[掲示板: 〈過去ログ〉SSS雑談の掲示板 -- 最新メッセージID: 3556 // 時刻: 2024/11/24(00:42)]
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Ryotasanさん、こんにちは!
〉里見八犬伝や東海道中膝栗毛、それに『舞姫』など鴎外の初期作品は文語体なので難しいです。これは平安時代の文章や漢文訓読体を手本にしており、江戸時代の町人が使っていた話し言葉とは違います。
〉漱石の小説や鴎外の後期作品は口語体なので、読みやすいです。現代の日本語と切れ目無く繋がっていますが、江戸時代の町人の話し言葉とも大きな違いは無かったようです。
なーる!なーる! 日本語も色々ですね。
江戸時代の話し言葉。江戸時代の書き言葉。
明治時代の話し言葉、明治時代の書き言葉。
話し言葉も、階級によっても複数あったでしょうから、
こうして書き出してみると、言葉って、
一つの言語でも、時代、地域、階層によって違っててほんとにいろいろで面白いです。
英語については、ふだんは、日頃よめるような通常の現代の(易しい)英語だけしか想定してないですが、こうして日本語に置き換えて考えますと、
書き言葉、話し言葉、
さらにそれらが時代によっても、階級によってもいろいろあって、
じつに幅が広いものなんだなー、とても豊かなものなんだなー、
言葉って海みたいだなー、と、感じました。
わたしが知っている英語は、とても狭い範囲でしかないですが、
言葉の海の中で浮き輪に乗って泳いでるんだなーとイメージできて、
なんだか楽しくなってきました。
〉書かれた時代がいつであれ、現代の読者にとっても、おそらく江戸の町人にとっても、文語体の方が難しいはずです。
そうでしょうねー。
江戸時代にワープして、わざと色んな日本語でしゃべってみたいなぁ〜なんて夢想してしまいます。
江戸時代の大坂で、現代東京の寅さん言葉で「するってぇ〜となにかい?」とかって言ったらどのくらい通じるか?とか、
武士の家で「21世紀よりきたる、またうれしからずや」と言って会話してみるとか。そのほうが通じたりして(笑)。(←あの…、ここ、冗談ですので…)
〉ややこしい話をすれば、1887年に発表された二葉亭四迷の『浮雲』より、1910年に発表された泉鏡花の『歌行燈』の方が読みにくいです。『浮雲』は口語体で、『歌行燈』は基本的に文語体だからです。
わぁ〜(嬉)、ややこしいどころか、わかりやすく作品名での具体例、
ありがとうございます。
二葉亭四迷と泉鏡花の文体の違いなどといったことは私にはわかりませんが、
作家の中には、一人で、文語、口語の両方を書き分けることができた人も多かったことでしょうねぇ。面白そうー。読んでみたくなります。
〉『竹取物語』と『源氏物語』はどちらも古文 (文語体) ですが、時代が新しい『源氏物語』の方が読みにくいと僕は感じました。これは19世紀に西洋の町人文化が成熟していたのと同じように、平安時代の貴族文化が成熟していたせいだと思います。
うわー(古文、苦手種目…)、どちらも高校時代の古文で一部だけは読んだことがあるはずですが、もはや前世の記憶(笑) ああ、いづれの御時やら…
ただ読みやすさ(読みにくさ)が生じる要因のほうは興味津々です。
洗練度が増すにつれ、門外漢にとって読みにくいものになる、
という理解でよろしいですか?
〉フランス革命が英語の文章に直接的な影響を及ぼしたとまで言えるかどうかは分かりませんが、金持ちの町人 (市民) 階級が台頭し、彼らを読者として商業的な出版が増えたのだと思います。モーツァルトの音楽よりベートーヴェン以降の音楽がややこしいのも同じだと僕が考えています。
ご指摘の通り、革命の影響は、文章そのものへの影響というよりも、
どういう人々が書物の読者だったのか、という部分で、
革命前と後で、(というか、もう18世紀も終わりごろなので近代化の過程で、ということになりますが)大きな変化が起きたということを考えてました。
読者の階層にもよると思いますが、どういう内容の本が好まれたかという部分にも革命思想の影響があっただろうな、と思いました。
音楽も同様という話も実に面白いです!
何でもつながってますね。ありがとうございました。
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