[掲示板: 〈過去ログ〉過去ログ2(英語教育についての論争) -- 最新メッセージID: 983 // 時刻: 2024/11/22(13:09)]
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お名前: 転向者
投稿日: 2002/6/16(12:45)
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偶然このサイトを見つけ、興味を持って読ませて頂きました。といいますのは、
小生、まさに高校生の頃から多読・多聴中心に英語に触れ「文法学習は益なし」と
考えていたものが、就職し、何年後かに業務で日常的に英語を使う部署に配属され
10年近くそこで仕事をした結果「文法はやはり必要」と”転向”したからです。
今や中年になり100万語は相当以前に超えた筈ですが、辿り着いた考えは
文法学習と生きた英語の習得は、mutually exclusiveなものではない、という
もので、この歳になって文法や語法の再勉強をしています。
貴学習法の理解不足や既に論議された内容がありましたらお許し頂きたいのですが、
順不同に2,3点書かせて頂きます。
・本来業務で多忙なビジネスマンは本当に自由時間が少ない。そうした中では、
自然な例文を使い的確な説明に則った文法学習であれば、効率的に英語の理解力と
運用力を増すことにつながりはしないか。貴サイトでは文法学習の欠陥として
例えば文法書のtheの説明をあげておられる。確かに学校で文法的規則を覚える
ことで冠詞はマスターできなかったかもしれない。が一方で、多読だけで冠詞の
概念を掴み運用できるようになるには、どれほど膨大な量の読書と時間が必要に
なることだろう。意識的に英語の仕組みを理解するよう努めることを、多読で
英語をそのまま呑み込む事とあわせて両輪とするのが、効率的な学習になりうると
考える(最近は実用的視点に立った文法解説書も出てきている印象もあります)。
・多読だけでは、フィーリング的理解に留まるおそれが拭えない。「精読は
否定せず、専門文献を読むときには、ゆっくり正確に読むことが必要」と
おっしゃっているが、専門文献でなくても、時にはじっくりと英文を読み込む事は、
思いこみによる理解を排し、作文や会話でより的確に自己表現をする上でも有効と
考える。また契約などに使われる英文は、いかに言質を与えないかに配慮した
書き方がされている(書き方をする)ことがあるのが社会の現実。英語を仕事の
武器としてウラまで読む込み、ケガをしないためには、英文構造や単語の意味を
解析する力も必要になる(実は、これが私の「転向」のきっかけのひとつでした)。
・学習には「動機づけ」が重要と考えるが、英語学習ではしばしば教材が文学系に
偏りがちの感がある。貴サイトでもお勧めや教材で目立つのは小説で、児童書も
あり、社会人には不備と感じる(児童書がくだらないというのではありません。
小生も「モモ」やエーリヒ・ケストナーの作品の英訳など、今でも時々拾い読み
します。しかし大人にとって児童書は適不適の個人差が大きすぎると思います)。
社会人のためには、もっとノンフィクションや時事社会問題、異文化論などを
増やし、実社会に即した選択肢を拡げた方が動機付けとしても好ましいと
考えますがいかがでしょうか。
「多読だけで自然に英語力がつく」という考えは、いかにも実用英語の指導を
ご専門とする方々が提唱する、学生など時間ある人や英語を趣味とする人に向けた
方法論、という印象があります。それは一種の理想型ではあるでしょう。しかし、
会社勤めの多忙な社会人にとっては、場合によっては回り道になりかねないと
思います。「鯨の公式」のように、従来の文法学習が不自然な例文と無味乾燥な
解説に終始していた側面があるのは事実でしょう。しかし相当量のエネルギーを
積み重ねた学校での学習を無益有害として捨て去るのではなく、それをassetとして
再生利用する手だてを探ることも必要ではないかと思う次第です。
長文失礼しました。
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