[掲示板: 〈過去ログ〉英語のことなんでも -- 最新メッセージID: 2495 // 時刻: 2024/11/24(09:51)]
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: Tallinn
投稿日: 2006/8/30(20:05)
------------------------------
近眼の独眼龍さん、ご意見ありがとうございます。全体としての話にしましたので、こちらにまとめました。
〉「英語のことなんでも」とか「雑談の広場」とかに場を移しませんか?
今からですと中途半端になりますので、次回から書き込むときはそういたします。今回はご理解ください。
〉中学・高校の6年間で、読む英語量は、平均すれば5万語以下。それに
〉比べれば、1年前後で100万語単位で読むというのは、決してすくなくない
〉というふうに思ってしまいます。
SSS式は日本語と同じように英語を抵抗なく読んでいこうという精神のものと思います。英語でのチャット板もあり、その指針の拡大と環境作りとをされているのだと思います。とすると、日本語と同様にして考えるべきだと思いました。
例えば、ある海外の人が日本語に非常に興味を持っているとします。彼は日本語をできるだけ理解したいと。そのときに彼が日本の文豪の小説を30冊読んだので、日本語はもう大丈夫だと言ったとしたら、どうでしょうか?ほかの海外の人にとってはとてつもないことですが、日本人から見たら、それで日本語を理解できるようになったとみなせるかと訊かれたら、頷くことはできないのではないでしょうか?
〉で、反証をあげて噛み付いてやろうと、とりあえずやってみました。
〉そしたら、効果があった。だから続けている。
私は多読を否定してはいません。私の学習方法でさえも英語に触れる量が増えていけば変わります。インプットは基本です。しかし、無尽蔵にそれに時間を費やすわけにはいきません。
1年前、再学習の内容を検討していたとき、多読をちらと考えました。SSS式という形ですでに時間は経っていたようですが、たしか、その時点では100万語をスローガンにしていたと思います(今も基本はそうでしょうか?)。私はこれで全く検討対象から外しました。原書で10冊ほど。それで理解というのは不可能です。再学習のある段階が終わった今、一応、限定とはいえ、文も読めて理解ができるようになったので、多読をしてもいいかもしれないと思い始めました。今度は1000万語という言葉が出てきました。私は少し期待しました。このあたりまでの人たちが多ければ、システム化されている可能性があるかもしれない。そう思ったわけです。それで、前の質問をしました。これは私の目的を直截に表現したもので、それにSSS式がどう応えてくれるだろうかと楽しみにしたわけです。残念ながらこれといった答えは得られませんでしたが。
そこで、全く視点を変えてみることにしました。日本人であることを捨てる気持ちで、日本人が日本語に接するように全面的にSSS式に委ねてみたとして、どういう状況になれば英語を理解していると判断していいだろうかと。そしたら、今回のような質問になったわけです。
私はSSS式は英語で苦しんできた人たちの駆け込み寺であり、多くの人たちに希望を与えていると思います。私は英語難民ではないと思いますが、英語を理解したという気持ちになったことはありませんし、目標とする一応のレベルがあります。そこに確実にできるだけ無駄なく行こうと考えているわけです。無駄骨を折るのは専門の方で十分です。こっちは効率よくいきたい。私の専門(日本では片手ぐらいしかいません。世界でも稀少。それにしては収入は高くないですが(笑))より英語でいろいろ試している人は桁外れに多く、参考例が多いのですから。SSS式はその参考になるのかどうか、受け皿となるシステムを持っていると言えるか、それを先の質問から発展させて問うているわけです。何とはなしですが、SSS式が確固たるものになるにはまだ数年がかかるのではないでしょうか?
〉1日1時間と決めて読むのは、あんまりお薦めではありません。
〉Tallinnさんは、努力することもお好きなように感じましたので、
〉その1時間は勉強にあてて、息抜きをしたい時に、ここで言う多読を
〉されてみたらいかがなんでしょう?
私は専門関係の本を読んだり考えているとき、会社にいようとどこにいようと息抜きです(よく寝転がって専門書読んでます。至福の時です)。私の楽しみを不用意に英語で奪うわけにはいきません。通勤時間の1時間を英語に割いていることさえ、我慢ならないときがあります。しかし、その専門関係の本も情報も今は英語になってきているので、しばらく英語にも時間を割いているわけです。
------------------------------
Tallinnさん、こんにちは。
〉例えば、ある海外の人が日本語に非常に興味を持っているとします。彼は日本語をできるだけ理解したいと。そのときに彼が日本の文豪の小説を30冊読んだので、日本語はもう大丈夫だと言ったとしたら、どうでしょうか?ほかの海外の人にとってはとてつもないことですが、日本人から見たら、それで日本語を理解できるようになったとみなせるかと訊かれたら、頷くことはできないのではないでしょうか?
SSSでも「100万語読んだから英語はもう大丈夫」「1000万語読んだから大丈夫」とは言っていません。ただ、「多読前の自分」とは確実に変わります。しかも語数を重ねるごとに効果が蓄積されていきます。そもそも「これだけやったら英語はもう大丈夫」と保証している教材はあるのでしょうか。
それから「1頁300語、1冊300ページぐらいとみて」いるということですが、それはかなり難しい本です。それこそ「文豪の小説」レベルですね。SSSでは誰でもレベル0〜1から始めることを勧めています。それですと1冊100語の本もあれば1000語の本もあります。たくさんの本に触れて、たくさんの英語の状況に出会うんです。
Tallinさんの状況をうかがいますと、効率のいい方法を望んでいるようですので、レベル0〜1にこだわらないで「すらすら」読めるレベルの本を探せばいいと思います。「やさしすぎる」と感じるぐらいの本をたくさん読んでみると、多読がどういうものかわかってくると思うのですが…。
Tallinさんが今掲示板で望んでいる答えは、畳の上で水泳を習っているようなものです。いくらやり方を言葉で伝えてみても、実際に水の中に入ってみないと、泳ぎは覚えられません。言葉の説明だけで多読の効果を検証して納得してからでないと始められない、というのではいつまでたっても納得できないでしょう。
とりあえず勉強の合間にでも「やさしすぎる本」を少しずつ読んでみませんか。
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
827. 一部反応版です・・Re: 読書量(初投稿の掲示板からの移行です)
お名前: 近眼の独眼龍
投稿日: 2006/8/31(12:29)
------------------------------
Tallinnさん、こんにちは、独眼龍です
一部に反応させてください。そのせいで、引用がぶつ切りに
なってしまいました。そのため、論旨がずれてしまったら、
本当にごめんなさい。ご指摘くださいね。
〉例えば、ある海外の人が日本語に非常に興味を持っているとします。彼は日本語をできるだけ理解したいと。そのときに彼が日本の文豪の小説を30冊読んだので、日本語はもう大丈夫だと言ったとしたら、どうでしょうか?ほかの海外の人にとってはとてつもないことですが、日本人から見たら、それで日本語を理解できるようになったとみなせるかと訊かれたら、頷くことはできないのではないでしょうか?
多読実践者から見ると、文豪の小説を30冊読むまでに 読んできたなら
その30冊の前にかなりの語数・冊数を読んでいるだろうなぁ、と思います。
そして、日本語を理解できるようになっているんだろうと思います。
少なくとも、語彙をこのくらい覚え、文法書を30冊、テキストも30冊
こなした、と言うのに比べて、数段上だろうなと想像します。
日本語(英語もですが)のように、複雑で美しい言語を、語彙や文法の
形に抽象化されてたまるか、という気持ちもありますしね。
不思議と、以前は、日本語について前段のように思っていても、外国語に
ついては、やっぱり語彙と文法って思っていたのが、本当に不思議。
〉私は多読を否定してはいません。私の学習方法でさえも英語に触れる量が増えていけば変わります。インプットは基本です。しかし、無尽蔵にそれに時間を費やすわけにはいきません。
はい、ここは、多分 理解し合えない部分かもしれません。
ここで言う多読は、とても効率のいい方法だと思っていますから。
〉1年前、再学習の内容を検討していたとき、多読をちらと考えました。SSS式という形ですでに時間は経っていたようですが、たしか、その時点では100万語をスローガンにしていたと思います(今も基本はそうでしょうか?)。私はこれで全く検討対象から外しました。原書で10冊ほど。それで理解というのは不可能です。
原書で10冊をスラスラと読めるなら、良いじゃありませんか。
ここのサイトをご覧になっていらっしゃるようですから、ご存知だと
思いますが、"スラスラ感"を持って読み続ける訳です、ここの方法は。
なかなかスラスラ読めなくて、レベルの低いものから読んでいっている
訳ですけれども。
〉私は専門関係の本を読んだり考えているとき、会社にいようとどこにいようと息抜きです(よく寝転がって専門書読んでます。至福の時です)。私の楽しみを不用意に英語で奪うわけにはいきません。通勤時間の1時間を英語に割いていることさえ、我慢ならないときがあります。しかし、その専門関係の本も情報も今は英語になってきているので、しばらく英語にも時間を割いているわけです。
ここは、先に言ったことは、取り下げますね。私は、自分の専門が好きです
し、仕事も好きですが、でも決して息抜きではありません。1日に14時間も
仕事して、ホテルに帰って寝るまでの数分にすることは、専門以外の本を
読むことですから。 随分と前提が違っていました。
時間がつきたので、とりあえず、失礼します