スラスラ弾き

[掲示板: 〈過去ログ〉英語で趣味を楽しむ -- 最新メッセージID: 1605 // 時刻: 2024/6/25(14:51)]

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923. スラスラ弾き

お名前: ウルトラQの母
投稿日: 2007/3/18(11:24)

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これは「英語で趣味を楽しむ」の範疇ではないのですが、「多読の方法の応用で趣味を楽しむ」に関して、自分の趣味のサイトのブログに書いたものなんですが、転載させていただきたいと思います。

「多読の方法」はあらゆる分野に応用可能なんじゃないかなぁ。そしてどの分野でも、「楽しく実力をあげる」「それによってさらにその分野のことをやるのが楽しくなる」という、とても良い循環を生むんじゃないかなぁ・・・と思います。

ピアノに関して実際に効果が上がったらまたご報告しますね。

以下、引用です:

多読では、うんと易しい物を読んで「スラスラ読み」を実感すること、「スラスラ読める」程度の難しさ(>易しさ)のものを「大量に」読むことが推奨されている。

多読を始めてすぐに「実感」したことは、自分がいかに「今の英語力」で「楽しめる」物を楽しんでこなかったか・・・ということだ。

中学1年の1課を学んだ後に、1課の英語力で楽しめる物は読まずに、2課に行く。新しい文法知識や語彙は学ぶけど、そこでつけた力を使って、英語でかかれた「面白い物」を楽しむことなく3課に行く・・・。

私のピアノもそんな感じだった。

いつもモタモタと譜読みに時間がかかり、「進みの遅い」自分は、ピアノ世界では、すでにドロップアウトした存在・・・というように自分をとらえていた。

今思えば「なんてもったいない!」と思うけど。

私が子どもの頃は今よりもっと「教則本」流行のころだったので、「今○ちゃんはチェルニー30番」とか、「△ちゃんは○年なのにインベンションに入ったらしい」とか、教則本の名前や番数で「ピアノの腕」が語られ、「○ちゃんのショパンっていいよね」とか「△ちゃんはベートーヴェンが好きなのね」とか、あるいは、「○ちゃんってリズム感があるよね」とか「△ちゃんの音色って私好き」とか、音楽の「内容」でピアノが語られることが少なかった。

少なくとも私の周囲では。

エッセイにも書いたけど、だから、私にとっては「ピアノ=訓練」という感じで「ピアノ∈音楽」ではなかったの。「音楽」はとても好きで、合唱やったり合奏やったり鼓笛隊やったりブラスバンドやったり、いつも「音楽」をやってたのに。

で、大人になってピアノを再開して、「楽しく弾く」ことに出会ったのだけど、昔のトラウマのようなものはまだちょっとひきずってたとこもあったし、また、「楽しく」ではあるんだけど、やっぱりいつも「自分の技術より上」のものを弾いてきてしまったかもしれない。

だから、1曲あげるのにいつも時間がかかって、しかも、それが自分のレパートリーとして「いつでも弾ける」状態になっていないのだ。

Qが小学校に入ってピアノを始めることになった時、「難しい曲は弾かない」という方針で行こうと思い、「とりこぼした」名曲、「エリーゼのために」「乙女の祈り」といった曲を中心にやってきた。

なんだけど、たまたま「悲愴」の第二楽章というのを弾いた時に、「あぁ、ベートーヴェンっていいなぁ」と思って(>そもそも私はベートーヴェンが好き)、そのままベートーヴェンのソナタの世界に入って行ってしまい、またしても「泥沼」(>といっても別に楽しかったんで、いいんですけどね)。

今回、ピアノを再開するにあたって、私が選んだのは、とりあえず3冊。

「バイエル前半から中頃程度」の人用の『先生が選んだピアノ発表会名曲集1』(YAMAHA)というのと『ピアノで弾くベートーヴェンの生涯(上)(下)』(YAMAHA)というのと『ブルグミュラー練習曲25曲』(全音)です。

「バイエル入門」の人用のもあったんだけど、「さすがにそれはなー」と思って「前半」からのにしたんだけど、「前半」の人用を弾いてみて、ひょっとしたら「入門」の方が良かったのかも・・・と思いました。

ただ、「入門」の場合は「音楽」にするために「先生の伴奏」が入ってる場合が多いですので、ソロのためには「前半」からでいいかもしれません。

この「バイエル前半」やってる子が発表会!となった時に弾く曲っていうのは、かなり短く、もちろん、この程度のものでも「本当に音楽的に弾く」「音の粒をそろえて弾く」となれば、ぜんぜん私には出来てないのですが、それでも譜読みは「初見」でもOKだし、「1曲を1曲として感じる」にはとても良い教材です。

それにね、こうやって「手に収まる」曲をやって初めて「音楽も手に収める」ことが出来るのかもしれません。

同じフレーズが2回出て来た時の弾き方とか、実は音楽表現上とても大事なことを、「技術に余裕があるもの」を弾くからこそ学べるっていうか・・・。

譜読みに追われていると、なかなかそこまで行けないっていうか・・・。

辞書引きながら読んでると、英語の文章の流れが途切れてしまうのと同じかも。

この曲集は多読で言うとORT(>イギリスの小学生の副読本)の低学年用っていう感じかも。

「お子ちゃま用」とあなどるなかれ。ORTは文法的にはかなり高度なものも入ってるし、英語の自然なフレーズというのも満載です。この曲集についても同様のことが言えるかも。作曲上の「技巧」のエッセンスが多分そこここに埋め込まれているんだと思う。(>音楽理論は分からないので「思う」としか言えないのだが)

『ベートーヴェンの生涯』に収録された曲の中には、簡単バージョンに直してあるのもあります。残念ながら、どれがアレンジしてあって、どれがアレンジしてないのか、という明記がないので、私には、オリジナルかそうでないかが判別出来ないものも多いんですけど。

アレンジ物、とくにそもそもピアノ曲として書かれた物のアレンジ物には、実は心理的抵抗感もあります。

でも、これも多読で言う「リトールド物」と同じなのかもしれません。子ども向けに易しく書かれた「ジェーン・エア」を読むことは、その子どもの成長にとってマイナスになるか・・と言われれば、それは必ずしもそうでない。大人になって「本物」を読む時にマイナスになるか・・・と言われれれば、それは必ずしもそうではない。

GRで易しい英語に直された「ジェーン・エア」を読み、「結果として」英語力がつくということもある。オリジナルじゃないけど、「ジェーン・エア」ってこういう話なんだぁ・・っていうのを「知る」ことが人生にマイナスになるとは限らない。

いずれオリジナルを読む日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。でも、もし、オリジナルを1点しか読む「時間」や「余裕」しか自分にはないとしたら、GRでいろいろなものを「齧って」おいて、いずれどの一つを読むのかを決めるのもいい。

GRはそれはそれでそういう「ジャンル」だと考えられるなら、ピアノのアレンジ曲も、それはそれでそういう「ジャンル」だと考えればいい。

多読をやった時「読まぬ古典より読むGR」と思いましたが、「弾かぬ名曲より弾くアレンジ曲」ってとこですかね。

・・・という訳で、この曲集をはじめから弾いてます。

一番初めは、ベートーヴェンの初めての出版作品(>12歳の時!)と言われる「ドレスラーの行進曲による9つの変奏曲」の中の「第4変奏」と「第六変奏」というのが載ってるので、それをやってます。

で、ブルグミュラーは、子どもの頃、大好きだったけど「とりこぼし」てた「別れ」。ブルグミュラーもソナチネに移行しちゃって弾いてない曲があるので、「好きだったのにとりこぼし」の中をまずは中心にやってくつもりです。

多読と同じく、多弾も強力かもしれません。多読で「カバー・トゥ・カバー」で無理なく易しく読めるものを100冊読むのと、教科書に引用された古典の一部分を辞書を引き引き時間をかけて読むのとでは、「読書の楽しみ」という点でも、「結果としてつく力」という点でも、格段に前者に軍配があがるように、ピアノも無理なく易しく弾ける曲を100曲弾く方が、半年近くかけてソナタの1楽章を「一応」あげる(>私のことね)より、ずーっと力がつきそう。

こうやって順番に力をつけていけば、いずれ多読でPBが読めるようになるのと同じく、ピアノにおいてもソナタをもっとラクに弾けるようになるのかもしれません。

ま、とりあえず1年間くらい実験してみるつもりです。


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