[掲示板: 〈過去ログ〉SSS タドキストの広場 -- 最新メッセージID: 14976 // 時刻: 2024/11/23(10:57)]
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お名前: 道化師
投稿日: 2004/3/11(02:52)
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こんばんはー、チクワさん。道化師です。
〉道化師さんこんばんは。五月蝿いチクワです。
〉杏樹さんからのご反論を、精神統一してお待ちなのでしょうね。
〉(ぶーん ぶーん ぶーん・・・)
はい、そうだったんですが、チクワさんからのレスの方が、
私にはより「予測」していたレスなので、
チクワさんに全力を尽くしちゃうぞー。
これぞ、まさに「飛んで火に入る・・・」ですねー(ヒッヒッヒ)
〉ほくそ笑んでおいでなのでは?
あっ、解りますー?
ペギーさんは、通過報告を書くと、次の通過報告の企画を立ててから、
次の100万語を読んで行くみたいですが、
私の場合は、何か投稿する時は、それに対するレスを予測して、
それに対するレスを大体準備してあるんですねぇー。(ヒャヒャヒャ)
〉どうぞお大事に。NMS、まじに考え込みました。読み飛ばせなんだ・・・
考え込ませてしまって、スミマセン。(イタ)
〉私チクワは、「文書処理能力派」です。
〉道化師さんをボコボコに、なんてしてみたいけど、指先で弾かれるだけ
〉なんだろうな。
いや、今は指先に力が入らなくて。(イタタ)
〉私は、「文書処理能力」は、結果論的な力だと思っていたのです。
〉でも確かに先に言葉があると、「追い求めたくなる」ということは
〉考えられますね。
私も、「文書処理能力」だけを対象にしたかったんですが、
杏樹さんが同義語的に使われていたので、併記しました。
じゃあ、「文書処理能力」に絞りましょう。
私が使った「予測能力」って言葉もいけないのですが、
「・・・力」が付く言葉だと、
個人のポテンシャルが問題にされてしまいそうな気もするんですね。
〉道化師さんのおっしゃる「予測能力」が
〉「知らない単語の意味を推測できる能力」ではない、というのはわかります。
〉「その小説を読む前に、何が書かれているか」ですか〜。
〉ほんとに大きい単位ですね。
ここで、今まであちこちに何回も書いてきた事ですが、
改めてお断りしときますね。
私は、英語に関して、教える立場でもないし、日常仕事で必要でもありません。
英語の学習を趣味にもしていないし、学校時代の英語の出来は劣悪です。
さらに、「好きだけれど出来なかった」のではなく、「嫌い」でした。
ですから、私の基本的な発想は「英語で読めるか?」ではなく、
母語である日本語を含めて「何故言語で本(文書)が読めるか?」なんです。
前置きが長くなりましたが、
例えば小説を一冊読もうとしてる場面を想像して下さい。
恋愛小説を選んで読もうとしているとします。
その時、その読者の脳裏には
「男と女が登場するだろう。そして、恋愛する。きっとその恋愛に何かの障害があるだろうな。お金か?親か?病気か?身分か?男女は一組だけかな?三角関係か、四角関係にでもなるのかな?結末は、恋愛成就するか、悲恋に終わるかだよな。」
ぐらいの予想はついていると思うんです。
で、その予想は8割方当たってると思うんですね。
(その予想に反して、男しか登場せず、男同志が哲学的な話題に終始して、
最後の最後に愛を囁き始めて、結ばれるなんてゲイ小説だったら、
とっても読みにくいでしょうねぇ)
それで、思ったとおり男女が登場してきて、その男女の容姿、年代、性格
などの条件が与えられる。
で、「なるほど、女の方が年上のパターンなんだな」とか思うわけです。
だとすると、男の親が反対するとか、若い他の女が現れて男の気持ちを
揺さぶるんだろうなぁとか、更に予測が続くわけです。
〉わたしはもう少し小さい単位での「予測能力」の存在を考えたことがあります。
〉今読んでいる1文、1パラグラフくらいが、どう展開するか?という能力として。
チクワさんの言う、この予測能力は、私の言う予測能力が、
読み進めて行くうちに、よりその本に沿ったものになって、
具体的、且つ、詳細になった最終形に位置すると思います。
〉多読を通してリスニング能力があがる場合が、結構ある理由として
〉よく言われるのが、まず「文を前から理解する力—これが文章処理能力」
〉「わからない部分の飛ばし読み技術が飛ばし聞きにもつながる」あたりだと
〉思いますが、それに加えることができるのが「文の展開予測能力」なのではないかな?
〉と。 (あと、多量の分量の文への「慣れ」とか。)
〉道化師さんの「予測能力論」からずれていますかねー。すみません。
上で書いたように、同じモノの最初と最終形だと思いますから、
ずれているとは思いません。
でも、まず先にあるのが「予測能力」だと思うのです。
例えば、その選んだ恋愛小説の別れ話をしようかと言う場面で、
彼女の情熱のこもった瞳を見つめて、僕は
「今日のレバニラ炒めは胃にもたれるな」と思った。
すると彼女は、
「昨日、巨人の清原が出刃包丁で、逆立ちしていたのね」
と言いながら、小さい鞄を開くと、
真っ白なワニが僕に向かって飛び出してきた。
なんて書いてあったら、文章処理能力があっても???って感じになると
思うんですね。
一文一文は確かに意味が解る。
でも、何を書いてあるのか解らないって感じると思うんです。
これは、「恋愛小説における別れ話」という予測を超えているからなんですね。
でも、これが男のうなされる悪夢の場面だったら、
それなりに納得できてしまう。
「夢」という予測のつく範囲に入るからです。
〉>予測能力だから、知らないジャンルは、やさしい単語で書かれていても、
〉>意味がつかめないのだと思うんです。
〉>文章処理能力、文章読解力だったら、読めるはずですもん。
〉えー?、別々に両方成り立ってよいのではないですか?
〉たしかに早いうちから役に立ちそうなのは「予測能力」のほうかも
〉しれませんが。
早いうちだけでなく、最後まで「読む」のに役立つのは「予測」だと思うんです。
言ってしまえば、私たちは知っている事しか読めないって事だと思います。
上で、日本語の例文を見ても、母語の文章処理能力をもってしても、
解らない文章は存在するわけですし。
全く文章処理能力が「読む」に貢献しないとは思いませんが、
それよりも文章処理能力は理解する速度に関わりがあると思います。
〉>(勿論、誰だって、常識ってものがありますから、知らないジャンルだって、
〉>ある程度は「読める」=予測が立つでしょう)
〉そうですね。だから、日本語でいえば、あんまり好きではなくても
〉新聞のニュースが読めるのだし。
〉あ、多読では「あんまり好きではないもの」を読むのは勧められない
〉ですねえ。うーん・・・「文章処理能力」旗色悪し?
好きなものを読むと言う点から考えると、
タドキストの皆さんの中に、短期間に1000万語前後の
卓越した量を読まれている方がいますよね。
その方々の話を聞いていると、皆さん、ご自分の好きな本に拘りを持って
読まれている。そのジャンルに拘るって言っていいのかな。
そして、英語の本を読む以前に、その同じ拘りの種類の日本語の本を
大量に読まれているんですね。
これは何を意味するのか?
同じ系統の日本語の本を大量に読んでいることで、
その系統の本の内容の予測が正確になっているからなんじゃないのか?
って思うんです。
もし、多読を通して身に付くスキルの主が「文章処理能力」ならば、
全然普段の多読と系統の違うTOEICの、
少なくてもリーディングの部分は、飛躍的に伸びると思うんですね。
(あっ、またTOEICの亡霊を出してしまった)
〉(「文章処理能力派」のみなさんごめんなさい。ハエ程度の反論でした。
〉しかも、頭のまわりを飛べばいいのに、壁にとまったまんまだ・・・
〉道化師さんはハエタタキを探しもしないでしょう。)
いやいや。ご丁寧に、そちらから飛び込んできていただいたハエには、
こちらも丁重に扱わせていただきますよー。
あっ、チクワさんをハエ呼ばわりしてしまった。すみません。
じゃ、言い直して、丁重にチクワのから揚げぐらいにしちゃいます。
〉>文章処理能力、文章読解力と言ってしまうと、やっぱり、
〉>たくさん読んで、あの文もこの文も覚えて、みたいな、
〉>違う意味のビルディングが起きてしまうような気がして、
〉>あえて書いてみました。
〉そうかも。
〉でも、結果論的「文書処理能力」−(ビルディングせずともおまけで
〉ついてくる力)をなんとか擁護したいなあ。
うーん、もしかすると、文章処理能力の実体が、もしくは、中核が、
予測能力なのじゃないか?とも、思ったりするんですが、
英語力の低い私には、チクワさんの言う文章処理能力の実体というか、
幅が上手く掴めません。
〉道化師さん、読んでくださってありがとうございました。
〉そうでなくても考えるきっかけをありがとうございました。
とんでもないです。
私も、こうしてチクワさんと噛みあった議論をしてると、
自分自身が何を言いたいのか解ってきますから、
丁寧なレスをありがとうございました。
ではであ。
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お名前: 杏樹
投稿日: 2004/3/12(01:45)
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道化師さん、こんにちは。
〉はい、そうだったんですが、チクワさんからのレスの方が、
〉私にはより「予測」していたレスなので、
〉チクワさんに全力を尽くしちゃうぞー。
〉これぞ、まさに「飛んで火に入る・・・」ですねー(ヒッヒッヒ)
〉〉ほくそ笑んでおいでなのでは?
〉あっ、解りますー?
〉ペギーさんは、通過報告を書くと、次の通過報告の企画を立ててから、
〉次の100万語を読んで行くみたいですが、
〉私の場合は、何か投稿する時は、それに対するレスを予測して、
〉それに対するレスを大体準備してあるんですねぇー。(ヒャヒャヒャ)
ほほほほほ。
忙しくて議論してるヒマがないからさっさと終わらせようとして結論に飛んでしまいました。チクワさんが「予測」通りのレスをつけてくれてよかったですねえ。
これで終わらせておけばいいのですが、これ↓が気になったので…地雷を踏んだらどうしましょう。
〉早いうちだけでなく、最後まで「読む」のに役立つのは「予測」だと思うんです。
〉言ってしまえば、私たちは知っている事しか読めないって事だと思います。
〉上で、日本語の例文を見ても、母語の文章処理能力をもってしても、
〉解らない文章は存在するわけですし。
〉全く文章処理能力が「読む」に貢献しないとは思いませんが、
〉それよりも文章処理能力は理解する速度に関わりがあると思います。
道化師さんは前にも「知っていることしか読めない」って言ってましたね。
それは道化師さんの読み方です。
新しいことを知るために、知らない世界を知るために本を読むことがあるはずです。「予想外の展開!どんでん返しに次ぐどんでん返し!」みたいな本もありますし。
むしろ「興味のないものは読めない」と言ったほうがいいのではないでしょうか?
興味があれば、本を通じて知らない世界に触れることは充分出来ます。未知の世界を訪ねて予想外の展開にとまどって、読み終わったら世界がすこ〜し広がってる。
そういうことがあるはずです。
私はどんでん返しや予想外の展開が好きですから、「予測が立つ」といってしまうと、予測の立つ世界はおもしろくない、と思ってしまいます。知っていることを再確認するよりも、新しいことを知りたいと思います。道化師さんが例に出している「恋愛小説」みたいなのは読みたいという気がしませんねえ。そんな予測できる世界は私にとっては面白みを感じません。
「新しいこと」「予想外の展開」と言ってもそれも「予測できる世界」のうちだと言われてしまうかもしれませんが。でも予測の中で読んでるとか、知ってることしか読めない、って言ってしまうとなんだか世界がせま〜く感じてしまいます。
少なくとも私は本を読むのは未知の世界を訪ねるためと言っていいでしょう。
道化師さんは「知っていることを読む」。でも「未知の世界を求める」人もいる。
…ということでどうですか?
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10926. 人は、自分の知っている事の全てを知っている訳ではない
お名前: 道化師
投稿日: 2004/3/13(22:42)
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杏樹さん、こんばんは。道化師です。
せっかく、地雷を踏む覚悟でレス頂いたのに、お返事遅くなってすみません。
なんせ、肉体的ハンデキャップが、一日の打ち込み量を制限してるもんで。
(それで丁度良いって?)
〉ほほほほほ。
〉忙しくて議論してるヒマがないからさっさと終わらせようとして結論に飛んでしまいました。チクワさんが「予測」通りのレスをつけてくれてよかったですねえ。
はい。
杏樹さんが、遊んでくれそうないないなぁって思ってたところでしたので、
嬉しかったです。
〉これで終わらせておけばいいのですが、これ↓が気になったので…地雷を踏んだらどうしましょう。
おぉ、見事に仕掛けた地雷を探し当てていただきましたねぇ。嬉しい。
私、ペギーさんに「アナライザー」って命名されましたが、
実はアジテーターなんです。
だから、アジテーションの為に仕掛けた仕掛けに気付いて貰えないと、
つまんなぁーいんです。(笑)
今回は、久子さんにも気付いてもらえたみたいだし、めでたしめでたし。
(最近、マリコさんは、気付いてて、知らぬふりするからなぁ)
〉〉早いうちだけでなく、最後まで「読む」のに役立つのは「予測」だと思うんです。
〉〉言ってしまえば、私たちは知っている事しか読めないって事だと思います。
〉道化師さんは前にも「知っていることしか読めない」って言ってましたね。
あら、そんな前の発言まで覚えていてもらえて、光栄です。(ホントに)
〉それは道化師さんの読み方です。
男女の仲で、「あなたはあなた、私は私」な発想は幸せになれないですねぇ。
(って、違う話ですね。)
〉新しいことを知るために、知らない世界を知るために本を読むことがあるはずです。「予想外の展開!どんでん返しに次ぐどんでん返し!」みたいな本もありますし。
どんでん返しに付いて言えば、どんでん返しと私たちが許容できる結末は、
私たちが予測出来る範囲に収まると思うのです。
「巨人の星」で、星飛雄馬がマウンドに居て、9回裏二死満塁の場面で、
バッター花形、星が大リーグボールを投球した瞬間、隕石が後楽園球場に落下、
死者数万人が出たなんて結末は、予想外の結末ですが、
私たちには許容出来ないと思うんです。
許容出来ないって言い方がおかしければ、理解出来ないでもいいです。
〉むしろ「興味のないものは読めない」と言ったほうがいいのではないでしょうか?
〉興味があれば、本を通じて知らない世界に触れることは充分出来ます。未知の世界を訪ねて予想外の展開にとまどって、読み終わったら世界がすこ〜し広がってる。
〉そういうことがあるはずです。
「興味がある」とは、どういう事を言うのか?を考えると、
知らない事に興味は湧かないと思うんですね。
知っているからこそ、興味が湧く。
宝塚の花組の男役トップが退団し、新しい人がトップになったとしても、
私は今までのトップが誰で、どんな役者で、
どんな演技をしてきたかも知らないし、
新しいトップがそれまでどんな経歴を持って、
トップに相応しい実力を培ってきたかも知らないから、
そんな事に興味が持てないわけです。
そして、私は宝塚を頻繁に見て楽しむ「場」に居ないから、
杏樹さんに「宝塚」独自の魅力をいくら説明してもらっても、
解らない訳です。
(今、唐突に「場」という言葉を使いましたが、これの意味については、
たこ焼さんへのレス「言語の最小単位は事の場」を覗いていただければ、
幸いです。私の言う「知っている」とは、その「場」にいると言う事です。)
逆に、杏樹さんに、商法で会社の自己株式の保有が認められた事の意味を
いくら私が説明しても、興味も湧かないし、理解も出来ないと思うんです。
(いや、実は、そういう事に興味があって、よくご存知なのかも知れませんが)
文化人類学者にマリノフスキーと言う人がいます。
この人の研究に、ニュー・ギニアからソロモン諸島にかけて行われていた
「クラ」と言う交易の研究があります。
このクラとは、Aという島の民が、Bという島に行き、そこに財貨を贈与し、
Bの島民は、Cの島に行き、財貨を贈与し、CはDへ、DはAへ
という具合の「贈与」の円環の風習なんですが、
マリノフスキーは、この交易の島々に与える機能をせっせと研究しているんです。
マリノフスキーの「興味」によって、描き出される「クラ」の機能は、
なるほどそういうものか、と確かに納得できるんです。
でも、それは私も属している「西欧化社会」
(で、良いですか?なんなら、南北問題って言葉もありますから、
北側社会でも良いです)
の「社会的機能」の概念を、ニュー・ギニアの人々の風習に持ち込んで、
結局の所、「私たちの社会で言うところの、これこれの機能をこのクラによって、
実現しているのだ」って言う研究なんです。
で、その解説というか、研究の主張は解る。
解らないのは、ニュー・ギニアの人達が、私たちの社会で行っている
「これこれの機能」を何故、そんな不合理(と、こちら側からだと見える)な
「クラ」によって実現しているのか?って事なんです。
ニュー・ギニアの人々自身は決して不合理な事をしてるとは思っていないと
思うんです。
必然であり、合理的な行為として「クラ」をやっている。
そうでなければ、広い範囲に於いて、永続的に続くわけ無いですから。
その彼らの合理性、必然性が、私にはどうしても理解不能なんです。
つまり、マリノフスキーは、西欧側の既に知っている事の興味から
ニュー・ギニアを研究し、既に知っている「社会的機能」によって、
クラを描いたに過ぎない訳で、「新しいことを知った」訳ではないと
思うんです。
繁華街を撮った一枚の風景写真があるとします。
ゴチャゴチャとした街並み、雑多な看板、大勢の雑踏・・・
そんなものが写っています。
(道頓堀界隈を広角レンズで撮った感じです。)
その写真を何回か目にしたことがある。
でも、大体場所はどこかぐらいの印象しか受けない。
特に芸術的と言う訳でもないし、歴史的価値があるとも思えない。
それが、
「その写真には、郷ひろみと松田聖子の密会が写っているよ
ホラ、その喫茶店の中」
と言われると、はじめて、確かに片隅に写っている喫茶店の窓の中に
微笑みあう郷ひろみと松田聖子が見えてきたりする訳です。
この場合、それを漠然と見ていた時に、
その写真が見えていなかった、つまり知らなかった訳ではないと思うんです。
その喫茶店だって見えていたし、その中に客が居るのも見えていた。
私たちが「本を読んで知る」事が出来ると言うのは、
こういう事じゃないのかって思うんです。
もう一つ。
沢山の人が街中で居る絵があります。
小さく人がいっぱい書いてある。
それを眺めている。
でも、何も見えてこない。
ところが、その絵が何年も前に流行った「ウォーリーを探せ」の一枚だと
教えられると、確かにウォーリーが書いてあるんです。
こういう「密会写真だよ」とか「これはウォーリーを探せの絵だよ」と言う
指示と言うか、それを受けてからの対象への視線を
エドムント・フッサールと言う哲学者は「意識の指向性」と言った訳なんですが、
(単に「志向性」と訳される場合もあります。)
私たちが「新しい事を知る」と言った時に、実は、
それは新しい世界が目の前に現れると言う事ではなく、
今まで目の前に在った世界に新たな志向性が与えられるに過ぎないのではないか?
って思うんです。
(「に過ぎない」と言う言い方は、新たな志向性の獲得への冒涜ですね。)
つまり、私たちは自分が知っている事を、全部意識して知っている訳ではないし、
(志向性を持っている訳ではない)
例え、意識して知ろうとしても
(志向性を持ったとしても)
今、目の前にある「写真」や「絵」以外のものが見える訳ではない、
(自分の存在しない「場」の知らない事を知る事は出来ない)
って思うのです。
〉私はどんでん返しや予想外の展開が好きですから、「予測が立つ」といってしまうと、予測の立つ世界はおもしろくない、と思ってしまいます。知っていることを再確認するよりも、新しいことを知りたいと思います。道化師さんが例に出している「恋愛小説」みたいなのは読みたいという気がしませんねえ。そんな予測できる世界は私にとっては面白みを感じません。
言ってみればどんでん返しや、予想外の展開は、
知っているけれど意識していない(志向性を持っていない)世界って事になると
思います。
だから、私だって、既に志向性のある知識の上塗りばかりではつまらないと
思っています。
私の言う予測出来る世界とは、志向性を与えられる事によって、
知っている事として浮かび上がってくる世界とでも言ったらよいでしょうか。
ただし、知っているけれど意識していない世界(志向性を持っていない世界)は、
たこ焼さんの言う「無意識」とは異なります。
たこ焼さんの言う「無意識」は、志向性を与えても、見えては来ない世界ですから。
〉「新しいこと」「予想外の展開」と言ってもそれも「予測できる世界」のうちだと言われてしまうかもしれませんが。でも予測の中で読んでるとか、知ってることしか読めない、って言ってしまうとなんだか世界がせま〜く感じてしまいます。
〉少なくとも私は本を読むのは未知の世界を訪ねるためと言っていいでしょう。
〉道化師さんは「知っていることを読む」。でも「未知の世界を求める」人もいる。
だから、何の「場」の共有も無い「未知の世界」は、
いくら興味を持って知ろうとしても、知ることは出来ないと言う事です。
確かにこう言うと、「世界がせまーく」感じてしまいますが、
逆に言うと、世界の近代化の歴史は、西欧社会の「場」に、
それ以外の社会を巻き込むと言う流れで来ていると思うのです。
それは西欧社会の「場」としての世界を広げる事ではなく、
違う「場」を持つ異なる社会を西欧社会の「場」の言葉によって、
再定義し直し、それを異なる「場」に参加していた人達に強制し、
異なる「場」を消滅させてきた、
世界を広げず、外の世界を無くしてきた歴史だと思うのです。
特定の個人は、特定の「場」にしか存在する事は出来ないのですから、
その特定の個人が「世界がせまーく」感じた発想が、
西欧社会の異なる社会の粉砕になってのでは?と思うのです。
…ということでどうですか?
ではであ。
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お名前: 杏樹
投稿日: 2004/3/14(00:57)
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道化師さん、こんにちは。
〉せっかく、地雷を踏む覚悟でレス頂いたのに、お返事遅くなってすみません。
〉なんせ、肉体的ハンデキャップが、一日の打ち込み量を制限してるもんで。
〉(それで丁度良いって?)
とてもハンディキャップがあるとは思えない数々の書き込みです。
本当は忙しいので時間差レス、歓迎です。
〉おぉ、見事に仕掛けた地雷を探し当てていただきましたねぇ。嬉しい。
〉私、ペギーさんに「アナライザー」って命名されましたが、
〉実はアジテーターなんです。
〉だから、アジテーションの為に仕掛けた仕掛けに気付いて貰えないと、
〉つまんなぁーいんです。(笑)
〉今回は、久子さんにも気付いてもらえたみたいだし、めでたしめでたし。
〉(最近、マリコさんは、気付いてて、知らぬふりするからなぁ)
でも道化師さんのレスを見てると、本気で食って掛かってるんんじゃなくて、議論のための議論をしてるような気がしてきました。
そもそも「知っていることしか読めない」という道化師さんの意見に対して、私が「未知の世界を知りたい」と書いたことで、それを自分の理解できない世界に結びつけて反論するのは飛びすぎではありませんか。
〉どんでん返しに付いて言えば、どんでん返しと私たちが許容できる結末は、
〉私たちが予測出来る範囲に収まると思うのです。
〉「巨人の星」で、星飛雄馬がマウンドに居て、9回裏二死満塁の場面で、
〉バッター花形、星が大リーグボールを投球した瞬間、隕石が後楽園球場に落下、
〉死者数万人が出たなんて結末は、予想外の結末ですが、
〉私たちには許容出来ないと思うんです。
〉許容出来ないって言い方がおかしければ、理解出来ないでもいいです。
そう来るかなーとは思いましたけどね。
でも予想を裏切る展開で、かつ読者を納得させる、というのはストーリーテリングの高等技術です。物語はAかBか、の二者択一的な方向にしか進めないわけではありません。野球の試合なら勝つか負けるか、の二者択一の展開しか望めないわけですが、日常生活にしろ、物語の中にしろ、いつもそんな単純な結末が待ってるわけではありません。だから予測可能な世界はせまい、おもしろくないって言ったんです。
例えば道化師さんが提示した「恋愛もの」
恋愛ものとなれば男と女が出てきて、そうなると結ばれるか別れるか、まさに二者択一の結末しかないですね。あとはその恋愛にどう言う障害が待ち構えているか、で展開するしかない。…わけではありません。男と女が出てくる、読者は結ばれるか別れるか、と考える。しかし本当によく出来た物語というものは、単に二者択一のどちらかの結末を示すのではなく、登場人物の気持ちを描くところにあるのです。
恋をしたことで相手を必死になって追いかけ、何もかも捨ててボロボロになっていく。そこで自分がどん底まで堕ちていって我に返った時何を考えるか?
また、過去に傷ついて他人に心を閉ざしていた主人公が、愛する人を見つけることによって再び他人と交流しようとする。
また、好きな人が出来て、その人にふさわしい人になろうとして自分を磨き、生きる目的をみつけていく。そういった自分探しの物語になっていくとか。はたまたそうして成長した主人公は好きな人を振り切って新しい世界へ出かけてしまう、とか。
たとえ結ばれようと別れようと、その恋で登場人物が得たものがしっかり書かれていれば、読者は登場人物に共感し感動します。二者択一の結末ではなくそういった心の変化を感じ取って感動するのです。
それでも道化師さんは、それは「予測」のなかで起こることだと言うかもしれません。
しかしそこで宝塚の話題はわからない、とか私には自社株の所有の話題はわからない、だから知らないものは読めない、というのは飛躍しすぎです。
私はこの間MTHのリサーチガイドを4冊読みました。そのうちの1冊「Rain Forest」は、表紙を見ただけで「パス!」と思い、気持ち悪いので目につかないよう他の本の間に埋めておきました。だいたい熱帯雨林なんてまるきり興味もありませんし。
しかし他の3冊を読んだら、そちらはまだ興味を引く内容だったのですが、それでも「知らなかった」と思うことが多くて、しかも読みやすくてするする読めたので、その勢いで「Rain Forest」ものぞいてみたんです。そうしたらすらすら読めておもしろいではありませんか。生き物の写真は気持ち悪いので直視しないようにしましたけれど、結果的には「おもしろかった」と思いました。
私がMTHの1巻を読んだ時、知らない単語が多くて読みにくいと思いました。そのうち間を空けながら巻数を重ねていったらだんだん読みやすくなっていきました。1巻の時の読み方だったら「Rain Forest」は絶対読まなかったと思います。すらすら読めて、しかも「読める」こと自体が楽しいから読めたんです。
興味がなくても内容がわかるならなら読めてしまうことはあるんです。
それから、専門的なことを難しく書いた本もありますが、専門外の人にもわかりやすく書いた本もあります。わからない人にうまく説明するのは、本当にわかっていないとできません。本当にわかっている人に導いてもらって、わからなかったことを知ることもできるわけです。私は理数系はさっぱりだめで数式の世界が理解できないのですが、「数式を使わない物理学入門」という本を読んだ時はおもしろかったです。ドップラー効果という言葉を覚えて、救急車が通り過ぎた途端になぜ音が低くなるのかもわかりました。
〉〉私はどんでん返しや予想外の展開が好きですから、「予測が立つ」といってしまうと、予測の立つ世界はおもしろくない、と思ってしまいます。知っていることを再確認するよりも、新しいことを知りたいと思います。道化師さんが例に出している「恋愛小説」みたいなのは読みたいという気がしませんねえ。そんな予測できる世界は私にとっては面白みを感じません。
〉言ってみればどんでん返しや、予想外の展開は、
〉知っているけれど意識していない(志向性を持っていない)世界って事になると
〉思います。
〉だから、私だって、既に志向性のある知識の上塗りばかりではつまらないと
〉思っています。
〉私の言う予測出来る世界とは、志向性を与えられる事によって、
〉知っている事として浮かび上がってくる世界とでも言ったらよいでしょうか。
なるほど。
では道化師さんが私の「読解力」「文章処理能力」という言葉にこだわって反論してくるならば、「予測できる世界」という言葉も不適切な表現ではないかと思います。「予測」と「方向性を与えられて認識する」ことは違うのではありませんか。
〉ただし、知っているけれど意識していない世界(志向性を持っていない世界)は、
〉たこ焼さんの言う「無意識」とは異なります。
〉たこ焼さんの言う「無意識」は、志向性を与えても、見えては来ない世界ですから。
はい。
〉〉「新しいこと」「予想外の展開」と言ってもそれも「予測できる世界」のうちだと言われてしまうかもしれませんが。でも予測の中で読んでるとか、知ってることしか読めない、って言ってしまうとなんだか世界がせま〜く感じてしまいます。
〉〉少なくとも私は本を読むのは未知の世界を訪ねるためと言っていいでしょう。
〉〉道化師さんは「知っていることを読む」。でも「未知の世界を求める」人もいる。
〉だから、何の「場」の共有も無い「未知の世界」は、
〉いくら興味を持って知ろうとしても、知ることは出来ないと言う事です。
〉確かにこう言うと、「世界がせまーく」感じてしまいますが、
〉逆に言うと、世界の近代化の歴史は、西欧社会の「場」に、
〉それ以外の社会を巻き込むと言う流れで来ていると思うのです。
〉それは西欧社会の「場」としての世界を広げる事ではなく、
〉違う「場」を持つ異なる社会を西欧社会の「場」の言葉によって、
〉再定義し直し、それを異なる「場」に参加していた人達に強制し、
〉異なる「場」を消滅させてきた、
〉世界を広げず、外の世界を無くしてきた歴史だと思うのです。
〉特定の個人は、特定の「場」にしか存在する事は出来ないのですから、
〉その特定の個人が「世界がせまーく」感じた発想が、
〉西欧社会の異なる社会の粉砕になってのでは?と思うのです。
これこそ議論のための議論にもつれこんでいませんか。
西欧社会による世界の近代化、というと私が飛びつきそうな話題ですが、本が読めるとはどう言うことか、という話題からはずれていると思います。
道化師さんの「予測」に答えたか、それともはずしたか…。
いかがでしょう?
(忙しいから誘うなって>自分)
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こんばんは、杏樹さん。道化師です。
さて、私の論考に対しての様々なご指摘ありがとうございました。
しかし、古川さんの主旨を尊重し、
この場での発言は差し控えようと思います。
杏樹さんご指摘の私の論理の飛躍、議論の為の議論に受け止められてしまう点、
など、新たな問題として、私自身は考えて行きたいと思います。
それでは、また別の「場」で、遊んでやって下さい。
ではであ。