Re: 複雑な英文を読むための方法論を欠いたSSS

[掲示板: 〈過去ログ〉過去ログ2(英語教育についての論争) -- 最新メッセージID: 983 // 時刻: 2024/11/23(10:39)]

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416. Re: 複雑な英文を読むための方法論を欠いたSSS

お名前: 呂 奉先
投稿日: 2002/2/15(15:24)

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〉〉〉多読していればそのうち複雑な構造の文も読めるようになるなどという保障はない。

〉 私は絵本や少年少女文学全集など、日本語ばかり読んで
〉だんだん大人の本が読めるようになりました。英語で説明した
〉日本語の文法の本を読んで日本語が出来るようになったわけ
〉ではありません。

日本語と英語の構造の違いがある、と言われればそれまでの
ことであるが、日本語を例にとって考えてみれば、
「小説をいくら読んだところで、論説文や評論文は決して
読めない」ということは、ごく当たり前の事実である。
文章の構成,使用している日本語のレベルが全く違うから
なのであるが、英語でも同じことは言えないのであろうか?

無論、多読の必要性を否定しているものではないが、易しい
ものから段階的に…と言ったところで、日本語における
小説と評論文のような、「文章の構造,単語のレベル自体が
全く違う文章」にぶつかったときに、どのように読めるように
なるのかが、非常に疑問ではある。

これが多読で克服できるというのなら、国語の授業の否定にも
なると思う(「日本語でも簡単なものから日本語の文章を読んで
いけば、どんな文章でも読める」という論理になり、難しい国語の
文章を読むための論理的思考の説明や、文章の構造を砕いていく
授業は不要という形になりそうなのだが・・・)のだが、いかが
であろうか?

今の一般的な日本人(国語教育を十分に受けていない人間)の使う
日本語は目茶苦茶で、酷いものである事実を考えると、多読だけで
まかなえるなどということは、口が裂けても言えないはずだと
思うが・・・。


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