙で召集された兵士が戦地でどれだけひどい目にあったか、そういう話ばかりです。では一体どうしてそういうことが起きたのか。そこを追求することがまさしく本当の「反省」を生み出すことだと思います。

〉じゃあ、既存の「戦争責任」に実態が無いのならば、国民が為政者に問う「戦争責任」が実態として作れるのかと言うと、これも難しい。もし、勝って国に利益をもたらし、国民生活が豊かになった時、それでも国民は為政者に責任をとれと言えるのか?と思うのです。やはり「戦争を起こして負けて、こんな悲惨な目に遭わせた責任を取れ」と言う「敗戦責任」になってしまうと思うのです。となると、次の論理の展開は「戦争は負けない戦争であれば責任は問われない」となり、弱小国への侵略となって行くと思うのです。

それももっともです。しかし日本はボロ負けに負けたからこそ「戦争=悪」の図式が出来上がったわけですし、だからこそ負けた経験のないアメリカのような国に唯々諾々と従うのではなく、世界に向かって戦争の罪悪を訴えていく務めがあるのではないかと思います。負けたからこそアフガニスタンで、イラクで、犠牲になっていく人々の立場に立って戦争を糾弾することができるんです。
またヨーロッパでは連合国側、つまり勝者側になった国でもナチスの支配を受けたり空襲の経験があったりします。そこがアメリカと違うところで、戦勝国とは言っても、戦争に反対する気持ちはアメリカよりずっと強いはずです。

〉私が「反省」と言わず、多分に形而上的に「罪」と言うのはこの点なのです。「反省」は、どうすれば次は失敗しないか、どうすれば「負けないか」に繋がりかねないのです。贖罪されない「罪」を背負い、それでも、それを贖っていこうとする姿と自ずと違うと思うのです。
〉責任と反省は失敗しない道を歩ませ、罪はより良き道を歩ませると思うのです。随分と宗教的な言い方ですが、人間一人一人が自らの内にある「罪」を意識しない限り、他者への寛容、譲歩、共感は生まれないと思うのです。この考え方は、「りんごを食べてエデンの園を追われて以来、人間が抱える原罪」というキリスト教の発想に似ているかも知れません。が、このキリスト教の「原罪」という意識を「弱者のルサンチマンである」として否定し、「力への意志」を説いたニーチェの哲学は、ハイデカーを経由して間違いなくナチス・ドイツの思想へと繋がったのです。
〉良く言われる事に「犯罪」としての殺人より、「正義」の為の殺人の方がはるかに大規模で残虐であると言うのがありますが、真実であると思います。
〉犯罪としての殺人は殺人者に「罪の意識」がありますから、最小限の殺人に留まりますが、「正義の殺人」は「正義」のより完全な実現の為に最大限の殺人を行います。

チャプリンが「殺人狂時代」で言っていることですね。一人殺せば犯罪者、何万人殺せば英雄。

〉「戦争責任」を裁く側に「罪」の意識無く「責任」を取らせるという「正義」を振りかざした時、それは戦争に一歩近づいた事になると思うのです。

責任とか正義を振りかざすと道を誤ります。「責任を取れ」ではなくて、なぜそういうことが起きたのか調査し分析することです。罪人を見つけて裁くのではなく、原因をきちんと究明しておくことです。今の日本人に罪が残っているとするならば、原因の追求をしてこなかったことです。

〉そして「罪」を考えた時、それは為政者と一般国民にその軽重があるとは思えないのです。これは為政者の立場にある人の罪を軽くすると言うのではなく、一般国民の罪もまた為政者と同じ重さであると思うのです。そのくらいの「罪の重さ」を感じて初めて真剣に為政者の、いや国の戦争への道を厳しい目で監視し、阻止出来るのではないでしょうか。

ただ、安全なところにいる人が決定を下して、実際に被害に遭うのは一般市民や下級兵士、ということがありますので、そういう人たちが決定を下すのに対して厳しい目をむけて置かなくてはならないと思います。
アメリカは民主主義の国のはずですが、軍隊には黒人やヒスパニックなどのマイノリティーや貧困層が多く、特にイラクへ送られる兵士の中には、国政にあずかる議員さんたちの子弟はほとんどいないそうです。そういう人たちによってアメリカ人とイラク人が殺し合いをすることになるのは理不尽です。近代戦はずっとこういう理不尽に覆われているのです。

〉今の私は、真夜中にガキのゲロ世話して生きています。トホホ。
〉でも、そんな日常から見えてくる世界もまたあります。

〉〉〉ガクッ・・・。
〉〉〉以上杏樹さんの腕に抱かれながら、往生際の台詞でした。
〉〉〉(うーん、ミュージカルのように往生際が悪い)

〉〉瀕死なのに歌を歌ってるとか?

〉そうそう。私が見たことのあるミュージカルは、
〉テレビで宝塚の「ベルバラ」だけなんです。
〉オスカルもアンドレも、往生際が悪かったなぁ。

それを「ミュージカル」と言われるとちょっと…。
あれはやりすぎですねえ。何発撃たれたか数えた人がいるとか。「まだ死なんー」って。
「ウエストサイド物語」ぐらいにしておいてほしい。

〉〉イタコにでもなって霊を呼び出したりして。

〉子供げろに呼び出されるよりは、イタコに呼び出される方がましですね(笑)
〉さて、杏樹さんの胸に抱かれる夢を見ながら、もう一眠りします。

さすがにプレイボーイ道化師さん。幻想を広げすぎですよ。奥様に悪いので、別の夢を見たほうがいいのでは…。


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8159. 進軍ラッパなる度に・・・

お名前: 道化師
投稿日: 2003/11/23(22:24)

------------------------------

こんばんは、杏樹さん。
バナナさんご推薦の「ゼウスガーデン衰亡史」を読んで気宇壮大になっている道化師です。

〉ここのところ遊んでもらって多読のお邪魔をしてすみません。お子さんの世話もしなくてはいけないのに…。

私の多読は、必要性とか確固たる目的意識のあるものではなく、
純然たる楽しみですから、他に楽しい事があれば、和書読みでも、
こうした会話であれ、どんどん楽しい事のほうにシフトして良しとしています。
子供の世話は「親は無くても子は育つ」と言いますが、
昨今では「親があっても子は育つ」と言うそうです。
小子化や経済的豊かさが親の子供への過干渉をもたらし、
子供の自立していく精神の発達の阻害になるそうですから、
親は親で、「子供の成長だけが楽しみで」などと言わず、
親自身の人生を楽しむべしと言うことなのでしょう。
(と、杏樹さんとのやりとりが楽しいだけなのに、
 そこにこんな言い訳を入れてしまう素直じゃない私・・・。)

〉そんなご謙遜を。どんどん話が展開していくのでおもしろいです。

いや、謙遜じゃなく、全知全能をかけてお相手させて頂いています。

〉〉〉今度は石の下に埋めてしまいました。(一応聞きますが、もとネタわかりますよね?)
〉あちゃー。通じてなかったんですねー。
〉「ここはお国を何百里離れて遠き満州の…」
〉って軍歌、知りません?
〉長い歌らしくて全部は知らないんですけど…。
〉「赤い夕日に照らされて友は野末の石の下」
〉とか
〉「しっかりせよと抱き起こし仮包帯も弾の中」
〉とかいう歌詞があるんです。

ああ、なるほど。知ってます。言われてみれば、上の歌詞すべてメロディ付きで歌えます。
でも「野末の石の下」は、完全に抜けていました。

〉そういう「夢」が出来上がってしまったら、ますます道化師さんの前に出られなくなってしまう…。上沼恵美子よりはおとなしくて静かです。

「上沼恵美子よりおとなしくて静か」と言うことが、おとなしくて静かと言うことになるのか、判断に悩む所ですねぇ(笑)

〉魔法が解けて王子様に戻った野獣なんですね。

魔法が解けても、やっぱり「野獣」であることには変わりないと言うことか?
(確かに、可愛い子羊が目の前に居ると、狼に変身してしまいたくなりますが)

〉〉歴史的には杏樹さんが詳しく書かれたユダヤ人がヨーロッパでその役割を担ったのでしょうし、開国前の日本が被差別部落を村の周辺に置き、近代日本が朝鮮を差別的に扱ったのも、この構造があるからだと思うのです。
〉〉アメリカが建国以来、常に「敵」を持ってきたのも、「移民による他民族国家」と言う性質上、自らが「国家」としてまとまる上で必要だったからだと思います。
〉〉(と、この理屈は今をさること十数年前の私の卒論のテーマでした。進歩が無いなぁ)

〉何を専攻なさってたんでしょう?

法学部です。ゼミが「法哲学ゼミ」でした。

〉ともかく人間の集団は被差別民を常に作り出しておく構造になっていたわけですね。

国と言わず、民族、村落集団と言わず、この原型は学校のクラス、友達グループ、
と何の集団でも見受けられます。
例えば、学校の校内暴力は生徒が生徒集団としてのアイデンティティーを保持するために教師を排除の対象にした時の形であり、
教師側がこれに反して、内申書や徹底した管理と言った手段で生徒を押さえ込んだ結果、他に排除の対象を求めざる得なくなった生徒集団が仲間内にその対象を求めた結果が「イジメ」という形になって現れました。
日本の「村落」に於いては、排除の対象は「部落民」「村八分」「よそ者」と3種類ありましたが、その排除の形が違っていました。村落の集団を確立する為の他者として「部落民」が必要とされ、村落集団の掟を破って集団構成員を外された者が「村八分」であり、この両者は「生かさず殺さず」の排除がされましたが、流れ者や落ち武者と言った完全なる他者は「落ち武者狩り」に見られるような完全な抹殺がされました。

〉〉〉ただ、第二次大戦では無差別爆撃が平気で行われていましたが、アフガニスタンやイラクへの攻撃では民間人や民間施設を爆撃すると即世界中に報道され非難の声があがりました。50年前ならアメリカもバグダードを大々的に空爆して焼き尽くして制圧したと思います。しかし民間人に配慮しなければならない時代になったのでそれができなかった。少しは人類も進歩したのかなと思います。

〉アルジャジーラの放送でも見ることができたら見方も変わってくるかもしれません。アメリカの情報は一種の「大本営発表」の面もありますから。

そうですね。でも、アラビア語まで手を伸ばすのは、さすがに厳しいなぁ。
せめて、「日本語による情報統制」を避ける為にも、インターネットというより統制されにくいメディアを利用する為にも、多読で英語が「読める」ようになることは大切だと思っています。
(杏樹さんのように、英語に留まらず、より他言語に通ずるようになるのが理想ですが)

〉付け加えるなら、空襲の被害を訴えることはアメリカを糾弾することではなく戦争の悲惨さを訴えるものであるべきだと思います。糾弾するのではなくただこういう事実があったことを知って欲しい。日本には今でも空襲の記憶をとどめている人がいることを。日本はそういう戦争を経験したからこそ憲法9条を守っているのだと。

杏樹さんからの「糾弾ではなく、知ること」という発言を読んで嬉しかったです。
完全に同意します。

〉南北戦争は内戦でしたから。特に北部の人にとっては奴隷解放の輝かしい戦争でした。勝った方には反省は起こらないんですね。

通常、旧ユーゴやルアンダを見ても、外国との戦争よりも内戦の方が悲惨な筈で、負けた南部の記憶だってアメリカに残っていて然るべきなのでしょうけれど。
あっ、そうか。その南部の反発を制圧していく為にリンカーンをはじめとする大統領の英雄化があり、その伝統が今のアメリカの教育に残っているのか・・・。

〉〉〉それはもっともです。しかし戦争責任はやはりはっきりさせなくてはなりません。一般の国民が完全に無実だとは言えないとしても、民間人と為政者の罪は同等にはならないと思います。「私の反省」は必要ですが、しかしそれで終わらせることは出来ません。戦争を起こしたもの、起こそうとするものに対して厳しい目を向けていかなくてはいけません。民間人同士で謝罪してるのに政府は知らんぷり、ということも起こるわけで。南京にある大虐殺記念館では日本人が千羽鶴やたくさんのお便りを寄せて謝罪を表明しているのに、日本の首相は毎年靖国神社への参拝を欠かしません。

〉〉うーん。
〉〉ツッコミの杏樹さんにツッコミを入れるのは恐い気がするのですが、はまこさんの書き込みに「どんどん入れて」とあるので、入れますが・・・。
〉〉それに所詮、東京から離れた事の無い人間に本当の「ツッコミ」が解る筈も無いので、ご容赦を願って・・・。
〉〉(5.6人まとめてかかっても、投げ飛ばしていただけるようなので)
〉〉「戦争責任」と言うのは、言葉として存在しても、実態の無い言葉の典型だと思うのです。為政者の「戦争責任」と言う時、それは「敗戦責任」なんですね。勝てば決して責任は問われない。それは東京裁判でもニュールンベルグ裁判でもそうでした。チャーチルだって、トルーマンだって、スターリンだって戦争責任は問われなかったのです。更に、国民が為政者に問う物ではなく、戦勝国が敗戦国に突きつけるものです。戦争に勝ったか負けたかでどちらに転ぶか解らない責任を問うというのは、はなはだ矛盾に満ちているのです。確か東京裁判でも、インドの判事(パール判事と言ったかな?)が「国際法上、戦争は責任が問えるのか?」と同様の主旨の事を問うていたと思います。

〉全くその通りです。東京裁判を認めない日本人もいます。結局は勝者が敗者を裁くだけ。「敗戦責任」にすぎません。
〉だからこそ日本人は連合国の決定に唯々諾々と従うだけではなく、戦争を起こした大本の原因を追求するべきだったんです。戦争体験といえば空襲や物不足で窮乏した話、大陸からの引き上げの苦労話、赤紙で召集された兵士が戦地でどれだけひどい目にあったか、そういう話ばかりです。では一体どうしてそういうことが起きたのか。そこを追求することがまさしく本当の「反省」を生み出すことだと思います。

確かに、一般の「戦争体験談」と言うと、杏樹さんの言われるような「悲惨な体験談」が多いですよね。
そして、日本の映画やテレビで流される戦争物語も、自らの悲劇を語るものが殆どです。
でも「反省」(私的には「罪」に拘りますが)するのならば、自らの国が招いた悲劇より、他国へ与えた「悲劇」、
前にも出てきた南京大虐殺であれ、
朝鮮人の強制労働であれ、
朝鮮人女性への従軍慰安婦問題であれ、
(多分、朝鮮人女性に限らず、中国や東南アジア女性にも及ぶと思いますが)
731部隊の人体実験であれ、
自らのした行為を先に問うべきだと思います。
日本国内に現れる反省は、あまりに被害者的すぎると思うのです。
「火蛍の墓」に涙する前に、涙しなければならに問題があると思うのです。

〉それももっともです。しかし日本はボロ負けに負けたからこそ「戦争=悪」の図式が出来上がったわけですし、だからこそ負けた経験のないアメリカのような国に唯々諾々と従うのではなく、世界に向かって戦争の罪悪を訴えていく務めがあるのではないかと思います。負けたからこそアフガニスタンで、イラクで、犠牲になっていく人々の立場に立って戦争を糾弾することができるんです。

本当に日本という国が、杏樹さんの言うように戦争を糾弾出来るのであれば、経験者のリアリティをもって重い発言になると思うのですが・・・。
きっと「今度は勝ち組」に廻ろうって感じで、「国際協調」と言っているんでしょうね。「国際協調」が実は強い者に巻かれるという「アメリカ協調」であり、これは今回のイラク戦争でアメリカと国連が相反した時には、アメリカ支持に廻るという事で衆人知るところなってしまいました。

〉またヨーロッパでは連合国側、つまり勝者側になった国でもナチスの支配を受けたり空襲の経験があったりします。そこがアメリカと違うところで、戦勝国とは言っても、戦争に反対する気持ちはアメリカよりずっと強いはずです。

結局、イギリスも政府はイラク戦争支持に廻りましたが、「イラクが大量破壊兵器を保有しているから」という嘘がばれた時点で、アメリカより激しく非難が上がっていますね。(結局、イラク戦争に根拠を与えた学者は自殺してしまった)

〉チャプリンが「殺人狂時代」で言っていることですね。一人殺せば犯罪者、何万人殺せば英雄。

確か、石川五右衛門も釜ゆでになる前に、豊臣秀吉に同じような事を言ったとか・・・。

〉責任とか正義を振りかざすと道を誤ります。「責任を取れ」ではなくて、なぜそういうことが起きたのか調査し分析することです。罪人を見つけて裁くのではなく、原因をきちんと究明しておくことです。今の日本人に罪が残っているとするならば、原因の追求をしてこなかったことです。

10年位前、ビデオで「行き行きて神軍」というものが話題になった事がありました。一兵士として戦争に行った男性が、自分の冒した戦争犯罪を悔い、そしてその犯罪を命令した当時の上官達を探し求めて糾弾していくと言う内容だったようです。
(私は残念ながら、このビデオを見ていないので、ハッキリした事は解りません。今でも観たいと思っているのですが)
この男性は、その後、その糾弾が行きすぎて、傷害事件を起こしてしまい、服役したようですが、この男性の例は極端にしても、観念的にではなく具体的に原因を究明していくべきだと思います。
軍令本部や参謀本部が命令を出した正規軍同士の戦闘もあってはならないですが、一般民間人を対象にした惨劇は、もっと下部の指揮系統で発生しているからです。

〉ただ、安全なところにいる人が決定を下して、実際に被害に遭うのは一般市民や下級兵士、ということがありますので、そういう人たちが決定を下すのに対して厳しい目をむけて置かなくてはならないと思います。

今の戦争は遠隔操作によるリモコン戦争になりつつありますから、ますます決定を下す人への厳しい目が必要ですね。

〉アメリカは民主主義の国のはずですが、軍隊には黒人やヒスパニックなどのマイノリティーや貧困層が多く、特にイラクへ送られる兵士の中には、国政にあずかる議員さんたちの子弟はほとんどいないそうです。そういう人たちによってアメリカ人とイラク人が殺し合いをすることになるのは理不尽です。近代戦はずっとこういう理不尽に覆われているのです。

確かに選ばれし騎士が、名誉の為に戦った近代前の戦争とは違いますね。
同じように第二次世界大戦でも、グルカ兵とか、日系アメリカ人の部隊とか、在日朝鮮人日本兵とか、国民としてのアイデンティティーが周囲に疑われる弱い階層がより危険な戦地に行かされたようですね。
アメリカは民主主義国家と言いつつ、貧富の差が大きく、支配層と被支配層が別れているようですね。多読を通じて読むアメリカ社会を見ると、ますます最近それを感じるようになりました。
ただ、日本だって「一億総中流」だなんて言う幻想で隠れていますが、戦後50年以上経って、確実に支配層と被支配層に別れて来ているのですが・・・。

〉〉そうそう。私が見たことのあるミュージカルは、
〉〉テレビで宝塚の「ベルバラ」だけなんです。
〉〉オスカルもアンドレも、往生際が悪かったなぁ。

〉それを「ミュージカル」と言われるとちょっと…。

そうか、あれはミュージカルじゃないんですか。
あれは「タカラヅカ」であって、ミュージカルでは無いんですね。

〉「ウエストサイド物語」ぐらいにしておいてほしい。

演劇ではなく、映画だと「ウエストサイド物語」とか「コーラスライン」とか、
色々見たことがあるんですけれどね。
「コーラスライン」の「サプライズ」が何にサプライズしたのかを知って、私がサプライズしてしまいました(笑)

〉さすがにプレイボーイ道化師さん。幻想を広げすぎですよ。奥様に悪いので、別の夢を見たほうがいいのでは…。

残念ながらプレイボーイはないなぁ。
(なれたら良いなとは、思わないでもないですが)
女性の事は興味があって、色々思う事が多いですが、
どちらかと言うと「フーテンの寅さん」なタイプなんです。
ほら、寅さんはよく夢を見るでしょう?

ではでは。


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8166. Someday, Somehow, Somewhere

お名前: 杏樹
投稿日: 2003/11/24(00:54)

------------------------------

道化師さん、こんにちは。

いつまで遊んでるのか、ずいぶん長くなったので、できるだけレスを控えめにしてフェイドアウトの方向に持っていこうかと思うのですが、なかなか…。

〉私の多読は、必要性とか確固たる目的意識のあるものではなく、
〉純然たる楽しみですから、他に楽しい事があれば、和書読みでも、
〉こうした会話であれ、どんどん楽しい事のほうにシフトして良しとしています。

確かに多読は本当に「楽しければ良し」ですね。

〉ああ、なるほど。知ってます。言われてみれば、上の歌詞すべてメロディ付きで歌えます。
〉でも「野末の石の下」は、完全に抜けていました。

やっぱり歌詞が途切れ途切れでピンと来なかったんでしょうか。ともかく通じてよかったです。

〉〉そういう「夢」が出来上がってしまったら、ますます道化師さんの前に出られなくなってしまう…。上沼恵美子よりはおとなしくて静かです。

〉「上沼恵美子よりおとなしくて静か」と言うことが、おとなしくて静かと言うことになるのか、判断に悩む所ですねぇ(笑)

鋭いご指摘!

〉〉魔法が解けて王子様に戻った野獣なんですね。

〉魔法が解けても、やっぱり「野獣」であることには変わりないと言うことか?
〉(確かに、可愛い子羊が目の前に居ると、狼に変身してしまいたくなりますが)

いやいやそこまで深読みは…。野獣が王子様に戻ったところ、と言うべきか。

〉〉何を専攻なさってたんでしょう?

〉法学部です。ゼミが「法哲学ゼミ」でした。

ほーがくぶー。「あなたの知らない世界」です。

〉〉ともかく人間の集団は被差別民を常に作り出しておく構造になっていたわけですね。

〉国と言わず、民族、村落集団と言わず、この原型は学校のクラス、友達グループ、
〉と何の集団でも見受けられます。
〉例えば、学校の校内暴力は生徒が生徒集団としてのアイデンティティーを保持するために教師を排除の対象にした時の形であり、
〉教師側がこれに反して、内申書や徹底した管理と言った手段で生徒を押さえ込んだ結果、他に排除の対象を求めざる得なくなった生徒集団が仲間内にその対象を求めた結果が「イジメ」という形になって現れました。

そういえばPGR2の「The Wave」は読んだことがありますか?集団と集団外を区別する行為があんなにあっさり広がってブキミでした。

〉そうですね。でも、アラビア語まで手を伸ばすのは、さすがに厳しいなぁ。
〉せめて、「日本語による情報統制」を避ける為にも、インターネットというより統制されにくいメディアを利用する為にも、多読で英語が「読める」ようになることは大切だと思っています。
〉(杏樹さんのように、英語に留まらず、より他言語に通ずるようになるのが理想ですが)

ニュースを見てわかるようになるのは大変ですよー。英語もまだまだですし、中国の情報はもっと偏ってますし。

〉〉付け加えるなら、空襲の被害を訴えることはアメリカを糾弾することではなく戦争の悲惨さを訴えるものであるべきだと思います。糾弾するのではなくただこういう事実があったことを知って欲しい。日本には今でも空襲の記憶をとどめている人がいることを。日本はそういう戦争を経験したからこそ憲法9条を守っているのだと。

〉杏樹さんからの「糾弾ではなく、知ること」という発言を読んで嬉しかったです。
〉完全に同意します。

どうもです。付け加えるなら、「知ること」によって、これからも戦争が起きたらまた同じようなことが起こる、という想像力を働かせるようになるところまでいきたいものです。

〉〉南北戦争は内戦でしたから。特に北部の人にとっては奴隷解放の輝かしい戦争でした。勝った方には反省は起こらないんですね。

〉通常、旧ユーゴやルアンダを見ても、外国との戦争よりも内戦の方が悲惨な筈で、負けた南部の記憶だってアメリカに残っていて然るべきなのでしょうけれど。
〉あっ、そうか。その南部の反発を制圧していく為にリンカーンをはじめとする大統領の英雄化があり、その伝統が今のアメリカの教育に残っているのか・・・。

旧ユーゴやルワンダは作られた民族闘争です。他民族に対して敵意を植付け滅ぼすまで容赦しないという…。
南北戦争はアメリカが南部と北部に分かれて奴隷制度の是非を問いました。民族的な憎悪はありませんでした。平たく言えば政策上の対立みたいなものです。北軍が勝って奴隷解放が行われたらもう南部には何も出来ません。ただ白人至上主義思想だけは根強く残ってKKK団の活動などが続くわけですが、KKK団の標的は北部人よりも黒人に向けられています。

〉確かに、一般の「戦争体験談」と言うと、杏樹さんの言われるような「悲惨な体験談」が多いですよね。
〉そして、日本の映画やテレビで流される戦争物語も、自らの悲劇を語るものが殆どです。
〉でも「反省」(私的には「罪」に拘りますが)するのならば、自らの国が招いた悲劇より、他国へ与えた「悲劇」、
〉前にも出てきた南京大虐殺であれ、
〉朝鮮人の強制労働であれ、
〉朝鮮人女性への従軍慰安婦問題であれ、
〉(多分、朝鮮人女性に限らず、中国や東南アジア女性にも及ぶと思いますが)
〉731部隊の人体実験であれ、
〉自らのした行為を先に問うべきだと思います。
〉日本国内に現れる反省は、あまりに被害者的すぎると思うのです。
〉「火蛍の墓」に涙する前に、涙しなければならに問題があると思うのです。

アジア諸国に対する贖罪を「自虐的」といって拒む人たちが存在しているのが問題だと思います。今の日本人が日常的に罪を問われるようなことはありませんが、かつてアジア諸国に対して間違ったことをした、アジアの人たちを苦しめた、ということを忘れないでいることが大切だと思います。
「火垂るの墓」は、とりあえず上に書いたように「戦争になればこういう子どもたちができるんだよ」ということを訴えるのには役に立つのではないかと。

〉本当に日本という国が、杏樹さんの言うように戦争を糾弾出来るのであれば、経験者のリアリティをもって重い発言になると思うのですが・・・。
〉きっと「今度は勝ち組」に廻ろうって感じで、「国際協調」と言っているんでしょうね。「国際協調」が実は強い者に巻かれるという「アメリカ協調」であり、これは今回のイラク戦争でアメリカと国連が相反した時には、アメリカ支持に廻るという事で衆人知るところなってしまいました。

日本には「勝ち組に回ろう」という明確な目標すらないと思います。アメリカにエラソウに言われて何も言い返せないだけではないでしょうか。

〉〉チャプリンが「殺人狂時代」で言っていることですね。一人殺せば犯罪者、何万人殺せば英雄。

〉確か、石川五右衛門も釜ゆでになる前に、豊臣秀吉に同じような事を言ったとか・・・。

へえ〜へえ〜へえ〜…

〉10年位前、ビデオで「行き行きて神軍」というものが話題になった事がありました。一兵士として戦争に行った男性が、自分の冒した戦争犯罪を悔い、そしてその犯罪を命令した当時の上官達を探し求めて糾弾していくと言う内容だったようです。
〉(私は残念ながら、このビデオを見ていないので、ハッキリした事は解りません。今でも観たいと思っているのですが)
〉この男性は、その後、その糾弾が行きすぎて、傷害事件を起こしてしまい、服役したようですが、この男性の例は極端にしても、観念的にではなく具体的に原因を究明していくべきだと思います。
〉軍令本部や参謀本部が命令を出した正規軍同士の戦闘もあってはならないですが、一般民間人を対象にした惨劇は、もっと下部の指揮系統で発生しているからです。

私もタイトルは知っていますが、見たことはありません。自分の戦争犯罪を悔いると同時に上官の罪を糾弾する…そこまでするのは理想的にすぎるのでしょうか。自分も戦争責任を反省しながら、戦争を起こす原因となったものをしっかり追求する、それがなかなか行われないようです。

〉確かに選ばれし騎士が、名誉の為に戦った近代前の戦争とは違いますね。
〉同じように第二次世界大戦でも、グルカ兵とか、日系アメリカ人の部隊とか、在日朝鮮人日本兵とか、国民としてのアイデンティティーが周囲に疑われる弱い階層がより危険な戦地に行かされたようですね。
〉アメリカは民主主義国家と言いつつ、貧富の差が大きく、支配層と被支配層が別れているようですね。多読を通じて読むアメリカ社会を見ると、ますます最近それを感じるようになりました。
〉ただ、日本だって「一億総中流」だなんて言う幻想で隠れていますが、戦後50年以上経って、確実に支配層と被支配層に別れて来ているのですが・・・。

アメリカは階級社会です。「アメリカン・ドリーム」は存在しますが、下層階級がのし上がっていくのは本当に大変なことで、だからこそ「ドリーム」なんです。アメリカの上流階級のパーティーの世界など日本人にはそれこそ夢みたいな世界ですよね。

〉〉〉そうそう。私が見たことのあるミュージカルは、
〉〉〉テレビで宝塚の「ベルバラ」だけなんです。
〉〉〉オスカルもアンドレも、往生際が悪かったなぁ。

〉〉それを「ミュージカル」と言われるとちょっと…。

〉そうか、あれはミュージカルじゃないんですか。
〉あれは「タカラヅカ」であって、ミュージカルでは無いんですね。

そう認識しておいてください。「宝塚=ベルばら」もやめてね。
「ベルばら」の原作はあんなのじゃないし、宝塚もいつもあんなのじゃありません。

〉〉「ウエストサイド物語」ぐらいにしておいてほしい。

〉演劇ではなく、映画だと「ウエストサイド物語」とか「コーラスライン」とか、
〉色々見たことがあるんですけれどね。

ということで、今回のタイトルは「ウエストサイド物語」の歌から。(軍歌ネタが尽きたので)

〉「コーラスライン」の「サプライズ」が何にサプライズしたのかを知って、私がサプライズしてしまいました(笑)

………(もちろん、見ました、コーラスライン)

〉〉さすがにプレイボーイ道化師さん。幻想を広げすぎですよ。奥様に悪いので、別の夢を見たほうがいいのでは…。

〉残念ながらプレイボーイはないなぁ。
〉(なれたら良いなとは、思わないでもないですが)
〉女性の事は興味があって、色々思う事が多いですが、
〉どちらかと言うと「フーテンの寅さん」なタイプなんです。
〉ほら、寅さんはよく夢を見るでしょう?

はー、そうなんですか。行く先々にマドンナ。
でもマーリー・マトリン似の奥様がいるんですから、あまり夢を見るのはお控えになった方がよろしいのでは。

〉ではでは。

それでは。


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8180. とぅなぁいと、とぅなぁーいと・・・・

お名前: 道化師
投稿日: 2003/11/24(21:56)

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こんばんは、杏樹さん。

〉いつまで遊んでるのか、ずいぶん長くなったので、できるだけレスを控えめにしてフェイドアウトの方向に持っていこうかと思うのですが、なかなか…。

フェイドアウトじゃ終わりそうに無いので、プッツリこれで止めますね。

〉そういえばPGR2の「The Wave」は読んだことがありますか?集団と集団外を区別する行為があんなにあっさり広がってブキミでした。

読みました。事実と言うところが恐かったです。

〉〉〉付け加えるなら、空襲の被害を訴えることはアメリカを糾弾することではなく戦争の悲惨さを訴えるものであるべきだと思います。糾弾するのではなくただこういう事実があったことを知って欲しい。日本には今でも空襲の記憶をとどめている人がいることを。日本はそういう戦争を経験したからこそ憲法9条を守っているのだと。
〉どうもです。付け加えるなら、「知ること」によって、これからも戦争が起きたらまた同じようなことが起こる、という想像力を働かせるようになるところまでいきたいものです。

雅子妃殿下の「一言付け加えて申し述べさせていただけるのなら」みたいですね。
「知ること」そして「想像すること」は大切ですね。
「想像力」の欠如に、歴史的悲劇の原因があるわけですから。

〉旧ユーゴやルワンダは作られた民族闘争です。他民族に対して敵意を植付け滅ぼすまで容赦しないという…。
〉南北戦争はアメリカが南部と北部に分かれて奴隷制度の是非を問いました。民族的な憎悪はありませんでした。平たく言えば政策上の対立みたいなものです。北軍が勝って奴隷解放が行われたらもう南部には何も出来ません。ただ白人至上主義思想だけは根強く残ってKKK団の活動などが続くわけですが、KKK団の標的は北部人よりも黒人に向けられています。

戦争と言うものは、その原因を究明するときに、思想・宗教的理由とか政治的理由があげられますが、私は必ずその根底に経済的理由、ざっくばらんに言うと
「銭や、銭や、銭の為やで」
があると思っています。それを大義名分で隠そうとするから、解りにくくなるんです。
南北戦争も「奴隷制度」の是非と言えば、勝った北軍にとって、大義があり聞こえが良いのですが、きっとその根底には南部との「銭」の問題があると思うのです。
が、少し調べたのですが私の手持ちの資料では南部の「自由貿易」北部の「保護貿易」という解りにくい理由しか出てきませんでした。こういう言葉に隠された、もう少し解りやすい理由があると思うのですが。
話は違うのですが、調べた中に興味深い数字がありました。
南北戦争での死者、北軍36万人、南軍26万人、合計62万人。
それに対して、第一次世界大戦におけるアメリカの死者11万人。
第二次世界大戦では、32万人。
第二次世界大戦だけで数百万人死んだ日本とは、やはり根本的に認識が違う訳です。

〉アジア諸国に対する贖罪を「自虐的」といって拒む人たちが存在しているのが問題だと思います。今の日本人が日常的に罪を問われるようなことはありませんが、かつてアジア諸国に対して間違ったことをした、アジアの人たちを苦しめた、ということを忘れないでいることが大切だと思います。

その問題の人の一人、西尾幹二という学者と病院の待合い室でずっと一緒だった事があります。この人もニーチェから思索を開始した人です。

〉「火垂るの墓」は、とりあえず上に書いたように「戦争になればこういう子どもたちができるんだよ」ということを訴えるのには役に立つのではないかと。

「火垂るの墓」でしたね。字が違っていました。さすが杏樹さん。

〉ということで、今回のタイトルは「ウエストサイド物語」の歌から。(軍歌ネタが尽きたので)

私の覚えている歌詞は、タイトルの1フレーズだけです。

〉………(もちろん、見ました、コーラスライン)

杏樹さんは、下の話は苦手?

〉でもマーリー・マトリン似の奥様がいるんですから、あまり夢を見るのはお控えになった方がよろしいのでは。

私が余計な事を書いたばっかりに、妻も子供達が学校に上がる年齢になったら多読を始めたいと言っているのですが、決して「道化師の妻」とは名乗れないでしょうねぇ。(笑)

長々とお付き合いありがとうございました。
では、いずれ他のスレッドで。


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8190. 戦い済んで日は暮れて

お名前: 杏樹
投稿日: 2003/11/25(01:22)

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道化師さん、こんにちは。

〉フェイドアウトじゃ終わりそうに無いので、プッツリこれで止めますね。

わかりました。ではできるだけ簡単に。

〉戦争と言うものは、その原因を究明するときに、思想・宗教的理由とか政治的理由があげられますが、私は必ずその根底に経済的理由、ざっくばらんに言うと
〉「銭や、銭や、銭の為やで」
〉があると思っています。それを大義名分で隠そうとするから、解りにくくなるんです。
〉南北戦争も「奴隷制度」の是非と言えば、勝った北軍にとって、大義があり聞こえが良いのですが、きっとその根底には南部との「銭」の問題があると思うのです。
〉が、少し調べたのですが私の手持ちの資料では南部の「自由貿易」北部の「保護貿易」という解りにくい理由しか出てきませんでした。こういう言葉に隠された、もう少し解りやすい理由があると思うのですが。
〉話は違うのですが、調べた中に興味深い数字がありました。
〉南北戦争での死者、北軍36万人、南軍26万人、合計62万人。
〉それに対して、第一次世界大戦におけるアメリカの死者11万人。
〉第二次世界大戦では、32万人。
〉第二次世界大戦だけで数百万人死んだ日本とは、やはり根本的に認識が違う訳です。

具体的な数字が出るとすごいですねえ。
それから「銭」が戦争の原因になるのはわかります。いずれにせよ南北戦争は争点のわかりやすい戦争だったと思いますよ。民族的な反感、憎悪によって起こる争いは根拠も何もありませんから、えんえんと泥沼化していきます。

〉〉アジア諸国に対する贖罪を「自虐的」といって拒む人たちが存在しているのが問題だと思います。今の日本人が日常的に罪を問われるようなことはありませんが、かつてアジア諸国に対して間違ったことをした、アジアの人たちを苦しめた、ということを忘れないでいることが大切だと思います。

〉その問題の人の一人、西尾幹二という学者と病院の待合い室でずっと一緒だった事があります。この人もニーチェから思索を開始した人です。

うわー!「つくる会」の会長さんですか!お近づきになりたくないですねえ。

〉〉ということで、今回のタイトルは「ウエストサイド物語」の歌から。(軍歌ネタが尽きたので)

〉私の覚えている歌詞は、タイトルの1フレーズだけです。

うーん、では薀蓄もつけときましょう。
対立するグループの中で愛し合ってしまったトニーとマリア。絶望的状況に陥った二人が「いつか、どこか」争いのない世界を夢見るナンバーです。映画ではバッサリカットされましたが、和解を夢見てそれが壊れていくことを表現したダンスシーンが展開されます。

〉私が余計な事を書いたばっかりに、妻も子供達が学校に上がる年齢になったら多読を始めたいと言っているのですが、決して「道化師の妻」とは名乗れないでしょうねぇ。(笑)

別の名前で他人の振りをして…。「道化師さん、○○○万語通過おめでとうございます」とかね。

〉長々とお付き合いありがとうございました。
〉では、いずれ他のスレッドで。

こちらこそありがとうございました。
それではこの辺で失礼いたします。


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