杏樹さんへ

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596. 杏樹さんへ

お名前: はまこ
投稿日: 2007/3/5(18:42)

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杏樹さん、こんにちはー。はまこです。
お返事が遅くなってごめんなさい。

〉すごーく中身の詰まった報告で、読み応えたっぷりです。

ありがとうございます(^^)

〉結局多読は「楽しいか、楽しくないか」が基準ですから、それを基準に本を選んでいるうちに自分にとって「楽しい」ことがどんどんわかってくるんですね。つまらないものは投げてしまえ、飛ばしてしまえ、でやっていくと、「楽しいこと」しか残らなくなります。
〉自分の「心の声」に従うのは大切なことなんですよ。某た…さんのような世界みたいですが、「心の声」「直観」に従って行動していると、だんだん磨かれていって鋭くなって、より精度が上がってきます。

ですね〜。

〉私はもとが理屈っぽい性格なので、理屈で納得しないと動けなかったんですが、だんだん感覚に従うことを覚えて行きました。これは必ずしも多読をしたからというわけではなくて、精神世界関係に足を突っ込んでそうしたことが書いてあったり話を聞いたりして、頭で考えて煮詰まってしまうより直観を大切にしたほうがいいらしいので実践を心がけるようになりました。

うん。この話をちょこっと聞かせてもらった事があります。

〉それが多読を始めたら、その実践により近づくような気がするんです。「実践」といっても、「心の声に従う」とか「直観に従う」とか、具体的にどうすればいいか、なかなか日常生活にどうやって応用していいかわかりません。
〉でも多読をするとそれをそのまま実践できるんですよ。辞書を使うと理屈を補強するから捨てちゃえ、わからないところで立ち止まって考えると頭を使うから飛ばしちゃえ。おもしろくないー、進まないー、と悩むなら投げちゃえ。ってね。実は多読は心の解放にも応用できる方法だったようです。

ねー。

〉〉私は欲深いので、あれこれやりたいことや欲しいものがありますが、
〉〉そのことに思いをはせても、やっぱり私は満たされて穏やかです。
〉〉足りない、とか、できない、とか心が乱されることはほとんどありません。
〉〉心が揺らぐ事があってもやっぱりすぐに「ちょうどいい状態に」戻れます。
〉〉幸せだなぁ。ありがたいなぁ。と感謝の日々です(^^)

〉ここにも悟りを開いた人が…。
〉「悟り」なんて言うとオオゲサなイメージになってしまいますが、宗教とか精神世界とかは、心の充足を求めるものなので、そういう境地に達したと…。
〉自分の「ちょうどいい」状態を知る、というのが「そういう境地」なんでしょうね。

身も心も完全に満たされた状態というのは、三人目の子どもを産んだ時と
その後に体験しているのですが、そうなる下地に「子ども式」があったのです。
一度心身ともに完全に満たされた状態がどういうものなのか体験すると、
その後も体験しやすくなりました。
人によって、体験の仕方は違うかもしれませんが、
「その状態」から世界を見ると、今までとは全く違う見え方がします。
アトムさんへのレスにも書きましたが、最近知らないうちに
何度も瞑想状態に入ってたようで、「無」というのも体験しました。
「無」って心が空っぽなんじゃなくて、「あるがままで、なおかつ無」
なんだなーと。たぶんなんですが。
でも私は「欲望」がたくさんある自分を選びます。
そのほうが「動いている状態になって楽しい」からです。
未熟な自分がやっぱり楽しいです。
まだまだ成長できるってわくわくします。

一つ大事なことを書き忘れるところでした(^^;)
杏樹さんにお礼を言わなければ〜。ありがとうございました!
たぶん瞑想状態に入ってたんじゃないかなーというのが10日+数日
あったのですが、最初の頃、あまりにもいろいろなことがわかる?
ので、「今の私には何か特別な力が備わっているんじゃないだろうか」と
すごくいい気になった時があったんです。
でもそう思った瞬間、私の中で「見えている映像」がピュンと縮んで本当に
小さなものになってしまいました。
気を切り替えて、「私に特別な力があるのではなく、いろんな人に
繋がっていて、教えてもらっている状態なんだ」と理解してみると、
それに従って「見えている映像」どこまでも広がって行きました。

後で思ったのですが、杏樹さんの「仏さま」の話を聞いてなかったら、
私の中の映像は縮んだままで終わっていたかもしれないなー、なんて
思ったのです。詳しいことは忘れましたが、
修行をしているお坊さん?たちが瞑想状態になっているとき、
「仏さま」が見えたら、お師匠様に「その仏を殺せ」と言われた、とか
いう話しです。
それって「自分の力だと勘違いしていい気になるなよ」という教訓だったの
ではなかなーと。そのお師匠様の教えを、杏樹さんを通して私も
教えてもらっていて良かったです(ほっ)
それがわかった後では、確かに体が空に浮いてても別に驚かないなー
なんて感心したり。

今では時間や物理的な距離などの概念がすっかり変わってしまって、
何があってもたぶん、普通というかそのまま受け入れるんだろうなって
思うのですが、杏樹さん(たかぽんさんもでしたね)から教えてもらって
いなければ、違うことになっていたかもしれません。
 
 
最後になりましたが、杏樹さん、いつも「そこにいてくれて」
本当にありがとうございます。
杏樹さんにその気が合っても無くても、いつも杏樹さんは
「そこにいてくれて」私にいろいろときっかけを与えてくれる存在です。
感謝、感謝なのです。

ではでは〜。


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