[掲示板: 〈過去ログ〉SSS雑談の掲示板 -- 最新メッセージID: 3556 // 時刻: 2024/11/25(08:05)]
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こんにちは、まりあさん。
ね〉〉〉英語多読を継続するならば、日本語多読とのバランスが必要と思うわけさ。
あ〉〉でもねー、私は日本文学をほとんど読まないで、翻訳された世界文学ばかり読んでました。
あ〉〉日本史の本は全然読まないで、日本語で書かれた世界史の本ばかり読んできました。
あ〉〉これでは日本語の本を読んでも「バランス」にはならないんじゃないでしょか。
ま〉 まあ、一昔前の世界文学の翻訳はかなり日本語としての水準の
ま〉 高いものも多くて、日本語の勉強になったと思う。
うん、そういう考え方もあるけど、Sさんの最近の本の、
翻訳に対する考えを読むと、水準が高いのかどうかわからなくなってきてしまいますね。
でもわたくしは、アーチャーや、フォレット、フォーサイスなどの翻訳ものが好きでしたので、
翻訳の水準については考えていませんでした。
むしろ、超訳とかいうのは嫌いでしたね。
ま〉 で、たとえば日本文学の名作といわれるものをすべて読破した
ま〉 として、日本文化をしっかり理解できるか?というとそうでも
ま〉 ないと思う。少なくとも私のような凡人には。
「しっかりと理解」は求めません。
しかしながら、日本文化の伝承への理解が上がることが、希望です。
昨今の何でもデジタル化して残せばいいや、
って感じの風潮に危機感があります。
アーカイプを作っておくことは賛成ですが。
ま〉 外国文化に触れてはじめて、「あ、これが日本文化なんだな」って
ま〉 分かってくるんじゃないかな。
ここなんですが、和洋折衷という言葉を使って、
多くのものを西欧化してしまった国に育ったものとして、
はたして、外国文化(特に英米文化)を見て、
日本文化をわかるのでしょうか。
う〜む、ここら辺のとこほかの人の意見も聞きたいな。
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