[掲示板: 〈過去ログ〉読書のことなんでも -- 最新メッセージID: 658 // 時刻: 2024/11/23(21:25)]
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お名前: SSS 酒井邦秀
投稿日: 2003/3/22(12:38)
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100万語通過報告の広場 #263 からの引用です。
書いた人はあずきさん。
「スピードと一緒で、理解度は、後からついてくる」
これで「後からついてくる」ものは三つになりました。
最初に後からついてくることが確認されたのは レベル、
次に核にされたのは スピード (まだ確認されてなかったかな?)
そして今回の 理解度
最後の「理解度」があとからついてくるというのは、
みなさんすでに経験なさっていますが、言葉でとらえたのは
あずきさんが最初ではないかな?
(なんだか素粒子発見のような書き方になっている!)
で、これは大事ですね。
たとえば同じ本を多読初期に読んで、中期に読んで、PBをへーきで
読めるようになってからまた読んだとすると、
「分かってなかったところが分かる」
「分かったと思っていたところが分かっていなかったと分かる」
「分かってなかったところがやっぱり分からないと分かる」
などなど、理解度にも伸びや変化があることが分かります。
つまり、最初から100%の理解をめざすことはないんだっていうことです。
せいぜい50%わかったなと思えば十分でしょう。
ハリー・ポッターを「30%しかわからないけどおもしろい」といって
どんどん読んだ人を知っています。この人もそのうち50%の理解で
再読し、いつか「100%わかった」と思えるでしょう。
ただし、ここで言う「100%の理解」というのは、次の意味です。
ぼくはTORAさんが500万語報告で書いていた
「知らない単語はいっぱいあったけど、読み終わってみたら
知らない単語なんてあった?と思った」
(いい加減な引用です。正確にはTORAさんの報告を読んでください)
というのが読者にとっての「100%の理解」じゃないかと思います。
ようするに日本語の本を読見終わったときの感覚ということですね。
そうした感覚が「量を読むことで、あとからついてくる」わけですね。
あずきさん、ありがとう!
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