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お名前: たかぽん
投稿日: 2008/10/26(03:15)
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akoさん、こんばんは。
〉ドッペル*たか*こる*ゲンガーさん、おはようございます。
〉秘密戦隊所属、秘密調査員akoゲンガーです。
〉たまには世界史クラブがお役に立とうと思います。
〉(日本も世界の中に入る)
ありがとうございます。
〉〉それは脚気。当時、脚気の原因がわかっておらず、森鴎外は、間違った説にこだわった。
〉〉なまじ口が立つし、地位もあったので、森鴎外の説が採用されて、その結果、
〉〉兵士たちが脚気でバタバタと倒れ、命を落とすこととなる。
〉〉日清(日露?)戦争では、敵にやられた兵士よりも、脚気で亡くなった兵士のほうが多いぐらい。
〉〉のちに、他の人の「麦のタンパク質が脚気によい」との説が採用されて、兵士は麦を摂るようになり、
〉〉それで脚気で倒れる人が激減した。タンパク質ではなく、麦のビタミンB1が効いたのだが。
〉戦死者数
〉 日清戦争→997人
〉 日露戦争→55,655人
〉(出典:国立公文書館アジア歴史資料センター)
〉脚気死者数
〉 日清戦争期→約4,000人
〉 日露戦争期→27,800人(患者数は20万人を超えたとの由)
〉(出典:『鴎外最大の悲劇』(坂内 正))
〉なので、日清か日露か?の部分は、日露戦争の時、ということになるようです。
〉たしかに戦死者総数からみて、脚気死者数が多すぎますね。
データをありがとうございます。
が、日清戦争の戦死者が少ないような・・・
私の元ネタの本を引っぱり出してまいりました。
高橋秀実『素晴らしきラジオ体操』p.92〜
軍隊で「脚気」根絶の偉業を成し遂げたのは、海軍軍医総監、高木兼寛男爵であった。
何せ、このころ、病気で倒れる兵士が多かった。
日清戦争、全戦死者13,488人中、11,849人が病死している。
中でも脚気は深刻な「死病」で、全兵士の30%が冒されていた。
軍医界で権威を持っていたのは陸軍医だった。
今の東大医学部を出て、ドイツに留学し、陸軍医になるのがエリートコース。
(森鴎外がまさにこれ。)
陸軍医は脚気を「脚気病菌」による伝染病と断定し、「脚気病菌」の発見までしていた。
(「ないものもあると決めてかかれば見つかるものである。」高橋氏)
ドイツ医学は「研究室医学」と呼ばれており、血液を採取してバイ菌を調べるのが医学だった。
ドイツには細菌学者が多く、その影響で、脚気も脚気病菌によるものと断定されたのだ。
が、海軍医の高木男爵は、脚気の原因は菌ではなく、栄養状態であると主張した。
留学したイギリスには脚気はなかった。「白米にタクアン」という偏った兵食が原因だろう、
タンパク質不足が脚気の原因であるに違いない、と考えた。
男爵は、軍艦で一種の人体実験を行なう。
大量に脚気患者を出した軍艦Aとまったく同じルートを軍艦Bに航海させ、
食事内容だけ変え、タンパク質を多く含む麦、パン、肉、野菜の兵食とした。
すると、脚気患者はほとんど出なかった。
(軍艦A:376名中169名 → 軍艦B:333名中14名(うち12名はきちんと兵食をとらなかった者))
脚気は菌ではなく、兵食の内容が原因であるという、高木男爵の説の正しさが証明された。
ただし、のちのちわかったことだが、タンパク質が良かったのではなかった。
麦に含まれているビタミンが良かったのだ。それが不足することで起こるのが脚気。
しかし、結果オーライ。
「男爵は『病気を診ずして病人を診よ』の正しさを世に知らしめ、宿敵陸軍医にも勝利した。」
(ここから男爵の人生は興味深い展開を見せるのだが、それについては本を参照してください。)
〉〉そうそう。勉強教えてあげるからデートして、ってね。いやいや…
〉そうだったのかーーーーーー。
ありませんよ。そんないいこと。
ではでは〜
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