Re: ブリとハマチの逆襲(笑)

[掲示板: めざせ100万語! -- 最新メッセージID: 25675 // 時刻: 2024/6/28(20:36)]

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20931. Re: ブリとハマチの逆襲(笑)

お名前: ako
投稿日: 2005/6/7(00:51)

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杏樹さん、こんにちは。akoです。

〉一体何万語になってるのかな〜。ナゾの人、akoさん。果たして100万語まであと何年?

1年程前に、56年とか、それは計算間違いで16年という説などがありましたが…

〉それは英語と日本語が語彙が対応しないという証しです。なぜ対応しないかというと、生態系や生活様式が異なるからです。

来た〜〜〜〜!!
杏樹さん解説コーナー、好きなんです。

〉例えばヨーロッパでは牧畜が主要産業ですので、家畜に関する言葉が豊富です。牛でもcow、bull、oxという区別をします。buffaloとかbisonなんてヤツもいます。羊もsheep、ram、lambなどの区別があります。「牛」だけ、「羊」だけ、という言葉はありません。

牛だけで3種類も英語が… ついでにbeefってのもありましたね。
フランス起源の料理用語でしたっけ。
「とりあえず牛関係全部」という総称がなくても、困らないのですね。
困らないどころか、もしかしたら、必要ないってことかも。

>逆に日本では魚に関する言葉が豊富です。出世魚など、同じ魚でも呼び方が変わる、ということはおそらく英語ではないでしょう。英語では「はまち」「ぶり」を区別することはできないのです。ついでに、英語では「稲」「米」「ご飯」を区別できません。riceという言葉しかありません。

日本語の逆襲〜

〉おそらく英語圏ではrabbitというウサギとhareというウサギが身近にいるのです。でも日本には「うさぎ」しかいなんです。

英米の人は、月の中にいるウサギさんは、どっちで言ってるかしら。
そもそも、月にウサギを見る、という発想自体があるかどうか…ですね。

〉世界史クラブで「龍」と「ドラゴン」は別物だというお話をしましたよね。似ているように見えても姿や性質が微妙に違う…国が違えば言葉は一対一で対応しないことがあります。つまり厳密に言えばヨーロッパには「龍」は存在しないし、中国には「ドラゴン」は存在しないのです。

あの例は、ほんとに面白かった。
杏樹さんが、中国関係をやっている方であったおかげで充実度が数段アップしました。

> 言葉が存在しないということは、その言葉を使う人にはその概念が存在しないということです。日本人にはうさぎを二種類に分けて考える考えがないのです。

確かに。
「野うさぎ」という日本語はありますが、よく小学校などで見る白いウサギと、
それほど厳密に分けよう、という気持ちは起きませんね。
ウサギを細かく分類、区分けするという必要性がないですしね。
それが、文化の違いによる、概念の存在の有無ってことになるのかしら。

〉英語でriceというのに対して日本では田んぼに生えてる「稲」とか生の「米」とか炊いた「ご飯」とかいう区別をするように、clockとwatchを使い分けている人間にはその二つが「同じ」とは考えていないのではないかと思います。

こめ! イネ! ごはん! 確かに、ライスしか思いつきません。
まさに、米を主食とする文化であればこその語彙ですわあ。

〉中国語でもこの二つは全く別の言葉です。中国ではclockを人に贈ってはいけません。watchは大丈夫。

おおーー、あとでそのへん詳しく教えて。
でも、clock と watchを分けるという点で、中国語が英語圏と同じ発想をするというのは面白いですねー。
距離的には、断然日本のほうが中国に近いのに〜

日本人にとっての時計は、ああいった機械仕掛けのものよりも、
日時計のような、自然現象を使ったものが先に使われたからなのかしら。
だとしたら、時計は、まず時計であり、その後、腕時計とか置時計があとからできたということかもしれませんね。カンでモノ言ってもいけないので、世界史クラブ行き〜
欧州は、時計の発明といったら、大きなのっぼの古時計、おじいさんの時計〜〜のほうが、先なのかな。これも知らない…汗。スイスの時計産業の歴史が知りたくなりました。

〉日本語で「足」という言葉がありますが、英語にはlegとfootという区別があります。言葉が二つあるということは、二つの概念が別々に存在しているということです。

おお、もし言葉の存在に理由があるなら、英語の人はどうして、
legとfootを分けて呼ぶのだろおおお。きっとここには何かある…

〉それから、世界にはあいさつすら対応しない言葉があります。
〉例えばインドネシア語では日本語の「さようなら」に当たる言葉がありません。

えっ!? まじ? すらまっじゃら〜ん(笑)

〉去っていく人が残す言葉と、残る人が送る言葉があります。しかもそれは遠くて長い別れに使うもので、毎日会っている人が家へ帰るなどして別れるときは「また明日」「また今度」というような言葉を使います。

わわわ! それ、フランス語みたい?! あるいは韓国語も同じ!
アデュウ…(思い出しますなぁ、あの場面… 国王陛下…)と
オーボワーって、どっちもサヨナラですよね、しかもオーボワーって、また会うっていうことでしょう?
面白いですね、「バイバ〜イ」じゃなく「See you again」てのが。
あとね、韓国語のサヨナラも、去る人専用と残る人専用が別々にあるんです。
いやぁ〜、文化が違うってほんとに面白いですねえ。

〉日本語の「はい」と英語の「yes」も対応しません。

そうですよね! これは多読してて、感じることがよくあります。
わかるようになってきました。

〉高校の英会話の時間で最初にビックリしたのは、出席を取る時に「here」と答えなさいと言われたことでした。「はい」=「yes」じゃないんだ!ということを知りました。

あ〜〜っ、それ最近なんかの映画で見た〜 小学生が出てくる映画〜〜

〉中国語には「はい」「いいえ」に対応する言葉もありません。質問の言葉によって肯定・否定の言葉は変わります。

え゛〜〜〜っ、YES,NOが無いんですか〜〜?
中国人ってどうやって話すんの??? 
知りたくなってくるではないですか…
杏樹さんにそのつもりがなくてもakoにはさり気ない中国語への誘惑〜〜〜(笑)

〉言葉はそれを使う人の概念、ものの考え方に深くかかわっています。特に日本語と英語は根本的に感覚が違う言葉ですが、それは系統が全く違うため文法や語彙に共通点が少ない、というだけでなく、ものの考え方、感じ方の深いところで違うものなのです。だからこそ日本語を介さないで英語のまま理解できるようになるのが大切なんです。

そうそう。まさに多読をしていると、その「深いところ」に何か感じるものがあるんですが、何しろ深いところ(脳なのか肝臓なのか膵臓なのか(笑))だから、表面に浮上してこないので、うまく説明ができません〜

〉でもこういった区別に気がついてあれこれ考えるのが楽しいならそれもいいでしょう。子どもの図鑑など探せばあると思います。図鑑をながめてたらまたもや語数の進みが遅くなるかもしれませんが、それもまた楽しいのではないでしょうか。

そうなんですよ、多読、と思って英語の本を読むでしょう?
そうすると、出会う先、出会う先で発見があって、そのたびに騒いだり、面白がったりしてるもんですから、その楽しい思いをしばらく堪能したいので、
次々と次の本を読むってことができないんです〜 

〉それでは…。

 ↑ 出た! いつもの「それでは…。」 杏樹氏は渋く去っていった。去り行く後姿を見送って、あんにょんひがせよ〜(見送る側専門のサヨナラ(笑)


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