[掲示板: 〈過去ログ〉英語以外で多読を楽しむ掲示板 -- 最新メッセージID: 3292 // 時刻: 2024/11/24(08:20)]
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
2837. 名前が変わる(言語が違えば,法則性の範囲内で,変わって当然)
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2014/11/19(01:00)
------------------------------
ミッシェルさん,こんにちは
新茶です。おひさしぶりです。
まだ,夏の蝉の返事は,差し上げていませんので,恐縮ですが。
〉主人公の名前も、変わるんですね。
〉ジャックはフィリップに、アニーはアンに。
〉でもモーガンさんはモーガンさんでした。ル フェイは違ったけど。
〉日本原作の漫画で名前が変わるのはわかるけれど、ジャックとフィリップでそんなにイメージが違うんですかね。不思議です。
この書きっぷりが,気になって。
私は,原作は,おそらく知っているだろうけど,映画見ていないし,この現代化させた話の主人公の名前も,知りませんがね。
でも,この話題の本質的な話は,できるんです。
これから述べるのは,キリスト教圏内の名前(というより西欧の名前)についての一般的な話なんです。
「日本原作の漫画で名前が変わるのはわかるけれど、ジャックとフィリップでそんなにイメージが違うんですかね。不思議です。」
どこが不思議なのかな。
程度問題じゃないですか。
日本語の名前だったら,英語,フランス語などインドヨーロッパ語族とは,言語体系が異なるから,名前が変わるのは,分かるってことをいいたいのだろうけど,そんなことないと思うよ。程度問題じゃないかな。
逆に,西欧で使われる一つの名前は,英語にしろ,ドイツ語にしろ,フランス語にしろ,ラテン語にしろ,少しずつ違うことが,ほとんどでしょ。違うのには,法則性も,あるんじゃないですかな。これが,程度問題という話だね。
程度問題とか,法則性という言い方が,わかりにくいと思うけど,今は,これ以上,説明しないでおくよ。
不思議かどうかを考えるのには,違っているように見えて,違わない名前の法則についての考察が,前提ではないだろうか,ということなのだけれどもね。
草 々
▲返答元
▼返答