Re: 1つだけ

[掲示板: 〈過去ログ〉SSS雑談の掲示板 -- 最新メッセージID: 3556 // 時刻: 2024/7/17(16:42)]

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2553. Re: 1つだけ

お名前: たかぽん
投稿日: 2008/3/4(22:57)

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marinさん、ふたたびこんばんは。たかぽんです。

〉たかぽんさん、こんばんは。marinです。

〉〉marinさん、たかぽんです。横からすみません。

〉いえいえ、Unlearnしなきゃいけなかったり、昇華できないという人の意見は
〉聞きたかったところなので、横いりして頂いてうれしいです。

〉実は、Unlearnというのは私にはまーったくピンとこない言葉なのです。
〉初めにこの言葉を掲示板で見た時には、学生時代にまじめに英語を勉強しなく
〉て本当に良かった!とかノーテンキに思ってたのですが、どう考えても世の中
〉には、私より英語を勉強しなかった人がたくさんいるはずなので、そういう
〉人は少数派なんじゃないかってのがあって、

〉〉「結局、きれいに正しい形に昇華される」と必ず言えるかどうか。
〉〉むしろ、なかなか正しい形にならない人が多そうだ、という問題意識なんじゃないでしょうかね。
〉〉そんなことなら、最初から多読多聴でやればいいじゃん、てことでしょうね。

〉ここが多いというのが納得いかないのですよー。みんな英語をまじめに勉強して
〉ないはず(我ながらすごい思い込みかも。。)。しかも文法が嫌いって人が
〉多い中、どうして昇華されないんでしょう? 

〉なので、少数派でもその人たちが問題だから?そっちへ行くのかな、というの
〉があったのですが、酒井先生の回答みるとそういうことでもないみたいですね。

まじめに勉強してなかったり文法が嫌いだったら、その影響を受けていない、
とは言えないと思うんですけどね。
きちんと勉強してなくても、「文法」とか「単語訳」の影響を受けてることはあると思います。
むしろ、ふつうに日本の中学校に行ってて、テスト勉強したりしてたら、
必ず影響受けてるんじゃないかと。
どこまでその影響が深いかは、各人それぞれでしょうし、実態もわかりませんけれど、
まぁ、わざわざズレたことするより、最初っから英語そのものの多読多聴をすれば
いいんじゃない?っていうのが、たぶん、酒井先生の考え方だと思います。
それはそれで私はナルホドって思います。でも、そう思わなくてもいいと思います。

〉〉願わくは、子供のころから多読多聴だけでやりたかったなーと思いますけれど、

〉”どっちが先でもどうでもいい”と書いたのですが、この書き方は半分正しく
〉なくて、多読多聴に出会うべきときに出会うことが大事であって、最初から
〉多読多聴だけをすればうまくいくとも思ってないというのが私の思うところで、
〉最初に一対一で訳語を覚えるのはだめ、文法はだめというのがしっくり
〉こないんですよね。

〉多分、最初はこれをやらないとダメ、というのが好きになれないのかもしれ
〉ません、それが英語に有効である多読であったとしても。

好きになれなくてもいいんじゃないですか? 好きじゃないってことで。

実は私もホントは、「自分が好きなこと、ピンとくることをやったらいいのでは?」
と思ってるクチです。
何が自分にとって一番良いのかは、自分(「内なる自分」でも「ハイヤーセルフ」でもいいのですが)
が一番良く知ってて、いろいろと出会いをセッティングしたりもしてるので、
あまり「〜〜すべし」にこだわる必要は無いんだろうなと思っています。

でも、酒井先生が発展させようとしている方法ってのが、何かこの時代に必要な感じもしますし、
どんどん進めていって、面白いもの作ってください!!、と応援してるって感じですかね。
自分が酒井先生の言うとおりにするかどうかは別の話で。当たり前ですが。

〉〉ただ、「多読多聴が合わない人」というのが、大人でも子供でもいてはるのかもしれない、
〉〉ということは、考えるところです。

〉私は「多読多聴が合わない人」がいるとも思ってなくて、この人達は出会う時
〉に出会ってないだけ、と思っています。

〉多読は、私にとって出会うべき時に出会ったというのがあって、私の
〉セレンディピティ能力が私と多読をひきよせた(爆)とさえ思っているので、
〉どうもそこに流されてしまってるみたいです(^^;)。なんだかそう
〉思えてきました。

振り返ってみれば「そこに流されてきた」って感じですよね。たしかに。

〉私が多読を始めたきっかけは、仕事で大量の英文を読まなければいけず、
〉苦しんでた時に、BizTechというWeb記事を見たことによります。
〉その記事で目を引いたのは「英語が楽に読めるようになる」ということ。
〉しかも、辞書は引かないだのつまらかったら飛ばせだの、私にとって夢(爆)
〉のようなことが書いてあるではないですか(笑)。もう飛びつきました。

〉その時、私は自分が英語をできるようになることはないとあきらめきって
〉いたので、多読をして英語ができるようになるとは全く思っていませんでした。
〉純粋に英語が楽に読めるようになりたかっただけだったんです。

〉ところが!

〉英語が楽に読めるようになっているだけでなく、英語ができるようになってる???

〉この後、そもそも仕事で英語を使わなければいけなくなった最初の時に
〉出会えていれば、という思いもよぎったのですが、その時に多読にであって
〉いても、その時はリィーデングはできると何故か勘違いをしていたので、
〉スルーしてしまった気がするんです。学生時代はまず英語ということで
〉スルー(笑)。

〉なので、私が多読に出会うべき瞬間は、BizTechの記事を読んだときにしか
〉ありえなくて、最初に多読多聴をすべきがしっくりこないのです。

marinさんの過去は、もちろん、それでいいんだと思いますよ。
「いい」っていうか、おっしゃるように、それしか無いわけで。
それはそれで必然の流れだったと思います。

でも、多読多聴が英語習得にベストの方法なんじゃないかと言うことは、
別におかしくないと思うんですが?

いい例が思い浮かびませんが、たとえば、何かの病気で長年苦しんでいる人がいると。
そして、ある画期的な新治療法が生まれた。
長年患っていても新治療法で完治する人もいれば、それまでの未発達な治療法の影響で、
新治療法でも完治しない人もいる。
でも、新たにその病気になった人にも、長期の患者さんにも、新治療法が良いのは確かだと。
で、長患いをしていた患者さんの過去が無駄だったかというと、決してそんなことはない。
だからって、新治療法の開発が無駄かというと、そんなはずもない。

たとえ話なので、ぴったり来ないかもしれませんが、何となくわかっていただけるでしょうか?
多読多聴が本当に良いものなのか、人によってはどうなのか、など、研究・発展の余地があって、
それを応援して見守っていきたいなぁというふうに私は思ってます。


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