[掲示板: 〈過去ログ〉親子で多読を楽しむ -- 最新メッセージID: 4028 // 時刻: 2024/11/25(20:35)]
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お名前: 白朋セミナー 中沢 賢治 http://www.h4.dion.ne.jp/~hakuho/
投稿日: 2003/2/25(01:23)
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〉〉ちなみに私の塾生を横から見ていまして、教室に入ってきたが最後、
〉〉中学生は2時間30分、小学生は2時間、ひとことも喋らずに、
〉〉ピクリともせず(ちょっと大げさですが、だいたいそうです)、
〉〉じっと本を読むなり、問題集をやるなりしています。
〉〉全員自主学習です。
〉 ここが正直ちょっと私の感性でわからないところです。
〉年齢による感覚の差なんでしょうか?我が家の大学生・高3生の
〉子供やその友人達も、自分のエアコン付きの勉強部屋があるにも
〉かかわらず、ファミレスやドトールコーヒーなどに勉強に行くん
〉です。知らない人の人目があった方が集中できる、自分の部屋だと
〉寝てしまったり遊んでしまったりするから...と言って。
〉ですから、自主学習するための塾と聞くと、「どうして自習しに
〉塾に行くの?」と聞きたい気持ちになるんですが、今の子ども達に
〉必要なのだということは納得できます。どなたかが心理学的に解明
〉してくれたら興味深いですね。
〉あ、英語の話題でなくてごめんなさい。
いい質問をいただきました。ありがとうございます。
どうして自習しに塾へ行くの?普通は誰でもそう思われると思います。
実は、この自習という言葉自体に長い間に手垢がついてしまっています。
「今日、先生お休みです。自習していてください」「えっ、自習!やった!」
という、囚われの身から開放されたような、生徒の満面笑みの顔。
自習という言葉には、このような正常ではないけれど、やむを得ない
といった印象があります。1本気の抜けたようなイメージがあります。
尚かつ、この時間を利用して、あいまいだった理解をきちんとさせよう
などと考える生徒は皆無と想像できます。
開放されたなどと考えるピントの外れた頭脳構造に全員がなってしまっています。
これは自(習)だからいけないのですね。まだ「習って」います。
現状は小学校以来、生徒はどこまで行っても「僕、私、教わる人」なわけです。
今、必要なのは自習ではなくて、自学なのです。
自ら学んで切り開いていくことを教えなければいけないのです。
それには本を読むしか方法はないのです。
もう中学生にもなったら、教わる必要などないのです。
みんな本に書いてあるのです。読めば分かることを読ませようとしないで、
わざわざ黒板に書いて「これを写しておけ」などと指示をする、
それで教育をやっていると思い込んでいる間抜けな教師が五万といます。
本を読めと言ったって生徒は読みはしないでしょう、と言われそうですが、
小学校以来、本を読んで学ぶという方法論が確立されていないのです。
しかも、ほとんど不可能です、学校では。
だから、塾へ来て学ぶのです。多少時間はかかりますが、少しずつ変わっていきます。
ただし、塾といってもたいていは学校の二番煎じですが。
ものを学ぶには、精神を集中できる環境、
「当てられる」などという不安がないこと、
書籍、図書がたくさんあること、などが必要です。
本を読み、文章をまとめる。先生と論議する。このような
学びの場をセットしてあげればいいのだと思います。
これからは「自習」と言う言葉を「自学」と変えられることを提案します。
私の所もそんな場を目指して半歩踏み出したというところです。
コーヒー屋さんに行って自学するのもまあまあだと思います。
あっ、英語の話でなくすみませんでした。
貴重なお時間を。
〉大人になって英語の本を
〉読むと、知らない単語が一つあっても、辞書で調べたくなったり
〉焦ったり、完全に理解できないことに不安や不快感が出てきます。
もう、これは一種の病気ですね。日本語だとかなり、または思いっきり
あいまいに使っているところがおかしいですね。まさか辞書で調べませんし、
「こんにちわ」、などと堂々と書いてしまいますからね。
「始めまして」か「初めまして」か、
「思ったとうり」か「思ったとおり」か
「舌づつみを打つ」か「舌つづみを打つ」かなんて言い出したらきりがない、
みんな適当に覚えていますよね。
英語でこれができないのはテスト結果、内申点などが高校へつながる
という制度の弊害ですね。
中沢
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お名前: emmie
投稿日: 2003/2/25(09:54)
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中沢様、はじめまして。emmieと申します。
メッセージを読ませていただいて、そうだそうだとうなずいています。
〉今、必要なのは自習ではなくて、自学なのです。
〉自ら学んで切り開いていくことを教えなければいけないのです。
〉それには本を読むしか方法はないのです。
〉もう中学生にもなったら、教わる必要などないのです。
〉みんな本に書いてあるのです。読めば分かることを読ませようとしないで、
〉わざわざ黒板に書いて「これを写しておけ」などと指示をする、
〉それで教育をやっていると思い込んでいる間抜けな教師が五万といます。
私は、全く本を読まずに大きくなり、
しょうがないことですが、本を読みたくなるような環境を整えてくれなかった
両親をちょっと恨んでます...
語彙は少ないし、難解な文章になるとついていけないし。
要領のよさで、学校やテスト、大学も乗り越えてきましたが、
本当の力はついていないのです。
子どもたちには、何よりも本の魅力にはやく気付いてほしいと思い、
図書館の本をしょっちゅう借りています。
小二の娘は、今のところ本なしには一日が終わらないようになりました。
これから、この習慣がとぎれないよう、興味の持てる本をまわりに
おいてあげれるかどうかが、鍵だろうと思います。
そのためには、親も勉強しないと、面白い本にはめぐりあいませんね。
〉本を読めと言ったって生徒は読みはしないでしょう、と言われそうですが、
〉小学校以来、本を読んで学ぶという方法論が確立されていないのです。
〉しかも、ほとんど不可能です、学校では。
〉だから、塾へ来て学ぶのです。多少時間はかかりますが、少しずつ変わっていきます。
〉ただし、塾といってもたいていは学校の二番煎じですが。
アメリカでは、読書指導がさかんだと思うのですが、
日本では、それほどではないのはなぜでしょう?
本を読んで学ぶという方法論、こんなことを議論しているホームページなどは
ありますか?
それから、福岡県に住んでいるのですが、中沢様の取り組みと同じような
ことをされている、塾?などは、こちらにありませんでしょうか?
私も、もう一度子どもになって、自ら学ぶ部屋に通いたいです!
よろしくお願いします。
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お名前: 白朋セミナー 中沢 賢治 http://www.h4.dion.ne.jp/~hakuho/
投稿日: 2003/2/25(22:26)
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はじめまして、emmieさま、抹茶アイスさま
〉本を読みたくなるような環境を整えてくれなかった
〉両親をちょっと恨んでます...
私のところの実家も本があるような環境ではなく、
商売をしていましたので、中学生のころは配達とか
家の仕事を手伝わされてばかりいた、という思い出です。
本を読み始めたとしたら二十歳過ぎてからですね。
〉語彙は少ないし、難解な文章になるとついていけないし。
〉要領のよさで、学校やテスト、大学も乗り越えてきましたが、
〉本当の力はついていないのです。
一つの分野に興味を引き始めたその時から始まるのだと思います。
その人の本来持ち合わせていたプログラムが。
〉小二の娘は、今のところ本なしには一日が終わらないようになりました。
〉これから、この習慣がとぎれないよう、興味の持てる本をまわりに
〉おいてあげれるかどうかが、鍵だろうと思います。
あまり気合を入れないほうが良いような気もします。
〉アメリカでは、読書指導がさかんだと思うのですが、
〉日本では、それほどではないのはなぜでしょう?
日本の読み書きのレベルといいますか、精神性は身体性とともに
相当高かったのだと思います。
それがアメリカによりうまく壊されたのだと思います。
〉それから、福岡県に住んでいるのですが、中沢様の取り組みと同じような
〉ことをされている、塾?などは、こちらにありませんでしょうか?
すみません。福岡方面はよく存じておりません。
今日、英語も数学もさっぱりダメという中1の生徒が初めて来たのですが、
2時間くらい植村直巳さんの伝記ものを読ませました。
あとは英語の読み聞かせでしたが(書店・図書館情報交換のほうに書いておきました)、
計3時間、本人としてはあっという間に終わったみたいです。
他人が成長するのを見るのは楽しいものです。
もたもたしているのは自分だけ。
白朋セミナー 中沢
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こんばんは。
お忙しいところ、いろいろありがとうございます。
〉今日、英語も数学もさっぱりダメという中1の生徒が初めて来たのですが、
〉2時間くらい植村直巳さんの伝記ものを読ませました。
〉あとは英語の読み聞かせでしたが(書店・図書館情報交換のほうに書いておきました)、
〉計3時間、本人としてはあっという間に終わったみたいです。
書店・図書館情報のほうを読ませていただきました。
あんなに長い物語でも、聞いてくれるのですね。
うちの小2の娘は、英語の本を読み聞かせしてあげようと思っても、
全く関心がなく、
ORTのやさしいものを自分で読むほうがいいといいます。
日本語の本も、読み聞かせより自分で読むほうがいいそうで、
「わからないところがあったら、もう一度読み返せるもん」と。
親子では、かえってやりにくいこともあります。
また、その後の様子など、お聞かせいただけること楽しみにしております。
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こんにちは。抹茶アイスです。
中沢さん、中学生の多読学習について、具体的に教えていただき、
ありがとうございました。
白朋セミナーのHPも見てきました。とても参考になりました。
〉私は英語は楽しく読み進めてくれたらOKだと思います。
〉量が必ずものを言ってきます。
〉文法のワークは一応やっています。
〉それより日本語の読書量のほうが問題だと思っています。
〉日本語で読み、要約できる力、また自分の言葉で文章を書ける力
〉これらを小中学生のうちにつけることのほうがはるかに大事だと思います。
〉今、必要なのは自習ではなくて、自学なのです。
〉自ら学んで切り開いていくことを教えなければいけないのです。
〉それには本を読むしか方法はないのです。
「英語は量だ」というのは、実際に自分が体験してみて、まさに
その通りだと思います。
また、読解力、考察力、表現力というのは、必須だと思います。
単なる暗記学習、点を取るためのテクニックを学ぶような学習では
こうした本物の力は、身に付きにくいですね。
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お名前: sumisumi http://bookshelf.hacca.jp/
投稿日: 2003/2/26(07:24)
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中沢様
たいへんいいお話を聞かせていただきました。
ありがとうございました。
自分自身がこれまで、少し通ったり(一ヶ月でやめました)、
アルバイトしたりした塾が、ひどいところだったので、塾不信だったのですが、
真剣に取り組んでいるすばらしい人もいるのだと、思い直しました。
〉今、必要なのは自習ではなくて、自学なのです。
〉自ら学んで切り開いていくことを教えなければいけないのです。
その通りだと思います。この態度が身に付けば、大人になってからも
どんどん世界を広げてゆくことが出来ます。
専門家からこのような言葉を聞くことが出来て心強いです。
〉本を読み、文章をまとめる。先生と論議する。このような
〉学びの場をセットしてあげればいいのだと思います。
このような環境だと、子供は先生を人として尊敬すると思います。
微妙な年頃の子供にとっては、尊敬できる大人に出会えるかどうかは
とても大切ですね。
中沢さんのセミナーでは、テストの点数では測れない宝物を得ることができるようです。
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お名前: 白朋セミナー 中沢 賢治 http://www.h4.dion.ne.jp/~hakuho/
投稿日: 2003/2/26(19:59)
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sumisumi さま
ありがとうございます。
自分のところの多読の取り組みをお伝えしようと
この広場へ寄らせてもらいましたところ、
4日も長居してしまいました。
自学することを教えようと考えています自塾にとりまして、
英語の取り組みをどう変えるかが課題でした。
酒井先生の提唱される英語の多読と出合えましたことは
実にラッキーなことでした。
少しずつ新しい考え方の親と子が増えていったら良いなと
思っております。
中沢
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お名前: まりあ
投稿日: 2003/2/27(03:49)
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中沢様 お忙しい中ご丁寧なお返事ありがとうございます。
〉今、必要なのは自習ではなくて、自学なのです。
〉自ら学んで切り開いていくことを教えなければいけないのです。
〉それには本を読むしか方法はないのです。
ああ、これ本当にいいお言葉ですね。
最近学力低下の問題がいろいろ言われています。中位レベル以下の
学力低下はあやまったゆとり教育のせいであるとしても、東大や
その他トップクラスの私大でも学力が低下していると聞きます。
これって、小学校4,5年から受験塾で夜遅くまで勉強した子ども達が
大学生になった時期から言われ始めたような気がしてなりません。
教えすぎ、教わりすぎが学力低下を引き起こしていると感じています。
〉もう中学生にもなったら、教わる必要などないのです。
〉みんな本に書いてあるのです。読めば分かることを読ませようとしないで、
〉わざわざ黒板に書いて「これを写しておけ」などと指示をする、
〉それで教育をやっていると思い込んでいる間抜けな教師が五万といます。
最近ちょっと子どもを見くびりすぎているなあ、と思うことが
しばしばあります。先日の新聞で、灘中学で出題された漢字しりとりの
問題が取り上げられていました。そして東大生でも最高20問中15問しか
出来なかった、とかその記事を取材した3人の記者は10問しか出来な
かった、とありました。だから灘中学の問題が難しすぎる、と言わん
ばかりです。私はその記事がとても不快でした。
アトランダムに選んだ20人の小学6年生が5問しか出来なかった
から、この問題が難しすぎる、というなら納得します。でも大学生や大人が
出来なかったから、中学生に難しすぎる、という判断はドグマです。それは
子どもの能力はあらゆる面で大人に劣っている、ということを前提とした
考え方で、こうした考え方から、大人=教える人、子ども=教えられるべき人
の図式がはびこるのだと思います。
5歳の子どもと神経衰弱をして勝てる大人は少ないです。
子どもの方が大人よりも高い能力をもつ場面だって幾らもあります。
子ども自身の能力や成長力を認めず、大人がすべて教え込もうとするのは
誤った教育観だと思います。
〉本を読み、文章をまとめる。先生と論議する。このような
〉学びの場をセットしてあげればいいのだと思います。
ただ、これは誰にでも出来ることではないですね。生徒から
信頼されるに足る教育者にしか出来ません。生徒からセンコーと
見破られるような先生には出来ないことです。
〉これからは「自習」と言う言葉を「自学」と変えられることを提案します。
〉私の所もそんな場を目指して半歩踏み出したというところです。
先生が教育者であると、子ども達は本当に先生を慕いますよね。
生き甲斐のあることだろうと思います。
〉あっ、英語の話でなくすみませんでした。
〉貴重なお時間を。
いえいえ、多読による英語学習と大いに関係します。
多読では教え込むのではなくて、自分で学んで貰うのですから。
いくらなんでも読むべき本まで自学で選んで貰うのは能率が
悪すぎるので、それは先に進んでいる者が、『この辺からが
いいよ』とか『この順番がいいよ』とかアドバイスするという
ことで、まさに中沢さんのおっしゃる自学と同じ根っこだと
思います。
〉 もう、これは一種の病気ですね。日本語だとかなり、または思いっきり
〉あいまいに使っているところがおかしいですね。まさか辞書で調べませんし、
〉「こんにちわ」、などと堂々と書いてしまいますからね。
〉「始めまして」か「初めまして」か、
〉「思ったとうり」か「思ったとおり」か
〉「舌づつみを打つ」か「舌つづみを打つ」かなんて言い出したらきりがない、
〉みんな適当に覚えていますよね。
〉英語でこれができないのはテスト結果、内申点などが高校へつながる
〉という制度の弊害ですね。
とはいっても、スポーツや芸術などに特別秀でたものを持っている
とかの場合はともかく、普通の子どもに、『高校や大学入れなくったって
いいじゃん』とは言い切れませんし...入試に変わって貰いたいと思うのは
他力本願でしょうか?
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お名前: 白朋セミナー 中沢 賢治 http://www.h4.dion.ne.jp/~hakuho/
投稿日: 2003/2/28(01:30)
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まりあ さん
〉普通の子どもに、『高校や大学入れなくったっていいじゃん』とは
〉言い切れませんし...入試に変わって貰いたいと思うのは
〉他力本願でしょうか?
こういう意味でしょうか。
「日本語なんかみんな適当に覚えていますよね」
「ええ、でも、受験生に対して適当で良いんだとも言えないですよね、
高校、大学なんて行かなくともなんとかなるさ…とか。
せめて、日本語で読んでも論旨が分からないような内容の長文を
英語で読ませるような今の大学入試は変わってほしい」
大学の先生の理屈とすれば、
「大学入試に英語は必要である。大学生としては英語を原書で読めるくらいの
力量を備えていることが必要とされる」となるのでしょうね。
一応理屈はその通りでして、大学受験時において英語を原書で読めるくらいの
力を持っていると理想的ですよね。
それには、今の高校の勉強では無理だと思っています。
漢文を漢文のまま読まずに、書き下し文にしたと同様に
(あれはあれで格調高いものですが)、英語を英語のまま読まずに
全部和訳で理解しているわけですから。
まあ、そこでこの多読が登場してきて、反転する舞台がぐいぐいと
動き始めたわけで、これで良いわけですが。
問題は、大学入学時において原書で読めるくらいの力がつくか
と言うことですね。小6から始めたとして7年間も時間があれば
そのくらいになってあたりまえとも思うのですが、現状ではほとんど不可能。
勉強が楽しくないからですね。
ですから、何かを気づいた者から、できる所を少しづつ変えていけば
いいのだと思います。
小6から透き通るような教室の空気の中で勉強をさせたいと思います。
自分の何たるかをつかめるような勉強を。
さらに中学を出たら、高校へは行かずに私塾へ行く、
私塾でとことん学問に対する姿勢を身につける。
英語ならば200万語以上は読んでおく。
そのあとに大学へ行く。
こんな流れを作ろうと思っています。
ちょっと風呂敷広げすぎの感あり、ご容赦。
また、親子の広場から離るること、はなはだし。申し訳なし。
中沢
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入試の採点が終わって、少々疲れています。
短くてごめんなさい。
〉さらに中学を出たら、高校へは行かずに私塾へ行く、
〉私塾でとことん学問に対する姿勢を身につける。
ぼくは息子に小学校へ行かないようにと言っていましたが、
自分で導く時間がないと観念して、行かせました。
簡単じゃない。ぷぷさんのご主人のフリー・スクールには
興味があります。
〉英語ならば200万語以上は読んでおく。
〉そのあとに大学へ行く。
〉こんな流れを作ろうと思っています。
「快読100万語!」に中学から大学までの
読書量について書きました。ぜひ参考にしてください。
では