[掲示板: 〈過去ログ〉英語のことなんでも -- 最新メッセージID: 2495 // 時刻: 2024/11/28(22:38)]
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お名前: いづこ
投稿日: 2008/8/10(00:40)
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オレンジさん、こんにちは。いづこと申します。
〉よく英語は論理的な言葉といわれるが、言語に優劣はあるのであろうか?
おお、よく言われることなのですか。
学生時代に、先生に、「英語は論理的なことばだから好きです。」と言ったことがあります。
そうしたら先生は、
「英語は論理的なことばじゃない。例外だらけだから。」というようなことをおっしゃいました。
うろ覚えなのですが。
まず、自分はなんで当時そんな考えをもったのかな、と考えるに・・・たぶん
(ほぼ)必ず主語を出して、それに対応する述語を出すなど、
文や、文章の中で、何か言葉が出たら、
それを受ける、それに対応する言葉が、意味や文法のねじれなく出てくるのが英語である、と
思っていたような記憶があります。
そういう英語を口から出すのに、頭のなかで論理的な思考をしているような気がしたように
思います。
また、私にとって、英語は外国語であり、しかも、それまで日本語との対応で勉強してきたので、
英語の文章を考えようとすること自体が、「論理的」な作業となっていただけかもしれません。
(たぶんこのときまだ英語脳が充分できていないのですね。)
だから、私は、文の構造や、使用者のメンタリティみたいなことを考えて「論理的」といったのですが
先生のお答を聞いて、
あ〜、そういうことが「論理的」かどうかの尺度なのかー、と、意外に感じました。
「英語は論理的な言葉」と、いろいろな人がいっても、どういう点を見て言っているのかは、
様々かもしれませんね。
なお、「論理的なことば」であるかどうかで、言語の優劣が決まるのですか?
そこはピンと来ないですが・・・(すみません。)
〉 それにもかかわらず、英語が論理的な文章と言われているのはなぜであろう?それは英語のエッセイの書き方にあると思う。英語のエッセイはパラグラフとトピックセンテンスで構成されている。パラグラフは論理的な段落の最小単位で、トピックセンテンスとはパラグラフの最初の文章にそのパラグラフの重要なキーワードを含む文章を入れることである。これらの2つに要素によって、文章の論理構造が明確になるのである。
ああなるほどー。こういうことも、「論理的」の尺度なのでしょうね。
〉 と僕は考えているのですが、皆さんの意見はどうでしょうか?
こうやって、言ってくださる方があれば、なるほどそうかも、と思います。
自分としては、今は何しろ日本語と英語しか使えないので、
2者の比較でしかものが言えません。
その2者では、やはり、情報を落ちなく盛り込める(気がする)という点で、
英語の方が論理的な気がしてしまいます。
日本語は、理屈っぽい私はなるべく誤解されにくい言葉づかいを、と思ってしまうのですが
(だからこうして投稿文を書いても長くなる!)
家族の言っていることを、ときどき、「それはいったい何のこと?」とか思ってたりして・・・
でも、それは多分、「コレはお互いにわかってるでしょー」ということをどんどん省いたりする
いわば共通の土壌に立って話をしているからですよね。
英語でも家族、親しい仲間どうしなら、傍から聞いたらワケわからない会話をしてそうです。
あー、つまり、こんなことは、「論理的」の尺度ではないのかも。笑
意味のないレスですみません〜。
いづこ
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〉オレンジさん、こんにちは。いづこと申します。
こんばんは!いづこさん。はじめまして、オレンジです。
〉〉よく英語は論理的な言葉といわれるが、言語に優劣はあるのであろうか?
〉おお、よく言われることなのですか。
こう言われていると思われる理由は2つあります。しかし、1つの方は根拠が薄いです。まず、一つ目は松本道弘氏の『速読の英語』のp79の速読から何を得たか纏めた⑩番目『一番重要なことは英語を読むことにより論理を学んだことである。』という箇所。もう一つは東大の理論物理の教授清水明先生のホームページのしみずの雑記帳『訳書 01/11/28(水)』の『どうも、物理を表現するのには、英語の方が日本語よりも向いているように感じる。』という部分からです。補足すると、この表現は物理は論理的な学問である数学を使って書かれているので、論理的な英語で書いたほうが向いていると考えることができます。しかし、この表現の最後に感じるといっていることから、根拠としては薄いですね。
〉学生時代に、先生に、「英語は論理的なことばだから好きです。」と言ったことがあります。
〉そうしたら先生は、
〉「英語は論理的なことばじゃない。例外だらけだから。」というようなことをおっしゃいました。
〉うろ覚えなのですが。
〉まず、自分はなんで当時そんな考えをもったのかな、と考えるに・・・たぶん
〉(ほぼ)必ず主語を出して、それに対応する述語を出すなど、
〉文や、文章の中で、何か言葉が出たら、
〉それを受ける、それに対応する言葉が、意味や文法のねじれなく出てくるのが英語である、と
〉思っていたような記憶があります。
〉そういう英語を口から出すのに、頭のなかで論理的な思考をしているような気がしたように
〉思います。
〉また、私にとって、英語は外国語であり、しかも、それまで日本語との対応で勉強してきたので、
〉英語の文章を考えようとすること自体が、「論理的」な作業となっていただけかもしれません。
〉(たぶんこのときまだ英語脳が充分できていないのですね。)
〉だから、私は、文の構造や、使用者のメンタリティみたいなことを考えて「論理的」といったのですが
〉先生のお答を聞いて、
〉あ〜、そういうことが「論理的」かどうかの尺度なのかー、と、意外に感じました。
〉
〉
〉「英語は論理的な言葉」と、いろいろな人がいっても、どういう点を見て言っているのかは、
〉様々かもしれませんね。
〉なお、「論理的なことば」であるかどうかで、言語の優劣が決まるのですか?
〉そこはピンと来ないですが・・・(すみません。)
言葉が足りなくてすみません。よく推敲せずに思いつきで書いたので。僕は論理的な表現の骨格は接続詞が担っていると考えています。だから、もし、接続詞がない言語があるとすれば、論理的に表現する場合においてその言語は劣っていると考えられます。つまり、言い直すと、論理的な表現において言語の優劣があるのだろうか?ですね。
〉
〉
〉〉 それにもかかわらず、英語が論理的な文章と言われているのはなぜであろう?それは英語のエッセイの書き方にあると思う。英語のエッセイはパラグラフとトピックセンテンスで構成されている。パラグラフは論理的な段落の最小単位で、トピックセンテンスとはパラグラフの最初の文章にそのパラグラフの重要なキーワードを含む文章を入れることである。これらの2つに要素によって、文章の論理構造が明確になるのである。
〉ああなるほどー。こういうことも、「論理的」の尺度なのでしょうね。
〉
〉
〉〉 と僕は考えているのですが、皆さんの意見はどうでしょうか?
〉こうやって、言ってくださる方があれば、なるほどそうかも、と思います。
〉自分としては、今は何しろ日本語と英語しか使えないので、
〉2者の比較でしかものが言えません。
〉その2者では、やはり、情報を落ちなく盛り込める(気がする)という点で、
〉英語の方が論理的な気がしてしまいます。
〉日本語は、理屈っぽい私はなるべく誤解されにくい言葉づかいを、と思ってしまうのですが
〉(だからこうして投稿文を書いても長くなる!)
〉家族の言っていることを、ときどき、「それはいったい何のこと?」とか思ってたりして・・・
〉でも、それは多分、「コレはお互いにわかってるでしょー」ということをどんどん省いたりする
〉いわば共通の土壌に立って話をしているからですよね。
〉英語でも家族、親しい仲間どうしなら、傍から聞いたらワケわからない会話をしてそうです。
〉あー、つまり、こんなことは、「論理的」の尺度ではないのかも。笑
〉意味のないレスですみません〜。
〉いづこ
いえいえ、ご返事ありがとうございます。また、気付いたことがあればレスをください。