[掲示板: 〈過去ログ〉SSS雑談の掲示板 -- 最新メッセージID: 3556 // 時刻: 2024/11/25(04:58)]
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お名前: 酒井@快読100万語!
投稿日: 2008/3/5(11:49)
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なるほど・・・
すこーし分かってきたような気がする。
〉酒井先生、こんにちは。
〉〉〉〉そう、少なくともこれからぼくが目指す「こども式」ではない。
〉〉〉では先生は、「先生が目指すこども式」のみを「正しい」多読法として、それ以外のものは認めないのでしょうか?
〉〉「こども式が正しい」なんて一度も言ってないと思うよ・・・
〉〉ぼくの目指す方向と古川さんのめざす方向はぼくには逆に見える。
〉〉別に逆でもいいんだよ。逆だから悪いと言っているわけではない。
〉〉それぞれ別の道でいいのさ。
〉〉でもそれを一体であるかのように受け取られると、
〉〉一体じゃないよって説明するのが面倒だ、ということです。
〉受け取りかたって難しいですね。確かに「正しい」とは言っていません。
〉「ぼくの目指す子ども式ではない」という時点で、酒井先生は「こども式」を目指しているので、それに賛同できないとついていけないのかな、なんて思ってしまうわけです。
古川さんの「SSS式多読法」はトップページに「中学1年生以上」という
意味のことが明記してあるのです。これはぼくの「誰でもゼロから
はじめられる可能性」とはまったく違う。文法の一斉授業も
ぼくと一体と思われたら、こども式の目指すところがあいまいになる。
だから一緒にされたら困る。
ゼロからはじめる道を「探す」という、
古川さんとはちがう方向を明らかにしたいわけで、
その気持ちが強すぎて「正しい」と行っているように聞こえるのかな。
でも、ぼく自身としては「一体と見られること」が困るというだけの
ことで、古川さんが何をしようとどうでもいいのだよ。
ほかのだれがどうしようとぼくには関係ない。
たとえばある学校はとてもすばらしい多読授業をやっていて、
これからも大いに参考にしたいと思っている。
けれども、そこのやり方をぼくがそのまま真似しようとは思わない。
文法の一斉授業もあるしね。古川さんと同じやり方なんだけど、
一体とは見られることはありえないからね。ぼくは普通にしていられる。
これからも見学に行きます。いろいろ相談しあいます。
もう2年くらい前に古川さんに
「ぼくと違う多読をしている人はいっぱいいるけれど、
そういう人たちを非難したことはないし、むしろ多読が
広がってきたということだから歓迎している」
と言ったことがある。そして、
「だから古川さんとぼくの距離もそういう人たちと同じにしたい」
と言った。たとえば東京のある大学の先生の多読、
関西のある大学の多読、ある出版社の多読関連本、みんなぼくの
考える多読とはちがうけれど、まったく構わない。ぼくと
近いと見られることはありえないから。古川さんとの距離も
そういう人たちと同じにしたかったけれどもそれは古川さんは嫌がった。
そしてそのままぼくの目指す方向とは違う方向をとり続けて、
ずいぶん離れてしまった。2年以上我慢した分(?)ぼくは
「一体」と見られることを極度に嫌がるようになった・・・
〉本当は私は「こども式」アプローチには賛同できない部分があります。そうしたら酒井先生の「めざす」ものとは違う、って思われるのか、が気になったのです。
そういうわけで、違っていいのです。
つい最近もどこかに書いたのだけれど、ぼくと多読について
まったく同じ考えの人なんて、いたら驚きだけど、いても数人
でしょう。何千という人たちは濃淡の差こそあれ、ぼくとは違う。
それはちっとも構わない。そのことはぼくの掲示板の返信を見て
わかるはずだよね? もっとも、これは重症かなというときは
強く言った。それもきっと教条的に聞こえたのだろうね。
でも多読にしろこども式にしろ、まだ全体は見えていないよ。
教条的にはなりえない。よほどの場合でなければそのままどうぞと
言ってきたはず。
「めざす」というのは、まだぼくはそこに行き着いていないということだ。
だから、こども式にとって何がよいことで、何がよくないのか、
分かっていない。「めざす」からといって、みんながおなじ意見である
必要はない。
それはこの掲示板とまったく同じだったよね?
いままでだってぼくはさまざまな人を注意深く観察してきた。
外来の患者さんを診るお医者さんに似ているかもしれない。
挨拶しながら顔色を見て、これまでの病歴を聞いたり、
問診をしたり、体温を測ったり、「多読的体調」を見てきた。
そのときはだれがどういう意図で多読しているかなんて考慮に
はいっていないよ。それと同じだ。
〉〉ぼくが今回古川さんの場所から離れるのは、こども式を探る努力が
〉〉古川さんのやっていることで邪魔されたくないからだ。
〉別々の道を行くのは、事情のあることですから仕方がないでしょう。
〉でもリンクを切って、自分の痕跡を消そうとまですると、「そこまでする必要があるのかな」と思います。…先生にはあるんでしょうね。
必要云々についてはもうこれ以上言わない。
今まで言い過ぎた。たかぽんの重なる助言もあるし、
ほかの人からも言われて、なるほどと思ったし。
ただ、「痕跡」を消そうというつもりではないよ。
でもどうしてもみなさんがそう解釈するようだから、
古川さんにはリンクだけ消してくれとだけ言うことにする。
アルクにもコスモピアにもこども式へのリンクはない。
それと同じ距離にはしたいということです。
>古川さん
そういうわけで、酒井の名前を消す作業はしなくていいですよ。
〉〉ぼくは自分流をみなさんが追いかけるといいと思っている。
〉〉でもでもでもでもでも! 本当に自分流なのか、
〉〉それとも「洗脳された自分流」なのか、そこは立ち止まって
〉〉しっかり見直してみようって、言ってるだけだよ。
〉〉この「でも」のあとの後半部分がみなさんには
〉〉「こども式だけが正しい」と聞こえるわけだ・・・
〉そういうことではなくて、学校英語や勉強に対して過剰ともいえる敵意を見せたり、「こども式」を目指すためにSSSとのつながりを切ろうとするところです。
学校英語やお勉強に対する敵意はぼくは「正しい」と思っています。
ぼくは学校をいくつも見てきた。文部官僚が何をしているかもある程度は
知っています。みなさんにはいやがられるかもしれないけれど、
学校英語や勉強の犠牲になっているこどもたちを応援したい。
そのためには大きなものにははっきり抵抗します。
〉私には「こども式」は多読を進める上の方法のひとつに見えます。こども式でやってもいいし、こども式でなくてもいい。まだまだ多読は開発途上だからどんな方式も可能性があると思います。
それはぼくがいちばん長く考えてきたことだ。
いろいろなことをやっている人を観察して、
何と何をどう組み合わせたら良い方向へ向かうか、それを考えてきた。
開発途上とはいえ、6年も観察していると、少しずつ方向は見えてきた。
「どんな方式も可能性がある」ということではないとぼくには思える。
例の麻薬説です。(樽の穴説といってもいい)
楽しいからといって分からない語をすべて辞書で引く−−それは
辞書を引くことを楽しいと「錯覚させられている」か、
辞書を引くこと自体が楽しくて、「言葉の獲得には興味はない」ということ。
多読の方向としてはこれは間違いなくよくない方向。
杏樹さんもこれは認めるのではないかな?
そうすると少なくとも「どんな方式も可能性がある」わけではない。
じゃあ、どんな方式なら可能性があるのか?
どんな方式は可能性が小さいのか?
そこを見極めようとしてきたわけだよ、ぼくは。
そして、いまのところもっとも有力と思われる方向が「こども式」なんだ。
こども式の方向には自分でも驚いた。
まさかおとながこどもの真似をすることをめざすなんてね!
でもどうもたくさんの例を見てきて、この方向がいちばん有力な
気がするのだね、いまは。いつか間違いだったと、ぼく自身が
言い出すかもしれない。
だって、ほとんど不可能に思える。
おとながこどもの真似をするなんて、ありえるのか?
いろいろ雑念がはいっているおとなにはそんなことできないのでは?
ぼくだってそういう不安はいっぱいだよ。
でも、挑戦したいじゃないか、不可能そうなことって。
だれもがやっていること、可能性の高い、まちがいなさそうなことだったら、
ほかの人がやればいい。
なんでぼくがやらなきゃいけないの?って思う。
〉結局は寝太郎さんが最初に言ったことにつながります。
〉「こども式」を目指す人、「こども式」に賛同する人以外の人を見捨てるわけじゃないですよね、ってことです。
もちろんです。
そんな風にみなさんを不安にさせていたかと思うと、とってもつらいです。
そこを推し量れなかったぼくはとってもばかでした。
勝手に興奮して、切れる切れるとわめいていたわけだ・・・
(ただし2年かかって決断したのだよ、2年!)
みなさんには「こども式」をめざしてくださいなんて言ってません。
まして賛同してくれなんて、言ってません。だって、まだ「こども式」
なんて存在しないのですからね。
All I'm asking you is... こども式の掲示板やサイトに見に来てほしい
ということだけです。
多読の掲示板のはじまりのときと同じです。
みなさん、恐る恐るやってきた。
「また、なんか怪しい学習法を言い出すやつが出た・・・」
そう思って来てみたんでしょ?
今度もそれと同じでいいのです。来てみてください。
で、If you like what you see, come again.ということです。
だれも何か買ってくれとか、信じろなんて言ってません。
売るものも、信じるものも、ないのです。
成るものなら、ゼロから成っていくでしょう。
成らないものなら、早晩なくなるでしょう。
あー、こうやってSSSの掲示板草創期を思い出したら、
なんだか勇気が湧いてきた!
(やっぱり「もう一度あの気分を」っていうことなのか?)
森の中の空き地にたき火が燃えている。
まわりはどうもトロールみたいなおかしな連中。
でも、あったかそうだから怪しみながら少しずつ近づいてきて、
結構いけるかもっていうんで、少しずつほぐれてきて、
話してみると気さくなトロールたちで・・・
多読そのものだって怪しかった。いまでも十分怪しい。
みなさんがうまく行ったという報告をしてくれるまでは
不可能だと思われていた。
いまだって辞書を捨てろだなんて「ありえな〜い」と言う人が
ほとんどだよ。単語カードを使っている人とか、最初から文法用語を
使って教える人はみんないまでも酒井のいう多読はありえないと
思っているよ。
みなさんは自分たちがどれほど変わり者か、わかっていないと思う。
トロールと一緒にたき火にあたって怖がらないなんて、
おそらく外見がそもそもトロールの仲間なのだ。
だったらもう一度、森の中の空き地の、トロールたちのたき火を
見に来ませんか? 見て気に入ったらもう一度来ればいい。
(そして知らないうちにぼくの実験材料になっている!?)
気に入らなくて二度と現れなくても、だれも文句は言わない・・・
本物のトロールのように取って食ったりはしないから。
冗談はともかく、杏樹さんとのやりとりでやっと自分の中が整理できたし、
みなさんの不安がすこし分かったような気がする。杏樹さん、ありがと!
********あまりに長かったから、まとめと注*********
*酒井さんはなぜSSS英語学習法研究会と別れたがるのか、分からない。
→ 「SSS英語学習法研究会=古川さん」は 多読発展の途中まで
一緒に来たけれど、ぼくは「その先へ」、古川さんは「やっぱり従来の
学習法に戻ろう」ということで、180度方向が違ってしまった。
(このことはSEGの多読クラスの変遷を見ると分かります。)
違うのはちっとも構わないけれど、新しい方向をめざすのに、
逆方向に歩みはじめた「SEG=古川さん=SSS英語学習法研究会」と
一体と見られては独自色が出せない(?)。ここは一つ独立させてくれ
と・・・
*酒井さんはこども式を絶対と思っていて、ほかの意見を受け入れなのではないか?
→ 受け容れるもなにも、こども式はまだ存在しません。
したがってみなさんはこども式をめざす必要はありまえん。
こども式については考えたい人が考えればいい。
したがって、賛同するもなにもないです。
それは「多読」のときと同じです。
酒井さんのやることをちょっと見てみよう、というだけで
こども式サイトに来てくださったら、これに勝る光栄はありません。
どちらの不安、疑問にも答えたつもりですが、まだ疑問はいろいろ
あるでしょう。また意見や感想を聞かせてください。
注 「SSS英語学習法研究会=古川さん」という書き方を何度かして
いますが、そういう書き方をする理由を書いておきます。
一つにはぼくは「SSS英語学習法研究会=古川さん」と離れようと
していますが、「掲示板のみなさん」とは離れる気は毛頭ありません。
みなさんとの対話の場がSSSの掲示板ではなくなるだけのことです。
古川さんの考える「多読」とぼくの考える多読は大きく違うと
ぼくは考えていますが、
みなさんが考える「SSSの多読」とぼくの考える多読は大きな違いは
ないと思っています。
なお、「SEG=古川さん=SSS英語学習法研究会」という書き方も
します。これについてはSSS英語学習法研究会のトップページの下に
ある著作権表示を見ていただくのがいちばん早いと思います。
SSS英語学習法研究会=SEGなのですね。
また、SSS英語学習法研究会=古川さんということは、
組織上も運営上も経理上もこれまでずっと事実でした。
故に「SEG=古川さん=SSS英語学習法研究会」となります。Q.E.D.
(証明終わり)。
こうした細かい言い方の違いに注目してくださると、いわゆる
「SSS英語学習法研究会から離れる」ことが「みなさんを見捨てる」
ことではないと納得できるのではないかと思います。
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