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お名前: みちる
投稿日: 2004/3/14(07:46)
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たこ焼さん、じゅんじゅんさん、こんにちはー。
ちょこっとおじゃまさせてください。
たこ焼さんの書き込みをみてから、自分が思っているのと少しニュアンスが
違うなーと思って、色々考えてこうかなと思ったものがあるのだけど、
なんとなく、じゅんじゅんさんの書き込みが近いような気がしてきたの。
たこ焼さんの書き込みを読んでから、色々と考えていたことは、
例えば、「名文集」なんていうものは、物語から切り出されてもので
あるけれど、それは物語から離れても言葉だよなぁとか。
「元気?」とか「好き。」とかだって、一つの語であるけど(文でもあるね。)
これはやっぱり、言葉だなぁとか。
道化師さんの「事の場」なら、「物語の場」から「日常生活の場」に、
移動可能な単位というのかなぁとか。
そんなときに、ある曲を聞いていて、「言葉をつむいでいる」という歌詞
があって、そうそう、言葉ってどこかに置かれるというよりも、つむぎ
だされるものって気がするなぁとか。
そんなことを考えていたら、そうだ「言葉は伝えるもの」なんだって思ったの。
言葉に単位があるとしたら、それは「伝えられる」という単位になるんじゃないか
って気がします。
(何パーセントが伝わるかとかそういうことは、ここでは問題ではなくて。
発する側の問題として。)
一つの語で伝えられるものもあれば、一つの文で伝えられるものもあれば、
一つの物語で伝えられるものもある。
これは、すべて言葉なんだって思います。
一つの物語は、それで一つの言葉だし、一つの物語の中には、いくつもの言葉たちが
いるものなんじゃないかなって。
たこ焼さんとは、同じでもあり、ちょっと違うようでもあるのだけど。
これって、じゅんじゅんさんの「気持ち」と似ているような気がするなぁって、
なんとなく、うれしかったので、ここに書かせてね。>じゅんじゅんさん。
(CDの話も、うれしかったから、すり切れるまで聞いていいよ。(笑))
それでは、またー。
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ふふふふ、 レスがついたから、もう削除できまい・・・(^^) こんばんはー、みちるさん。たこ焼で〜す。 スイマセンが、本格的なレスはいずれまたということにします。 たこ焼は、じゅんじゅんさんやみちるさんと、 違うことを見ているような気がしない、 とだけは付け加えときますー。 他の人にはどう見えるのかは知りませんが、 この「言葉の最小単位は物語」シリーズでたこ焼は、 「語」「文」の連想力への感受性をmaximumに上げて、 つまりたこ焼なりの全身全霊で、言葉をつむいでいるつもりなのです。 ではでは〜♪