[掲示板: 〈過去ログ〉SSS タドキストの広場 -- 最新メッセージID: 9999 // 時刻: 2024/11/23(21:29)]
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
7550. Re: 祝1周年、道化師さん、杏樹さん、多読理論発見か!?(ちょっと大げさ?)
お名前: 道化師
投稿日: 2003/11/7(00:25)
------------------------------
〉〉道化師さん、はじめまして。
footprintさん、こちらこそ、はじめまして。杏樹さん、こんばんは。
f〉〉停滞論は長くて難しいようで読んでません。ごめんなさい。
ペギー双葉山さんの「プロジェクトS」は、読まれましたか?
私の屁理屈は別として、皆さんの停滞への言及がとても解りやすく整理されていて、とても面白いです。
道〉〉>英語の本を実際読めるようになった人たちは「多読」をする事で、読めるようになった。多読以外の方法なんて、現実には存在しない(架空である)。
f〉〉 道化師さんの発言を読むまで、多読以外の方法(辞書を引いて精読するとか)が存在する思ってました。けど確かに、辞書を引いて精読して、PB読めるようになりましたって、聞いたことないですね。挫折した話は(自分も含めて)ざらですが。
杏〉確かにそうです。それで読めるようになったのはよほどの英語エリートだと思います。挫折する人のほうがずっと多い。そして挫折以前に「英語なんて読めない」と始めから挑戦すらしない人もいます。多読法はこの「挑戦すらしない」人まで対象を広げているところがすごいと思います。
繰り返しになりますが、footprintさんの言われる「辞書を引いて精読するとか」の多読以外の方法で、英語の本を「楽しんで」読めるようになったと言っている杏樹さんの言われる英語エリートが存在するとして、おそらくはその人たちも、最終的には辞書から離れて「多読」して読めるようになったのだと思います。これは単なる推測とかではなく、私の周りに居た「受験英語」の達人達の中でも、目的が「受験」ではなく、「英語」にあるような連中は、sakigoroさんが実践していたようなアトム双書のような英語の副読本をとにかく沢山読んでいました。私は高校の時、図書室委員長なる生徒会の役をやっていたのですが、その手の副読本を英語の好きな連中は良く借りていたのを知っていたので、解った事です。
(何故、彼らがそういう副読本を「多読」するようになったかは、不明ですが、多分私の通っていた学校が、「リーダー」「文法」「英作文」の他に「副読本」ばかり読む英語の授業があった事に関係があるかも知れません)
f〉〉1.目標が、英語の本を(辞書を引かないでことなら)読むことなら、最初から辞書を引かないで読む。そのためにやさしいものを読む。
〉〉(辞書を引かないで読むってのはコペルニクス的発想の転換ですね。)
以前から皆さんも書かれていますが、考えてみれば当然の事ですよね。
Julieさんの書かれていた自転車を例にとっても、ペダルを漕ぐ練習ばかりして、
次にブレーキを握る練習ばかり、そして何故2輪で倒れないかを本で読んで理解しても、決して自転車に乗れるようにはならない。自転車に乗れるようになるには、自転車にのるしか無いのですから。
もっとも最初からマウンテンバイクで走るような道は走れないから、広くて平らな道で走れるように乗る。これが「やさしい本から」と言うことですね。
〉〉2.やさしいものをたくさん読めば難しいものも読めるようになる。
やさしい道でいっぱい乗って自由に自転車に乗れるようになれば、少し凸凹の道でも走れるようになる訳です。いっぱい少しの凸凹道を走れば、もう少し難しい凸凹道も走れるようになるって事ですね。
人間が何かを修得する道筋は、何でも同じなのでしょう。身につけたいものそのものを練習しなければ、決して出来るようにはならないと思います。
いくら野球の試合をテレビで見て、解説者並に試合展開を解説できても、決してその試合を実際にやってる選手のように上手にはならないんです。
f〉〉1.について
〉〉道化師さんの言われるように、英語の本が読めるようになるのに多読しかないとしたら、その読み方は、辞書をできるだけ引かないということになると思います。引いてたらたくさん読めないから!
だから、きっと「辞書をひいて読む」ことをたくさんやれば、
「辞書をひいて読む」事に上達するのでしょう。
目的が「辞書をひいて読む」事ならば、たくさん辞書をひかなければいけませんね。
杏〉実は読めなくもないです。確かに辞書を引かないほうが早く読めるとは思いますが。下の方でも書きましたが、私は薄いデイリーコンサイス英和辞典を持ち歩き、まめに引いて読んでました。私がダメだと思ったのは辞書を引く行為ではなく、辞書を引いても内容が理解できないことでした。内容が理解できていたらそのまま辞書持ち歩きで英語の本を読む道へ進んだことでしょう。
杏〉つまり辞書を引きながら英語の本を読む、というのはかなり英語が出来る人でないとできないのです。
きっと「辞書をひいて読む」練習が足りなかったから、
「辞書をひいて」も読めなかったのでしょうね(笑)
冗談はさておき、実際の問題として、読んでいる本には、その本の言いたいこと、文脈があり、辞書には辞書の言いたいこと、文脈がある。全く別の言いたいこと、文脈をいりこ状に頭にいれていっても、それは混乱するばかりでしょうね。
良く、「辞書は調べる物ではなくて、読む物だ」と言われる方がいますが、これは正しいと思います。辞書には辞書の言いたいこと、文脈がある以上、辞書はじしょだけで読むのが「辞書を理解する」には必要でしょう。
f〉〉2.について
f〉〉どうしてやさしいもの、例えばレベル4が読み難くかったら、レベル2〜3をたくさん読めば上のレベルが読めるようになるのか、私自身の経験としては、正しいことは、分かっていても、理屈が分からなかったです。
f〉〉語彙が増えるとか、基本語の使用法について理解ができるから、ということと実際は同じだと思いますが、杏樹さんの「読みながら、英語そのものを勉強している」という理解は分かりやすいです。
よく「多読すると英文に慣れる」から読めるようになると言う言い方がされますが、この「慣れる」と言うことが、「英語そのものを勉強する」事なのでしょうね。
杏〉私も理屈で説明するのには不十分ですが、なんだか読んでいるうちに読めるようになっていくのは確かなんですよね。日本語でも本をたくさん読めば読書能力は上がります。高校生の時にてこずりながらやっとのことで読んだ本を、十?年ぶりに書店で見つけてもう一度読んでみようかな、と思って買ってみました。(前は図書室で借りて読んだ)。そうしたらあんなにてこずっていた本がウソみたいにすいすい読めました。
これは、「多読」と言うメソッドが内包している「読書する」側面の問題ですね。
「読書する」と言う行為は、その「読書する内容」に対応する部分を「読書する」側が持っていなければ、困難な行為だと思うのです。
杏樹さんが言われる事は、高校生の頃には「読書する側」になかったその本に対応する部分が、年月を経るとともに杏樹さんの内面世界が広がる事で出来上がったと言うことなのでしょう。
(「対応する部分」と言うと、なんだかハッキリしませんが、例を挙げれば、「興味」とか、「背景知識」とか、「経験」と言った事です。他にも、人の内面世界の広がり深まりの事ですから、いろいろあると思います。)
f〉〉以上です。長々と書いてしまい、すみません。
私こそ、いつもの事で長々とレスしてしまいました。
ではでは。
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: footprint
投稿日: 2003/11/7(13:49)
------------------------------
道化師さん、こんにちは。 footprintです。
〉ペギー双葉山さんの「プロジェクトS」は、読まれましたか?
〉私の屁理屈は別として、皆さんの停滞への言及がとても解りやすく整理されていて、とても面白いです。
私は、特に「停滞」を感じたことがないです。レベル3ぐらいで、児童書の本選びには苦労しましたが。今後、「停滞」したときに、参考にさせていただきます。
〉繰り返しになりますが、footprintさんの言われる「辞書を引いて精読するとか」の多読以外の方法で、英語の本を「楽しんで」読めるようになったと言っている杏樹さんの言われる英語エリートが存在するとして、おそらくはその人たちも、最終的には辞書から離れて「多読」して読めるようになったのだと思います。
賛成です。
sss多読を始めて、自分で飛ばし読みを体験して、「PBを読んでいる人」が100%理解して読んでいるわけでないということが想像できるようになりました。
以前は、「PBを読む」=100%理解して読んでいるというイメージがありました。
〉これは単なる推測とかではなく、私の周りに居た「受験英語」の達人達の中でも、目的が「受験」ではなく、「英語」にあるような連中は、sakigoroさんが実践していたようなアトム双書のような英語の副読本をとにかく沢山読んでいました。
私がイメージしたのは、英文科の人です。たくさん読むでしょうから、必然的に飛ばし読みになり、辞書なしで読めるようになるかなと思いました。(私は英文科じゃないのであくまで想像です。)
〉(何故、彼らがそういう副読本を「多読」するようになったかは、不明ですが、多分私の通っていた学校が、「リーダー」「文法」「英作文」の他に「副読本」ばかり読む英語の授業があった事に関係があるかも知れません)
私の高校には、なかったなあ。
f〉〉1.目標が、英語の本を(辞書を引かないでことなら)読むことなら、最初から辞書を引かないで読む。そのためにやさしいものを読む。
f〉〉(辞書を引かないで読むってのはコペルニクス的発想の転換ですね。)
〉以前から皆さんも書かれていますが、考えてみれば当然の事ですよね。
〉Julieさんの書かれていた自転車を例にとっても、ペダルを漕ぐ練習ばかりして、
〉次にブレーキを握る練習ばかり、そして何故2輪で倒れないかを本で読んで理解しても、決して自転車に乗れるようにはならない。自転車に乗れるようになるには、自転車にのるしか無いのですから。
〉もっとも最初からマウンテンバイクで走るような道は走れないから、広くて平らな道で走れるように乗る。これが「やさしい本から」と言うことですね。
でもほとんど人は考えつかなかったのでは。「最初から」辞書を引かないで読むという学習法は、辞書を引いて文法知識で精読するという、学校英語しか知らない中からは簡単には出てこないと思います。だから、多くの人が、辞書を引いてPBを読もうとするのです。(私もそうでした。)
f〉〉2.やさしいものをたくさん読めば難しいものも読めるようになる。
〉やさしい道でいっぱい乗って自由に自転車に乗れるようになれば、少し凸凹の道でも走れるようになる訳です。いっぱい少しの凸凹道を走れば、もう少し難しい凸凹道も走れるようになるって事ですね。
〉人間が何かを修得する道筋は、何でも同じなのでしょう。身につけたいものそのものを練習しなければ、決して出来るようにはならないと思います。
〉いくら野球の試合をテレビで見て、解説者並に試合展開を解説できても、決してその試合を実際にやってる選手のように上手にはならないんです。
私は、多読を始めてかなり長い間、このまま続けて読んでいってPBのような難しいものが自分に読めるようになるのか、半信半疑に思っていました。最近ハリーポッターや子供の頃に読んだ児童書が英語で辞書なしで読めて、初めて、このまま続けて読めば、PBも読めるようになるかなと思えるようになりました。
〉「読書する」と言う行為は、その「読書する内容」に対応する部分を「読書する」側が持っていなければ、困難な行為だと思うのです。
〉(「対応する部分」と言うと、なんだかハッキリしませんが、例を挙げれば、「興味」とか、「背景知識」とか、「経験」と言った事です。他にも、人の内面世界の広がり深まりの事ですから、いろいろあると思います。)
あまり意識してないけど、「好み」とかに現れるのでしょうね。
f〉〉以上です。長々と書いてしまい、すみません。
〉私こそ、いつもの事で長々とレスしてしまいました。
簡潔なほうがいいのですが、なかなかですね。
〉ではでは。
では、道化師さんも、Happy Reading!