[掲示板: 〈過去ログ〉英語のことなんでも -- 最新メッセージID: 2495 // 時刻: 2024/11/24(14:50)]
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2263. Re: Learning と Acquisition の違い
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/7/12(16:23)
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Ryotasanさん,こんにちは。
新茶です。
こちらでも、質問させてください。
私は、約30年、英語から遠ざかっていました。
また、掲示板は、多くを読むだけの余裕はありません。
クラッシェンKrashenのことは、この投稿で、始めて知ったくらいです。
クラッシェンKrashenの仮説は、しかし、事の本質に関わり、重要な問題だと思います。
Ryotasanさんは、「たむさん」とのやりとりから、基本的に、acquisition及び learningの2つの概念を峻別し、 learningは、acquisitionに移行(転化)しないという見解を採用していると思われます。
なぜならば、第1に、そうでなければ、わざわざ、両概念をもち出されないでしょうし、第2に、上記見解をほぼ述べておられると思われる記述もありましたし、第3に、私は、最近、酒井邦秀准教授が執筆されたちくま書房の2著を読みましたが、その中で、クラッシェンKrashenのacquisition及び learningの2つの概念の峻別が語られていますし、私が投稿を見た限り、Ryotasanさんの各種の見解は、酒井さんの見解と酷似しているように思われたからです。
私は、クラッシェンの見解は、大方に認容された通説的見解だとさえ、思っていました。
しかし、反対説もあるようです。
これは、最近見つけました。
たとえば、
[url:http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/5047/1/92695_333.pdf]
この反論は、一読してわかるほど簡単ではないが、私は、時を替え、何度か読むことにより、内容は、理解しました。
現在の学会の状況は、どうなのでしょうか。
この論文の用語をふんだんに使っていただいてかまいませんから、クラッシェンの5つの主張と、その問題点、その反論等を、我々にもわかるように、ご説明願えないものでしょうか。
当初の投稿に、修正事項あり。
参照論文の用語にかんがみ、移行の次に、(転化)を挿入するなど、昨日の当初の投稿に、少し変更を加えた。
以 上
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2264. 仮説1について Re: Learning と Acquisition の違い
お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/7/16(09:10)
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主観の新茶さん、
なかなか時間を確保できないので、
何度かに分けて投稿しますね。
まず "acquisition" と "learning" の違いですが、
一旦は訳語を離れて、
子どもがどういう風に言葉を身につけるかを振り返ってみる必要があります。
日本で生活した子どもの大部分は、
学校に行って国語の勉強をしなくても、
流暢な日本語を話せるようになります。
遊びや日常的なやりとりを通して、
気がついたら日本語で考え、
日本語を話すようになっていたというわけです。
おなじような現象は、
世界各地で観察されているようです。
これが無意識的な acquisition だと思います。
一方、
日本人の多くは、
英語の勉強に大変は時間と労力を注ぎ、
難しい文法用語や沢山の単語を暗記しますが、
子どものときに日本語を使いこなせるようになったような感じで英語を使いこなせるようになりません。
これが意識的な learning だと思います。
Krashen 教授は、
母語だけでなく、
2番目に必要とされる言語を身につける際にも、
無意識的な acquisition の方がずっと効果的だと言って、
物議をかもしました。
The Handbook of Second Language Acquisition という本の目次と、
まとめの箇所を参照した限りでは、
少年期や青年期の人が新しい言語を身につけるばあい、
意識的な学習を通して行なうしかないというのが、
Krashen 教授に対する反論のようです。
反論は多かったけれど、
具体的な反証は不十分で、
論争の決着はついていないという意味のことも書いてありました。
(つづく)
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〉 Ryotasanさん,こんにちは。
〉 新茶です。
〉 こちらでも、質問させてください。
〉 私は、約30年、英語から遠ざかっていました。
〉 また、掲示板は、多くを読むだけの余裕はありません。
〉 クラッシェンKrashenのことは、この投稿で、始めて知ったくらいです。
〉 クラッシェンKrashenの仮説は、しかし、事の本質に関わり、重要な問題だと思います。
〉 Ryotasanさんは、「たむさん」とのやりとりから、基本的に、acquisition及び learningの2つの概念を峻別し、 learningは、acquisitionに移行(転化)しないという見解を採用していると思われます。
〉 なぜならば、第1に、そうでなければ、わざわざ、両概念をもち出されないでしょうし、第2に、上記見解をほぼ述べておられると思われる記述もありましたし、第3に、私は、最近、酒井邦秀准教授が執筆されたちくま書房の2著を読みましたが、その中で、クラッシェンKrashenのacquisition及び learningの2つの概念の峻別が語られていますし、私が投稿を見た限り、Ryotasanさんの各種の見解は、酒井さんの見解と酷似しているように思われたからです。
〉 私は、クラッシェンの見解は、大方に認容された通説的見解だとさえ、思っていました。
〉 しかし、反対説もあるようです。
〉 これは、最近見つけました。
〉 たとえば、
〉[url:http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/5047/1/92695_333.pdf]
〉 この反論は、一読してわかるほど簡単ではないが、私は、時を替え、何度か読むことにより、内容は、理解しました。
〉 現在の学会の状況は、どうなのでしょうか。
〉 この論文の用語をふんだんに使っていただいてかまいませんから、クラッシェンの5つの主張と、その問題点、その反論等を、我々にもわかるように、ご説明願えないものでしょうか。
〉 当初の投稿に、修正事項あり。
〉 参照論文の用語にかんがみ、移行の次に、(転化)を挿入するなど、昨日の当初の投稿に、少し変更を加えた。
〉 以 上
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お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/7/17(10:16)
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もっとはやくおことわりしておくべきだったんですが、
僕の専門は文学です。
教授法とか、
子どもの言語の発達を、
専門的に研究しているわけではありません。
Krashen 教授の著書で通読したのは、
The Power of Reading の旧版と新版だけです。
教授のウェブ頁にある記事は、
断片的にしか読んでいません。
あくまで、
英語の多読を30年間つづけてきた体験と、
最近15年間ぐらいに出会ったタドキストの様子、
個人的に知っている子どもたちの言葉の発達など、
あくまで個人的な体験に照らして理解したことを申し上げています。
それでも、
この議論について英語で書いてある文章を読めば、
Krashen 教授の仮説に否定的な人でも
learning と acquisition を区別したうえで、
それぞれの論を展開しているように見えます。
つづく
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お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/7/19(17:08)
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意識的な方法で学習した知識は無意識に吸収した語学力に転化しないと Krashen 教授は主張しているようです。
単語や文法を勉強し、
その知識を適用しながら英語を理解しようとしても、
分速300語の機関銃英語には到達しないという意味だと僕は理解しています。
一方、
多読や多聴などで無意識に獲得した勘から、
意識的な知識が得られることはあると思います。
ある日突然、
「そうか、文にも首と胴体があるんだ」と分かったり、
"love" という英単語が、
日本語の「愛」と違い、
子どもでも気軽に使う単語なんだと気づくことです。
でも、
そうやって気づいた法則を適用しながら英文を読もうとすると、
速度が下がってしまいます。
結局は、
無意識に身についた勘で読まないと、
機関銃英語にはついていけないのです。
この仮説に対する反証として、
日本語の語形変化を練習して無意識に使えるようになったという例を挙げる人はいますが、
実際に論文を読んでみたところ、
いくつかの文法事項を使いこなせるようになったものの、
日本語自体を流暢に話せるようになったわけではないと書いてありました。
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お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/7/21(09:23)
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お待たせしました。
先週は土曜日まで仕事が入っており、
日曜日は家族で遠出をしていたので、
なかなか投稿できませんでした。
でも Krashen 教授の著書は何冊か手にすることができたので、
参照しながらお答えします。
意識的な学習を通して覚えた言葉の知識は、
正しい言葉づかいや文章を推敲・編集するときのモニターとしてしか機能しないという意味のことを、
Krashen 教授は何度か言っています。
これに対する反論は、
誰でも単語の知識を文法規則にあてはめて話したり書いたりしているはずというものです。
たしかに、
日本の人が英語を話したり書いたりするばあい、
そういう風にやっている人が大部分かもしれません。
これだと分速300語に達することはないでしょう。
ただし、
子どもが直感的に喋るばあい、
文法規則や辞書的な知識を組み合わせて喋ったりはしていないと思います。
されに、
モニター機能を使いすぎると、
却って output が難しくなるとも、
Krashen 教授は言っています。
これも個人的に思い当たる例を知っています。
英文法や英文学について専門的な知識があるけれど、
決して英語では喋らないという先生は、
90年代まで日本には沢山いらっしゃいました。
無意識に身につけた英語の勘に対して、
意識的に学んだ知識が多すぎたのかもしれません。
一方、
意識的に学んだ知識を使わずに喋ったり書いたりすれば、
ときどき言い間違いや書き間違いをすることもあります。
これは僕たちが日本語を使うときにもあることです。
流暢さをもたらす勘と、
意識的に制御する知識とを、
上手に組み合わせる使い手もいますが、
そういう理想的な使い方のことを Krashen 教授がごく簡単にしか触れていないことに不満を感じる人もいるようです。
この点は今後の課題とすべきでしょう。
この仮説に対して個人的に考えているのは、
無意識に獲得した勘にもとづくモニター機能もありうることです。
文法的に説明はできないけれど、
その表現には何となく不自然さを感じるとか、
まじめな文章の中でそういう表現に出会ったことがないと感じることがあります。
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お名前: Ry0tasan http://tadoten.blog122.fc2.com
投稿日: 2008/7/29(11:28)
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幼児が母語を身につけるのと同じように別の言語を身につけたかったら、その人にとって理解可能なインプットを大量に行なえば良いというのが Krashen 教授が提唱するインプット仮説の大意です。
具体的には、その人が流暢に使いこなせる水準の少し上、背景知識や前後関係から何とか理解できる範囲の内容をインプットするのが良いとされています。
この仮説が独特なのは、話す・書く練習を意識的に行なってもモニター機能にしかならないと主張していることです。子どもが流暢に母語を使いこなすような言語能力を身につけるためにアウトプットは不要というわけです。(勿論、学校で優秀な成績をおさめるためには、意識的にアウトプットの練習をしてモニター機能を伸ばすことも有効でしょう。)
この過激な仮説に対して、カナダでフランス語漬けの授業を受けた子どもたちの力が、もともとフランス語を母語とする子どもたちの水準には達しなかったという反論が出されているようです。ただし、生徒の言語環境や授業の質、試験の方法などで結果は違ってくるので、本当に望ましいインプットだったかどうかわ分かりません。
インプットの効果を客観的に測定する方法を Krashen 教授が示していないのはまずいという主張もあるようです。
こういう反論に対する回答として出されたのが、多読の効果を示した The Power of Reading だと僕は思うのですが、この仮説をめぐる議論の中で多読が言及されることは非常に少ないようです。探してみると、耳からのインプットを通して文法事項が身に付いたかに注目した例ばかりが出てきます。(時間があったらもう少し探してみます。)