[掲示板: ゼロからスタート!まずは10万語! -- 最新メッセージID: 10127 // 時刻: 2024/11/24(03:15)]
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お名前: 杏樹
投稿日: 2004/6/10(00:10)
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akoさん、こんにちは。
お礼レスが忙しいかなーと思いつつ、なんか、誘われているような気がして…。
〉絵本だけで100万語!! 考えもしませんでしたが、何て遠大で素晴らしい発想。
〉まるでニコライ2世の時代に、ロシア革命を夢見るような壮大な気持ちです。アレクセイakoミハイロヴナ・・・
〉それにしても杏樹さん、相変わらず大胆な方ですね!
〉GR読まないで100万語をお薦めになるとは…、その幻惑的な誘惑の響き、本気になってしまいそうです。
どんどん本気になってください。私はGRばかり読んでいる人を見るとすぐ絵本を読むようすすめるレスをつけてしまいますが、絵本ばかり読んでいる人にGRも読むようにとは言いません。
で、ミハイロヴナ…?ユスーポフ侯は?ついに革命派に寝返ったか…。
でもニコライ2世は本当に革命で倒されましたから、不可能ではありません。
しかしアレクサンドル1世時代となるとそうはいきません。デカブリストの乱を起こしても鎮圧されてしまいます。
〉児童文化論を! 杏樹さんの絵本の薦めは、根拠に基づいた自信から来るんですね。
〉中国のような、優れた文化の長い国がそうだというのは残念なことですね。
〉清朝末期以来の戦乱とか、共産主義時代の焚書坑儒のような時期の影響でしょうかねぇ。
〉欧米で絵本作家の層が厚いのは、やはり経済的に優位を保ってきたという国力の賜物なのでしょうか。
〉国民全体が食えない状態では、文学全体も低迷するでしょうが、まして児童文学をやろうという大人が出て来れませんものねー。
〉くやしいけど、欧米はやはりたいしたもんですね。
〉国力とか国益とか言いますが、改めて、国民の経済生活を左右する政治家の責任というのは重大ですね。
〉(やばい…世界史クラブになってきてしまう…ついつい)
ほらほら、こ〜んな誘惑が。akoさんが相手だと思うとしっかりきっちり語ってしまいます。
まず欧米で児童文化という認識が生まれたのは19世紀ごろです。子供は大人の小型版ではなくて、独自の存在であるという認識が生まれ、児童教育や児童文化というものの役割が認識されるようになりました。それが観賞価値のある絵本が生まれる土台になっています。
さて、日本ではちょうどそのころは明治維新、文明開花の時代。西洋文化を取り入れるのに必死になっていた時代ですが、そういった児童文化の概念も学んだことと思います。北原白秋がマザーグースを翻訳したり、「ハイジ」が「楓ちゃん」という名前で翻訳されるほか、創作の童話や童謡も生まれていきました。
翻って中国は、というと、そのころは植民地支配にあえいでいた時代です。確かに絵本や児童文学を発達させるには、ある程度の心の余裕というものが必要です。中国の児童文化の事情についてはまったく知りませんが、そのあたりの基盤が育たなかったのではないかと思います。
さらに中華人民共和国が成立しても、当初はまだ国を復興させるのに精一杯です。しかも「文化大革命」というものが起こってしまいました。これは中国現代史の中では悪夢の時代です。文学や映画、芸術表現はすべて毛沢東や共産党を讃えるプロパガンダと化しました。何の罪もない人が、揚げ足とりで「右派分子」「資本家の手先」として逮捕されました。中国の伝統文化は旧社会の遺物として片っ端から破壊されました。共産党のイデオロギーを表現する以外に何もできない時代に、児童文化どころかまともな文化が生まれるはずはありませんでした。
しかし文革が収束すると、今度は反動が起きます。何でも「文革が悪い」と文革のせいにして事足れりとする風潮です。文化・芸術表現は日本人が戦争の悲惨さを訴えるように、文革の悲惨さを訴える手段となってしまいました。
固定的な見方にとらわれないで自由な表現、普遍的な表現が行われるようになってきたのはまだまだ最近のことです。しかもまだ完全に自由ではありません。
しかし上海買出し報告でも書きましたが、別の面で中国の児童書はすごいです。
なにしろ古典・歴史がざくざく。「三国志演義」「水滸伝」「紅楼夢」といった古典のダイジェスト、「史記」「資冶通鑑」といった歴史書のダイジェストがいっぱい。しかも「論語」や唐詩、宋詞が原文にピンイン(中国語のローマ字表記)つき、解説つきで出ています。中国の子供は意味はわからなくてもいいから、論語や唐詩を暗誦するらしいです。
おかげで「多読用の薄くてやさしい本」を探しに行ったはずなのに、歴史の本におぼれそうになってしまいました。原書では読めませんが、子供向けに書き直したものなら読めるかも…って思ってしまうではないですか。
とにかく児童書コーナーで古典・歴史の占める割合が異様に大きかったと思います。さすが中国五千年。そういえば、中国人に「中国四千年の歴史」と言ったら「五千年です」と訂正された人がいます。
中国人と交流するのに唐詩のひとつも暗誦してみせるとか、会話に故事成語を織り込んでみるとかすると喜ばれる、と聞いたことがありますが、子供の頃から古典に触れているからこそなんですね。
〉そうなんです、ハードカバーの重たそうな洋書は、PB同様、カッコイイ〜〜
〉児童書でも同様ですが、絵本の絵の魅力には引き込まれるものがありますね。
〉まだ洋書の多読では出会っていませんが、私は、アーサー・ラッカムの絵が大好きです。
〉杏樹さんはきっとご存知と思います。
いいですね、アーサー・ラッカム。それこそカッコいいではありませんか。
OBW3の「The Wind in the Willows」の表紙の絵がアーサー・ラッカムです。本文は違うんですけど(ガッカリ)。
またまた語ってしまいました。このへんにしておきます。
それでは…。
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杏樹さん、こんにちは。
〉お礼レスが忙しいかなーと思いつつ、なんか、誘われているような気がして…。
こちらの広場では英語多読カンケイのみにとどめろとどめろ、と自分に言い聞かせる努力はしたのですが…
〉私はGRばかり読んでいる人を見るとすぐ絵本を読むようすすめるレスをつけてしまいますが、絵本ばかり読んでいる人にGRも読むようにとは言いません。
杏樹さんって、ご自分の英語読書の核になるポリシーを明確に持っておられるんですね。
たよりがいある〜〜
〉で、ミハイロヴナ…?ユスーポフ侯は?ついに革命派に寝返ったか…。
〉でもニコライ2世は本当に革命で倒されましたから、不可能ではありません。
実は迷ったんですが、革命・・・というと、つい、黒い騎士やクラウスが先に出てきてしまいました・・・ 理想像の本命はやはりユスーポフ侯です。。。
〉しかしアレクサンドル1世時代となるとそうはいきません。デカブリストの乱を起こしても鎮圧されてしまいます。
ほんとですね。反乱は、あらゆる時代・地域で起きていますけど、
成功する反乱と、鎮圧された反乱を比較すると、同じぐらいの武力で反乱しても、失敗する場合もあって、反乱派側の準備だけでは勝てない、ということを学べますね。孫子ではないけど、やはり敵の状態を十分に見極めて、時期や場所も選ぶような、計画性のある反乱が成功していますよね。
情熱と理想だけではダメというか・・・・・。
(しまった。孫子なんて書くと、また杏樹さんを誘惑したことになってしまうのかも………)
〉〉(やばい…世界史クラブになってきてしまう…ついつい)
〉ほらほら、こ〜んな誘惑が。akoさんが相手だと思うとしっかりきっちり語ってしまいます。
自覚せずに誘惑になってしまう悪い癖、どうしよう、部活病・・・
〉まず欧米で児童文化という認識が生まれたのは19世紀ごろです。子供は大人の小型版ではなくて、独自の存在であるという認識が生まれ、児童教育や児童文化というものの役割が認識されるようになりました。それが観賞価値のある絵本が生まれる土台になっています。
お! これはフィリップ・アリエスの『子どもの誕生』では???
それ以前の欧州では、子どもは労働力に見なされるだけの、非常に気の毒なものだったというアレでしょうか? 近代化の一つとして、子ども、という存在を概念として捉えて、その発見をしたーみたいなヤツ。初めて知った時は、へぇへぇへぇ… ∞ ぐらい驚きました。
女工哀史時代の日本も、貧しい農村では子どもは労働力と見なされたという時代があるそうですが、そのことを知った頃、貧しいっていうことは、かわいそう、というより、恐いこと、と思ったものです。
子どもをかわいい〜とかって、感じる余裕もなくなるのかなー?…とか。
アリエスのほう、経済的原因と、概念そのものの問題がどう結びついているか、イマイチ読み取れていません。これを機に、きちんと読んでみようと思います。
〉北原白秋がマザーグースを翻訳したり、「ハイジ」が「楓ちゃん」という名前で翻訳されるほか、創作の童話や童謡も生まれていきました。
そうだったんですかー。『赤い鳥』とかでしたっけ? あまり知らないもので…
〉翻って中国は、というと、そのころは植民地支配にあえいでいた時代です。
〉しかも「文化大革命」というものが起こってしまいました。これは中国現代史の中では悪夢の時代です。文学や映画、芸術表現はすべて毛沢東や共産党を讃えるプロパガンダと化しました。何の罪もない人が、揚げ足とりで「右派分子」「資本家の手先」として逮捕されました。中国の伝統文化は旧社会の遺物として片っ端から破壊されました。
『大地の子』や『ラストエンペラー』で見ました〜
老いたジョン・ローン…じゃなくて溥儀や、あの善良な中国人の小学校の先生が、首から看板下げさせられて引っ張られる場面が浮かんできます。
元・皇帝はしょうがないとしても、無名の庶民の学校の先生までってのは、なんなのー、ブンカクってー、と、よくわかりませんでした。
ポルポト時代のカンボジアも、『キリング・フィールド』という映画で見ましたが、共産主義思想がどうか、という前に、そういうことができる人間という生物(自分も)が心底こわくなりました。
何かの条件がそろった状況に置かれると、人って、あー成り得るんだと思って。
〉しかし文革が収束すると、今度は反動が起きます。何でも「文革が悪い」と文革のせいにして事足れりとする風潮です。文化・芸術表現は日本人が戦争の悲惨さを訴えるように、文革の悲惨さを訴える手段となってしまいました。
そうだったんですか。
高校教科書程度でも、中国史って、戦乱の凄さも王宮の凄さも、何でも規模が大きいし、革命も反動も、振り子の振り方が極端な国だなーと、とてもついていけない… すごすぎ… という印象だったのを思い出します。
19世紀のフランスも右に左に忙しくて同様ですが、中国ほどではないような・・・ 人間の数の集団が大きくなればなるほど、変化の仕方も変わってくるのだろうかな、と。
〉固定的な見方にとらわれないで自由な表現、普遍的な表現が行われるようになってきたのはまだまだ最近のことです。しかもまだ完全に自由ではありません。
文化って、長い時間がかかるんですねー。
〉なにしろ古典・歴史がざくざく。「三国志演義」「水滸伝」「紅楼夢」といった古典のダイジェスト、「史記」「資冶通鑑」といった歴史書のダイジェストがいっぱい。
こういう蓄積があるから、一時的に不毛な時代があっても、いくらでも再生するというわけか。すごいわ、やっぱ。
ダイジェストなら、日本語で読んでみたいな〜
マンガ『菜根たん』(←漢字が見つからない)は読んだのですが… 安易… ^^;
〉しかも「論語」や唐詩、宋詞が原文にピンイン(中国語のローマ字表記)つき、解説つきで出ています。中国の子供は意味はわからなくてもいいから、論語や唐詩を暗誦するらしいです。
これはすごい! いいものをたくさん暗記した子が、成長してから意味がわかるようになると、一生の宝ですね。
akoも、ユクカワノナガレハタエズシテシカモモトノミズニアラズ、とか、
ショギョウムジョウノヒビキアリ、とか、
当時はわかんないままでしたが、就職するようになって以降、いろいろな出来事があるたびに、そういうのを覚えていてよかったと思う機会が増えました。
暗記って、やり方によっては問題もあるでしょうけど、決してなめてはいけないのだな〜、と思ったものです。
〉おかげで「多読用の薄くてやさしい本」を探しに行ったはずなのに、歴史の本におぼれそうになってしまいました。原書では読めませんが、子供向けに書き直したものなら読めるかも…って思ってしまうではないですか。
SSS式で、英語との付き合い方がわかれば、あとは何語でも同じにやれそうな気がします。あとは長生きするしか・・・
〉そういえば、中国人に「中国四千年の歴史」と言ったら「五千年です」と訂正された人がいます。
こういうプライドの持ち方ができるって、羨ましいぐらいです。
〉中国人と交流するのに唐詩のひとつも暗誦してみせるとか、会話に故事成語を織り込んでみるとかすると喜ばれる、と聞いたことがありますが、子供の頃から古典に触れているからこそなんですね。
そうかー、中国語はできないけど、詩を一つくらいなら中国語で覚えてみようかな〜
日本語学習している中国人と知り合う、なんて機会がいつ起きるかわかんないですからね〜
〉OBW3の「The Wind in the Willows」の表紙の絵がアーサー・ラッカムです。本文は違うんですけど(ガッカリ)。
おお!あるのですね、アーサー・ラッカムの絵のあるGRが!
〉またまた語ってしまいました。このへんにしておきます。
早々に「趣味広場」に引っ越した方がよろしいのかな、と… ではまた。