[掲示板: 〈過去ログ〉英語のことなんでも -- 最新メッセージID: 2495 // 時刻: 2024/11/24(04:24)]
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お名前: うさかめ
投稿日: 2006/12/28(11:33)
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Ryotasanさん、ありがとうございます。
「定義は何?」と聞かれることで、どのようなものを目指しているのかが整理されましたよ。
本のご紹介ありがとうございました。
早速、どのようなものか見てみたいと思います☆
私が今教わっている先生は、「これまでの日本の英語教育は『英語を学ぶ』ものでした。しかし、そうではなくて『英語で学ぶ』ことを目指す必要があると思います」とおっしゃっています。
なるほど、このような考え方は、多読をされている方とそれほど変わりませんよね。
しかし、いざ教育実践になるとある程度の“回り道”は必要なのかもしれません。「そのような考え方でいいのかなぁ」と思うこともしばしばあります。
私自身は、ほとんど文法指導を中心に据えた英語の授業を受けてきましたし、面白いものではありませんでしたが、その恩恵を受けてきたのは事実です。
しかし多読を始めてから、まるで公式化した文法だけだと、言葉のもついきいきした部分が伝わらないと感じるようになりました。
そこで、今回の課題を考えるにあたり多読を実践されている方のご意見を伺いたいと思ったのです。
長くなってしまいましたが。
もしもまた、多読と教育についてや理想と現実について(??)等お考えがありましたらお聞かせくださいね。
ありがとうございました。
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お名前: Ryotasan
投稿日: 2006/12/29(09:09)
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理想的な環境では、多読が空気のような存在というか、あたりまえの行為になっていると思います。家庭の書斎、学校の教室や図書室、街の図書館や本屋さんに簡単な英語の本が豊富にあり、サッカーやテニスやカラオケを楽しむのと同じように多読を実践している大人や上級生が身近なところに何人も存在するような状況です。
勿論、英語の先生は誰よりも英語の多読を豊富に経験しており、その経験をふまえて授業をするのが理想です。そういう環境であれば、授業の中で、読書案内に加え、英会話や文法指導もありうるでしょう。僕たちが疑問を感じてきた挨拶や買い物に終始する英会話や、公式丸暗記の文法指導とはひと味もふた味も違った英会話や文法指導になるはずです。
現実としてそういう状況はなかなか達成できません。授業で多読を行ないたい先生は、沢山の読み物をカートに積んで、行商人のように教室へ向かうわけです。学校には沢山の制約がありますから、多読の授業は週あたり10分間しか行なえないという学校もあるし、年1回しか行なえないという学校もあります。授業時間には無理なので課外活動として行なうばあいもあります。それでも、多読三原則を守れば、やっただけの効果はあります。学力としての効果は見えなくても、心理的な効果はあり、これが長期的な力になるのです。
こうして書いている自分にも制約はあります。これから帰省の準備をするので、続きはまたの機会にしますね。
それでは、うさかめさんも、夜行猫さんも、Julieさんも、酒井先生も、
Happy reading and a happy new year!
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なるほど、大変勉強になりました。
理想と現実のギャップは大きくても、多読を行う意味は大きいのだと感じました。
公式型の文法指導は学力を向上させるかもしれませんが、英語を楽しいと感じさせる動機付けにはなりにくいですものね。
Ryotasanさんのお話を伺っていると、英語の先生の仕事は何よりも英語の世界への案内人なのだと痛感しました。
Ryotasanさんも、よいお年を!