[掲示板: 〈過去ログ〉音のこと何でも -- 最新メッセージID: 3373 // 時刻: 2024/11/24(23:47)]
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はまこです。こんにちは。
〉〉「はまこさんが私に理解してもらえないと感じている」
〉〉のと同じくらい、あるいはそれ以上に、
〉〉「私もはまこさんに理解してもらえなかったと感じた」
〉〉と想像しては頂けませんか?(苦笑)
ここが抜けていましたね。
削除した投稿に書いていませんでしたか?
〉私の言いたかったことをきちんと伝えられなかったし、
〉きっと慈幻さんの思いもあまり分かっていなかったのだろう
私は慈幻さんのように理論的にわかりやすく説明する事が出来ません。
そして今回の話も途中で終わっています。
もっと時間をかければ分かり合えるかな、と思ったし
その時間がすごくゆっくりでもいいな、とも思ったのですが。
慈幻さんはどう思ったのでしょうか。
〉〉それらを乗り越えて、多くの人が共有できる、「自己分析」や「他者理解」
〉〉の参考になる「理論モデル」が必要だと判断して、一連の投稿を続けたの
〉〉です。
「理論モデル」は早くできるならその方がいいのかな。
もう一つ聞きたいことがあります。
『あるタドキストが掲示板で悩みを相談し、それに対して他の方がアドバイスをする。』
よくあることですよね。
その悩みもアドバイスも私が何となく疑問に思っていることとは直接は
何の関係がなくても、会話を読んでいて「あ、そうか!」と謎が解けることが時々あります。
「私の報告を読んで、同じように誰かの何かに役立つといいな」
と常に思っているのですが、
そういう事は多くの人が経験する事ではないのでしょうか?
タドキスト同士の体験や報告は示唆に富んでいると思うのですが。
慈幻さん自身はどうなのか、という答えでもいいんですけど。
話は変わりますが、お礼を言いたいことがあります。
「絶望」という言葉であることを思い出しました。
私は洋楽を初めてヘッドフォンで聞いた瞬間から、「楽しい♪心地いい♪
こんなのは経験した事が無い♪♪♪」と思っていたのですが、
過去の自分の一部を完璧に忘れていただけなのでした。
「小さい頃から一人でいると歌を歌っている子どもだった」
という記憶はあったのに、
「リズムに乗って踊る子どもだった」
という記憶が抜け落ちていたのです。
歌が上手いわけではなかったし、リズム感が良かったということもないのですが。
人前で踊る子でもありませんでした。
でも嬉しい事があると踵を上げ下げしながら喋るような子でした。
運動神経もよくありませんでしたが、走り回って跳ね回っていました。
高校1年生の時にそういう動きが出来なくなり、それが数年続いた上に
それ以上に辛い体験をしたので、ぴょんぴょん跳ね回れなくなった、
という悲しみが記憶の奥深くに埋もれてしまったのでしょうね。
10代の私にとっては喜びを全身で表現出来なくなる、という事は
今までの自分ではなくなるというぐらい辛い現実だったのに、
その後に起こった事の衝撃の大きさに覆われてしまったのでした。
あくまで推測ですけど。
あ、そうか。「兎」もキーワードですね。「兎」のような可愛らしさも
足の速さも持っていませんでしたが(笑)
洋楽のリズムとメロディから感じる自由と開放感は邦楽ではなく、
洋楽だからこそ感じるものかも知れないな、と思いながら
さっき全身を使って踊っていました。
歌を歌えばさらに気持ちいい♪です。
リズムとメロディに身を委ねて歌う。
これが私のシャドーイングでもあります(笑)
体から湧き上がる喜びとともにシャドーイングする。
分かりにくいか・・・
こういうことが出来る現在の自分に感謝しながら
10代の頃の自分を愛しく振り返ったのでした。
慈幻さんの言葉をきっかけに思い出した過去は辛いものではなく、
今ある喜びをより豊かにするものでした。
ありがとうございました。
慈幻さんが今深刻に考え込んでいるかもしれないのに
こんな事を書くと気を悪くするかもしれませんが・・・
では。
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