[掲示板: 〈過去ログ〉英語以外で多読を楽しむ掲示板 -- 最新メッセージID: 3292 // 時刻: 2024/11/24(04:15)]
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お名前: 主観の新茶
投稿日: 2014/11/29(20:46)
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ミッシェルさんへ,新茶から。
夏の蝉時雨は,いつのまにか,秋蝉に代わり,もはや,秋蜻蛉もいなくなり,「冬蜂の,死にどころなく,生きにけり」(村上鬼城)の有名な俳句の季節になりました。
〉主観の新茶さん、お久しぶりです。ミッシェルです。
〉ラテン語はさっぱりですが(いや、とっくにご存知でしょうが)、散歩中の英語のスピーキング練習で「セミがたくさん鳴いている」と言いたかったのですが、「セミ」が分からなかったので、あとで辞書を引きました。
〉cicadaなんですね。
〉ラテン語っぽいなぁと思いました。
わからなければ,辞書を見れば,いいでしょ?
どこが悪いの?
なにも,わざわざ,辞典を引きましたって,ことわること,ないよ。
まずもって,それが,言いたかったね。
tadokuは,辞書を引いちゃあいけない,そんなドグマに,無意識で,捕らわれているみたい。
もし,仮に,辞典を引くべきか引かざるべきか,それが問題だ,なんて考えること自体,人生という貴重な時間を,無駄に使っているね。
英和の辞典を,害悪のように言う人がいたね。それは,辞典を作る人,辞典作りに係わる全ての人に,かわいそう。かわいそすぎ。
なぜなら,辞典害悪論者に言わせれば,辞典製造者や辞典販売者は,害悪を製造販売していることになるのだからね。
辞典を引くと,英語を読むことが進まないという人は,辞典の引き方が,未熟であるというか,辞典という役に立つものを引いて調べるだけの技量が,まだまだ未熟であるというにすぎないだろうね。
学生時代から,少しづつ,確実にこなしていれば,辞書を引かなくて良い言葉が,多くなってるはずでしょ。
英語など外国の本は,全く辞典を引かないで,通読した方が良い場合もあれば,かなめの用語のみ,もし分からなければ引くが,後は引かないで通読した方が良い場合もあれば,一語一語,確実に意味を理解しながら,読む方が良い場合もあれば,それぞれ,いろいろ,場合分けがあるよね。場合分けは,その人の勉強や努力の程度によって異なるし,その人のその時々の実力に応じ,違うわな。
辞書が,害悪であるわけでは,全くない。
以上の外国語読書の場合分けは,自国語の本を読むときにも,同じだよ。
全く国語辞書を引かないで読む場合もあれば,引く場合もあるね。
僕は,あるとき,小さな国語辞書を通読した。白川静の「字統」も,通読したね。できるだけ真剣に理解して,とにかく通読だ。わかっても,わからなくても,とにかく前に進む。
僕は,それまでは,ある程度,難しい本を読むと,知らないか,知っていても,あやふやな漢語に,ときどき,出会ったものだ。辞書の通読以来,基本的には,辞書を引くことは,ない。
でも,ときどき,今でも,知らない言葉に出会うね。そういう場合には,心に書き留めるか,いつも大抵携行している小さなノートに書き留めて,あとで,辞書を引くよ。辞書といっても,専門用語なら,国語辞典や漢和辞典ではなく,百科事典でもなく,専門の辞典の方が,良いと思うよ。
たとえば,僕は,経済用語なら,経済用語辞典を見た方が良いと思うよ。しかし,僕は,今は,経済辞典を持っていない。どうしてかと言えば,経済書の専門書を持っているからだ。その経済書の索引を引くんだよ。経済だけではないよ。知りたい領域の専門書を持っておくんだよ。用語を知らなければ,その専門書の索引や目次を見るんだよ。僕の専門領域は,以上とは,また別であるから,別個の勉強が必要だから。ここまで述べたところは,僕の専門領域以外の勉強を意味する。
tinyさんは,このsssに投稿する人であるところ,ホームページを見ると,多読のことを,「飛ばし読み」と命名しているのを,つい数日前に知った。すばらしい。
tinyさんの命名は,「言い得て,妙」じゃあないか。
もっと短縮し,「飛ばし」でも良いじゃあないか。そう短縮すると,知らん人には,なんのことか,わからんくなるね。
「飛ばし多読」では,どうか。
しかし,辞書なし,幼児ものから,っていったって,途中停滞とか,大人らしい高度な思考が,身につかないとか,自国語で書いた書物を読む暇がないとか,自国語(日本語)で書いたまともな本を読む気力がしないとか,能力がないとか,そういう人になると,「少読」と言った方が良い場合もあるし,そもそも,そんな人の本読みは,「読書」の範疇(はんちゅう)に入(い)れないだろう,などという突っ込みがしたくなるね。
僕自身は,学生でもないのに,いつまでも,英語に執着している人には,魅力を感じないね。
または,英語読み以外は,新聞とテレビで過ごしているのは,やはり,魅力がないね。
英語に捕らわれている人,とても,精神が,不自由だと思うよ。
僕のまわりに,英語に熱中している人,いないし。
英語に費やす時間,ほかのことをしたら,もっと,人生,ユタカになると思うよ,
多言語と称している人も,同じく,不自由だと思うよ。
でも,英語その他の文化圏の文化を知ることは,常に,毎日,大事だと思うよ,
それと,英語の勉強じゃあないと称して,連綿と英語学習的なことを継続し続ける不自由さとは,全く別個さ。
こういう僕の意見が,暴走だと思われるようじゃあね。
僕は,正論だとして,どこでも,胸を張って,いえるよ。
仮に国会でも。テレビ討論でも。
僕は,僕とは反対説の人と,公開討論しても良いと思っているくらいだよ。
でも,僕でなくて,専門家の人が,僕と同じことを言っているから,そちらの方の意見を拝聴するのが,良いね。
僕なんかよりも。
広い世間には,むしろ,僕の見解に納得する人が,多いと思っている。
学問的にも,社会規範に照らしても,実際的な効力としても。
ただし,僕は,僕の見解と違う人に,僕の見解を押しつける気持ちは,全くないね。
風邪は,引かない方が良いね。ミッシェルさん,風邪引かないように気をつけてね。辞書は,引いても良いが。
以上の議論は,このへんで,やめにして,本題。
※ ミッシェルさんは,セミと認識したら,日本語でどんな言い回しがあるか,考えないのですか?
どうして,英語の変換なんて,考えるの?
自国語の言い回しを考える方が,楽しくないの?
先じゃあないの?
セミと認識したら,自国語では,どんな言葉があるのだろう?
●なつぜみ,秋蝉(しゅうせん),この辺までは,空で,出てくるね。
閑さや 岩に染み入る蝉の声(松尾芭蕉),これも,記憶に残ってて,いつでも言えるよね。
次あたりからだな。怪しくなるのは。
●空蝉 源氏物語に出てくるね。知ってる?,どんな女性だったっけ?
●空蝉の術 漫画伊賀の影丸,小説家の書く「忍者の小説」に出てくる。漫画,読んだことある?
●蝉の仲間に,蜩(ひぐらし)がいる。蛄も,セミの字の一つである。
ヒグラシは,これを使った言葉が多い。そう思わない?
●荘子に出てくるヒグラシなどを使用した有名なフレーズ。
●蜩と鳩は,・・・大鵬が,南に羽ばたくのを無駄と笑う。
しかし,大鵬にいわせれば,いわく,「朝菌(ちょうきん)は,晦朔(かいさく)を知らず,恵蛄(けいこ)は,春秋(しゅんじゅう)を知らず。小知は,大知に及ばず。」(朝生まれてすぐ死ぬといわれている菌類は,朝と夜を知らない,夏ゼミは,春と秋を知らない,このように少ない情報で満足している者は,より多くの情報を知る楽しみを知らない,訳せば,このようになる)。
荘子,逍遙遊編第一。
お相撲さんの「大鵬」は,この荘子から,名付けられたんだよね。知ってた?
●彼(傴瘻者=せむしの男),蝉を捕るに,なお,これを拾うが如し(普通の人が簡単にできないことが,できることのたとえと考えれば良い)。
彼,いわく,蝉を捕るのは,簡単だ,「・・・・万物を以て,蝉の翼に代えず。なんすれぞ,蝉を得ざらんや」。
・・・・の部分は,長くて,めんどくさいので,今回は,紹介しない。
詳しくは,荘子,達生編第十九,を見てね。
●荘周,一蝉を観るに,まさに美陰(びいん)を得て,その身を忘る。
蟷螂(とうろう),これを捕らえんとし,得を見て,その形を忘る。※美陰とは,蝉にとって,心地よい木陰のこと。
荘子,山木編第二十。この話も有名。
蝉は,(セミを食べてしまおうという)カマキリを忘れているし,カマキリは,(カマキリを食べようという)カササギを忘れているし,カササギは,(カササギを捕まえようとしている)猟師を忘れているし,猟師は,荘子に一部始終を見られているのも,忘れている。
荘子は,荘子で,荘園の経営者から怪しまれる(知らず知らず他人の敷地に侵入していたから)。
この僕の注釈は,原文とは,やや違う。しかし,この物語から,何をくみ取るかは,その人次第だね。
「何をおもしろいとするか,たのしいとするか,そこに,その人の境遇が,にじみ出ている」という言葉もある。境遇とは,いきざま,教養ということだね。
●蝉しぐれ 藤沢周平。読んだことある?
ついでに,cicadaに触れておこう。
セミは,暖かい地方が,本場だね。寒い地方もいるらしいが,少ない。
cicadaは,もともと,ラテン語である。ローマには,蝉がいる。イギリスも,寒いが,少しは,蝉がいるんだと思うよ。知名度は,低い。
僕は,蝉は,すごく寒いところには,いないと思っている。
イギリスに渡ったゲルマン人=イギリス人は,寒いドイツ方面から海を渡ってきた。だから,蝉に相当する言葉がなかった。
それで,ラテン語で代用しちゃったんだね。
それとも,ゲルマン人がイギリスに来るまでは,ローマ人がイギリスを支配していたから,ラテン語が残っていたのかな?
cicadaは(蝉=セミ)は,ラテン語読みは,キカーダ,英語読みは,シセイダだね。
英語のcicadaは,複数形はどうなるかといえば,ラテン語の代用だから,英語も,複数は,cicadaeとした。
だって,ラテン語では,(単数)cicada,cicadae, cicadae,cidadam,cicada/(複数)cicadae,cicadarum,cicadas,cicados,cicadasという変化をするからね。
しかし,ええい,そんなこと,めんどーじゃー,ほかといっしょで,どこが,わるいんじゃー,となれば,英語の複数は,cicadasになるね。
草 々
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