Re: ブリとハマチの逆襲(笑)

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20934. Re: ブリとハマチの逆襲(笑)

お名前: 杏樹
投稿日: 2005/6/7(02:23)

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akoさん、こんにちは。

〉〉一体何万語になってるのかな〜。ナゾの人、akoさん。果たして100万語まであと何年?

〉1年程前に、56年とか、それは計算間違いで16年という説などがありましたが…

でも、なんだかペースが上がってるみたいなんですね。そのうち加速装置がついて、ちょっとよそ見してる間に100万語報告が入ってないか、ハラハラしてます。

〉〉それは英語と日本語が語彙が対応しないという証しです。なぜ対応しないかというと、生態系や生活様式が異なるからです。

〉来た〜〜〜〜!!
〉杏樹さん解説コーナー、好きなんです。

いやまあ、akoさんだと思うからこそシツコク解説してしまいますので…。でもできるだけ簡潔に、と思って書きましたが、akoさんから聞かれるとさらに細かくお返事レスをしてしまいます。

〉〉例えばヨーロッパでは牧畜が主要産業ですので、家畜に関する言葉が豊富です。牛でもcow、bull、oxという区別をします。buffaloとかbisonなんてヤツもいます。羊もsheep、ram、lambなどの区別があります。「牛」だけ、「羊」だけ、という言葉はありません。

〉牛だけで3種類も英語が… ついでにbeefってのもありましたね。
〉フランス起源の料理用語でしたっけ。
〉「とりあえず牛関係全部」という総称がなくても、困らないのですね。
〉困らないどころか、もしかしたら、必要ないってことかも。

beefが出たついでに。
これらの動物たち、肉になるとこれまた呼び方が変わるんですね。beef、pork、mutton。
もひとつついでに、ヨーロッパでは乳製品に関する言葉も細かいです。もともと日本にはバターもチーズもなくて、英語をそのまま使ってるぐらい。でも英語ではバターやチーズを作るのに牛乳が分離して上澄みと底に沈んだものを表すためにcurdとwheyという言葉があります。そういうものを作らない日本には生まれようがない言葉。飛鳥時代に大陸から「醍醐」というものが入ってきたようですが、定着しなかったようで。(言葉だけ残ってるというのも面白い)

〉〉おそらく英語圏ではrabbitというウサギとhareというウサギが身近にいるのです。でも日本には「うさぎ」しかいなんです。

〉英米の人は、月の中にいるウサギさんは、どっちで言ってるかしら。
〉そもそも、月にウサギを見る、という発想自体があるかどうか…ですね。

「月にウサギ」は中国の伝説ですから、欧米にはないと思います。その代わりマザーグースでは月から落ちてきた男などがいます。

〉> 言葉が存在しないということは、その言葉を使う人にはその概念が存在しないということです。日本人にはうさぎを二種類に分けて考える考えがないのです。

〉確かに。
〉「野うさぎ」という日本語はありますが、よく小学校などで見る白いウサギと、
〉それほど厳密に分けよう、という気持ちは起きませんね。
〉ウサギを細かく分類、区分けするという必要性がないですしね。
〉それが、文化の違いによる、概念の存在の有無ってことになるのかしら。

日本人は動物に対する関心が低くて、魚に関する関心のほうが強いようです。牛など農作業に使うだけなので、細かい分類まで考えないんでしょう。食べるとなると、いい草を食べさせるとか、解体する方法とか、肉の部位とか気になるんでしょう。ウサギも食べるからこそ食べるウサギ、食べないウサギ、という区別が生まれるわけで。

〉〉中国語でもこの二つは全く別の言葉です。中国ではclockを人に贈ってはいけません。watchは大丈夫。

〉おおーー、あとでそのへん詳しく教えて。
〉でも、clock と watchを分けるという点で、中国語が英語圏と同じ発想をするというのは面白いですねー。
〉距離的には、断然日本のほうが中国に近いのに〜

省いたのにやっぱり聞かれてしまった。
中国語ではclockは「鐘」といいます。腕時計は「表」「手表」といいます。
で、「送鐘」は「送終」と発音が同じなんです。「送終」は最期の別れ、つまりお葬式のお見送り。だから縁起が悪いんです。

〉日本人にとっての時計は、ああいった機械仕掛けのものよりも、
〉日時計のような、自然現象を使ったものが先に使われたからなのかしら。
〉だとしたら、時計は、まず時計であり、その後、腕時計とか置時計があとからできたということかもしれませんね。カンでモノ言ってもいけないので、世界史クラブ行き〜
〉欧州は、時計の発明といったら、大きなのっぼの古時計、おじいさんの時計〜〜のほうが、先なのかな。これも知らない…汗。スイスの時計産業の歴史が知りたくなりました。

このへんはよくわかりませんのでなんとも…。日本では江戸時代に和時計がありました。腕時計はもっと後に発明されたものですから、それがはいってきたときに「watch」の訳として「腕時計」という言葉を考えたのかもしれません。もしくは、watchは懐中時計も腕時計も両方指します。懐中時計の方が先に発明されました。おそらく日本に文明開化の時代に西洋から懐中時計がまず入ってきて、「懐中時計」という訳語を考え出し、その後腕時計ができたときに「懐中」というわけには行かないので新しい言葉として「腕時計」という言葉を考えたのかもしれません。

〉〉日本語で「足」という言葉がありますが、英語にはlegとfootという区別があります。言葉が二つあるということは、二つの概念が別々に存在しているということです。

〉おお、もし言葉の存在に理由があるなら、英語の人はどうして、
〉legとfootを分けて呼ぶのだろおおお。きっとここには何かある…

実は中国語もなんです。legは「腿」footは「脚」です。

〉〉それから、世界にはあいさつすら対応しない言葉があります。
〉〉例えばインドネシア語では日本語の「さようなら」に当たる言葉がありません。

〉えっ!? まじ? すらまっじゃら〜ん(笑)

jalanは「歩く」とか「道」とかいう意味なので、去っていく人に言う言葉です。残る人には「slamat tinggal」といいます。tinggalは「残る」という意味です。ですから取り違えるとすごいトンチンカンなことになります。

〉〉去っていく人が残す言葉と、残る人が送る言葉があります。しかもそれは遠くて長い別れに使うもので、毎日会っている人が家へ帰るなどして別れるときは「また明日」「また今度」というような言葉を使います。

〉わわわ! それ、フランス語みたい?! あるいは韓国語も同じ!
〉アデュウ…(思い出しますなぁ、あの場面… 国王陛下…)と
〉オーボワーって、どっちもサヨナラですよね、しかもオーボワーって、また会うっていうことでしょう?
〉面白いですね、「バイバ〜イ」じゃなく「See you again」てのが。
〉あとね、韓国語のサヨナラも、去る人専用と残る人専用が別々にあるんです。
〉いやぁ〜、文化が違うってほんとに面白いですねえ。

でしょー?言葉の世界に迷い込むと、おもしろくて抜けられません。

〉〉日本語の「はい」と英語の「yes」も対応しません。

〉そうですよね! これは多読してて、感じることがよくあります。
〉わかるようになってきました。

〉〉高校の英会話の時間で最初にビックリしたのは、出席を取る時に「here」と答えなさいと言われたことでした。「はい」=「yes」じゃないんだ!ということを知りました。

〉あ〜〜っ、それ最近なんかの映画で見た〜 小学生が出てくる映画〜〜

注意するとよく出てきますよ。学校だけでなく、誰かに呼ばれたときに返事する言葉が「here」ですから。

〉〉中国語には「はい」「いいえ」に対応する言葉もありません。質問の言葉によって肯定・否定の言葉は変わります。

〉え゛〜〜〜っ、YES,NOが無いんですか〜〜?
〉中国人ってどうやって話すんの??? 
〉知りたくなってくるではないですか…
〉杏樹さんにそのつもりがなくてもakoにはさり気ない中国語への誘惑〜〜〜(笑)

中国語を書こうとすると出てこない字が多くて面倒なので、日本語で例を出しますね。
「ご飯食べた?」「食べました」
「あの映画見た?」「見ました」
yes,noを使わなくても会話できるでしょう?中国語の場合、「食べる」とか「見る」とか、単語が漢字一文字の単音節なので、yes,no、「はい「いいえ」なみの短さで終わるから、それが「はい」「いいえ」と同じになるんです。

「対不対?(いいですか?)」→「対」(はい)「不対」(いいえ)
「是不是?(そうでしょう?)」→「是」(はい)「不是」(いいえ)
「去不去(行きますか?」→「去」(はい)「不去」(いいえ)
とかね。

〉〉言葉はそれを使う人の概念、ものの考え方に深くかかわっています。特に日本語と英語は根本的に感覚が違う言葉ですが、それは系統が全く違うため文法や語彙に共通点が少ない、というだけでなく、ものの考え方、感じ方の深いところで違うものなのです。だからこそ日本語を介さないで英語のまま理解できるようになるのが大切なんです。

〉そうそう。まさに多読をしていると、その「深いところ」に何か感じるものがあるんですが、何しろ深いところ(脳なのか肝臓なのか膵臓なのか(笑))だから、表面に浮上してこないので、うまく説明ができません〜

多読で大量インプットしていたら、深いところにどんどんたまって、知らないうちに蓄積が増えていきますよ。それこそが従来型学習と違うところです。従来型では頭で覚える、つまり意識の表面で覚えることが「勉強」でした。でも表面の暗記よりも「深いところ」で覚えたことのほうがずっと身につきます。でもそういうことはなかなか理解しにくいので、なぜ多読は効果があるかという質問に対してなかなか納得してもらえないところです。でも多読すればわかるんですよ。自分の中に英語の蓄積が無意識にたまっていくことが。そしてたまっていけば、「知らないうち」に表面に出てきます。

〉〉でもこういった区別に気がついてあれこれ考えるのが楽しいならそれもいいでしょう。子どもの図鑑など探せばあると思います。図鑑をながめてたらまたもや語数の進みが遅くなるかもしれませんが、それもまた楽しいのではないでしょうか。

〉そうなんですよ、多読、と思って英語の本を読むでしょう?
〉そうすると、出会う先、出会う先で発見があって、そのたびに騒いだり、面白がったりしてるもんですから、その楽しい思いをしばらく堪能したいので、
〉次々と次の本を読むってことができないんです〜

「楽しい」というのが一番ですね。楽しいからこそ、蓄積が増えていくんです。苦痛の勉強ではすぐ忘れてしまいます。 

〉〉それでは…。

〉 ↑ 出た! いつもの「それでは…。」 杏樹氏は渋く去っていった。去り行く後姿を見送って、あんにょんひがせよ〜(見送る側専門のサヨナラ(笑)

すらまっ てぃんがる…
と、言わなければならないような気が…。(韓国語は知らないので…)


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